Contents
科学の進展は葬式ごとに進む。
マックス・プランク
ブレデセンプロトコル(リコード法)について、まず専門家からどのような批判がなされているのか、考えられる反論を含めてピックアップしてみました。
批判内容のいくつか、古びているかもしれません。(22年1月)
批判に対する反論内容は管理人の見解であり、公式な回答ではないことにご留意ください。
専門家の批判
エビデンスの信頼性の不足
プログラムで用いられる個々の療法のエビデンスの信頼性が不足している。
すでにブレデセン博士も論文で言及されていますが、これまでのアルツハイマー病治療薬の研究はほぼすべて単一因子疾患であることを前提にデザインされた試験の結果です。
アルツハイマー病が数十にもおよぶ標的をもつ多因子疾患であったと想定するなら、そこへ1つ2つの化合物を投与したとしても、それがいわゆる個々の薬剤、治療アプローチが統計的な有意性には達さない可能性が高いと考えることは十分に合理的だと思えます。
そもそも、エビデンスを評価する従来の手法に対して議論を提出していることを踏まえた上でならまだわかるのですが、その議論をすっ飛ばした上で、エビデンスが不足しているという批判が有効だと思える批判がわたしには理解できません。
臨床マーカーの因果関係が未解明
ミューズ研究所で用いられている臨床マーカーの多くは疫学的に推定されたもので、相関関係なのか因果関係なのかはっきりしていない。
そもそも疫学で因果関係が証明されることはきわめて稀です。工場から流れ出したカドミウムとイタイイタイ病の関係でさえ因果関係は確定していません。
タバコの発がん性も100年以上前から疑われ続け、その因果関係が認められだしたのは1990年代からです。受動喫煙と健康の因果関係はいまだ証明されていません。
また過去の病因に関するアルツハイマー病関連のコホート研究、介入研究の多くも、複雑な交絡因子、背景因子をそもそも前提にしていません。
因果関係を明確にできればもちろん理想的ですが、相関関係と因果関係の間にある曖昧な部分を生化学的な機序から観察して取り出していくという現実主義的な発想がリコード法にはあります。
遺伝学、分子生物学、毒物学、暴露科学、統計学の進歩により、現在の因果関係に対する解釈は非常に複雑化しています。大規模なデータセット、広範囲のメタデータ、複雑なアルゴリズムを採用することが可能となっており、統計的有意性の欠如によって必ずしも関連性が否定されるわけでもありません。
被験者の選定方法が非開示
事例報告で選ばれた被験者の選定の仕方が開示されていない。
これはそのとおりなのですが、リコード法のような強いアドヒアランスが求められる治療プログラムの症例研究を無作為化で行うのは困難なためであったためではないかと想像しています。
個人的な倫理観を語らせてもらうと、無作為化された結果、生死が決まってしまうようなプログラムを臨床試験として行うことには強い呵責を感じずにはいられません。これはランダム化比較試験そのものに内在する問題でもあります。
また行われたとしても、無作為化は同意に依存するため、特にリコード法のようなアドヒアランスが強く要求される治療法において、そこで得られた結果が母集団の一般性を代表するのか、より疑念がわきます。(つまり犠牲を払って得られたわずかな信頼性の高まりにトレードオフが成立しているのか)
治療アルゴリズムの非開示
パーソナライズ治療で用いられるアルゴリズムが開示されていないため評価ができない。
この批判は書籍が出版される前のもので、現在はプログラムの詳細内容について多くの情報が書籍や動画を通して公開されています。
検査数値を入力して、タイプを判別するプログラムもありますが、それは何かスパコンやディープラーニングで解析するような秘密のアルゴリズムなどではなく、自動化効率化のために作られたプログラムに過ぎません。
実際、プログラムを介さずに医師が検査数値を解析し、それに基づいて治療しているリコード法プラクティショナーもいらっしゃいます。
