注意事項・趣旨説明

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「私のやり方は、言うべき正しいことを最大限の骨を折って探し出し、その後、最大限の軽率さで言ってのけることである。」

バーナード・ショー

注意事項とお願い

当ブログは日々の体験記ではなく、もともとは認知症改善のための試行錯誤をまとめた備忘録であり、それらを情報活用できる人を対象に加筆整理したものです。

現在は、直接患者さんや介護者さんと関わることが増えたため、(+コロナウイルス)記事によってそういった方向けの比較的わかりやすい記事、専門性が高い記事、単なるメモ書きや、興味をもった文献の翻訳など、かなり記事のスタイルが混在してしまっています。そんなわけで適当に眺めていくと多くの方が混乱され、そのような報告も上がっています。。m(_ _)m

基本クオリティーよりも、特に最近は量とスピードを大切にしており、どちらかと言えば辞書に近い作りで、初心者が訪問した際のユーザビリティーや動線が考えられていないため、そのあたりの雰囲気を掴んでいただいて利用していだけるとありがたいです。

具体的であること・実践的であること

いかなる問題にあっても、具体的という事は、最後の、しかして最良の結論だ。

石川啄木

また、このブログサイトは、一般的に知られていない(特に国内では)踏み込んだ情報も多数扱っています。

役に立つための実践的、具体的な記述を心がけていますが、そういった情報は同時に部分抽出されて基本理念が伝わらない可能性、単純に誤る可能性、情報として古びる可能性も高くなります。

リコード法はツールに過ぎない

わたしは思想や主張を保持することを、わりとどうでも良いと思っている(ファクトに興味がある)タイプの人間ですので、誤っていたと思えばその都度さっさと訂正しますし、そのことの責任追及にも(それが他者であろうと自分であろうと)興味がありません。

当サイトとリコード法は根本思想を多く共有しており、多くの具体的情報も一方的に利用させてもらっていますが、リコード法を主張し続けることが何か自分の利益になるわけでもありません。(ヘルスコーチなどの資格も取得して収入を得ようと思えば可能ですが、あえて取得していません)

リコード法、現代医学、東洋医学、機能性医学、栄養療法すべては自分にとってツールに過ぎず、患者の益にならないという判断が閾値に達すれば静かに去ります。有害性が勝ると思えば反旗を翻します。良くも悪くもそのあたりはドライであり実用主義的な考え方をもっています。

ちなみに、自分がそのような考え方をもっているのでわかるのですが、リコード法は世間の捉え方とは反対に、ブレデセン博士の実際主義的な考え方が強く反映されており、そこが自分がリコード法を支持する理由のひとつだったりもします。

主張の一貫性はわりとどうでも良い

目に見える表面的な主張の一貫性というのものにも、あまり価値や信頼を置いていません。

※そして、その事実をどう患者さんの利益や幸福につなげていくかという観点もありますが、ここは正解が明確ではなく個人のイデオロギーが入り込みやすいので、ちょっと曖昧に、多様性をもたせておいたほうが良いだろうと言う考え方をもっています。(時には目の前の人を、時には大局的に数字を追う)

「事実」を追求する姿勢においての一貫性により、個人の主張が変わることはよくあることです。これだけ複雑化、カオス化した知識世界を真面目に幅広く探求していけば、個別的な意見や見解は変わっていくのが当たり前です。

むしろ主張の具体性がまるで変わらないというのは、継続的な学習と見直し作業が不足している証拠だと思っています。スタートアップ、黎明期においては、個人の頑固な思想や信念よりも、柔軟な創造性が有利に働くのではないでしょうか?と勝手に思っております。

影響力と自由度の逆相関

また一般論として、対外的に信用性をもたせようとして意見の整合性を考え出すと、本音や本当のことも隠されてしまう傾向が生まれます。

語ることは抽象的な意見ばかりとなって、◯◯の答弁のような、役に立たない、誰の生命も助けないような発信となってしまっては本末転倒です。

影響力と自由度(主張の可塑性)は逆相関すると考えているため、リコード法の直接的な普及とは矛盾するのですが、自分もあまり特定の立場での発言権や影響力を強くもちたくないという思いもあります。

最新の情報・オリジナル文献の参照

できるだけ情報源も明らかにしていきますので、詳細や正否についてはオリジナルの文献、原著論文などを当たっていただき、常に疑いつつ、また最新の情報を読んでいただけたらと思っています。

