7. 危機(経済・環境・国際)

危機管理について 概要 Alzhacker
General Crisis Management Introduction

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複雑性の時限爆弾

大きな危機予測に関するわたしの基本的な考え方は、複雑系科学の考え方に基づいており、進行性の進化を除いて、起こりうる危機や出来事を予め正確に予測することは「原理的」に不可能であるというものです。)大きな危機はデータが少ないため、その性質上確率を決定するには経験則が少なすぎること、そして、その社会システムの相互依存(ネットワーク)の複雑から生じる出来事は、カオス理論によって予測不可能になることが実証されています。

歴史の事象に限っても、ベルリンの壁の崩壊、ソ連の崩壊、エリツィン政権下のロシアにおける自由主義的改革の失敗、2001年9月11日のテロ、イラクにおける大量破壊兵器の無駄な探索、2000年代初頭のいくつかの旧ソ連邦におけるいわゆるカラー革命、ウクライナのマイダン蜂起、そしてその後のロシアのクリミア併合と米露関係の疎外と敵対関係の激化などを正確に予測していた専門家は皆無だったと思います。

原発事故は100万~1000万年に一回しか起きないと、電力会社が国に示してきたことは、いかに専門家の予測があてにならないかということを端的に表す代表例であり、利害関係のある専門家の言葉であればなおさらです。

つまり,人類は誤って「複雑性の時限爆弾」を生み出してしまったのではないか,つまり,制御不能に陥ることが避けられないグローバルシステムを生み出してしまったのではないか,ということだ。

「Next Civilization」

複雑系科学の考え方に基づくと、災害や戦争、金融危機など多くの危機には周期性があり、精度には欠けるものの~年以内に大きなイベントリスクが起こるかもしれないという確率論的な予想は可能であるとするものです。想定外のシナリオであるブラックスワンイベントもこれに該当します。

地震を例にあげると、いつどこでどれくらいの地震が起こるかといった予測は当たることがありませんが(数学的に不可能であることが証明されているそうです)、30年以内に震度6以上の地震が70%以上の確率で起こるといった確率論的な予想は立てられています。時が経てばその確率は線形ではないにしても当然高まります。経済も長期的予測がほとんど不可能であることが知られていますが、周期的に起こる金融危機イベントについては、経験的に強く知られており、その周期性自体を否定する経済学者はほとんどいないのではないかと思います。

期待値と費用対効果

こういった予測のつきにくい危機に対して対策について、(政府や地方組織が集団に対して行っている)統計学的な確率論(期待値)と費用対効果を組み合わせた計算を個人でも行い準備していこうという提案をしています。

火災警報器を例にとると、個人の住宅が火災にあう確率は年間0.024%であり、火災警報器がそこで大火事を防ぐ確率はさらに下がります。一生を通して火災警報器が役に立つ可能性は1%もないと思われますが、だから不要だと言う人はあまりいないでしょう。それは、起こりうるリスクがあまりにも甚大であり、例え使用する可能性が低くても、その設置費用が安価なために割に合うということを経験的に知っているからです。

さて、大きな危機に対する準備についてはどうでしょうか?何にどれだけ準備するかによります。白米を脱酸素剤を入れてアルミ袋で密封処理し押し入れの奥に眠らせておけば30年保存が可能と考えられており、火災警報器の設置よりもコスト的には安いものです。消費期限が近づけば食べることができるため、実質的なコストは保存容器だけです。

参考記事

ガーデニング?