評価は十分に可能であり、むしろ批判者の側が細部に入って評価しようとする気配あえありません。
個別化医療の有効性は不明
プレシジョン・メディシン(精密医療)、パーソナライズド・メディシン(個別化医療)自体がまだ、有効性をもつか、わかっているわけではない。
多少なりとも臨床をかじったことのある人間ならば、神農、アーユルベーダ、ヒポクラテス、いずれの時代でも,医療はすべからく個別化医療だったことはわかるはずだ。
池田 正行
square.umin.ac.jp/~massie-tmd/codx1.html
個別化医療はFDAでも2014年より承認されておりその数も毎年増え続けています。2018年は59のうち25(42%)の個別化治療が承認されており、有望な個別化医療の時代はすでに到来していると言えるでしょう。[R]
これまでの精密医療、個別化医療に対する批判は、がん治療などに関してゲノム解析の高いコストといった主に費用対効果からなされていました。
リコード法でもいくつかのアルツハイマー病リスク遺伝子から診断が行われますが、過去の基礎研究を元にした血清バイオマーカーを中心としたものであり、解析ソフトなどを使わなくても医師や個人で実行が可能なものです。
誤解されがちなのですがリコード法は、最先端の技術、治療方法(例えばスパコンやニューラルネットワークなどによる解析)を用いているわけではありません。
個々の治療法に関して見ると、すでに過去からある比較的証拠の高い基礎研究、臨床研究などの成果を、多因子疾患としてのアルツハイマー病に対して構成的に編成した治療プロトコルです。[R][R]
重複しますが、他の議論や批判は以下の記事を参考にしてください。
リコード法 医療・研究制度上の問題
臨床研究実施の壁
治療方法承認されるための無作為化試験は、被験者の同意に依存します。そのため母集団の完全な代表というのは不可能なのですが、特にリコード法のような強力な治療プロトコルは、端的に生死を分けるためその同意の取り付け段階で、多くの拒否が生じることが予想され、試験そのものが成立しないか成立したとしても代表の一般化に疑念が残ることになります。
有用な研究とは、患者中心であるはずで、試験結果は患者の利益と密接に相関する必要があります。しかし、研究課題と患者のニーズはしばしばミスマッチであり、患者のニーズに研究対象の優先順位が合わせられることはめったにありません。[R][R][R]
医師の絶対的不足
日本では、まず医師数の絶対数が不足しています。人口1000人あたりの医師数は2.0人で、OECDの平均3.3人を下回ります。(2006年)
そして、神経内科医は医師全体の2.5%、7493名(2017年)[R]
日本精神科病院協会によると認知症の専門医は2000人であり、一人あたりの専門に割り当てられる認知症患者さんは2500人です![R][R]
リコード法は基礎医学を基盤にしているものの、現在一般的に利用可能な臨床現場の医療とは大きく異なります。そのため認知症を専門とする医師がリコード法を治療に取り入れること自体が簡単にはいかないという前提があります。
その上で仮に専門医全員がリコード法治療に取り入れるという奇跡が起きたとしても、原理的に、患者さんのサポートをすることが不可能という問題に突き当たります。
1人のお医者さんがリコード法をサポートする患者さんの数は数十名あたりが限度だと思います。10名のヘルスコーチと協力してリコード法を実行するというような理想的環境が実現したとしても、数百名あたりが限界であり、お医者さんに依存するモデルではどうひっくり返して考えても全員へ行き届かせることは不可能です。
自由診療・混合診療
混合診療禁止が医療格差を生む
混合診療とは保険診療と自費診療を一つの病気に対して行うことであり、日本では混ぜて診療することが禁止されています。理由としては混合診療を認めると貧富によって受けれる医療に差が生じやすくなるため、また効果の定まらない医療が行われる可能性もあるから、とされています。
