あいさつ(重要)

初めて当サイトを訪れた方へ

このブログは、「アルツハイマー病を治す」ということについて、真剣に改善、回復を考えられている認知症患者さんへ向けて書かれています。

認知症治療に対するアメリカで始まったばかりの非常に新しい考え方と方法論に基づいており、その情報が国内ではほとんど知られておりません。

また私個人も、単一型の標的医療、現在の臨床研究のあり方、世間の認知症への無関心さ、認知症を取り巻く社会運動、世の中で流通している健康情報等々、ほとんど全方位的に(冷汗)、疑念や違和感を感じており、批判をいただくであろう記述も少なくありません。

こういった既存にない開拓的な情報を活用していくには、自分の頭で考えて理解し(批判的な吟味も含めて)納得していくことが非常に重要な鍵となります。

そして、このことがほとんどすべての人にとって、とても高いハードルとなっていることも承知しております。

そのため、長文のあいさつとなっておりますが、個人の見解を含め、コアとなる情報はすべてこのページにまとめありますので、まずはお読みいただき全体像の理解につながってもらえればと思います。

アルハカ

アルツハイマーブログ

記事目次

これまでの経緯

はじめまして

こんにちは! アルツハイマーブログ、アルツハッカーの管理人アルハカです。

2009年、当時50代だったわたしの母が、若年性アルツハイマー病と診断されました。

MMSEのスコア維持

幸い母は、その後試みた多くの改善策、また家族の協力もあり、当疾患の平均余命とされる8年が経過しましたが、認知症テストMMSE診断時と変わらない23点/30点というスコアを維持しています。

※進行抑制状態にあるアルツハイマー型認知症は実はレビー小体型認知症などの誤診なのではないか(レビーは進行抑制状態を比較的長く保つ人もいる)という意見も目にしますが、わたしの母に限っては、臨床的にも脳の画像診断でも、典型的な若年性アルツハイマーの病状(亜型でもない)を呈しており、その他の可能性は限りなく低いと考えています。(”限りなく”と書くのは、厳密なアルツハイマー病の確定診断は死亡後の剖検で確定するため)

管理人にも厄介な病気が

実は、このブログの管理人であるわたし自身も、5年生存率が5割をきる難治性の自己免疫疾患を患い10年が経過します。

病気のタイプは母とはまったく違うのですが、病因がわからない、治る見込みがない、母と同様しぶとく生き残っている、という意味では似ていたりもします(泣)

アルツハイマー病以上に根本的な原因がわかっておらず、標準的な治療法も存在しない難病だたっため、医者に頼ることもできず、これまで自分で医療情報を探索して病気を治そうと試みたりしてきました。

不幸中の幸いというか、そういった特殊な経験があったため、母がアルツハイマーと診断された際にも、怪しい健康情報に振り回されず、医学的な知識を背景にした代替策を見つけて実行することができました。

初期の段階でそういった手を打てたとことが、さらなる高レベルの治療手段に移るまでの時間稼ぎにもなり、低空飛行ながらも母の認知症進行抑制につながっていったように思います。

強引に回復させる

ただ、単純に早期代替策治療で、これまで母の認知機能が一度も落ち込むことなく、ここまでこれたとも言えません。

一般的な経過から見れば、ほとんど抑制といっていい病状の進行ではあったのですが、日常生活への支障が大きくなりだし、道にも迷って一人で帰れなくなったり等、このまま悪化していくばかりか、と思われた一時期もありました。

その後、このままではまずいと、さらに、あれやこれや医療情報を探し回り新しい治療法や生活の工夫を何度も繰り返し、ほとんど力技で診断時のレベルにまで戻してきました。

※厳しく評価するなら、MMSEのテストを何度も受けてきての同点であるため、わずかとはいえ悪化していると考えるべきかもしれませんし、肯定的に見れば加齢による落ち込みがないだけ改善していると見てもいいのかもしれません。このあたりの医学的評価手法は確立されていないようです。

今後の予想

今後どのように病状が推移するのかわかりませんが、現状安定しており、おそらく良くなるにしても悪くなるにしても、ゆるい変化の中で起こっていくのではないかと予想しております。

とはいえ母も前期高齢者となり、これからアルツハイマーと関係なく、高齢化による認知機能の衰えも加わってきますので、これから維持ではなく完治させてしまうぐらいの勢いで改善策を講じていかないと、将来が厳しいだろうという予想もあり、今もなお、より良い治療方法についての探索を続けています。

個人事例

このブログでは、有効だと思われる改善策について数多く取り上げていきますが、あらかじめ念のために書いておきますと、あくまで個人の事例であり、そのことが他の方にも通用するかどうかはわかりません。

また、実行の複雑さや、間違ったやり方によってなにかあったらという心配もないわけでもないため、声を大にしては言いにくいという思いもあったりします。

ただ、わたしの母の病状進行は個人差で生じる進行過程を大きく超えて維持されているため、改善方法の中に何かヒントがあるのではないか、と考えることは許されてもいいのかなとは思います。

※一般的な認知症と比べて若年性アルツハイマー病の病状は、進行の個人差が少ないとされています。

認知症をとりまく現状

認知症の悲惨さ

「もう生きられへん ここで終わりやで」

「そうか、あかんか 康晴、一緒やで」

「すまんな」

「こっちに来い 康晴はわしの子や わしがやったる」

京都認知症母殺害心中未遂事件 2006年2月

知られていない認知症介護の闇

介護する方が精神的にぎりぎりまで追い詰められ母親と無理心中をしたことや、ネットや掲示板のリアルな書き込みなどを見ていると、そのあまりの悲惨さに、何も見なかったことして過ごそうとする自分に気づいたり、妙に考え込んだりすることもあります…

”介護殺人”当事者たちの告白

介護に疲れた…介護家族の悲劇と苦悩

有名な「京都認知症母殺害心中未遂事件」のその後

介護殺人

こういった介護殺人は、今でも年間30~40件起こり続けています!

「介護殺人」の画像検索結果

ただ要介護者の人口は400万人(要介護度1以上)と半端じゃなく多いので、この数字が本当なら、怒られるかもしれませんが、見方によっては(うつ病に対する自殺率とかを考えると)介護する方が頑張っているなあ、と見ることもできるのかもしれません。

※一方で、数字として上げられている介護殺人の数は氷山の一角にすぎないという専門家の指摘もあり、私もその可能性は高いと思っています。

介護殺人。遺族の意向で事件化されない、「封印された死」の真相

認知症掲示板

認知症掲示板 介護関連の書き込み 抜粋

※内容的にきついので、認知症患者さん本人が簡単には見られないようパスワード制限かけています。パスワードはこの文中にあります。

残された少ない時間

新薬が承認されるまでの長すぎる道のり

よくテレビ番組などで希望を与えるような新薬開発状況が放映されたりしますが、たとえ今、改善可能な薬が開発されたとしても、そういった薬が承認を得て使用可能になるには数年単位の時間がかかります。

残念ながら、進行の早い若年性アルツハイマー患者は、新しい薬を待つ時間はありません!

ブログ記事 若年性アルツハイマー病の予後

承認試験の異常な失敗率

治験などに参加して希望をつなぎたいと思っても、承認試験の失敗率を見ていると、そこに大きな期待を寄せることができるとは、とうてい思えません。

記事 アルツハイマー新薬、フェーズ3の高い壁…過去16年、成功確率わずか3.1%

※フェーズ3 = 治療薬の承認試験の最終段階

第一相臨床試験からの開発薬の成功確率は、がんの治療薬で約20%、アルツハイマー治療薬は1%以下です!

論文 なぜアルツハイマー病の開発薬は失敗するのか。新しい方法と実行(英語)

そして、その1%という難関をくぐり抜けて合格した認知症薬であるガランタミンやメマリーでさえも、回復どころか進行抑制さえも持続的にできるわけではなく、その抑制期間も1~2年とアリセプトとほとんど差がないものです。

個人探索の難しさ

また、他の手法を探るにしても、一般の方がエビデンスという言葉を知らないところからスタートし、怪しいネット情報をかき分けていって、独自に効果のある医療情報を探り当てるには、それなりの年月がかかると思います。

ましてやアルツハイマーの場合、ガンとも違って、医者でさえ本当に有用な情報を選別するのは至難の業です。そういった中で仮に多少なりとも有効と思われる治療方法を見つけたとしても、その頃には、すでに回復や抑制の難しい状態に進行しまっている可能性が高いとも思います。

わたし自身にも同様にいえる部分があり、アルツハイマー病と疑われたもっと早い段階に今の知恵があれば、今ごろ母は完治していたのではないかと強く信じています。

(このブログを始めようとした動機にも関わっています。)

MENDプログラム

「mend alzheimer」の画像検索結果

医学的理由を中心に

感覚が役に立たないとき、理性が役に立ち始めるのだ。

ガリレオ・ガリレイ

直感が通用しない認知症

当ブログで取り上げられる改善策は、一定の医学的理由を重視しています。

わたし自身もそうでしたが、自分たちは五感で感じれるものだけで判断する習慣が身に染みついており、とかく病気に関しても目に見える症状や感覚をあてにして考えがちです。

例えば、「お腹の調子が悪いな?」とかであれば、「昨日食べすぎたせいかな」などといった感覚的なフィードバックを働かすことができます。

自分も当初、自分の病気に関しては、頼れる医学的な情報がそもそもなかったため、体感を拠り所に治療方法を模索していたようなところがあります。

しかし、認知症は違います。

認知症は、そういう直感を当てにできるような種類の病気ではまったくないのです!

そもそも脳には痛みの受容体がありません。

(ガンの場合にはまだ内蔵痛覚、深部痛が存在します。)

「なんだか、最近物覚えが悪くなったなあ」と思うのは、脚の骨が折れても痛みを感じない無痛症の人が、歩いてみて「なんだか、最近ぐにゃぐにゃ曲がって歩きにくいなあ」と言っているようなものです。

認知症の直接的な原因とされているアミロイドプラークやタングルは、発症の20年以上前から脳の中で蓄積を始めていると言われています。

これは言い換えれば20年間、体感では脳の異常を感知できなかったということです。

https://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA02931_04

ガンにしてもエイズにしても、遅れて発症するタイプの病気は、そのすぐに発症しない性質がゆえに被害の拡大を招いていると思いますが、それに加えて認知症は病識(病気だという自覚)がない、回復しないいう要素が、本当に輪をかけてやっかいなものにしています。

一度壊れると回復できない脳

また、認知症には痛みがないというだけではなく、一度、脳の神経細胞が壊れてしまうと基本的に回復しないという特性があります。

これが、肝臓や筋肉であれば、損傷を受けても細胞が修復活動を行ってくれます。

そして腎臓のように回復が難しい臓器であっても、ダメージを受けていない部位が代償性をもつため、なんとかやっていくことができます。

脳の場合、その機能がネットワークとして協調して働くため、回復が難しいだけでなく、そのネットワーク機能が一度大きく壊れてしまうと、他でその機能を代替することが非常に困難になります。

※海馬、海馬歯状回など脳の部位によっては神経幹細胞から新しく細胞が作られることがわかっきてはいますが、それらは非常に限られたものであり、怪我が治るような回復力があるわけではありません。脳の神経可塑性については期待を寄せていますが、これらを活用していくには複合的な戦略と相当な本人の努力が必要です。

また仮に神経細胞が回復したとしても、記憶を担うシナプスの結合自体は回復が不可能なため、シナプス自体が損傷を受ければその箇所の記憶が戻ってくることは原理的にありえません。

これは、ちょうどコンピューターのメモリが壊れてしまえば、メモリを新品に変えることはできても(脳ではそれもできませんが)元にあったデータの復活はできないようなものです。

自分のことに話を戻しますが、母が自身で判断することの難しに加えて、家族や外部からの観察となればなおさら困難です。そこで当初、医療データ(エビデンス)を元にした治療をしていく必要性を感じました。

しかし、客観性を厳格に適用するなら、当時は、アリセプトしか選択肢がなく、多くの方がご存知のように、これはせいぜい進行を1~2年間しか抑制する効果がありません。

「医学的に有効ではない」という言葉の微妙さ

統計が示すことを信じる前に、統計に示されていないことを注意深く考慮せよ。

ウィリアム・ワット

「medical evidence」の画像検索結果

ある認知症、またはアルツハイマーの薬において「医学的に有効ではない」と言われるとき、それは製薬の承認の最終試験において、ADAS-COGや面接などの臨床評価による指標(エンドポイント)による統計結果によって基準を満たさなかったことを意味します。

最終的には当然、具体的な症状として改善されなければならないものの、単体の製薬が代謝されて、臨床症状を改善するまでに至るまでの因果関係または相関関係に階層性がありすぎて、結果に反映されにくいのではないか?という疑念がまずあります。

誇張した例で言うと、ペットボトルをリサイクルして、その結果温暖化が防止できたかをインタビューして指標化し判断しているみたいな感じです。

仮に大気中のCO2を精密に計測したとしても、おそらくペットボトルのリサイクルだけではCO2濃度低下の判定(有意差)はつかないでしょう。

その結果に基づいて、ペットボトルのリサイクルはすべきではないと判断すべきでしょうか?(ペットボトルリサイクル不要論もあるようですが、)

また、試験結果の「医学的に有効ではない」という判定を受けた場合、それは統計情報として認められないということを意味しています。

P値という設定による可能性の高さ(通常95%以上)で判断されるため、実際には改善する可能性が94%あったとしても、基準値以下とみなされ失格となってしまいます。(疾患リスクに応じてP値変えちゃだめなの?といつも思ったりします。)

そして、試験期間は数ヶ月長ければ数年ということもありますが、試験の性格上、短い期間で判断せざるを得ないため、10年前後という病気の長さに対して短期間の間に一定の効果をあげなければ試験をパスしないということにも、ひっかかるものがあります。

この試験期間の短さと、P値をクリアしなければならないというプレッシャーのために、患者への規定投与量が全体的に過剰な投与量として設定されてしまっているという印象ももっています。

他にもまだいろいろあるのですが、こういった部分的な不備が目につきだすと、今の医学が、局所的な合理性を追求しすぎて、全体の合理性、または実際性(プラクティカリティー)がひどく失われているようにも見えます。(少なくとも一個人の観点からは)

ですので、「医学的に効果がない」もしくは「医学的に効果がある」と言われても、背景にある研究や、臨床試験の詳細内容がわからなければ、少なくとも個人が活用していく際には情報としてはほとんど役に立ちません。

こういった白とも黒とも判定できない情報を、個人が活用していくためには、その証拠の強さ、そして内容を理解する能力が求めれれます。

巷にはあまりにも怪しげな治療法が広がっているため、それらに傾倒する人たちと、それらに反発して強固確実なエビデンスばかりを主張する人たちに分かれてしまって、

その間に横たわる、

グレーゾーンの治療法が現実的に扱われていません!