ガーデニングはどうでしょうか?一見、ガーデニングは非常に手間ひまがかかり、土地を必要とし、その作製に多くの人的エネルギーも必要とするため、一見、費用対効果に優れた方法のようには見えません。しかし、これは私に言わせれば還元主義的な狭い考え方に基づくものです。 たしかに土地や資源を持たない人々がゼロから始めることは難しいかもしれません。

一方で、ガーデニングには適度な身体活動、植物を育成する楽しみ、土からマイクロバイオームに有益な影響を与える細菌を得られることもいくつかの実証研究で確かめられています。さらに、個人ではなくガーデニングコミュニティを通して、災害時に重要な役割を果たすことになる地域ネットワークを準備しておくことを提案する研究者もいます。

参考記事非施設入所者の身体的・精神的健康および幸福を促進するためのコミュニティガーデンの貢献に関するエビデンス システマティックレビュー

ガーデニングを行うことのもうひとつの重要性は、収穫量よりも栽培の知識を身につけることです。栽培の経験が全くない人が1の収穫量を得ることは、1の収穫量を得た経験のある人が、それを10にまで広げることよりもはるかに困難です。

また、発展途上国では、最大で80%の人々が農業生産に直接携わっているますが、先進国では5パーセント以下です。つまり、私も含めてほとんどの人は、生きていくのに十分な規模の食料を育てた経験がありません。

このことが厳しい食料危機が訪れた時にどのような結果をもたらすかは容易に想像がつくと思います。食料自給率も確かに重要ですが、集団における慣行農法の知識を持つ人達の割合を増やすことは、特に長期的な食糧危機において見落とされている戦術です。

参考記事ビクトリー・ガーデン Robert Malone

インフラの機能停止

もうひとつ見過ごされがちなポイントは、食糧のグローバル化の問題にも結びついています。食糧危機は必ずしも食糧が不足して起こるのではなく、食糧を配達するためのインフラが破壊されたり、買い占めでも、配達されず食糧不足に陥るということです。マスクは中期的にはマスクが不足したのではなく、マスクを買い占めた事業者によってマスク不足が生じました。東日本大震災では、押し寄せられた寄付が届く地域と、届かない地域に別れました。

我々が災害対策で準備していることの多くが、ある特定の災害状況では有効ではなかったりするものも少なくないことを考えると、地域でのガーデニングは、インフラが完全に破壊されても機能するという高いレジリエンスと汎用性は強調してもしすぎることはありません。

参考記事送電網の故障に備えた地域社会の備え

高まる費用対効果

いずれにしても、食糧危機は危機の可能性のひとつに過ぎませんし、日本全土で深刻なレベルで起こる確率が「非常に高い」という主張をしているわけでもありません。しかし、本当にそれが日本全土で起これば、政府はそのための準備や計画をしているように見えず、それは最悪のケースでは命を脅かすかもしれないことから、確率(期待値)を含めた費用対効果が見合うのだったら、個人で準備をしておいてはどうかという保守的な提案です。

もちろん、食糧危機は危機のひとつであって、言うまでもなく食糧を備蓄しておけば安心ということではありません。食糧備蓄することで安心し他の対策をおろそかにするのであれば、むしろ危険でしょう。例えるなら、山に登るために酸素ボンベを必要とするかどうかは、山の標高次第で、極めて重要な道具のひとつになるかもしれませんし、そうでないかもしれません。3000m級ならお守り程度にあったほうがいいでしょうし、7000m級の山に登るならその有無は生命に関わります。ですが、レインコートやクッカーなどの登山道具を持たずに酸素ボンベだけ用意する人をみかけたら、合理的な方法ではないと直感的に理解できるのではないでしょうか。

既に述べたようにどのような危機が起こるか、いくつかシナリオは想定されているものの、実際のところはわかりません、しかし危機が起こるかもしれないという、様々な信頼できるシグナルが発せられていることは紛れもない事実です(サイトで紹介しています)。つまり平時の間に準備をしようという声がけではなく、警報機はもう鳴っており、今は、ボヤなのか、大火事なのかを見極めようとしている段階にいます。

参考記事来るべき食糧危機への備えはできているか?

