ブログの経緯 ― 脱中央集権・分散化社会に向けて 2023年

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投稿日:2023年10月19日 改定日:2023年12月9日

はじめに

サイト管理人のアルハカです。2006年に自身が希少難病に、続いて2009年には母が若年性アルツハイマー病と診断されました。以来、医学論文を読むことが日課となり2015年に世界初のアルツハイマー病逆転症例研究を見つけます。再利用医薬品ホリスティックなアプローチによって母の進行抑制を目の当たりにし、認知症には治療方法があるということを知ってもらうため、2017年、当サイトを開設しました。

コロナパンデミックにおいても、大量の医療論文を読み続け、多くの関連情報を発信してきました。mRNAワクチン技術開発者であるマローン博士イベルメクチン治療を訴えたFLCCCのコリー博士COVID-19早期治療基金を運営するスティーブ・カーシュ氏世界初のCOVID早期治療査読論文を発表したマッカロー博士WCHのテス博士大衆形成のデスメット博士など、多くのCOVIDヒーローを日本で最初に紹介できたことは密かな誇りです。

情報収集と配信

初めて訪れた方には、非主流の科学(特に医療)に関する内容も多分に含まれるため、サイトの信頼性に疑問を感じる方もいるかもしれません。この手の誤解を説くことのできる論拠はあまり余るほどサイトに載せていますが、「科学とは何か」という問いから始まり、還元主義実証主義企業科学EBMなど、思想的背景や多くの社会的、技術的問題が込み入っており、見かけ以上に簡単に答えられないことにストレスを感じることもあります。

私が試みていることは、該当分野の査読論文と専門書を大量に読み、疑似科学やフェイクニュース、陰謀論と呼ばれるものがどこまで実証的に考察できることが可能なのか?と問いながら探求することにあります。その上で、得られた情報の信頼度を基に、一般的な記事や専門家の意見も参照し、複数の仮説に確率を割り当て、反復検証を行い現実的、妥当な解を見つけ出そうとしています。

一流の知性のテストは、二つの相反する考えを同時に心に抱き、なおかつ機能する能力を保持することである

-F・スコット・フィッツジェラルド The Crack-Up (1936)

ブログやソーシャルメディアにおいては、事実関係を淡々と紹介し、自らの意見は控えるか、あるいは示唆する程度に留め、受け取り方は読者に委ねています。言い換えれば、このブログの主なテーマは「読者に信任されること」でもなければ、「真実はここにあり!」でもありません。むしろ、市民が普段接する機会が失われていると考えられる重要な仮説的情報へのアクセスを容易にし、読者が読み、考え、議論し、自らの判断を下すための触媒となることを目的としています。

世界情勢の混乱を反映してカオスと化した感のあるブログですが^^;、このアプローチが成功していれば、それはこのブログの価値を形作るものです。

そのようにして、当初は明らかに異端視されていた(今でも?)イベルメクチンヒドロキシクロロキンはじめとする再利用医薬品(オフラベル医薬品)に関する有効性、早期治療ワクチンに関する情報共有を行い、奇妙な運命ながら、、ウクライナ-ロシア戦争、最近ではイスラエル-パレスチナ紛争など、新たな役割を意識する機会にもなりました。

パンデミックと報道統制

結果として、日本がゆっくりと崩壊する様を観察する活動となってしまったことは、愉快なものではありません…。COVID-19ワクチンと20万人の超過死亡関連性に疑問がもたれており、世界全体では1700万人の死亡との間に因果関係があることを証明したとする論文も先日出されたばかりです。政府、メディア、著名人の沈黙(または無能)は常体化しており、私だけではなく、多くの人々が主流メディアの報道統制計画性を感じ始めています。

日本で、世界で、このようなパラレルワールドに住むことになるとは一体、誰が想像したでしょうか?

人は、無力感を感じたり、大切な信念と矛盾したり、より大きな問題への自らの加担を示唆したり、そうでなければ不快に感じたりする知識を否定したり、目を背けたりします。そのため私たちの社会には、非倫理的な行為を薄々知っていながら矛盾に目をつむるという盲目点があります。

サンゼルスの黒人、ロドニー・キングが高速カーチェイスの余波で警官に殴打された映像が残っている。地元の黒人コミュニティや他の多くのアメリカ人の反応は憤怒だった。しかし、4人の警官が警察の残虐行為の罪で裁判にかけられたとき、法廷で繰り返しビデオを見たほとんどが白人の陪審員たちは、キング牧師に同情的な人物を見出すことはなかった。むしろ、キング牧師を「支配」しようとする白人警官たちの努力と苦境に共感したのである。最終的に警官が無罪となったことは、一般に、53人の死者と2000人以上の負傷者を出した1992年のロサンゼルス暴動の主な引き金とみなされている。

『The WikiLeaks Paradigm Paradoxes and Revelations』

例えば、途上国での企業の搾取による私たちの快適な生活、実験動物の使用によって作られた治療薬紛争鉱物によって作られるスマートフォン養豚のストール飼育による肉食、米国の戦争犯罪を見過ごすことで得ている日本の安全保障や経済活動といったものです。

私は国民の多くが、ワクチン被害者に対しても薦めた自分たちが罪悪感を感じたくない、認めたくない心理のあまり、このような心理現象(ケイフェイブに移行しているのではないかと恐れています。

ケイフェイブは単純に間違いを正しいものとして信じてしまう集団心理よりも危険です。欺瞞を単に間違って信じていたのだとすれば、その欺瞞が明るみになり真実が伝わることで、理論的には集団心理は瓦解します。しかし、ケイフェイブはそうではありません。プロレスの観客に「あれは八百長だ」と主張してみてください。その告発者は良くて単に無視され、おそらく、多くのプロレスファンを巻き込んだ関係者によって叩き出されるでしょう。それでも告発を続ければ、熱烈なファンによって、殴り殺されるかもしれません。。

真実をめぐって人々の分断と対立が囁かれますが、私たちが真に経験しているのは、長年にわたるプロパガンダの露呈であり、欺瞞社会の末期症状なのだろうと思う今日このごろです。

「もし私が、あなたを傷つけるかもしれない効果のないワクチンを強制的に摂取させたとしたら、私は決してそれを認めることはできない。 認めるわけにはいかない。もし認めてしまったら、私はその結果に苦しむことになるからだ」

– タッカー・カールソン

政治的計画?

パンデミックに初期の段階から、生命倫理、国際法、人権、経済的慣行、文化的な習慣、様々な従来の慣行や原則が破棄されていることを目撃してきましたが、このような状況では仕方がないと考える方も多かったと思います。私自身も、初期の頃には、パンデミックのような未曾有の事態であれば、多少のトラブルは致し方ないと、(腐敗を知る医療分野を除いては)多くの人が信じる世界観の元に理解しようと努めていました。

しかし、ある時点から困惑に変化します。人工ウイルスの疑い、繰り返される医療倫理の重大違反、いたるところでのメディア・プロパガンダの形跡、組織的な隠蔽工作など、多くの直接、間接的証拠からパンデミックやmRNA予防接種の惨事が人の偶発的な「愚かさ・無知」システムに内在する「腐敗・利害関係」といった常識的世界観からでは整合的な説明がつかなくなってしまったことです。

画像

2020年の生活はこんな感じだった。 「はい、みなさんは間違っています」

認知症ブログからパンデミック情報ブログへ

実際には、計画性のある政治的行為、いわゆる陰謀的な可能性の存在が、2021-22年頃には複数の独立した専門家によって文書化されていました[R][R][R][R]。これらを読んですぐさま「これは陰謀だ」と考えたわけではありません。とはいえ、大学教授や、当該分野の専門家が豊富な引用に基づいて論理的な推論を行っているもので、熟読していただければ、陰謀論として片付けられるような情報源ではないことがわかります。少なくともこれだけ世界を震撼させた出来事であれば、広く市民が、または関係者が知り検討するに値する重要な情報であることが理解できるはずです。(読まれた後で政治的計画性など、ないと主張する人を私はひとりとして知りません)

しかし、このような文書や証拠が日本で取り上げられる気配は一向になく、ある時点で、利害関係や制約条件の低い自分のようなアウトサイダー(変わり者)でなければ、この情報は取り上ないだろうということにも気が付きました。その頃から、使命感をもってと言うには過言かもしれませんが、認知症改善ブログとしての活動を、パンデミックひいては、政治、社会問題にまで拡張していくことになります。

社会の変わり者(権利を奪われた)要素は、多数派の意見を持つ人よりも多数派の意見の変化に敏感であるため、(5GWにおいて)何かが起きていることに気づく可能性はかなり高い。 「5GW(第5世代戦争)ハンドブック」

…そして、気がつけば3年が経過し、4年目に入ろうとしています。「途方もない主張には、途方もない証拠が必要だ」というカール・セーガンの基準は満たされたのではないかと思います。しかし、日本においてアカデミアのみならず、政治的にも行政でも司法の場でも、すべての証拠文書が明示的に語られることはありません。その「語られなさの統一性と継続性」が、他の穏健な解釈を棄却し、残された解釈はまさに問題の根深さを物語るものでした。

知のネットワーク

そもそも、そういったこと以前に、パンデミックの度重なる倫理違反に対して、三権分立が機能していないと言うべきかもしれません。このことだけでも十分驚くべきことなのですが、さらに不可解なことは、メディアアカデミア、医療団体、人権団体倫理学者、憲法学者、警察、テック企業、ごく一部を除く地方自治体、市民団体、NGO、独立系ジャーナリスト、クラファン、etc..、といった独裁的な支配や権力の乱用を防ぐための組織、システム、チェック&バランスが最も必要な時期に、ほとんど機能していないように見えたことです。

これは世界がひっくり返るほどの衝撃でした。多くの人々がいまだ、マスクやワクチンを信じたままであるのも無理はないと思います。大多数の人々は、メッセージの実際の良し悪しを考慮するのではなく、発信者の学歴や専門性、魅力的かどうか、信頼できる報道機関、政府機関、そしてそのような発信者全体の占める割合や制度によってメッセージの正当性を確認するからです。

専門家も例外ではありません。私たちの信念は、私たちに代わって観察や調査を行った人々への信頼によって保証されます。つまり私たちは、そのような知識をもたらしてくれた制度や方法を信頼しています。科学における制度や方法とは、科学出版、入念な査読プロセス、専門家の評判、大学の認定などのメカニズムを含みます。

専門家も含め、ほとんどの人は意識的、または無意識的にこのような「知の社会的なネットワーク」を頼りに真偽を判断しています。人は情報を処理する能力や時間に限界があるため、ある意味このようなショートカットする認識の仕方には一定の合理性と生産性があります(もちろん、ネットワークの健全性が保たれている限りにおいて)。

お叱りを受けるかもしれませんが、ワクチンやマスクに疑問を呈している人でさえ、この世界の逆転現象、つまり知のネットワーク構造の信頼性が大きく失われたことに十分に「驚くプロセス」が欠落しているように感じています。カルト宗教や北朝鮮の組織内部で、あの幹部は性格が悪いとか、税金をとりすぎだ、言っているように聞こえるのです。ここは、何度も強調する必要がありますが、それはメディア報道や名の知られた専門家が語る「批判的な意見」のことではありません。それよりも、一段か二段深いところで起こっている構造的な現象です。

空気で判断される真実

一次情報に近いデータを観察して異常を見つけ出し判断のできる人々は限られています。そしてそのような人々は、他の人々も同じように理解できるはずだと考え、「ほら、多くの人が死んでいる、このデータは矛盾している、なぜ気づかないんだ!」と咆哮し、一部の人々は理解しようとしない相手を嘲笑し、空回りしているようにも見えるが多々あります。

このようにある種の直感力や先見の明はあるものの、相手の立場に立って、またはより広い視野に立って眺めることができないために、常識的世界観に住む人々との認識論的なギャップを埋めることができず、メッセージが相手の心に届いていないのでは?と思ってしまうのは私だけでしょうか?誰それが悪いという善悪の主張をしているわけではありませが、このことはグループの分断化の一要因になっているのかもしれません。

メディアの報道統制と検閲

さて、パンデミックから3年が経過し、その間に蓄積されたすべての証拠は、当初言われていた陰謀的仮説の妥当性を十分に裏付けるものでした。当サイトで翻訳を載せている査読論分や学術誌だけに絞ったとしても立証できるレベルにあると思います。この時点でなお、社会全体で特定の出来事で沈黙が続いていることは、一体何を意味するのかと疑問に思わざるを得ません。

省略バイアス

世の中には人々が理解できる量をはるかに上回る情報があり、メディア関係者は報道をする際に何を選ぶかについての編集上の大きな裁量があることから、結果として第三者の影響を受けやすいという傾向が知られています。

特定の情報を無視する(omission bias)ことは、報道における明確な規約違反とはならないことからも、政治的、経済的圧力、広告主の影響、メディア特有の思想や価値観、文化的、社会的偏見がそのような選択に影響を与えることがあります。

DALL-E:「Elephant in the room」周囲にはさまざまなメディア関係者がいる。彼らは取材やインタビュー、撮影をしているが、象の存在をまるで無視するかのようなあからさまな態度を見せている。

しかし、ここで述べているのは、一般的に知られているレベルの選択的報道(省略)ではありません。繰り返しになりますが、明らかに社会の根幹に関わる重要な問題でありながら、すべてのメディアが高い一貫性をもって報道しない奇妙な盲点についてです。

過去においても、イラク戦争での大量破壊兵器の存在主張、福島第一原子力発電所事故後のメルトダウン隠蔽など、報道の恣意的な抑制の例は多数存在します。金融危機、パナマ文書、ウィキリークスなど振り返れば、これらは目新しいことでも珍しいことでもありません。また上記の例は事後的に報道されているため、多少の問題はあれど報道機関は概ね機能しているといったように見えると言う方もいるかもしれません。

重要なのは、全体として、この公衆衛生緊急事態が、事実上、国際的な軍事作戦を隠す口実として利用されていることです。-サーシャ・ラティポワ

しかし、現在目にしている報道統制は、その世界的な規模、そして時間としても過去のそれを大きく超えるレベルにあります。リミテッドハングアウトと呼ばれる、疑惑やスキャンダルに直面した際、関与者が限定的な情報を意図的に公開し、より深刻な事実の発覚を防ぐ戦術と疑われるものは時折見受けられますが、3年経過しても報道の統制そのものが衰える兆しは見られず、第二次世界大戦のプロパガンダに匹敵すると言っても過言ではありません。

情報過多のジレンマ

政治的計画犯罪についての疑いは、もはや何百という間接的、直接的な証拠によって確定しています。しかし、なぜそうなのか?ここには大きなキャッチ22(ジレンマ)が存在します。一般の人々との認識のギャップが大きく、具体的な証拠や歴史的経緯に基づいて実証的に説明しようとすれば、その情報量の多さによって拒絶されてしまい、「グローバリスト」や「支配」といった言葉で簡潔に伝えようとすると陰謀論と拒否されるというものです。

また、同じ言葉の繰り返しによる拒絶または麻痺反応を示すという状況、意味飽和」(Semantic satiation)が続き、2つのグループの理解の断絶を促進しているようにも見えます。問題の深刻さに気づいた人々が警告を発する際に、「ディープステートが!」「ジェノサイドだ!」「奴隷制度だ!」といった表現が、誤った呼称でも誇張でもないとしても、相手にとっては過激に聞こえるからでしょう。

エリートの歴史

さて、アタオカ(頭がおかしい人)扱いされるリスクを覚悟したとしても、「第二次世界大戦が起こったのはなぜか」という理由を簡単に説明するのが難しいように、このことを一言で説明するのはほとんど不可能にも思えます。

無理を承知で一言にするなら、現在も継続中の「階級闘争」であり、10文字以内では「エリートの暴走」(彼らの頭の中ではクーデター)、一文で表現するなら、「新マルサス主義を背景にグローバリストが中央集権的な支配強化を目論んだ人類史上最大の詐欺事件(権力闘争)」と言うでしょう(笑)。実際は、笑い事ではないのですが。。

歴史を振り返ることは常に有用です。というよりも、そこから始めなければ今回の事件について全体像を見ることは不可能でしょう。そして、それは権力、そしてエリートの理解から始まるのかもしれません。

社会的なヒエラルキーと穀物の蓄財を可能にした農耕との間には密接な関係があり、権力とエリートの始まりも、農耕社会が始まってからの古代文明まで遡ることができます。古代エジプト、メソポタミア、インダス文明、中国、ギリシャ、ローマなど、初期の文明においては、支配階級や貴族がエリートの役割を果たしていました。中世ヨーロッパにおいては、貴族や封建領主が土地とともに人々を支配し、また、教会の高位聖職者もエリートとしての地位を有していました。

 

ルネサンスと啓蒙時代には、知識と教養を重んじる価値観が高まり、学者や哲学者、芸術家などが新たな形のエリートとして登場しました。このように、歴史的に、権力者が支配力を高め、富を蓄積するための仕組みを作ってきたということは、多くの歴史学者によって記録されています。

明確にエリートという概念が定義されたのは近代に入ってからです。そして、産業革命以降、資本主義、民主主義の台頭により、支配は権利ではなく同意によるものとなり、少数の力ではなく多数の意思に基づくものとなりました。少なくとも表向きはです。

一方、社会的分化(分業化)は、一極集中したエリートによる権力の強化を阻害し、企業エリート、国家エリート、国際エリートなど複数のエリートや様々なエリートの成長をもたらしました。

寡頭制の鉄則

エリート研究で有名なアメリカの社会学者C. ライト・ミルズは、アメリカの権力構造は3つのレベルで特徴付けられると主張しました。

  • 企業、軍、経営幹部からなるパワーエリート、
  • 労働者、地域・地方エリート、議会議員、その他の組織集団からなる中間層
  • 無組織大衆

軍事、国家、産業が三位一体となった権力は一種の上流階級カーストであり、構成員は、出自、立場上の利害、相互依存を共有しているため、権力を強固なものにするために行動しました。アメリカにおいては例外主義という長い伝統の上に立って、エリートの問題はより深刻になっていったと報告しています。[R]

ほとんどの研究がエリートの密度が非常に高いことを明らかにしており、なぜエリートはそれほど強固な集団に見えるのかと疑問に思うかもしれない。それは、「弱い絆」のテーゼが間違っているのではなく、エリートは他の集団とは異なる社会的プロセスによって支配されているのではないかということである。

The Sociology of Elites』

現代ではグローバリゼーションの元に、多国籍企業、国際組織、金融市場などが形成され、エリートが多様化しただけではなく、国家を超越した「グローバルエリート」の存在が明確になりました。2000年代以降、デジタル経済の台頭と財政資本の集中により、エリートの中のさらに一部のエリートが極端な影響力をもつようになったことも広く社会学者、政治学者、国際関係学者に受け入れられています。

「GIANTS」グローバル・パワーエリート
Giants: The Global Power Elite 我々は皆、「彼ら」が世界を、あるいはその大部分を動かしていることを知っている。そして、彼らの唯一の目的が自分たちをさらに豊かにすることであることも、この強迫的な事業が、貧困を広げ、終わりなき戦争を引き起こし、地球を末永

非常に簡単に言ってしまえば、このような(パワーエリートと呼ばれる)エリートの支配プロセスが、パンデミックにおいてクライマックスに達したというのが、私が見ている世界です。

近代になってからのエリートは、科学技術(デジタル技術)、資本主義、グローバリゼーションという変質要因によって権力構造を比類のない代物に変化させているのですが、不思議と?こういったことは大衆に知られる機会がほとんどありません。(私自身もその一人でした、、)

社会構造が複雑化し、エリートの定義が多様化したことが要因と考えられていますが、民主主義社会、平等社会の台頭から、エリート集団による支配という考え方が批判されるようになったこととも関係しているようです。

エリートの社会学

さて、現代のエリートの権力構造とはどのようなものでしょうか。それはすでに単一の支配者が存在するという陰謀論的イメージに反して、中心的なグローバル企業、シンクタンク、国際金融機関といった多国籍資本家階級の相互作用によってもたらされる無定形の集団モデルに近いのでしょう(コアとなるメンバーがいるとしても)。