ちなみに医学論文の検索サイトPubMedで、アルツハイマーの治療法を検索すると約4万5000件ヒットします!

そして、今市場に出回っている治療薬は4つです……

エビデンスレベル

そういった臨床試験の厳格すぎる基準ではじかれてしまった治療方法にも、エビデンスレベルやエビデンスグレードと言われる評価手法があり、研究などの分類によって信頼度の基準がガイドラインとして作られたりもしています。

「エビデンス レベル wiki」の画像検索結果

ガイドラインも選択バイアスが入っているので、それだけを参考にするわけにはいきませんが、医療情報に詳しくない人が、最初はそういったものを基準に、推奨グレードの高いものを選んでいくことも1つの良い選択肢だと思います。

私自身も、今ほどには医療事情に詳しくなかった最初の頃は、エビデンスグレードからそこそこ高いものを抜き出して、改善策を実行していました。

今振り返れば、そういった医療情報だけでは十分では無かったとはいえ、母の命を数年は繋いだと思います。もし、何もわからずに雑誌や新聞などの目につく改善策に飛びついていたらと思うと、今でもゾッとするものがあります。

そして、医療情報にもっと詳しくなっていくことで、上記図にあるピラミッドの階層を降りてゆき、証拠の弱い情報であっても、読み解くことで、独自に組み合わせて治療していくことができる世界があることに気づくようにもなってきました。

進行抑制の本当の理由

最初に母が診断されて慌てて予後を聞いたところ、医者から伝えられたのは「あと2年で、自分では服を着ることができなくなります」という言葉でした。

しかし、同時期に発症した他の認知症の方々がみるみるうちに病態が進行、悪化していく中で、実際に2年が経過しても、日常生活を送る能力は維持したままで、医者からは首をかしげられていました。

現在は、それからさらに6年が経過しましたが、記憶障害があることを除けば、母としての人格を保ち、今でも自分で服を着替えて日常生活を過ごしており、ともすれば病気であることを忘れてしまいそうなほどです。

なぜ進行抑制がこれほど続いているのか、厳密に、医学的な水準で聞かれるなら、「わからない」という答えになります。

しかし、結局振り返って、何をしてきたと言えば、医学的根拠、薬の仕組み(作用機序)などをある程度理解し、それらに基づいて改善方法を多面的に実行した、ということだけです。

アルツハイマー病の進行が遅くなる一般的要因

として考えられる可能性を上げてみます。

・他のタイプの認知症との誤診

(誤診の多いレビーなどでは進行が緩やかに続くケースがある)

アルハカ母 → 臨床的にも画像診断でも明確なアルツハイマー型。

・典型例ではない亜型のアルツハイマーである。

(海馬温存型、亜型AD、当サイトで紹介している3型などには進行の遅い例がある)

アルハカ母 → 海馬障害が著しく、臨床的にも亜型の可能性はありえない。

高学歴、知的労働に関わっていた。

(認知予備力がもともと高い人はそれだけ長く生きる可能性がある)

アルハカ母 → 普通の主婦

・何か魔法の特効薬を摂っている。

アルハカ母 → 初期の段階ではエビデンスに基づいたサプリメントと行動療法だけ。

・ApoE4遺伝子陰性

(陽性に比べると個人差やプラセボ効果による進行遅延の可能性が若干見られる。)

アルハカ母 → ApoE4遺伝子陽性

治験を受けている、受けていた。

アルハカ母 → 除外基準となってしまったため初期の段階で中止、また後になって、受けていた治験薬がApoE4陽性には有効ではなかったことを知る。

等々、考えつくかぎり書いてみましたが、他に進行が抑制される要因要素が「個人差」「運が良かった」的な事を含めたとしても、まったく思い当たらないのです。

馬鹿にできない代替療法

新規開発された薬や抗体のようなものは当然入手できないため、当時はそのほとんどがサプリメントや行動療法など個人で実行可能なものを選んでいました。

中にはサプリメントで?と思う方もいるかもしれませんが、臨床研究をつぶさに見ていると、入手可能なサプリメント・ハーブレベルでも有効性があると見てもいいのでは、と思うものも少なくありません。

ココナッツオイルの中鎖脂肪酸や玄米に含まれるフェルラ酸などが有名ですが、市場に出回っている薬と比べて、臨床的な改善効果が持続する期間は短いのですが、それでも一定の有意義な効果をもつことには間違いありません。

「coconut oil」の画像検索結果

また直接的な効果が劣っていたとしても副作用の低さ、価格の低さ、入手性、作用メカニズムの違いから他の薬と組み合わせることができるなど総合的に見て既存薬を凌ぐものも少なくありません。

これは運動や睡眠、食事などについても同様、もしくはそれ以上のことが言えます。

現在母は、認知症適応外の医薬品なども使っていますが、そういったものはけっこう後になってからです。

言い換えれば個人で実行可能なサプリメントと行動療法の組み合わせであっても、用い方しだいで大きな進行抑制効果を見せると思います。

※後ほど紹介するMENDプログラムも運動や食事管理、サプリメントを主体としていますが、検査に基づきシステマチックに実行することで、進行抑制といったレベルを超えて、完全な改善回復を可能としています。

ただ、病院での治療基準とは違って、個人が治療法を考えていく際には、個人レベルで実行可能かどうかといった現実的なことも含めていかないといけないため、改善方法を考えていく上で、臨床研究の信頼性だけを重視するわけにもいかない面もあります。

実際には、臨床結果、作用機序以外にも、過去に使われてきた実績、副作用(忍容性)、エビデンス情報特有の偏り、入手性、実行の容易さ、コスト、など、それらを総合的に考えた上で体系的に実行することが重要であると考えています。

MENDプログラムの紹介

まだ、世間的にほとんど認知されていないのですが、カリフォルニア大学(UCLA)のブレデセン博士が考案したMENDプログラムという認知症を改善していくメソッドがあります。

(MEND = metabolic enhancement for neurodegeneration の略)

UCLA = カリフォルニア大学ロサンゼルス校

 1919年に設立された、ハーバードやスタンフォードと並ぶアメリカの名門大学、13人のノーベル賞受賞者を輩出、UCLA医学部門は(THE)世界大学ランキング 第12位(東京大学は39位)

「ucla medical center」の画像検索結果

現在、唯一のアルツハイマー病回復の症例報告です。

(2017年1月 PubMed)

MENDプログラム記事

論文    https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4221920/ (英語)

CNNの記事 http://www.cnn.co.jp/fringe/35057633.html (日本語)

当ブログ記事 アルツハイマー 10人中9人が回復したMENDプログラム

ブレデセン博士の経歴

「おい、アルツハイマーは病気じゃないぞ、これは細胞の萎縮プログラムが発動してしまった結果だ!」

ブレデセン博士の研究所にて

ブレデセン博士は、1993年にプログラム細胞死に関わる「依存性受容体」を発見した神経変性疾患の専門家として、国際的に認められている研究者です。

プリオンの発見でノーベル賞を受賞したスタンリー・B・プルシナー博士はブレデセン博士の直接の指導者でもあり、ブレデセン博士自身プリオンとアルツハイマー病の関連性について多くの研究をされています。

ブレデセン博士が発見した依存性受容体ですが、単一の分子化合物ではなく複数のホルモンや代謝因子によって、細胞の萎縮性プログラムが発動したことも、単剤標的という考え方に対する疑念を感じだしたきっかけとなったそうです。

現在は、MENDプログラムの有効性が知られるようになり、現在急速に広まりだしいるため、併用療法を利用したアルツハイマー研究の分野の科学者としても認知されてきており、UCLAのアルツハイマー研究所にて継続して研究を行っておられます。

ブレデセン博士は、MENDプログラムの実質的な発明者であり開発者ですが、2015年にMENDプログラムを取り扱うミューズ研究所とは完全に関係を断っています。(推測ですが研究活動を続ける上で利益相反行為を避けるため、営利団体としてのミューズ研究所を離れたのではないかと思われます。)

そのため、現在、ブレデセン博士自身は、MENDプログラムを改良したプログラムとして「ReCODEプロトコル」(「ブレデセン・プロトコル」と呼ばれたりもしています。)というプログラムで活動を行われています。

「MENDプログラム」はミューズ研究所で用いられる商業的な性格をもち、「ReCODEプロトコル」はブレデセン博士が提唱する公開された個人プログラムといえるかもしれませんが、両者は基本的には同じものだと思ってもらっていいかと思います。

書籍「アルツハイマー病の終焉」

「ReCODEプロトコル」については、ブレデセン博士の出版書籍「The End of Alzheimer’s」(アルツハイマー病の終焉)(英語)に詳しく書かれており、詳細を知りたい方、プログラムを本格的に実行される方には必携の書です。

※一部学術的な難しい記述もありますが、全体としては一般向けに比較的わかりやすい英語で書かれてあります。

MENDプログラムの名前が有名となってしまったため、当サイトで紹介している内容も、MENDプログラムとして紹介させてもらっていましたが、詳細内容については、一般公開されている「ReCODEプロトコル」をベースにしていると考えてください。(当サイトも目下、書籍をベースに改訂中です)

MENDプログラムの特徴

MENDプログラム(ReCODEプロトコル)は、分類的には統合医療になるのでしょうが、これまでの統合医療や東洋医学とも大きく違いを見せるのは、あくまで現代医学的な分析手法からスタートしており、作用機序に基いて、それぞれの治療が生化学的な理由から緻密に組み立てられている点にあります。

一方で標準型の現代医学とも、そのプロトコルに大きな違いがあり、単一標的単一薬剤という捉え方ではなく、病因を全体の代謝障害としてとらえ、その人個人に合わせて(臨床検査値や遺伝子、病歴など)複合的なアプローチ(投薬、運動、食生活等々)をとって治療プログラムが組み立てられています。

ブログ記事 MENDプログラム 簡易版(症例)

ブログ記事 MENDプログラム 概略(論文

専門家向けの投稿論文ですので、内容的に難しくなりますが、ブレデセン博士の概略的な解説はこちらを参照してください。

アルツハイマー病の次世代治療薬(オリジナル・英語)

https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3779441/

アルツハイマー病の次世代治療薬 (翻訳)

デール・E・ブレデセン「アルツハイマー病の逆転」 ※シリコンバレーでの講演(英語)

多くの類似性

私がこのプログラムの存在を知ったのは、実はそれほど昔ではありません。1年ほど前でしょうか。

しかし、偶然にも母が昔から実行している数多くの改善策と重なっており、はからずも、母はこのMENDプログラム25項目中20項目以上は、初期の段階からすでに実行していることに気がつきました。

また、単に似たような内容を行っていたというだけでなく、個々治療方法に根拠や合理的理由があり、その方法論や詳細な部分で重複する部分も少なくありませんでした。

ある意味では、私もブレデセン博士と同様に、改善策を医療エビデンスから探し回っているため、重複していたのは必然だったのかもしれません。大リーガーと草野球少年ほどの差はありますが ^^;)

認知症の多因子説

実は、認知症の発症原因は複合的な要因が絡んでいるという多因子説自体は、突飛な説でも何でもなく、ひとつの有力な仮説として昔から存在しています。

※正確には多因子説(ポリジェニック)多種類の症候群説があり、後者に賛同する研究者は増えてきているようです。

複数の薬剤を使えば効果があるのではないか、という程度の発想はすでに多くの研究者もしていたように見受けられます。

ブレデセン博士の際立つ手法は、多因子説に真正面から取り組み、個別医療、精密医療、遺伝子検査等、先駆的な手法から、従来の検査手法も含めて、投薬という狭い枠組みを超え、合理的に有効と判断したものすべてを体系的に盛り込んで、大胆にシステム全体を作り上げたといえるかもしれません。

「alzheimer polygenic」の画像検索結果

これは、わたしの勝手な描写になりますが、MENDプログラムはアルツハイマー病を生態系のように複雑系の病気として捉えており、生き物さながらニッチ戦術共生型戦術を組み合わせて、個々のエビデンスだけでなく、もっと包括的な視点から戦略を組み立てているといえるかもしれません。

簡単に言いはしましたが、私のような責任を持たない人間が外野から自由な立場で語るのとは違い、還元主義、実証主義が支配する現代医療のまっただ中にいる人物が、こういった包括的立場に立って具体的に行動をとるというのは生半可な覚悟ではできません。

理念ではなく観察から生まれたMENDプログラム

「もしあなたが10年前に研究室に来て、私に瞑想とヨガと栄養療法の重要性について話してほしいと言われたら、私は笑い飛ばしていたことでしょう!」

デール・E・ブレデセン博士 (インタビューにて)