一方で混合診療の禁止は一般の保険診療で行っている病院、クリニックがリコード法を治療の一環として取り入れたいと思っていてもむずかしくなります。
その結果、リコード法のような新しい治療方法は、その他の治療も含め100%自費診療で良いという患者さんだけが検査や治療を受けれるため、貧富による医療格差、または出費の格差が混合診療によって反対に大きく生じてしまっています。
混合診療解禁は医療リテラシーを向上させる
効果の定まらない医療がはびこる可能性ですが、昔と違って患者さんも知識武装が可能であり、お医者さんと対等にやり取りすることが可能な時代に身を置いています。
そしてそのような個人の医療リテラシーはこれから不可避的に高まっていますし、医療資源が少なくなっていく中で高めていく必要もあります。
ごく一部ではたしかに暴利を貪るお医者さんがいることも事実ですが、それらは混合診療の可否とはほとんど関係ありません。
混合診療の解禁は認知症治療の広がりが大きく変わるだけではなく、お医者さんも治療について学習していく必要が生まれるため、お医者さん患者さん両者の医療知識の上昇、医療イノベーションの増加も見込まれます。
報道機関・科学雑誌の高度技術偏重志向
表層的な技術信奉
AIやロボット技術で乗り切ろうとする動きもありますが、認知症はそもそもそういった技術でなんとかなるような疾患ではありません。多少工面できたとしてもそれはどこまでも対処療法の上に対処療法を重ねるような話です。
そういった技術開発自体はもちろんあっていいと思いますが、そんなことよりもリコード法のコンプライアンスを高めることに技術を投資するほうがはるかにコストエフェクティブであり、患者さんの真の利益にもなります。
一発を狙おうとするムーンショット型研究とその報道
報道機関、インターネットで流れる生物医学と関連するニュースや報道は、非常に楽観的になされる傾向があり、報道内容も過度に単純化されます。
また健康を取り扱うTV番組でも、地道に取り組む必要のある治療方法は重要だとしても、ニュース性をもった治療方法として取り上げられることはまずありません。
大学などの研究機関で”マウス”のアルツハイマー病が回復したといって、毎回メディアでは大げさに報道されます。
しかし、”ヒト”でのアルツハイマー病に改善が見られたリコード法、またはFINGER研究などもわたしが知る限り、当時日本国内でニュースとして報道した報道機関はひとつとして存在しません。「多様性」という言葉はどこにいったのでしょうか?
最先端技術信仰
大衆紙、科学雑誌であっても、より高度な技術と高コストにより突破できる事例を誇大宣伝する傾向にあります。
ネイチャーのような国際的な科学ジャーナルでさえ、例えば脳深部刺激のような限定的な効果しかない技術的手法を「電極刺激が脳の学習能力を改善できる」などと扇動的な発表をしている現状です。[R]
必要なのは実践的に使えるローテク
リコード法に大きな技術はいりません。ポケモンGOのようなゲーミフィケーションを取り入れたエクササイズプログラム、脳トレであったり、認知症治療のSNSグループ、シェアリングを利用したパーソナルトレーナーなど、いくらでもすでにあるローテクと言ってもいい技術を振り向けるだけでいいのです。
このあたりも、技術信奉というか、事象の本質がなんであるかを理解せず、表層的に得意分野をぶつけようとする勘違いが多すぎです。。
ランダム化比較試験原理主義
パラシュートは死亡と怪我を防ぐために広く利用されていますが、その安全性は観察的なものであり、有効性についてランダム化比較試験による厳密な評価を受けていません。[R]
ゴードン・スミス
臨床試験のむずかしさ
現代医療での臨床研究では、薬剤なり治療法が本当に効果をもつのか(再現性があるのか)確かめるために、被験者の均一性であったり、同じ薬剤をグループごとに分けて投与する、プラセボ対照群を設定するなど厳しい審査が行われます。