来るべき食糧危機への備えはできているか?
複雑なロシアンルーレット

個々のシグナルは、もちろん必ずしも起こることを保障するものではありません。 しかし、あなたが合理的に物事を考え、コストベネフィットを計算することのできる持ち主であれば、津波警報の誤報の可能性が90%あるとしても高い丘へ向かって逃げることが正しい判断であるということは理解できるはずです。

仮想的な例では、数年以内に10発中一発が実弾のロシアンルーレットをしなければならないが、100万円払えば引き金をひかなくても良いと言われたとします。支払う余裕のある多くの人は大金を支払ってその10%のリスクを回避することを選ぶのではないでしょうか? そこでお金のある人が、払わずに引き金をひいて空打ちで助かったとして「ほら、払う必要はなかったじゃないか」と言われたとき、わたしたちの多くは計算をしなくても、それはおかしいということが直感的に理解できるはずです。

もちろん、実際の危機の確率とそれを避けるためのコストの関係は、火災警報器やロシアンルーレットよりもはるかに複雑なものです。そのため、現実の世界では、コストをかけてまで対策するべきかどうかの直感的な理解を阻むという課題があります。言い換えればリスクベネフィットを考えて行動するためには、可能な限りの知識を得て、そこで不確実性の要素を含めながら計算する必要があります。

最終的には、不確実性に対して直感的判断を必要とするかもしれません。また究極的には危機に対する価値観の問題として考えていく必要があるのかもしれません。これは未来予測に正しい答えはないということではなく「未来の予測の正しさには幅がある」という理解の仕方であり、その中でどれを選ぶかはあなたの意志と選択に委ねられているということです。

広域大災害時に期待できない政府

残念ながら、政府主導の官僚主義的な危機対策は、さほどこの複雑なロシアンルーレットを理解しているように見えず、福島の原発、ボーイング737MAX、COVIDパンデミック…といったことを振り返るに、いくつかの経験則からも失敗に終わる可能性が高いと考えています。加えて、日本では外部から危機管理システムの欠陥も指摘されています。一例を引用すると、

  • 包括的な国の災害対応計画がない、
  • 組織の権限が不明瞭、
  • 災害訓練は技術披露が多く、即応性、意思決定の練習につながっていない
  • 大災害時に防災管理担当の組織の調整能力が欠如、防災管理の職員数が少ない。
  • 日本政府の各省庁は,常勤専任の応急対応担当官を確保していない
  • ほとんどの県庁と市町村の災害対応の職員は、片手間でしか災害対応任務を与えられていない。
  • 自衛隊職員に対し定期的公式の災害管理教育が施されることはほとんどない。自衛二隊の中に専任の災害管理計画や訓練を担当する専門組織もない。
  • 日本では個人や事業者の災害復興の問題は体系的に検討されることはない。

参考記事

個人 vs 集団

さらに見落とされがちなのは、政府や地方組織主導の危機対策は、仮に完璧なプランを実行したとしても、それは集団に対しての対応であって、個々人の状況に対応したものではないということです。

高齢者や要介護者といったおおまかな層別化は行われているかもしれませんが、認知症の母と糖尿病の父をもち小麦粉アレルギーをもつ介護者のあなたに最適化された災害支援は期待できないでしょう。個人に必要なリスクベネフィットの計算、また個人の脆弱性を補う行動は、あなた以外に行う人はいません。

やろうと思わなければ、横に寝た箸を立てにすることも出来ん。

夏目漱石

その時が来たら来たで覚悟を決めて、なにもせずに「今」を楽しく生きる!というキリギリス戦略も、平時であればありだと考えています。特に心配性の人は、心配することで精神的な負荷が高まる場合、その負荷と危機が訪れた時の負荷とのトレードオフの問題が生じるからです。しかし、今はその不利なトレードオフでさえ、少なくとも相殺できる段階に来ているように思われます。

最終的には準備だけではなく、個人の世界観、普段の生活スタイル、消費の仕方、健康への取り組み、コミュニティといった要素、そしてそれらの多様性から生まれるものだと信じています。

レジリエンスを高める

コミュニティの重要性

考古学的データの限界を認識しつつ、私たちは崩壊が何世紀にもわたってゆっくりと、さまざまな原因と連鎖反応によって起こっていることを目の当たりにする。都市は滅び、帝国は崩壊するが、コミュニティは消滅しない。農業は続けられ、貿易も行われる。以前からあったシステムは何らかの形で継続する。コミュニティは変容しながらも存続する。

