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わしは空気を読めんこともないが、なるべく読まんことにしとる。
空気を読むと疲れてかなわんからのう。
裏のおじいさん
検査機関の不備
アメリカ国内ではリコード法で指定されている検査項目はすべて可能ですが、日本国内では自費であっても受けることがむずかしい診断項目が多数あります。
また、通常ひとつの病院で可能な検査がカバーできることはまれ、複数の病院・クリニックをまたがり7~8割程度を埋めることが可能になると思います。
リコード法の検査機関・検査費用
リコード法に肯定的な医療機関のリストを、リコード部のうにさんが作ってくれましたので参考にしていください。
日本ではハードルが高いリコード法の検査ですが、リコード法を実行する上で避けて通れないため、検査と実行プランをたたき台として作成してみました。
検査項目の費用と、検査可能な範囲の違いを機関別、難易度別にまとめてみました。
社会整備の実践的課題
食事ガイドラインで示される放牧牛のミルク、放牧鶏の卵、多くの有機または無農薬野菜を購入する入手経路が日本社会では限られています。
それらの入手は家庭の予算を逼迫するだけでなく、リコード法が普及するにあたっては社会構造の変革が要求され、リコード法実践者が急増した場合、少なくとも短期的には食材の供給が不可能となってしまいます。
現代社会の脅威
現代社会の一般的なライフスタイルでは、食事を始め仕事や環境汚染など99%の対象がリコード法において理論的な脅威となりえます。
そのため、現実的にはどこかで妥協しなければなりませんが、どのリスクは許容できてどのリスクは回避しなければならないのか、そしてどの程度まで妥協が許されるのかといった判断が多くの人にはとってはむずかしいという問題があります。
「認知症を受け入れよう」という空気に殺される
アルツハイマー病は改善しないという教科書的な常識がまかり通っているため、当然政府も社会も人々も治らないことを前提に、どうアルツハイマー病と付き合っていくべきかということを考えていきます。
認知症を改善させるための情報や社会的な仕組みはまったくないといっていいに等しいのですが、問題に十分対応できているとは言えないものの、発症後の生活支援、訪問介護、地域包括ケアなど、国、専門家、地域の多くの方がセーフティーネット作りに真剣に取り組まれています。
こういった社会のケアシステムは、ケアを受ける立場からみてよくできているなあと素直に感心したり、社会という仕組みのありがたさを感じることもあります。
日本特有の「空気読め」
しかし、そういった空気が支配する日本社会で「アルツハイマー病は改善する可能性があるんだ」と語ることには大きな勇気が要求されます。
「無責任なことを言うな」「じゃあ証明してみろ」「介護している人の気持ちを考えたことがあるのか」という言葉や思いが、実際に改善したことを伝えたくとも、意見を萎縮させます。
医者の白眼視
お医者さんに聞いても「信頼できる証拠が不足している」「検査ができない」「ブレデセン博士は極端だ」「お金儲けじゃないか」「実行できないだろう」などと言った、その背景にある事情が全く考慮されていない言葉が並びます。
ですが、医者が白眼視する中で、一般の方がそういった権威者の空気に逆らってリコード法を実行するのは容易なことではありません。
順番がおかしい
「認知症を受け入れる社会」を否定しているわけではありません。そうではなく取り組む順番が逆ではないかという問いかけです。
ごく論理的に考えて「認知症を治す社会」がまず先で、そしてそれが駄目なら「認知症を受け入れる社会」が準備されるものではないでしょうか?
証拠不足?
繰り返しますが、ここで「大規模な臨床研究結果が欠けている」などと教科書的に証拠不足の問題をあげつらうことしかしない人は、その前提となる承認制度の抱える原理的諸問題(特にアルツハイマー病と関連して)の理解と解決方法についてまず意見をください。
そして、そこから「われわれ患者に他に一体何ができるのか?」についての具体的な方法を教えてください!