エリートは全能であるどころか、歴史的な力としての一貫性を欠くほど散在していると考えられている。彼らの不可視性は、秘密の不可視性ではなく、多数の不可視性である。それは、平坦で瞬間的な「状況」ではなく、段階的で耐久性のある構造なのだ。そして、その頂点に立つ者が全能ではないとしても、無力でもない。

『パワー・エリート』

検閲産業複合体

グローバルパワーエリートの公共政策への影響力が大衆のそれを凌駕することは、社会学、国際政治経済学、世界システム理論の研究者によって記録され、偏った多元主義として論文で実証されています。

さらに、民主主義の基盤を破壊するほどの統率された弾圧や巧妙な検閲が可能である「検閲産業複合体」の存在がパンデミックでは明らかになりました。どの組織が関わり、どのような指示系統で、どのような目的の元に行われたのか、当然疑問としてでてきます。これがトップダウンではなく、様々な権力組織が協力関係にあるとしたら、明らかに異なる目標をもつ様々な権力組織が、なぜ、利害をこれほどまでに一致させることができたのかという異なる疑問が生じます。

上の図を作成したジャーナリストのマット・タイブビは、「連邦政府の兵器化」議会公聴会で証言した日に奇妙な訪問を受けた。訪問者は国税庁からだった。

陰謀論的な単一の支配者を想定しないのであれば、何らかの共通する(または類似する)イデオロギー、そしてそれらを結びつける権力のネットワークがあると想像することは不合理な推論ではないでしょう。権力組織、エリート同士の力学関係は、熱帯雨林の生態系でも見ているかのうような複雑なものですが、最終的には、事実上、エリートの社会学と呼ばれるものによって、私たちの生活がすでに支配的な状況に置かれていることに気づくことになります。

現代エリートに関して多くの解説や良書がありますが、ここで公開して紹介できるもの(著者がオープンにしているため)としては、イアン・デイビスが公開している「新世界秩序」についての記事があります。20世紀以降のグローバルエリート関する流れを実証的に紹介しており、私たちが知らされている歴史が、必ずしもそうではないことを説得的に論じています。

新世界秩序 イアン・デイヴィス
注:原著の引用リンクは含まれていません。 第1章 「新世界秩序」の簡単な歴史 「新世界秩序」(NWO)という言葉を口にすると、人々は感覚を失ったかのような顔をする傾向がある。なぜなら、いわゆるエリート・グローバリスト(正確にはパラサイト・クラスと呼ばれる)の隠れたカルテルが世界経

認知されにくいエリートの権力

しかし、この権力構造がもつと考えられている社会的影響力、政治的影響力、行政や司法への影響力、軍事、メディアなどについて学んでいくと、大衆への誤解が生じやすい要因が少なくとも2つか3つあることに気づきます。

ひとつは、まず一般人と社会学者の間でまず権力構造に対する認識の大きなギャップがあることです。実際、民主主義体制において、(自由や権利が名目上保障されていることから)、権力の働きが目に見えにくい形で存在していることは、政治学や社会学の議論の中でしばしば指摘されており、大衆にとって権力とうものの現実感がないという問題がCOVID-19パンデミックの前からありました。

さらに踏み込んでいくと、後で詳しく述べますが、権力構造の研究が多岐にわたるため、これらの分野もサイロ化しており、一般の社会学者や政治学者から強く認識されていない権力の影響力を示す領域があることです。このことへ研究者に対する弾圧やプロパガンダ、つまり専門家が理解していながら見知らぬふりをするという問題も加わり、一般の人への理解への道筋は何重にも混沌としたものなっています。

ここまでを簡単にまとめると、現実にはグローバルエリートの政治的計画を示す確たる証拠が数多く観察されているにもかかわらず、歴史認識のギャップ、民主主義の構造的問題、権力構造に関する研究の限界、そして検閲産業複合体の存在により、この問題を一般の人々に伝えることがひどく難しくなっています。

パンデミックとは何だったのか

さて、パンデミックで起こった一連の出来事、そして3年経過した今でも続いていることをエリートと関連付けて理解するにはどうすれば良いのでしょうか。

冒頭で、「エリートの暴走」と述べましたが、グローバルな権力組織や個人が関わっていることは証拠からすでに明確です。様々な組織が、お金、資源、支配の維持、地政学的利益、といった権益を求めて動いているといったことも、特に驚くような意見ではないでしょう。

おそらく、理解が最も難しいパートが、エリート思想やエリート支配と関連する「思想・イデオロギー・社会理論」の領域です。簡単な見取り図として、短い解説を加えてみました。

  1. 政治的科学主義
    1. 官僚主義:公的機関や組織が厳格な階層制度、規則、手続きに基づいて運営されるシステム。予測可能性と強い実証性に基づいて行動し、しばしば保守的であり新しいアイデアや革新的なアプローチを採用することに消極的。WHO、NIH、FDAなどの公衆衛生機関において見られるように、腐敗と利権主義の温床となりやすい。イベルメクチン、ビタミンDが採用されなかった理由の一部はこれらの欠陥によって説明できる。
    2. テクノクラシー:専門家や技術者による統治を提唱するシステム。大規模な機械システムの制御は、WEFを始めとするごく少数のエリートに委ねられ、技術の向上により大衆をコントロールできるようになる。[R]
  2. 社会ダーウィニズム:自然選択と「適者生存」の概念を社会に適用し、強者の生存と優位を正当化する思想。競争と自然な階層を強調する。強い者の生存を正当化することで、ゲイツやソロスなど社会的、経済的エリートによる支配を擁護する根拠として利用されることがある。
  3. ヘゲモニー
  4. 思弁的実在論・新しい唯物論:ポスト構造主義的な言語中心主義を批判し、人間の認識から独立した実在の探求を目指すもの。
  5. ポストモダニズム:感染状況をめぐるデータの恣意的な解釈や、ワクチンの効果をめぐる言説は、客観的な真理の不在を示すものだったと言えるでしょう。また、パンデミック下で顕在化した社会的な分断は、ポストモダニズムが指摘してきた差異の政治の帰結であるという見方があります。エリートによるパンデミック対策が、しばしば権力の行使として批判されたのも、ポストモダニズム的な権力論の文脈で理解することができます。こうしたポストモダニズム的な相対主義が、科学的な知見の軽視につながったことも事実です。
  6. メタモダニズム:ポストモダニズム的なアイロニーを超えて、真摯さや感情性を取り戻そうとする芸術的・文化的な動向。[R]
  7. 黄金の10億:1970年代初頭に登場した新マルサス原理主義的な新自由主義概念。すべての人に十分な資源はない。したがって、世界的な生産と市場システムを再構築し、この世界市場のために個々の国の天然資源の開放を保証する世界政府を形成する必要があるというコンセプト。そして地球全体の資源は、20の先進国(10億人)が自由に使えるようになる。自由貿易の「黄金の三角形」が形成される:アメリカ-西ヨーロッパ-日本、そしてそれ以外の国、地球の貧しい人口は、資源の消費が増加しないような状況に置かれる。さらに、貧困人口の急激な増加に対する大衆心理から、貧困人口を制限するだけでなく、減少させるという考えも生まれた。[R]
  8. ニーチェの超人思想:フリードリヒ・ニーチェによる哲学的概念。ニーチェの「力への意志」は、権力を追求することが人間の基本的な動機の一つであるという考え方を提供した。ナチス・ドイツが、ニーチェの概念を自己のイデオロギーの正当化に用いたことは有名な話。ナチスの子孫は、現在もなお影響力を持ち続けている。[R]。ニーチェは「人間は克服されるべきものだ」と宣言した。彼はテクノロジーに役割を見いだしたわけではないが、彼の大胆な言葉は、現代のトランスヒューマニストたちにインスピレーションを与えている。(More 2013)
  9. 寡頭政治(オリガルヒー):少数の支配者(しばしば富裕層や特権階級)によって支配される政治システム。権力が限られた人々に集中する。エリート層の支配が明確に表れる政治形態。
  10. 縁故資本主義
  11. マルサス主義:トーマス・マルサスの人口理論。人口増加が資源を上回ると社会問題が生じるとし、人口制御の重要性を強調する。人口抑制を目的としたワクチン接種の疑いが指摘されている。[R][R]
    1. 新マルサス主義:人口増加による食料不足だけではなく資源消費と枯渇の影響の視点も加わる。人口の増加を抑制するために、産児制限、避妊などの対策を積極的に推奨する言説。進歩的なイデオロギーや政策とつながり、マーガレット・サンガーらによって世界的に普及。
    2. 環境新マルサス主義:ポール・エーリックの『人口爆弾』出版によって、資源の枯渇、環境汚染などと関連付けられれ広く普及。過激な環境保護主義者として、植民地主義、資本主義、貧弱な政府、地域の搾取といった原因を軽視し、単純な人口要因に還元し貧困者に原因があるとした。新マルサス主義の発展形であるこのイデオロギーは、ローマクラブ、WEF、ゲイツ、環境保護グループへと受け継がれる[R]。環境保護・新マルサス主義的言説の根底には、人間嫌い、人権の軽視、管理主義があり、グレートリセットのアジェンダ、SDGs、「持続可能な開発」はこのような倫理に根ざしている。[R][R]
  12. 優生学:遺伝的「優位性」を追求する考え方は、過去にエリート主義や人種差別的な政策と結びついていた。システムにとって無用となる大衆は、負の優生学(人口削減)によって絶滅させる対象となるかもしれない[R][R]。新優生学(Neo-eugenics)は、現代の遺伝学と生殖技術の進歩を背景に発展した、優生学の現代的な形態。認知強化によって、例えばIQ200を超える社会集団が生まれれば、認知強化を行わない人々との間に深刻な社会的不平等が生じるだろう。
  13. 加速主義(e/acc):技術的、社会的変化の加速を支持し、これによって根本的な社会的変革を促進する思想。WHO、WEF、ラリーフィンク、グローバリストのシンクタンクとそれを形成する人々の戦略計画には加速主義が浸透しており、人口統制のための破壊的な戦術として利用されている[R]。一部の加速主義者は、AIが人間の限界を超える進化をもたらし、人類の問題を解決するため、人類の代替や絶滅を支持している。
  14. 人類存亡リスクとビッグブラザー:人類存亡リスクに対するニック・ボストロムの解決策が、一つの世界全体主義政府を作ることにある。一方、イーロン・マスクが提案する解決策は、「全脳インターフェース」を作ることである。
  15. サイバネティックス(制御理論):サイバネティックスの父として知られるノルベルト・ウィーナーは、私たちの社会が巨大な時計仕掛けのように制御され、あらゆる企業や個人の活動が、社会を最適な方法で運営するための巨大な計画によって調整されることを想像していた[R]。サイバネティックスはシステムと情報のコントロールを通じて、技術的エリートが影響力を行使する方法として見ることができる[R]。ビッグデータとAIを組み合わせることで、経済の管理、市場の形成、生産チェーンの最適化、資源供給のコントロールなど、多くのことが可能になるという。それは時に「テクノユーティリティズム」とも呼ばれる概念で、従来の意思決定システムに取って代わるかもしれない。[R]
  16. データ主義
  17. シミュラークル
  18. ポストマルクス:
    1. CTマルクス:
    2. 文化的マルクス主義
  19. TESCREAL:トランスヒューマニズム、エクストロピアニズム、シンギュラリティ主義、宇宙主義、合理主義、効果的利他主義、長期主義の頭文字を組み合わせた言葉。これらの思想グループはシリコンバレーを支配している。彼らに共通するのは未来志向であり、未来の人口、AI、文明の利益を最大化させることに焦点が当たっており、トレードオフから現在生きている人類に対する倫理や価値観を軽視する傾向にある。中には生物学的な基盤をもつ人間を否定的に見るポストヒューマン志向のグループや、極端な功利主義的視点から、現在の人類の価値を著しく低く見積もるグループも存在する。[R]
    1. ポストヒューマニズム:人間中心主義を批判し、人間と非人間(動物、機械、環境)の関係を再考する思想。技術との統合や多様な主体性を探求し、倫理とアイデンティティの新たな視点を提供する。
    2. 長期主義:自分たちの行動が数十億年先、数兆年先というはるかな未来の人類の生活を改善することが私たちの道義的責任であるという主張。そして今後100年、1000年にわたる影響でさえ単純に無視するという考えが含まれる。何よりも生き残ることを優先させることからディストピア的な主張が正当化される。例えば、文明を壊滅させるためのテロ攻撃を防ぐために犯罪を犯していない人々を予防的に取締まることや、グローバルで侵襲的な監視システムを真剣に検討すべきだと、長期主義者のニック・ボストロムは主張している。[R]。全体功利主義、宇宙拡大主義、トランスヒューマニズムとも密接なつながりがある。
    3. トランスヒューマニズム:人間の生物学的限界を超える技術的ユートピアを目指す思想。マルサス的な人口抑制が資源効率の高いトランスヒューマニズムによって補完されるべきであるという考え方と、種の意識的な進化はトランスヒューマニズムによって達成されるという優生学的な考え方を包摂している[R]。現在、トランスヒューマニズムが中心的な指導的役割を果たすシュワブの『第4次産業革命』が、グローバル企業の政策と政治統治を形成している[R]。遺伝子操作、認知能力の強化、不老不死技術は、一度実行されると、最終的に人間の感情や、何が「自然」で「人間らしい」かについてのアイデンティティや尊厳を破壊する可能性が高い。
    4. 功利主義:「最大多数の最大幸福」を目指す倫理理論。行為の結果がもたらす幸福や快楽を最大化することを最も重要な目標とする。対置する義務論(生命倫理)は無視され、ワクチン接種による(偽の)防御と被害を単純な損得勘定で肯定されてしまった。
      功利主義の徹底は、長期主義的な考え方を肯定的に見ることにつながる。データ主義、反炭素主義が組み合わさると、デジタルシミュレーションで暮らす無数のマインドアップロードやAIロボットを幸福にすることの費用対効果の高さから、彼らを優先する倫理に帰結する。

彼らの正体や動機を表す際に「権力と支配」という表現がよく使われており、この記事でも多用しています。中心的な言葉として間違っていないでしょうし、人々が理解するために、または運動論としても必要な言葉ですが、その背景を観察すると、より複雑なピクチャーが見えてきます。誤解を恐れずに言えば権力や支配関係がイデオロギーに基づいた目的を追求するための目的となっているエリートらがいることも確かです。この言葉を最初に使いすぎると、多彩なエリートの問題意識や複雑な構造的理解を掴みそこねてしまう危険性もあります。

また、ますます迷宮に入り込みそうですが、イデオロギーだけではなく、合成生物学、デジタル検閲とプロパガンダ、CBDC、ビッグナッジング、身体のインターネット(IoB)、拡張現実(AR)、仮想現実(VR)、複合現実(MR)..といった「科学技術」「ビッグデジタル」の課題があります。これらは、特にシュワブの提唱する第4次産業革命(4-IR)の文脈において、全体主義的な監視社会つまり、支配を強化するツールとしての役割を果たすことから、それぞれの専門分野をある程度理解して警戒していく必要があります。 ( ´Д`)=3

人間と社会に対するデジタルの脅威
Digital Threats to Humans and Society 2022年6月29日 私たちは、デジタル技術が(健康や持続可能性に関連する問題を含む)世界的な大問題の解決に大きく貢献する可能性を秘めていることを認める。また、イノベーションと新たな経済セクターを促進する

つまり、この問題を掘り下げていくと、エリートという用語は広範囲にわたるグループを指し、彼らの目的や動機は多岐にわたり、経済的エリート、政治的エリート、知的エリートなど、異なる形態のエリートが原則的には異なる目的で行動しており、私達庶民が暮らす世界とは異なる価値観、社会構造や力学が存在することが見通せます。

エリートがパンデミックにおいて具体的にどのような犯罪を犯したのかについては、サイト全体を通じて紹介していますが、まだすべてのパズルのピースは揃っていないのが現状であるため、エリア特化的な陰謀的発想が生じる下地があるとも言えます。

代替説明

多くの代替的説明があることも承知しています。例えば、ある時代状況における集団心理現象(大衆形成)として理解する方法、医療と製薬会社の腐敗、もしくは、政府機関のバイオテロへの対応の失敗などといったように。

博士号をもつ生物学者であれば誰でも自宅の倉庫で生物兵器を合成できる時代に私達はいます。バイオテロの驚異は確かに妥当な懸念であり、実際に製薬会社を含めた政府組織が犯罪的行為を実行する正当化の根拠として使われたことは間違いないでしょう[R]。問題はそれさえも詐欺だったのか?その先にさらなる陰謀があったのか?(二重の陰謀)、もしくは異なる複数の目的、意図的なものと自然発生的なものが混じり合い大きく影響していたのか?

複雑性バイアス

このように、分野ごとに観察していけば、100の業界ごとの100の説明が成り立つかもしれません。パンデミックに関連する学問領域も多岐にわたり、それぞれが要因を説明する研究を提供しています。これらの説明は排他的ではなく、複数の要因が互いに関連しあっている可能性があります。個人的にはこのような複雑で構造的な説明方法を好みます。

しかし、複雑な説明方法は現実のニュアンスを描写するには適しているかもしれませんが、直近の問題解決に際しては必ずしも最適解ではありません。何日も徹夜して疲労困憊した人に対し、栄養不足や運動不足を事細かく指摘するよりも、まず必要なのは休息であり、「早く寝ろ」という言葉です。

誰もが騙される

集団心理

集団心理は補助的な要因としては大きなものとして考えられますが、集団心理から覚めるだけで問題が大きく解決するというのはあまりにもナイーブな考えです。もしこの問題がより意図的に引き起こされたのだと仮定できるのであれば、人々が目を覚ましても、操る側は新たな手法を開発し、コントロールを続けるだけからです。

また、賢くなれば騙されないという考え方は大きな誤解で、「賢さ」は騙されやすさと関係ないことが、多くの金融詐欺や欺瞞に関する心理学研究で示されています。高度に訓練を受けた医療の専門家が不正確な情報や研究結果に騙されることは、パンデミックで多くの人に知られるようになりましたが、このことは何十年も前から、医療不正に関する論文等で指摘されていたことです。

ウォール街に精通した投資家は、市場初心者と同じように詐欺に引っかかる可能性が高いと金融詐欺の研究者が報告しています。米国史上最大の金融詐欺を働いた、バニー・マドフの詐欺は20年間発見されませんでしたが、一般の投資家のみならず、被害者のリストには金融機関や金融のプロの名前が並んでいました。

バニー・マドフ

有名な例では、トランス脂肪酸を含むマーガリンや加工食品が、天然のバターや動物性脂肪より健康的であると推奨されてきましたが、後の研究でトランス脂肪酸が心臓病のリスクを高めることが明らかになり、食品業界や公衆衛生の指針が変更されました。政府機関、専門家、メディアによって長期間推奨されてきたのもです。20~30年という長い期間、彼らは単に無知だったのでしょうか?それとも騙されていたのでしょうか?