※リコード法自体もどんどんアップデートしており、ブログ記事も未完成のまま投稿し頻繁に書き換えています。

情報提供の意図的な曖昧さと難解さ

情報が不足しているわけじゃないよ。考えが及ばないだけだ。

小説「すべてがFになる」 森博嗣

先程と反対のことを述べるようですが、すべての情報について、必ずしも明示的には書いておりません。むしろ難解な文章が多いと思います。(アルサプだけはニーズと妥協から生まれました^^;)

これは、自分が発信する立場になって痛感したことですが、核心的に重要な情報にも様々あり、問題なく記述できるものもたくさんある一方で、

  • リスクが高いもの
  • 個人差が大きいもの
  • 法律に抵触するもの
  • 証拠が弱すぎるもの
  • 個人で入手が困難なもの
  • 価格が現実離れしているもの
  • 非生産的な批判を招きやすいもの
  • 理解が得られにくそうなもの

、等々いくら、正しい、効果があるだろうと思っても具体的にだったり、誰でもわかるようには書けない治療手段も少なくなく、ついそのあたりは書き方には慎重になったりします。

時間節約の目的もあるのですが、直訳に近い書き方によって理解能力のある人にだけ伝わってほしいという考え方も含んでいます。

消費者の無知を前提にしたサプリメント市場構造

そういう視点から、世の中で広まっている認知症の改善情報を眺めると、フェル◯ードだったりプラズマ◯ーゲンだとか、ココナッツオイルだとか、妙に食品由来の抽出成分をちょっとひねった新しいものが目につくようにも思います。

食品由来の成分に多くの認知症改善が期待できる成分が含まれていることは事実です。

しかし一方で、

食事や運動、睡眠は、ちまたにある健康法と片付けられ、
ビタミンのようなよく耳にするような栄養素は軽んじられ、
化学合成品は自然ではないから身体に悪いという思い込みがあり、
適応外の医薬品は、はなから選択肢にあがってこない…

すべては知識の欠如によって、目の前にある有利な選択肢を捨てている、

としか思えません…

マーケティングによる選抜

そして日本で目につく認知症の改善策は、実質的な効果があるからというよりも、法律的、マーケティング的な理由から、微妙に効果がある情報として一部だけのものが浮き上がっているいるようにも感じられます。

その他の多くの改善策は、論文や専門家の記述の中に埋もれており、このサイトはそういった一般的には知られない情報を、少しだけ手に届きやすいように掘り起こしています。

専門性というフィルター

しかし最終的には、その方が個人で調べて判断しなければならず、「選択には知識や理解が必要」ということが、実はある種の「安全フィルター」になっているということも理解してもらいたいと思います。

そういうわけで、当サイトの記事が「わかりづらい」と思ったら、それは「安全フィルター」です…と言いたいところですが、管理人の説明能力の不足(あと時間不足…)であることも多々あるかと思います(汗)

一つの理念よりも100の生きる知恵

過剰な単純化の弊害

物事には単純化して説明していいものと、そうでないものがあると思っています。

興味本位で、または回答できる時間が5分しか許されていない時に「無人島で生きていくにはどうしたらいい?」と訊かれれば、「とにかく希望を捨てないことだ」などと答えてもいいでしょう。

しかしその人が実際に無人島での生き残りを考えているのなら、伝えるべきはそういった精神論や抽象的事柄ではなく、具体的な火の起こした方だったり、獲物を捕まえるワナの作り方だったりといった100の知恵ではないでしょうか。

理念は後回し

実践することで改善の兆しが見えてくれば、治療の基本理念のようなものは後からついてきます。

しかしその逆はありません、アルツハイマー病はそもそも「アルツハイマー病を治すための3つのステップ」といった単純な考え方や理念で治るような病気ではないからです。

天下り式の改善策であっても?

とは言え、私の知る多くの認知症患者、関係者の方も、「複雑すぎる」「難しすぎて実行できない」とあきらめてしまうため、ところどころで、わかりやすく書いて間口を広げようとしています。

自分に迷いを生じさせている最大の理由は、患者さんの時期やタイプによっては、たしかに天下り式の改善策ではあっても、何もしないよりもはるかに症状の改善を見せているからです!