博士の論文や経歴を見ればわかりますが、ブレデセン博士はもともと、東洋思想だとか、統合医療、今で言えばパレオダイエットなどといった思想や理念を抱いていて研究を行っていたわけではありません。

また、患者さんと直接関わる臨床研究と違い、確実さ、正確さ、再現性を重要視する基礎研究を30年続けてきた方が、現在の単一標的治療がもつ原理的な限界を感じ取り、ここまでより実際的である治療プログラムを広める立場に転校したということにも、大変興味深く感じます。

ブレデセン博士と類比するのもなんですが(汗)、私自身、出発点においては、ブレデセン博士のように観察結果(帰納的な推測)に基づいて、包括的な治療プログラムや世界観にたどりついたというわけではありません。

もともと、東洋医学や複雑系、創発現象などといったマクロ視点の分野に興味を持っていたため、(後には生化学的な裏付けにも気を配るようになりましたが、)その出発点においては大きい枠組みから(演繹的に)個々の治療策を選択するということをしていました。

ある特定の理念や考え方にもとづいて治療や健康法を実行する方は、自分も含め、とても多くおられますが、こういった因果的な機能を組み合わせたトップダウン方式の治療は、既存の問題について速攻で対応する時には大きな力を発揮するものの、複雑な事象だったり、未知の治療領域には通用しにくく、知識を広げて応用していくことも難しかったりします。

わたしの場合、現実的に解決しなければ直近の問題があったため、治療思想Aが通用しなければ治療思想Bへと、古今東西にあるあちこちの医療哲学、理念にジャンプすることで、その枠組からはみ出ようとしていました。

一方で、そのことによる煩雑さ、最大公約数的な解には近づくものの、結局治せないものは治せないというもどかしさも感じていました。

必ずしも物理主義者、還元主義者でもないのですが、そうやって探求していく中で生化学の構成的で根底的な説明力に大きく魅了されていったという面もあります。

とはいえ、生命科学、生化学の世界の広大な海は複雑難解すぎて、どこをどう泳げばいいいのか検討もつきません。(特にアルツハイマー病に関しては)

半ば独学で西洋医学的な治療方法を模索していたところ、基礎医学から出発しているMENDプログラムと出会い、自分の抱えている弱点を補完し、道標になるのではないか、という期待がありました。

ブログ記事 アルツハイマーの根本原因 → 根本的解決?(雑感)

また、MENDプログラム(ReCODEプロトコル)は私が個人では到底たどりつけなかった、認知症患者が抱える生化学的な異常値や、検査手法、治療法を網羅しており、それらを参考にして独自の方法を組み立てていきたいという無茶な?野望もあります。

アルツハイマーには36の病因がある

「36-holes alzheimer」の画像検索結果

ブレデセン博士は

「たとえていえば、認知症患者の屋根(代謝)には36個の穴(病因)が開いてるようなもの」

「人によって、たとえば運動面に大きな穴が空いていて、ほかの面の穴は小さかったりする。」

という例えでアルツハイマー病の原因を説明しています。

そして

「しかし、ひとつの薬を摂っても、ひとつの屋根の穴を塞ぐことしかできない。」

「製薬会社は1つの穴に対して非常に優れた対処法を開発する。それがアルツハイマー病に効果がないことには何の不思議もない」

とも述べています。

そのたとえを広げるなら、たまたまテレビやホームページなどで目についた、治療法にとびつくというのは

「あちこちで雨漏りしている屋根で、どこかわからずに屋根瓦を一枚交換しているようなもの」です。

引き続いて

「いい知らせもあり、われわれは36個の穴(因子)すべてを塞ぐことができる。

とも語っており、具体的にその穴が何であるかも明示されています。

アルツハイマー病を引き起こす36個の要因にについては、以下のブログ記事で作成中です。 (いつ編集が終わるのか、先がまったく見えておりません(汗))

ブログ記事 アルツハイマー病 36の課題 (生化学)

アルツハイマーサバイバーがいないのは確率の問題?

これが、一箇所の雨漏りでしかないのであれば、たまたま運良く実行してみた改善策がが効いたというようなこともあるかもしれません。

宝くじの一等がどれほど当たらない確率だとしても、くじを引く人が一定数いれば、中には当たる人がいるのと同じことです。

奇跡のガンサバイバーは、そういったケースで助かっている人もいるかも?と想像しています。

しかし、仮に10個の穴が開いているのであれば、それは一等とまで言わないにしても、何万、何十万とある因子の中で宝くじを10回連続してあてないといけないような偶然に依存することになります!

そして、そんなことが現実には確率的にありえないという意味において、アルツハイマーサバイバーも存在しないのでは?と考えることもあります。

アルハカ改善策

小さなことを積み重ねることが、とんでもないところに行くただひとつの道だと思う。 イチロー

…MENDプログラムを引き合いに、大きなことを語りましたが(汗)、わたし自身は、すでに述べたように、詳細に臨床検査の異常値を事細かく把握して、治療を行っていたわけではありません。

わたしが一番最初に行った治療方針は、前文でも少し書いたように、ゆるいホーリズム的な発想の元に、医療情報を混ぜた改善策ですので、一経験以上の意味を持ちにくいと思いますが、参考までに書いてみたいと思います。

アルハカメソッド

1 医学的根拠が高く、その中で実行可能なものを選択

(ボトムアップ方式)

2 メカニズムを重複させず、五感を使って、できるだけ多面的に取り組む

(脳への刺激を分散させる)

五感プログラム

 例

・視覚 → 写真回想法・脳トレ

・聴覚 → 音楽療法・会話

・味覚 → 食事管理・サプリ

・触覚 → 運動、温熱療法、日記を書く

嗅覚 → アロマ療法

※つまり複合的に組み合わせるといっても、例えばサプリをいろいろ摂るだけというのは、ひとつの感覚に偏っているのでダメだということになります。

「five senses」の画像検索結果

3 それぞれの病因に作用する改善策の種類を大量に増やす。

(異種混合を極大化)

※そのために個々のコストや手間を抑える工夫をする(重要)

というMENDプログラムと比べるのも何ですが… 緻密な計画とは言い難い基準を設けて、実行していました(泣)

※「力技で診断時のレベルに戻した」と最初のほうで書いたのはそういう意味です。

アルハカメソッドのポイント

とはいえ、けして「下手な鉄砲数打てば当たる」といった考え方ではなく、上記に書いたように、有効性がありそうなものを客観的に絞っていくことで、機会損失を大きく防ぐことができていたと思います。

治療改善策の「絞り込み」と「数打てば当たる」という、一見すると矛盾していますが、両方の戦略が認知症改善に必要不可欠です!

またその後、試行錯誤、調整(学習)も繰り返してきているため、改善策や投与薬も常に変化してきています。

これもMENDプログラムの手法と重なると言えるかもしれません。また、こういった小さなアレンジと知識の積み重ねもやってきて地味に重要だと痛感しています。

まとめてしまうと

「エビデンスを元に的を絞り込み、絞り込んだ後には投資効果を考えて、打てるだけ打ちまくる」

(最適条件を追求せず、多数のゴールを設定する)

というふうに言えるかもしれません。

もう2つだけ加えさせてもらえるなら、

「選びぬいた治療方法を、継続的に工夫を重ねていく」

(自らの誤りを尊重する)

「治療方法全体の考え方そのものにも柔軟性をもたせる」

(変化自体が変化する)

という点も大きかったかと思います。

特に、この工夫を重ねていくというのは、単により良いものに改善していくという意味だけではなく、その改善策の本質面は継続していくことが大事ですが、多くの具体的な個々の実行策については「同じことを繰り返さない、単調さを避ける」ということ、「家庭でできる客観的な物差しをもつこと」(フィードバックができるようにすること)を含みます。

これは、わたしが認知症という病気を、ネガティブな恒常性を持ってしまった複雑系(ネットワーク障害)と捉えているところにも起因します。

今から思えば稚拙さが多く目につくものの、当時の自分の知識や能力を考えれば、その時できる最善の戦略、もしくはそれ以上のことはできなかったと思います。

MEMDプラグラムとアルハカ戦略の対照的ともいえる違いは、MENDプログラムは個人によって異なるアルツハイマー病の穴を、血清検査、遺伝子検査などを用いながら、その人個人に合わせて努力を最小限にしていくというものです。

それに対してアルハカ戦略は、穴をある程度は絞るものの穴の場所の個人差は無視して、個々の改善策の効率化を測り、DIYなどを通してかかる費用や時間などを最小限に抑えて、36のすべての穴をふさごうとしている、という見方もできるかもしれません。

揶揄的に書くと

怪しい健康情報 瓦を適当に2~3枚交換

製薬会社    壊れた瓦を一枚だけ交換

ブレデセン博士 36枚の瓦から壊れている瓦を見つけて交換

アルハカ    36枚の瓦にブルーシートをかける(汗)

といった感じでしょうか。

現実問題として検査がむずかしい環境の中で、とりあえず時間稼ぎとして行う目的であれば、今でもこの考え方はある程度有効だと思っています。

MENDプログラムの特色

私に批判的な人たちが私のことを何と言おうと、彼らが真実を語らない限りは気にしない。

マーク・トウェイン

現時点ではMENDプログラムは少数の症例報告であるため、医学業界の視点から見れば、エビデンスのレベルは低いと言わざるをえません。

いくつか批判をあげてみます。

MENDプログラムへの批判

・プログラムで用いられる個々の療法のエビデンスが不足している。

・MusesLabsで用いられている臨床マーカーの多くは疫学的に推定されたもので、相関関係なのか因果関係なのかはっきりしていない。

・事例報告で選ばれた被験者の選定の仕方が開示されていない。

・パーソナライズ治療で用いられるアルゴリズムが開示されていないため評価ができない。

プレシジョン・メディシン(精密医学)パーソナライズド・メディシン(個別化医療)自体がまだ、有効性をもつか、わかっているわけではない。

などとといったものがあります。それらは証拠不足情報開示の問題であり、直接的な反証といったものではありません。

※まだスタートしたばかりなので反証しようがない面があることも事実ですが…そして、とうぜん反証不可能性、比較コントロール群が実質とれないことなどへの批判などもあります。

もう少し専門的になりますが、その他の批判は以下の記事を参考にしてください。

ブログ記事 MENDプログラムへの批判

医学的な批判とは別に、プログラム治療のもつ内在的な課題についても取り上げてみます。

MENDプログラムの課題

・実行コスト

高い検査費用(~5000ドル)

プログラムの実行に費やす時間の確保(12ヶ月で100時間)

サプリメント費用(週に50~70ドル)

質の高い食品と食事(入手性、コスト、調理の手間)

・プログラム実行の順守、協力的である、実行時間

・生活スタイルの大きな変化

・参加者本人と介護者、支援者の強い支え合い

リスクを伴う判断は、自分の知識によってしか行えない

「自分が納得していないのに人の言う通りにして失敗するときこそ、みじめなことはない。」

川渕三郎

「limitation of conventional medicen」の画像検索結果

またわたしも、批判というのとはちょっと違いますが、MENDプログラムが万人に通用するように治療内容を公共的な性格にしていかなければならない以上、そのできることに、組織的、建前的な制約、制限があると感じております。

また、具体的には後述しますが、これは、製薬会社と医者との癒着だとか、現代療法は対症療法にすぎないとかいった一般的によくある医療批判でもありません。(その種の批判も当然あるでしょうが)

そういうものは、あったとしても、原理的にはシステムの内部で改善が可能な問題です。

しかし当ブログで紹介するような改善策もつきつめると、どこまでのリスクを取るのか、リスクを知るための知識と、リスク判断としての個人の倫理観が大きく関わってきます。

これはシステムの側では決めようがありません。どれだけ人工知能が賢くなったとしても、人工知能が倫理の線引や責任をとることだけはできないという論点と似ているような気もします。

つまりこれは、あなたがビル・ゲイツであろうと、アメリカの大統領だろうと、特権的な立場でいくら選択肢があったとしても、本人の理解できないリスクの判断能力には差がないのです。

ロナルド・レーガン、マーガレット・サッチャー、ロビン・ウィリアムズ、など一般の人よりも相当な資産をもち、はるかに特権的な治療が受けられたはずの権力者や著名人であっても、認知症を克服することはおろか、平均的な患者さんよりも、特に長生きができたようにも見受けられません。

結局、、他者が提示できることというのは、どこまでも、正解値の定まっている、またはコンセンサスの得られている範囲内での解決案でしかないからです!

