さあ、あなたがたが見たこと、今起こっていること、そして、その後に起ころうとしていることを書き記しなさい。

ヨハネの黙示録 1:19

ある日突然、この最も珍しい職業に就こうと決断して、「反体制派」になるわけではない。個人の責任感と複雑な外部環境とが相まって、この任務に投げ出されるのだ。あなたは、既存の構造から追い出され、それらと対立する立場に置かれる。やるべきことを果たそうとすることから始まり、社会の敵の烙印を押されて終わるのである。

ヴァーツラフ・ハヴェル チェコ共和国初代大統領

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管理人のまとめ

管理人のまとめ 2021年

メッセージ

FLCCC

多くの研究者や医師から提案された無数の治療方法が存在しますが、FLCCCプロトコルの特徴は、ポール・マリク博士らの卓越した生化学的知識をベースに最新の研究データを取り込み、最前線で臨床現場に携わる医師のネットワークから得られた知見を常に反映させていることにあります。

マリク博士は500以上の査読付き出版物を持ち、h-index 112Scoups h-index 90)(科学研究成果の指標)、研究の48,000以上の引用があり、最近までイーストバージニア医科大学の医学部教授、呼吸器・重症患者医学部長を務めていました。

※h指数考案者のハーシュ氏によれば、20年の研究経験を持つ人のh指数 20 良い(good)、40 素晴らしい(great)、60 卓越している(remarkable)と述べている。[R]

FLCCCのプロトコルは最新の医学的証拠・論文と臨床経験を高レベルで統合した(コリー博士いわく)進化する医療であり、このbench-to-bedsideの高度な統合は他の医師や研究者の追随を許していないと言っても過言ではありません。公衆衛生機関と現代の医療が、人々を救済するための現実的な対応を真摯に考えていたならば、おそらく、このFLCCCの内容や手法に近いものになっていたであろうと推測しています。

FLCCCウエブサイト

Covid-19 FLCCCプロトコル

FLCCCプロトコルの最新版は各アイコンからアクセスしてください。(グーグル翻訳、DeepL翻訳などを使ってください)

コロナ【予防】 アイプリベント

アイプリベント コビッド予防 22/6/29

コロナ【早期治療】 アイケア

アイケア コビッド早期治療 22/6/29

遺伝子ワクチン【接種後】治療 アイリカバー

アイリカバー ポストワクチン症候群  22/09/06(翻訳)

【コロナ後遺症】治療  アイリカバー

アイリカバー ロングコビッド治療 22/6/2

コロナ【病院治療】プロトコル マスプラス

マスプラス 病院での治療プロトコル 21/9/18

早期治療・在宅治療 SMDT

自然免疫

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Syed Haider博士、COVIDマネジメントについて語る(2021年7月)

COVID-19 コロナワクチン後遺症・副反応 予防・治療関連 まとめ

イベルメクチン

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ワクチン関連

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ロバート・マローン博士

マローン博士 声明の全文

「私の名前はロバート・マローンです。私は親として、祖父母として、医師として、そして科学者として皆様にお話します。

私は、ワクチンの研究開発に携わってきた経験から、この発言を支持します。私はCOVIDのワクチンを接種していますし、一般的にはワクチン接種に賛成です。私はキャリアのすべてを、感染症の予防と治療のための安全で効果的な方法の開発に捧げてきました。

お子さんに注射をする前に、つまり取り返しのつかない決断をする前に、私が開発したmRNAワクチン技術をベースにしたこの遺伝子ワクチンの科学的事実を知っていただきたいと思います。

親が理解すべき問題は3つあります。

1つ目は、お子さんの細胞にウイルスの遺伝子が注入されることです。この遺伝子は、子どもの体に毒性のあるスパイクタンパク質を作らせます。このタンパク質は、子供の重要な器官に後遺症をもたらすことがよくあります。

  • 脳、神経系
  • 心臓、血管(血栓を含む)
  • 生殖器系
  • そして、このワクチンは、子どもたちの免疫システムに根本的な変化をもたらす。

最も懸念されるのは、一度生じた損傷は修復不可能であるということです。

  • 脳の病変を修復することはできない。
  • 心臓組織の瘢痕は修復できない。
  • 遺伝的にリセットされた免疫システムを修復することはできない。
  • このワクチンは、あなたの家族の将来の世代に影響を与える可能性のある生殖障害を引き起こす可能性がある。

次に、この斬新な技術が十分にテストされていないという事実を知っておく必要があります。

  • リスクを本当に理解するには、少なくとも5年間の試験・研究が必要.。
  • 新薬の有害性やリスクは、何年も経ってから明らかになることが多い。

自分の子供を、人類史上最も過激な医療実験に参加させたいかどうか、自問してみてください。

最後に、子供にワクチンを打つようにと言われている理由は嘘です。

  • あなたの子供は、両親や祖父母にとって何の危険もありません。
  • 実はその逆です。COVIDに感染した子どもたちの免疫力は、この病気から世界を救うとまではいかなくても、あなたの家族を救うためには不可欠です。

要約すると、親としてあなたやあなたの子供が一生付き合っていかなければならないかもしれないワクチンの既知の健康リスクを考えると、ウイルスの小さなリスクに対してあなたの子供にワクチンを接種することは、あなたの子供やあなたの家族にとって何のメリットもありません。

リスクとベネフィットの分析は、まったく違うものです。

親として、祖父母として、私が皆さんにお勧めするのは、子供たちを守るために抵抗し、戦うことです。」

RW マローン医学博士
ユニティプロジェクト 最高医学・規制責任者
国際医師・医学科学者連盟会長

注:強調は管理人による

その他

ワクチン接種は、ここ数十年の間に公に議論された問題の中で、最も複雑な問題の一つであると言わざるを得ない。ワクチン接種の「専門家」と称される人々やワクチン政策形成の責任者の中にも、これらすべての分野に精通した人はこの世に一人もいないと考えてよいだろう。

「Turtles All The Way Down」

議論の3段階

ワクチンとワクチン接種が、現代で最も熱い議論の対象となっている問題の一つであることは間違いない。毎日、インターネット世界のほぼあらゆる場所で、無数のワクチン関連の議論が行われていると考えてよいだろう。これらの議論は、親が読者であり、参加者であることから、3つのレベルで行われ、その結果、どのレベルで議論が行われているかによって、予想がつく。

最初の段階(最も浅いレベル)では、通常、ワクチン批判者が優位に立つ。ワクチンで大怪我をしたという子供のビデオや写真、ワクチンメーカーの腐敗や犯罪の報告、医療制度の不正や無能の恐ろしい話などが多くの親の関心を引き、しばしばワクチン接種に関する自分の立場を立ち止まって考え直させる。

しかし、それで終わることはめったにない。通常、ワクチン推進派(一般に理系の学生や医学・医療分野の専門家)は、批判的な意見に反論するために、最も近い利用可能な科学を駆使してすぐに反論する。彼らはしばしば、ワクチンは本当に安全で効果的であるという制度上の主張を、明白に裏付けると思われる科学的証拠の数々を提供する。そして、彼らは自信と科学的熟練、そしてワクチン研究の専門家としての見かけをもってそうする。これが議論の第二レベルである。

参加した親たちの多くは、この時点で熟練した専門家についていくことが困難であることに気づく。彼らは通常、ワクチンに関する科学的な論文を批評する専門知識を持っておらず、その内容や結論に異議を唱えることができるのはごく稀である。ワクチン推進派は、学問的な訓練を受けた人たちなので、自分たちの「ホームコート」で勝負していることになり、その結果は、ほとんど常に、素人の相手に対する自分たちの元々の優位性を反映したものとなる。

多くのワクチン議論はこの時点で、ワクチン接種賛成派が優位に立ち、終了する。しかし、すべてではない。時には、ワクチン批判者の中に、議論を次の段階、つまり第三のレベルに引き上げる人がいる。この段階では、専門家が自分たちの主張を証明するために提出した科学そのものが批判的に吟味される。そして、本書に記されているように、むき出しの醜い真実が暴かれる。ワクチン科学はひどく不完全で偏ったものであり、(一般市民ではなく)資金提供者の利益を満足させるために意図的に設計され、実行されたものであり、真実をすべて語ることを故意に拒否した科学である。

これは議論の最終段階である。ワクチン推進派が適切な議論を使い果たしたときである。彼らは提起された問題に対する答えを単に持っていない。ワクチン科学は不正操作されており、彼らはそれを否定しなければならないと思っているが、否定できないことを分かっている。ゲームオーバーだ。

「Turtles All The Way Down: Vaccine Science and Myth」

「ワクチン議論の3段階」仮説

国内で話題になることが少ないコビッドワクチン関連のトピック(メモ)

  • プロパガンダの学術的考察
  • インフォームド・コンセントの要件と不履行
  • 生命倫理 功利主義と義務論(ベネフィット・リスク比1対1の異常性)
  • 他の薬剤と別扱いされているワクチンの医療倫理
  • 生物兵器・バイオセキュリティ、911、炭素事件からの流れ(mRNA信奉の起源)
  • 集団心理・グループシンクへの心理学的考察
  • 公衆衛生 「高貴な嘘」の正当性と検証
  • 因果関係論(WHOのAEFIの改定
  • パンデミック条約
  • 資本主義医療・逆全体主義
  • 官僚制国家の問題
  • ビッグタバコでの戦略
  • 製薬会社による臨床研究・試験での不正方法(技術論争以前のそもそも論)
  • 怒りの対象のアンバランスさ(ファウチに本気で怒っている人は日本人はいるだろうか?)
  • 社会的分断、ソーシャル・キャピタル、権威性喪失のコスト(介入とのトレードオフ)
  • 生命倫理学者の沈黙
  • EBMに対する膨大な学術的批判
  • EBMの哲学的議論
  • グレーな証拠の領域が決定される複数の理由(利益相反・構造的・イデオロギー的)
  • 証拠の立証責任はそもそも誰にあるのか?
  • 過去のワクチンの再検証(製薬会社と規制機関の癒着と改ざんが明らかなったことによる)
  • ワクチン反対派への弾圧の歴史 ダブルスタンダードテスト
  • ジャーナリズムが高度に統制されている理由(個別のメディア批判ではなく)
  • メディア企業の利益相反未開示
  • レガシーメディアに対するファクトチェック(ファクトチェックの非対称性)
  • 市販後の安全調査の欠落
  • コビッドワクチン反対派の持続可能性(組織・収益源・プラットフォーム等)
  • 分断を解決するための現実的な提案、または分断を維持したままの社会を持続させることの展望

これらのトピックの多くが、ワクチンの安全性の問題とは独立していることがポイントです。つまりワクチンが仮に完全に安全で効果的であるという仮定をしたとしても、なお問題を呈するものであり、これらの多くがに法律的にまたは倫理的に許容されるラインを大きく超えています。ワクチンの安全性の技術論争が最も重要なトピックのひとつであることには間違いありませんが、その影に隠れて常識レベルの話、従来の手続き論や、社会的問題、イデオロギーの対立が見落とされていると感じることもあります。

例えば、EUAのインフォームド・コンセントの要件、1.完全な情報開示、2.中学二年生が理解できる説明、3. 完全な自発性(誘引もあってはならない)、は満たされていたのか?と問えば、安全性の高度な技術論争や統計学を理解せずとも、ワクチン推進派の論理が「展開の時点で」破綻していたことは容易に理解できます。「急いでいたから」という言い訳が通用しないことも明らかです。むしろ反対で、急いでいたからこそ、危険を防ぐための緊急時の倫理的プロセスを厳格に守る必要があったはずです。

コロナ・パンデミック

最初に

おそらく、今読んでいただいている読者の方の多くは、ここに書かれてあることが一定レベル受け入れられるか、そうではないとしても、さほど極端なことだと思っていない方がほとんどではないかと想像しています。

一方で、世間では、そうではないと、例えば陰謀論のように捉えて拒絶する方や、判断がつかない中間派の方が大半であることも、認識しておかなければならない事実のひとつです。そして、拒絶している方はともかくとして、中間派の方が読み考えてくれる可能性にも期待しつつ情報を発信しているため、サイト上の文章や情報の方向性にはゆらぎがあったりもします。

考え方が大きく分断されている状況の中で、一つの文章で大きく異なる世界像をもつグループに訴えるような芸当がどうしたらできるのか、とジレンマを感じる毎日です。。

「陰謀論者と呼ばれるなら、あなたは何か正しいことをしているに違いありません」エックハルト・トール
北風と太陽

公式の物語を受け入れない人々にとって、最初の課題は、家族や友人、そして世界全体の健康と幸福にとって必要不可欠であると信じるものをどのように伝えるかを学ぶことである。第二の課題は、まだ壁の影に魅了されている他の人たちから、危険な脅威として扱われないようにすることである。

私は答えを持っているふりもしないし、私たち全員が経験したことの完全な「真実」を理解しているわけでもない。ただ一つ達成できることがあるとすれば、それは、私たちが慣れ親しみ、愛着を持ってきた現実のモデルが、私たちの健康に害を及ぼしているかもしれないという可能性に、他の人々が目覚めるのを助けることであろう。

-Robert W Malone, MD「Lies My Gov’t Told Me」

私自身も、良い答えをもっているわけではありませんが、自分の意見に固執するような態度を見せれば(例えそれが事実であっても)、相手も自分の考え方に固執するであろうことは小学生でも想像できるほど単純な心理学的事実でしょう。

そして「北風と太陽」は、人々の争いを見ていて、時々、私の頭に思い浮かぶ話です。この寓話は、誰もがその話を知っていながら、誰も実行しているように見えないあまりにもシニカルなメタファーになっているからです。

太陽アプローチは、敵対的な態度をとることが目的化している、または明らかに謀略を測っている相手には、もちろん無効でしょう。しかし、もし、その相手が単に異なる考え方を強く信じているのであれば、この古典的な寓話はあえて思い出してみる価値のある寓話ではないでしょうか。これは、軟化した態度をとればいいと言っているわけではありませんし、策略的なアプローチを推奨しているわけでもありません。

参考記事映画「Died Suddenly」(突然死)はステュー・ピーターズの典型的なゴミである

しかし、「愚かだ」「洗脳されている」「群衆心理だ」と言って、当事者が「すみません、自分が間違っていました」と言うと、私たちが本気で思っているのであれば、残念ながら愚かなのは私たちのほうです。内集団との結びつきを高めることはできるかもしれませんが、それは同時に分断を強化することにもつながり、多数派に声を届けることはますます難しくなります。

反ワクチン vs COVID

サム・ハリスは2つのカテゴリーを示しています。1つはワクチンの危険性を心配するがCOVIDは気楽に考える人たち。もう1つはCOVIDに関心があるがワクチンにはあまり関心がない人たち。私たちのカテゴリーは「私はワクチンもCOVIDも心配している」というものです。

私が指摘したいのは、ワクチンを受けた人と受けていない人の二分法を強要するような分析は、本質的に間違っているということです。残念ながら、COVIDに感染した人の中には、明らかに免疫を持っている人がたくさんいます。

もしワクチンに意味のある有害事象のシグナルがないと信じていたら、「じゃあ、ワクチンを接種してもコストはかからないじゃないか」と反論するかもしれません。しかし、そんなことはありません。様々なデータの中で非常に明らかになっているそのシグナルが無意味であることを誰も立証していません。

無意味な可能性もありますが、無意味であると信じている人は、異常に大きなシグナルが何の意味も持たないことを示す責任があります。それができるまでは、COVIDを発症していない人、発症した人をすべて対象にして、ワクチンの副作用で何の利益も得られないという危険性を排除することに意味があります。

私が言いたいのは、数学の方程式のようなものだということです。皆が証拠を見て、人類への害を最小限に抑えようという動機を持っているなら、その部分は方程式の両側で相殺されます。そして残るのは、証拠が何を示唆しているかについての意見の相違です。

最善の方法で進めていくには、一方が他方を害悪に無関心であるかのように、あるいは昨日エリック・トポルが私を捕食者と呼ぶかのように描くことなく、なぜこのような議論ができないのかということです。

私が言いたいのは、たとえワクチン接種が変異株の発生に重要な役割を果たしているという議論があったとしても、私はワクチン接種を受けた人たちを責めたりはしない、ということです。同様に、ワクチンを受けていない人が非難されるのも見たくありません。

-Bret Weinstein「89th DarkHorse Podcast」 Tweet

私的には、相手にオープンマインドと再考を求めたい場合、自らもまたオープンマインドになり、自己批判的な視点を取り入れていく必要があると考えることは、単なる倫理的主張以上の意味があると信じています。

実際、自分の思考が何に固執しているのか、ということを丁寧に観察していくと、自分主張や考えが、ただそうであるとしか言えないという岩盤に突き当たることがあります。岩盤は他者と共通するものもあれば、独自に築かれたものもありますが、いずれにしても、それ自体がさらなる根拠や正しさをもつことありません。(さらなる正しさを示す根拠があるのだとすればそれは定義上、本当の岩盤ではないはずです。)

岩盤はまた思考を構成するブロックとしての役割を果たしています。そして誰もが(私も含め)、そのブロックを因果的に組み立合わせ、暗黙のうちに、世界や他者がどのようなものであるかという像を作っています。[R][R][R]

議論が論理的に成立するためには、通常、共通のブロックを持っていることが前提になります。またブロックをどのように組み立てるかだけではなく、ブロックが何でできているのかという、合理性だけでは一致させることの難しいより深い領域の議論があります。

主張が一致していても深みのレベルを共有していない場合、それは対症療法にも似ていて、話題が変われば異なる意見を持つかもしれません。反対に、主張が異なっていたとしても、深いレベルで議論を交わせるのであれば、深く通じ合うことができ、お互いを尊敬し成長させる良きライバルとなる可能性もあります。

私はここで、単純な二分法を避けており、深みを共有しなければ意見の一致は無意味であるといったことを主張したいわけではありません。そうではなく、単純化された主張に基づく分断が深刻化する中で、様々な関係のパターンを想像し、認めていく方向性は、分断を克服する(または認め合う)ヒントのひとつになりはしないだろうかというアイディアの提案をしています。

COVID-19に関する主流の考えと反対の考え

主流の意見 反対の意見
1 SARS-CoV-2ウイルスは人獣共通感染症リザーバーから発生した
SARS-CoV-2ウイルスは、遺伝子組み換え生物兵器である
2 武漢の湿地市場でSARS-CoV-2ウイルスが動物からヒトに飛び火した
武漢ウイルス研究所から SARS-CoV-2ウイルスが流出した
3 マスクがCOVID-19の蔓延を防ぐ マスクはCOVID-19の蔓延を防ぐことはできない
4 2m離れて社会的距離を置くことが、COVID-19から身を守ることになる
2m離れて社会的距離を置くことは、COVID-19から身を守ることにはならない
5 COVID-19ワクチンでパンデミックを終わらせる
COVID-19ワクチンではパンデミックを終わらせることはできない
6 COVID-19ワクチンは安全で有効 COVID-19ワクチンは効果がなく危険
7 コロナワクチンは小児に安全
コロナワクチンは子どもに害を与え、COVIDよりも子どもの死因が多い
8 パンデミックに終止符を打つには、すべての国で、つまりすべての国民にワクチンが行き渡ることが条件となる
ワクチンはCOVID-19の発症を防ぐものではない ワクチン接種率が高い国ほど、COVID-19の発症率も高い
9 ブースターでCOVID-19に感染するリスクを低減する
ブースターはCOVID-19に感染するリスクを高める
10 ワクチンは義務化されるべき ワクチン接種の義務化は効果がない
11 ワクチンによる集団免疫がパンデミックを食い止める
集団免疫でパンデミックを止めることはできそうにない
12 COVID-19パンデミックは、ワクチン未接種者のパンデミックである
COVID-19パンデミックは、ワクチン未接種者のパンデミックではない
13 ワクチン免疫の方が自然免疫より優れている 自然免疫の方がワクチン免疫より優れている
14 FDAが承認していない治療法は「偽の治療法」あるいは「詐欺的な製品」
COVID-19のFDA承認されていない治療法は安全で有効である
15 ヒドロキシクロロキンはCOVID-19による発病、入院、死亡を予防しない
ヒドロキシクロロキンがCOVID-19のウイルスローン、入院、死亡を減少させる
16 イベルメクチンはCOVID-19に効果がない
イベルメクチンはCOVID-19に関連する感染と死亡を減少させる
17 レムデシビルはCOVID-19に関連する死亡率を減少させる
レムデシビルはCOVID-19に関連する死亡率を減少させない

The Suppression of Dissent During the COVID-19 Pandemicより(訳はこちら

意図せず間違い続けることは可能なのだろうか?