津波だろうと赤信号は守るべきだ
個人レベルだけの話ではないのです、システムそのものが崩壊しかけているというのに機能不全な医療システムを守っていくべきだというのは本末転倒もいいところです。個人が大怪我をして車で病院にかけつける時に、おまわりさんが「交通ルールを守ろう」と建前上言うのは、まだわからなくもありません。
しかし津波で街が飲み込まれるときに「信号を守るのはルールだ」というのは、国民性や愚直さとして表現するようなものではなく、端的に狂っています。
「認知症を治す社会」という概念の欠落
まずは社会的にも実質封殺されている「認知症を治す社会」が合理的な理由とともに存在するべきだということに目を向けてほしい。そして、「認知症を受け入れる社会」に注がれている人的、経済的資源の1割でいいので(本当は5割と言いたいのですが、)を「認知症を治す社会」に割り振ってほしい。
十分に棲み分けは可能だと思います。
認知症治療が行えるのは医者だけ
認知症治療は医療研究者と製薬会社だけが行えるというドグマが信じられているからなのだとは思いますが、それらをもはや異常な状態だとさえ思っていない、疑う能力を有する(+行動に移せる人)が知識階級の人間においてさえほとんどいないこと(非多様性社会の脆弱性)の怖さも今回実感しています。。
口コミによる広がりの難しさ
身体障害とは異なる難しさ
これはわたしも今まさに経験していることですが、認知症を受け入れるという社会運動が普及してきたとはいえ、認知症を発症したことを公表される方はやはり相当に少数派です。ここに、ガンサバイバーやその他のフィジカルな障害を抱える患者さんとは異なる難しさが認知症には存在します。
明確な指標がもてない
そもそも最初から認知症であることを隠しているため、そういった方が改善を示したとしても、そこで他の方へ伝えたり公表されることもないまま日々を過ごすことになります。
特にリコード法の改善事例は初期の方に多く、同時に隠すことが可能なステージでもあります。そしてガンのような寛解と言える指標をもつことも難しいため、将来の進行の可能性を考えた時、その方にとっては公表することはやはり当人にとってはリスクと感じます。
また、これは当サイトやリコード法も知る機会が与えられてから、まだそれほどの期間が経過しておらず、日本での実行者の絶対数が不足していることもあります。
一人の目にする改善例の裏にある多くの改善例
表向きに目にする患者さんの一改善事例に対して、私が裏側でお聞きする範囲での改善事例は桁がひとつ増えます。さらにいくつかのアクセス解析や情報から、実際にはもう一桁多い改善者が存在することを推測できるデータはあります。
逆もしかりで改善は難しいと言われる方が多くいらっしゃると考えることはできます。ただ改善が難しい方のケースでは、プログラムの実行率、検査と最適化、進行度合いに大きく依存するため単純比較が難しかったりもします。
「進行は緩やかになったようだが改善は難しい」という方が、やはり背後に一定数いらっしゃることは確かなのですが、わたしの知る範囲では検査と実行を可能な限り行った初期の方で、本来の進行よりも悪化した方はいらっしゃいません。
認知症の本来の進行が理解されていない
また認知症が本来どのように進行していくのか、といったこともあまり知られていなため、例えば抑制維持、進行の遅延といったような消極的な形としての改善である場合にも、その利益が理解されないケースもあります。
認知機能テスト(MMSE)のスコアは平均的には年2~3ポイント、早く進行するタイプのアルツハイマー病(rpAD)では一年で5.5ポイント以上低下することもあります。
jamanetwork.com/journals/jamaneurology/fullarticle/1107857
仮に後者のタイプが「1年リコード法を頑張ってみたが一つも良くならなかった」とすると、実際には5.5ポイントもの低下を防いだことになりますが、患者や介護者がそのように理解することはまずありません。また仮に改善していたとしても、そのスピードが遅い場合、その認識に至るまでに時間がかかることも理解の難しさと口コミの広がりに制限が生じる要因となります。
次の記事
次は稚拙ながら、管理人が初期に行ってきた改善方法について、書いていきます。