洗剤を買うのに、スーパーへ行ったら300種類の洗剤が並んであり、10人の異なる意見を言う洗剤アドバイザーがいることを想像してみてください。(笑)

いくら、著名な医者の知り合いがいるとか、お金持ちであるとかで、幅広い選択肢をもっていたとしても、本人や家族に選ぶ能力がなければ、なんの意味もない(むしろデメリットかも)ことがわかります。

一言で言えば、責任やリスクがともなう治療方法の選択は外部委託できない、とも言えます。

※家族は例外でしょう。そういった面からも家族や責任を共有することのできるキーパーソンが重要になってくるともいえます。

実践自己医療

このブログサイトは自分のように一般市民であっても、「医療情報を読んで治療方法を模索する」という自己決定による自己医療は可能である、ということを、その稚拙さ、失敗を繰り返すことも含めて、提示する意味合いを含むかもしれません。

※この種のことに主体的な自己責任をもつことは当然ですが、「失敗のリスク」ではなく、「実行しないリスク」との比較において捉えられるべきと考えています。

そして、その限りにおいて当サイトは役立ちうる可能性をもつと信じています。

「solving complex alzheimer」の画像検索結果

現代医療は高度に専門的になっているため、個人がなかなかそのすき間を埋めるのは難しいのではと思う方もいらっしゃると思いますが、専門性があらゆる土俵で同じレベルでもって追求されているわけではありません。

専門家のタコツボ化が問題視されて久しいとも思いますが、それぞれの専門分野の深いところで対立するのではなく、むしろそれらを利用しつなげていくことで、個人の努力が通用する余地は十分あるものと感じています。

※すき間といってしまうと10個の正規手段に対して裏技が1個ぐらいしかないイメージになってしまう気もしますが、アルツハイマーに限っては1個の標準的な治療法に対して、100以上のニッチ的な改善可能性のある代替策が存在するように思います。

いずれにしても、わたし自身はMENDプログラムを(医療エビデンスも含め)全面的に依存する基盤として扱っているのではなく、いわば前哨基地のように考えており、他により良い方法があれば、MENDプログラムにも、自分の方法論にこだわるつもりはまったくありません。

一つにこだわらないことが鍵となる

「おまえはホント、自分のうまさにつまずくタイプやろね。得意なものにつまずくからなぁ、全員。」

明石家さんま

アルツハイマー病の文献を網羅的にあたっていると、古今東西のあらゆる健康法やサプリメント・医薬がアルツハイマー病と関連付けれて研究されており、治療効果の可能性が報告されていることに気がつきます。

これはアルツハイマーが単一の原因をもつ病気ではなく、多くの病因を含んだ代謝障害、ネットワーク障害だと考えれば、少なくともひとつの合理的な解釈にはなりえると思います。

繰り返しになりますが、もしそれが仮に事実だとするなら、世の中のほぼすべてのアルツハイマー病回復を目指した単一標的型の治療研究は必然的に失敗に終わることになります。

例え多因子説の可能性が低いとしても、このことが事実かどうかの差は、途方もない人的、経済的犠牲をもつため、(もうすでに生じてしまっていますが)少なくともそういう可能性について、もっと議論がなされるべきだと考えています。

私個人の推察では得意分野を探求しても、おそらくほとんどすべての人は解決の鍵を得られません。

えてして、われわれは自分の得意な分野だけにこだわって、問題の解決を図ろうとしたりします。

事態は逆です。ここは直感ですが、その人の苦手分野がボトルネックとなっている可能性が高く、むしろ努力すべきエリアは自分が苦手だったり、不得意とするところにあることが多い、そういうケースをいくつか見てきています。(おそらく専門家の方にもあてはまるんじゃないでしょうか)

わたしの母のケースで言うなら、母の病状の進行が進んでいた時期、治療ボトルネックのひとつに運動不足がありました。そして母は運動が大嫌いです(汗)

臨床研究が難しい組み合わせの治療法

最適なアプローチは、単剤療法に焦点を当てることではなく、薬理学的および非薬理学的成分の両方を含む治療システムにある

デール・E・ブレデセン

「Combinatorial explosion」の画像検索結果MENDプログラムのような、二桁レベルの改善策を組み合わせることではじめて効果を持つ複合治療というものは、臨床試験などで明確なエビデンスを求めることが現実問題としてできません。その組み合わせパターンがありすぎるからです。

将棋や囲碁などが有名な例ですが、組み合わせのパターン数というのは、本当に恐ろしく増大していきます。

参考 ウィキペディア 組合せ爆発

MENDプログラムは、単純に投与量や運動量などを無視して、ひとつのプロトコルをするかしないかの二択だけで計算しても、MENDプログラムにある25のプロトコルだと、2^25通り(2✕2✕2✕……25回)= 3355万通りの組み合わせ!があることになってしまいます。

この計算には対照群(プラセボグループ)も入れておりません。まあここまで来ると、どっちでもという気もしてきますが。。

その時点で、どの組み合わせパターンが最適化といった確認をすることはほぼ現実的に不可能になってしまいますが、ここへさらに個人差が加わります。

どういう人へ、どういう組み合わせが最適かという要素まで加わってくるため、試験管レベルの研究で網羅的に調べていく、といったこともできません。

かといって、(もしアルツハイマーという病気が、ネットワークの乱れから生じる代謝障害だと仮定できるのであれば、)ネットワークの一部を切り取って、単体の要素を臨床研究しても、医学的な有効域には満たされないケースがほとんどです。

※適切な例かわかりませんが、わたしは、福岡伸一著の「生物と無生物のあいだ」で、脳細胞のプリオンタンパクをノックアウトしたマウスが、問題なく正常に育っていったという話が思い浮かびました。

そして、何が効いているかわからない、薬物動態の解明に結びつかない組み合わせ治療を良しとしない医学界の風潮?も障壁としてあると思います。

※ここでいう組み合わせ療法は、2や3つの薬剤という意味ではなく、もっと大量の、そして場合によっては非薬物療法も取り入れる組み合わせを意味しています。

実際に、ブレデセン博士のグループは2011年に、薬剤を組み合わせたMENDプログラムの前衛となる治療方法を(対照群、シングルドラッグ、プログラム、プログラムとシングルドラッグという4つの構成)臨床試験にかけようとしたところ、複雑すぎるという理由で米国の研究審査委員会(IRB)から拒否されたそうです。

(皮肉な話しですが、IRBsに所属する医師の一人はブレデセン博士のプログラムに興味をもち、自分の患者には、ちゃっかり、そのプログラムを用いたそうです。もちろん臨床試験申請はすべて拒否しておいてですが…)

現代医学が標的型の治療にこだわる理由のひとつには、薬理作用、薬物動態、病因の分子レベルでの解明という理由が大きいと思います。

医学を発展させていくために、メカニズムを確認しながら進めていくことが大切であることも事実なのですが、そのことにあまりにも固執しすぎて実際的であることに注意を払っていないため、わたしには患者が実験台となり多くの方が苦しまれているようにも見えます。

「combination therapy complex」の画像検索結果

組み合わせ療法 ビジネスサイドの障壁

そして、さらにもう一点、併用療法の難題は、ターゲットを定めて考える臨床試験研究の実証主義的な性格の問題だけではなく、ビジネス的な障壁も絡んでいるとされています。

例えば既存の薬の組み合わせが有効であると判明したとしても、それぞれの製薬メーカーが異なった場合に、どう協力しあえばいいのか、新薬を開発するにしても特許で利益を独占したいと考える企業は、他メーカーと手をつなぎたがらないことも十分考えられます。

事例が増えていけばまた状況は変わるかもしれませんが、併用療法が流通するまでに至らない理由は、業界の常識を含め特許や法律などの問題も無視できない要因となっているかと想像されます。

これは、MENDプログラムが作られる過程においても全くの例外だとは思いません。MENDプログラムでは医師の処方箋を必要とするような薬は、まったく使われておりません。

詳しくは後述しますが、ブレデセン博士によると、アルツハイマー病はプリオニックループ障害であり、そのAPPの代謝バランスが崩れた状態にあることが、アルツハイマー病の原因であると考えています。

そして、作用の強い医薬を用いることで、そのAPP代謝バランス、またはシナプス恒常性バランスを崩しかねない、とも語られています。

MENDプログラムの改善事例を見る限り、医薬などを用いなくても(むしろ用いないことで)大多数の人間に大きな改善を見せていることも事実です。

しかし、一方でブレデセン博士の論文を読む限り、「医薬等を用いないほうが患者の利益になる」という明確な見解や思想も見当たりません。

あくまでわたしの憶測にすぎませんが、病状の進行が進んだ状況に応じて適切に医薬を用いることで、より大きな改善を見せることもあるのではと、考えています。

いずれにしても、組み合わ療法が認められないのは、現代の承認試験システムの標的に対する過剰なこだわりだと考えており、革新を望みたいところですが、それが可能になるとしても数十年先の話だろうとも思います。

進化するMENDプログラム
「evolving 」の画像検索結果

一般的な医療と違って、MENDプログラムは開放系・オープンエンドであり、その治療方法の向上に終わりがありません。

※実際にMENDプログラムはすでにバージョン1.0から3.0へと大きく進化しています。

これは現在のMENDプログラムが、仮に初期の認知症患者にしか回復効果がなかったとしても、将来的には中期、後期の患者さんにも、抑制のみならず改善効果を見せる可能性があるということです!

そこにも標準的医療とは根本的に考え方が違う、このプログラムの特質と柔軟性があると感じています。

生き残れる者とは、移り変れる者である。

強い者とも限らない、賢い者とも限らない。  ダーウィン

現在MENDプログラムは比較的大規模な臨床試験が実地されており、医療常識からすれば、少なくとも、その試験結果がでるまで判断を留保すべきかもしれません。

しかし、結果がわかるのは1年以上先でもあり、その間にもアルツハイマー病はどんどん進行していきます。特に進行の早い若年性アルツハイマー病と診断されている方には、数ヶ月の違いでさえ回復可能性の袂を分けます。

当ブログが、アルハカ個人の抑制成功例を重ね合わせ、先走りして、このプログラムを紹介していると思っていただけたらいいかと思います。

※MENDプログラムをひとつの基軸にしていきたいと思いますが、個別的な治療法については、他にも多く紹介していく予定です。

MENDプログラム最大のメリット

「start now」の画像検索結果

このMENDプログラムの素晴らしい利点は、

特殊な器具や新規開発薬を使わず、入手が容易なサプリメント、食生活を変える、運動をするなど、睡眠の最適化など根気と努力さえあれば、そのほとんどが今すぐ実行が可能であることです!

ただし、これは正式なMENDプログラムに則った方法ではなく、論文を読み解いて自力で行う必要があります。

わたし自身は、ブレデセン博士の考えだけでなく、医療業界の常識を押しのけて、ここまで現実的なシステムを作り上げた実行力に心から敬意を払っています。

もともとが医療の基礎研究者でもあるため、これだけ野心的な試みは相当なリスクも背負っていると思います。もしくは「確信があったからこそ」という見方もできかもしれません。

興味を持たれた方は、MENDプログラムへ実際に参加されることが一番望ましいとは思います。しかし、自分も含め、日本に住んでいると、なかなかそうもいきませんよね…

今若年性アルツハイマーと診断されている方には、とうてい待っている時間などなく、勝手ながら普及されるまではMENDプログラムを紹介しつつ、牽強付会に近いものとなるやもしれませんが、独自案を展開していこうと思っています。

現在、(2017年8月)ブレデセン博士により一般の方と専門家に向けて書かれた「ReCODEプロトコル」が出版されています。

ある程度の専門知識と検査機関の協力があれば、個人でも実行できる情報が公開されており、当サイトでも、その書籍に基づいた内容でのMENDプログラムを紹介していきたいと考えています。

ブログ記事 MENDプログラム(ReCODEプロトコル) 実践編

認知症改善策 その他

日常の改善策

価値があるものなのに、それを無視して、もっと良いものを探していると、すでに持っているものを無くしてしまうことがあります。

パラケルスス

誤解されている日常の改善策

また、治療効果が明確でなくても、例えば緑茶を飲むといったような、コストや副作用が小さく、入手も簡単、実行の手間もかからなければ、それらを行わない理由もないと思います。

※ちなみに理解がすすむと、緑茶の認知症への効果は馬鹿にできないので、例えとしてはよくありませんが。

ブログに書かれる治療法の中には運動や睡眠など、日常的にありふれたものも多いので、人によっては多少効果はあるにしても、「まあ焼け石に水程度だろう」と考える方がいるかもしれません。

わたしも、似たような思い込みをもっていた時期がありましたが、医学的な理解や実体験を通して、軽んじがちな改善策が実行の仕方次第で、実は治療薬を上回る大きな認知症改善効果をもっている、とだんだん気がつくようになってきました。

※定性的には、アセチルコリンの不足を補うためにアリセプトを摂って増加するアセチルコリンは、思考活動や食事、運動によって増えるアセチルコリンと分子化合物として何か違いがあるわけではありません

そういった日常の行動療法を、お母さんが「野菜をもっと食べなさい」と言うような、一般的な健康予防策の延長のように受け取ってしまうのは、間違いどころか、大変危険です!