これは無能では説明できないことだと思います。無能(無知)であれば、ランダムな勧告のセットのようなものができますよね?そうではなく、私たちが得ているのは、正しい推奨の真逆に近いものです。

-Bret Weinstein

中庸の誤謬

極端な信者:宇宙人に拉致される人は毎日たくさんいる。

懐疑論者:宇宙人による拉致は全くない。

誤った推論者:明らかに、毎日数人の宇宙人誘拐があるに違いない。

「Bad Arguments」middle ground fallacy

荒川央博士のメッセージ

結局の所、コロナ騒動の問題の本質を理解する人の割合が高くならなければこの騒動を止める事はできず、コロナワクチン接種者が社会の大多数になった現在、接種者にこそ問題の本質を理解してもらう必要があるのです。

しかしながら、これまでの世界に何の疑問も持たなかった人にはその第一歩のハードルがとてつもなく高いのかもしれません。それでも、最初はどうしても「自分で」気付かないといけないのです。気付いた後にはドミノ倒しのようにこれまでの価値観が崩壊し、場合によってはこの世界がまるで変わって見えてくるかもしれません。

コロナ騒動の始まりに集団心理があるのなら、終わらせるには集団心理の転換が必要なのです。コロナ騒動の被害者は正当な怒りの声を上げる権利があり、実際にそれをぶつける相手も存在するのです。最終的には、ワクチン被害者やその家族、遺族の怒りこそが世界を変えるのではないでしょうか。

コロナワクチン接種がここまで進んでしまった現在、そして更なる接種をこれからも重ねようとしている日本という国。もはや、かつての日常はもう戻っては来ないのだという覚悟すら必要だと私は考えています。

少し前までは私もかつての日常が好きでした。しかし、嘘や欺瞞で塗り固められ、自由のみではなく己の健康や命すら常に他人に脅かされるような世界ならば、私はもはや御免こうむります。

何にせよ、今まで当然と信じていた事を否定するのは誰にとっても相当な痛みを伴うプロセスでしょう。しかしそれは、個人の本当の意味での自由や生きる権利を取り戻す出発点になるのだと私は信じています。

人はコロナ後の世界の夢を見るか?荒川央博士

青い薬 or 赤い薬

赤い薬と青い薬(レッドピル・ブルーピル)というスラングが英語にあります。1999年の映画「マトリックス」に由来しており、赤い薬を飲んで人生が根底から変わってしまうとしても真実を知りたいのか、それとも、青い薬を飲み、夢を見続け現状を維持したいのか、2つの選択の必要性を示す、または覚悟を促すメタファーとして使われています。

参考記事専門家の限界

専門知識の呪い

一般の方だけではなく、問題の根深さ、全容に気がついた専門家の間でも頻繁に使われるようになりました。このことは専門家にとっても、従来の情報処理方法、知の枠組み(スキーマ)によって理解することが困難な事象であることを示しているように見えます。

原因について

個人は、あまりにも巨大な陰謀に直面すると、その存在を信じることができなくなる。

-J・エドガー・フーバー 元FBI長官

一体何が起きているのか??

さて、何がパンデミックを引き起こし、どうしてここまで、こじれているのか?そもそも原因はどこにあり、どこに解決すべき問題があるのか??これらを考えただけで迷路に迷いこんだような気分になります…ある人は政府が悪いと言い、ある人は一部の医師グループに問題があると言い、ある人は陰謀論に飛びつきます。

一般に信じられていることとは逆に、世界的な陰謀が機能するためには、多数の共謀者が必要なわけではない。むしろ、陰謀が成功する可能性があるならば、それを知っている人はごくわずかであることが重要である。知っている人が多ければ多いほど、失敗する可能性が高くなる。「Pseudopandemic; New Normal Technocracy」

私はここでパンデミックについて「これこそが真実だ」というようなものを提供しようとはしていません。原因の厳密な検証が可能なのかどうかも疑っており、一定の合意が得られ解釈的な事実として認められるようになるまで数十年先の話になるでしょう。

この複雑な問題の一部は、何世紀にもわたって分析することができないほど豊かであることを率直に認めることが、賢明で賢明な出発点であると考えています。しかし、確実に言えることは、そこには計画や政治的な意図の要素もあれば、古い時代に作られたもの、そして創発的な要素もあるということです。そして、それらすべてが相互に作用しているのです。[R] -Nick Hudson

ここでは、パンデミックの全体像を理解するために役立ちそうな(もしくは議論する上で最低限、理解しておく必要のある)パズルのピースを提供しようとしています。

以下のキーワードは、現時点での私の頭の中にある未整理のトピックです。乱雑なままですが、個人的な整理の意味合いも込めて、ひとまず重要度と思われる、または人気のあった記事のリンクを貼って記載しておきます。(編集中)

 

パンデミックと関連するキーワード

それぞれ識者の論文、論説、学術書、実用書、一般ブログ記事も含め、信頼性の閾値があるレベルを満たしていると考えられるものを中心に紹介しています。それは正しさの保障ではなく、私自身の間違った理解や誤解に基づくものも含まれます。中立であると主張するつもりもありません。(利害関係に関しては中立的な立場にあります)

また、著者の議論に正しい部分と間違った部分が混ざっていると疑われるケースであっても、編集や恣意的な選択(チェリーピッキング)を極力行わないよう提示しているため(完全には不可能です)、必然的に一定の割合で単純に間違ってるもの、妥当性に欠けるもの、誇張されすぎているものも目にするはずです。

同様に、一部ではコンテンツの重要性とは別に表現として攻撃的、扇動的な内容を含む文章もありますが、少なくとも私の本意とするところではないことをお断りしておきます。リンク先の記事以外にも関連する記事が多数あります。よかったら探索してみてください。

コビッドパンデミック 12の重要記事

パンデミックの実像を理解する上で読むべき文献(論文・書籍・記事からの翻訳)を暫定的に10本ピックアップしてみました(変更の可能性があります)。各論についてはより詳細な文献があるかと思いますが、ここでは包括的な視点や背景的要因を探ったものを中心にしています。記事の順番は、大まかに読みやすさと包括性を基準にしていますが、各記事はそれぞれ独立しているため、関心のあるものから読みはじめてもらっても問題ありません。

  1. 「COVID UPDATE:真実とは何なのか?」 – ラッセル・L・ブレイロック博士
  2. 製薬業界は健康にとって危険である COVID-19でさらに証明
  3. 中国での抗議デモは、歴史の重要な瞬間である
  4. Trusted News Initiative(TNI)とは
  5. 「COVID-19危機における積極的措置、格差の拡大、大衆形成 概要と今後の方向性の提案」 -ジョン・P・A・ヨアニディス博士
  6. ヘマか陰謀か?COVID-19を「構造的深層事象」として理解する -ピアーズ・ロビンソン博士
  7. 「アンソニー・ファウチの正体」ロバート・F・ケネディ・ジュニア
  8. 「ウォール街、ナチス、そしてディープ・ステートの犯罪」
  9. 「疑似パンデミック」ニューノーマル・テクノクラシー
  10. 「緊急事態」世界人口をコントロールする
  11. 「全体主義の心理学」マティアス・デスメット博士
  12. 「政府が私についた嘘」ロバート・マローン博士
ポリティカル・ポネロロジー

パンデミックは世界中を巻き込んだ事件でもあるため、驚くことではありませんが、上記のトピックや10の重要記事を見てもわかるように、すべてを明快に説明する単一の説明体系が可能だとはとても考えられません。

もちろん、いくつかの中心的な役割を果たす組織や個人の存在があることは否定しません。例えば、ポリティカル・ポネロロジーを読んでいただくと、人口の1%に満たないサイコパスが、たまさか権力を握ってしまったがために、国民に世代を超えて苦しみを与えたかもしれないという歴史の可能性を知ることができるかもしれません。これはたしかに、歴史を構造的な視点から捉えがちな学術的視点を揺さぶるほどのものでした。

マクロ社会的な規模での性格異常の影響の比較的よく知られた例は、ドイツ最後の皇帝ヴィルヘルム2世である。彼は、出生時に脳外傷を負った。

~庶民は皇帝に(そして皇帝を通じて政府のシステムに)同調しやすいので、皇帝から発せられる性格病質は、多くのドイツ人から常識的な能力を徐々に奪っていく結果となった。新しい世代は、道徳的、心理的、社会的、政治的な現実を感じ、理解することに関して、心理的な奇形を持ったまま成長した。心理的に正常とは言いがたいメンバーがいるドイツの家庭の多くでは、この事実を世論から、さらには親しい友人や親族の意識から(悪事に手を染めてでも)隠すことが名誉となっていたのは、極めて典型的な例である。

~国際的緊張が高まり、フェルディナント大公がサラエボで暗殺されたとき、皇帝も自国の政府当局も理性を持ち合わせていなかった。代わりに出てきたのが、ヴィルヘルムの感情的な態度と、過去から受け継いだ思考と行動の固定観念であった。戦争が始まった。

「ポリティカル・ポネロロジー」

私がこの考え方に惹かれるのは、構造的な理解から解決の糸口を導き出すことが非常に困難であるのに対して、(調整べき変数が多く、システムに組み込まれ復元性がある)例えば、サイコパス診断テスト(PCLR)は確立されており、技術的には実行可能な解決方法を提案しているように思われるからです。ファウチが、その列に加わるのか? 私は確信していますが、未来の歴史がそれを教えてくれるでしょう。

いずれにしても、ある中心的な役割を果たした人物の存在が症状でもあり原因でもある、この考え方はアルツハイマー病の様々な環境的要因(がまさにそのような因果のフィードバック構造をもっている)を探究してきた管理人にとって、まったく突飛なものではありません。

科学とどう付き合うのか

しかし、話を戻しますが、非常に広いスケールを適用するなら、やはり、今回のコロナ騒動は、還元主義、資本主義、官僚主義、科学の産業化といった、50年、100年単位にわたって蓄積されてきた構造的な問題の中で生じた(ある種の必然性をもった)創発的な大災害であるという認識をもっています。

例えば、「第一次世界大戦の原因は何か?」という問いで考えてみるとわかりやすいと思います。この問いに答えるとき、「フランツ・フェルディナント大公の暗殺」と答えるのは(きっかけであったことは間違いありませんが)誤りでしょう。

言い換えれば、歴史書の中で注目されている人物は、彼らがコントロールできないもっと大きなシステムがすでに決定的に不安定になっていたからこそ、歴史に影響を与えることができたのである。さらに、第二次世界大戦の前には金融危機と不況があり、ドイツの経済・社会・政治システムが不安定になってた。最終的には、これにより、一個人が世界を絶滅の危機に追い込むほどの影響力を持つことが可能になったのである。「Next Civilization」 – Dirk Helbing

10年、20年の単位で見るなら、複数の事情に強力な政治的・経済的アクターが利害を一致させることで、政治的・経済的アジェンダを推進することを目的としたものとしての解釈が、少なくとも検討に値する説明体系として十分な証拠を示しています。

参考記事ヘマか陰謀か?COVID-19を「構造的深層事象」として理解する

このことが妥当な解釈なのだとすれば、悪名高いクラウス・シュワブの「グレート・リセット」とも関連してきますが、議論どころか一切の説明もなくデジタル全体主義の世界に移行させられようとしていることになります。これは緊急を要する課題ですが、複数の分野にまたがる高度な技術的論争がネックになっていることもあり、多くの識者・思想家が、極めて表層的な、砂上の楼閣的議論を繰り広げている残念な光景を毎日、目の当たりにしています。

腐敗の露呈

科学的な深い歪みや誤った解釈が、医学界の公理の根底にあることがあり、私たちの職業における公理的信念を批判的に評価することがしばしば必要なのである(アミロイドの悲劇はその典型例だろう)。

なぜアルツハイマー病は治らないのか?

医療の問題に限定してみたとしても、元々標準医療と呼ばれる医療の問題についても少なくとも私の知る認知症治療の業界ではおかしなことばかりが、まかり通っていたことは確かです(ここまで製薬会社の腐敗がひどいものであるとは想像していませんでしたが…)。

参考記事

今回のパンデミックは、陰謀(意図的な行為)ではなく、「失敗だけに」焦点をあてるのなら、これまでの問題を放置してきた結果であると考えれば、そこまで大きな不思議はないというのが、私個人の認識であり、おそらく現代の医療に批判的である医師たちにとっても共通した見解ではないかと思います。

また、陰謀や陰謀論については後述しますが、これらも、真面目な学術研究があること自体ほとんど知られていません。それらを多読した後、ネット上のよくある陰謀論というレッテルの応酬では、誰一人として(陰謀論者も含め)陰謀という言葉の意味や定義、歴史、変遷を知らずに、手のひらで騒ぎ立てている可能性があるのではないかと疑うようになりました。

科学主義 vs 多元主義

今回の大事件をまとめる一つの単語があるようには思えません。ピースとしては「現代医療」「デジタル社会」「官僚国家」「資本主義」「ジャーナリズム」等、それぞれに大きな課題があることをパンデミックで露呈したと思います。しかし、もし抽象的な答え方が許されるなら「人類は科学と、どのように付き合えばいいのか?」という問いに集約できるのかもしれません。そして私の目には、科学か反科学かではなく、科学万能主義 対 多元主義の対立にも見えます。

参考記事「医療科学主義」良い実践か致命的な誤りか?