次の黙示録では、個人のスキルや努力だけでは不十分で、コミュニティとしての協力が必要である。多くの人々が被災し、助けを必要とすることになるのではないだろうか。大規模な黙示録では、数十億人の生存者がいるだろうと想像している。そのような多数の生存者がいるということは、現在どのようなコミュニティでもそうであるように、集団行動と協力が必要であるということだ。

「The next apocalypse 」Chris Begley

多くの危機対策に関する本を読んできました。本によっていくつか相違点はあるものの、すべてに共通しているのはコミュニティの重要性です。過去の大災害や崩壊を見ると、コミュニティとして協力して問題を解決していかなければならないことがわかります。その次に組織の柔軟性です。文明の崩壊という考古学的事例では組織のあり方に柔軟性がある地域が、変化を乗り越えてきたことが示されています。現代社会と古代文明が大きく違うのだとしても、この2つのキーワード「コミュニティ」と「柔軟性」は普遍的な価値をもっているのではないでしょうか。

プレッパーズから学べること

多くのプレッパーズ※と呼ばれる人たちは、ガジェットなどに依存していたわけではありませんでした。黙示録的な物語に備え、個人や小さいグループで生き残るために非常に実用性の高い考え方をもっており、少なくとも個々のアプローチに関して言えば、非常に実践的です。

※「備える人」の意 大災害や経済の崩壊、戦争などに備えて、食料を備蓄したり核シェルターを作ったりする人。プレッパーズ。

しかし、今回パンデミックに面して、準備してきたことのほとんどが役に立たなかったそうです。。もちろん、本当の災害が来れば違っていたと言うことはできるでしょう。一方で、現実的である、実用的、実践的であるとはどういうことか?ということを考えさせられる興味深い出来事でもあったと思います。

プレッパーズの場合、彼らの実践性が狭いスケールでのみ過剰に適用され、複雑な社会システムの影響が文脈から外れてしまうことが非合理的に見えてしまう理由のひとつかもしれません。

では適切なスケールとはなにか?これは個人の立場で考えるのか、社会的視点で考えるのかによって当然異なるはずでうが、一方でその2つは結びついているため、どちらの視点から考えるにせよ完全に切り離して考えることはできません。その2つまたはそれ以上の視点を持ってはじめて真の実践性が得られるのかもしれません。

さて、個人、地域、社会、政治、金融等、あらゆるスケールから危機対策を提案しているクリス・マーテンソン博士という方がいらっしゃいます。私の知る限り、危機対策に関する最も優れたバランス感覚を持ち合わせており、当サイトでは彼のメソッドを参考にしています。

クラッシュコース | 第26章 - 何をすればいいのか?

Chris Martenson博士

  1. コミュニティ
  2. 自分の財産の購買力を守ること
  3. 化石エネルギーへの依存を減らすこと
  4. 食料は地元で調達する
  5. 非常時の備えを強化する
  6. 健康を増進する

レジリエンス 8つの資本カテゴリー

  1. 金融資本 多くの人が最も直感的に知っているもの。お金、株式や債券のポートフォリオ、仕事から得られる収入、そして支出や借金など。
  2. 社会資本 プライベートな人間関係や公的な人間関係のことである。我々を育て、導いてくれる人間関係、好意を持っている人との親密ではない関係、そして我々のニーズを満たし、商品やサービスを提供するために利用することができる人脈。
  3. 生命資本 我々を取り巻く土地、木、水、土、そして動物たちのこと。また、我々の体、つまり健康や体力、能力なども含まれる。
  4. 道具資本 家、橋、建材、道具、保存食、コンピュータ、ソーラーアレイ、自動車など、目に見える所有物のこと。
  5. 知識資本 自分が知っていることや、その知識を応用するための専門知識のこと。
  6. 感情資本 パンチを受けても、心の中の嵐や外のドラマを冷静に乗り越えられる個人の能力によって測られる。
  7. 文化資本 我々が暮らす地域の人々の物語、歌、習慣などによって定義される。逆境に強いコミュニティもあれば、そうでないコミュニティもある。その違いは、それぞれの文化資本の大きさを表している。
  8. 資本の一形態としての時間 これは、繁栄と豊かさに満ちた未来を望むならば、賢明に配分する必要のある、貴重で枯渇し続ける商品を意味する。
「プロスパー !」未来への準備と相続する価値のある世界を作る方法 -第2章 レジリエンス それは一体何...