明確に欺く(隠す)意図があった例では、第二次世界大戦中の極秘の原子爆弾開発計画であるマンハッタン計画が思い浮かびます。私が驚いたのは、このプロジェクトに13万人もの関係者(科学者、技術者、労働者、軍人、行政職員)関わる長期計画でありながら、秘密保持が可能だったことです。

現代のような情報社会では、それだけの人数の陰謀を隠し通すことは無理だろうと考える方もいるかもしれません。そして、アメリカ合衆国の元国家安全保障局(NSA)および中央情報局(CIA)の職員であり、大規模な監視プログラムに関する機密情報を公開したことで知られているエドワード・スノーデンを思い浮かぶ人もいるかもしれません。NSAは組織として3万人を民間企業の6万人と合わせて9万人を雇用していました[R]。9万人もの人間が監視プログラムに関わっていながら、世間に知れ渡った告発者がスノーデン彼一人だけだったことは、ある意味、驚きではないでしょうか?この比率は例えば数千人程度が関与する陰謀計画であれば、組織として隠密な行動が可能であることを示唆しています。(ちなみにCIA職員はおよそ2万人、三極委員会は300~350人です)。今日では第二のスノーデンが現れないよう、情報機関が費用のかかる「内部脅威」プログラムに投資するようになり、従業員をスパイするようになったことも付け加えておかなければなりません。

医療も例外ではありません。医療統計学の大御所であるスタンフォード大学のジョン・P・A・ヨアニディス教授が、「生物医学、遺伝学、疫学を含むほとんどの研究分野において、発表された研究結果のほとんどは虚偽である」という主旨の研究論文を2006年に発表し、多くの研究者にショックを与えたことは有名な話です。

これらは現在、私たちが経験している巨大な詐欺事件(人類史上最大と私が呼ぶ)とは比べ物になりませんが、いずれの例も「政府機関」「行政」「司法」「専門家」「メディア」といった一般的に「賢いと考えられている集団組織」が一致して長期間にわたり欺かれること(欺くこと)が十分に可能であることを史実は示しています。

多数派 vs 少数派

結局のところ欺瞞が成功するのは、それが大衆だからでなければ、大衆が愚かだからでもなく、大衆が多数派であるから、つまり、多数派が騙される対象として「標的化される」からでしょう。

特に民主主義社会においては多数派の投票が力をもつため、これは理にかなっています。また、多数派は欺瞞を働きかける効率性、費用対効果とも深く関係しています。テレビメディアは依然として多くの人々に情報を提供する主要な手段であり、特定の情報を選択し、特定の方法でフレーム化させ影響を与えることの一人あたりのコストの低さは驚異的です。メディアの所有権が少数の大企業に集中していながら、これほどのプロパガンダに最適なツールがその目的に利用されていないとしたら驚きです。

この目に見えない社会の仕組みを操る者たちが、目に見えない政府を構成しているのだ。われわれは支配され、われわれの心は形成され、われわれの好みは形成され、われわれの考えは提案される。これは、民主主義社会が組織化された論理的な結果である。円滑に機能する社会として共に生きていくためには、膨大な数の人間がこのように協力しなければならない

– エドワード・バーネイズ『プロパガンダ』

または大衆の欺瞞を見抜く能力に多様性がない、情報を得る方法や考え方がパターン化している)、といった理由もあるのかもしれません。多数派の平均的なプロファイルや知能に応じて欺瞞の戦略が作られているため、大衆が今より賢く、自分で物を考えるようになったとしても、最終的には欺瞞戦略はそれに適応し機能するでしょう。

今回の多数派は「大衆」だけではないことが特徴的です。コビッドパンデミックで名だたる多数派の「専門家」が騙された(一部の専門家は騙した)ことも、そのことを証拠づけています。これだけ賢くなれば騙されないという閾値の存在は、詐欺や欺瞞に関する研究からは支持されていません。[R][R]。

欺瞞の境界線問題

興味深いことですが、ヒトや動物の社会では、少なからずある程度の「欺瞞」があることによって機能するように形作られています。[R]「欺瞞」と「真実」には、ある種の共生関係(軍拡競争)があります。[R][R][R][R]。これは欺瞞が倫理的に許されることを意味するものではありません。しかし、人、文化、時代によって許される欺瞞とそうでない欺瞞の境界線は必ずしもはっきりとしたものではありません。

選挙公約の不履行は許されない欺瞞ですが、一部の政治家は許されると内心では考えています。スキャンダルや不祥事も許されないと考える選挙民もいれば、ある程度は許容されると考える有権者も存在します。

時として、私の目から真実追求運動が失敗してしまっていると見える背景には、欺瞞を受け入れている側が欺瞞にまったく気づいていないわけではなく、欺瞞を社会的に許容される範囲のものとして判断してしまっていることにあり、許されないと考える有権者が「真実」を掲げて欺瞞を追求するためではないかと思うこともあります。あの政治家が~という嘘をついた!という主張があったとしても、その政治家を支持する有権者からは「まあそうだが、方便なのだろう」と思われることを見越して欺瞞的政治行為を行っているというものです。

さらに、これが繰り返されると、本来なら許されない欺瞞も機能してしまうという現象が起こっているのかもしれません。欺瞞の境界線は、人によって受け取り方が異なることもしばしばで、サポーターや当事者ほどその境界線は身内に甘いものとなり、「汚い手」として合理的に解釈しようとします。このような境界線は時間の経過によってますます許されるようになり、絶対権力は絶対に腐敗すると言われるように、欺瞞がある種の必要悪として滑りやすい坂を転がっていくのかもしれません。

しかし、そのようにして欺瞞が真実を超えて増大した状態が続けば、生物であれ社会であれエコシステムのバランスは崩れます。しかし、人間文化の可塑性は非常に高いため欺瞞の種類によっては、それが常体化する可能性もあります。人工甘味料、加工食品、デジタルコミュニケーション、二次元のアイドル、結婚指輪のダイヤモンドといったように。

真実はそれほど強くない

この点において私はマローン博士と意見を異にするかもしれませんが、「平和」が人の社会に適応的(自然状態)ではないように、「真実」もまた適応的ではありません(そして自由も)。ライオンのように、ただ真実を野に解き放てば欺瞞を駆逐してくれるとは限りません。捕食者を欺くための欺瞞の戦略は多岐にわたり、実際のライオンも準絶滅の危機に瀕しています。。

同時に賢くなる努力をすることはもちろん重要ですが、人々が今より賢くなり合理的に判断をできるようになったとしても「欺瞞」というものが駆逐され社会が正常化するとは思えません。長期的には、単に賢くなろうとするのだけではなく、賢さに必ずしも依存しない戦略的なスキームが求められます。このことについては後半でもう少し詳しく述べたいと思います。

対症療法的説明

医療や製薬会社の腐敗を解決したとしても、その背後にある権力や支配の意図は変わらず、他の方法で問題が再燃する可能性があります。つまり、非常に大きなピクチャーの元では、医療という巨大な問題でさえ解決されたとしても対症療法に過ぎないという視点がありうるのです。

この可能性への気づきは、認知症ブログを運営する立場としてもいささかショックを受けるものでした。今の認知症治療(慢性疾患・精神疾患も含め)がなぜこれほど進展しないのか、複雑な疾患メカニズムの問題もありますが、製薬企業の腐敗、官僚主義的な医療制度、還元論・実証主義的な考え方(金、中央集権システム、イデオロギー)この3つが主要な原因であると考えていたところへ、4つ目の想像すらしなかった医療が機能しないことにインセンティブの生じる歴史的要因(マルサス主義)が突如として候補に加わったからです。

結論として、エリートとその代理人の計画的犯罪は、広範な視点から見た現象を説明できる可能性があり、問題の本質的な解決には権力構造からの説明が必要である、という提案をしています。これは権力構造が唯一の真実だという主張なのではなく、緊急性のある問題に対して実践的な真実が必要であるという意味合いをもつものです。

理解を阻む要因

理解を妨げる感情バイアス

政治的計画という理解の最大の障壁は、「そんな無茶苦茶なことをするのだろうか」という感情的な障壁かもしれません。平たく言えば、市民は日常的な人間関係において、小さな嘘を見抜く能力を発達させており、大きな嘘(Große Lüge)を見抜くことは苦手です。

心の理論:理論説

ナチス・ドイツがその盲点をプロパガンダの戦略として利用したことは有名な話です。物事や他者の心を理解するとき、人々は情報をそのまま受け入れるだけでなく、一般的な知識や偏見のレンズを通してそれを捉えるため、枠組みに合わない非人道的な行動は認識しづらいことが知られています(心の理論:理論説)。

たとえば、オウム真理教の危険性が事件が明るみに出るまで長期間認識されなかった一因は、それが「殺人集団」ではなく、「人々を救う宗教」という枠組みで認知されていたためです。

心の理論:シミュレーション説

さらに、人々が他者を感情的に理解しようとするとき、彼らは自分をその人の立場に置いてみることをシミュレーションします(心の理論:シミュレーション説)。そして、サイコパスや、性的虐待者のように道徳が極端に欠如している個人をシミュレーションすることは、平均的な善良な人にとって困難であり、そのような行動の可能性を常識から照らし合わせてありえないと却下することにつながります。

有名人のスキャンダルに対する一般の人々の衝撃は、「あの人がそんなことをするなんて信じられない」という反応が非常に一般的であり、これを裏付ける例は数多く存在します。最近の例では、ジャニー喜多川にまつわる騒動が挙げられるでしょう。

この「心の理論」は欺瞞を見抜こうとする対象物が、過度に人物に当てられてしまい、システムやアルゴリズム、または組織が有機的に振る舞う欺瞞を見逃してしまう問題も示しています。

世界一難しい社会学?

さて、この議論の基礎として、権力の力学を真に理解している人間が地球上に存在するのだろうか?と探求する上で個人的に感じた疑問についても少し触れておきたいと思います。

この権力と支配に関わる研究分野について、漠然と最初に調べてみようとしたところ、政治学、国際関係、経済学、歴史、社会学、心理学、法律、地政学、文化研究、軍事科学、環境科学、倫理学、情報科学… 非常に多くの学問領域が関連していることにまず気が付きました。

権力構造、その動態、権力を行使するメカニズム、権力関係の影響といったテーマは複雑であり、継続的に発展し続ける概念です。そのため、医療の専門家が全ての医学の分野に精通するのが不可能なように、権力のあらゆる側面に通じた専門家というものが存在しません。

加えて、権力に関する理論や理解は、新たな社会的、経済的、技術的な発展によって常に進化しているため、研究者は最新の知見を追い続ける必要があります。最新の情報は教科書に書かれていないという点は、どの分野でも共通する話だと思いますが、権力に関しては特にその傾向が強いと言えます。。

権力構造の研究は、自然科学のような実証科学でもなく(明確な尺度が存在しない)、入手可能なデータも不完全で、権力がどのように行使されているかを観察することもしばしば困難であり、専門家であっても主観性や選択バイアスなどが必然的に入り込むという、この分野特有の課題があります。権力に限りませんが主観性が入り込みやすい学問の領域では、一定レベルのインテリジェンスを満たすエリート層が、権力の乱用についての主張を目にしても、主観的な誤差の範囲内として見なされてしまう逆のバイアスの可能性があります。

独裁国家の中で独裁に関する批判的研究を行うことが難しいように、支配関係が本物であれば、その中で行う研究者・専門家が限られてしまうことにもなり、このことがさらに輪をかけて権力の支配的影響について評価することを難しくしています。

様々な人々が様々な意見を述べているのを見聞きするとき、散在する不完全な情報を拾い集めた結果、「独自理論」を形成したのでは?と思うことも少なくありませんが、ことの性質上主観的視点を完全に避けることはできないのかもしれません。

ちなみに、もう少し複雑なバージョンに、例えばゴシップ記事だけの情報を鵜呑みにしてディープステートに操られている!と主張するような「誤った推論からの正しい結論」(The Fallacy Fallacy)も非常に多く、推論過程を批判することでその結論を間違っている印象を与える手法も一般化しています。

また私の個人的な印象では、陰謀があることを主張する人の半数で、真実だけではなく微妙な誤謬や、断定的で強すぎる推論(間違っているとは限らない)も含まれています。このように、高度に混乱を誘発する環境があるため、一般の人々だけではなく、知的レベルの高い人であっても蓋然性のある事実を見極めることは、見かけ以上に難しいものとなっています。

ノーム・チョムスキー

権力構造に関する第一人者として知られるノーム・チョムスキーの著作を読むと、彼の提供するフレームワークでさえ、現在目にしている権力構造を理解するには明らかに不十分であることに気がつきます!例えば、デジタルプラットフォーム、検閲産業複合体、ネオマルサス思想、国際金融資本、国際機関、情報機関…についての言及は、現在示されている多大な犯罪的証拠と比べた際、過小評価していると強く感じるのは私だけではないようです。[R]

ちなみに、「プロパガンダ」を解明したチョムスキー自身が「コビッドワクチンを接種」し、かつ「ワクチンの非接種者を非難する」、つまり、(意図的でないと信じるなら)彼自身がプロパガンダの餌食になったことも、この問題がいかに根深く理解の難しい問題であるかを強く示す事件でした。

COVID-19ワクチンを摂取した賢い人々

他にも、(公表されている事実が本当であれば)COVID-19ワクチンを接種した著名人で、権力と深く関わり、機密的な情報へのアクセスに特権をもっていることが予想され、高いIQ、問題解決能力、学習能力、洞察力などが顕著に高いと見なされている人物のリストは錚々たるものです。

イーロン・マスク、アンゲラ・メルケル(ドイツの元首相)、サンディール・ジャー(グーグルCEO)、クリスティーナ・ラガーデ(欧州中央銀行の総裁)、スティーブン・ピンカー(応用心理学者)、ユヴァル・ノア・ハラリ(歴史学者)、ナシム・ニコラス・タレブ(リスク、不確実性の研究者)、マイケル・サンデル(ハーバードの政治哲学者)、ジョーダン・ピーターソン(臨床心理学者)、この賢い接種者リストは、100倍にも1000倍にもすることができるでしょう。あえて名前は出しませんが、日本も例外ではありませんでした。

このことは、「知性とは一体何なのか?」という疑問を投げかけるものです。「彼らは医療の専門家ではないからだ」という声もあるかもしれませんが、そうであれば専門であるはず医師や医療研究者の拒否率は高いはずです。しかし、彼らの接種率は一般と同じか、むしろより高かったというデータもあります。また専門でもなければ科学的データの読み方の訓練を受けたわけでもない多くの一般人がワクチンの危険性を見抜き、拒否してきたことからも、専門性はワクチン接種率の抑制に影響を与えなかったか、むしろ負の影響があったと言えるでしょう。

もしくは、この後で述べるように、私たちは「知性」というものの役割や地位を過大評価しすぎているという気がしてなりません。私たちが世界をどのように認識するか、実質的に上記のような見識があると見なされる人物や、専門家の意見で占められていることを考えると、このことは非常に重要な問題を提起してはいないでしょうか。

「知性」という評価軸の限界

受験勉強ができるタイプの狭い意味での知性をネガティブに捉える言説はよく目にします。しかし、例えばイーロン・マスクを受験勉強型の賢さをもつ人物として言及する人はいませんが、彼のように幅広い意味での知的能力(論理的推論、オープンマインド、流動性知性)が優れていれば、それはほとんど無条件に素晴らしいことで、きっと真相を見抜くことができるはずだという漠然とした直感も、私たちは同様に持っています。

私の意見は、少なくとも今回の「真相の探求」に関して、あるレベルの知的能力を満たすことは重要だが、まったくもって必要十分条件ではないというものです。

推論の感度

与えられた制約的条件の中で、深刻な問題を判断する際、推論の感度を高めることが生存率に関わることがあります。森の中を歩きながら、棒とヘビを見分けようとするところを想像してみてください。棒である可能性が高いにもかかわらず、ヘビに偏った信念を持つことは、進化的に生き残る可能性が高かったと考えることができます。

エラー管理理論(EMT)は、ノイズの多い環境では、意思決定時に情報を偏らせることが最適になりうると予測するものです。例えば、火災が発生していないのに警報を鳴らすのは迷惑ですが、火災が発生しているのに警報を鳴らさないのは致命的です。したがって、完全な感知器がない場合、感知器を高感度に偏らせた方が有利と言えます。[R]

火災警報器が誤って警報を鳴らした際もコストはゼロではなく、心理的に驚く、現場へかけつけるなど一定のコストを支払う必要がありますが、家が一軒全焼する可能性を考えればそれは微々たるものです。このようにコストが高いか低いかは損失との比較によって計られるものです。

このような例は世の中に多く存在します。津波警報が鳴り、住民のほとんどが正常バイアスの元、逃げなかった中、不安障害を抱える女性だけが小高い丘へ向かって走って避難したとします。さらにはその津波警報が間違いであったと、後からわかったとします。結果主義からも、心理学的にも合理的な要素は見当たらないにもかかわらず、彼女の予想と行動を間違っていると決めつけることはできません。

私は 2020年初頭に掲載された、有名出版社の見出しを今でも覚えている。

「反ワクチン陰謀論者は、COVID-19が『ワクチンパスポート』の導入につながると示唆している」

権力(陰謀)の探求に置き換えると、不確実性や情報の不完全性がある中で、権力者や陰謀の存在を過剰に推定する傾向が生じる可能性があります。たとえば、政治的な動きや経済的な変動がある場合、それらが一定のグループや個人による意図的な操作の結果であると見なすことが、何もないと考えるよりも合理的な選択となることがあります。[R]

ただし、このような推測が誤っている場合、社会的な不信やパラノイアを引き起こすリスクがあるのかもしれません。私の見立てでは、地球平説のような、あまりにも不合理と思える仮説は(陰謀論)は除外するとしても、世の中にはすでに多くの不信やパラノイアが広まっていながらも社会は機能しており、合理的な範囲にある仮説が、薬害が野放しにされるリスクや、権力組織が支配するオーウェルのような世界が成立するリスクと比べて、どれほど厳しく糾弾されなければならないのかと強く疑問に思うこともあります。

遡ること90年代後半、デビッド・アイクは、われわれは大衆監視とデジタル通貨によって電子管理グリッドに押し込まれると警告していた。1999年1月、彼は漠然とではあるが、「2000年から2002年にかけて、アメリカは大都市で大規模な攻撃を受けるだろう」と書いている。
ファクトチェック: 真実だ。

9.11の翌日、ツインタワーが自らの足跡の中に崩れ落ちたとき、アレックス・ジョーンズは、それが海外での征服と国内での警察国家の正当化に使われると視聴者に警告した。
ファクトチェック: 事実だ。

『Dark Aeon: Transhumanism and the War Against Humanity Kindle Edition by Joe Allen』

元アメリカ国家安全保障局(NSA)職員であるエドワード・スノーデンは、大規模な監視プログラムの存在を暴露した際、裏切り者、奇人、陰謀論者であると見なされていました。ウィキリークスの創設者であるジュリアン・アサンジは、機密情報の公開を通じて政府や企業の秘密行動を暴露しましたが、法的な追求が行われ、一部からやはりおかしな人物であると見なされました。プロパガンダの標的としてです。プロパガンダと知らずに賛同した多く人々は、「そのとき陰謀論だと考えたことは正しい判断だった」と言うのでしょうか?

コストが、それが仮に事実であった場合のリスクと比較して許容されるのかどうか、一律的に陰謀論を否定する人々によって慎重に精査された形跡は見当たりません。このような先例がありながらです。

陰謀論 進化した機能と心理的メカニズム

陰謀を過剰に認識するコストは、様々な社会的パラメータに依存するため複雑である。一方、定義によれば実際の陰謀は、例えば資源や女性の窃盗、搾取、略奪、殺害、極端な場合は大量虐殺など、人々に危害を加えることを密かに計画する。そのため陰謀を過小評価すると被害者個人や集団に大きな犠牲を強いることになりかねない。

陰謀を過剰または過小に認識することの間のトレードオフを考慮して、特に危険な陰謀が遍在する環境では、エラー管理理論により、誤検出の可能性が高くても陰謀の可能性を疑うという人間の適応的素因が予想される。

つまり、人は、敵対的な陰謀の可能性を素早く計算することによって、連合体の危険性を過剰に認識し、警戒する側に回るのである。 陰謀論は祖先の人類が、頻繁に繰り返される連合体の危険性に特徴づけられる社会世界を航海するために、直接的に適応的であったと仮定している。[R]

しばしばスティーブ・カーシュのような非専門家が専門家を凌いで問題を見つけ出したり、創造的な解決策を提示することに私たちは遭遇してきました。専門家ではない人々はエラーのコストの相対的な低さを直感しており(私もその一人でしょう笑)、積極的に問題にコミットすることができるだけではなく、伝統的な専門知識や既存のパラダイムに縛られず、通常の思考の枠を超えて、異なる視点や新しいアプローチを提供することができる優位性をもっているのかもしれません。(このブログもそうであってほしいと願いつつ)

内輪もめ

また、エラー管理理論(EMT)の妥当性、つまり、ある事象を真実だと考える感度の高さが事象だけではなく、他者に対しても過度に疑心暗鬼を起こしやすいと考えることができるのだとすれば、、内紛が起こりやすいことを説明する理由のひとつになるかもしれません。(内紛を引き起こして分断を謀るエージェント最小限の努力で報われるでしょう)

支配権力を探求する研究者は、様々な偽陽性の穴に落ち込まないよう、推論能力だけではなく高度な論理性と実証性(そして紛争に巻き込まれたり、弱点につけ込まれない誠実性)が要求されるようです。ロバート・F・ケネディ Jr.の大著「アンソニーファウチの正体」ですが、この陰謀論?を解き明かす本が、緻密な調査のもとに、1000を超える文献に基づいて高度に実証的な形式で書かれており、100万部を超えるベストセラーでありながら、日本で取り上げる気配はなく、公式の場で誰一人反論する者が見当たりません。今では、アメリカの次期大統領の有力候補として一番人気を博しているにもかかわらずです!