多元主義は様々な人々を包摂するため、非科学的な思考を持つ人々、あり得ない陰謀論を信じる人々も一部に含まれるかもしれません。そうではなくとも多元主義者同士での矛盾や諍いもあるでしょう。是非はともかくとしてこのことには必然性があったのではないかと感じています(詳しくは後述します)。肯定的に見ることを許していただけるなら、その根底には人間の知恵や尊厳、精神を守ろうしている人々の集まりと表現できるのかもしれません。

複雑性の時限爆弾

科学との付き合い方と関連して、不思議とあまり語られることがありませんが、(経済不況や、巨大地震については語られますが)高度に技術化(デジタル化)、巨大化、複雑化した現代社会が原理的に抱える脆弱性とその崩壊シナリオは現実のものであり、警鐘を鳴らしている著名な研究者も少なくありません。

これはけして風呂敷を広げすぎた話ではありません。人類の存亡にも関わる悲惨な大惨事を招く可能性がないか、あったとしても高くないと考える説得力のある理由や根拠に出会ったことがありません。このような抽象的な表現になってしまうのには深い理由がありますが、以下の記事にその説明を譲りたいと思います。

参考記事複雑性の時限爆弾 システムが制御不能になるとき

~さらに不安定な複雑なシステムは、たとえ誰もが十分な情報を得て、十分な訓練を受け、高度な技術を使い、最善の意図を持っていたとしても、遅かれ早かれ制御不能に陥るということもわかった。そして最後に、強い内部相互作用や高度な連結性を持つ複雑な動的システムは不安定になる傾向があることを学んだ。相互依存が高まる世界は、無数のグローバルなつながりによって特徴づけられており、その潜在的な影響を議論する必要がある。つまり、人類は誤って「複雑性の時限爆弾」を生み出してしまったのではないか、つまり、制御不能に陥ることが避けられないグローバルシステムを生み出してしまったのではないか,ということだ。

今日の複雑な社会が直面する可能性のあるグローバルな大災害にはどのようなものがあるだろうか。世界的な情報通信システムや世界経済の崩壊?世界的なパンデミック?持続不可能な成長、人口動態や環境の変化?世界的な食糧危機やエネルギー危機?文化の衝突?新たな世界大戦?技術革新をきっかけとした社会的変化?最も可能性の高いシナリオでは、これらの伝染性現象のいくつかが組み合わさって起こるだろう。

今の社会はCOVIDにかぎらず、あまりにも脆弱で、掛け金の高さを考えれば、社会全体が様々なリスクに対応できるレジリエンスのある社会を作っていかなければならないことは、疑問に思うまでもないはずです。

参考記事

人類が科学との付き合い方を間違えたことで、今回の大災害が起こったのだとすれば、今回の技術的な解決、個別の議論が必要ではあることは言うまでもないものの、Paul Kingsnorth が述べるように、神話のようなレベルで、またはMattias Desmetが語っているようにイデオロギーや思想・哲学のレベルでも、話し合っていく時期に近づいているのではないでしょうか。

自分たちが無自覚に正しいと信じている社会規範、倫理、価値が何なのか、そして、少なくとも10年、100年という単位で、自分たちの生活、地域社会、そして世界をどのような未来にしたいのか、会話を始めることはいつでもできます。

ポール・キングスノース(Paul Kingsnorth )

ワクチンを打つか打たないかの決定は、誰もが取ることのできる個人的な医療上の決定であるべきですが、もっと大きなものの代理になっています、つまり、私たちがどのような社会に住みたいかという会話です。

デジタルパスポートがないと多くのサービスや地位にアクセスできない社会を作るという会話はルビコンです。人々はワクチンについて議論していますが、実際には水面下で、これらの薬を飲んだ人が良い人間なのか悪い人間なのか、清潔な人間なのか不潔な人間なのかを議論しているのです。

興味深いのは、どちらの立場の人も、自分の世界が崩壊しつつあるということです。つまり、これは一言で言えば文化戦争なのです。誰もが自分の世界が崩壊すると思っています。そして、自分に向かってくる人たちから自分を守らなければならないのです。

ソーシャルメディア、スマートフォンのアプリ、アルゴリズム、人工知能など、あらゆるものを利用することで、制御され、モニタリングされ、誰もがコンプライアンスを守る社会、私が機械社会と呼んでいるものへと私たちを向かわせています。

私たちは、スマートな世界を効果的に作らなければなりません。私たちの体や家を含め、すべてがオンラインになっています。これはずっと前から計画されていたことで、秘密ではありません。いずれにしても起こっていたことであり、私たちが進んできた方向でもあります。

今、いわゆるアンチテーゼ側が恐れているのは、ワクチンやマスクが良いかどうかという話は置いておいて、このウイルスが利用されているということです。そして、私たちをその方向に向かわせるためだと思います。

パブに行くのにスキャンしなければならないQRコードなど、そういったものすべてが、私たちをある種の許容可能なデジタル社会の一員として正常化させ、これが大きな恐怖であるという方向に向かわせていることを理解するのに、陰謀を持ち出す必要はありません。

テクノロジー社会がどこに向かっているのかという論理に目を向ければいいのです。それが恐怖なのです。2年前には、これがワクチンパスポートにつながるだろうと予測している人たちの話を聞きました。さて、次はどこへ行くのでしょうか?

最初のロックダウンも、欧米の人々がこのようなことを受け入れるとは誰も想像していなかったでしょう。中国での最初のロックダウンの事例を見て、「ああ、ここにはそんなものがなくてよかった」と言ったことを覚えているかどうかはわかりませんが。イギリスでは考えられないことです。

シリコンバレーが誤報とは何か、何を言ってもいいのかを決めているという事実を、私たちは常態化させてしまっているように思います。緊急事態であればいつでもそれを正当化できるということです。しかし、あの911事件は、その後も様々な施策を正当化するために利用されてきました。

では、どの時点で、政治的な議論が必要だと判断するのでしょうか?誰がこれらの決定をするのか、同意が必要だと判断するのでしょうか?私たちは、実際に会話をすることなく、それらの中に滑り込んでいます。なぜなら、今、会話をすることはほとんど不可能だからです。

ロックダウンは強制的な手段であり、みんなを分断します。ワクチンの義務化は、人々を分断する強圧的な手段です。単にこのワクチンや感染症の数を減らすだけではなく、文化として成り立つかどうかという長期的な影響など、より広い範囲を考慮しなければなりません。

COVIDの周りに現れている権威主義的なシステム、技術的なシステム、ある種の科学的な進歩と支配のシステムに挑戦するのであれば、そしてCOVIDが作られる口実として使われているのであれば、そのような観点から議論しなければならないということです。

「ウイルスを倒そうとする試みが、ますますひどい社会を作り出していることに気づかないのか」と言いたいのです。

【中略】

私は精神的な価値について話したいと思っています。社会の実際の高い意味とは何か、文化とは何か、何を神とみなしているかについて話したいのです。何のためにここにいるのでしょうか?私たちは何のために人間としてここにいるのでしょうか?私たちはどんな文化の中で生きていきたいのでしょうか?

テクノロジーを駆使して、生物学的な存在の事実をできるだけ長く維持しようとしているだけなのでしょうか?それとも、人生にはもっと大きな意味があるのでしょうか?もしそうでないとしたら、それは何なのでしょうか?これらは誰もが同意する議論ではありません。しかし、議論する必要があります。

そして現在、私たちはある社会にたどり着き、また別のCOVIDが明らかになりました。だから、私たちはそのことについてお互いに叫び合うのです。そして、あなたが言うように自由について話したり、ワクチンについて議論したりします。しかし、そこには空虚さがあります。

これこそが、文化戦争が私たちに示した空虚さです。それは、「私たちは何者なのか」という問いを中心に循環しています。人間が生きる意味とは何か?そして、その意味を繁栄させるために社会で生きる意味は何か?私は人の命の価値が買い物であるとか、できるだけ長く生きることであるとは思っていません

これは大きな、本当に大きな議論であり、いつまでたっても解決しないでしょう。しかし、私たちは、先ほど言ったように、そのようなほとんど神話のような精神的なレベルで、もう一度話すことを学ばなければなりません。今の時代、それは簡単なことではありません。

メソッド

論理と調和がずたずたに崩れ去った時

白の騎士が後ろから話しかけ

赤の女王が「首をはねてしまえ!」と叫んでいる

眠りネズミが言ったことを思い出せ

頭を使え、頭を使うんだ

Jefferson Airplane「White Rabbit」

一次情報を見よ?

医学情報の階層[R]

  1. 1次情報:原著論文・臨床試験データ・疫学データ
  2. 2次情報:専門家集団による上記の要約と推奨(WHO,CDC,学会)
  3. 3次情報:専門家個人の意見や解釈(レビュー論文・書籍・寄稿)
  4. 4次情報:他の誰かの意見や解釈(ニュース記事・SNS)
  5. そのまた伝聞

さて、医療情報を見ていく上で「一次情報を見て判断せよ」と言われたりすることがあります。私たちが最初に認識しなければならないことは、査読者はおろかBMJの編集長といったプロ中のプロでさえ一次情報を読んで欺かれるているという事実があることです。

しかし、(製薬会社の)資金提供効果を説明しうる方法論的な欠陥が特定できなかったことは、一般に科学的なバックグラウンドが高く、質の低い研究を特定する能力を誇る雑誌編集者を当惑させた。BMJの元編集長リチャード・スミス博士は、「BMJが起きていることに目を覚ますのに編集者として四半世紀近くかかった」と記述している。

「なぜ、製薬会社は自分たちの望む結果を得られるのだろうか?製薬会社は、結果をいじくり回すことによってではなく、むしろ「適切な」質問をすることによって、欲しい結果を得ているようだ。. . . そして、新しい方法を考え出し、査読者の一歩先を行く雇われ人がたくさんいるのである。

– David Michaels「AGNOTOLOGY」

専門家でもない人間に同じ情報を見せて、その正しい判断が可能だと考えられるのか?私には非常に懐疑的ですが、これは一次情報を見た医師や専門家の判断でさえも、一体どこまで信頼できるのかという問題も提起してはいないでしょうか。

査読者と編集者のネットワークが査読プロセスを操作していることを明らかにした数カ月の調査の後、ヒンダウィ出版社は16誌の511本の論文を撤回する予定であることが、Retraction Watchによって明らかにされた。

他の出版社も最近、大量の撤回を発表している。IOPパブリッシングは今月初め、ペーパーミルによると思われる500本近くの論文を撤回する予定であると発表し、PLOSは8月、操作された査読の件で、主要な雑誌から100本以上の論文を撤回すると発表した。

ワイリーの研究出版担当上級副社長であるリズ・ファーガソン氏は、用意された声明の中で、ペーパーミル、操作された査読、画像の複製やドクターリングなど、研究の完全性に対する攻撃は 「巧妙で、連携しているように見える 」と述べている。

「独占:HindawiとWiley、査読リングに関連する500以上の論文を撤回へ」

これは一次情報を見なくても良いということではなく、単に一次情報を見るだけでは、正しい判断を導き出すための十分なリサーチ方法では言えないということを明らかに示しています。専門家の立場からは、より確かな情報を得るためには、一次情報よりももっと手前の解析前の生データ(仮に0次情報と呼んでおきます)を知ることなのかもしれません。

問題は、査読者でさえ臨床試験の生データにアクセスすることができず、仮に知ることができたとしても、もはやそれは一般人の手に追える領域を超えています…さて、ここをどのように克服すればいいのか?

悪夢は細部に宿る

ある専門性のレベルでは正しくても、さらに掘り下げた、つまりレベル3の専門性ではその知見がひっくり返ることがあります。この問題は見かけよりも深い問題を提起しており、少なくともパンデミックの初期に、多くのエリートが騙されたように見えるのには、根深い構造的な理由があったと感じています。

「悪魔は細部に宿る」という言葉があるように、COVIDパンデミックにも1000の矛盾や異常性があり、その多くは個々だけを見ると細部の問題であることが多いように思うことがあります。細部というのは、出版社が意図にそぐわない論文の査読をわざと遅らせるような地味な戦術がある一方で、必ずしも些細であるとは言えないような細部性もあります。

例えば、ファイザーが安全データを報告せず歴史上最大の刑事罰金を払ったということは、それ自体は些細なこととは言えませんが、それだけではワクチン被害の問題で起きていることの全体の説明がつかない、というような意味においてです。

罰金のような事例は、誰にでも理解できますが、一方で臨床試験で複数のエンドポイントを使用し、好ましい結果を得たものを選択し公表するといったような、医師や査読者でさえ見抜くことも難しい技術的な細部性も数多くあります。医療だけの話をしているわけではありませんが、一例をあげると、

  • 劣るとわかっている治療法に対抗して、自社の医薬品の試験を行う。
  • 競合薬の低用量に対抗して自社薬の試験を行う。
  • 高すぎる量の競合薬に対抗して自社薬の試験を行うこと(あなたの薬の毒性が低く見えるようにする)。
  • 競合薬との違いを示すのに、小さすぎる試験を実施する。
  • 試験で複数のエンドポイントを使用し、好ましい結果を得たものを公表するために選択する。
  • 多施設共同試験を行い、好ましい結果が得られた施設を公表の対象にする。
  • サブグループ解析を行い、好ましい結果を選択し公表する。
  • 例えば、絶対リスクよりも相対リスクの低減など、最も印象に残りやすい結果を発表する。

これは臨床研究に限った話ですが、医薬品の開発研究が行われてから承認されるまでの多くのステップで、様々なハッキング方法(下記図)が報告されています。このような細部性は医学の教科書には書かれておらず、多くの医師も少なくとも彼らの議論を見ている限り、諸問題を認識しているようには見えません。もちろん、このようなことがメディアで(おそらく公的機関においても)検証されることもなければ語られることもありません。

一方で、「木を見て森を見ず」という言葉にあるように、細部に潜む問題を「個別に」見ていても全体像は見えてきません。一つ一つは試験の結果を大きく変える力はなくても、すべての小さな毒が、ある特定の目標に向けてバイアスを生じするように操作されたとき、一体何が起こるのでしょうか?

医薬品チェーンにおける非倫理的行為:図は、医薬品提供の背景には非常に複雑なプロセスがあり、腐敗はチェーン全体に沿って現れていることを示している。「製薬企業-医療関係における制度的腐敗の理論」

数十ある中の一つの問題だけを取り上げて、試験結果を大きく損ねる影響がないとか、確かな証拠ではないという主張を見かけることがありますが、有効な批判となっているようには見えません。このようにして引き出される結論が正しいのか間違っているのかをある程度の精度でもって判断するためには、結局のところ専門性の高い情報を掘り下げ、さらに幅広く読み進めていくという方法以外にないのではないかと思います。

限定合理性

では、細部を知りさえすれば良いのか?、ここには複雑化した社会の難しい問題が横たわっています。理想的には、細部と全体像の両方の理解に通じている人が必要とされるのでしょう。しかし両者を実現することは容易ではなく、木を中心に観察する人たちは過剰一般化バイアスにさらされる可能性が高い一方で、森を見る傾向にある人々も確証バイアスに欺かれているように見えるからです。

一般的に賢い人たちは異なる分野(自分の分野であっても)の知識を得るのに、大量の一次情報を何日もかけて自分で読むことはなく、(または読んでいたとしても)、また上記のような細部の専門知を網羅的に理解しているわけでもなく、医学雑誌の結論や、その他の識者の結論など、思考のアウトソーシングを行い組み合わせて把握しています。

これは実際、その技術分野、大学、会議、研究所、学術誌といったアカデミア全体が信頼できるものであるという前提に立つ限り、効率的にそこそこの精度を持った正しい情報を手に入れることができるでしょう。平時の教養・知識・知恵と言えるかもしれません。

問題は、今回のような科学を構成する部品の様々な箇所に偽装的問題がユビキタスに蓄積しているようなケースです。実際、トップエリートの議論を見ていても、一見知的な議論を組み立てているように見えるものの、明らかに何十、何百もの細部の問題が、ごっそりと抜け落ちていることに気が付き、驚くことがあります。

私自身は、そこから逃れられていると主張しているわけではありません。そうではなく、私が言いたいのは、誰もが自分たちの得意分野で理解可能な現象を元に、全体像がどのようなものであるかを構築しており、どこかでジャンプせざるを得ない(一般的な用語では何かを信頼しなければならない)ということであり、その例外のなさと無知領域(無知の無知)の巨大さを強調しようとしています。

医療との出会いは、限られた時間の中で、また、情報の爆発的な増加の中で行われることが多くなっている。典型的な診療時間は約11分で、信頼できる情報を探すのに使える時間は2分未満であり、平均して15分ごとに中断が発生する。同時に、毎年2万以上の生物医学雑誌に600万以上の論文が掲載され、MEDLINEだけでも5,600以上の雑誌から2,200万以上の索引付き引用がある。さらに、毎日75の無作為化臨床試験と11のシステマティックレビューが発表されている。このような情報の爆発的な増加は、人間の脳の情報処理能力の低さ、記憶力の限界、記憶容量の少なさと対比させる必要がある。[Rational decision making in medicine]

そして、認知資源を節約する判断のパターン化と常態化も、利害関係者によって狙われる可能性を高めます。これはけして特殊なことではなく、今に始まったことでもありません。タバコ産業が過去に喫煙のリスクを欺くためにとった戦略をは、高度な戦術を複数用いており、政府関係者、裁判官、知的エリートらが何十年にもわたって騙され続けてきたことは歴史的に明らかとなっています。

おそらく、研究者にとっては、腐敗した科学雑誌界が非科学的な理由で出版を拒否するのを待つよりも、研究成果を一般に公表することの方が重要だからであろう。そのコミュニティはどの程度腐敗しているのだろうか?