※自動車を運転するのに、車の構造やエンジンを知る必要はありません。我々が今生きている社会は、こういったやり方だけを受け取って実行するということが、ごくごく普通のこととなっているため、命に関わる医療や健康情報にしても同じことを適用してしようとしてしまいます。

諸君がどれほど沢山な自ら実行したことのない助言を既に知っているかを反省し給え。 聞くだけ読むだけで実行しないから、諸君は既に平凡な助言には飽き飽きしているのではないのか。 だからこそ何か新しい気の利いたやつが聞き度くてたまらないのじゃないか。

小林秀雄

それらには医学的理由や生化学的な根拠がしっかりとあり、メカニズムが理解できてくると、関心を持たないということが、医者の治療を何もわからずただ拒否するようなものといってもいいぐらいのことだと思います。

日常生活の改善策はDIY

「diy drug movement」の画像検索結果

おそらく中には「緑茶を毎日に飲んでいたけど認知症になった」とか「徘徊していたらそれで結構な運動になっているけど治らないじゃないか」というような批判もあるかもしれません。

行動療法や睡眠、食事の改善、サプリメントも含めて、薬のように飲めば誰にでも効くというようなものと違って、それぞれ効果を最大化させるためのコツやポイント、個人差、組み合わせ方があり、それぞれを抑えて実行しないと効果が発揮されません。

これは医薬も同様です。ただし病院でもらう薬というのはその成分だけに目がいきがちですが、実は処方薬というのは「どういった人に」「どのタイミングで」「どれだけ摂ればいいか」が、添付文書や薬剤師さんの説明などを含めて、すべてパッケージ化されていることも含んでいます。

日常生活的な改善策というのは、そのパッケージ化が単に複雑であるのみならず、そのすべてを自分で判断して行っていかなければならないようなところがり、その点でもハードルがより高くなってしまいます。

アルツハイマー病はシナプスの恒常性バランスが崩れた疾患

画像、イラストなどを保持する外部ファイルオブジェクト名は1750-1326-4-27-4.jpgです。

ブレデセン博士は、アルツハイマー病をプリオニックループ障害に基づく解釈を提唱しています。

例えば、ガンを自然現象として見た場合、がん遺伝子の活動(Oncogene activity)と、腫瘍抑制因子の恒常性バランスが崩れることにより、腫瘍が成長しガンを発病します。

ブレデセン博士は、アルツハイマー病についても癌と全く同様の現象が起きていると考えています。

しかし、アルツハイマーが癌と違うのは、癌が細胞の異常増殖であるのに対して、脳の中ではシナプスの新生と萎縮が絶えず繰り返されおり、そのシナプスの恒常性バランスが一方向へ傾いてしまっている(システム的に壊されてしまっている)というものです。

このシナプス恒常性が崩れた状態をプリオニックループ障害と呼んでおり、複数からなるアルツハイマー病リスク因子によってその恒常性の障害がもたらされます。

ブレデセン博士はこの裏を返して、多くのアルツハイマー病発症因子へ同時に働きかけることで、ある段階から抗恒常性フィードバック(Antihomeostatic feedback)が働き、閾値効果(threshold effect)により、高いレベルの治療効果に結びつくのではないかと考えたわけです。

動画 「アルツハイマー病はプリオンループ障害である」ブレデセン博士 (英語)

論文 アルツハイマー病における神経変性:カスパーゼとシナプス要素の相互依存性

https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2709109/ (英語)

実行率が命運を決める

シナプスの萎縮活動を元に戻すためには、どれだけ多くのアルツハイマー病発症因子を同時に抑制していくかが、大きな鍵となってきます。

一方で、全ての穴(因子)を埋める必要はなく、一度閾値に達してしまえば、シナプス恒常性機能全体が正常化し、アルツハイマー病の症状が逆転するとも述べています。

一般的にアルツハイマー病を治すという医者や世間の考え方は、投薬的なことばかり(それもひとつの薬に)に焦点が当たりがちです。

しかし、アルツハイマー病がプリオニックループ障害、つまり細胞萎縮プログラムが発動した結果であると考えるのであれば、それがどんなに優れた薬であろうと、それだけではけしてアルツハイマー病が治ることはないと言わざるをえません。

特に運動や睡眠、食事の適正化などは、それさえしておけば認知症改善するという十分条件ではありませんが、それを他の治療法と連動させて実行しなければ、認知症は改善しない必要条件です。

運動や食事、睡眠が重要だということは世間的にも常々語られているため、「重要」という言葉だけが重複してしまってかえって定量的な(おそらく定性的にも)誤解を招くのですが、そこは大きな注意が必要です。

少なくともMENDプログラムでは、それらが欠かせない積極的な治療手段としてそれらが組み込まれています。

運動や食事が大事という社会通念的な感覚に安易に重ねると、まあ散歩でいいかとか、毎日三食ちゃんと野菜と玄米を食べているし、といった治療レベルに達さない形で十分だと見なしてしまう方を何人か見てきています。

魚を与えるのではなく、釣りの仕方を(or 面白さを)教えよ

薪割りを好む人が多いのは理解できる。この仕事では結果がすぐ分かる。

アインシュタイン

当ブログで紹介するDIYな治療方法はまず、この日常生活にありふれた事柄に潜む仕組みの理解から始める必要があります。

仕組みの理解ができる → 重要さ & 手法がわかる → 継続力 & 実行力につながる

という考え方がわたしの中にあります。

特に手間暇がかかり体感的な効果がすぐに感じれないものは、なぜそれが必要なのかを自分の頭で考えて納得しておかないと、最初はいろんな本を読んだり、サイトを見たりして「早く始めないと悪くなる!」と焦って勢いで飛びついも、続けているうちに疑いだしたり、面倒くさくなってやめてしまうケースが多いように見受けられます。

繰り返しになりますが、認知症は体感で簡単にわかるような病気ではありません。

風邪のようなものであれば、飲んでみた → 風邪が治った そして「この薬は効くなあ」となりますが、認知症は短くても数ヶ月単位、通常は数年単位の成果で考えて行動するものです。

そのため、サプリメントや医薬など飲むだけのものでさえも、理屈がよくわからないまま、ドサッと大量に与えられると、多くの人は「こんなにたくさんの薬やサプリを摂ったら、身体にかえって悪いのではないか?」と疑心暗鬼になると思います。

そして数カ月経過すれば、「効いているのかよくわらかないしなあ」と感覚的に減らしたり、「お金もかかるし」とか「管理が大変」などと理由を作り出して、止めてしまう傾向があるようにも思います。

とはいえ、時間に迫られている患者さんが、最初に飛びつくのは仕方のないことだと思います。

継続のためのポイントは、勢いで始めた後、そのまま惰性的に続けるのではなく、実行していく中で理解を一歩ずつ深めていくことです。

もちろん、理解によって、コツがわかり、「効果を最大化させることができる」「その人に合わせたアレンジができる」などといったことも、継続力と同様に重要なメリットです。

六次の隔たり

「もし君と僕がりんごを交換したら、持っているりんごはやはり、ひとつずつだ。でも、もし君と僕がアイデアを交換したら、持っているアイデアは2つずつになる。」

バーナード・ショー

そして、もうひとつ、実はわたし個人にとってはこっちが大きな意味をもつのですが、仕組みが情報として伝わることで、それを学んだ人たちが(アルハカの手を離れて)そのメカニズムを再び他者に伝えることができる、ということにあります。

※人づてに広がらずに、わたし個人が直接、必死になって人に伝えたところで、それを享受できる人数は極めて限られます。たぶんせいぜい100人とかじゃないでしょうか。

「Six degrees of separation」の画像検索結果

当ブログで伝えようとしている改善策は、その複雑さゆえ、例え本家のMENDプログラムのようにフローチャートで誰でもできるような形のプログラムを作ったとしても、(法律的にまずいと思うので、できませんが)必ずアナログな理解と行動が必要となってきます。

この理解が欠けたまま、ただ運動が良いとか、甘いものは悪いといった二元的な情報が伝わって行くと、伝言ゲーム(ミームの変質)じゃないんですが、元の情報がどんどん異質なものに転化していく可能性を心配したりもしています。

機能性食品・未承認薬

その他、機能性食品いわゆるサプリメントなども、品質、摂取量、摂取タイミング、組み合わせなど、やはりそれなりに下調べや工夫をして、初めて一定の効果をもたらしてくれるように感じています。

実はすでにあるアルツハイマー病治療薬

また、サプリメントだけではなく、例えばシロスタゾールやアスピリン、セルベックスなど、多くの既存医薬品が認知機能への改善効果がある可能性が示唆されており、中には現在、臨床試験が進められているものもあります。

ドラッグ・リポジショニング

※ガランタミン(元はポリオの治療薬)、メマンチン(元はインフルエンザの薬)も、元々はドラッグポジショニングとしてアルツハイマーに転用された薬です。

医者ではありませんので、具体的にすすめることはできませんが、そういった既存医薬品のほとんどは、工夫しだいですぐに入手が可能です。

そして、薬の仕組みやリスクを理解し、できれば専門家の話も聞いた上で、自己責任と自己判断があれば ”一患者の得失の観点から見て” 未承認の薬を認知症治療の選択肢として考えるということは、それほど常軌を逸したことではないと思っています。

※では医者や専門家なら人に勧めることができるのかというと、エビデンスの縛りが強い業界で、未承認薬の推奨は信用問題にも関わるため、なおさら勧めたりすることができないのかもしれません。ここにも一種のすき間があるように思います。

※少し余談ですが、他の多くの未承認薬などを生化学のレベルで、実践的に論じれる専門家、研究者の方が、もっといてほしいとは感じています。

 

民間療法

少し食べ、少し飲み、早くから休むことだ。これは世界的な万能薬だ。

ドラクロア

東洋医学

「自然療法」の画像検索結果ほんと偶然ではあったのですが、病気を発症する前に、素晴らしい東洋医学の先生と知り合いになる機会をもっていたため、自分の闘病生活の中で、様々な伝統療法・民間医療の世界も探索し試みてきました。

(ただ、思想的にというよりは、強い好奇心を原動力にあれやこれや試していた、といったほうが正しい気もします(汗))

マクロビオティック、玄米菜食、ハタヨガ、断食、西式健康法、東城百合子の自然療法、ビワの葉温灸、赤本、等々、体感もですが、治療上の臨床検査と照らし合わせながら試行してきてたため、そういった伝統療法の一定の有効性と限界について、生化学的な知識をベースにした自分なりの理解というものが形成されていきました。

伝統療法の強み、弱み

「赤本 実際的」の画像検索結果伝統知、経験知というものは、分析的なスポットライト思考が見落としてしまう穴を、多く拾ってくれます。施術者の語る理屈だけに焦点をあてると、多くの代替療法はトンデモ療法となりかねませんが、後から生理学的な仕組みがわかってくると「なるほど」と思うことが少なくありません。

(プラセボの誤解、βエンドルフィン、オキシトシンの生理活性、ヒートショックプロテインとミスフォールドたんぱく質修復、漢方の証と薬物耐性、瀉血と鉄キレート、CSFの循環と整体、瞑想におけるDMN、日光浴とLLLT、痛みのニューロマトリックス理論、他多数)

施術者自身も、なぜその伝統療法が効果をもたらすのかということをメタ解釈で捉えており、その複合的な要素要因を生化学的には理解してないケース(または単に未解明)がほとんどです。

そこで研究者が、こういう仕組みではないかと機序を部分抽出して臨床試験が行われるため、効果がない、有意差がつかないと判定されてしまっている伝統医療も多いのではないのか?と思っています。

また、伝統療法は経験の積み重ねで生まれた知恵でもあるため、経験で対処できない新しい未知の問題に対しては頭打ちをしてしまう傾向もあります。

母の場合、さほど実践していないため、アルツハイマー病に関する民間療法の有効性がどこまであるか、わかりませんが、そもそもアルツハイマーの場合、経験談で治ったという話を聞かないので、(これは西洋医学も同様ですが)民間療法に頼り切るというのは明らかにまずいと思います。

(東洋医学が得意とする自己免疫疾患、慢性病、不定愁訴とは事情が違います)

コストパフォーマンスを考える

ただ、伝統療法も最近は作用機序が解明されて見直されているものもあり、そういったものは単純にに効くか効かないかではなく、36のどの穴を埋めるのかということと、手間暇などのコストに対してどれだけ貢献してくれそうかということを、経験とエビデンスの両面から考え、取捨選択していくことは重要です。

※個人的な価値観も入ってきますが、お金持ちにしかできないような治療では意味がないと考えているため、コストをどう削減して多くの人に実行してもらえるようにするかという点については、ブログ作成の上でこだわっています。

民間療法の臨床研究は絶対数が少なく、プラシーボとの区別も容易ではないものが多いいため、わたし個人は、臨床結果よりも生化学的な作用機序と経験知、伝統知から推論して有効性を判断することが多いです。

※認められていないに等しい「併用療法」での承認テストが標準化し、誤解の多いプラセボ効果なども、もっと合理的に取り入れられれば、これまで多くの効果がないと決めつけられていた多くの民間療法が、生きを吹き返すだろうという予測もしています。(もちろん、過去の承認試験失敗薬も)

認知症の進行

本当の進行は検査ではわからない

例えばMRI検査などで脳のスライス写真や、VSRADによる血流低下表示などを見ると、あたかも病状の進行具合がよく分かるように思われる人もいるかもしれません。

しかし、ああいった診断画像は、進行後の崩壊状況を見ているようなもので、アミロイドβの増加、オリゴマー集積、リン酸化タウの上昇など、病因の中核となっている因子の進行具合を直接測るものではありません。

※近年そういったものの測定も取り入れられるようになってきているそうですが、ブレデセン博士の仮説に従って代謝障害がその本質原因と見なすなら、それらの因子でさえマクロスケールにおいては二次的な原因と見なせるかもしれません。

MRIなどの病理診断は、利息による借金が膨らんでしまった後の会社の倒産状況(萎縮、血流低下)を見ているようなものであり、

MMSEや長谷川式などの問診にいたっては、会社倒産後の社会の崩壊の様子を見ているようなもので、いずれにしても病気の実態を知るには手遅れすぎるわけです。

認知症の進行は鳩の足音で忍び寄る

嵐を惹き起こすものは、もっとも静かな言葉だ。

鳩の足で歩いてくる真実が、世界を左右する。

ニーチェ

何度も繰り返しますが、認知症の本当の進行(生化学的な悪化)は体感ではほとんどわかりません

「foot step sound pigeon」の画像検索結果

認知症は発症の20年前から始まっていると言われていますが、その間、病気の進行に体感的にまったく気がつかなかったわけです。

裏返して考えるなら、代謝レベルでの根本的な改善があったとしても、体感ではまったくわからないとは言えないでしょうか?

改善策を実行する際、このことを強く念頭においていただきたいと思います。

認知症トラップ

多くの人が、この障害の深刻度と体感的な深刻度の時間的ズレ、認知症トラップにはまってしまっています。

このズレが生じてしまう理由には、多くの要因が絡んでいるように思います。

まず、患者は医者が何を言うかだけではなく、言い方や態度などの空気を敏感に読み取るということを医者はよく知っています。単に職業的に無感情になっている医者もいますが、一般的には患者に不安を与えない伝え方というものを熟知しています。

そして、宣告された患者の側も、知識が不足しているということがあるとは思いますが、ボケと死への恐怖に対して、医者と無意識的に協力しあってフタをしてしまっているのではないか、という気もしています。

比喩的に言うならそういった人たちが後ろ向きで崖に向かって歩いているようにみえることもあります。

※話がそれますが、もし崖から落ちることが絶対に避けられないのであれば、賢明であるかどうかは別としてひとつの筋の通った選択なのかもしれません。(死そのものにたいしてとなると、健常者もそういう態度をとっているように)

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「アルツハイマー病は治らない」という医者や世間の常識が、もうあまりにも強すぎるため、社会全体の風潮が「別に認知症になったっていいじゃないか」となってきてはいないでしょうか。

これはこれで、アルツハイマー病が本当に治らない病気なのであれば、心情的にはそういう方向へ向かいたくなる気持ちは理解できます…

しかし、回復事例をいくつも目にしてきた自分としては「ちょっと待ってくれ、治る可能性のある人までもが、そう決めつけるのはまだ早すぎる!」と言いたくなるわけです!