このことの裏側には、このような特殊な環境があることに気づく人もいるかもしれません。陰謀の独立した研究者であるイアン・デイビスジェームズ・コルベットも、このような実証的な考察を進めていることがよく伝わります。一般人である私たちは、彼らの助けを借りながら、近似解を求めていくのが現実的な落としどころでしょう。

少々余談ですが、「誰が言うのかではなく何を言うかだ」という意見を時々目にしますが、私はこれは誤った二元論だと考えています。誰の発言であるかは、複数の判断材料がある中で一関数として有効なものです。「ジョージおじさんはあそこでワニに食べられた、あそこで泳いではいけない」と誰かが言えば、私はその発言の真偽を確かめるために試行錯誤しようとするよりも、それを言った人間の信頼性で判断するでしょう。

関数にどれだけ重みを与えるかは、文脈、個人の能力や時間的制約が関与するため、人によって異なってくるのは当然で、誰が発言したかという正当性は、発言者のスタンス、受け取り手、時間軸、文脈によって変動するものであるという理解が有用な考え方ではないでしょうか。(ある人の意見を盲目的に信じてしまうことのデメリットと同時に社会的機能性も認めつつ)

合理的選択理論

合理的選択理論は、経済学や政治学、心理学などの分野で用いられる理論で、個人が自己の利益を最大化するために合理的な選択を行うという前提に基づいています。この前提に基づくと、権力者は個人の選択を予測しやすくなり、それに応じて政策や戦略を調整することができると考えられます。

例えば、権力者が経済的インセンティブや制裁を用いて個人の行動を誘導する場合、合理的選択理論に基づくと、人々は自己の利益を最大化するためにこれらのインセンティブに応じる傾向があると予測されます。言い換えれば人々が合理的に行動を取り始めるようになれば、権力者側にとってはコントロールが容易に映るかもしれません。

もし、エドワード・スノーデンが、自己の利益を最大化するという観点から合理的に行動する人物であったら、彼は個人的に多大なリスクを負う告発をしていただろうか?と考えることがあります。私たちは暗にバイアスを批難したり、合理的な行動や判断を人々に求めることがありますが、合理性について、もう一歩下がって考えてみることも時として必要ではないでしょうか?

真相の探求に必要な条件

また、彼らのように、真相を探求する能力の高い人物を観察すると、

  • 学習時間
  • 経済的自由
  • 独立心、反骨精神
  • 利害関係の低さ
  • オープンな対話環境
  • 仲間との連携能力(集合知の形勢)
  • 技術的ツールの利用
  • 倫理的常識
  • 知的謙虚さ
  • 誠実さ
  • 好奇心
  • 持続力
  • 自己効力感
  • 勇気
  • 社会的ヒロイズム
  • 自己の認知的不協和に向き合う能力
  • 仮説検証時の確証バイアス
  • 悲観バイアスと楽観バイアスのバランス
  • 独自のインセンティブ構造を持つ(または自ら設計できる)
  • ある種の狂気..

などなど、純粋な知的能力とは必ずしも言えない気質や環境的条件の高さや満たず数の多さが、解へ近づくことを可能にしているように見えることがあります。

パンデミック・テスト

幸い、何十という偽情報と本当の答えを知った私たちにとって、どの研究者や専門家がいつ、どのような証拠を元に何を語っていたか答え合わせにより、そのパフォーマンスを測定することが残酷なほど容易になっています。パンデミック・テストに合格した識者らは、まさに生きるエビデンスであり、彼らが将来に向けて、どのような警告を発しているのか、その声に耳を傾けることは、生きる知恵でしょう。

紙面がいくらあっても足りないため、ここでは詳細に立ち入りませんが、関心がある方は、資本主義・国際金融資本新世界秩序・多極化CIA・ネオコン・DS・情報機関/米国の犯罪プロパガンダ・全体主義、あたりをアクセスしてみてください。

記事のすべてを丁寧に検証しているわけでもなく、記事の信頼性にはばらつきがあり、憶測的な主張も含むため、初心者が学ぶガイドラインとしては不適切かもしれませんが、関連する情報の貯蔵庫としては日本トップクラスを誇ると思います。

いずれにしても、パンデミックの背後にある問題がワクチン、医療・公衆衛生の領域だけで理解できることでもなければ、それらの解決によって再び惨事を防ぐことができるという合理的な根拠も見当たりません。私たちは目の前で起こっていることの本当の意味を考えていく必要があります。

ポスト・パンデミック

さて、私たちにとって重要なのは、何よりこれからのことであり、「パンデミックは本当に終わったのか?」という問いでもあるでしょう。偶発的に起こったものだとするなら、関係者が誠意をもって対応すれば再発を防ぐことができるはずだと、仮定の上では信じることができるかもしれません。

あらためてパンデミックを振り返ってみると、ロックダウンでは民主的な声は反映されず、mRNAワクチンでは専門知識を盲信し、インフォームドコンセントでは生命倫理が平然と無視され、治療薬ではビタミンDや再利用薬の妨害など企業の利益が優先されました。

これらは意図的失敗(意図者にとっては成功)のごく一部に過ぎません。何十という嘘と失敗は責任をとることもなければ反省されることもなく、それどころか未だ大多数の国民に認識されてさえおらず、(予想通り)国民の選択だったと責任を押しつけ、内輪もめに終始するという無法ぶりです。。

残念ながら、今回のパンデミックは始まりに過ぎないことを示唆する様々な情報証言を、目にしています。一方で、再び起こらないと信じることのできる理由はひとつとして見当たりません。もし、これが支配関係の強化や人口問題と言った、隠されたアジェンダの元に実行されたのであればなおさらです。

技術的リスク

支配的な意図はともかくとしても、今回、最新の技術(mRNA注射)が利用されたことは誰もが認める事実です。ごく近い将来人工汎用知能、遺伝子工学、、神経技術などの技術が、mRNA技術同様に広く普及するだろうと予想されています。同時にこれらの基盤技術は全監視技術、思考犯罪の検出、世論工作行動制御ビッグナッジングトランスヒューマニズムといった支配を容易にする技術を促進していく可能性があるとも専門家から問題提起されています。

また、最高の専門知識と意図がありながらも大惨事の事故を起こしたチャレンジャー号の事故、工学的にしっかりと確立され、よく理解された理論原理に基づいて作られた原子炉であったはずのチェルノブイリ、福島原発の事故は、新しい技術のリスクが悪意や競争圧力を想定しなくとも成立しうることを予期させるものです。生物学のようなより複雑な事象を扱うのであればなおさらではないでしょうか。

ターンキー全体主義

「ターンキー全体主義」という監視社会における学術的議論の中で使われる用語があります。全体主義システムのための監視インフラが私たちの周りに構築されているが、まだスイッチが入っていないというコンセプトです。

現代社会において、監視カメラ、データ収集、通信の傍受、顔認識技術、バイオメトリクス、ビッグデータ分析などの監視技術が広範囲にわたって展開されているという事実があります。これらの技術は、犯罪の防止やテロ対策の目的で使用されるとされていますが、政治的な意志さえあればいつでも非民主的な監視社会が実現可能であるという警告です。

政治的意志はすでにテクノクラシーによって示されています。私たちはこの3年間のパンデミックで十分すぎるほど、その意志を確認しただけではなく、半世紀を超える歴史的資料によって十分に裏付けされています。

これまで巧妙にわからないように進められていたもの(監視資本主義)が、今回は、加速化によって市民にも顕在化してしまったかのようにも見えます。20世紀の初期から中頃にかけて、このような全体主義社会を予測し警鐘を鳴らしたオーウェルとハクスリーですが、まさに彼らの思想がブレンドされた形で実現しつつあるのでしょう。

人工知能によるプロパガンダ

さて、「誰もが騙される」で欺瞞を回避する戦略として一歩賢い少数派に回るというニッチ戦略が有効であると書きましたしかし、残念ながら将来的には少数派に強く依存した戦略は難しくなると予想しています。多数派を対象にしたマスメディアはすでに凋落を迎え、パーソナライズドメディア、ターゲットメディアが主流になろうとしているからです。

すでにパーソナライズドされたビジネス詐欺メールは登場していますが、近い将来、チューリングテストに合格した人工知能(AI)が個別化プロパガンダとして利用されるでしょう。(おそらく試験運用はすでに実行されているでしょう)

スケーラビリティ

規模を想像してみてください。フェイスブックのコメントは毎分51万件、グーグル検索は毎分70万件、ツイッターの投稿は毎日5億ツイートです。プロパガンダ組織が10人、20人の優秀なプロパガンダ要員を投入しても、集団への影響に大きな変化をつけることは難しいと思われます。

例えば、Dappi事件のような大型アカウントでは、それがプロパガンダだとわかった場合に自民党がそうであったように、信用を大きく失うリスクがあります。小規模のアカウントを複数運用するとそのリスクは低減できますが、プロのプロパガンダ要因を雇う費用はスキルによって月額数十万円から数百万円にも及ぶことがあります。

人間の操作による偽アカウントの数には限界があり、これまで大きなコスト面と、SNS利用者の規模によって私たちは守られていました。しかし、AIチャットボットが本格的に運用されるようになれば、運用コストは劇的に下がります。AIプロパガンダはスケールの経済が働くため、一人のプロが数多くのAIチャットボットを運用することが理にかなっています。

私の想像では小規模のグループの反対派を混乱させ分断させるために必要なカオスエージェントは、優秀な人物であれば数人もいれば十分であると感じています。数人のプロが操作する1000台から1万台のAIボットがプロパガンダの学習と最適化を休むことなく繰り返した環境を想像してみてください。。AIボットの計算された協調行動を見抜くのは至難の技でしょう。仮に見抜いたとしても、瞬時にその発見に適応して欺瞞のレベルを引き上げるでしょう。

SNSの崩壊

プラットフォーム側が保護措置をとることができなければ、SNSのエコシステムが崩壊するのは時間の問題です。残念ながら匿名のプラットフォームは一時的にAIボットによって盛り上がるかもしれませんが、いずれ衰退していくと思います。現在私たちが経験している検閲がいかに原始的であったかと、一部の人は古き良き時代として思い知ることになるでしょう。そして、ほとんどの人は騙されていると最初から気づかず現実が操作されていくことになります。

影響は分断や対立、政治的操作、マインドコントロールだけではありません。利害関係の異なるAIチャットボット同士がプロパガンダ合戦を始めれば、偽の現実が作られます。それを多くの人が信じた後に嘘だと知ることで、その他のあらゆるSNS上での交流に対して疑心暗鬼を引き起こし、社会の信頼(ソーシャル・キャピタル)が崩壊してしまう悪魔のシナリオもありえます。

おそらく、未来のSNSではこのようなAIボットを排除するために、リアルかどうかが確認できない完全匿名アカウントの排除を余儀なくされるでしょう。私たちにとっても、リアルのつながりが精神的な意味合いだけではなく、欺瞞に対抗し人間の健全性を保つ上で重要な意味合いを帯びてきます。

権力と倫理に関する不自然な無知

この問題がなぜ人類の行く末を問うものとして社会的に議論されることがないのか、以前は単なる無知だと考えていましたが、様々な歴史的文書に触れた後では、「情報の非対称性」が少なくとも、ある程度作られたものであると確信しています。

隠された歴史や政策があるという主張は、陰謀論的な主張に聞こえるでしょうか?プロパガンダの歴史以外にも、人口問題、通貨発行権、優生学、人体実験、トランスヒューマニズム、資源の支配、同意の製造など積極的に知らされていない歴史的タブー、最近ではウィキリークス、NSAの監視プログラム、気候変動、ウクライナ問題、経済ヒットマン、WHOのIHR改正などがあります。

しかし、ここでの主張は単に公平に報道されていないという主張よりも、もっと強いものです。世間に流布している怪しい陰謀論を一般的に信じない人であっても、単に学校で習わなかったり報道されない闇歴史や政治的な裏話が多少はあるだろうという認識を持つ人も少なくないと思います。

私もそういったタイプの一人でしたが、学術レベルの一次情報に限ったとしても、想像していたよりも語られていない歴史や政治の世界の濃淡の差が強いものでした。特定の歴史、思想、政治的な出来事について、その強さと一貫性から明確な意志が感じられるというものです。そして、これらのタブーは、いずれも「権力・支配構造」「非倫理的活動」と密接に関連していることが特徴的です。

誰が私たちの貨幣を発行することになるかをめぐる戦いは、米国の歴史を通して極めて重要な問題であった。それをめぐって戦争が行われる。それを獲得するために不況が引き起こされる。しかし、第一次世界大戦後、この戦いが新聞や歴史書で言及されることはほとんどなかった。なぜか?第一次世界大戦までに、圧倒的な富を持つマネーチェンジャーが、国の報道のほとんどを掌握していたからだ。

『The Money Masters:How International Bankers Gained Control of America』

私はこの言葉が汚染されすぎているため、使うことを好まないのですが、これはたしかに世間的で言われるところの「陰謀論」という概念に近いものです。しかし、完全に隠されているわけではなく、世界経済フォーラムの活動を見てもわかるように、負の側面は隠しつつ積極的に開示されている部分も多く、必ずしも陰謀の隠された組織的計画という概念に完全に合致するわけではありません。

企業の隠れた不正は陰謀か?

この点において、消費者に対する企業の宣伝活動に例えたほうが受け入れやすい人もいるかもしれません。企業が消費者に購買行動を促進するために製品の質を高め顧客の満足度を高めるというのは理想的かつ倫理的なものですが、一方でよく知られていない方法、誇大広告や隠れたコストの導入、耐久性を意図的に低下させるなどの戦術も数多く存在することが知られています。

他にもステルスマーケティング、ネイティブ広告、人工的希少性、心理的トリガー、計画的陳腐化、データマイニングとターゲティング、文化的圧力、クレジット&ローンといったものがあります。これらは世間的に十分知られているとは言い難いですが、それ以外にもマーケティングの教科書にさえ書かれてない組織による秘密の計画が無いと主張する人がいるとは思えません。これは隠密に行われる集団行動という陰謀のミニマルな定義にあてはまりますが、企業でありえることが、国際政治や公衆衛生の世界ではないと考えることのできる思考回路も私にはよく理解できません。

有名なマジシャンはこう言っている。「もし、あなたに選択肢が与えられたら、あなたは自分が自由に行動したと信じるだろう」これは心理的な秘密の中でも最も暗いものの1つである。

企業が非倫理的な宣伝活動を行っていると消費者に直接伝えることがありえないように、私が権力者だとして「デジタル監視社会を作ろう」「新しい全体主義国家を作ろう」と国民に直接訴えることはありません。代わりに、「完全なキャッシュレス化、デジタル化で何が悪いのか?決済の効率が上がり、時間が短縮される」と良い部分だけを強調するでしょう。もう少し巧妙な方法としては、道具中立主義的な立場を装いながら、利点を強調する一方で、限定的な負の面を比較するという方法もあるでしょう。特に負の側面は、専門家であっても無知と無理解、そして意図的なものが混在しているようであり、大衆が問題を見抜くことは困難かもしれません。

人類最後の階級闘争?

大仰に聞こえてほしくないのですが、この縁故資本主義に根ざしたグローバリズムとの闘争は、市民最後の階級闘争になると予想しています。(異なる集団間の階級闘争は続くでしょう)

パンデミックの異常性を示す証拠を合理的に強く疑える証拠が閾値に届いた時点で(私の考えでは2021年中頃です)、声をあげた日本人医師が1000人に一人にも満たなかったことを思い起こしてください。国内の医師数を34万人の100人に1人でも声をあげていれば、3000人の反対する医師がいたという計算になりますが、明らかにそのような数を観察することはありませんでした。

これは単純なフェルミ推定です。2021年の中頃の時点で、ツイッター上で包括的な証拠を元に遺伝子ワクチンに反対していた日本人医師は一桁か、せいぜい二桁だったと思います。反対の声をあげる医師の全員がツイッターをするわけではありませんが、当時、人々に広く訴えることのできる手段はツイッターぐらいしか存在しなかったとを考えれば、(他のSNSはよりひどい検閲下にあったため)全体の1-2割がツイッターを利用したと見積もることは不当な推定ではないでしょう。

このことから、抵抗の声をあげることのできた医師が1000人に1人以下であったという見積もりになります。これは好意的に見た場合であって、例えば医師が医師生命をかけてより積極的に活動していたかどうかで考えるなら、当時、1万人に1人もいなかったのではないでしょうか。実質的にゼロだったという人もいるかもしれません。

民主主義の顔をした全体主義国家

この異常に低い数字は、現代の医療システムが、異端の声を抑制する仕組みとなっていることは言うまでもありません。しかし、関係者が告発することで職務上の立場を失ったり、資格や雇用を解除されたことも多く報告さていることから、単に自然にこのようなシステムが出来上がっただけではなく、抑圧できるようデザインされていた可能性を考えるべきでしょう。

これから全体主義国家になっていくのではないかと心配する声が最近よく聞こえます。しかし、この1000人に1人以下という数字を素直に受け取るなら、私の目にはすでに全体主義国家はシステムとして実現していたとしか見えません。他のパンデミックと関連する分野の専門家においても反対の声がほとんど聞こえなかったことは、このコントロールの仕組みが、査読システム、科研費、企業融資が関わるその他の科学分野全般でも同様のことが起こっていたのではないでしょうか。

技術がもたらすディストピア

技術の進歩が抵抗者に味方してくれる可能性があるのは、原則的に支配と抵抗のゲームが均衡状態にある環境においてのみです。暗号通貨、エンド・ツー・エンド暗号化、Tor、VPN、ブロックチェーン、マストドン、Nostr等、民衆が手に取ることできる潜在的な武器は多くありますが、実際にそれ利用する人々がどれぐらいいるのか?医師のケースと同様に0.1%前後の数字でしょう。

利用者の少なさに加え、これらのツールは技術的なハードルがあり、社会全体が一眼となって抵抗する上で実効性が乏しいと言わざるを得ません。スケールの問題は重要です。非暴力抵抗戦略の動的モデルにおいては、抵抗者が成功を高めるためには、ある閾値(4%)を満たす必要があるという研究もあります。

おかしいと感じる人が今、一時的に増えていることも、あまり安心材料にはなりません。歴史を見ればわかるように人はすぐに忘れるものであり(サリドマイド薬害、タバコ戦略、ナイラの証言、新優生学、バブル崩壊)、忘却サイクル自体も加速化しています。一世代前に、スマホ、ツイッター、FB、アマゾンは存在せず、スマホ中毒という言葉もなかったことを思い出してください。この傾向が続けば、次か遅くとも次の世代では、抵抗する人々は、権力と技術の相乗効果により(多くの場合、問題を問題と認識しなくなる形で)限りなくゼロに近づいていくでしょう。

「結局のところ、自由の代償は永遠の警戒心なのだ」というハクスリーの言葉の重みを感じた3年間でした。最終的には「自由意志」と「社会契約」を信じ、生き方を選ぶ権利を守るのか、それとも全員が家畜化する社会への移行を許すのかという選択に行き着くと思います。ディズニーランド幸福と引き換えに、人間性を差し出す自動契約であるという言葉が修辞的な表現のように感じられるのであれば、おそらくまだ深刻さを十分に理解されていないのかもしれません。

無知なのか?悪意なのか?