その編集者でさえ、「学術雑誌は製薬業界の情報ロンダリング業務に堕してしまった」(Horton,2004)、「医学雑誌は製薬会社のマーケティング部門の延長」(Smith,2005)、「掲載される臨床研究の多くを信じることはもはや不可能であり、信頼できる医師の判断や権威ある医学ガイドラインに依存する」(Anger,2009)、「科学に対する主張は単純だ」と長年認めている。

科学文献の多く、おそらく半分は、単に真実でない可能性がある」(Horton,2015)。実際、史上最も広く読まれている科学論文の一つに、「Why Most Published Research Findings Are False」(Ioannidis,2005)というタイトルが付けられている。

特に、疑われている事象が特定の専門領域を超えて多方面に散らばっている場合、それらすべてにおいて利用可能な証拠と推論を分離し仮説をたて、かつ実践においてもミスなく行動できる人物は、世の中に存在しないでしょう。

タバコ戦略はタバコ会社が中心となるものでしたが、今回は製薬会社にビッグテックロビー、公衆衛生機関、金融企業などが加わり、はるかに複雑化していることは間違いありません。しかし、それでも今回の問題を理解する上で、「ビッグタバコ」の戦略を思い出すことは有用なものです。今私たちが目にしているものが、けしてゼロから作り出された陰謀論のようなものではありません。少なくとも部分的には過去に行われてきた組織犯罪が非常に高度化したビッグタバコ2.0であり、可視化された、顕在化した、という表現がより適切であるように感じられます。

COVID-19の時代は、何十年も前から進行している大きな問題、産業界による科学の支配を浮き彫りにしている。1950年代、タバコ産業がその手本を示し、製薬産業はそれに倣った。

「製薬業界は健康にとって危険である COVID-19でさらに証明」

COVID-19 情報操作の手法 [R]
  • 捏造された臨床試験とアクセスできないデータ
  • 捏造または利益相反のある研究
  • ワクチンの短期副作用の隠蔽、COVID-19ワクチン接種の長期的影響の完全な情報欠如
  • 疑わしいワクチンの組成
  • 不適切な試験方法
  • 政府および国際組織の利益相反
  • 買収された医師
  • 著名な科学者の誹謗中傷
  • 効果的な代替療法の禁止
  • 非科学的で自由主義的な社会的手法(政府が行動修正と社会工学技術を使用して監禁、マスク、ワクチン受け入れを強制すること)
  • メディアによる科学への検閲

ハンロンのカミソリを普遍的に適用するなら,個々の問題は、政府関係者がそれを見た際に、ひょっとすると集団思考のようなものも手伝って、母集団を想定したノイズや偶発的なエラーの範囲内、またはバイオセキュリティー上の小さな必要悪と判断した可能性があったのかもしれません。ただし、これはとても優しい見方で、少なくともいくつかの領域においては、ある種の悪意や利害などを想定しなければ説明がつかないものです。

過去を思い出せない者は、それを繰り返す運命にある

-ジョージ・サンタヤーナ

いずれにしても、歴史が教えてくれるのは、利害関係が強く働く分野で適切な知識や判断を得ようとするなら、おそらくここに決定的なショートカット方法はないのではないかということです。そのような方法は常に、より賢く社会的影響力、資金をもつ利害関係者によって狙われており、それだけではなく時間とともにその支配方法が多元化、隠匿化していくことで難読化していくことが予想できるからです。

…ただし、現在は違います。今起っていることは、そのような数多く細部の異常が束となり、例えば、超過死亡数という隠すことの難しい事実などによって明確に現れています。プロパガンダを信じていたり集団思考に陥っているのでない限り、一般の人でも常識的な理解力を使って判断できるレベルに達しています。健康だった子供が接種直後に様態がおかしくなり亡くなったことを理解するのに統計学も専門家の知識も必要ありません。今私たちが目にしているものは結果・結末であって細部の事象ではありません。

論文は究極の要約本

さて、鍵はレベル3の専門性が提供する議論の細部です。正確には、その細部に対する複数の専門家の見解を論理的に理解した上で全体構造を把握することです。

目にする様々な公共的議論に関して、レベル3の議論が提供されているのかどうかを常に問うことは、間違いなく重要なことです。どうすればレベル3の専門性にたどり着けるのか?これが答えのすべてだと言うつもりはありませんが、簡潔に答えるなら論文を読もうです。

昨今、生物医学の分野で査読論文であっても、その結論のほとんどが間違っているということが明らかになっていますが、ここでの提案は論文の結論を鵜呑みにする(真実のための追求型)ではなく、論文から得られる構造的情報を利用しよう理解のための探索型という提唱です。

産業界のスポンサーと研究成果:産業界がスポンサーとなった研究では、非産業界がスポンサーとなった研究に比べ、結果と結論の一致度が低かった。我々の分析は、標準的な「バイアスリスク」評価では説明できない産業バイアスの存在を示唆している。[R]

難しいと思われがちな論文は、論文にもよりますが個人的には学ぶには本よりも最適な教材だと感じています。一般書のような冗長性がなく、査読といった形である程度の信頼性が担保されており、フォーマットが決まっているため、どこに読みたい情報があるかすぐに見つけることができます。

具体的には、序論(Introduction)や考察(Discussion)のパートにはエッセンスが凝縮されており、自分も含め専門外の人が当該分野を理解するのに、これほど時間対効果の面からも有用なものありません。論文の論理構成に慣れると、むしろ冗長性のある本を読んで情報を得ることに、時間がかかりすぎて、少々苦痛を感じこともあります。

また論文で引用されている、他の文献も貴重な情報源です。人気の実用書、専門書も、その元となる論文があることが多く、言ってみれば究極の要約本のようなものです。今は翻訳ツールも発達しているため、過去と比べて敷居がはるかに低くなっています。

また、昨今、ビッグテックが提供する検索結果やタイムラインの表示には、不当な情報操作が加わえられていると疑われていることは、多くの方がご存知ではないかと思いますが、論文サイトでは原理的に不可能ではないにしても、アカデミアが機械的な検索アルゴリズムを大きく操作する可能性は低いとみていいと思います。

偏りの少ない情報を得られることの価値は、特に今の時代により高く評価されてもいいのではないでしょうか。市民に積極的に学習素材・重要な知的リソースとして利用されていないことは、単に論文は専門家が読むものだという慣習に基いているに過ぎないように思われます。

また、関連性のありそうな異なる分野を同じようなアプローチで理解し、分野同士をつなげた理解を図ることも、通常、専門家らは特定の分野のみに精通しているため、専門家の弱点と、そのことが引き起こしていると思われる問題を発見する手法のひとつになるはずです。

アメリカでは現在、ほとんどの科学会議に「アマチュア」が散見されるが、専門家にとって彼らの専門知識レベルは驚異的で、通常、幅と深さでプロの(つまりお金を払っている)科学者を上回る。なぜか?アマチュアは論文も助成金も気にせず、知りたいことを知りたいだけなのだ。

真の個別化医療:医学的発見における自己実験

車輪の再発明

ただ、個人的な経験では、そういった分野の統合的な理解や、専門性をさらに掘り下げた領域、研究分野が確立されていないと思われるような領域でも、公的な専門家とは限りませんが、その道のエキスパートはほとんどの場合見つかります。その領域を長年にわたって探究してきた彼らが自分たちよりも優れた見識をもっていることに疑問はないでしょう。

古くからある技術や技法を自分で一から生み出そうとして、時間やエネルギーを無駄にすることを揶揄する慣用句として「車輪の再発明」という言葉があります。IT業界でよく使われる言葉ですが、科学研究も、通常、無駄な再発明を行わないために過去に行われた膨大な研究の実績を調査するところから始まります。

そして、ウィキペディアに載っているレベルの情報であれば、さほど難しくないかもしれませんが、本当に深い議論を行っている人物や情報は、大量に情報を読み込み、積極的に探そうとしなければ見つからないことが多いということです。深いレベルで車輪の再発明を防ぐことは、思われているほど簡単なことではありません。そのため、車輪の再発明への警告を発する人々が、再発明をしていることに気が付かないという矛盾も時々目にしたりします(自分も経験しています^^;)。

言い換えれば、その道のプロフェッショナル、研究者、思想家を探すというプリンシプル(原理原則)を単に実行するだけではなく、その探索能力を磨くこと、そしてそのための知識を身につける必要があります。

振り返って見れば、Peter McCullough、Robert Malone、Pierre Kory 、Paul Marik、Steve Kirsch、Mattias Desmet、Tess Lawrie、Bruce K. Pattersonといった、いずれ歴史に名を残すであろう(と私は信じて疑いませんが)、パンデミックで活躍している人々を、当サイトが奇しくも日本で最初に紹介してきたことは、(ツイッターで確認できます)その原則の有効性を示唆しているのかもしれません。

一方で、本来であれば彼らを真っ先に取材し報道すべきメディア(独立系メディアも含め)が、まったくその役目を果たしておらず、このことは、国内で入手可能な情報がいかにコントロールされているか、または単に彼らの無能ぶりを示しているに過ぎないのかもしれません…

情報収集のパターン化リスク

ネット上で出回る意見や仮説も同様です。検索した情報を元に考える人もいますが、情報を参照する範囲が狭かったり、SNSによるネットワークを調整する検閲に気づいていなかったり、メディア上、SNS上で目立つ人物からの情報に集中していたりと、それ自体が情報を探す人のある特定のパターン的な陥っているように見えます。このことは、パターンを見抜く機械学習のアルゴリズムなどによって、よりコントロールされやすい環境を作り出しているとみて間違いありません。

つまり一般の人は、誰かから何かを学ぶ必要があることには間違いないのですが、プロパガンダが想定可能であったり、利害関係の影響を受けやすいトピックである場合、特に大多数において情報収集方法がある特定のパターンに収束してしまうリスクをどのように避けるかという戦略的視点をもつ必要があるのかもしれません。

仮に今は良くても必ず狙われます。最近のわかりやすい例ではグーグル検索の検閲から逃れるために用いられていたダックダックGOがグーグルの検閲スキームを受け入れた例があります。

私たちのデータは、産業界がスポンサーとなった研究でより良好な結果が得られたのは、コクランレビューの「バイアスリスク」評価ツールに記録されている要因以外のものが介在していることを示唆している。

「産業界のスポンサーと研究成果」

科学の官僚化

これは一般人だけではなく、医療関係者、研究者、専門家にとっても関連してくる話ではないでしょうか。というのも、医学雑誌や査読システム、EBMなど、本来であれば信頼を担保しようという善意から作られたはずの科学のシステムが、全てではないにしても、パターン化(教科書化)してしまい時間の経過とともに利害関係をもつ人物や組織によってコントロールする方法が編み出されているからです。

オーウェルが『1984』で描いたように、心ない法律主義の予測しうる結果は『小さなルールを守る』人々がやりたい放題になることである。ひどい役人や教師、請負業者が仕事を続けられるのは彼らが書類に正しく記入するからだ。

正しさは失敗する運命にある。正しいシステムには、人生はあまりにも複雑であり人々はユニークである。正しい教師、正しい工場というものは存在しない。状況は常に異なる。選択肢はすべてトレードオフを伴う。タイミング、資源、ニーズ、情熱、他の変数は無限に複雑だが、型は決まってしまっている。  -Philip K. Howard「try Common Sense」

COVID-19パンデミックでは、まさにそのことが顕在化してしまったように思います。官僚思考の政府・医師が、突然ルールを破らなければならない状況に置かれて、利害関係者の赴くままに、考えられる限り最悪の手を打っているからです。政府や公衆衛生機関の失敗について様々な切り口はありますがが、平時において医療のルールがあまりにも教条化していたことが、一因にあることは間違いないでしょう。そして、私たちが目にしている対立は、官僚(化された人々・政府・システム)対 離反者(ほぼ個人…)のように見えることがあります。

ルールの軍拡競争

科学や医療のシステム・方法だけは政治的陰謀や利害関係者との軍拡競争から逃れることができると考えられる歴史や根拠を私は知りません。中身を示さずただ「科学的」という言葉で政策や言質を正当化しようとするとき、まさにその官僚思考の傲慢さがにじみでているように感じることがあります。

この20年間の医学の変化は、ある意味、インターネットの変化に似ている。人々は、ネットで読んだことを必ずしも信用してはいなかったが、騙されることを心配する時間はあまりなかったのである。しかし、10年も経たないうちに、すべてが変わった。スパマーや詐欺師、スパイがいないか、常に窓を監視していなければならなかった。

今日、電子メールアドレスを持つ人は誰でも、ID泥棒、バイアグラの行商人、ナイジェリアの金持ちの未亡人に用心しなければならない。同じようなことが、アメリカの医療でも起こっている。

「White Coat, Black Hat: Adventures on the Dark Side of Medicine」

レベル3の専門家

今回のパンデミックでは公衆衛生や医療の専門家の延々とした失敗を観察してきたわけですが、しかし、それは医療関係の専門家全員が抱える問題なのか、それとも私たちや政府が選んだ専門家が特異的に問題があったのかという議論があるかと思います。

現在までに正しいと思われる主張をしてきた人々を観察するに、彼らの半数が何らかの専門的な職業を有していたことは確かであるように見えます。一方で専門家全体の人口を考えると、その中で正しい所見を述べてきた専門家の数が非常に少ないことから、どちらの仮説もある程度に正しいと言う印象を抱いています。言い換えると、正しい判断と行動をとることのできる専門家はいるが、その数(割合)は非常に少ないということです。

専門知識のマーカー[R]

資格 高等学位の保有、機関への所属、学識経験者協会の会員
実績 イベント予測の成功、査読付きジャーナルでの発表、賞や受賞歴
知的誠実さ コンフリクトや資金源の申告、過去の誤りを認めること
議論力 ライバルからの反論や、明らかな異常性を説明する能力
コンセンサス 複数の専門家からの証言は少数派からの証言を上回る

どうやって(議論の3段階の)レベル3に到達している専門家を見つけ出していくかについては、すでに述べたように、市民自らが専門領域の知識を身に着けていくしか残されていないのではないでしょうか。どのように協力しあっていくかということについても大きく残されている課題ですが、今回まさにその実験が、ぶっつけ本番で行われました。

たしかなことは、専門家集団に知の権利と判断を無批判的に委ねてしまったことが、今回のコロナ騒動やワクチン被害の少なくとも要因の一つになっていることです。そういったリスクを減らしていくためにも、市民が協力して専門性を身につけていくことを活動分野として確立して行く必要があるでしょう。

メリル・ドリーとオーストラリア・ワクチン接種ネットワークに対する攻撃の規模と多様性が示唆するように、市民運動家は特に弾圧が困難である。

研究者は、科学者としての立場から、特に重要な存在である。保健省、著名な科学者、医師がある立場を支持している分野では、たとえ少数の反対意見を持つ科学者であっても、人々の認識に大きな違いをもたらすことがある。このため、このような状況では、反対意見の抑圧が非常に重要になる。反対意見を封じ込めるか、信用を失墜させることができれば、すべての専門家が同意したかのように見える。残るは市民運動家だけである。

「On the Suppression of Vaccination Dissent」

Follow The Money – 金の流れを追え

「科学に従う」ことの問題点は、科学は通常、お金に従うということです。[R]

そして、専門家をどのように見つけ出すかに加えて、今回のパンデミックで私が学んだことですが、利害関係が強く影響を及ぼすトピックかどうかということも、真偽を考えていく上で強い判断材料のひとつであるということです。

一般の人々には、現代の科学論争は、対立する学派の間の技術的な不一致の問題に見える。しかし、研究成果によって異なる結果をもたらす社会的、経済的、政治的な要因については、一般の人々からは見えないことが多い。[R]

利益相反の影響は誰にでも理解できそうな、単純な経験的事実かのように思えますが、その手法はより巧妙化し、影響も大きく、有名な医学雑誌の査読論文であっても結論を歪めてしまい、専門家全体のコンセンサスや医療のガイドライン、政策に影響を及ぼすほどの影響力があることを知る人は少ないかもしれません。

ある研究によると、業界が資金提供した費用対効果研究は、業界が資金提供していない研究に比べて、好ましくない定性的結論に達する確率が8倍低いことがわかった。[R]

さらに、医学雑誌が金銭的な利益相反の方針を公表していることは少なく、金銭的利害関係の開示が論文に含まれることはまれであり、論文で判断できるようなものではなさそうです。該当する分野であるかどうかを推察的に判断していくしか方法はないのかもしれません。

調査した約1,400誌のうち、金銭的な利益相反に関する方針を公表しているのはわずか16%であった。さらに驚くべきことに、1997年中に方針を発表していた327誌の査読付き雑誌のうち、61,000以上の論文を調査したところ、金銭的利害関係の開示が含まれていたのは0.5%であった。[R]

農薬、タバコ、高額、または継続的に使用される医薬品、ワクチンなど、商業的利害関係が強い特定の分野では、スポンサー企業の偏向効果、ゴーストライティング、公衆衛生データの隠蔽、科学者に対する捏造攻撃などの事例が見られることが報告されています。

参考記事「製薬会社の真実」マーシャ・エンジェル

これらのことは、利益相反が強く関わる業界においては、一般的に信頼できると考えられている査読済の論文や、中立を装う研究所、ファクトチェックなども含め、特に疑ってかかる必要性を示しているように思います。また情報源もより多角的に見ていくべきでしょう。

その中で、企業や組織と対立する利害関係のない専門家の意見にもっと真摯に耳を傾けるべきことを教示しているのかもしれません。また長期的に支援することが可能な体制を作っていくことも緊切の課題です。

メディアが事実を歪めるために頻繁に行われている、特定の人物に対する中傷キャンペーンにより注意しなければならないことは言うまでもありません。多くの弾圧の事実が報告されている以上、告発の匿名性を非難することはできないでしょう。反対に、そういった弾圧のない体制側に近い主張を行う側では、匿名性に対する同様の正当化を行うことはできないと主張できるかもしれません。

根拠の底はどこにあるのか

最後に、パンデミックにかぎらず、分からないことを理解する上で個人的に重要だと思っていることですが、専門家が使っている概念、用語の深掘りです。哲学的な視点で、「なぜ」そうなのかと問うことと言い換えてもいいのかもしれませんが、具体的には専門家が頻繁に出すキーワードをよく掘り下げて調べてみようという提案です。

論文もそうですが、専門家の話を聞いていると、明らかに重要なこととして用いている言葉や概念の一応の根拠はあるものの、実際に掘り下げると最終的な根拠が怪しいままで、往々にして循環論法で議論が組み立てられていると思うことが少なくないからです。EBM、RCT、因果関係と相関関係、リスクベネフィット、ピアレビュー、最近ではワクチンの安全性においても循環構造があることを知ったばかりです。よくよく調べてみてください、根拠の底のなさに驚くはずです。

「科学に従って」(follow the science)というファウチの言葉は有名ですが、ファウチが具体的にそれが何であるかを示したことは、私の知る限り一度もありません。そして、一度でも科学哲学を学んだことのある人なら、少なくともその発言に違和感を感じるはずです。

「相関関係は因果関係ではない」と多くの人が語ります。実際には2つの事象の間に一貫した相関があれば、決して因果関係を示すことができない、というわけではありません。20世紀前半、タバコ産業は喫煙が肺がんの可能性を直接的に高めることを否定し、両者の相関は因果関係を示唆するものではないと主張しました。

その主張をひっくり返すのに半世紀を要したことは、多くの人に忘れ去られているようです。厳密には「相関関係は因果関係であるとは限らない」であり、自然現象のほとんどの相関関係は因果関係ではないという一般論を(往々にして不自然な事例を用いて)言い表しているに過ぎません。

あるものが別のものを引き起こしたと言うとき、我々は世界について何を言うのか、注目されているにもかかわらず、因果関係に関する最も中心的な問題である「因果関係とは何か」については、まだほとんど合意が得られていない。

例えば、規則性や法則のインスタンス化の問題なのか、反実仮想的な依存性の問題なのか、操作性の問題なのか、エネルギー伝達の問題なのか。近年行われている因果関係の議論を知る人なら、膨大な数の理論や反例を知っているので、因果関係の概念を一義的に分析することはできないのではないかと思われる

もう一つの理由は、因果関係の形而上学的な位置づけについて、著者によって根本的に見解が異なることだ。 ある意味では、因果関係は現実の特徴ではなく、「原因」という概念は、我々が周囲の世界の出来事に投影したり、押し付けるものだと考える人もいる。

また、因果関係は基本的なものであり、原理的に因果関係の用語を用いずに記述できる現実の基本的な層という概念は支離滅裂であるか、少なくとも明らかに間違っていると考える人もいる。

「オックスフォード・ハンドブック:因果関係(CAUSATION)」

彼らの中で、実世界での因果関係がどのように定義づけられるのか、その定義は明瞭かつ公開されているのか?因果関係が定義づけられるとしてその根拠は何なのか?ある因果関係の確立が新しいケースでも成立することの保証は何によってもたらされるのか?集団の因果関係から個人への翻訳はどのように行われるのか(可能なのか)?