 取り組みが桁違いに難しくなる

もちろんすべてのアルツハイマー病患者が助かるというわけではありません。従来の回復不可能な不可逆とされていたラインが大幅に延長されたとはいえ、進行が進めば進むほど、回復の可能性は遠ざかっていきます。

感覚値ですが、未病 → MCI → アルツハイマー病初期 → 中期へと一つ右へ移行するたびに、同じ改善度に達するには、その前段階の5~10倍の労力が必要になる印象があります。

これを若年性アルツハイマーの診断直後という、進行がもっとも加速する時期にあてはめると、何もしなければ1年ごとに回復を阻む壁が2倍の高さになっているわけです!

借金と違うのは、認知症の場合、その利息が雪だるま式に増えていっていることが、目に見えないことです!(体感的にも、病院の診断であっても)

「time chasing」の画像検索結果

誰しも、自分の想像力の限界が、世界の限界だと誤解する。

ショーペンハウアー

病気が進行すると、病気そのものの治りにくさが増加するだけではありません。

本人の記憶力、学習能力はもちろんのこと、治療に取り組もうとするやる気も、脳の損傷により奪われていきます。

あまり知られていない事実ですが、認知症患者さんの無気力症状は、記憶力、学習能力の低下以外にも、線条体、淡蒼球など意欲に深く関与する脳部位が損傷を受けることで生じています。

1 神経学的な困難度の上昇

→ 回復までに必要な努力が桁違いに増加

2 海馬部位の損傷による記憶力・学習能力の低下

→ MENDプログラムを理解できない。手順を覚えられない。

3 報酬系回路の障害によるモチベーション、意志力の低下

→ MENDプログラムを実行しようというやる気そのものがわかない。

4 周辺症状への対応、介護時間が増加

→ 家族、ヘルパーもMENDプログラム実行の補助ができなくなる。

といったすべての内因的、外因的問題が、進行とともに相乗的に加味しあい、取り組みを難しくさせていきます!

すぐに始める! タイミングがすべてです!

とにかく先手必勝

天気のいい日に嵐のことなど考えてもみないのは、人間共通の弱点である。

 マキャベリ

特に、初期の段階では症状が軽いためか、診断直後というのはあせってあれやこれや調べたりしますが、、数ヶ月もするとそういう状況にも慣れてしまって、そのまま受け身で日々を過ごしてしまいがちです。

せいぜいテレビや雑誌で宣伝されていた、(限りなく無意味に等しい)◯◯を飲んで終わり、とかぐらいじゃないでしょうか。

そして、認知症が進行してしまって、日常生活に深刻な症状が出始めてから何とかしようと思った頃に、何か方法はないかと調べても、付け焼き刃の知識では打つ手がほとんどない、という状況に置かれてしまいます。

そういうわけで、当然、早期発見は大事なのですが、アルツハイマー病と診断されてしまった後では、数年後の病状をイメージし、

取り組む余裕があるうちに” とにかく先手必勝で実行していくことが、はるかに重要です!

「想像力が働かないところには、恐怖もおこらないものだ。」

コナン・ドイル

大事なことなので何度も繰り返しますが、初期の軽い物忘れの状態、さほど深刻な問題がないようにみえる状態は、本当の悪化状態を表したものではありません。

それは台風の前の静けさです!

「calm before storm」の画像検索結果

ここでほとんどの人がアリセプト+αで過ごしてしまって、その後、抜け道のない真っ暗なトンネルに入り込んでいるように思います…

…と強調しておいてなんですが、アルハカ家ではこれまで常に先手でこれたか、というとかならずしもそうでもなく、先手、先手 → 一休み → 母ちょっと悪化、後手、先手 → 改善 → 休み を繰り返している気がします。

でも基本はやっぱり先手です。それと後手に回ってしまった!という時の「察しの早さ」とその「対応スピード」でカバーしています。

8年経過した今でも、この先手と後手の感覚をひやひやと感じながら、かろうじて低空飛行を続けています。

治療効果の判定は短期と長期を分けて考える

「短期的に希望を持つな、長期的に絶望するな。」 日野啓三

認知症の治療を実行する上で

「数年以上続けて改善が感じられるもの」と、

「比較的すぐに改善の兆しが見えるもの」

区分けができていることも重要です。

どちらも重要ですが、理解に基づいた想像力と実行力が必要になってくるのは後者のほうです。

これらはなかなか人の声になって耳には届きません。

本人たちも気づいていない場合がほとんどだからです。

本当に身体に良いものとは、10年経過して振り返った時に「そういえばここ10年大病をしていないな」といったようなものです。

しかしその効果の及ぶ期間が長ければ長いほど、因果関係は見えにくくなります。10年ともなると直感どころか、臨床研究でさえも追うことができず、疫学研究や作用機序の推察でおそらくこうだろう、といったことしか言えません。

そしてアルツハイマーに関する疫学研究に関しては、治療や回復ではなく予防に関するものばかりであること、またアルツハイマー病が36以上の因子によって発症し、5つのサブタイプに別れる疾患だとするのであれば、必然的に環境的な交絡因子も多くなるため、疫学的に明確な因果関係を引き出すことが非常に困難になってきます。

※過去の疫学研究、多重解析、臨床研究等は、MENDプログラムで取り上げられている交絡因子を前提にしておりません。

これは「真に頼れるひとつの計測方法というものは存在しない」ということを意味します。

「logical 」の画像検索結果

図式的に書くとこんな感じです。

直感 < 個人の試行錯誤 < 体験談 < 一般情報 < 専門家の意見 < 臨床研究 < 伝統療法 < 疫学 < 基礎研究(機序による推察)

左ほど短期的傾向になり、右にいくほど長期的な傾向になります。

この図で言うと、多くの方がこの中の1~3つばかりを偏重して判断しているようにも見えます。

素朴にこれら「すべての情報源を利用する」という道はないものなのでしょうか。

これは、実践性が思想よりも判断の上位にくるため、単純に統合医療やホリスティック医療とも言えません。(統合やホリスティックという語義の抽象度が高いので、そういうくくり方は可能なのですが)

いずれにしても、アルハカ家では効果を最大化させるために、個々の方法について理屈と経験で詰めていくと同時に、相乗効果と取りこぼしを防ぐ意味もこめて非常に多くの治療方法を試みています。

病院でもらったアリセプトを飲むだけのような簡易さと比べるまでもなく、非常に複雑で手間がかかる方法です。

とはいえ、当然のことながら、それがもたらしてくれる利益を真に理解するなら、取るに足らない努力でもありますし、(個人で学んでいく部分を除けば)けして一般の方ができないようなほどの手間や努力ではありません。

進行を防ぐ利益を横においても、中期の介護のほうがよっぽど労苦を伴います。

これが正式なMENDプログラムに参加するのであればシステム化されているため、個人の努力が最小限に抑えられています。

しかし、現時点では、MENDプログラムはアメリカで始まったばかりなので、それらのプログラムが普及されるまでは、個人でそういった調整や適正化を補っていかなければなりません。

回復への道はキーパーソンにかかっている

現実問題としては、認知機能に問題を抱えているご本人がプログラムのすべてを理解して実行することはできません。

実はアルハカ家でも似たような問題を抱えており、運動にしても行動療法などにしても、それを実行するのは患者本人であり、またわたしも含め家族にもそのサポートをしてもらわなければなりません。

高齢期に入った認知症を患う母に「すべてを理解してくれ」とはさすがに言えません。

そこで、そばにいて理解する人間がどうやって本人に実行してもらうかという視点で考えていかなければ、片手落ちの改善策になってしまいます。

ただ患者さん本人の努力も相当に必要であるため、大枠ではご本人も納得して実行するための理解はしておく必要がまずあります。

その上で協力者(ほとんどのケースでは、ご家族が該当者になられると思います。)の方が、プログラムの細かいところも把握して、主導していくことで成功率を高めていくことができます。

関連画像

ここもハードルの高さのひとつにはなってきますが、本人と一緒になってプログラムの実行を支えていくキーパーソンの存在も成功率を大きく左右する要因となります

※MMSEや長谷川式などは個人的に物差しの目が荒いと感じるため、効果を測る独自の指標づくりをおすすめします。

効率化や自動化の知恵についても、ブログで触れていきたいと思います。

おそらく、この理解または「実行(コンプライアンス)のむずかしさ」

MENDプログラム最大の課題でもあり、

ここをどう克服するかが治療が成功するかどうかの分水嶺です。

趣旨説明

注意事項

当ブログは一言でいうと、日々の体験記というよりも、その半分は、母のアルツハイマー回復のための試行錯誤をまとめたノート・備忘録を他の方にも読んでもらえるように加筆訂正したものです。

結果として認知症改善に関する情報について網羅的に書かれている面もあるため、ややもするとこういったサイトは情報大辞典のような形になりがちです。

しかしそこで、最初は興味深かったサイトが妙に客観性を追求して、安全で毒のない記述が増えてしまい、魅力や有益性が半減してしまったというパターンも多く見てきています。

すでに多くの人に知られている情報、基本情報や基本語彙の説明など、ちょこっと検索して他のサイトでより良い説明が得られるものは、簡単にまとめることはあっても、一から詳しくは書かないことにしていますので、わからない言葉や理解できない事柄などがありましたら、他のサイトを検索してみてください。

ブログサイトが具体的であることのリスク

いかなる問題にあっても、具体的という事は、最後の、しかして最良の結論だ。

石川啄木

また、このブログサイトは、一般的に知られていない踏み込んだ情報も多数扱っています。

実践的、具体的な記述を心がけていますが、そういった具体性のある情報は役立ちやすいのですが、同時に基本理念が伝わらない可能性、間違っている可能性、古びる可能性も高くなります。

また、わたし自身あまり自分の思想や考えを保持することにこだわっていないので、間違っていると思えば、その都度さっさと訂正しますし、そのことの責任追及にも(それが他者であろうと自分であろうと)興味がありません。

意見を変える人は信用できないというのが世の中の通念でしょうが、これだけ複雑化、カオス化した知識世界を真面目に幅広く探求していけば、個別的な意見や見解は変わっていくのが当たり前です。

信用性をもたせるために意見の整合性をもたせようとすることは大事かもしれませんが、そのために本音や本当のことが隠されてしまい、語ることは抽象的な意見ばかりとなって、◯◯の答弁のような、役に立たない誰の生命も助けないような発信となってしまっては本末転倒です。

できるだけ情報源も明らかにしていきますので、詳細や正否については原文等を当たっていただき、常に疑いつつ読んでいただけたらと思っています。

※当サイトも、情報を収集中であり、MENDプログラム自体もどんどん進化していってますので、編集中だったり書き換えたりすることもよく発生しますので、ご理解ください。

免責事項はこちら

多くの改善策は氷山の一角

情報が不足しているわけじゃないよ。考えが及ばないだけだ。

小説「すべてがFになる」 森博嗣

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また、すべての情報について、必ずしも明示的には(あなたは、これと、これさえ摂ればいいみたいな)書いておりません。

これは、自分が発信する立場になって痛感したことですが、核心的に重要な情報にも様々あり、問題なく記述できるものもたくさんある一方で、リスクが高いもの、個人差が大きいもの、法律に抵触するもの、証拠が弱すぎるもの、個人で入手が困難なもの、価格が現実離れしているもの、非生産的な批判を招きやすいもの、など扱いの難しい治療手段も少なくなく、ついそのあたりは慎重になって、具体的なことは書きにくくなったりもします。

そういう視点から、世の中で広まっている認知症の改善情報を眺めると、フェル◯ードだったりプラズマ◯ーゲンだとか、ココナッツオイルだとか、妙に食品由来の抽出成分をちょっとひねった新しいものが目につくようにも思います。

食品由来の成分に多くの認知症改善が期待できる成分が含まれていることは事実です。しかし一方で、食事や運動、睡眠はないがしろにされ、ビタミンのような当たり前っぽいものは軽んじられ、化学合成品はなんとなく身体に悪いという思い込みがあり、適応外の医薬は、はなから選択肢にあがってこない…

すべては知識の欠如によって、自ら選択肢を狭めている、としか思えません…

そして日本で目につく認知症の改善策は、実質的な効果があるからというよりも、法律的、マーケティング的な理由から、微妙に効果がある情報として一部だけのものが浮き上がっているいるようにも感じられれます。

その他の多くの改善策は、論文や専門家の記述の中に埋もれており、このサイトはそういった一般的には知られない情報を、少しだけ手に届きやすいように掘り起こしています。

しかし最終的には、その方が個人で調べて判断しなければならず、「選択には知識や理解が必要」ということが、実はある種の安全フィルターになっているということも理解してもらいたいと思っています。

考えること理解していくことが、なぜ重要なのか

何事であれ、最終的には自分で考える覚悟がないと、情報の山に埋もれるだけである。

羽生善治

自ら考えて行動する人へ

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本来、わたしの意図するところは、そのまま具体策を採用してもらうということではなく、「アルツハイマー病発症後であっても、やり方と努力次第では回復や進行抑制につながる

といったことを、”自ら考えて”治療法を探している人に伝えたい、という思いがベースにあります。

考えようとせず結果だけを求めようとする方略には、3つの致命的なリスクがあります。

1 選択肢が極端に限定される

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まず、何が正しいかという判断をしていく時、その理由や原因を自分で考えて理解できないとなると、第三者の判断に頼ることしかできなくなってしまいます。

そうなると一般的には「~の有名な先生が言っている」とか「みんながしているし」「~の大学がー」といった、権威や世間の評判のようなものに頼りがちです。

ただここで、わたしは「権威などに頼ってはいけない!」みたいな道徳感を語りたいわけでもありませんし、その種の判断の仕方にも一定の合理性はあるでしょう。

むしろ「それで助かるなら、わらでもすがれ!」というプラグマティックな(実際的な)考え方をもっているぐらいです。

しかし、理解する努力をまったく放棄してしまうとその改善策の正否の判断能力以前に、そもそもどういった改善方法があるのか、その選択肢が最初からきわめて限られてしまいます。

けして誇張ではなく、その”まともな”選択肢の数は、情報を探ることができない人とそうでない人で50~100倍の開きがあります。

他にもある山ほどの改善策、進行抑制策は、そのほとんどが自分で考えて探っていくことで初めて見つかるものです。

特に、手間のかかるものや、特殊なものほど、知識に裏付けがあって初めて安全性や効果を確信し実行することができます。

「運動が大事だとはわかっているけど…」という人の99%は、わかっていません!