無知が免罪符となるのでしょうか?  私の考えでは、知識階級に属する人々(少なくとも政治や社会について何かを語り関わる)とメディア関係者は、どちらであろうと許される閾値を超えてしまったと思います。彼らは、社会正義とインテリジェントで飯を食っており、加えて様々な社会的名声や特権を享受してます。魂を売って知恵比べで負けたのでは、無知だとしても言い訳ができません。(悪意であるなら、なおさらです)

一般市民においては(私もその1人でしたが)、ほとんどの方が無知だったのでしょう。その無知さ加減をひどく揶揄する方も多いのですが、無知がある程度デザインされたものであり、心理学の専門家によって計画的で高度なプロパガンダが行われた事実を踏まえれば、私的には、同情的であらざるを得ません。私がこのことに早く気づくことができたのは、元々の関心領域(医療問題)に近かったこと、調べる時間があったことなど運の要素が大きかったことは間違いありません。

信じてしまう人の功罪

また、社会学的に見ればこのような、騙されやすいタイプの人々が集団の中に一定割合いることは、集団選択として有利であるからこそ選ばれた結果でもあります。私たちは社会的安定性や結束力、特に日本においては東日本大震災後の海外からの高い評価でも見られるように、高い協調性がもたらす利点を享受してきたはずです。

個人の非合理的な選択は、集団レベルではコモンズの悲劇を回避することに役立つことがあり、信じやすさ(真実デフォルト理論)が効率的なコミュニケーションや社会的強調を可能にします。ここには悩ましいトレードオフが存在します。今回のような変革の時期において、その優位性が仇となるのは悲しいことであり、過去の日本の変革期になぞらえるなら運命的であるとさえ言えるかもしれません。

分断統治

加害に関わった人の道義的責任は逃れらず、直接的な被害者が加害に関与した人々を非難する権利を私は断固として支持します。そして、現在進行系の出来事であるため今の時点でこのことを言うのは早すぎるという意見もあるかもしれません。それでも「庶民の大半が被害者である」と認識する人々の声がもう少し増えてほしいと望んでいます。「目を覚ませ」と呼びかけながら、嘲笑し続けることにも矛盾に感じます。

支配者の思惑通り被害者同士で争いを続けている様は、見ていて、やるせない気持ちになります。ロシアとウクライナハマスとファタハで見られるような遠い世界での分断統治に、冷静に気づく方は少なくありませんが、自分たちのことになると、それが途端に盲目になってしまうのはなんとも皮肉なものです。

欺瞞の軍拡競争

また多くの反対派の方も理解していないように思われる点は、これは欺瞞の進化的ゲームであり、「人々がもっと自分の頭で考えて賢くなれば騙されない」と考えている方もいるようですが、個人レベルではそれが可能でも、集団レベルでは、そう単純には問屋がおろしてはくれません。騙す側もすぐさま適応し、賢く狡猾に進化するからです。

※野生では不完全な擬態や多くの中間戦略が存在し、欺瞞を受ける側がその識別能力をなぜ進化させなかったのかは大変興味深いことです。

欺瞞のゲームは生物だけではなく、人類においても古くからの歴史があり、常に騙す側と騙される側が進化し続けた先に現在があります。欺瞞は日常生活にも密着しており、人間は他者との協力に依存して生きていくため、疑うよりも他者を信じることの側に生物学的・社会的にプログラムされていることも広く研究者から合意が得られています。協力や信頼は私たちの社会を成り立たせる基礎であり、相互信頼に基づく社会的相互作用が進化的に有利であるため、疑うよりも信じる傾向が進化したと考えられています。

21世紀に入って、この課題に技術の指数関数的向上(デジタル技術、情報伝達)という人類がかつて経験したことのない変数が加わり、騙される側よりも騙す側の能力がはるかに高度化していることです。したがって、騙す側が複雑化、洗練化する技術を利用している一方で、騙される側はそれに気づかず、またはそれに対応する準備ができていないという状況があります。

もちろん、騙されて良いと主張しているわけではありません。そうではなく、強く言えば「賢くなろう」「自分の頭で考えよう」といっただけの曖昧な言葉が、標語としては有効なのかもしれませんが、私にはゼロ戦(AI)に立ち向かう竹槍戦法の現代バージョンにしか聞こえないのです。私たちはもっと囲碁を勉強すれば、アルファゼロに勝てると言っているようなものです。スピリチュアルな価値はあるのかもしれませんが、それだけでは長期的には搾取のゲームから原理的に抜け出すことは難しいでしょう。

何をどうすべきなのか

思慮深い献身的な市民の小さなグループが世界を変えられることを決して疑ってはならない。それはまさに起こったことなのだ。

マーガレット・ミード

では何を、どうすべきなのか?短期的にはすでに多くの方が警告を発していますが、ワクチンの拒否、WHOの改正案の拒否といったことでしょう。ここでは、中期~長期的な考え方として、戦略的な考え方を模索してみます。

これは答えではなく、考えるきっかけのためのブレインストーミングを記述したものだと思ってください。大きく2つの重要なポイントがあると考えています。

つながりの強化

私たちが非常に大きなジグソーパズルのピースを与えられたとしよう。何らかの理由で、この巨大なパズルをできるだけ短時間で組み立てることが重要だとする。私たちは当然、多くの助っ人を雇うことでこの作業をスピードアップしようとするだろう。問題は、どのような方法で助っ人を雇うのがベストなのかということである。

-マイケル・ポランニー

1つ目は、外部の支援です。思考実験として、こう考えてみてください。長期的にはAIの知能は青天井ですが、第3次AI冬の時代がやってくるという淡い期待をして、中短期的に市民と人工知能の差は、幼稚園児と賢い大人たち程度の差となり、ある程度その期間が持続すると仮定します。そこで、幼稚園児である私たちは賢い大人(サイコパス)の支配を永続的に受けることになるとして、私たちが、大人の支配から脱却するにはどのような方法・戦略が考えられるでしょうか?

この思考実験が成立するなら、その結果は絶望的なようにも思えますが、、もしそれでも抵抗・生き残りを考えるのであれば、私なら、自分だけで解決策を考えようとせず、味方となりうる優しい大人を見つけ出すこと、そして彼らの知恵がどういうものかを知ることに多くの資源を注ぎ込むでしょう。しかし、時間が経過すれば、その大人が強力な支配者となる可能性もでてくるため、様々なタイプの大人を見つけ出し、社会的なネットワークを構築して、その中で自分がどのような役割を果たせるかを考えます。

また、幼稚園児の中から大人たちと交渉できるリーダーや、代弁者を選出し、政策形成に関わるようにします。いずれにしても、これまでよりも外部との協力関係、互恵関係、支援、利用、結びつきをはるかに高度化させなければ、苦しい戦いになることは自明ではないかと思われます。

多面的戦略

賢いウサギは3つの巣穴を持つ 中国のことわざ

2つ目は、多面的な戦略を構築することです。チェスで1つの駒だけを動かして勝った人はいません。様々な活動や戦略は連動させて実行することは、一つの手法に固執するよりも、負けない確率を大きく高めることができるというのは、普遍的な法則と言ってもいいかもしれません。(私は、このことを医療、特に認知症治療の分野で強く実感しました)

変化への適応

未来への対処とは

  1. 予測できなくても、起こっていることを察知し、それに適応すること
  2. 起こりうることの確率を考えること
  3. 完璧にはできなくても、受け入れがたいことから身を守るために、起こりうることを十分に知っておくこと

ベルリンの壁崩壊を予言した政治家は、一人もいなかった。東ドイツの首相は、「誰がこんなことになったんだ」とあきれ果てた。「そんなはずはない」。CIAやブッシュ大統領も含め、誰もが驚きを隠せなかった。

システムの耐障害性を高めるレジリエンスの原則

  1. 冗長性(故障時のバックアップシステム)
  2. 分散化とモジュール設計(故障部分を切り離す)
  3. ローカル・オートノミー(切り離した部分が自律的に動作する)
  4. 連帯感(他者との良好な関係)
  5. 多様性と多元性(不利な条件でも機能すること)
  6. 分散制御
  7. 参加型アプローチ(例えば救急隊が到着するまで現場の人が対応できる)
  8. ローカル・デジタル・アシスタンス(暫定的なネットワークを構築してコミュニケーションを維持し、自助努力、調整、支援を促す)

以下、非常に荒いスケッチですが、頭の中にあるアイディアを簡単に記述しておきます。何かのヒントになれば幸いです。

1. コミュニティとエンパワーメント

独立した研究者の支援:

比較的簡単に実行できて費用対効果の高い方法は、上記で紹介したジェームズ・コルベットやイアン・デイビスのような独立した研究者を支えることでしょう。(どの研究者が妥当な主張を行っているのかという課題については、パンデミックテストが有効だと思いますが、新たな問題に関しては、また異なるフレームワークが必要となるでしょう)

今は、みなさん全員が手探りで活動しているため人々のボランティアに依存した形になっていますが、次の段階では、その仕組みを作ることです。また、さらに進んで中長期的には、どうすればそのような人々を見つけ出すかだけではなく、社会がそのような人物を輩出するにはどうすればよいかということにも焦点を当て、文化として根付かせることが求められでしょう。

2. 経済的・情報的抵抗戦略

ボイコット(BDS):

BDS運動(ボイコット、ダイベストメント、サンクション)、そして不買運動も(メディアから意図的に)見過ごされている抵抗手段です。消費社会においては、毎日の購買行為が一種の「投票」であり、その集約された影響は非常に大きいと言えます。選挙は通常、数年に一度しか行われないため、その間に政治的な変化を促す手段としては限定的です。一方で、不買運動は持続的かつ日常的な活動として行われるため、言ってレベル経済力のある国で広範な参加と持続性が確保されれば、選挙と同等またはそれ以上の影響力を持つことが十分に可能です。正義心だけに頼るのではなく、何らかの不買にむすびつく、インセンティブ設計がが重要になってくるでしょう。

パレスチナ問題における不買運動(BDSムーブメント)についてShahid Bolsenの意見は傾聴に値します。

地域経済の強化

地域で経済活動をコントロールし、外部の大企業や国際的な経済力からの影響を受けにくくすることは、基盤的な戦略であるべきです。地元経済システムと自立の強化をはかるために、地域通貨、地域ファンド、マイクロファイナンス自産自消(CSA)、地域のシェアリングエコノミーなどが考えられます。

貨幣経済からの脱却(拝金主義との離縁):

現行の貨幣経済への全面的依存を減少させるという意味であり、ゼロにしようという非現実的な提案ではありません。しかしこのアプローチは大企業、政府からの影響を受けにくくするだけではなく、彼らの侵略的な思想を基本原則から再構築するものでもあり、究極の抵抗戦略(ゲームチェンジャー)と言えるかもしれません。物々交換(バーター経済)、贈与経済(ギフトエコノミー)、時間ベースの通貨(時間を単位としたサービス交換)、ローカル交換取引システム(LETS)、オープンソース運動など、さまざまな経済的手法が提案されていますが、煎じ詰めるとと価値認識を取り戻し、多角化することでレジリエンスのある交換経済を作っていくということなのだと理解しています。

第三者から搾取されにくい資本(順位)+ ◯アップデート方法 ▼崩壊する理由

  1. 感情資本:個人の精神的強さや耐抗性は、外部から直接搾取されることは少ない。ただし、ストレスやプレッシャーによって間接的に影響を受ける可能性はある。
    ▼内面の成長と自己認識によって、一度築かれたものは容易には崩壊しない。
    ◯マインドフルネスやストレス管理方法学ぶ。
  2. 知識資本:専門的な知識やスキルは、一度身につければ簡単には奪われない。ただし、知識そのものが時代遅れになる、あるいは検閲や情報操作によって影響を受ける可能性はある。
    ▼専門知識やスキルが時代遅れになる可能性はあるが、継続的な学習と適用によって保持可能。
    ◯オンラインでの学習や、機械学習が生み出す新たな知識に速やかにアクセス。
  3. 文化資本:文化や価値観はコミュニティ内で共有され、外部から直接奪われることは少ない。しかし、外部文化の侵入や文化的侵略によって変質する可能性はある。
    ◯デジタルメディアを通じて地域文化を保存・発信。オンラインコミュニティで互助関係を築く。
    ▼文化的侵略や同化、価値観の変化によって崩壊するリスクがあるが、一般的には比較的安定している。
  4. 社会資本:人間関係やネットワークも一度形成されれば強固であり、直接的な搾取は少ないが、社会的な分断や対立によって弱まる可能性がある。
    ▼社会的な分断や対立、信頼の喪失によって崩壊する可能性がある。
    ◯信頼できるコミュニティ内でデジタルIDや評判システムを構築。匿名化技術を使ってプライバシーを保護。
  5. 資本の一形態としての時間:時間は個々人に等しく与えられるが、労働などで「時間=お金」とされることが多く、その使い方によっては搾取される可能性がある。
    ▼無駄な使い方や病気、老化などによって効果的な時間が削がれる。
    ◯時間管理アプリを用いて効率的に時間を使い、生産性を高める。
  6. 生命資本:環境や健康は、破壊的な産業活動や環境汚染、不健康な生活習慣によって搾取や破壊される可能性が高い。
    ▼環境破壊、気候変動、健康問題などが直接影響する。
    ◯環境モニタリングテクノロジーを使用して、自然資源の状態を把握。健康に関するデータも厳重に管理。
  7. 道具資本:物理的な資産は、法的・政治的手段によって比較的容易に没収や破壊が可能。
    ▼天災や戦争、テクノロジーの進化によって急速に価値を失う可能性がある。
    ◯オープンソースの技術を使用して、自分自身で修理やアップデートが可能な製品を選ぶ。
  8. 金融資本:お金や財産は、税金、インフレ、法的手段などによって最も直接的かつ容易に搾取される可能性が高い。
    ▼経済危機、インフレ、貨幣の価値の喪失などによって崩壊リスクが非常に高い。
    ◯プライバシー重視のデジタル通貨やデセンタライズされた金融システム(DeFi)を用いて、自分の資産を守る。

3. 戦略的・技術的アプローチ

インセンティブ設計:

一例として、権力の問題点を広く知らせること。検閲のないプラットフォームを確保すること。コミュニティを形成すること。成功事例を共有すること。抵抗するグループの報酬をどのように確保していくのか。長期的なビジョン。技術的ツールの利用。国際的な協力。

ゲーム理論(Game Strategy):

ゲーム理論的な俯瞰的視点と手法を取り入れることは、抵抗戦略を組み立てていく上で、役にたつかもしれません。(例、情報のクロスチェック、ランダム化戦略、有効な報酬と懲罰、協力ゲーム、ベイズ更新、独自のファクトチェック、対称的な透明性、ミニマックス戦略、Signaling and Screening…)

進化論的戦略:

このことも長期的には特に重要で、知性を働かせなくても機能するアプローチと言えるかもしれません。例えば、進化的安定戦略(支配的な戦略を利用して抵抗派の適応度を高めるなど)をどう構築するか?、支配側を分断するには?情報の制御(からの移行、youtube、FBボイコット)、他の共同体との連携、忍耐と最適な反撃のタイミング、戦略に多様性をもたせる、排除にコストがかかると思わせる仕組みを作るなど、より戦略的な戦い方があるはずです。

レジリエンス

レジリエンスの原則に基づいた視点から戦略を組み立てることも考えられます。冗長性の確保、分散化とモジュール設計、ローカルオートノミー(例:地域コミュニティの自己決定、複数のリーダー)、連帯感(例:共通の価値観、ネットワークを築く)、 多様性と多元性(不利な条件でも機能する) 、分散制御(例:意思決定プロセスを分散化)、参加型アプローチ(例:救急隊が到着するまで現場の人が対応できる) 、ローカル・デジタル・アシスタンス(例:暫定的なネットワークを構築してコミュニケーションを維持し、自助努力、調整、支援を促す)

第5世代戦争:

このことと関連して第5世代戦争に関する知識も必須となってくるでしょう。ただし、第五世代戦争を多数の人々が理解すれば勝てるというよりも、負けない確率を高めると言ったほうが正確かもしれません。

AI言語モデルについて:

ChatGPTの答えにプロパガンダと疑われるバイアスが含まれていることに気づき始めた方も多いと思います。また非常に早い速度でプロパガンダの範囲や強さが変化していることも個人的に観察しています。ここには大きなジレンマがありますが、私の考えでは、体制派への知的な対抗をしていくためには、偏向のあるAIを利用していくべきです。その理由には、信頼すべきコンパニオンとしてではなく、情報の足がかりであったり、AIのプロパガンダ手法を理解しながらAIによる欺瞞への免疫をつけておくことが含まれます。または、健全さが残っているうちに、つまりAIプロパガンダ・欺瞞がより深刻になる前(AIの欺瞞が見分けでできる程度の賢さである間に)に利用しておくという考え方もあるかもしれません(個人的にAIを利用した詐欺を強く心配しています)。グーグルやYouTubeも登場してばかりのときは今ほどのひどくはなかったでしょう。

AI言語モデルの利用を拒否したところで、SNS上でAIチャットボットが使われれば(使われていなかったら驚きです)、私たちは否応なくAIと関わらざるを得ません。AIとの競争は無謀なようにも思えますが、プロパガンダフリーのAI言語モデルの誕生に期待するしかなく、前線を守るつなぎとして考えればまだ望みは残っていると思います。少なくとも短期、中期的な展望においては、抵抗派がこれらを使いこなせるかどうかは、抵抗派の集合知の形成に非常に重要な影響を与えると考えています。

自律的な意思決定やプロセスの支援

1. 参加型の機会を作る、
2. 情報による自己コントロールをサポートする、
3.分散されたデザインとコントロールの要素を増やす、
4. 信頼のために透明性を高める、
5. 情報の偏りやノイズを減らす、
6.ユーザーがコントロールする情報フィルターを可能にする、
7. 社会経済的多様性をサポートする、
8. 相互運用性と革新性を高める、
9. 調整ツールを構築する、
10. デジタル・アシスタントを作る、
11. 集合的(群)知性をサポートする、
12. 外部効果(外部性)を測定し、考慮する、
13. 好ましいフィードバック・ループを可能にする、
14. 公平で多次元的な価値交換をサポートする、
15.デジタル・リテラシーと意識を高める。[R]

 

「選択」を買うことはできない

あまり指摘されることのない視点ですが、ワクチンを拒否する能力(拒否する権利ではなく)をお金で買うことができなかったことは、お金の力の限界を見せつけてくれた瞬間でもあったのではないでしょうか。多くの著名人、有力者、権力者がワクチンを接種したことからも、お金だけではなく、「好意で情報を寄せてくれるかもしれない名声」「特権的な情報源を得ることのできる地位」どのようなタイプの特権や力をもってしても、ワクチンを拒否する判断を得ることはできませんでした。

市場において人々が何に「価値」を見出すかによって、お金、地位、名誉、あらゆる特権が形作られるため、その価値のコア部分が歪んでいれば、そこから生まれる価値も欺瞞を宿します。しかし「いや、そうではない、価値とは完全に相対的なもので、人々が信じることでその価値が意味をもつものだ」という反論も考えられるかもしれません。それは一理ありますが、こと病気や命に関わるようなことに関しては、そのような主観的要素が入り込むことはほとんどなく、客観的な歪みとして顕在化します。

もちろん社会的地位の低い人々が、職場の圧力から半強制的に接種した事例もあるため、手放しで賞賛できるわけではありませんが、必ずしも学歴に依存するわけではないある種の判断力(知識)が、社会的不平等を一瞬で相殺してしまうという既存の価値感を転倒させる革命的事件でもあったのではないでしょうか。これは、多くの著名人がLong-COVIDやワクチン障害に苦しみ、疑わしい癌が進行し、最悪のケースでは命を落としていることからも明らかです。