因果関係という言葉は文脈に強く依存し、客観的に厳密に定義できるような言葉ではないということが一般に認識されていないことも問題だと感じています。そして、今回のコビッドワクチンの問題で露呈したように、専門家によって(場合によってはルールによってブラックボックス化させる(例えばヒル基準のチェックリスト化または反対に恣意的な利用など)ことが可能であることも示唆しています。

例えそれが避けられえないものだとしても、そのようなリスクがあることと対策について過去に論じられていることは一度でもあったでしょうか?ワクチン接種後の死亡の病理解剖で大きく意見が分かれたり、複数の専門家からその判定に強い疑いがもたれたことは何を示しているのでしょうか?

第二次世界大戦中とその後、科学活動は大きく変化し、科学の本質と影響に関する専門家の学問的理解も、この半世紀ほどの間に起こったことの重要性に追いついていない。特に、科学的活動に対する利益相反や外部からの圧力は、誠実さや信頼性の低下を伴っているという事実が最も顕著である。

「誰もが知っていること」は、実は意外と多くの研究者によって異論が出されている。これらの事柄について、大衆メディアは現在のコンセンサスを確立した真実として扱い、それが一般に信じられていることになる。

ヘンリー・H・バウアー「Science Is Not What You Think」

他にも、EBM、エビデンスピラミッド、RCT、メタ解析、因果関係、有意差、帰無仮説といった時として正当性の根拠として持ち出される言葉にも、それぞれに固有の専門領域、研究者の様々な意見が提出されており、様々な批判や異なる見解も蓄積されています。正当性の根拠として使うテレビ医師や政府に所属する専門家の言説を聞く限り、ほぼレベル1のグループを対象にした定型的な批判であり、そもそもそういった批判が適用できるコンテキストなのか、その前提とされている認識的な形式について、それが正しいのかどうかについては、ほとんど精査されていませんし、そこに批判が入ることを専門家がメディア上で口にすることを目にすることもほぼありません。

参考記事瀕死のミツバチと「無知」の社会的生産

直近の例では、あえて名前は出しませんが、パンデミックの緊急時に、二桁のRCTで効果が証明された安価で歴史的に安全性の高い医薬品に、平時の医薬品の承認や診療ガイドラインの推奨事項でさえほとんど満たされていないメタ解析や大規模RCTを要求することの文脈的な妥当性は一体どこにあるのか?といったようなことです。

また、時として、専門家が、難解な言葉を振りかざして素人を煙に巻こうとしているのではないかと疑うこともあります。最近のブースターワクチンがマウス実験のみで承認された二重基準を考えると、その疑念はますます高まります。エビデンスがすべてであるかのように発言する医師の「個人的意見」に本人が自己矛盾を感じているのかどうかも定かではありません。

彼らが使う言葉の多くは、それ自体を主張の根拠として無条件に使えるような用語ではなく、根拠として使うにしても、どういう文脈でなら使えるのか、またはどの程度の有用性があるのか、深く調べていくことで、最後には科学では「原理的に」科学では決定できない価値の問題が現れてくることは、多くの研究者によって明らかにされています。

科学主義の限界を理解するにも、簡単な思考実験で理解できるものがから、非常に高度な数学的素養が必要とされるものまで様々ですが、前者は想像されているほど難しい作業ではなく、一般の方でも、少し時間をかけて本を読んだり、考えてみたりすることで、専門家の支配的な言説を相対化するという目標であれば達成できるのではないかと考えています。

政治指導者、政策決定に関わる方に特に重要なのは言うまでもなく、専門家集団に知の権利と判断を完全に委ねてしまう危険性を避けるためにも、こういった哲学的な懐疑を国民の多くが共有することは社会的な重要性を帯びていくでしょう。そして、科学と合理性が決定できない領域にまで踏み込んではじめて、ハックされていない価値観の議論を始めることが可能となり、本当の民主主義が始まると信じています。

参考記事COVID-19 科学政策、専門家、そして公衆 生態学的危機において認識論的民主主義が重要な理由

ポリシー

What do you think?

さて、これだけ長く語っておきながらですが(汗)、私は元来、人にどうすべきかということを語ったり、押し付けたりすることが性格的に好きではありません。私の基本的なスタンスは、結論ではなくプロセスを提示することであり、「ここにこのような推論、仮説、議論、証拠があります。あなたはこのことについてどう考えますか?」というものです。

ごく限られたページを除き(1%未満)当サイトが個人ブログというよりは、他の記事や論文をただひたすら訳して紹介するブログあったり、ツイートでも個人的なコメントを避けているのは、主にそのようなスタンスに基いています。

これは私に主張する要素が、まったくないという意味ではありませんし、個人の関心に沿った情報となっていることを否定するつもりもありませんが、そのことがサイトとしての目的ではないということだけは断言できます。

無知は力である。

ジョージ・オーウェル(1984)

認識論的責任

もう一点は、自分の性格や特性を鑑みると、私個人の意見を書き連ねることよりも、人々の知恵を見つけ出し、それを共有していくことが自らの役割にフィットしているように感じられるからです。

また、文字通り何万、何十万という人の死の可能性に直面して、そこにひょっとするとなにかできることがあるかもしれないある種の思い込みの強さ(バイアス)と無知の大きさが後押しししたのかもと思うこともあります。

自分になにかできることがあると信じることのできるバイアスにはポジティブな響きがありますが、両刃の刃的な面もあり、そう信じていながら何もしなかった場合、後に呵責に苛まれる可能性を残します。つまり積極的に善をなしたいというよりは、後で後悔したくないという負の感情で動いているのかもしれません。

いずれにしても、私にとって、(おそらく活力ある社会にとっても)オーウェルよろしく「バイアス(&ノイズ)は力」です^^;(もちろん間違った際の修正は必要ですが)

余談ですが、選挙で一票を投じることの価値について、バイアスのない合理的な人では、なかなか行こうという気になれないのではないでしょうか?このことは個人のバイアスと集団のバイアスの違いや、バイアスの役割を考えていく上で重要なヒントを与えてくれるように思います。

実用主義者

私が常に抱えている疑問の一端には「一市民に何ができて、そこで何を得られるのか」というプラグマティックな問いがあります。個人への問題解決の提供という実用性を重視しているため、事実を推定しようとするかどうかは、それが何かの役に立つのかどうかの強さよっても影響を受けます。

例えば、何らかの巨大な悪の組織が、人々を支配するために行っているというような典型的な陰謀説については(現在、サイトで触れることが多くなっていますが…)、元々関心がないというのもありますが、そう見なすことでの患者さんにとっての具体的なメリットが不明瞭ですし、私やあなた個人に何か具体的に影響を与えることができるようにも思えません。

これが、例えばワクチンの議論であれば、自分を含め、多くの方が自ら摂取する、またはしないの選択が一人ひとりの意志によって可能です。そして、そのことによって直接的な利益またはリスクとして降り掛かってくる問題でもあるため、事実の確からしさ、リスクはどの程度か、個人の特異的な変数は、確率、期待値など、どのように行動するか、または選択するかといった合理的推論を行う価値があると見なすことができます。

自己批判と街灯効果

街灯効果と放置された科学

科学研究に関して言えば、「街灯効果」はもはやジョークではない。[R]

さて、このような姿勢は、必ずしも事実の確からしさを保証するものではありません。「証拠を元に」と言うと聞こえはいいのですが、入手可能な証拠だけを元に組み立てようとすること自体に組み込まれたバイアスというものがあります。

エビデンスに基づく医療が重要視される中、無作為化試験のエビデンスの大半は、収益性の高い新しい治療法を生み出す能力によってもたらされていることを認識する価値がある。[R] - Mitchell Krucoff

今回のパンデミックで事実が何かを追うことが難しくなっている大きな理由のひとつに、得られる証拠が、その対象によって恣意的な制約があることです。このことの例え話に、街灯効果というものがあります。

夜遅く、警官が街灯の下で手と膝をついて這っている酔っ払いを見つけた。その酔っ払いは、警察官に「財布を探しているんだ」と言った。

警察官が、「財布を落とした場所はここで間違いないのか」と尋ねたところ、男は、「通りの向こう側に落とした可能性が高いと思う」と答えた。

困惑した警官は、「それなら、どうしてこっちを探すんだ」と聞いた。

酔っぱらいは「こっちの方が明るいからだ」と答えた。

特に複雑な事象を対象としたとき、街灯の当たらない分野全体においてな先入観や思い込みが、そうではない分野よりも高まることは驚くようなことではありません。本当の問題はそういった認知バイアスの指摘ではなく、なぜそこに光をあてないのか、つまりなぜ認知バイアス、強く言えば陰謀論者を量産させるような薄暗い状況を作り出しているのか、その構造に焦点を当てるべきでしょう。

私の知る限り、この年齢層でのワクチンの副作用を調べる前向き研究がこれまでなかったというのは、これは本当に奇妙なことです。なぜそうしないのでしょうか?-Dr. John Campbell [R][Twitter]

証拠が公平に得られている限りにおいて、証拠不足や証拠の不確実性を指摘することは理にかなっています。恣意的な放置が疑われている状況で証拠の不確実性や認知バイアスを指摘し、陰謀であるとレッテルを貼る行為はまさに本末転倒です。

研究者が特定の分野の研究に消極的で、政府や企業が研究費を出したがらない場合、結果として知識のギャップが生じることがある。このような既得権益の影響による研究の空白を「放置された科学」と呼ぶ。 (Frickel et al.2010、Hess 2006, 2009)。

そして、まさにそのようなことが、イベルメクチン、コビッドワクチン、そしてリコード法において起こったことです。

反対意見を「誤情報」というレッテルを貼って検閲し、排除しようとする動きは、科学的な「境界作業」( boundary-work)と密接な共通点がある。境界作業とは、科学的調査の特定の分野を境界から排除し、本質的に非科学的であると信用を落とすことによって、科学的な権力と権威を維持するものである。

COVID-19の異端への検閲と弾圧 戦術と反戦術」

官僚 vs 異端児

陰謀論と異端児

世の中には、街灯が当てられていない場所に、多くの人が知るべき有益な事実を見つける能力をもつ天才的な人々が少数ながら存在します。私にとってはマローン博士がまさにそれに該当する人物です。こういった論理性と直感能力の両方の才能をもつ人々は、限られた証拠をもとに客観的な変数と主観的変数を組み合わせ仮説を立てながら、最適解に近づいていくことができます。

一方で、その2つの変数を特定する能力や、割合が異なる人々も多く存在します。私が見る限り、ここにはグラデーションがあり、明確な線を引くことが難しいと感じています。線を引けると思われている方の多くが、往々にしてある証拠の水準が一意的に決定できるという信念に支えられているからです。

アインシュタインの死の2週間前に面会したハーバード大学の科学史家、I.バーナード・コーエンは、次のように語っている。

「アインシュタインは、かなり最近になって物議をかもした本について触れ、その中の非科学的な部分を……面白いと感じたという。『あのね、悪い本じゃないんだよ。いや、本当に悪い本ではないんだ。ただ一つ困ったことに、この本は狂っている』と言った。私は、歴史家がよく遭遇する問題だと答えた。科学者の異端性が唯一の明らかな事実であるとき、その科学者が変人なのか天才なのか、同時代の人々は見分けられるのだろうか?『客観的なテストはない』とアインシュタインは答えている」

もちろん、20度の水と100度の水の間の温度には無限のグラデーションがあるからといって、常温水と沸騰水が同じであるとはならないように、区別は可能であるだけではなく必要とします。

あるグループには、厳格な証拠だけを重視し、メタ認知や推論、全体像を見る力の弱い官僚的な人々のパターンもいれば、別のグループでは、ある種の勘はするどいが論理性に欠けている人々なども含まれるでしょう。

陰謀論の歴史は、しばしば、ある出来事に対する大衆の認識をコントロールする力をめぐる闘争の物語である。

陰謀論者は、しばしば事実や論理の範囲を超えた分析を行い、そうすることで公の議論に毒素を注入してしまう。

Kathryn S. Olmsted.「Real Enemies」

そして、後者の人々は、ひょっとすると明るい場所での探索ではなく、暗い場所で真実なるものを探そうとする傾向にあるのかもしれません。仮にグループの特性や能力が同一であるとしても、明るい場所での真実を求めようとする集団に対して、暗闇で探す集団において多くのエラーや間違いが含まれることに驚きはないでしょう。

その集団の母数が大きくなれば、そのばらつきも大きくなり、中には極端なありえない陰謀論に走る人も必然的に生じてきます。また疑念をもつ姿勢そのものは正しくても、誇張や湾曲、誤解のある断定的主張が含まれることは想像に難くありません。

アフリカ系アメリカ人は、エイズはアメリカ政府が自分たちの人口を減らすために計画したものだと信じているが、アメリカ公衆衛生局が1930-1970年代に行った悪名高い「未治療梅毒のタスキーギ研究」でアフリカ系アメリカ人男性を対象に人体実験を行ったことは間違いではない。

アメリカ政府がアフリカ系アメリカ人をクラック・コカイン中毒にさせようと謀ったというのは嘘だろうが、CIAがMK-Ultraプロジェクトでマインド・コントロールを試すためにLSDを使った実験を行ったのは事実である。また、実在する医学的陰謀説のリストはこれだけでは終わらない。

Moreno)は、歴史上、国家が秘密裏に行った人体実験の膨大なリストを提供しており、倫理に反する人体実験や無謀な医療行為の記録もたくさん残っている(McNeill)。

タスキーギ研究はこのケースにおいて完璧な例えになっています。人口削減のためのエイズ計画というアフリカ系アメリカ人の考えは、馬鹿げていると断じることはできたかもしれません。疑いの根拠のなさを指摘したり、反証となる様々な証拠を提示することもきっとできたでしょう。納得しない彼らを、陰謀論者だと小馬鹿にしていたかもしれません。

そのようなグループを一瞥すると、周囲からは陰謀論集団であるというレッテルを張ることにつながり、それらがさらに思い込みを強化してしまうフィードバックループが働いているという仮説が立てられるかもしれません。これは「議論の3段階」の話とも重なります。

この問題の難しさは、合理性というフィルターをその主張に単純にかけてしまうと、彼らが異常な人たちで、自分たちの主張が無条件に正しいように感じられてしまうことです。一方で、彼らが抱いている根本的な不信感には何一つ答えていないことは明白です。肯定的に解釈するなら、彼らの直感は正しかった表現することができるかもしれません。

もう一点付け加えたいことは、マジックのタネを知ってしまえば、なんてことないと考えてしまうように、後知恵バイアスが常につきまといます。多くの陰謀だった事件は隠匿されており、情報を得る手段がほぼ絶たれていた時に、当事者として何が正しいかを見極めることは、非常に難しいものだったでしょう。

多くの言論には価値がなく、破壊的な言論もあることは誰もが想像できます。そのため、明らかに問題のある言論を排除するだけで、世界を改善できるのではないかと考えるのは当然のことです。問題は、明らかに道を踏み外している言論というのは、簡単に運用できるカテゴリーではないということです。

往々にして存在するのは、一緒に旅をする変人や異端者です。この混ざり合いは不幸なものです。一般的には、本当に面白い異端のアイデア1つに対して、100人のおかしな人が存在し、それらはおそらく説明する価値のない理由で同じように聞こえることが非常に多いのです。

創設者たちは、フリンジにいる悪い考えと良い考えを外科的に分離する良い方法がないことを認識していましたが、「悪い考えが保護されることによるコストを受け入れなければならない」と言いました。それは、その中にある良いアイデアを自由に発言させるためのコストなのです。彼らの処方を超えることは難しい。

私たちはまだ、異端児とおかしな人のアイデアをどうやって分けたらいいのかわかりません。そして、私たちは異端児を必要としています。どんな素晴らしいアイデアも、少数派から始まるという事実があります。もし、次の偉大なアイデアのすべてから得られる優位性を放棄しないのであれば、私たちはフリンジにあるものに対処しなければならなくなります。そのコストがゼロというわけではないのです。

-Bret Weinstein

陰謀論バイアス

つまり、全体的な印象から、反体制側が、抵抗運動側が世間から陰謀論的イメージを持ってれてしまうというは、たまたまそうであったというのではなく、このことには社会学的な必然性があるのではなかろうかという仮説です。この陰謀を信じる人達の平均的な集団において「エコーチェンバー」「確証バイアス」「単純化されたモデル」といった心理学的傾向を想定することも可能でしょう。陰謀論バイアスと名付けておきます(笑)。これはもちろん逆の意味でです。

しかしながら、このようなラベリングが実際に妥当だとしても、そのことによって反体制側が間違っているということも、その反対に正しいという主張もできないことは言うまでもありません。

命題の独立性

妻がオセロ症候群(嫉妬妄想が抑えられない不安症状)であるかどうかは、夫が実際に浮気をしているかどうかとは無関係の診断です。ヒドロキシクロロキンがCOVID-19に有効だとトランプ大統領が言うことは、実際の効果に影響を与えるわけではありません。Qアノンが2+3は5であると言っても数学は破壊されません。この2つの命題は独立しており相関関係の可能性はあったとしても、因果関係を認めることは論理的な誤謬です。