認知症に効果がある適応外薬のほとんどは、ただ人から「いいよ」と教わっただけでは選択肢に入らないでしょう。

あと誤解されがちなのは、自分で考えるというは、第三者の情報を頼らないということではないのです。事実はその逆で、第三者の立場や肩書ではなく、その語る内容を判断する能力があるため、第三者の選択肢自体も大きく広がるわけです。

ただ、翻って考えると、アルツハイマーに関しては特にそうなのですが、一般的な常識の元でそもそも治らないとされている疾患なわけです。

それを、その常識の枠内である標準医療や新聞テレビなどのメディアなどを参考にしようとしても、「自己矛盾していないか?」と素朴に疑問を思ったりすることもあります。

2 コアな情報ほど、情報発信者はそのまま表には出せない。

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最も必要としている物や情報は、最も入手しにくい。

マーフィーの法則

そして二つ目、これは日本で情報を提供する側の宿命とも言えますが、誰であろうとAという治療方法を実行すれば、認知症が治ると思っていても、それをブログで、少なくとも、そのまま書くことは薬事法や医師法などの法律によって規制されています。

そして、わたしは医療者としての資格も持っていませんので、より多くの法的制限のもとでしか情報を発信することができません。

「認知症予防に良い食事」ぐらいであれば許容範囲なのかもしれませんが、当ブログは、具体的な医療情報に光をあてて掘り起こしていることも多いため、やはり表現には注意を配っています。

そのため有用な情報を掘り起こす努力はしていますが、病院での処方のようにフローチャートに従ってこうすればいい、とまで情報を噛み砕くことはできません。

(逮捕を覚悟すれば別ですが、そしてわたしも世捨て人っぽいところもあるので(汗)だれかの命が助かるならいいかぐらいに思っていましたが、冷静に考えればそれによってこのサイトも閉鎖され、結果、不利益が増大してしまいます。)

これは我々が日本社会に住む以上、仕方のないことで、この「伝達障壁」は、読者の側が自分で理解し判断することでしか、乗り越えることができません!

一般的には、ビジネス的に有利な立場に立ちたいというインセンティブぐらいしか、第三者がリスクをわざわざ犯してまで、法律のぎりぎりをつく表現をとろうとはしないんじゃないでしょうか。

もしそうだとすれば、無理解のまま情報を探っても、消費者からお金を奪いやすい改善策ばかりが、半ば必然的に目につくことになります。

(認知症適応外の医薬品について専門的に詳しく書かれたサイトや記述も一部ありはします。少し余談ですが、それらも専門的な記述であるからこそ法に触れずに書くことが可能であり、そこでぎりぎりの善意が示されているように思います。当サイトはそういう方に感化されている面もあるかと思います。)

もちろん、お金がかかるからダメだ(効果がない)とは言えません。ただこれまで5桁代の医療論文を読んできて、3桁代の改善策を実体験で確かめてきていますが、価格の高さと効果の高さはほとんど比例(相関)しません。

価格が高くて効果があるものもたしかに一部ありますが、それ以上に低価格または無料でより効果がある改善策がごろごろ転がっています。

「価格が高い=効果がある」という思い込みをもっている人が非常に多いため、あえて言いますが、価格と効果はまったく連動しません。仮に関連があるとしても、むしろ逆相関で低価格になるほど効果的な改善策が多いという印象をもっています。

3 実行者側が、自ら間違いを軌道修正できない

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そして、最後に、これは実体験からきているのですが、やはり取り組み方にアナログな要素が大きいため、法律うんぬんの問題以前に、そのままコピーしてしまう人の場合、守るべきポイントを外し、重要ではないことに過度にこだわったりする傾向があります。

ここはむずかしいところで、自分自身も認知症とアルツハイマーの違いもわからないところからスタートしていますし、過去を振り返ると、散々稚拙な間違いをやってきています。

あまりこういったことを言いすぎて読まれた方がひいたり、理解に時間をかけすぎて、早期治療の機会を失ってしまいはしないか、というジレンマもないわけではありませんが…

上から目線で物を言うようで恐縮ですが、間違うこと自体に問題があるというよりは、そのまま教科書的に鵜呑みにしてしまうタイプの人は、間違ったことにいつまでも気づかず、同じことをし続けてしまう、または重要な改善策やポイントを外してしまう、傾向があります。

つまり、考えずに実行しようとする人は、自分で間違いを軌道修正できないというところに問題の根幹があるのかなという気もします。

根本原因が、努力の有無にあるのではなく、性格や気質的なものに由来するのだとすれば、むしろそういった方へ声をかけるべきではないのかもしれません。。これは、見極めができていない自分の課題という気がします。

小さな目標と秘めた可能性

「あたなが、アルツハイマー病から回復を始める人々を実際に目の前にしてしまえば、人々が職場に復帰することを見てしまえば、人々が再び彼らの家族の一員として戻ることを目にしてしまえば… あなたは、自分が見たものを拒否することはできなくなります。」

デール・E・ブレデセン

なぜかスルーされるMENDプログラム

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わたし自身、一人で物事を考えていくことは好きなのですが、社会発信をすることに興味を覚えるタイプではありません。さらに言えば、社会正義に燃えているわけでもなく、他者からの自己承認欲求を求めるモチベーションも低いです。<(_ _)>

…ただ、介護する家族の方の「一体何のために生きているのだろう」という言葉を耳にしたり、あれほど聡明であった人が一年も経たずに廃人となってしまう様を見てしまうと、自分の感情が揺れ動いたりすることも事実です…

気になってしまうのは、MENDプログラムの核心的な意義に、(散発的な記事は目にするものの)まだ誰も気づいていないように見えるため、自分の身の丈を大きく超えている課題にも関わらず

「うーむ、これって、自分が言いたてないと、だれも注目しないのでは?」

という気持ちもあったりもします。

自分の母が偶然ではなく、複雑であるとはいえ他者に提示できる”明確な方法論と具体的な改善策で”助かったということは、他の方も同じアプローチをとることで助かる可能性は大きく高まるはずです。

それを自分はわかっていてずっと黙ったままでいるのか?(ブログ発信に大きなコストがかかるわけでもないし)という罪の意識?というと大げさな気もするのですが、認知症患者さんを見るたびに毎回変な後ろめたさを感じてしまう、それを払拭したいという複雑な感情もあるかなという気がします。

これだけ書いといてなんですが、多くの業者が発する「これをすれば治る」的な安易な言葉が嫌いなので、効果のほどについては、わりと控えめな表現をとっているつもりです。

しかし、ひとつだけ自信をもって言えるのは、単一アプローチでは認知症問題の解決の見込みはない、ということです。

現在あちこちの大学や研究所で開発研究されている薬など書籍や論文も一通り読んでみましたが、それらはみな36の発症要因のせいぜい2つか3つを埋めるものすぎません。

認知症発症以前の予防的な措置であれば36の穴も小さく、そういった薬剤が全体を引き戻してくれるといった可能性もあるかもしれません。

しかし認知症発症後、つまりいくつもの穴が大きく開いてしまった後になってから、そのような単一標的型の薬をいくら投与してみたところで、根治回復にまでいたるとはとうてい思えません。

わたしからすると、認知症患者さんが新しい薬を待つという行為は自殺行為にしか見えないのです。

ブレデセン博士が提示している多面的アプローチをが、今、我々が与えられている手札の中で、認知症にまともに対抗できる(おそらく唯一の)方法であり、認知症患者さんにとっての最後の希望でもあると思います。

誰も知らないアルツハイマーサバイバー

「私のやり方は、言うべき正しいことを最大限の骨を折って探し出し、その後、最大限の軽率さで言ってのけることである。」

バーナード・ショー

おそらくほとんど人にとって、仮に不治の病を患い、その後何か独自の治療を行ったことで回復したとすれば、自分が選択した治療法の正しさを疑うのは、非常にむずかしいでしょう。

脳はあらゆるトリックを用いて、個人の経験を一般化させようとします。手練れた医者や研究者でもプラセボを見抜くことはできません。

奇妙に聞こえるかもしれませんが、これまで自分がずっと行ってきた改善策に、絶対と思えるような確信を持ったことは一度もありません。

(全体の方向性としては間違っていないだろう、という確信はありますが。)

ただ、少しでも治る方向へと軌道修正を幾度となく繰り返してきた結果、母は認知機能を維持し、医者から驚かれ、そして周囲を冷静に見渡すと、真の意味での若年性アルツハイマーサバイバーが、誰もいないことに気がついたようなところがあります。

もし母の病気がガンで生き残ったとかであれば、私は単に運が良かったケースかもと考えていたかもしれません。また、MENDプログラムと出会わなければ、このように発信しようと思うほどには確信をもてなかったとも思います。

アルツハイマーサバイバーに明確な定義はありませんが、完全に回復を果たすという意味ではおそらく文字通りゼロでしょう。これはわたしの母も例外ではありません。

「no alzheimer survivor」の画像検索結果

(訳) 

わたしたちはここにアルツハイマー生存者の写真を掲載するつもりです。

もしいたのならばですが…

予防不可、治療不可、回復不可

また、アルツハイマー病には誤診の例や亜型が多く存在し、特殊ケースによっては長く生きるケースもあるようですが、典型的なアルツハイマー病で平均余命を大きく超えて生活能力を維持し生きることができるという意味であれば、わたしの知る限り、国内に3万8千人いる若年性アルツハイマー病患者で、おそらくゼロです。

※サイトや書籍で紹介されいているアルツハイマー病回復例、進行抑制例のおそらくほとんどすべてが、亜型か、MCI段階での早期介入だったか、誤診のいずれかだと思っています。

※実際の患者数と、その中でインターネット上探索可能な方の割合には一定の相関があるため、(ちょうどamazonのレビュー数からおおまかな購買者数が予測できるように)の逆算すれば誤差はあるものの潜在的な患者数の予測は可能です。

いまだ存在しないMENDプログラム実行者

アルツハイマーサバイバーがいないということだけでなく、MENDプログラムも公表されて1年以上が経過しますが、それに類する考え方の元に、体系的に実行している人も、(その人がそれによって改善しているかどうかと関係なく)やはりネットで探して見る限り見当たりません。

「MENDプログラムを自分なりにやっています」という方は割にいらっしゃるようなのですが、その多くの方は自分の好みや、良さそうと思ったところだけピックアップされていて、検査も受けておらず、まったく治療レベルに達していないようにも見受けられます。

被験者数1名(n=1)とはいえ、どう数字を甘めに推定しても、この二つの要素をかけ合わせて残る人はわたしの母しかいないのですが、その評価計算は他の方におまかせしたいと思います。

次世代医療に向けて

次世代のパラダイム(枠組み)に早くから気づくためには、ほとんどの場合、多くの反証を切り捨てなければならない。新しいパラダイムがまだ多くの問題を抱えているそのときに、古いパラダイムに打ち勝つことを確信しなければならない。このような判断は直感によってのみ到達しうるものである。 

トーマス・クーン

単一ターゲット型の治療に潜む問題は、気がついてみれば何でそんなことに気が付かなかったのだという呪縛じゃないでしょうか。

わたし自身もこういった点については、MENDプログラムの潜在的な価値と意義に十分には気がついていないんじゃないか、と思うことがあります。

MENDプログラムのような徹底したカクテル療法は、認知症治療にとどまらず、多くの神経変性疾患、精神疾患などへもすぐに応用が可能ですし、実際そういった動きは海外ですでに大きな始まりを見せています。

世界に精神疾患患者が20億人以上存在することを考えれば、これがどれだけ大きな革命的なポテンシャルをもっているか、聡明な方であれば簡単に理解ができるはずです。

とはいえ、あまりに話を広げると、目の前の現実に苦しんでいる患者さんを助けることがぼやけてしまうため、ブレデセン博士もその点については少し言い控えられているのかな、と勝手に想像したりもしています。

「mend alzheimer muses」の画像検索結果

おそらく医者や専門家は、もっと確実なエビデンスがでてくるまで手を出さないでしょう。それにはどんなに早くても数年後、しかしその数年後であっても、ごく少数の方が取り上げる程度な気がします。

されにそれから有効性が認められて日本で認可されるまでとなると、あと10年以上かかるんじゃないでしょうか。

加えて、仮に10年後に公共的な位置づけがなされたとしても、医療リソースの問題で限定的な広がりしか見せないとも推測しています…

社会の思い込み

見知らぬ悪魔より知ってる悪魔

「物事ってものは、みんなとてもあいまいなものよ。まさにそのことがわたしを安心させるんだけれどもね」

おしゃまさん「ムーミン谷の冬」

個人的にニュースを見てていつも思うのは、人は、テロなど目先の新しい恐怖に反応はするけれども、どこにでも起こっている当たり前の、そしてもっと恐ろしい地獄には、そこまで気を留めないでいられるという性質があるのかな、と思ったりもします。(わたしもその一人です。自覚的ではありたいと思っていますが…)