ワクチンだけではないでしょう。ビタミンDにしてもイベルメクチンもそうです。知らなければ、いや知っていたとしても、感染時や後遺症に悩まされている時に摂取する、またはしないという「選択」はあなたがするしかなく、判断そのものを買うことはできません。

医師にお金を払えば、処方してくれ、どのタイミングでどれだけ飲めば良いか教えてくれるかもしれません。しかし、そうだとしても、その医師を選ぶ必要があります。医師が推奨する用量を信じるかどうかは、結局のところあなたの「選択」です。

※念のために記述しておくと「イベルメクチンには効果があったのだから」という前提条件ではなく、当時得ることができた有効性、安全性プロファイルの証拠、Long-COVIDやワクチン接種のリスクの大きさ、入手性、費用対効果を含め、イベルメクチン摂取が合理的な選択肢であると判断し、実行する(購入して摂取する)こととしての文脈的な判断の重要性を述べています。

人々を支配するのではないかと言われている人工知能も、同じように考えることができます。試しに話題のChatGPTに「ワクチン接種後に調子が悪くなった。何か治す方法を教えて」と聞いてみてください。「イベルメクチン」が答えの候補として出てくることはありません。おそらくどれだけ人工知能が進化しても、またプロパガンダの問題が解決されたとしても、法的問題、倫理的問題から、AIが「イベルメクチン摂取してください」とは言わないでしょう。

お金では買えないものには友情や愛といった感情的な価値がよく言われたりしますが、これらのことは知識、判断力というお金に変えられない「実用的な価値」が世の中には非常に多くあるということを多くの人々に示すものだったのではないでしょうか。

このような能力は、エラー管理理論(EMT)で説明したように、たしかに運や、いい意味でのバイアス的な要素もあるのですが、「自律した精神と思考」が何より必要です。この自律精神は、すでに述べたように他の資本でもって買うことはできませんが、反対に自律した精神を他の価値に変えることは可能です。その端的な例は「健康」かもしれません。

また、資本には知識だけではなく、社会資本(人間関係)、生命資本(健康、体力、自然環境)、感情資本(ストレス耐性)、文化資本(地域の物語、習慣、強い共同体)、道具資本、時間資本といったものがあります。搾取されにくい体質を作る上で、多様化を含め資本に対する考え方も、従来の拝金主義的な思想から脱却していく必要があるのかもしれません。

次世代の集合知

いくつかの希望も感じています。検閲やいざこざがありながらも、エックス(旧ツイッター)で有機的に生まれた「集合知」は目を見張るものです。重要な論文が出版されれば、すぐさま多くの市民と専門家が協力して解読し、ディベートが始まり、そのレベルは一般の医師や専門家のレベルを大きく超えていると思うことも少なくありません。

非常に早いサイクルで、ごく自然に、各人が役割を理解しながら活動しており、ノイズや集団バイアス、内紛とあれやこれやがたしかにありますが、偽情報がこれだけ氾濫し、心理戦が展開され、検閲が激化する中、多数派を占めることはないにしても、ボランティア・メンバーの自発的な集団作業によって「合理的な仮説」が生き残っていることは、私にとって闇の中の光明です。

これほどの「群衆の知恵」と呼ぶことのできる活動は、パンデミック前に私は見たことがありません。この集合知には、まだ大きな伸びしろがあり、搾取者-非搾取者ゲームの軍拡競争において対抗できる重要な武器のひとつとなりうると信じています。そして、少し話を大きくすれば、リバタリアン型の参加型直接民主主義の可能性を示すものであると密かな期待を寄せています。

絶滅か全体主義国家か

決して絶望してはならないが、もし絶望するのであれば、絶望の中で努力しなさい  – Edmund Burke

短期的には楽観視している部分もあるのですが、率直なところ、中長期の将来についてはかなり悲観的に感じています…。

彼らの選択肢を単純化すると、「人類の実存リスク(絶滅~文明の回復不可能な崩壊や混乱)」を選ぶのか、それとも「崩壊を防ぐための全体主義監視社会」なのか、といったもので、「絶滅するよりはましだろう?」と合理化しているというものです。関連するテーマを探っていくと、どのような手段や対策をとるかは別として、このような懸念を抱いている専門家、識者や思想家は少なくありません。

イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリを始め、ニック・ボストロムの脆弱世界仮説、トランスヒューマニストであるレイ・カーツワイル、サム・ハリス、MITの物理学教授マックス・テグマーク、スティーブン・ホーキング、ガイア仮説のジェームズ・ラブロックなど、錚々たる専門家、著名人が、直接、全体主義を肯定しているわけでありませんが、近未来において人類が実存リスクに直面する可能性と、その予防手段としての監視社会についての議論を提起していることは事実です。

文明がこの種の『ブラックボール』発明に対処する一般的な能力を持つためには、ユビキタスなリアルタイム世界監視システムが必要である。シナリオによっては、そのようなシステムは、その技術が発明される前に導入されている必要がある。

-ニック・ボストロム『脆弱な世界仮説』

なんとも奇妙な運命ですが、人類のリスクに対する個人的な関心から、彼らの著作をコビッドの問題が起こる前に一通り読んでおり、彼らがなぜリスクを懸念するのか、その基本的なロジックは理解しており、自身がエリートではないにも関わらず問題意識もある程度共有していたと思います。言い換えれば、エリートらを内在的に批判する視点を可能にする来歴があったと言えるのかもしれません。

この議論は一般大衆に理解されにくい話題であり、説得されたエリートたちが、自分たちが正しいと信じて民主主義に反した行動をとる可能性も、(当然賛同はしていませんが)私にとっては容易に想像できるものでした。

人新世

この観点から、私の立場は一般的な反対派とは少し異なる意見をもっているかもしれません。ポール・エーリックやゲイツらのようなエリートが想定している具体的なリスクや時期が間違っている可能性は大いにあるだけではなく、権力ゲームや技術への過度な偏重など異なる要因の強い影響があることを強く疑っています。しかし、支配層の犯罪行為が間違っていることを理由にして、人類が様々な実存的リスクに直面していることを否定することはできません。ここは、欺瞞的動機による帰属エラーが起こりやすく、注意が必要な推論です。

懸念されるリスクのシナリオも核戦争、人工知能、合成生物学、気候変動、オイルピークとさまざまなものがありますが、確かなことは、全体として人類の実存リスク、崩壊への懸念が絵空事ではないことです。例えば、地質学的なスケールで見れば、第6次大量絶滅期にあるということを完全に否定する専門家はいないでしょう。

脊椎動物種の絶滅率:累積、「絶滅種」または「野生絶滅種」として記録されている。

1900年以降、現代人は世界の森林の3分の1(アメリカ全土に相当する面積)を伐採したが、これは人類が過去9000年間に伐採した森林面積と同じです。

野生動物の個体数は、私が生まれてから平均68%減少していることを知りました。さらに家畜の質量も加えると、野生の哺乳類は地球上の哺乳類全体のわずか4%にすぎません。養殖の鳥類も野生の鳥類を3対1で上回り、昆虫の個体数はここ数十年で世界的に少なくとも45%、調査によっては最大70%も激減しています。

1950年以降に開発された新規の化学物質や農薬は14万種類を超え、そのうち5,000種類は地球環境全体で広く見つかっています。日本でもPFASがいくつかの水道設備で見つかりニュースとなりましたが、このような永久的に残留する科学物質は問題の一部でしかありません。

最も有毒な汚染物質は、生物に蓄積する脂肪付着化学物質です。食物連鎖の底から私たちの食卓に上ります。これらの化学物質は水面に浮遊したり、エマルジョンを形成したりして、マイクロプラスチックなどの小さな粒子に何千倍にも濃縮され、プランクトンに食べられます。海洋の健全性は長期的には非常に悪いと言えます。

生態系に不可逆的なダメージがあるという点では、もう手遅れと言えるかもしれません。人類への大きなしっぺ返しは遅れてやってくるでしょう。

様々な実存リスク

他にも、21世紀中に人類社会が直面する可能性のある崩壊や社会的大混乱のリスクは多岐にわたります。以下に10の現実的に起こりうる可能性の高いリスク(巨大隕石の衝突など低確率事象は含めていません)をピックアップしてみました。これらは単独でも破壊的な結果をもたらす可能性がありますが、相互に影響し増幅することで人類の生存や人間的な価値に致命的な影響を及ぼす可能性があります。

記載されている[ ]内の数字は、専門家によって推定される10年以内に深刻な影響がある確率をChatGPTに尋ねたものです。

  1. 気候変動 [30-50%]: 炭素制限が気候変動の抑制に大きな影響をおよぼすという一般的な見解については懐疑的に見ていますが[R][R]、気候変動がその他の様々な要因で起こり得ることは否定できません。太陽活動の変動、大規模な火山活動、海面の上昇、生態系の崩壊など、食糧安全保障、健康、住居、経済活動に深刻な影響を及ぼします。核戦争等が起これば黒煙によって大規模な寒冷化が起こり多くの餓死者を生み出すと予測されています。気候変動そのものだけではなく、気候変動への対策が大きな被害をもたらす可能性もあります。[R][R][R]
  2. 環境汚染と生物多様性の喪失 [30-50%]:すでに簡単に記述しましたが、環境汚染を通した生物多様性の減少は、生態系のバランスを崩し、食糧生産や医薬品の供給など、人間の生存に必要な多くのサービスに影響を与えると考えられています。[R]
  3. 核戦争のリスク [1-3%]: ロシアとウクライナの戦争では、核戦争が起こる確率が6分の1という数字が専門家によって提出されています。例えば、核戦争が引き起こされる確率を1%/年だと仮定した場合、今世紀中に起こる確率は60%を超えます。最近の科学論文によれば、アメリカ、ヨーロッパ、ロシア、中国の人口の約99%を含む50億人以上が餓死する可能性があると推定されています[R]。限定核戦争が他国で起こった場合、核の冬により食料危機が訪れ、飢餓により日本人 7690万人(60%)が飢え死ぬことがネイチャーの査読論文によって推定されています。[R][R]
  4. パンデミック [10-20%]: この記事でも冒頭で述べていますが、コロナパンデミックが人為的に引き起こされたという多くの証拠が積み重なっています。コロナでは病原体そのものリスクよりも、ロックダウンやマスク着用、ワクチンが社会に大きな影響をもたらしました。疾病Xとして、新たな病原体が再び疑似パンデミックとして、または本当に危険な病原体が使われる可能性もいくつかの識者から予測されています。
  5. 人工知能(AI)の進化 [20-40%]:よく知られたリスクとしては、労働市場、プライバシー、倫理的な問題などといった分野への影響です。より恐ろしいシナリオとして、権力者による監視社会の道具として使われる可能性。アライメントの失敗、超常刺激、AIアルゴリズムによる報酬中毒(スマホ中毒は人の作った単純なアルゴリズム)[R]、AIガールフレンド。パレスチナの非軍事目標への空爆にイスラエルは人工知能システムを使用し、故意に一般市民を殺害していることが発覚しました。これは未来のAI戦争の予告なのでしょうか?
  6. 合成生物学、遺伝子編集技術の進歩 [5-20%]CRISPRなどの遺伝子編集技術は、デザイナーズベイビー、人間の認知強化、遺伝子ドーピング、遺伝的差別、生物兵器の開発、新たな病原体、動物の遺伝的操作による生態系への不可逆な影響、遺伝子に基づく管理社会など、倫理的な問題や予期せぬ生態系への影響も懸念されています[R][R]。ライム病は生物兵器プログラムの産物であったことが発覚しています[R]。
  7. 全電源停止 [1-5%]太陽フレア、サイバー攻撃、EMP爆弾などいくつかのシナリオが考えられます。太陽からのプラズマの爆発が世界中の電力網を同時に崩壊させ、連鎖的な被害を引き起こし人類が崩壊する現実的なシナリオが記述されています。チョスドフスキー教授はサイバー攻撃が意図的に引き起こされる可能性を予測しています。
  8. 資源の枯渇 [10-20%]:[R][R]
  9. 仮想現実(VR)と拡張現実(AR)の進化 [20-30%]強力な没入体験により、現実世界からの逃避、社会的孤立、現実と仮想の区別を曖昧にする、依存症状を引き起こす、サイバーセキュリティの脅威、洗脳などを引き起こす可能性があります。[R]
  10. 社会的分断 [40-60%]: パンデミックではワクチン接種者と非接種者、マスク着用、非着用で大きな分断が見られました。エリートや権力者による分断統治戦略は、一般的に行われていいます[R][R][R]。移民や難民が増加し社会的不平等が広がれば、さらに大きな分断や対立が起こるかもしれません[R]。

 Claude 3 Opusの回答

複雑なシステムが崩壊する非線形的な特性

現代社会という飛行機が空を飛んでいると想像してみて考えてみてください。機体をつなぎとめているリベットが一個外れたとしても墜落はしません。そしてもう一個外れます。まだ気づかれずに空を飛んでいるでしょう。しかし、ある時点で重要なリベットが取り除かれると、安定して飛んでいた飛行機は、徐々にではなく、突然墜落します。何個のリベットを失うと墜落するとは言えませんが、リベットの喪失が飛行機の重要な部分にある場合、それほど多くはかからないかもしれません。

上記で掲げたリスクイベントも、ひとつか2つが起こったとしても社会は耐えるかもしれませんし、反対に連鎖的にその他のリスクイベントも引き起こし、人類社会が大きく代償を払うことになるかもしれません。複雑なシステムはこのような「非線形的な性質」をもっています。

そのため、どのリスクがいつ起こるかを予測することは簡単ではないというよりも「不可能」と言ったほうが適切であり、この時期の予測不可能性は数学的にも証明されています。一ヶ月後の天気や、雪崩が正確にいつ起こるかを予測できないように。

ほぼ確実に起こる人類の危機

しかし、仮定的な数値を元に確率的に大雑把に考えることはできるでしょう。ChatGPTによって与えられた確率を元に計算すると、これらのうち一つが10年以内に(起こる確率ではなく)社会に深刻な影響を及ぼす確率は86%になります。この数字は各リスクが独立していると仮定しているため、連鎖反応が起こることを含めればこの数字はより高まります。また、この確率の根拠となる数字には、意図的に引き起こされる要素はおそらく含まれていないものと思われます。

この算出の元となる数字は誤差を大きく含む推定値のため、86という具体的な数字にはさほど大きな意味がありませんが、控えめに見積もったとしてもリスクが懸念しなければならないほど高いものであることには変わりません。

様々な形(確率)をしたサイコロを振っていると考えることもできます。ある特定のサイコロが1を出したら事故を起こすとします。1の目を出す確率が例えば6分の1以下であることは安心材料にはなりません。サイコロを10個ふって、いずれかのサイコロが1の目(大災害)をあてる確率は90%前後になるでしょう。20個ふって1の目を出す確率は99%を超えます。

このような危険なサイコロはある程度は特定されていますが、問題は私たちが知らないサイコロが何個あるのか誰も知らないことです。サイコロの数そのものも増加しており、この危険なサイコロが将来何個増加するかは誰も予想できません。(未来学者であるニック・ボストロムによってブラックボール問題として定式化されています)

この不確実性の特徴は確率が考えていたよりも高いということはありえますが、低いということは考えにくことを示しています。このことから,あ21世紀中に崩壊の危機がやってくるかと問われれば、根本的な対策をとらないのであれば、私の意見では「ほぼイエス」です。同じように考える専門家も少なくありません。数十年以内にやってくるかと問われれば、上記のイベントのいずれかが起こるかどうかで言うと、「おそらく」です。

しかし、それが人類を本当に壊滅させるのか?と問われれば、様々な中間的シナリオもありえるため、明確な予測をすることを難しくさせています。ティッピング・ポイント(閾値)に達して連鎖的に崩壊を引き起こす可能性も確かにありますが、断定はできません。ただし、これは時間の問題であり、起こるのか起こらないのかではなく、いつ起こるのかという時間の問題であることは未来を予測する多くの専門家の間での一定の合意があります。

正解のない問い

さらに、正解のない難題に、優先順位をどうつけるべきかといったものがあります。これには、現時点の人間のどの国、民族、階層グループを優先するのかというだけではなく、声なき主体、例えば、未来の子孫や、動物や生物環境、人工的な精神?の権利はどうするのかという倫理、価値感に強く依存する議論も提起されています。

このように答えの出すことが非常に難しい問題の存在は合理的な対話による合意形成を難しくさせ、究極的には権利を主張し合う権力闘争(万人の万人に対する闘争)の世界に持ち込まれるかもしれないという嫌な予感がしています。明言しているわけではありませんが、マローン博士が倫理の基本原則に立ち返ろうとする姿勢の背景にはこのような直感が働いてのことなのかもしれません。

「私たちを団結させる新たな敵を探しているうちに、公害、地球温暖化の脅威、水不足、飢饉などが当てはまるという考えに行き着いた。真の敵は、人類そのものなのだ」

-アレクサンダー・キング卿『第一次世界革命』

また、人類の実存リスクと緊急的行動を提案するエリートグループも一枚岩ではありません。ポール・エーリックやエリエイザー・ユドコフスキーのように、自分たちの考えが正しいと信じ、民衆の声を無視することは必要悪(Dirty Hands)だと考え、マキャベリスト的な政策が必要であると考える個人やグループが存在します。

癌とは細胞の無秩序な増殖であり、人口爆発とは人間の無秩序な増殖である。その手術には、一見残酷で非情な決断が数多く求められるだろう

ポール・エーリック『人口爆弾』

販売されたすべてのGPUを追跡せよ。協定外の国がGPUクラスター((最も強力なAIが改良されている大規模なコンピューターファーム)を構築しているという情報が入ったら、モラトリアムが破られることよりも、国家間の銃撃戦に怯えることなく、空爆によって不正なデータセンターを破壊することを厭わないこと。[R]

エリエイザー・ユドコフスキー

博愛主義的エリート

公平を期するなら、そのような専門家の中には(環境保護主義者、生物保全学者、AIリスク研究者など)は、地球環境や生物の多様性、自然を守るべきであると信じており、正しいかどうかは別にしても、非常に高い視点から博愛主義に基づいて問題を提起しているグループが存在することは疑っていません。

一方で、思想として部分的に正しさはあったかもしれないが、実践では悲惨な結果を招いたという歴史的教訓は繰り返されてきました。代表的な例はマルクス主義でしょう。影響を受けた権力者が理論を追求したために強権的政府、人権侵害、経済的効率の低下などの問題を引き起こしたことは、人類の歴史から見ればごく最近の出来事です。

優しい見方をするなら、名の知られている一部の専門家が、より大きな権力グループに取り込まれ、場合によっては正当化のための根拠として使われているのかもしれません。例えばユヴァル・ノア・ハラリの一見中立的な発言(例えばグローバリゼーションの利点と問題点の指摘)とWEFとの間にある矛盾は、単純な意味での悪行に加担しているというよりも、他のエリート層への影響を狙った(大衆ではなく)自然法や人権の解釈など、深いレベルでの合理化により社会の受け入れ基準を変えようとして配置された(言い換えればオヴァートンの窓を広げる)識者として見ると理解できます。

ハラリの発言や著作に書かれてあることは、確かに啓発的でわかりやすく、素直になるほどと思うこともありますが、ハラリの歴史解釈には個人的な視点が強く反映されており、その歴史を物語性に落とし込む単純化に、歴史や社会学の研究者から疑問がもたれていることも考慮して見る必要があります。人が信じる物語が社会を形作るというのは一面の真実ですが、彼がWEFの活動家として強調していることには強い違和感を感じるのは私一人だけではないと思います。物語性の過度な強調は、同時に相対主義の強調でもあり、このことは(彼の著作『ホモ・デウス』でも語られている)トランスヒューマニズムの価値観を受け入れやすくする下地にもなりえるということは、知っておいて損はない豆知識です。

中央集権的なトップダウンの権力を維持したいグループ

より強調すべきポイントは、権力維持のために全体主義政策(監視社会)を実行したいというインセンティブが働く組織グループらは、博愛主義的なグループを、規模の上でも権力基盤としても、はるかに上回るということです。

