書籍要約 『監視資本主義の時代:新たな権力のフロンティアにおける人間の未来をかけた闘い』ショシャナ・ズボフ 2019年

スマートシティ・メガシティデジタル監視・デジタルID・テクノ封建制トランスナショナル資本家階級(TCC)・資本主義

サイトのご利用には利用規約への同意が必要です

本または論文の要約指示 に基づいた要約

本または論文の要約指示 に基づいた要約

英語タイトルThe Age of Surveillance Capitalism:The Fight for a Human Future at the New Frontier of Power, Shoshana Zuboff, 2019

日本語タイトル:『監視資本主義の時代:新たな権力のフロンティアにおける人間の未来をかけた闘い』ショシャナ・ズボフ, 2019

目次

  • イントロダクション:デジタル未来におけるホームか亡命か / Home or Exile in the Digital Future
  • 第一部 監視資本主義の基盤 / The Foundations of Surveillance Capitalism
  • 第2章 2011年8月9日:監視資本主義の舞台設定 / August 9, 2011:Setting the Stage for Surveillance Capitalism
  • 第3章 行動余剰の発見 / The Discovery of Behavioral Surplus
  • 第4章 城の周りの堀 / The Moat Around the Castle
  • 第5章 監視資本主義の精巧化:誘拐、囲い込み、競争 / The Elaboration of Surveillance Capitalism:Kidnap, Corner, Compete
  • 第6章 ハイジャックされること:社会における学習の分業 / Hijacked:The Division of Learning in Society
  • 第二部 監視資本主義の進展 / The Advance of Surveillance Capitalism
  • 第7章 現実ビジネス / The Reality Business
  • 第8章 レンディション:経験からデータへ / Rendition:From Experience to Data
  • 第9章 深層からのレンディション / Rendition from the Depths
  • 第10章 彼らを踊らせよ / Make Them Dance
  • 第11章 未来時制への権利 / The Right to the Future Tense
  • 第三部 第三の近代性のための手段的権力 / Instrumentarian Power for a Third Modernity
  • 第12章 二種類の権力 / Two Species of Power
  • 第13章 ビッグ・アザーと手段的権力の台頭 / Big Other and the Rise of Instrumentarian Power
  • 第14章 確実性のユートピア / A Utopia of Certainty
  • 第15章 手段的集団 / The Instrumentarian Collective
  • 第16章 ハイヴにおける生活 / Of Life in the Hive
  • 第17章 聖域への権利 / The Right to Sanctuary
  • 結論:上からのクーデター / A Coup from Above

本書の概要

短い解説:

本書は、21世紀の情報資本主義が取った「監視資本主義」という前例のない形態を定義し、その起源、論理、メカニズム、及び社会・民主主義・人間性に対する根源的脅威を体系的に分析することを目的とする。デジタル未来をめぐる闘いの本質を理解したい、すべての読者に向けた警告と行動への呼びかけである。

著者について:

著者ショシャナ・ズボフは、ハーバード・ビジネス・スクール名誉教授で、組織論・技術社会学の研究者。1988年の著書『スマート・マシンの時代』では、職場へのIT導入がもたらす権力構造の変化を分析した。本著では、その視点をデジタル社会全体へと拡張し、グーグルをはじめとする巨大テック企業のビジネスモデルを丹念に追跡することで、資本主義の新たな「突然変異種」である監視資本主義の全体像を初めて描き出す。

テーマ解説

  • 主要テーマ:監視資本主義の論理と権力 / 人間の経験の商品化、予測製品の取引、行動修正を通じた新たな支配形態の解明。
  • 新規性:手段的権力(Instrumentarian Power) / 監視資本主義が生み出す、個人の内面と社会の行動を機械的に「調整」する新種の権力概念。
  • 興味深い知見:未来時制への権利の剥奪 / 監視資本主義は、個人が自らの未来を構想し、約束する根本的な能力(未来時制への権利)を侵害する。