そのため、文章自体の稚拙さ、覚書、メモ書きとして使用していることもありますが、わかりやすい話とむずかしい話が一緒くたになってしまっているところがあります。読まれる方によっては、混乱されているのではないかとも想像しています、ここは平謝りするしかありません、m(_ _)m

リコード法は唯一の現実的な認知症治療方法

「あたなが、アルツハイマー病から回復を始める人々を実際に目の前にしてしまえば、人々が職場に復帰することを見てしまえば、人々が再び彼らの家族の一員として戻ることを目にしてしまえば… あなたは、自分が見たものを拒否することはできなくなります。」

デール・E・ブレデセン

認知症患者さんを前に知らないふりをするという罰ゲーム

わたしは、社会発信に興味を覚えるタイプでもなければ、ヒロイックに社会正義に燃えルタイプの人間でもありません。自他共に認める、山でひっそりと仙人のように暮らしていきたい半世捨て人です^^;

今、自分がこのような活動を行っていることに一番驚いているのは自分自身です。

単純な話で、聡明であった知人が一年も経たずに廃人となってしまう様を実際に見てしまって、または、介護する家族の方の「一体なんのために生きているのだろう」という声を聞いて感情がまったく揺れ動かない人はいないと思います…

散発的な記事は目にするだけで、誰もがブレデセン・プロトコルの核心的な意義に、気づいていないように見えるため、自分の身の丈を大きく超えている課題にも関わらず「うーむ、これって、自分が言いたてないと、だれも注目しないのでは?」という気持ちがあったこともサイト作製の動機のひとつにもつながっています。

追記:ブログを始めた当時はまさに誰も振り向いていない状況でしたが、現在は書籍も出版されテレビにも取り上げられ、種まきという役割にどこまで貢献できたかはわかりませんが、役目は終わったという気持ちでいます。一方でブレデセンプロトコルの普及の歯止めを感じており、ごく一部の人たちだけに限定されてしまっていることもとても憂慮しています。

リコード法ほど具体的かつ実践的な方法論が公開されているものはない

自分の母が偶然ではなく、複雑であるとはいえ他者に提示できる”明確な方法論と具体的な改善策で”助かったということは、他の方も同じアプローチをとることで助かる可能性は大きく高まると思っているからです。どこまでも被験者数1名(n=1)として医療の側からは否定されるでしょうが…

「罪の意識」までいうと大げさな気もするのですが、例えば適切な栄養素を複数種類摂取するといったレベルの実行であっても、介入時期によっては一定数の人は確実に回復するだろう、もしくは進行を許したとしても家庭崩壊は免れる、という確信が自分の中にありました。

バイアスだと言われればそれまでですが、バイアスを取り除く権利が個人には存在せずバイアスを含んだ医療が一切許されないのだとすれば、それは医療の特権化を強化する以上の中身は感じられません。

パラシュートにランダム化比較試験が必要か?

認知症患者さんが目の前にある武器を誰も使おうとしない。

熱中症になっているのに、水を飲まずバタバタ倒れている昭和の人たちを見ている気持ちです。。

一時的に倒れているぐらいなら横目で見ているだけだったかもしれませんが、その人の築き上げた人生と人格が徐々に奪い取られ家族の生活も破綻に向かうということに対して、さすがに何も言わず黙ったままでいるというのは、言ってみれば津波で一人だけこっそり逃げているような気持ちとでも言えばいいでしょうか。

想像したくない10年後にやってくる認知症の国

未来学が好きなので、よく未来のことを調べたりします。これまでわれわれは認知症の方をずっと社会の表から遠ざけていましたが、10年経てば彼らを隠し通せる場所や余力がなくなってしまい、認知症を受け入れる社会の浸透(もちろん必要なことです)とともに、あらゆる公共の場所で認知症の方を目にする機会が増えると思います。

そして、それによって否応がなく認知症患者の引き起こす事故や社会問題は、患者さんの増加率以上に増えていくと思います。ラジオやテレビもそういった事件を連日取り上げる(または当たり前となって取り上げなくなる)寒い時代をリアルに想像しました。

The Most Good You Can Do

数字が私を利他主義者に変えたの。バカ高いジムの月会費で、盲目を治療できると知った時、「どうして今までやってこなかったのだろう?」って思ったくらいよ。

レイチェル・マレー

博愛主義者でもなければ、見ず知らずの人に腎臓を提供するような人格者でもありません。自分の知らないところで人がどれだけ苦しもうと痛くも痒くもありません。快楽主義に基づいて合理的にものを考えるなら心理的利己主義の正しさは否定し難い。(徹底したデカルト主義の批判がむずかしいように)

合理性をどこへ割り振るか

しかし、例え確率が低くても実行しない場合に生じるインパクトを考えた時、これもまた別の可能な合理的視点であり、「将来一生棘が刺さったような気持ちになる」ことだけは回避したいというメタ的な利己主義も存在します。