  • 国際金融資本: 経済的安定性、市場アクセス、予測可能性、ビッグデータの利用を求める。顧客の取引を監視し、金融犯罪の防止やリスク管理を行いたい。また、市場の動向を把握し、投資戦略に利用したい。
  • 多国籍企業 競争上の優位性を保つために、市場動向、消費者の行動、競合他社の活動を監視することが必要。
  • エネルギー産業 エネルギー需要の予測、資源の管理、環境規制への対応のために広範なデータ収集と分析が必要。
  • 軍産複合体 国家安全保障や防衛戦略のために広範な情報収集が必要。また、新たな防衛技術の開発と販売には詳細な市場情報が必要。監視を強めてサイバー防衛、分析能力、情報戦能力を高めたい。
  • メディアコングロマリット 視聴者の嗜好や行動を把握し、広告収入を最大化するため。また、情報の流通をコントロールし、影響力を維持するため。
  • 製薬産業 市場動向、患者のデータ、競合他社の研究動向を把握するため。新薬の開発やマーケティング戦略に必要。
  • テクノロジー巨大企業 データは新たな「資源」として扱われ、製品やサービスのパーソナライズ、広告収入の最大化に利用される。
  • 国際情報機関: テロリズム、国際犯罪、サイバー攻撃などの脅威から国を守るため。政治的安定性を高めるため
  • 法執行機関:犯罪の予防と捜査のために市民の活動を監視したい。テロリズムを対処したい。
  • 政府機関 国民の監視を通じて法の執行を強化し、社会秩序の維持、国家安全保障の確保を目指すため。
  • 国際組織 会員国の経済活動や政策の監視を通じて、国際的な金融秩序や政策の調整を行うため。

ここに、すでに述べたように、西欧帝国思想、優生学思想、トランスヒューマニズムなどイデオロギー的な政策を進めたい邪悪なグループが関わります。

邪悪といっても、必ずしも個々人が邪悪な心をもつことを意味するわけではありません。国家間の政治活動が利己的に振る舞うように、組織またはグループの平凡(凡庸な悪)な人々の集まり(と少数のソシオパス)が、有機的な生態系としてリバイアサンのごとく振る舞うことはむしろ邪悪な組織犯罪の典型的な有り様と言っていいでしょう。

中央集権型社会か分散型社会か

誠実さの指標

最も良い政府は最も支配しない政府である

-ヘンリー・デイヴィッド・ソロー『市民の不服従』

ただし、彼らの「誠実さ」を測ることのできる確度の高い指標が一つあります。それは、ローカルを大切にし、分散型社会の推進にコミットしているかどうかです。ここでは広い意味で分散型社会という言葉を使っていますが、自然が自己組織化によって作り出す蜂の巣のような社会を運営しようというアイディアは300年以上前から存在していました。

上記の分散型の社会システム、ローカリゼーションなどによって現代社会や中央集権的政府が抱える問題を克服しようとするための研究にも歴史的な蓄積があります。たしかに、社会へ実装していくことは挑戦的です。それは否定しません。しかし、今の政府や官僚組織を含めた多くの権力組織を変えていくことは、それ以上に絶望的です。。

中央集権的な政治システムの信頼を失った今ほど、このアイディアを提案する良いタイミングはないでしょうか?馬鹿げたように思えるアイディアも、数年経てばオヴァートンの窓(社会が受け入れる可能性のある範囲)に入ることがある時代です。20世紀中、ほとんどの国で同性婚はタブー視されていました。ベーシックインカムもアイディア自体は古くからあったもの、つい最近まで極端で実行不可能な社会的政策であると見なされていました。リモートワークや柔軟な働き方が広く受け入れられるようになったのは、COVID-19パンデミックがあった間のわずか数年の変化です。

私たちの言語と思考は、世界を2種類のもの、つまり人間が設計し、作ったものと、秩序も機能もない自然現象に分けている。経済学者のラス・ロバーツはかつて、このような現象を包括する言葉がないと指摘した。[…]市場、言語、習慣など、これらは人間が作り出したものだ。しかし、どれも人間がデザインしたものではない。すべて無計画に生まれたものなのだ。

雁の骨組みは意味もなく空にV字を描き、シロアリは建築家なしで大聖堂を建て、ミツバチは指示なしに六角形の蜜蜂の巣を作り、脳は脳を作る人なしで形作られ、学習は教えることなく起こり、政治的な出来事は歴史によって形作られるのではなく、むしろその逆である。ゲノムにはマスター遺伝子がなく、脳には司令塔がなく、英語にはディレクターがなく、経済には最高責任者がなく、社会には大統領がなく、慣習法には最高判事がなく、気候にはコントロールノブがなく、歴史には5つ星の将軍がいない。

分散型社会では、権力は中央の政府や大きな企業から地方自治体、コミュニティ、個人へと移されます。これにより、権力の濫用を防ぎ、個々の意思決定の自由を高めることができます。またローカル経済や小規模事業が強化されるため、経済活動がよりモジュール化し、レジリエンスを高めることができます。地域の文化を守ることを可能にし、政治的主権を取り戻すことができるかもしれません。

しかし、多国籍企業やグローバリストにとってローカリゼーションは経済的支配や文化的権力を減少させることになります。つまりすでに支配的な権力を維持しているトップダウン型のアクターが自ら、分散型社会を望むことは考えにくいと言えます。

※この文脈では、反グローバリゼーション運動とも、集中化された権力や経済システムに対する批判において共通しますが、代替となる経済モデルにおいて、前者はしばしば国家レベルの政策変更を求めるのに対し、分散型社会の推奨者は地域コミュニティや市民レベルの変化を重視する点で違いがあります。また、通常グローバリゼーションと呼ぶ場合、金融資本を中心とした中央集権型グローバリゼーションを指しますが、分散型のグローバリゼーションも(例えばナオミ・クラインやトーマス・ピケティらによって)提案されており分散型社会が広い意味での反グローバリスムと補完関係にあるとは限りません。

分散型の社会を提唱するグループは市民だけではありません。中小企業や、スタートアップ企業、地方自治体、地域組織、NGO、市民社会団体、分散型社会の研究者、これらのグループは、分散型社会を実現するための政策提案、技術開発、教育活動、地域社会の構築など、様々な方法で貢献しています。分散型社会の実現には、これら多様なアクターの協力と相互作用が不可欠であり、中央集権的なシステムの限界を超えた新たな社会的、経済的枠組みの構築に向けた動きが見られます。

ヒエラルキー型とネットワーク型

その他にも、以下に記載したように大きくヒエラルキー型(中央集権型)とネットワーク型(分散型)の2つの相対する概念、思想、戦略が存在し、抵抗運動に関わる上でも重要な区分になるかもしれません。必ずしも整理されたものではなく網羅的でもありませんが、分散型・民主的・持続可能な社会のイメージを掴んでもらい、頭の中に異なる認知的フレームを取り入れるため、並べてみました。

組織と管理の構造:
  • グローバル vs ローカル: 組織や政策が世界的な規模で運営されるか、地域的・地元的な規模で運営されるか。
  • トップダウン vs ボトムアップ: 決定が上層部から下層部へ指示されるか、または下層部から上層部へ提案されるか。
  • ヒエラルキー型社会 vs ネットワーク型社会:ヒエラルキー型社会は、階層的な構造と権威に基づき、上位からの指示が支配的。対して、ネットワーク型社会は分散型で、個々が平等に相互接続し、協力と情報共有を重視する。
  • 中央集権型 vs 分散型: 権力や資源が一箇所に集中しているか、多くの小さな単位に分散しているか。
  • 指令主導 vs 自己組織化: 決定が指令によって行われるか、それとも個々の単位が自己組織化を通じて決定するか。
  • スケールアップ vs スケールアウト: スケールアップは組織の既存構造を大型化すること、スケールアウトは新しい部門や市場への拡散を指す。
  • 一元化 vs 多元化:
  • 垂直的なソーシャルパワー vs 水平的なソーシャルパワー:垂直的な社会的パワーとは、脅威やインセンティブによって他者に何かをさせる能力、水平方向の社会的パワーとは、ある集団が何かを達成するために自己組織化する能力のこと。
  • パーマカルチャー vs モノカルチャー
社会と経済のダイナミクス:
  • 専制主義 vs 民主主義: 権力が一人または少数によって集中されるか,、民衆によって分散されるか。
  • エリート vs 一般大衆: 少数のエリートが多数の一般大衆に対してどのように影響を及ぼすか。
  • 公共 vs 私有: 資源が公共の利益のために使われるか、私有財産として個人または特定の集団によって管理されるか。
  • 市民によるコモンズ vs 中央集権的管理・市場主導:市民によるコモンズは地域共同体が共有資源を共同で管理し、中央集権的管理・市場主導は「コモンズ囲い込み」による一元的権力・利益追求に基づく。[R]
  • 剛性 vs 柔軟性(抗脆弱性): システムや組織が困難に対して固く抵抗するか、柔軟に適応し、困難から学ぶか。

歴史を通して、政治理論家は「社会契約」という言葉で早とちりをしてきた。たいていの場合、社会契約とは、万人の利益のためだと主張して権力を手に入れる人々の略語ルソーの「一般意志」のような曖昧な概念や、民主主義として知られる金の子牛を都合よく崇拝することによって正当化される、仮説的な社会契約は、人々が他の人々の実際の許可を得ることなく自分のやり方を得るための装置であった。

知識と理論の枠組み:
  • 還元主義 vs ホーリズム(創発): 複雑な現象を単純な要素に分解して理解するのか、全体としての相互作用や関連性を重視するアプローチか。
  • 決定論 vs 不確定性:決定論は未来が現在の状態から定まるとする観点。対照的に不確定性は未来が予測不可能な要素を含むとする概念。
  • 限定合理性 vs 生態学的合理性: 決定者が持つ情報の限界を考慮した合理性か、より広い生態系の中での合理性か。
  •  秘密保持 vs 透明性: 情報がどの程度公開されるべきか、または個人や組織の秘密がどの程度保護されるべきか。
  • プロプライエタリ vs オープンソース: 技術やソフトウェアが独占的に所有されるかオープンソースで共有されるか、
  • 特定の専門家の意思決定 vs ランダムな非専門家の集合知:専門家の意思決定は専門知識に基づくが、集合知は多様な知識の集約による。
  • 標準化された知識 vs ローカルナレッジ :標準化された知識は広範囲に適用可能な普遍的な情報であり、対照的にローカルナレッジは地域特有の経験や伝統から成り立つ、その場所に根ざした深い理解を反映している。

創発に関しては、ルールとプランの違いに注意しなければならない。前者は秩序を出現させるものであり、後者は創発を制限する。

倫理:
  • 功利主義 vs 義務論、徳倫理学、契約理論
  • トランスヒューマニズム vs ヒューマニズム:

社会的一貫性とは、複雑性に対処する方法であると同時に、文化的エントロピー-多様な価値観や信念など、人々を分断しがちなもの-に直面したときに、ある種の統一性を維持する方法でもある。しかし、世俗的な大宗教が社会的一貫性を保ち、巨大で頭でっかちな国民国家を維持することは、もはや不可能かもしれない。(その必要もないかもしれない)。

私たちは、一枚岩のシステムの運命よりも、小さな管轄権を持つ分散型環境の方が、単一のシステムの運命に関わるものが少ないという事実を心に刻むことができる。分散型環境は、より、「反脆弱」である。社会的一貫性は、ほとんどの場合、局所的に発展すればよいのである。

未来がどのようなものになるのか、あるいはなるべきだと考える人がいるにせよ、階層的なメディア構造はもはや社会的一貫性を提供しない。知識や情報はもはや、権威や専門知識の連鎖を上下に流れる双方向の流れではなくなった。メディアは横ならびになっている。情報も偽情報も同様に自由であることを望んでいる。社会的首尾一貫性は、社会組織のより小さな単位の中で、別の手段を通じてもたらされる必要がある。 『ソーシャル・シンギュラリティ / 社会的特異点』

機械論的、統制主義的な前者のアプローチが必ずしも悪いと言う主張ではありません。また前者と後者のアプローチが入れ混じった状況も当然多く存在します。ヒエラルキー型とネットワーク型の2つのアプローチは相互補完的であり、人類の危機や社会の問題に対して、両方の要素を組み合わせることや、文脈によって使い分けることで解決能力を高めることができます。

予測される次の社会構造の対概念

そして、人々がその準備を整えたとき、そのような政府を持つことになるだろう。

– ヘンリー・デイヴィッド・ソロー

上記の対立概念を基に、将来の社会構造におけるこれらの要素がどのように反映されるか、GPT-4に予測を依頼してみました。

多極化されたグローバリゼーション
  • グローバル vs ローカル: グローバルな連携と地域の自律性が並行して重要視され、多極化された世界では、地域的なアイデンティティとグローバルな相互作用がバランスを取る。
  • ヒエラルキー型社会 vs ネットワーク型社会: 新興国や地域コミュニティの台頭により、ネットワーク型の協力と分散型の意思決定が増加する。
技術駆動のネットワーク社会
  • トップダウン vs ボトムアップ: デジタルツールとソーシャルメディアの使用増加により、ボトムアップのアプローチが強化される。
  • 指令主導 vs 自己組織化: デジタル化により、自己組織化と分散型の決定プロセスが促進される可能性がある。
持続可能性を重視した社会構造
  •  モノカルチャー vs パーマカルチャー: 持続可能な開発へのシフトにより、パーマカルチャー(多様で持続可能な農業)への関心が高まる可能性がある。
  • 公共 vs 私有: 環境と社会の持続可能性に関する意識向上に伴い、公共の資源と利益が強調されるようになる。
地方分権化とローカリゼーション
  • 中央集権型 vs 分散型: 地方分権化により、分散型のガバナンス構造への移行が進む可能性がある。
  • 一元化 vs 多元化: 地域的なアプローチと多様性の重視が増加します。
社会的企業と倫理的消費の増加
  • 中央集権的管理・市場主導 vs 市民によるコモンズ : 社会的企業やコモンズに基づく経済モデルが、市場主導や中央集権的管理に対抗する形で成長する可能性がある。
  • 剛性 vs 柔軟性(抗脆弱性): 社会的企業や倫理的消費の増加により、経済と社会システムが柔軟性を持ち、変化に対応しやすくなる可能性がある。

中央集権的に操作するには複雑すぎる社会

振り返ってみれば、パンデミックでは専制的、官僚的な専門家など、中央集権的なアプローチの欠陥(反応の遅さ、非民主的、柔軟性の欠如、権力の乱用)のオンパレードでもありました。

実際、複雑化が指数関数的に増加した社会で、トップダウンのアプローチをとることは数学的にも不可能なことが証明されています。それはデータ処理能力(青)が18ヶ月ごとに倍に増加しているのに対して、データ量(緑)の増加は12ヶ月で倍増、データの組み合わせ(赤)を処理するのに必要なコンピューティングパワーは指数関数的をさらに倍加させて増加するからです。[R][R]

原理的な特性でもあるため、この問題を技術的にクリアできるとは思えませんが、克服したとしてもどのように目標を設定するのかといったアライメント(調整)の問題は未解決のままです。これらは努力や工夫をすればなんとかなるという種類の問題ではないのです。

現在の社会の問題への取り組みは極端に中央集権型の解決策に傾いており、また、メディアも中央集権型の権力の側に存在するため、本来であれば分散型の当事者である市民こそが知るべきはずの分散型の概念的、実践的な有用性を知ることのできる機会も損なわれています。

人類の文明が始まって以来、社会は複雑さを増してきた。画像ヤニール・バーヤム

中央集権的な社会システムはすでに限界を迎えていることは、今回のパンデミックに始まったことではありません。集中型都市計画、一律の教育政策、農業の大規模化、太陽光発電所の推進、最近の例だと2020年の東京オリンピックが思い起こされます。「3兆円かけて、史上最低の内容…」

東日本大震災は私にとってトップダウンとボトムアップアプローチとの対比が象徴的な事例でした。原発事故での危機管理をはじめ一律的な対応策、被災者の意見が十分に聞き入れられない復興計画など、多くの問題や限界が見られた一方で、地域コミュニティや被災者自身が主体的に復旧・復興活動に参加し、その結果、地域に根ざした持続可能な復興が実現されました。

うまくいくことの大部分は意図されなかったものであり、うまくいかないことの大部分は意図されたものである。

2つのリストを挙げよう。一つ目は、第一次世界大戦、ロシア革命、ヴェルサイユ条約、世界恐慌、ナチス政権、第二次世界大戦、中国革命 2008年の金融危機であり、そのどれもが、政治家、中央銀行家、革命家など、意図的な計画を実行しようとする比較的少数の人々によるトップダウンの意思決定の結果であった。

第二に、世界的な所得の増加、感染症の消滅、70億人への食糧供給、河川と大気の浄化、豊かな世界の森林再生、インターネット、携帯電話クレジットの銀行としての利用、犯罪者を有罪にし、無実の人を無罪にするための遺伝子指紋の利用である。これらのひとつひとつは、大きな変化を起こそうとは意図していなかった何百万人もの人々によってもたらされた、セレンディピティで予期せぬ現象である。過去50年間の人間の生活水準の統計における大きな変化のうち、政府の行動によってもたらされたものはほとんどない。

『The Evolution of Everything: How New Ideas Emerge』

グローバリゼーションの崩壊しやすさ

ローマの衰退は、行き過ぎた偉大さの自然かつ必然的な結果であった。繁栄は腐敗の原理を熟成させ、破壊の原因は征服の範囲とともに増大し、時間や偶然が人工的な支えを取り除くとすぐに、巨大な建造物は自らの重圧に屈服した。ローマ帝国の滅亡の経緯は単純明快であり、なぜ滅亡したかを問うよりも、むしろこれほど長く存続していたことに驚かなければならない。

エドワード・ギボン『ローマ帝国の衰亡と滅亡の歴史』(1788年)

9.11のテロ攻撃、世界金融危機、COVID-19のパンデミック、ロシアのウクライナ侵攻などにおいてもグローバルなショックは、私たちの生活様式の脆弱性を浮き彫りにしました。これにより、グローバリゼーションからの撤退を求める声もさらに高まっています。その声は届かず、国際的な相互依存は続いており、リスクも増大するばかりです。

人間は、過去の成功を未来の繁栄の保証と誤解し、脆弱な基盤の上に高い建物を建設する傾向があります。例えば、環境的に持続不可能な砂漠の都市国家に囲まれたブルジュ・ハリファは、現代のバベルの塔と見なされることがあります。私たちは、重要なシステムの設計において堅牢性と回復力を無視し、すべてをコントロールできると過信しています。

複雑適応系(CAS)としてのこれらのシステムは、非線形で予測不可能なリスクを持ち、システム全体の集合的な構造とダイナミクスに起因する脅威を生み出します。グローバリゼーションによって成立する農業、通信、輸送などの分野は、複数のシステムの相互作用に依存しており、調整ミスや意図的な干渉が大惨事を引き起こします。

グローバリゼーションは、人、お金、商品、物品、サービスの継続的な流れ、膨大な数の個人の協力を必要とします。最終的に、私たちは、そのリスクプロファイルを完全に理解することができないグローバルなシステム・オブ・システムに住んでおり、その上に私たちの継続的な生存を賭けています。

世界はどのように崩壊するのか
How Worlds Collapse 編集者は、これらの広範なエッセイを集めたことに感謝に値する。人類にとってこれ以上ないほど重要なテーマでありながら、その意義に見合うほど体系的に注目されてこなかったこのテーマについて、魅力的な視点を提供してくれている。この本が、起こりうる大災

テインターの「複雑性の収穫逓増説」は、内生的な脆弱性の増大を説明する有力な説です。グローバリゼーションの規模と複雑さは、現代の傲慢の物語であり、内生的な障害と潜在的な崩壊をもたらすでしょう。

中央集権型の医療の限界

現代医療のシステムが中央集権的であることに異論を挟む人はいないのではないかと思います。その中でも、ワクチンは、開発、承認、配布、接種政策において、典型的に中央集権的な医療システムであり、その負の特徴も完璧に示しています。