つまり、ある特定のグループのイメージや奇抜な発言から、言説を間違っているとみなすことは、見えにくい危険性のシグナルもフィルタリングしてしまい、結果的に大きなリスクを招いてしまう可能性はないのかということです。

さらには、このことは逆手にとることも可能です。大衆から著しく不評を得ている悪名高い陰謀論者に都合の悪い真実を語らせるなど、政府や組織に都合の良い本当の陰謀を覆い隠してしまうからです。

私たちの多くは陰謀に関する主張は証拠に基づいて評価されるべきだと合理的に考えるかもしれないが、多くの理論家は、陰謀論であるという理由だけでその主張を頭から否定してよいと言っている。

1964年のトンキン湾事件、1977年のフォード・ピント・スキャンダル2013年の米国国家安全保障局(NSA)の大規模モニタリングプログラム隠蔽に関するスノーデン暴露 2015年のフォルクスワーゲン排ガススキャンダルなど、多くの事例が挙げられるが、いずれも犯人が悪事を働いているという考えは「陰謀論」というレッテルを貼られることになる。これらの例は氷山の一角に過ぎない。

「Taking Conspiracy Theories Seriously 」

例えば、イラク侵略の大惨事が思い起こされる。NATOや他の多くの政府が、特にアメリカ政府によって意図的に誤解され、操られてこの戦争に突入したことは、世間にも学者の間にもほとんど疑われていない。この真実は、重大な決定の時点で十分に証明されていたが、国家元首、主流メディア、そしてそう、学会の特定のメンバーによって「とんでもない陰謀論」として黙殺された。こうして、最終的に何十万人もの死者を出し、絶望的な世界的難民危機を招いた戦争は、反陰謀論パニックによって強力に後押しされた。

「Taking Conspiracy Theories Seriously」-リー・バシャム、M・R・X・デンティス

陰謀論が日常的に否定されない世界は、本物の陰謀が見過ごされにくい世界であり、それゆえ陰謀が成功しにくい世界でもあるからだ。そしてそれは、より良い、より民主的な世界となり、権力者が比喩的であれ、文字通りであれ、殺人罪から逃れる可能性が低くなる世界となる。

「THE PHILOSOPHY OF CONSPIRACY THEORIES」チャールズ・ピグデン

アインシュタインの死の2週間前に面会したハーバード大学の科学史家、I.バーナード・コーエンは、次のように語っている。

「アインシュタインは、科学的な仕事に関する論争をきっかけに、非正統的な思想の話題を取り上げるようになった。

彼は、かなり最近になって物議をかもした本『衝突する宇宙』について触れ、その中の非科学的な部分を……面白いと感じたという。『あのね、悪い本じゃないんだよ。いや、本当に悪い本ではないんだ。ただ一つ困ったことに、この本は狂っている』と言った。

私は、歴史家がよく遭遇する問題だと答えた。科学者の異端性が唯一の明らかな事実であるとき、その科学者が変人なのか天才なのか、同時代の人々は見分けられるのだろうか?『客観的なテストはない』とアインシュタインは答えている」

権威バイアスと認知効率

さて、実際、賢いと考えられているような人々が、こうも欺かれ、重要なシグナルを見逃すのはなぜか? このことを説明する様々な認知バイアスや心理学的説明、イデオロギーがあります。「パンデミックと関連するキーワード」にそのいくつかを記載していますが、もう一点、情報が肥大化する中で、ほとんど無意識の権威的思考と関連する認知効率(Cognitive Efficiency)が働き過ぎた結果であるように感じることもあります。

医学はその権威の多くを科学から借りているが、この2つの分野には文化的な違いがある。医学の科学的根拠は不確かであり、複数の有効な見解が存在するが、反対意見は必ずしも奨励されない。専門家が強い意見を持ち、グループ内の他の人もそれに同意している場合、異端の視点を表明するには勇敢な医学生が必要となる。

「Tarnished Gold」 | エビデンスに基づく医療の病 / 権威

「権威に頼る」というのは集団を維持していくために必要な心理的傾向のひとつであるだけではなく、コンテンツの判断にエネルギーや時間をかけなくて良いという認知的な節約行為でもあり、程度の差はあれ誰もが採用しており、権威が信頼できるものである限り、そこには社会的なメリットがあることも理解しています。

集団思考発生要因の少なくとも一部は、大多数が懐疑の目を向けず、検証もせず権威に過剰に頼りすぎたことであり、反対に他から発せられる危険性のシグナルを、上記で述べたように陰謀論または離反者と決めつけてしまいシャットダウンしてしまったことのようにも感じられます。

離反者は、盗みはいけないことだと宣言している社会では盗みをするが、奴隷制を容認している社会では奴隷を逃がす手助けもする。社会が変われば離反者も変わる。離反は見る人の目の中にある。もっと言えば、みんなの目の中にある。旧東ドイツ政府の下で離反者だった人は、ベルリンの壁が崩壊した後、もうそのグループには入っていない。しかし、シュタージのような東ドイツの社会規範に従った人々は、新しい統一ドイツの中で、突然、離反者とみなされるようになった。 「嘘つきと外れ者

これまでの発見の歴史を振り返るならば、表面的な怪しさ、部分的な非合理性、またはエラーの多さは良い考えを得るために支払うべきコストと言えないでしょうか?多様性こそが薄明かりで探すグループの必然的な特性であり、特に先行きが不透明な時代において生き残っていくための必要条件であることが導かれるかもしれません。(多様性は高すぎても不安定さを増すことが知られており、薄明かりグループの弱点にもなりえます)

すなわち非合理性は人間にとって根絶しがたいものであると同時に潜在的に有害であり、それを根絶しようとする努力自体がきわめて非合理的であるというテーゼは、決して新しいものではない。私から聞くまでもないことだ。少なくとも数千年前から、もう完璧に明白なことなのだ。

Smith, Justin E. H.「IRRATIONALITY」

街灯効果の背後にあるもの

街灯効果という概念を理解すること自体は、さほど難しいものではありませんが、それがなぜ生じているのかということの原因は複雑で根が深く、それ自体の問題を理解するために必要な専門知識をはるかに超えた能力を要求されます。(上記のパンデミック関連リストで示しているように)

例えば、ワクチンに関して非常に高度な専門知識をもっていたとしても、今回の遺伝子ワクチンの問題の全体像はまったく見えません(まさにそうであるがゆえに、多数の専門家が未だに欺かれ続けているのでしょう)。製薬会社の腐敗、官僚主義、システムの硬直性、いくつかの支配的なアクターによるコントロール、はたまたEBM、RCTの内在的な欠陥、因果関係論、生命倫理、資本主義、サイエンティズム等々、まったく想像していませんでしたが、理解できるどころか、私を含め、全貌に近づいている人物さえ見当たらないように思えます。

パンデミックが始まって2年が過ぎ、ようやく歴史的、時代的な背景を含めた総括を行う識者も現れてきました。ケント大学の心理学教授マティアス・デスメット博士もその一人です。詳しくは、彼の著者「全体主義の心理学」で述べられていますが、彼の基本的な視点は、パンデミック騒動の背景には科学のイデオロギー(科学主義)があるというものです。

実験や統計によって証明することができない現象についての研究は学問ではなく、より強く言えば証明(検証)可能なもののみが社会的価値や有用性をもつ、これは言ってみれば思想的にはすでに衰退しているはずの実証主義の考え方であり、「科学万能主義」という形で車輪の再発明が行われているようにもみえます。

すなわち非合理性は人間にとって根絶しがたいものであると同時に潜在的に有害であり、それを根絶しようとする努力自体がきわめて非合理的であるというテーゼは、決して新しいものではない。私から聞くまでもないことだ。少なくとも数千年前から、もう完璧に明白なことなのだ。

しかし、過去を神話化することに反対し、未来に合理的な秩序を押し付けることができるという妄想に反対するという二重の主張は、常に新しくなされることで利益を得る。

なぜなら、数千年前から完全に明白だったことが、それでもなお、私たちが知っているが知らないという広大なカテゴリーに再び滑り込み続けているからだ。

「非合理性 | 理性の暗黒面の歴史」

参考記事全体主義の心理学 | 合理主義的な人間観・世界観から大衆形成へ

これは、私が冒頭で「私たちは科学・合理性とどのように付き合っていけばいいのか」というビッグクエスチョンを提示しましたが、その一部には彼の影響もあります。人工知能の進化、シンギュラリティの問題を踏まえるなら、科学・合理性だけではなく人工(超)知能も加えるべきかもしれません。

参考記事AGIリスクとフレンドリーAI政策の解決策

これは、ぜひ一度、多くの市民、医師、科学研究者、政治家らを始め国民全員が、立ち止まって考えてみる価値のあるテーマだと思います。

展望

「ここで何かが起こっているんだ。でも正確に何が起きてるのか分からないんだ…..」

「立ち止まってみるべきだと思う」

「みんな、よく見てよ。世界で何が起こってるのか」

Buffalo Springfield – What It’s Worth

均衡の破綻

往々にして、騙す側と騙される側、正しい情報と偽情報(と彼らが呼ぶもの)、プロパガンダを実行する側とそれを受ける側、この両者の戦いにおいて、どちらかと言えば反体制側に欠けていると思われるフレームワークが私の頭の中に浮かびます。それは、これらの戦いが両者に適応的であり、共進化を示す軍拡競争にあるということです。

もう少し簡単に言うと、私たちが知恵を働かせプロパガンダを見抜こうとすれば、それに応じて相手はプロパガンダの手段を増やしたり巧妙化させたりと、常にお互いが手口や手法を進化させていくことであり、一定の波の中で均衡を保ちながらその争いの場も常に変化しているというものです。

複数人でチェスゲームをしていることに例えるなら、チェスで必ず勝てるというような一般法則、普遍的な戦略をもつことが難しいことを示しています。相手は自分の動きに応じて変化し対応するため、勝つためには常に相手よりも優れた戦略を開発していかなければなりません。

つまり、結局のところ、自由の代償は永遠の警戒心なのです。

– オルダス・ハクスリー

さらに、普通のチェスと異なり、ルールや勝利条件がゲームの最中に変化する特殊なチェスゲームをしていることです。ゲームのルールを変化させることができる側が圧倒的に有利であるということは言うまでもありません。

最も懸念される問題は、体制側にチェスのルールを変更できる能力が強化されようとしていることですが、それだけではなく、そのルールを変更できる範囲が(チェスを超えて)広がろうとしている時期にあることです。最近の将棋の試合であったように、チェスの試合最中にマスクを外せば負けというようなルールは些細な事に思われるかもしれませんが、そういった非合理的なルールが制限なく拡大することです。

参考記事人間がデータポイントに分解される

SNSにおいては、リアルな人の手も介在していますが、実際には、様々な集団の変数に基づいたアルゴリズムによって行動を調整的にコントロールされているのが実体だと思います。

グーグルで使われる青色がRCT(ABテスト)によって決定され、2億ドル(240億円)の収入増がもたらされたことは有名な話です。同様に彼らが行う政治的な検閲に関してもRCTに類するものを行い、その精度や効果を高めていないとしたら驚きです。RCTは集団への影響の平均的効果を知るには強力な測定ツールですが、少数の外れ値が平均化され情報として除外されてしまうという欠点も併せ持っています。つまり、私たちが少数派であるのは、たまたまそうだというよりも、アルゴリズムが多数派に焦点を当てたものとなっているからにすぎないと言えるのかもしれません。

参考記事人間と社会に対するデジタルの脅威

私がより大きく心配しているのは、デジタル化の普及によってモニタリングが生活の隅々にまで行き渡り、そこで得られた莫大な個々人の変数から、機械学習によって全体のネットワークが調整されるだけでなく、個人レベルでも個別化、最適化された検閲や思想誘導が行われ、外れ値(ブラックスワン)までもある程度制御可能な環境に置かれてしまうといったことです。

要するに、ノイズの多いシステムの利点は、新しい価値観に対応できることだと主張する人がいるかもしれない。なぜなら、柔軟性があれば、新しい信念や価値観が生まれたときに、その都度、方針を変更することができるからだ。

Noise: A Flaw in Human Judgment

目につくSNSアカウントの凍結などは本当の脅威ではありません。災害危機のブラックスワン(外れ値)は予測できないやっかいな因子ですが、社会の意思決定においては決定論的な動向を回避し全体主義に対する保護因子となる可能性をもっているからです。

こういった人工知能の急激な成長とそこで得られた検閲や操作のパワーにより、最終的に騙す、騙されるという数千年にわたって繰り広げられた権威vs大衆の均衡ゲームが破綻してしまうことです。そして、一度政府や企業に与えられた特権は強化・拡張されることはあっても、廃止されることはきわめてまれであることがこれまでの歴史からも明らかです。最終的に、失った権利を取り戻すことができなくなる最後のパンドラの箱になってしまうのではないかということを強く心配しています。

アルファ碁

これは正しいことではないと感じた人々が、誰かから指示されたわけでもなく、検閲下の中で驚異的な学習スピードとともに非常に賢く立ち回り、人々に危険があることを知らせようする姿は本当に感動を覚えるものです。ほとんど方はボランティアでありながら長期にわたって抵抗していくことが可能であることも示してくれました。科学の発見が新しいアイディアを持っている人の粘り強さに依存すると言われるように、社会の改革も不正を見つけた人の粘り強さに依存するのかもしれません。私はこのことにいくつかの希望を感じています。

…しかしながら、今私たちが直面している大きな問題のひとつは、、私たちは、体制側の人間と知恵比べをしているというよりも彼らが武器にしている人工知能(機械学習)と競い合っているということです。人間の素晴らしさであると同時に限界でもあるのですが、人工知能の学習曲線が指数関数的な増加を示す一方で、ヒトの学習能力はどこまでも線形的な増加にすぎません。

生物学的知能の範囲

生物学的知能と超知能(ASI)の差

ヒトがAlphaZeroにヒトが碁で勝つ可能性は、文字通り「ゼロ」です。それでも私たちがAlphaZeroを恐れることがないのは、このコンピュータープログラムがチェスという限られたものでしか、私たちを負かすことができないからでしょう。ヒトにはルール以外の手段を取ることが可能です。電源プラグを抜けばどんなコンピュータープログラムもヒトを負かすことはできません。…ここまでは冗談に聞こえるかもしれません。

さて、デジタル社会に電源プラグに相当するようなものはあるのでしょうか?世界中のインターネットをオフにするボタンはどこにあるのでしょうか?

私たちがデジタル社会や人工知能がもたらす全体主義に対抗できるのは、制限されたルールを破ることができる能力や権限があることによってなのだと考えることもできます。そうだとすれば、ルール外の選択肢、権利の豊富さこそが残された人間の砦になるはずであり、監視資本主義でも語られていることですが、いままさにその選択できる領域が小刻みに狭まれていることは、将来、私たちに何をもたらすのでしょうか?

参考記事民主主義はビッグデータ、人工知能に耐えられるか?

ターンキー全体主義

人工知能にとってのデジタルは、サメにとっての海のようなもので、デジタル環境がなければ人工知能はヒトに勝つことはできません。デジタルのない陸地で生活することはデジタル全体主義から抜け出る唯一の方法になっていくのかもしれません。そして、今、あらゆる社会資源がデジタルの海に投げ込まれています。

現金の使用量があるレベルまで減少すると、規模の経済が失われ、一夜にして使用量がゼロになることもある。MP3やストリーミング形式が普及すると、音楽CDが突然姿を消したのを覚えているだろうか。それくらい、現金の消滅は早い。現金戦争は、一度そのような勢いになると、止めることは事実上不可能になる。-ジェームス・リッカーズ

今、これらの当たり前のように思われていた選択肢がデジタル通貨や、デジタルIDといった形で一ミリずつ剥奪されている、外堀を埋められていることに気がついている人はどれだけいるでしょうか?これは本当に深刻な問題なのですが、このことの深刻さに気が付いていない人が多数派であることは、理解の難しさだけに起因するわけではないように思えます。

適切な質問は、監視システムの構築が、そのバランスを政府支配の方向に危うく変えすぎていないか、そのシステムの現在の使用に問題がないかどうかということである。家庭に強制的にカメラを設置し、令状がなければ作動しないシステムが、長年にわたって法律をきめ細かく尊重しながら使用されてきたとしたらどうだろう。

問題は、このような監視の仕組みがいったん確立されると、解体するのが難しく、パニックや悪意、あるいは公共の利益をひそかに判断する自分の能力に対する誤った自信によって、それを私たちに対して利用しようとする人々の手に落ちると、あまりにも強力な支配の道具であることが判明することだ。

-ジュリアン・サンチェス「ターンキー全体主義」

もちろん、私たちはこのことを民主的に選択したことはありません。それどころか議論もなければまともな説明もないのです。ワクチン被害の補償が行われない事実を見てもわかるように、失われた自由への補償は行われないことを確信しています。

抵抗運動

現代版アーミッシュ

ほとんど報道されることはないものの、世界が向かっている機械社会・デジタル監視社会に対して不安を感じる多くの市民が、抵抗運動をすでに開始しています。

抵抗戦略は大きく2つの方向性に分けられるように思います。ひとつは現在のデジタル化社会から可能な限り離脱していく方向です。すでにあるパーマカルチャーのような、自然とともに生きるコミュニティに参加してもいいでしょうし、田舎等で一から有志が集まってコミュニティを作るというのも選択だと思います。

デジタルの海から離れさえすれば、複雑な争いから開放されるため、最も単純で支配から逃れるという意味で非常に強力な方法です。危険なサメや毒ヘビが何百万匹いようとも陸に上がりさえすれば襲われる心配はありません。

問題点は、上記で述べたように、あらゆる社会資源がデジタルに移行していくため、人によって感じ方は異なると思いますが、不便と感じる生活を強いられることになるかもしれません。不便と言っても、おそらく現代の田舎暮らしのレベルと大きな差はないと思いますが、人間拡張(ヒューマンオーグメンテーション)も含めデジタル社会がより早く進化していくため、数十年という単位で見ていくとアーミッシュのように技術を取り入れるスピードの遅さによって相対的な開きが大きくなり、最終的には孤立した集団グループになっていくかもしれないというものです。