リコード法は個人にパーソナライズされた治療法であるため、そういった実証性(再現性、均一性、対照群、単一標的)が担保できる臨床研究が非常に難しいという特質をもっています。
ゴールドスタンダードとされるランダム化比較試験やEBMに基づく試験を実施の問題に加えて、犠牲を払って行い得られた結果に見合うだけの実証的価値がどこまで含まれるのか甚だ疑問です。[R]
- RCTの高コスト(リコード法のような複雑な治療ほど高コストとなる)
- ノンコンプライアンス問題(リコード法を選択しなかったヒトの選択バイアス)[R]
- 特定の治療に対する臨床医/患者の好み(観察研究も同様)
- 倫理的問題(リコード法を選択しなかったグループの認知症進行)[R]
- 評価対象となるエンドポイントのバイアス(観察研究も同様)
- 同一条件の患者を募集する難しさ
- 参加者の適格性
- 交絡因子の除去(リコード法におけるRCTが観察研究よりもわずかに交絡因子を除去できる程度のものだとしたら?)[R]
- EBMの階層性はEBMによって保証されておらず専門家の意見に基づく。[R]
複雑系疾患の実証はむずかしい
リコード法のような、二桁レベルの改善策を組み合わせることではじめて効果を持つ複合治療というものは、現代の要素還元主義的な臨床試験のあり方では明確なエビデンス結果を求められません。
その組み合わせパターンがありすぎるからです。
将棋や囲碁などが有名な例ですが、組み合わせのパターン数というのは、本当に恐ろしく増大していきます。
参考 ウィキペディア 組合せ爆発
2億通りの治療パターン
ブレデセンプロトコル(リコード法)は、単純に投与量や運動量などを無視して、控え目に36の治療手段から10の組み合わせを抽出したとしても、2億の組み合わせパターン!があることになってしまいます。
この計算には対照群(プラセボグループ)も入れておりません。まあここまで来ると、どっちでもという気もしてきますが。。
還元主義的アプローチの限界
この時点で、還元主義的なアプローチでどの組み合わせパターンが最適かといった確認をすることはほぼ現実的に不可能になってしまいますが、ここへさらに個人差が加わります。
どういう人へ、どういう組み合わせが最適かという要素まで加わってくるため、試験管レベルの研究で網羅的に調べていく、といったこともできません。
単一標的のドグマ
かといって、(もしアルツハイマーという病気が、ネットワークの乱れから生じる代謝障害だと仮定できるのであれば、)ネットワークの一部を切り取って、単体の因子をいじっても医学的な有効域には満たされないケースがほとんどです。
※適切な例かわかりませんが、わたしは、福岡伸一著の「生物と無生物のあいだ」で、脳細胞のプリオンタンパクをノックアウトしたマウスが、問題なく正常に育っていったという話が思い浮かびました。
ブラックボックス化を嫌う医療業界
そして、なにが効いているかわからない、薬物動態の解明に結びつかない組み合わせ治療を良しとしない医学界の風潮?も障壁としてあると思います。
※ここでいう組み合わせ療法は、2や3つの薬剤という意味ではなく、もっと大量の、そして非薬物療法も取り入れる組み合わせ治療を意味しています。
無作為化比較対照試験の承認拒否
実際に、ブレデセン博士のグループは2011年に、薬剤を組み合わせリコード法の前衛となる治療方法を(対照群、シングルドラッグ、プログラム、プログラムとシングルドラッグという4つの構成)臨床試験にかけようとしたところ、「これは多因子介入だ、複雑すぎる」という理由!?で米国の治験審査委員会(IRB)から拒否されました。
ブレデセン博士は「そうだ、多因子疾患であるアルツハイマー病への多因子介入だ。」と答えたそうですが、、
IRBsに所属する医師の一人はブレデセン博士のプログラムに興味をもち、自分の患者には、ちゃっかり、そのプログラムを用いたそうです。。