交通事故で人が毎日死んでも誰も気にしないように、テロが毎日当たり前のように起こるようになれば、人は麻痺してテロを問題と感じなくなる気もします。

北朝鮮のミサイル発射に国民が驚かなくなってきていることなどが、いい例じゃないでしょうか。

自然現象への警戒心は低い

「やってくるこの毎日が人生だと知っていたら!」

スウェーデンのことわざ

わたしは、認知症の本当の危険性は、「もう歳もとったし、誰にでも起きていることなのだから」と、どこかで思っている無意識的な慣れではなかろうか、という気もしています。

もちろん本当に慣れてしまえば、それでもかまわないのかもしれませんが、現実を見れば、1300万人の介護者が存在し、4人に一人が介護うつ(つまり介護のうつ患者は300万人以上)にかかっているというのが今の状況です。

介護うつ 介護うつの現状と介護うつにならないために大切な考え方

介護自殺 毎日新聞 自殺者数 介護疲れ動機が増加

社会全体の現実逃避

しかし、その積み重ねで、日常生活に支障をきたしている認知症患者だけに限っても約345万人(2015年)、徘徊や失禁などの重い症状に至っている方は約200万人もいながら、彼らが、けしてそのまま公共の世界に出てくることはありません。

テレビで特集とか組んでるじゃないかとか思う方もいらっしゃるかもしれませんが、圧倒的に深刻さと頻度が足りないのです。

メディアの問題を嘘か本当かで捉える方が多いのですが、メディアの真の問題は大衆との相互作用による情報の増幅装置となっていることであり、そのことが小さな問題を過剰に強調し、大事な問題を過小評価していること、そしてそうであるという認識がお互いに欠けていることです。

いずれにしてもこの悲惨さのオブラートは社会の優しさなのか、我々が臭いものにフタをしたい感情があるからなのかわかりませんが、そこで認知症問題に人が強く目を向けない → 認知症になる人が生まれる、といったことが繰り返されているようにも思います。

※MENDプログラムに基づいた認知症予防策が徹底されれば、少なくとも現在の潜在的な認知症予備軍の半分以上は救われます。このことが放置されている現状は狂気としか思えない…

また、社会や人が死を取り扱う時、客観的な事象として扱うか、情緒的に扱うかのどちらかで、死に備わる底なしの恐怖そのものが直視されることはめったにありません。

その恐怖心の回避が、そのまま痴呆やボケに目をむけないことにつながっているというふうに見えることもあります。

認知症先進国日本

「僕は人類全体の苦痛の前に頭を下げたのだ」  ドストエフスキー

人類の歴史上初 10人に1人が認知症の国家に

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認知症はあらゆる病気の中で、社会的にもっともコストのかかる病気であり、年間14兆円が失われ患者数は460万人を超えます。

※ちなみに東京オリンピックの開催費用は3兆円、自衛隊の予算は5兆円、教育を保育から大学まですべて無償化しても8兆円です。

この460万人という数字はある意味、誤解を招く人数です。

これは診断された人の数であり、症状がなく診断の定義としては未病である一定数の人たちも、目に見えないだけですでに神経学的な悪化をきたしているからです!

その人たちは将来、認知症を発病することがほぼ約束されています。

その数は、現在の発症率12~15%が続くなら、認知症の症状が発症していないだけで、神経学的な悪化のある人たちがすでに1000万人以上いることになります!

未症状の方が実際に発症すると、1000万人の認知症患者が生まれます。

そして日本人人口がこのまま減少していけば、10人に一人が認知症を発症している社会が誕生します。

国民の10人に1人の認知機能がおかしくなった社会、国家というものは、歴史上存在したことがありません……

タングル借金・アミロイド借金

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これは目に見えない大きな国の負債の一種です。

なんとタウタングル(神経原線維変化)は、普通の人であっても16歳の頃から蓄積を始める兆候を見せることがわかっています!

アミロイドを包摂するプラークも、少なくとも、誰であっても30、40歳から蓄積を始めます。※このプラークは病気の発現には関係がない可能性もあります。

これを「タングル借金」または「アミロイド借金」と呼んでもいいのではないでしょうか。

国の借金と違うのは、国の借金はがなんだかんだで、次世代に後回しできるのに対して(言ってはダメ?)、タングル借金やアミロイド借金は期限が来たら、ほとんど為す術もなくすべてをとりはぐられます。返済を完了するには死ぬしかありません。。

興味深いのは、タングル借金を減らすための情報や社会的な仕組みはまったくないと言っていいに等しいのですが、発症後の対応策については、情報が充実していて、社会的な仕組みもどんどん洗練されてきており、十分ではないにしても、家族や国もそれなりにケアをしてくれます。

ただ、バランスとして見たとき、ケアの充実も大事ですが、発症前、MCI、診断直後にすべきことの取り組みが、極端に欠けている、抜け落ちています。

感覚的な印象ですが、社会全体が症状が悪化してからのケアに100の力を注いでいるとしたら、予防施策は10、診断直後の改善への取り組みは1以下じゃないでしょうか…

一日に1300人の認知症患者が誕生 認知症の死者50万人/年

認知症で亡くなる人の直接死因は肺炎や心臓発作などで記録されるため、認知症で亡くなられた方の数を探しても出てきません。

認知症患者の人口、平均生存年数などから計算したところ、現在、認知症を起因として亡くなる方は、毎年50万人以上いると推定できます。

※なぜ認知症死者数の概算データが見当たらないのか不思議です。

一方で認知症患者全体の数は増えていっているため、新たに認知症と診断される人も、毎年50万人以上いるわけです。(この数字はほとんど語られていません。そのため患者数の増加率を元に計算しています。)

これは、自分たちが何気なく過ごした今日一日に、全国では1300人の方が認知症と医者に宣告され、約2000人の家族が、むこう6年間の介護地獄へのスタートを切ったことを意味します!

しかし、所詮は他人のことなので、自分には関係のない話なのでしょう……

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※上記画像は1000人の人物写真 今日一日に誕生した認知症患者の数です…

※要介護者の平均世帯人員2.5人

※経済的な負担は一日の遅れで350億円(1370人×382万円×6.7年間)になります。

(正直、計算した自分自身が驚いて、何度も計算し直したぐらいです。)

経済的にも個々人の問題としても、ここまでインパクトのある社会問題は他にはそうそうなく、ガンやエイズ、原発の停止(1.3兆円)TPPの廃止(3兆円)などでさえ、認知症問題の深さには及びません!

認知症ほど、世間の心配の程度と、その問題の本当の深刻さに、ギャップがある問題もないんじゃないでしょうか。

テロ事件と認知症問題を扱った総放送時間を死者数で割って比べてください。

問題の性質が違うという人もいると思いますが、テロの日本人死者が(海外で)数人であるのに対して認知症患者は50万人です。この10万倍という数の違いを無視してもいいほどに、認知症問題は(テロなどと比べて)話題性を必要としない問題なのでしょか?

これはテレビや新聞は嘘をついているとか、騙そうとしているとかいったレベルの批判ではありません。現在のニュース、報道が持つ最初からもっている原理的な自己矛盾に根ざしているのです。

(間違っているという話ではなく、問題の深刻さを見誤っている人が多すぎる…)

自然現象とみなされ、至るところにあり、徐々に起こっていくがゆえに、かえって、その射程と根深さが知られていません。

100人中1人がMENDプログラムを実行するだけで2万人が助かる

創業当時、私が「世界的視野に立ってものを考えよう」と言ったら吹き出した奴がいた。 本田宗一郎

MENDプログラムの改善率は、症例報告の段階では50%を超えるとされています。

最新経過報告 MENDプログラム臨床試験 239名の被験者

2017年8月

・SCI(主観的認知障害) MCI(軽度認知障害)患者のほぼ全員が改善

・初期アルツハイマー病患者の50~88%認知機能を改善

・中期~後期アルツハイマー病患者 いくつか反応あり、プログラムの遂行能力が課題

※ブレデセン博士曰く、プログラムが実行さえされるなら100%改善するとのこと

参加者の75%が辞めざるをえなかった仕事に復帰

※情報元 ACNEMブレインカンファレンス (英語) (Youtube)

もし380万人のMCI患者、160万人の初期型認知症患者が全員実行すると空想するなら、例え50%と控えめに計算しても270万人の命が助かり!年間8兆円の社会的負担が持続的に軽減されます。

…半分の実行率が妄想だとしても、元の分母があまりに大きいだけに、

該当者のほんの1%の人が実行するだけで、2万人!の命と家族の生活が救われる可能性があります。

※440万人(MCI+初期AD)×実行率1%×成功率50% = 22000人

こういうことを本気で考え出すと、ブレデセン博士のように商業的なシステムを作っていくしか方法がないのでしょう。

ブレデセン博士も、プログラムを普及させていくことを考えて、マーケティングも含めた治療システムを作ることに行き着いたことのだろうと思います。

実存的問題

君があらゆる望みをすて、もはや目的も要求も知らず、幸福のことなど口にしなくなった時、 その時初めて事件の波はもう君に届かなくなり、君の魂がはじめて憩う   ヘッセ

埋もれてしまう個人の生

お金や社会的な損害の話しばかりしてしまいましたが、「何万人が!」とか言われても、ある意味そういう大きな話というものは、かえってピンとこない、自分たち個人の実存的な生というものが見えにくくなったりもします。

※我々の脳は、不特定大多数の人間に対して、本能的な慈愛を抱くことができません。その意味で抽象的な愛は人工的(社会的)なものだと思っています。

また、認知症は、えてして悲惨さばかりがクローズアップがされ、またその反動でか「家族はともかく、本人はそれほど不幸でもないよ、」といった意見も時々目にしたりします。

幸福の過度な強調

関連画像わたし自身はというと、実はどちらの意見にも組みしておらず、今の世の中、幸せ不幸せという観点ばかりが、少し強調されすぎているのではないか、とも感じています。

※当然、幸福の定義を広げれば、すべての問題は幸福かどうかだけになってしまいますが。

認知症の本質的な問題は、その悲惨さもさることながら、人が人生をどう終えるのかという、これ以上ないくらいに、個人的な問題だからです。

どのみち死なねばならぬなら、 私は、なっとくして死にたいのだ

梅崎 春生

こういった人生の最期をどう考えるかは、とうぜん、その人の人生観にもよるでしょう。

わたし自身、病気の経験があるため特異的にそう考えるのかもしれませんが、認知症になるということは

「人生最期の時期に、自分自身に対して生きることへの問いかけができる最も重要な瞬間を逃してしまっている」

と感じており、ある光のもとでは、それが全てだとも感じています。

なんだか、話しが小難しくなった気がしますが… 長いあいさつが、ますます収集つかなくなりそうなので、また別の機会に譲らしてもらえればと思います。(汗)

最後に

果実の役目は貴重であり、花の役目は甘美なものであるけれど、わたしの役目は、つつましい献身で木陰をつくる、樹木の葉のようでありますように

ラビンドラナート・タゴール

とはいえ、多くの人にとってMENDプログラムは、たしかに簡単とは言えません。

その広範囲さえゆえに、必ず苦手分野が存在し、それらの克服も必要となってきます。

すべき事柄の多さもですが、その前に、二極化しているトンデモ健康情報と、現代医療の非実践性、どちらの不合理な面にも気が付いて常識感を変えていかなければなりせん。

死ぬだけよ、あんた死ぬだけよ、

――なんとかしようとしなければ、あんたは死ぬだけよ

小説「大麦入りのチキンスープ」

回復までに登るべき階段は10段あります。

やってみようという決心と実際にスタートを切ること、この最初の2段だけは残念ながらお手伝いができません。

残る階段は、同じ闘病者として全力で応援していきます。

2017年1月

アルハカ

※2017年9月改訂

あいさつ文の補足的なことについて書いています。

あいさつ 追記

断片的な情報はツイッターで発信していく予定です。

掲示板パスコード 2289

自己紹介

アルハカの簡単な自己紹介

■性別 男

■年齢 アラフォー

■仕事 現在 病気療養 & 求職活動中?

■趣味 読書、旅、エクササイズ

■食事 ココナッツオイル、軽いパレオダイエット

■性格 ISTP(実用主義、旺盛な好奇心)16性格診断より

アルハカ母の簡単な自己紹介

■年齢 60代

■趣味 読書、散歩

■性格 おっとり、真面目

■小さい頃の夢 デザイナー

■好きな色 紫

■好きな食べ物 揚げ豆腐

アルハカ母のこれまでの経緯

2006年 記憶障害 物忘れが目立つ、MCIの段階

2007年 知り慣れたはずの道を迷う、料理が異常に遅いなどの異変症状

2008年 若年性アルツハイマー病の疑い(忘れ物外来で誤診を受ける)

2009年 若年性アルツハイマー病の正式診断 MMSE23点

医者から「二年以内に自分で服を着れなくなる」と伝えられる。

処方薬の副作用? → 性格の変化、怒り、抑うつ、自殺願望

サプリメントを中心とした治療対策

2012年 ゆるやかな進行、妄想・幻想が増加

2014年 散歩を始める。投薬の大幅な追加

→ 症状が劇的に改善 ※妄想・幻想が大きく減少

2017年 MMSE23点 診断時と変わらず 

短期記憶は全体的に悪化、皮質全体の血流低下は改善

短期記憶(海馬+海馬傍回)の回復に向けた治療を実行中 <今ココ