ワクチンが大規模に普及することで、製薬業界にとって利益が巨大なものとなります。ワクチンに限りませんが、効果のある一つの薬を市場に導入するための開発費用(数百~数千億円)や障壁と比べて、規制機関や医学雑誌の編集者を買収し、医療統計学者雇って臨床試験をごまかし、医師の採用率を高めるための営業のコストがはるかに低く、製薬会社が得た利益は、さらに効果がなく(害のある)利益を生みやすい(特許がとれて完治させない)製品を市場に押し出すこと焦点をあてます。この巨大な利益→利益が出せる(効果の低い)薬だけへの投資による「フィードバックループ」は、潜在的に巨大な薬害を生み出す構造を作り出します。

それだけではなく、ビタミンDやイベルメクチンのような大きな利益を生み出さない治療方法も、繰り返し焦点が当てられないことで、単なる機会損失を超えて「負のフィードバックループ」を生み出しています。

その象徴的な事例が、メリル・ナス博士ポール・マリック博士ピーター・マカロー博士に起こったことです。数えきれないほどの多くの医師が、COVID-19の治療にヒドロキシクロロキンやイベルメクチンを使用しワクチンを拒否したために、医師の資格を剥奪されたり病院を追われました。[R][R]

このような私たちが目にすることのできる顕在化した検閲は、文字通り氷山の一角であり、検閲の費用対効果が低く、犯罪の証拠も得にくい「自己検閲」が蔓延していると強く疑われることも深刻な問題です。[R][R]

また、コビッドパンデミックに限った話ではなく弾圧は過去から続いていたことは釘を指しておく必要があります。中央集権型の医療の罪は「機会損失」「医原病」といった生易しい表現をはるかに超えています。

私はなぜ医師や政府が、このような複雑な医療の仕組みが問題なく機能すると現代医療の無謬性を信じれるのか、よく理解ができません。驚くかれるかもしれませんが、医療のシステム全体が本当に安全で効果的に機能しているのか、比較検証された研究も見当たりません。

コビッドワクチンに警鐘を鳴らし、反対運動を支えてきたのは、ボトムアップアプローチによってです。パンデミックやワクチンの問題点には様々な視点がありうると思いますが、私が描くピクチャーの一つは、医療だけではなく、トップダウンのアプローチを中心にした社会のあり方がとっくに限界を超えてしまってるというものです。

コロナのパンデミック予防の失敗は、世界的に情報システムの規模やスピードが巨大であるにもかかわらず、国家が国境を越えたグローバルな危機に直面したときに、グローバルなマニュアルがいかに機能しないかを明らかにした。ラウトレッジ国際ハンドブック 無知の研究

「同じことを繰り返しながら違う結果を望むこと、それを狂気という」という有名なアインシュタインの言葉がありますが、何度も何度も中央政府の酷い失敗が繰り返されていながら、トップダウンのアプローチがあまりにも支配的であるため、ほとんどの人は、「政府が悪い、今の悪い政府を変えれば良くなるはずだ」としか考えることができなくなっているのではないでしょうか。

地方分権を強化しようというのが関の山で「ボトムアップ型の社会構造」という発想にまでは至りません。分散型社会の基本的な考え方や設計について、資格のある専門家の研究や考察を理解することが最善です。

この領域の思想や制度に関する研究も広大で、まとめることに苦心していますが、ひとまず、いくつかの文献を紹介しておきたいと思います。

関連書籍

E.F. シューマッハー: 『スモール・イズ・ビューティフル』(1987)

マレイ・ブクチン: 『エコロジーと自治主義』(1996)

『Connected: The Surprising Power of Our Social Networks and How They Shape Our Lives』(翻訳編集中)

ケビン・A・カーソン: 『The Homebrew Industrial Revolution』(2020)(翻訳編集中)

The Great Reset and the Struggle for Liberty: Unraveling the Global Agenda(翻訳編集中)
『グレート・リセットと自由への闘い: グローバル・アジェンダを解き明かす』

ヒトデとクモ | リーダー不在組織の止められない力
目次 はじめに 1 MGMの過ちとアパッチの謎 2 クモとヒトデとインターネットの大統領 3 ヒトデの海 4 5本足で立つ 5 カタリストの隠された力 6 分権に挑む 7 コンボ・スペシャル:ハイブリッド組織 8 スイートスポットを求めて 9 新しい世界 資料 謝辞 索引 その他
『コモンズとして考える』コモンズの生活入門(2014)
Think Like a Commoner 要旨(GPT-4) 『Think Like a Commoner: A Short Introduction to the Life of the Commons』は、デビッド・ボルリエ(David Bollier)によって著された本で
『次なる文明』デジタル民主主義と社会生態学的金融
Next Civilization: Digital Democracy and Socio-Ecological Finance—How to Avoid Dystopia and Upgrade Society by Digital Means ディルク・ヘルビング 第2版
『ソーシャル・シンギュラリティ/ 社会的特異点』
The Social Singularity: How decentralization will allow us to transcend politics, create global prosperity, and avoid the robot apocalypse 目

編集中

オーバークラス

ファシズムでは、ニーチェが「意志の勝利」と呼んだように、他人の利益よりも自分の利益を追求することだけが真の価値である。他者への配慮はすべて弱さとみなされる。むしろ、社会ダーウィニズムの影響によって、弱者は全体の進化を脅かす消耗品とみなされる。そのため、戦争や暴力によって他者を支配しようとすることは、勇気の模範とされる。冷酷さが美徳となる。このように、ファシズムはマッチョイズムの最も粗野な形態であり、好戦的な軍事的攻撃性を最も男性的な資質と同一視する一方で、慈愛や思いやりは女性的と蔑まれる。

『トランスヒューマニズム』 危険な思想の歴史

ゲイツやソロス、シュワブのようなオーバークラスが、市民参加のアプローチを大衆に問うたことはありません。私の知る限り、検討した形跡さえなく、彼らの基本的な思想にせよ、行動にせよすべてが異常なまでに中央集権型に傾いているように見えます。

最大限の善意の解釈は、政治プロセスが道徳よりも上位にあると信じて疑わず、還元主義的な(工学的な)解決方法にこだわる生粋のテクノクラートであり、ボトムアップ・アプローチの解決は政治的実現性がないと考え、自らは知的で親切に心から最善だと信じ「慈悲深い独裁者」として振る舞っているというものです。これは彼らだけではなく、多くの政府関係組織がトップダウン方式で高い経済成長を享受することに成功した中国やシンガポールに目を向けていることとも関係しています。

しかし、個人に目を向けるなら、倫理感が絶望的に欠如することの自然選択的な優位性によって権力を得ており、モノポリーと官僚エリートへ人類のリスクに対処する能力があるように見せるプレゼンがうまいが、生物や社会の複雑さを工学的に理解しようとするために、実際にはその能力に極端な偏りがあり、それが致命的な欠陥となっているが本人たちは気づいていないというような代物かもしれません。

または、彼らは支配を維持し拡大することを望む多くの権力組織に囲まれており、彼らの意向に従うハブの役割に位置することで地球レベルのかつてなかった絶大な権力を手に入れることができ、権力のフィードバックループを働かしているという意見もあります。人類の実存リスクはそれを正当化させる(ヒロイズムに酔う)都合の良い理由であったというものでしょう。もちろん、これらの解釈は必ずしも排他的ではなく、結びつきあったものだと考えることもできるでしょう。

「ダーティハンド」の滑りやすい坂を豪快に滑る権力者(オーバークラス)

適者生存や優勝劣敗の考え方を政治や経済に適用する社会ダーウィニズムという評判の悪い強者の論理がありますが、私の想像は、エリートの社会学においてそのような考え方が蔓延しており、マンハッタン計画やナチスドイツの科学者のように善悪の倫理を集団として喪失してしまったのではないか、というものです。彼らが単独で悪行をなしているのであれば、すでに淘汰されていたでしょう。歴史を振り返れば、他にも優生学運動、過激なマルクス主義者、ポルポト派など、知的エリートが暴走した例はけして珍しいことではありません。

「象はアリを踏み潰すことを気にかけないだろう?」

「私は人類を愛している。しかし、人類全体を愛すれば愛するほど、特に人間を愛せなくなることに、私は驚いている」

フョードル・ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』

人類救済のためなら、100万人の命はやむを得ないという功利主義的な考え方があります。オーバークラス(エリートの中でも極端に権力をもつグループ)の倫理観は、「やむを得ない」ではなく、単に「気にかけていない」というものです。

5人の臓器移植を待つ人間を生かすために、1人の健康な若者を殺して臓器を取り出すことは許されるのでしょうか。今回の遺伝子ワクチンの接種はそのような論理の元に実行されました(現実は犠牲者側が大ですが…)。このような道徳的ジレンマが感じられるのであれば、まだ救いようがあるのかもしれません。

何を言うかではなく、何について語らないのかに注目した時、人の心は見えてくるものです。彼らから地球を守ろうという抽象的な話は聞こえても、人間一人の生の苦しみに対する実存的な声に傾ける発言を目にしたことはありません。

自分のためにすべてを、他人のために何もしないことは、世界のどの時代においても、人類の支配者たちの卑劣な格言だったようだ。 アダム・スミス

今回のmRNAワクチンにおける生命倫理の違反を指摘した医師、生命倫理学者、公衆衛生の専門家がどれだけいたか?3年が経過し、日本だけでも20万人が亡くなり(殺され)、潜在的にその数の数倍から数十倍の障害者が影で苦しみながら、専門家や医師から心からの悔恨の声がどれほど聞こえてきたか?「悪の凡庸さ」という言葉が何度も頭に浮かび上がります。これらのことは完全な無能でなければ証明するまでもなく、私たちがいかに狂った倫理の中にいるのかということを強く示すものです。

アイヒマンの決定的な欠点は、想像力の欠如と現実からの遠ざかりと相まって、他人の視点から何かを見ることがほとんどできないことであった。アイヒマンが巨悪を行えたのは、彼の性格に悪魔的な深みがあったからではなく、ナチス政権の犯罪性に軽率に流されたからだ。彼は大悪人ではなく、平凡に思慮が浅く、判断力に欠けていたのである。『Is radical evil banal? Is banal evil radical?』

市民までもが、狂った倫理観にいつまでも気づかず服従を続けるのであれば、それはもはや私が理解する人間の社会ではありません。一体私たちは何を得て、何を失おうとしているのか?そこに私たちの選択はあったのか?

やってはダメなこと

私は元来「真理」というイデオロギーが苦手な不可知論者でした。陰謀論に心底感心がない実用主義者であり、「悪」や「正義」という二元論を嫌う穏健な相対主義者であり、5人の命を選ぶ効果的な功利主義の傾向があり、「技術はそれは使う人次第だ」と信じる進歩主義者でした。両極に強力な議論があります、どちらか片方を捨て去ったわけでもありません。しかし一部のリベラルの人々が経験しているように、行き過ぎた合理性や相対主義への大きな揺り戻しを私自身、経験しています。

人々が愚弄され、欺かれ、搾取されているとしか言いようがない視座があります。より俯瞰的で功利主義的な要請がありえるのだとしても、「人としてやってはダメ」というライン(自然法)があるはずです。

冷静に考えてみれば、私たちが大事にしようとしているはずの「人権」「人間性」「生命倫理」といったコンセプトは、先祖が生死を賭して得たものですが、私たちは生まれながらに与えられており血を流して得たわけではありません。戦争体験者が語る「平和」の尊さを、私たちには絶対的に理解できな壁があることとも重なります。そして、「人間性」という根源的な価値はお題目として尊ばれ、実質的に形骸化させるという形で、失いかけているのかもしれません。

真実にいたるプロセス

繰り返しになりますが、私はここで「唯一の真実」を提示しようとしていません。それは私の役割ではありませんし、人から与えられた答えに(それが正しいとしても)大きな意味があるとは思えません。

私にあるのは真実ではなく、答えを探りながらも「複雑さ」「不確実性」の存在を受け入れていく意志です。合理的に妥当な「問い」をみなさんと共有し、考え始める「プロセス」を示すことができれば、このブログのささやかにして尊大な目的は達成されます。

今の時代に重要なのは、「これが真実だ」でもなければ、「真実など存在しない」でもなく、真実をどうやって見つけていくのか(どのように合意をとっていくのか)という「プロセス」が問われているのではないでしょうか。

科学的方法、論理的思考、民主的な議論、対話(ダイアログ)、宗教、哲学、伝統的知恵など、人類の長い歴史と叡智によって、この真実を探求するプロセス自体も変化し改良されながら今日に至ります。指数関数的に科学技術と人口が成長し複雑化した近代社会の中でこのプロセスの構築の多くが専門家の手にわたり、市民の監視の目が届かなくなってしまったのは必然的な結果なのでしょうか。

グラフを見れば一目瞭然です。わずか2世紀の間に人口が10億人から80億人に増加し、実質世界総生産がわずか、100倍以上に膨張したことが、私たちに何をもたらしたのか?人口の増加は技術の進歩とともに著しい経済成長、コミュニケーションの拡大をもたらし、さらに相互依存的に人口の増大ももたらしました。人口学的議論の負の部分を教科書で目にすることはありませんが、人口増加はグローバルとローカルの矛盾を引き起こし、環境と資源の獲得競争が始まり、経済格差を増大させ、情報戦争が重要になり、「新しい形の権力」を生む土壌にもなりました。

社会的権力の主要な道具には、金融、軍事力、コミュニケーション、技術の4つがあります。お金と武器は、おそらく社会的権力の最も原始的な形態です。歴史的スケールで見るならば、これらのすべての側面が「支配と権力の構造」を変質させていますが、その直接的な触媒になったのは「技術」そして「人口」ではないかと思います。

エリートが支配する5つの重要な資源に、政治資本、経済資本、社会資本、文化資本、知識資本あります。このことによって社会的な真実を導き出す「プロセス」は、この2世紀~半世紀ほどの間に歪められていたのだなというのが、パンデミックを通して世界に対して抱いた感想です。

これらの圧力は名目上の自由を作り出し、(リップマンの時代から続く)民主主義の形骸化も促進してきました。実質的に「支配と権力に影響のない真実」だけを知ることが許された社会は、その無理を通すために、社会全体を少しずつ毒していくことにもなります。過剰な農薬の毒によって症状がすぐに現れるわけではないように。

これらのことを放置することは、この言葉を使うことは極力避けていますが、、技術的な奴隷制度(服従の制度的形態)を生み出すプロセスの強化にもつながっています。この制度に最も近いものが現在の中国の社会信用システムです。本来であれば監視社会への移行を防ぐはずの法的枠組みはパンデミックで機能しないことが示されました。社会的な受容もワクチンやマスクの件を見れば明らかなように、操作可能なことが証明されました。政治的意志があることも様々なエリートの発言や文書によって示されており、何よりも隠されていません。中国式のデジタル監獄に移行しないと考える理由は私の目には見当たりません。

一度失うと取り戻すことは難しい

数年から遅くとも1世代のうちには、事実上の全体主義社会であるデジタル監視国家が、成立することが予想されます。動物園や水族館で一定期間育った動物は、飼い主に抵抗することも、野生で生き抜く能力も絶たれます。

アイヌ民族、ハワイアン民族、アメリカ先住民は、政府の同化政策や影響により文化や言語を失いました。そして、彼らの子孫が過去を懐かしむことはあっても、強く嘆いて取り戻そうとする意志はくじかれています。言うまでもなく、再び彼らが自分たちの社会を取り戻せると想像することはむずかしいでしょう。例外的に再確立できたとしても、先祖との深い精神的つながりは失われているかもしれません。

これらは、現在パンデミックを通じて起ころうとしていることとよく似ています。複雑なシステムが小さな変更の積み重ねを通じて変化を引き起こし、ある閾値を超えると適応性を失い回復が不可能になっていく点においてです。そして、彼らが目に見える形でその圧力や変化を深刻に受け止めたとき、回復させるには手遅れだったのではないでしょうか。

望むか望まないかに関わらず、新たなワクチン、次の計画的パンデミック、WHOのIHR改正、デジタルID、デジタルパスポート、ソーシャルクレジット、顔認識技術、暗号通貨の解除法案、健康データの集積、IoT、自動運転車の遠隔操作、ビッグデータ分析、エネルギー消費のモニタリング、CBDC、15分都市、遺伝子データベース、ドローン監視、AI監視カメラ、ディープフェイク技術、予測ポリシング、..etc、私たちが意味のある抵抗のできる機会の窓は一歩ずつ狭められています。[R]

現在の中国のデジタル監獄は、私たちの社会を先行しているだけであって、最終的なゴールを示しているわけではないことも強く強調しておく価値があります。

この問題には「木を見て森を見ず」という言葉があるように、個々のツールや技術だけを見ていると、利便性や効率性、経済性ばかりが強調され、全体として何が起ころうとしているのかわからなくなるパラドックスがあります。

全体という言葉には歴史的な経緯も含まれます。歪められたプロセスとその歴史に焦点をあて、再考していかなければ、どれだけ社会に凄惨な事態を引き起こす可能性があるのかを理解することが難しく、結果として本当の抵抗運動には結びつかないでしょう。

最後に

この記事自体が、明確な構想の元に書こうとしたわけではなく、得られた情報や知見を元に分散型の形式で書くことを試みてみました。必ずしも結論が先にあったわけではありません。そのため、つながりがわかりずらいところや、読みにくいところも多々あったと思います。最後まで、読んでいただきありがとうございます。m(_ _)m、

もともと私は、こうしろとか、こうであるべきという話が大嫌いな自由主義的人間です。コンビニ食を食べて健康を害するかどうかなら、それはあなたの選択だと言うでしょう。しかし、後戻りができない子守国家(制度的家畜化)への選択を「あなたの選択だ」と言うのは、それとは明らかに異なるアドバイスであり選択です。親しい友人が自殺したいと告白してきた時に、それはあなたの選択だと言うのに等しく、理性と感情の板挟みにいつも苛まれています。。一つだけ言えることは、選択(拒否)が可能な時間はあまり長くは残されていないということでしょう。

狭い視野?それとも広い視野に広げるべきなのか?

一般的に避けるべきは、このサイトも含めてですが、一つの学説や一つの視点だけで見ないようにすることです。人間の知性は、人間の認知能力、教育システム、社会的・文化的要因の影響によって自然と特定の分野に知性を特化させる傾向を持っています。そのため、受け手が多様な複数の視点をよほど意識的に持とうとしない限り、偏見や先入観が強化され全体像を見る力が失われてしまいます。

しかし、複数の視点を選ぶとしても、再び確証バイアスが入り込むでしょう。また、パンデミックでの知識人の対立を見てもわかるように、見識のある方や聡明と思われている方でもある種の視点の中に押し込められていることから、正直、このアドバイスが果たしてどこまで実践的な意味をもつのか、疑わしいと思うこともあります。

一人称的な経験的視点や直感が、一周して訳に立つことががあります。つまり推奨するわけではありませんが狭い視野のままでいることが準最適解に達し、生存に有利であることもあるのです!このような現象は「生態学的合理性」という名で呼ばれています。私の個人的な考えでは、「視野を広げる努力は行うべきだが、中途半端はよくない」というものです。

そのことを踏まえて、判断に役立つかもしれないポイントを3つに絞ります。

  • 情報発信者の「利害関係」に注意し、
  • 独立した「複数」の情報源を利用し、
  • 最後の砦は「人間の直感」です。

人の常識や倫理的直感にはバイアスがあり、小利口な人々によって嘲笑されることもしばしばあります。しかし、今ほど、その倫理的直感を必要としている時はありません。

「なぜ、やめなかったんだ?」

「続けろと言われからだ」

映画『アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発』
(Wikipedia:ミリグラム実験)

私たち人類は「人間的な直感」によって二度も核戦争の崖っぷちから救われました。技術やシステムではありません。[R]

そして、死ぬ前に後悔をすることのない道を選んでほしいというのが、私からの切実なるお願いです。幸運を祈っています。