その後、ブレデセン博士グループは、すでに臨床研究にすでに治験が正しく実施できるかどうかを審査する委員会(IRB)へ3度申請しましたが、(最後は2018年)すべて却下されました。
追記情報
幾度もの臨床試験申請がやっと2019年に承認され、現在、臨床試験(観察研究)が行われています。結果が得られるのは2020年11月の予定となっています。
clinicaltrials.gov/ct2/show/NCT03883633
現実が見えていない
現代医学が標的型の治療にこだわる理由のひとつには、薬理作用、薬物動態、病因の分子レベルでの解明という理由が大きいと思います。
医学を発展させていくために、メカニズムを確認しながら進めていくことが大切であることも事実なのですが、そのことにあまりにも固執しすぎて現実性と実用性に注意を払っていないため、わたしには患者が実験台となり多くの方が無駄死にしているようにも見えます。
トレードオフにさえなっていない
臨床試験が実験であらざるを得ないことには、トレードオフであるため仕方がない面もあります。そこは否定していないのです。
わたしが憂慮しているのは、今のアルツハイマー病創薬への取り組み全体が根本的に見当違いなことをしており、間違った土俵でいくらトライ&エラーを積み重ねても、患者の無駄死にを増やす行為でしかないという状況なのです。
多因子説の議論はどこへ?
これまでかけられた数千億円という開発費用と数十万人の患者さんの犠牲から得られたわずかな知見が、どれだけ人々のそして社会の利益につながってきたのか?
なぜその基本前提を疑わないのか?
少なくとも疑問を誰一人投げかけないのか?
実は多くの研究者が疑っている単一標的治療
正確には疑っている研究者が一定数いることは、多くの論文を読んでいればわかります。一つの因子を標的化して、その創薬によって本当に根治治療が可能だと考えている基礎研究者はむしろ少数派になっているのではないかと思います。
前提となるマインドセットが間違っていれば、当然その延長線のやり方では将来的にもブレイクスルーがやってくることは絶対にありません。
もちろん多因子仮説が証明されているわけではなく、実証的な意味で間違っている可能性もあるでしょう。しかしそのことの議論が表向き、まるでなされていないように見えるのはなぜなのでしょうか?
患者さんからすれば治らない「仮説」はどうでもいいのです。仮説という言葉が患者さんの望むことを離れて独り歩きしてはいないでしょうか?
薬剤によるグレードアップの可能性
ビジネスサイドの障壁
そして、さらにもう一点、併用療法の難題は、ターゲットを定めて考える臨床試験研究の実証主義的な性格の問題だけではなく、ビジネス的な障壁も絡んでいるとされています。
例えば既存の薬の組み合わせが有効であると判明したとしても、それぞれの製薬メーカーが異なった場合に、どう協力しあえばいいのか、新薬を開発するにしても特許で利益を独占したいと考える企業は、他メーカーと手をつなぎたがらないことも十分考えられます。
事例が増えていけばまた状況は変わるかもしれませんが、併用療法が流通するまでに至らない理由は、業界の常識を含め、特許や法律の整備など治療効果の評価とは直接関係しない要因も障壁となるであろうと容易に想像できます。
医薬・サプリメントの一長一短
これは、リコード法が作られる過程においても全くの例外だとは思いません。リコード法では医師の処方箋を必要とするような薬は、ほとんど使われておりません。
すでに説明したように、ブレデセン博士はアルツハイマー病をプリオニックループ障害と考えており、APPの代謝バランスが崩れた状態にあることが、アルツハイマー病の発症原因であると考えています。
機能性医学に立脚しているということもありますが、作用の強い医薬を用いることで、かえってそのAPP代謝バランス、またはシナプス恒常性バランスを崩しかねない、と考えています。
時代に先駆けすぎたリコード法?