また、個人または小さいグループ集団としての解決方法としては意味をもつものですが、デジタル社会そのものの肥大化を防ぐことは望めません。まさにアーミッシュのように、影響力を放棄したがゆえに滅ぼされることもないが対抗する力もない集団グループとして生き延びていくでしょう。

黙示録を生き残る

アーミッシュ方式が逆転するシナリオは、人類が壊滅的に影響を受ける災害であり、そうなれば都市と田舎の立場が逆転し、(先進国と第三世界も同様に)プレッパーズとして人類の再興に向けて活躍するというシナリオが実現するのかもしれません。

この黙示録的な物語の可能性は相対的に非常に高まっているとは言え、絶対値としては低いと考えています。例えば、1%の可能性が10%になるというのは、リスクが10倍になったことを意味しますが、起こるかどうかを問うなら10分の1という意味でです。

しかし、火災警報器の例にあるように、ごく一部の集団が行うことの社会的コストと得られる対価(人類の生存)というコストベネフィットを考えれば、フリンジと見られていたプレッパーズ的な方向性は現実的に着目しても良いアイディアなのかもしれません。例えば国民の0.1~1%が重大な危機に備える、そして間接的な支援を行うというのは、合理的に許容される数字ではないでしょうか。(特に政府や官僚が生存のかかった壊滅的な災害に対する準備や計画を立ててないことを考えると)

拡大路線

アーミッシュ路線のもう一つの選択肢は、単にデジタル監視社会から離れるのではなく、そのようなグループ・メンバーを増やしネットワークを構築していくことです。十分に大きなグループを形成することができれば、非中央集権化した社会の実現に向けて意味をもつことができるかもしれません。

私たちは今、分岐点に立っている。そのうちのひとつは、中央集権的な政府の形態に向かうものである。それは多かれ少なかれ、蜂の巣のようなものである。ある種のエリートが支配し、それ以外の人々は。..彼らが上流階級で、他の人は下層階級のようなもので、彼らに仕え、言われたことをほぼ忠実に行うだろう。

一方、もうひとつの方向として、責任と意思決定権を全員に分散させることもできる。もちろん、そのためには知性と責任を高める必要がある。なので、これにはある種の挑戦が伴う。どうするか、すぐに決めなければならない。

もし責任を分散させたいのであれば、まず必要なのは人間の本質と現実の本質に対する正しい理解であり、これが私がこの問題に持ち込もうと提案しているものである。

クリストファー・ランガン

この場合、規模をどれだけ大きくすることができるかが鍵になることから、再生可能エネルギーや持続可能な小規模農業、コミュニティ・ガーデニング、オフフグリッドに関心を持つグループなど、様々なグループ同士のつながりが必要になってくると思います。

人類の2つの可能な未来 ロバート・マローン

カウンターエコノミクス

これも離脱を目指す方向で、より過激な方向になるのでしょうか?最近、知った言葉です。さほど洗練されていないようではあるものの、利用できるかもしれないアイディアの芽はいくつかあるように感じました。参考までに記しておきます。

参考記事:

分散化・非中央集権化・オープンシステム

そして、もうひとつの方向性は、王道とでも言えるのでしょうか、今の中央集権的なデジタル社会から離れるのではなく、デジタル社会の非中央集権化、分散化を目指し抵抗していくというものです。具体的なプランがあるわけではありませんが、いくつか、ヒントとなるかもしれない資料を羅列しておきます。

グローバル化の起源

40年以上前、ローマクラブの依頼で行われた「成長の限界」研究では、資源が限られた世界では、経済と人口の崩壊が不可避であることが明らかにされた。

世界の未来をコンピューターでシミュレーションする際、どのようなモデルパラメータを用いても、常に惨憺たる結果に終わっていた。その結果、意思決定者はパニックに陥ったようだ。何十億人もの人々が死ななければならないと信じられていた。一歩一歩、「みんなとみんなの戦い」が始まった。有力な戦略は、できるだけ多くの資源を支配下に置くことであった。私たちは「モノポリー」をすることにした。その結果、この惑星の最後の数十年間は、グローバリゼーションと戦争によって特徴づけられた。

彼らの考えでは、市民は消費し続けるべきで、将来のことなど考える必要はない。人々はパンとサーカスで、迫り来る終末や世界の終わりから目をそらすことがモットーであった。彼らの考えでは、市民は消費し続けるべきで、将来のことなど考える必要はない。人々はパンとサーカスで、迫り来る終末や世界の終わりから目をそらすことがモットーであった。

当時の経済の信条はこうだ。「問題が大きければ大きいほど、技術者が技術的な解決策を発明し、それを世界規模で拡大できるインセンティブがある」というのが、当時の経済信条だった。そうすれば、問題が深刻化することはない。この計画がうまくいくためには、産業はできるだけ制限されないようにしなければならない。そこで、新自由主義が広まった。資源が乏しくなると、何よりも「規模の経済」、つまり効率的な世界規模の生産が必要になると主張された。その結果、寡占化、独占化が進んだ。

大衆は巨大な広告予算とマーケティングキャンペーンを駆使して、欲しくもなく必要でもない多くの製品を買うように影響されたにもかかわらず、結局は消費者がその責任を負わされたのである。

「デジタル啓蒙に向けて | デジタル革命の暗黒と光をめぐるエッセイ」

オルダス・ハクスリーの予言

映像は1958年、オルダス・ハクスリーが64歳の時に撮影されたものである。 二人の対話から、私たちが今生きている未来の要素が、いかに長い時間をかけて計画されていたかを垣間見ることができる。

オルダス・ハクスリーは、予言的小説『1984』を書いたジョージ・オーウェルの師匠でもある。 彼の著作や作品には、彼の家族や当時の知識人たちが行っていた見解や研究に対する詳細な理解が反映されていた。彼の作品は警告であり、彼は何が起こり、何が起ころうとしているかを知っていた。

過去の科学者や指導者のこれらの考えは、現在の多くの政策のバックボーンを形成している。これらの政策には、一つの世界政府、人口管理、逆全体主義、プロパガンダ、指令経済、集団主義が含まれる。すべてがそこにある。世界は、オルダス・ハクスリーが警告したとおりの道をたどっているのだ。

驚くべきは、これほど多くの人が、非常に長い間、目の前にあったものを見ていないことだ。オルダス・ハクスリーはマイク・ウォレスとのインタビューの最後に、このグローバリストのアジェンダに対抗できる数少ない方法の一つが、非中央集権化であるという考えを述べている。

– ロバート・マローン「未来は今 | オルダス・ハクスリー – 幻想家とその家族のヴィジョン」 

分散化と中央集権 – ヒトデとクモ

クモは、見たままがそのまま形になる。胴体は胴体、頭は頭、足は足。でも、ヒトデは全然違う。ヒトデには頭がない。その中心的な体も担当していない。実は、主要な臓器は腕の一本一本に再現されているのだ。ヒトデを半分に切ると、驚くことに、動物は死なず、すぐに2匹のヒトデができる。

ヒトデには、驚くべき性質がある。腕を切っても、新しい腕が生えてくるものが多い。このような不思議な再生ができるのは、ヒトデが実際には神経ネットワーク、つまり細胞のネットワークであるためだ。クモのように頭があるのではなく、ヒトデは分散型のネットワークとして機能している。

ヒトデが動くには、片方の腕が他の腕に「これはいい考えだ」と説得しなければならない。その腕が動き出すと、他の腕も協調して動き出すのである。脳はその判断に「賛成」「反対」をしない。実は、「イエス」「ノー」を宣言する脳すらない。ヒトデには脳がない。中央指令もない。

アパッチ族

スペイン軍のような軍隊を相手にすれば、アパッチ族に勝ち目はないだろうと思うだろう。しかし、そうではなかった。「17世紀後半には、スペインはソノラ北部とチワワの実効支配をアパッチに奪われていた」とネビンズは言う。

最初は原始的と思われた民族に負けたのだ。アステカ族やインカ族とは異なり、アパッチ族はピラミッドもなければ、道路も舗装されておらず、町さえもなかった。ピラミッドや高速道路よりも重要なのは、アパッチ族には金もなかったことだ。

アパッチ族は、インカやアステカに知られていない秘密兵器を持っていたわけでもない。スペイン軍が力を失ったわけでもない。

ネビンズは、その謎を解く方法を教えてくれた。数年前、彼はアリゾナのホワイトマウンテン・アパッチ族と3年間一緒に暮らし、彼らの文化を研究し、儀式を観察し、彼らの社会が実際にどのように機能しているのかを学んだ。彼はすぐにアパッチ族と他の部族の違いに気がついた。

例えばスー族の場合、『狼とダンス』に出てくるような部族であるが、彼らはある程度政治的な中央集権化が進んでいて、短期間は華々しく抵抗したが、10年以上成功することはなかった。一方、アパッチ族は何百年もこの戦いに挑んでいたんだ。彼らはどのように生き延びたのだろうか?「彼らは政治力を分散し、中央集権をほとんど持たなかった」アパッチ族は分散型であったからこそ、存続できたのである。

首都も中央司令部もなかったため、アパッチの決定はあちこちで行われた。例えば、スペイン人居住区への襲撃は、ある場所で思いつき、別の場所で組織され、さらに別の場所で実行されることがあった。アパッチがどこからやってくるかわからない。ある意味では、重要な決断を下す場所がなく、ある意味では、あらゆる場所で誰もが決断を下していたのだ。

分散型コミュニティ – 断酒会

断酒会/Alcoholics Anonymou(AA)では、誰も責任者ではない。しかし同時に、誰もが責任者なのだ。組織はヒトデのように機能する。入会した瞬間に、自動的にリーダーシップの一部、いわばヒトデの腕になる。したがって、AAは、新しい会員が入ってきて、他の会員が去っていくので、常に形を変えている。

誰も責任者がいないので、全員が自分自身と他の全員が軌道に乗るように責任を持つ。年功序列はそれほど重要ではなく、あなたは常にアルコール依存症である。スポンサーがいるが、スポンサーは強制的に指導するのではなく、その人が模範を示して指導する。そして、もし失敗して再発したり、しばらく出席をやめたりしても、いつでも戻ってくることができる。申込書もないし、誰もAAの所有者ではない。

(AA創始者の)ビルは、このグループが大成功を収め、世界中の人々が自分たちの支部を作りたいと言い出したときに、このことに気づいた。ビルは重大な決断を迫られた。スパイダーという選択肢をとり、支部ができること、できないことをコントロールすることもできた。

この場合、彼はブランドを管理し、申請者にAAの方法論を教えなければならない。あるいは、ヒトデのようなアプローチで、邪魔をしないようにすることもできた。ビルは後者を選んだ。手を放したのだ。各支部が正しいと思うことをするよう、彼は信頼したのだ。

ビルは正しい戦略的決断をした。オープン・システムは、進むべき道だった。それは、数え切れないほどの人々を助けた。文字通りだ。現在、AAの会員数は何人かと聞かれたら、答えるすべはない。支部の数は?これも分からない。AAがオープンシステムであるために、誰も知らない。中央司令部が監視しているわけではない。

AAの成功に目をつけた他の中毒者たちは、12ステップのモデルを借りて、麻薬、食品、ギャンブルなど、さまざまな中毒と闘う組織を立ち上げた。AAの反応は?いいじゃないか。どうぞどうぞ。これもデザインの一部なのだ。分散化の4つ目の原則は、オープンシステムは容易に変異することができるということだ。

分散型組織は変異が速いので、成長も驚くほど速い。クモの組織は長い時間をかけて巣を作り、ゆっくりと資源を蓄積し、中央集権的になっていく。しかし、ヒトデは瞬く間に産業全体を支配することができる。何百年もの間、人々はアルコール依存症と戦うために専門家を頼っていたが、その後わずか数年の間にAAが設立され、依存症から抜け出すための方法として受け入れられるようになったのである。

時間の経過とともに、産業は分散型から中央集権型、分散型へと揺れ動き、また元に戻るのである。中央集権的な産業や制度に対して、人々は反発し、オープン・ヒトデシステムを作り出す。

ヒトデとクモを見分ける質問
  1. 責任者はいるか?
  2. 本社はあるか?
  3. 頭を切り落とすと死ぬのか?
  4. 明確な役割分担があるか?
  5. ユニットを取り出すと、組織に害があるか?
  6. 知識や権力は集中するか、分散するのか?
  7. 組織は柔軟化か、それとも硬直的か
  8. 従業員や参加者を数えることができるか?
  9. ワーキンググループは、組織から資金援助を受けているか、それとも自己資金でまかなっているか?
  10. ワーキンググループのコミュニケーションは直接か、それとも仲介者を介してか?

「ヒトデとクモ | リーダー不在組織の止められない力」

ヒトデとクモの法則
  1. 分権型組織は攻撃を受けると、より一層開かれた状態となり、さらに分権化の度合いを強める。
  2. ヒトデはクモと間違えやすい。
  3. 開かれた組織では、情報は中央に集中せず、組織全体に分散している。
  4. 開かれた組織は容易に変化させられる。
  5. 分権型組織はこっそり近づいてくる。
  6. 業界内での分化が進むと、業界全体の利益が減少する。
  7. 人は開かれたシステムの中に身を置くと、無意識のうちに貢献しようという気になる。
    1. サークル
    2. 触媒
    3. イデオロギー
    4. 既存のネットワーク
    5. 推進者
  8. 中央集権型組織は、攻撃されると、より一層集権化する傾向にある。
分散型の新しいルール
  1. 規模の不経済・スモールルール 小さなサイズとユーザーの大きなネットワークの組み合わせ
  2. ネットワーク効果 お金をかけずにコミュニティを作り、新しいメンバーが大きなネットワークに付加価値を与える
  3. カオスの力 ヒトデシステムは、創造的、破壊的、革新的、あるいはクレイジーなアイデアのための素晴らしいインキュベーター
  4. 末端にある最高の知識 知識は組織全体に行き渡る。
  5. 共有と貢献の精神 例:バーニングマン、ウィキペディア、アマゾンのレビュー
  6. 分散型組織のヒドラ反応に注意 アルカイダの指導者を追えば、組織は広がり、増殖していくだけ
  7. カタリスト(触媒者)の支配 カタリストは人々に行動を起こさせる。
  8. 価値観が組織のすべて 成功したヒトデ組織の多くは、当時は過激と思われるイデオロギーから出発している。
  9. 測定、監視、管理の曖昧さ(例:健康状態、参加、成長、拡散、変異、分散化)
  10. 完勝しなければ打ちのめされる。変化する力と戦うことの無益性 最悪逆効果。打ち負かすことができない場合、生き残るための最良の希望は、彼らに加わることであることが多い。

「ヒトデとクモ | リーダー不在組織の止められない力」

ヒエラルキー・マインドセット ネットワーク・マインドセット
  • 機械論的世界観 vs 生命システムの世界観
  • システムを階層的なピラミッドとして見る vs 相互作用の網として見るシステム
  • 組織を中心に考える vs 目的を中心に据える
  • トップダウン型、指示型リーダーシップ vs 分散型、サーバントリーダーシップ
  • 中央集権的な意思決定 vs 集団的な意思決定
  • 命令と制御の衝動 vs 接続と協調への衝動
  • 情報の制限 vs 情報共有
  • タスク指向 vs 人間関係重視
  • 意図的な戦略への偏り vs 創発的な戦略の受け入れ
  • ヒエラルキーマインドセット vs ネットワークマインドセット

「Impact Networks」

 

ガイド付き自己組織化

システムがあるサイズや複雑さに達すると、アルゴリズムの制約により、リアルタイム最適化による効率的なトップダウン管理ができなくなることが多い。しかし、「ガイド付き自己組織化」は、複雑な力学系をボトムアップで管理する有望な代替方法である。その基本的な考え方は、自己組織化しようとする複雑系の内在的な傾向を、戦うのではなく、利用し、それによって安定した秩序ある状態を作り出すことである。

そのためには、適切な種類の相互作用、適応的なフィードバック機構、および制度的な設定が重要である。システムの構成要素が自己組織化できるような適切な「ゲームのルール」を確立し、ルールの遵守を保証するメカニズムを含めることで、トップダウンとボトムアップの原則を融合させ、非効率なマイクロマネジメントを回避することができる。

「Globally networked risks and how to respond」

科学への信頼を回復するには?
  • 公的な場で誤りを認める。
  • リーダーシップを変える。
  • 利益相反規制を強化し、政府機関の指導的地位に任期制限を設ける。
  • 厳格な期限付きで「公衆衛生上の緊急事態」の定義を明確にし、延長するための立法措置の要件を追加する。
  • 規則を定めるのではなく、助言する保健機関の適切な役割を回復する。
  • メディアをファクトチェックする。
  • 研究資金を分散化する。
  • 新たな透明性と説明責任を導入する。
  • 論文や助成金のレビューの匿名化を解除する。
  • 政府機関や委員会に対する独立した監視を強化する。
  • 倫理、自由な議論に関して大学を評価する。
  • ジャーナリスト、医師、科学者のための論理と倫理を含む新しいトレーニングプログラム。

「Lies My Gov’t Told Me」-Robert Malone, MD

現代医療の課題

ヘルスケア
大手製薬会社とヘルスケア 民間企業と公衆衛生の間の解決できない利害の対立
進歩の代償 アルツハイマー病の薬剤開発の資金調達
パンデミックが科学の常識を変える
利益相反
エビデンスに基づく医療は、偏った試験と選択的な出版により、どのように失敗しているか
資本主義

「資本主義につきものの規範的な利益追求行動は、他の時代には称賛されるが、危機の際に必要とされる協力とは緊張関係にある。

COVID-19で人々が死んでいるのと同じ瞬間に、店では価格操作のために手指消毒剤が不足している。認知的不協和は明らかであり、利益を追求することは死を招くことであっても称賛される。