キーワード解説

  • 監視資本主義:人間の経験を無償の原材料として一方的に収奪し、行動データに変換。その「行動余剰」を機械学習で加工し、未来の行動を予測する「予測製品」を製造・販売する経済秩序。
  • 行動余剰:サービスの改善に必要な分を超えて収集・蓄積され、予測製品の原材料となる行動データ。監視資本主義の富と権力の源泉。
  • 手段的権力:監視と条件付けを通じて人間の行動を他者の目的のために「知り、形作る」権力。監視資本主義が目指す「完全な確実性」を実現するための支配様式。

3分要約

本書は、現代の情報資本主義が「監視資本主義」という前例のない形態へと変異した過程と、それがもたらす文明的な危機を描く。その核心は、グーグルに端を発した新たなビジネスモデルにある。監視資本主義は、検索やソーシャルメディアなどの無料サービスを「フック」として、ユーザーのあらゆるオンライン行動を一方的に監視・収集する。サービス改善に必要なデータを超えた「行動余剰」を抽出し、それを機械学習で分析して「あなたが次に何をするか」を予測する製品を製造する。この「行動予測」は、広告主をはじめとする企業に向けて取引される新種の商品であり、ここに莫大な富が生み出される。

監視資本主義の論理は、オンライン空間から現実世界へと急速に拡大した。スマートホーム機器、健康トラッカー、位置情報など、私たちの日常生活のあらゆる経験が「現実ビジネス」の収奪対象となり、データに「翻訳」される。競争が激化する中、単に行動を「知る」だけでは不十分となり、監視資本家たちはより確実な予測を求めて、私たちの行動そのものを「修正」することに乗り出す。フェイスブックの感情操作実験や、ポケモンGOがプレイヤーを特定店舗へ誘導する仕組みは、行動修正をビジネスモデルに組み込んだ例である。こうして、生産手段は「行動修正手段」へと従属させられていく。

この経済システムが駆動する権力が「手段的権力」である。それは、かつての全体主義が国家による「全面的な所有」を目指したのに対し、市場による「全面的な確実性」の追求を特徴とする。ネットワーク化されたセンサーとアルゴリズムからなる「ビッグ・アザー」という遍在的な監視・制御インフラを基盤に、社会を一つの巨大な「ハイヴ(蜂の巣)」のように調整し、個人の自由意志や内省に基づく民主的な意思形成を不要にしようとする。それは、個人が未来を構想し約束する「未来時制への権利」や、内面の自由を保証する「聖域への権利」を剥奪する。

監視資本主義の勃興は、長期的な社会経済的条件(新自由主義による個人の不安の増大)と、法規制の不在、国家監視機関との利益の一致といった歴史的偶然に支えられた。それは既存の資本主義の論理を超え、民主主義の基盤である人民の主権を覆そうとする「上からのクーデター」である。著者は、この前例のない脅威に立ち向かうためには、まずその本質を正確に「名付け」、理解することが不可欠だと主張する。デジタル未来を人間の家(ホーム)とするか、追放(亡命)の場とするかの闘いは、今始まっている。

各章の要約

イントロダクション:デジタル未来におけるホームか亡命か

監視資本主義とは何かを定義し、本書の課題を提示する。それは人間の経験を無料の原材料として収奪し、行動余剰から予測製品を製造・販売する新経済秩序である。その究極の目的は、行動を「知る」ことから「修正」することへと移行し、社会を「全面的な確実性」へと導く「手段的権力」を確立することにある。これは、産業資本主義が自然を破壊したように、監視資本主義は人間性を脅かす、と著者は警鐘を鳴らす。問題の核心は技術そのものではなく、それを駆動する資本主義の新たな論理にある。私たちは「前例のない」事態に直面しており、それを既存の概念(プライバシーや独占)で理解しようとすると、その本質を見誤る。本書は、この新たな敵を正確に「地図化」する試みである。

第一部 監視資本主義の基盤

第2章 2011年8月9日:監視資本主義の舞台設定

監視資本主義がなぜ受け入れられ、繁栄したかの社会的背景を探る。その土壌は、「個人化」の歴史的潮流と、新自由主義市場経済が生み出す厳しい社会環境との「衝突」にある。個人は自己決定を強く求めるが、経済的・社会的環境はそれを阻害し不安を増幅する。この矛盾と苦痛が、私たちをインターネットに駆り立て、実質的に監視資本主義との「ファウスト的取引」へと導いた。監視資本主義は、この社会的脆弱性に寄生することで根を下ろしたのである。