実際に、リコード法の改善事例を見る限り、医薬などを用いなくても(むしろ用いないことで)大多数の人間に大きな改善を見せていることも事実です。
しかし、一方でブレデセン博士の論文を読む限り、「医薬等を用いないほうが患者の利益になる」という明確な見解や思想も見当たりません。
私の勝手な推測ではありますが、病状の進行が進んだ状況に応じて(つまりシナプス恒常性バランスがひどく破壊され、連鎖的に生じた他の障害も深刻である状態において)適切に医薬を用いることで、より大きな改善回復を見せることもあるのでは、と考えています。
そうだとすれば、現在の複雑なリコード法もより簡略が可能となり、コンプライアンスのむずかしい中期・後期であってもより多くの人にもう少し現実的に実行可能な治療方法を提供できるかもしれません。
いずれにしても、組み合わせ療法の有効性が臨床試験で承認されないのは、現代の承認試験システムの単一標的に対する過剰なこだわりだと考えており、革新を望みたいところですが、残念ながらそういったことが可能になるとしても、今のままでは数十年先の話だろうとも思います。
進化するブレデセンプロトコル(リコード法)
オープンエンド治療
一般的な病院での確立された治療と違って、ブレデセンプロトコル(リコード法)は開放系・オープンエンドであり、その治療方法の向上に終わりがありません。
※実際にリコード法の前進であるMENDプログラムバージョン1.0から3.0、そして現在のリコード法へと改良を重ねられています。
これは現在のリコード法が、将来的にはより大きな改善効果を見せる可能性があるということです!
多因子標的医療への希望
本格的に医療業界や製薬会社が多くのバイオマーカーを標的に、または幹細胞治療や遺伝子治療などの最先端技術も使い、リコード法のような多剤併用プログラムと組み合わせれば、アルツハイマー病の進行期であっても寛解に近いレベルまで改善する可能性もあるのではないかと思っています。
現在の新薬開発の延長線上で、そういった奇跡が起こることはわたしにはまったく想像できません。単一の治療にこだわるなら幹細胞治療、遺伝子治療も例外ではありません。
そこにも標準的医療とは根本的に考え方が違う、このプログラムの特質と柔軟性があります。
患者は待ってられない
医療業界の常識からしてみれば、「信頼できる研究結果がでるまで判断を留保すべき」という発言者は誰からも咎められず、そして誰一人助けない発言はあると思います。
くどいようですが、証明を試みるために、ブレデセン博士らグループらは、すでに認知症プログラム治療の申請を研究倫理審査委員会(IRB)に3度行っていますが、すべて却下されました。。
進行の早い若年性アルツハイマー病と診断されている方は、一ヶ月の違いでさえ回復可能性の袂を分けます!
このキャッチ22の状況の中でわれわれは一体どうしたらいいのでしょうか?
本気で、このまま「信頼性のある情報が出るまで待つべきだ」と真顔で医療関係者、研究者の方々はおっしゃるのでしょうか?
ただし、ひとつ付け加えるとこれは医療や公的機関の側だけではなく、われわれ患者の側にも何かあった時にすぐに誰かに責任回避と追及に終始するのではなく、現実的なリスク判断とバランスの取れた自己責任論を身につけていくべき必要があるとは考えています。
認知症治療の布石を打つ
当ブログが、管理人個人と数百名の改善例をもとに、先駆け、先走りして、このプログラムを紹介していると思っていただけたらいいかと思います。
※リコード法をひとつの基軸にしていきたいと思いますが、個別的な治療法については、他にも多く紹介していく予定です。
今すぐ始められるブレデセンプロトコル(リコード法)
ブレデセンプロトコル(リコード法)の素晴らしい利点は、
特殊な医療器具や新規開発薬を使っておらず入手が容易なサプリメント、食生活を変える、運動をするなど、睡眠の最適化、自費での血液検査、など根気と努力さえあれば、そのほとんどが今すぐ実行が可能であることです!
次は、患者さん側の費用や時間など実際的な課題をお伝えしたいと思います。
次の記事
リコード法に必要な費用や時間など、主に患者さんが克服していかなければならない課題について検討してみます。