利己主義はさらに徹底させると空中分解を起こし、どちらの選択を取るかはつきつめると趣味性の違いにすぎないでしょう。

お金ないしなーと思って、ちょこっと調べたら、ロリポップのサーバー代の安さを知って自分に言い訳ができなくなったという、わりと低レベルというか小さな理由もあります(苦笑)

日本社会にとっても「早ければ早いほど効果的」

リコード法は時間や金銭的にある程度の余裕がないと難しいのも事実です。どうすれば低価格で実行できるかに尽力を尽くしていますが、少子高齢化、日本経済の縮小、効率偏重の社会など様々な社会的要因によって、そういった努力も相殺されてしまいます。

ちょうど認知症治療が遅れるほど個人の回復の機会が遠のくように、日本社会においても時が立てば立つほど、追い込まれ社会全体のリコード法の実行と回復が難しくなります。

最後の手札

わたしからすると、認知症患者さんが、そして社会全体が「新しい薬を待つ」という行為は「自殺行為」にしか見えないのです。

ブレデセン博士が提示している多面的アプローチが、今、我々が与えられている手札の中で、認知症にまともに対抗できる唯一の方法であり、認知症患者さんにとっての最後の希望でもあると強く確信しています。

21世紀の医療

いつの時代にも存在する劇場のイドラ
慢性疾患に対する単一標的型治療の終焉

単一標的型の治療に潜む問題は、後になってみれば、「なんでそんなことに気が付かなかったのだ」というドグマじゃないでしょうか。

現在の還元主義型の医学が、結核や細菌感染のようなものに対しては非常に強い効果を発揮し、多くの人の命を救い、人類の平均寿命を伸ばしてきたことは事実であり、理解や感謝が足りないぐらいだと思っています。そしてある方面では還元主義の医学はこれからも十分に役に立っていくでしょう。

アルツハイマー病暗黒の時代

しかし、アルツハイマー病は違います。そしてアルツハイマー病だけではありません。従来の疾患原因が何であるかを還元的に細胞レベル、分子レベルで特定し、そこから処方を考えていく20世紀型の工学的な医療アプローチ(医者も研究者もそれらを特定のアプローチとさえ考えていない)が、多くの病因が関与する複雑系の慢性疾患に通用していないことは明白な事実です!

ブレデセン博士が述べるように、時が経てば今の医療研究はアルツハイマー病の暗黒時代であったと語られるようになるでしょう。

アルツハイマー病だけではない

リコード法のような大きなデータセットをながめて、下流から上流(上流から下流も含めて)に向かうマルチモーダルな治療アプローチは、アルツハイマー病治療にとどまらず、レビー小体、パーキンソン病などの神経変性、複雑系が関与するほとんどの慢性病などへもすぐに応用が可能ですし、実際そういった動きは海外ですでに大きな始まりを見せています。

人工知能のIBMワトソンが有名ですが、こういった多く因子のデータセット解析は人工知能との相性が良いため、AI医療が本格化すれば医療業界の様相がガラッと変わるであろうことは想像に難くありません。

慢性疾患患者は世界に20億人

世界に慢性疾患患者が20億人以上存在することを考えれば、これがどれだけ大きな革命的なポテンシャルをもっているか、今の医療常識にとらわれていない専門家であれば簡単に理解ができるはずです。

とはいえ、あまりに話を広げると、目の前の現実に苦しんでいる患者さんを助けることがぼやけてしまうため、ブレデセン博士もその点については少し言い控えられているのかな、と勝手に想像したりもしています。ここは、わたしも風呂敷を広げすぎて足元をすくわれてはいけないと注意しているところです。

治療導入の遅れにより日本社会の回復も厳しくなる
10年後では遅い

おそらく医者や研究者は、もっと確実なエビデンスがでてくるまで手を出さないでしょう。それにはどんなに早くても数年後、しかしその数年後であっても大多数の関係者の重い腰は変わらないと思います。

そこからさらに有効性が認められて日本で認可されるまでとなると、最速で見積もっても10年はかかるんじゃないでしょうか。

行政任せでは10年以降になるのは確実

日本がこれから少子高齢化に突入し生産労働人口が大きく減少することは、ほぼ確定しています。

仮に(最短で)10年後にリコード法が公共的な位置づけがなされたとしても、そのときには今よりもさらに少子高齢化、生産年齢人口の急激な減少、社会医療費の増大、日本経済の縮小という厳しい環境に立たされます。

その結果、リコード法が認められる頃には、今度は医療リソースの枯渇からリコード法に社会が取り組むこと自体が困難になります。

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最後に