ある販売者は、「これが道徳的にどうかを考えた結果、『私がやらなくても誰かがやるだろう』という結論に達した。そのおかげで、私はそれをすることができた』と述べた

健康が間違いなく公共財(排除不可能な)であるならば、市場が配分を誤る方法は、国家の責任の根拠となる。国家は、健康に責任を持つための倫理的根拠について個人を打ち負かすのではなく、市場を打ち負かすべきだ。」[R]

COVID-19 資本主義 利益動機 対 公衆衛生

エビデンス・医療倫理

 

製薬会社

「さらに深刻なのは、製薬会社が臨床試験のデータを所有していることです。これはとても深刻な問題です。製薬会社が臨床試験のスポンサーとなり、分析を行い、何が起こったのかを原稿にまとめ、医学雑誌に投稿し、査読を受けます。

そして、医師は、しっかりと研究された査読付き論文を読み、信頼するように教育されます。査読者や医学雑誌の編集者はデータを見ることができず、製薬会社が正確かつ合理的に完全なデータを提示したという言葉を信じるしかありません。

医者は、良い医者は証拠に基づいた医療を実践するという、証拠に基づいた医療のパラダイムを教えられています。そしてそれは、医学雑誌に掲載された査読付きの論文や、臨床実践ガイドラインに基づいています。 しかし、査読者はデータにアクセスすることができず、独自の分析を行うことができないことを医師は知りません。

また、臨床試験も、臨床実践ガイドラインを書いている専門家はデータにアクセスできません。 これは非常識です。正気の沙汰とは思えません。医師たちは、自分たちが操られていること、知識のコントロールが製薬会社に委ねられていることを理解していません。

そして製薬会社は、臨床試験の86%を負担し、試験をデザインします。 それは金儲けのためのものであり、人々の健康のためのものではありません。そのような優先順位はありません。」

ジョン・エイブラムソン ハーバード大学医学部講師、全米薬物訴訟の専門家

EBMと共有意思決定

EBMと他のアプローチを比較したヘッド・ツー・ヘッドの研究はない。理論的には、EBMは科学的な厳密さを導入しているので、最も倫理的であるはずである。実務家は、特定の治療法の有益性と有害性をより正確に予測し、患者に有益で悪意のないケアを提供できるようになるはずである。しかし、EBMのプロセスにバイアスがかかると、倫理的な問題が生じる。このような問題があると、有益性と有害性の予測の信頼性が低くなり、EBMの倫理性が損なわれる可能性がある。

EBMはその厳密な方法論から、正義を支持し、医療格差の是正に役立つはずである。しかし、EBMは、資金調達、研究デザイン、出版に関する意思決定を反映しており、結果として、これらの意思決定に内在する不公平を反映することになる。その結果、医療機関のリーダーは、EBMが当初構築されたものほど正確ではないかもしれないことを認識しなければならない。ガイドライン作成の過程でEBMの問題に対処できる場合もあるが、EBMが医学研究や出版のプロセスの受け皿となっているために対処できない問題も多い。

臨床家と患者は、(理由を述べた上で)ガイドラインの推奨を拒否することを認められるべきであり、組織は臨床家に、組織の期待と患者の価値観や嗜好との間で挟まれるような倫理的ジレンマを強いるべきではない。

臨床家は、治療法の裏付けとなるエビデンスに精通し、正当な理由があればエビデンスに基づく推奨から外れる権限を持つべきである。臨床家は、患者が自分の価値観や好みについて話し合い、意思決定を共有することを奨励すべきである。患者は、臨床現場で提示されたエビデンスに耳を傾け、自分自身の価値観や好みについて話し合い、ガイドラインの推奨事項に反するような決定をする力を持つべきである。」

「エビデンスに基づく医療と生命倫理 医療機関、臨床医、患者にとっての意味合い」

EBMの権威

「EBMは権威と法制度に基づいており、そこから「有罪と証明されるまでは無罪」という概念を独自に受け継いでる。EBMでは、その類似性から、「証明されていない」治療法は無視することができる。

同様に、ある治療法に対して「エビデンスがない」というEBMの主張は、科学的なデータや情報がないことを意味するのではなく、特定の制限された種類の法的なエビデンスがないことを意味している。EBMを実践した結果、医師は法律によって守られることになる。政府はさらなる管理を行い、企業医療は法的枠組みから利益を得る。

EBMの合法的なアプローチにもかかわらず、合理的な個人はその権威の主張を受け入れないだろう。医師や関連組織を法的に保護することは、患者の利益に反することになる。人々が期待しているのは科学的な医学であって、法理論に基づく治療ではない。

そのため、EBMの実践者は、EBMを非常に科学的なものとして宣伝している。確かに、先進的な社会に受け入れられるためには、EBMは科学的根拠を主張しないわけにはいかない。科学的根拠がなければ、EBMの権威を主張してもあまり意味がない。」

Tarnished Gold エビデンスに基づく医療の病

RCT

医学の原理主義者たち

「無作為化比較試験(RCT)は長い間、治療効果に関するデータの理想的な情報源であると推定されてきたが、決定的な行動を起こすためのエビデンスを得るのに他の方法が関心を集めており、異なるデータ源の長所を活用し、限界を克服するための新しいアプローチが求められている。

この論文では、公衆衛生の観点から、RCTとそれに代わる(時には優れた)データソースの使用について説明し、RCTの主な限界を示し、健康上の意思決定のために複数のデータソースの使用を改善する方法を提案している。RCTは、その長所にもかかわらず、大きな限界がある。」

-元CDC長官 Thomas R. Frieden

医療研究の腐敗

The End of Alzheimer’s 2nd Edition 第5章 医学はあなたを救えるか?
製薬会社の汚職と医療のモラルの危機

「影響力のある無作為化試験は、主に産業界によって、また産業界の利益のために行われている。メタアナリシスやガイドラインは工場と化し、ほとんどが既得権益者のためにもなっている。国や連邦政府の研究費は、健康上の成果とはほとんど関連性のない研究にほぼ独占的に投入されている。

診断と予後の研究や治療の個別化への取り組みは、何度も偽りの約束を煽ってきた。リスクファクターの疫学は、サラミのようにスライスされたデータに基づいて作成された論文を得意とし、偽りの証拠から政策を決定することに長けている。

市場の圧力を受けて、臨床医学は金融ベースの医学へと変貌した。多くの場所で、医学と医療は社会的資源を浪費し、人間の幸福に対する脅威となっている。また、科学否定論やヤブ医者が幅を利かせ、健康を含めた人生の選択を誤らせる人が増えている。」

-John P.A. Ioannidis

エビデンスに基づく医療はハイジャックされている:David Sackett氏への報告

科学・フリンジサイエンス

サイエンティズムの問題点
健康の知識を再構成する?「日常のフリンジ・メディスン」としての現代のセルフケア・モード

還元主義・システム生物学・複雑系

では、我々の通常の直感が働かないのはなぜだろうか?最も重要なポイントは、直感のほとんどが、物を作ったり、エンジニアリングをしたりした経験に由来していること、つまり、前節のようなシステムに遭遇しないようにするためであるように思われる。

通常、我々は得たい動作から出発し、それを実現するシステムを設計しようとする。しかし、これを確実に行うには、システムの挙動を容易に理解し、予測できるものに限定しなければならない。システムの挙動を予測できない限り、そのシステムが我々の望むとおりに動くかどうかを確かめることはできないからだ。

しかし、工学とは異なり、自然界にはそのような制約がない。つまり、前節の最後に述べたようなシステムが現れることを妨げるものは何もないのである。そして実際、この本の重要な結論の一つは、そのようなシステムは実は自然界に非常に多く存在するということだ。

しかし、我々が日常的に基本的なルールと全体の振る舞いの両方を意識するのは、物を作ったりエンジニアリングをしたりする場面だけなので、前節の終わりのようなシステムについて直感することは通常ないのである。

[中略]

このような基本的な現象を理解するために、何らかの直感を働かせることができるのではないかと期待する人もいるかもしれない。しかし、実際には、日常的な経験の中に、必要なものを提供する枝はないようだ。だから、まったく新しい直感を開発するしかないのである。そのためには、多くの事例に触れることが唯一の合理的な方法である。

「A new kind of science」– Stephen Wolfram

参考記事:

医療思想・哲学

ウクライナ-ロシア戦争

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記事

プロパガンダと全体主義

プロパガンダについては、コロナパンデミックが始まってから問題意識をもつようになり学ぶことになった領域ですが、このことも掘り下げて学ぶと、突然、始まったようなものではないことが見て取れます。

参考記事:

プロパガンダという学問領域が他の学問と異なるユニークな点は、考えてみれば当然のことのようにも思えますが、それ自体が権力の側からのプロパガンダの対象になり得ることです。そして、Piers Robinson博士の例にあるように、プロパガンダを告発する人物や情報が、例えば、検索ランキングで不当に下げられているといった事実は誰にでも確かめることができます。

検索すれば、もちろんプロパガンダに関する情報は出てきます。しかし、例えばロシアのプロパガンダには焦点は当てるがTNIの行うプロパガンダには焦点をまったく当てていないなど、中立性を疑わせるものであり、プロパガンダへの批判自体がプロパガンダ戦略の可能性となっていることを疑わせるものも少なくありません。誇張や湾曲が目立つ、いい加減に書かれたプロパガンダ批判記事も、ゲルマン健忘効果を思い起こさせるものです。

プロパガンダと全体主義社会

ウクライナ(ワクチン被害)の問題と、それらの共通項であるプロパガンダ(人々が騙され操作される)の問題は切り分けて見ていく必要があります。前者は現在の問題ですが、後者は私たちの未来の問題です。

そして、もし後者に対して私が感じている直感が正しければ、ウクライナ-ロシアの問題が事なく終わったとしても、私たちがこのプロパガンダを暗黙裡に受け入れてしまうことで、最終的には、いくつかのステップを経て不可逆的なデジタル監視社会へと完全に移行してしまう可能性が高いと予想しています。

もうひとつ重要な点は、今回が、そのことに対して抵抗できる最後のチャンスとなるかもしれないということです。デジタル検閲、デジタル技術を使ったプロパガンダは、すでに人ではなく人工知能によるアルゴリズムに移行しています。

繰り返しになりますが、アルファ碁の進化を見てもわかるように、どのように逆立ちしても、人工知能と競争して勝つことはできません。そこへデジタル通貨(CBDC)とデジタルIDという二重のくさびが打ち込まれればゲーム終了です。

間違えてはいけないのは、情報の自由お金の自由は、グレートリセットの究極の抑止力であるということです。

「WATCH OUT!! What The WEF Is Planning!! How To RESIST!?」

陰謀論?

ここでは詳細を省略して話しているため、人によっては陰謀論のように聞こえるかもしれません。しかし、疑念となる合理的な根拠を見つけることのできない情報については、個人的に疑わしいと思ったとしても雄弁に語らないように注意しており、よく読んでいただければ、私の情報収集は比較的、保守的なアプローチを採用していることが理解いただけると思います。

陰謀論 進化した機能と心理的メカニズム

陰謀を過剰に認識するコストは、様々な社会的パラメータに依存するため複雑である。一方、定義によれば実際の陰謀は、例えば資源や女性の窃盗、搾取、略奪、殺害、極端な場合は大量虐殺など、人々に危害を加えることを密かに計画する。そのため陰謀を過小評価すると被害者個人や集団に大きな犠牲を強いることになりかねない。

陰謀を過剰または過小に認識することの間のトレードオフを考慮して、特に危険な陰謀が遍在する環境では、エラー管理理論により、誤検出の可能性が高くても陰謀の可能性を疑うという人間の適応的素因が予想される。

つまり、人は、敵対的な陰謀の可能性を素早く計算することによって、連合体の危険性を過剰に認識し、警戒する側に回るのである。 陰謀論は祖先の人類が、頻繁に繰り返される連合体の危険性に特徴づけられる社会世界を航海するために、直接的に適応的であったと仮定している。[R]

むしろ後に歴史的に振り返れば、むしろ陰謀に対して低すぎる見積もりをしていたことが判明するかもしれません。数年前、COVIDパンデミックや遺伝子治療に懐疑的だった人たちでさえ、その他の陰謀論的事実を過小評価していました。このことは新たな陰謀的事実に対しても、より謙虚であらねばならない必要性を示してはいないでしょうか。

私は 2020年初頭に掲載された、有名出版社の見出しを今でも覚えている。

「反ワクチン陰謀論者は、COVID-19が『ワクチンパスポート』の導入につながると示唆している」

サイトで紹介しているものの多くは分野の専門家によって言及されているものであり、ソースのないものは原則的に採用していません。また著者の解釈の完全性も主張もしていません。信頼性に濃淡があることの必然性については上記で述べた通りですが、すべてが同じ方向を向いており、実際に議論の全体を見てもらえれば、巷にある陰謀論、または確証バイアスにすぎないといったように即座に反証できるようなものではないことは理解いただけると思います。

答えは簡単だ。読むしかない。多数の引用文献を確認する。友人や家族、医師と議論する。 そう、自分の頭で考えなければならない。目まぐるしく情報が飛び交い、誤情報の告発が頻発するこの時代、遅かれ早かれ、今起きていることを自分の知恵で理解しなければならない現実に直面することになるだろう。-Madhava Setty, M.D.

私から言えるのは特定の意見をもつ前に、とにかく、読んでください、根拠となる文献も含めて自分の目で確認し、批判と肯定の両方の目をもって考えてみてください。可能であれば周囲と冷静に議論をしてみてください、ということです。私はあなたにあれを支持しろとか、これが正しいというつもりはありません。

しかし、そのようなプロセスを経てもなお主要メディアや政府が伝えようとしている物語に対する信念に、まったく変化が起こらないのだとすれば、おそらく私とあなたは違う世界に住んでいるのでしょう。

危機管理全般(金融・環境・食糧)

Chris Martenson博士

  1. コミュニティ
  2. 自分の財産の購買力を守ること
  3. 化石エネルギーへの依存を減らすこと
  4. 食料は地元で調達する
  5. 非常時の備えを強化する
  6. 健康を増進する

レジリエンス 8つの資本カテゴリー

  1. 金融資本 多くの人が最も直感的に知っているもの。お金、株式や債券のポートフォリオ、仕事から得られる収入、そして支出や借金など。
  2. 社会資本 プライベートな人間関係や公的な人間関係のことである。我々を育て、導いてくれる人間関係、好意を持っている人との親密ではない関係、そして我々のニーズを満たし、商品やサービスを提供するために利用することができる人脈。
  3. 生命資本 我々を取り巻く土地、木、水、土、そして動物たちのこと。また、我々の体、つまり健康や体力、能力なども含まれる。
  4. 道具資本 家、橋、建材、道具、保存食、コンピュータ、ソーラーアレイ、自動車など、目に見える所有物のこと。
  5. 知識資本 自分が知っていることや、その知識を応用するための専門知識のこと。
  6. 感情資本 パンチを受けても、心の中の嵐や外のドラマを冷静に乗り越えられる個人の能力によって測られる。
  7. 文化資本 我々が暮らす地域の人々の物語、歌、習慣などによって定義される。逆境に強いコミュニティもあれば、そうでないコミュニティもある。その違いは、それぞれの文化資本の大きさを表している。
  8. 資本の一形態としての時間 これは、繁栄と豊かさに満ちた未来を望むならば、賢明に配分する必要のある、貴重で枯渇し続ける商品を意味する。
「プロスパー !」未来への準備と相続する価値のある世界を作る方法 -第2章 レジリエンス それは一体何...

システムの耐障害性を高めるレジリエンスの原則

  1. 冗長性(故障時のバックアップシステム)
  2. 分散化とモジュール設計(故障部分を切り離す)
  3. ローカル・オートノミー(切り離した部分が自律的に動作する)
  4. 連帯感(他者との良好な関係)
  5. 多様性と多元性(不利な条件でも機能すること)
  6. 分散制御
  7. 参加型アプローチ(例えば救急隊が到着するまで現場の人が対応できる)
  8. ローカル・デジタル・アシスタンス(暫定的なネットワークを構築してコミュニケーションを維持し、自助努力、調整、支援を促す)

リンク集

https://alzhacker.com/censorship-propaganda/ ‎

Google 代替検索エンジン

現状、信頼できる唯一の検索エンジンは存在しません。検索エンジンによって情報のバイアス、検閲のある領域が異なるようです。得手不得手もあります。これらを理解しながら使い分けていくことが現実的な策でないかと思われます。

ランク下げ

YouTube 代替動画サイト

関連サイト・メディア

また、その組織、人物、サイト名、用語、等、固有名詞やサイトアドレスを知り、記録しておくことも、検索エンジンの選択以上に重要なことかもしれません。卑近な例で恐縮ですが、当サイトがワクチン問題を扱いだしてからというもの、アルツハイマー病やリコード法という一般用語ではもはやグーグル検索では見つけることが難しくなっています。しかし、Alzhackerという具体的な名前を知っている限り、検索順位による検閲から逃れることができます。

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Rule 30

ウィキペディア ルール30

「確かに、最初は繰り返しのパターンがあると思いましたね。そして、まあ、これはちょっと面白いな、と思いました。でも、長くやっていれば、何かに解決されてシンプルなものになると思ったんです。そこで私は、数学や統計学、暗号学などを駆使して、あらゆる種類の分析を行い、解読を試みました。しかし、一度も成功しませんでした。

そして、しばらく失敗が続くうちに、「ここには本当の現象があるのかもしれない」と思うようになったのです。つまり、私にとって動機となったのは、自然界を見て、自然界に存在する複雑さを目の当たりにしたことでした。

問題は、それがどこから来るのかということです。自然界にはどのような秘密があって、人間が工学的にものを作るときには通常作らないような複雑さを作り出すことができるのか、ということです。非常にシンプルなものから、これほど複雑なものを作っている。

もしかしたら、根本的なルールはそれほど複雑でなくても、本当に複雑なものを作ることができる、自然が持っている秘密のようなものが見えてきたのではないか、という衝撃がありました。」 -Stephen Wolfram

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