レジリエンスから見直す贈与経済

贈与の利点は数多くある。贈与に基づく経済は、困難な時代を生き抜くのに適している。深刻な景気後退や経済破綻は、市場経済の中で人々が契約書に署名して自らを縛る約束の多くを無効にしてしまう。贈与は自発的なものであるため、違反する契約もなければ、訴訟することもない。贈与型経済は慣習やタブーによって自治され、規制体制を必要としないため、政府が腐敗したり、略奪的であったり、消滅したりした場合でも回復力がある。

贈答品は文化の多様性を維持する傾向がある。なぜなら、贈答品はユニークであればあるほど高く評価され、手作りの芸術的な贈答品は大量生産されたものよりはるかに優れているからである。

贈与は個人的に知り合った人々の間で行われるため、贈与型経済はグローバルというよりはローカルなものとなり、世界中にいる見知らぬ人との危険な取引は排除される傾向がある。

「The Five Stages of Collapse」– Dmitry Orlov

物々交換

物々交換は、貨幣が不足している場合や、貨幣の使用が危険、不便、負担となる場合に、貨幣の使用を避けるための秘密のシステムとして発展することができる。貨幣の使用が迫害を招くような抑圧的な状況や、貨幣の使用が官僚や犯罪者の捕食を招くような無法状態において、物々交換は有効である。

物々交換の基本は、「必要なだけのタマネギを取り、余るだけのジャガイモをくれ」ということになる。これは、自分も隣人も特に参加したくないジャガイモとタマネギの市場の指示を盲目的に受け入れるよりも、はるかに優れた、公正な物々交換の取り決めとなる。「崩壊の5つのステージ」

コミュニティ

歴史的、考古学的な例は、こうした黙示録的なファンタジーとは似ても似つかないものだった。考古学的データの限界を認識しつつ、私たちは崩壊が何世紀にもわたってゆっくりと、さまざまな原因と連鎖反応によって起こっていることを目の当たりにする。都市は滅び、帝国は崩壊するが、コミュニティは消滅しない。農業は続けられ、貿易も行われる。以前からあったシステムは何らかの形で継続する。コミュニティは変容しながらも存続する。

「The next apocalypse 」考古学者Chris Begley.

システムの耐障害性を高めるレジリエンスの原則

  1. 冗長性(故障時のバックアップシステム)
  2. 分散化とモジュール設計(故障部分を切り離す)
  3. ローカル・オートノミー(切り離した部分が自律的に動作する)
  4. 連帯感(他者との良好な関係)
  5. 多様性と多元性(不利な条件でも機能すること)
  6. 分散制御
  7. 参加型アプローチ(例えば救急隊が到着するまで現場の人が対応できる)
  8. ローカル・デジタル・アシスタンス(暫定的なネットワークを構築してコミュニケーションを維持し、自助努力、調整、支援を促す)

上述したレジリエンスの原則は、将来の災害、本質的な脅威、危機を克服するための中央集権的な情報・制御システムの有用性に疑問を投げかけている。一元化されたシステムは、一つの解決策(「最良」とされるもの)をどこにでも展開する傾向があり、その結果、多様性が損なわれる。一元化されたシステムは、モジュラーデザインの原則にも反している。一元化されたシステムは、最も助けを必要とする危機の際に、しばしば失敗する。例えば、災害発生時には、通常の通信ネットワークやその他の重要なインフラが故障することが多い。 「Next Civilization」

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