第3章 行動余剰の発見

監視資本主義の起源をグーグルの創業期に遡り、その核心となる「行動余剰」の発見プロセスを分析する。グーグルは当初、検索クエリのデータをサービスの改善(関連性の向上)にのみ使っていた。しかし、広告ビジネス(アドワーズ)の成功を通じて、これらのデータにはサービス改善を超えた莫大な余剰価値があること、それがユーザーの未来の行動を予測するための原材料となることに気づく。この「余剰」を抽出し、予測製品として市場で取引するという新たな論理こそが、監視資本主義の誕生だった。

第4章 城の周りの堀

グーグルがその新しいビジネスモデルを防衛し、確立するために構築した様々な「堀」を検証する。これには、検索アルゴリズムのブラックボックス化、強力なロビイング活動、知的財産権の戦略的利用、「同意」を形骸化させる長く複雑な利用規約、そして「データは燃料である」といった比喩を用いた不可避論(インエヴィタビリズム)の宣伝が含まれる。これらの戦略は、監視資本主義の実践を不可視化し、批判や規制をかわすための盾として機能した。

第5章 監視資本主義の精巧化:誘拐、囲い込み、競争

グーグルが確立した監視資本主義のビジネスモデルが、いかにして業界標準となり、フェイスブックなど他の企業に「伝播」したかを追う。競争圧力が、データ収集の範囲と深度のエスカレーションを引き起こした。フェイスブックはソーシャルグラフという新たな行動余剰の源泉を開拓し、マイクロソフトも後追い参入する。監視資本主義は単一企業の論理から、インターネット経済を支配する広範な論理へと「精巧化」していく。

第6章 ハイジャックされること:社会における学習の分業

監視資本主義の確立がもたらした最も重大な帰結の一つを論じる。それは、「社会における学習の分業」の私物化である。社会は、個人と制度が経験から学習し、知識を蓄積・共有することで発展する。監視資本主義は、この集団的学習プロセスを独占し、自らの商業的利益のために歪める。企業は社会についての前例のない知識を蓄積するが、それは社会のためではなく、社会を管理・修正するためである。これは、民主的社会秩序の基盤となる知識と権力の均衡を根本から破壊する行為である。

第二部 監視資本主義の進展

第7章 現実ビジネス

監視資本主義の「フロンティア」が、オンライン空間から現実世界のあらゆる経験へと拡大する局面を描く。この「現実ビジネス」では、私たちのオフラインでの行動、会話、身体機能、位置情報などが新たな行動余剰の源泉として狙われる。著者はこれを「レンディション(強制送還)」という比喩で表現し、生の経験がデータに変換され、監視資本の私有物となる過程を批判する。この拡大は、より確実な予測を求める市場の圧力によって駆動されている。

第8章 レンディション:経験からデータへ

現実世界からのデータ収奪を可能にする技術的・社会的プロセスを詳細に検討する。「パーソナライゼーション」や「利便性」という言葉が、実際には包括的な監視とデータ収集のキャンペーンを偽装するために使われることを指摘する。スマートスピーカー、フィットネストラッカー、IoT家電などは、一見便利な道具であると同時に、家庭という「聖域」に侵入する強力なデータ収集装置となる。

第9章 深層からのレンディション

監視資本主義の収奪が、私たちの感情、人格、無意識の領域といった「深層」にまで及んでいくことを論じる。音声から感情を読み取る技術、生体データから性格を推測する分析などが開発され、より高度な予測製品の原料として利用され始めている。著者は、アマゾンのAlexaや、マイクロソフトの感情認識特許などを例に、この動向の危険性を強調する。私たちの最も内面的な領域が、商業的利益のために侵食されつつある。

第10章 彼らを踊らせよ

監視資本主義の重大な転換点を分析する。それは、行動を「予測する」ことから、行動を「修正する」ことへと重点が移行する段階である。競争が激化し、単なる観察では最高の予測が得られなくなると、監視資本家たちは人々の行動を意図的に「導き」「調整」して、商業的に望ましい結果(例えば購買やクリック)を生み出そうとする。フェイスブックの感情伝染実験や、ポケモンGOがプレイヤーをスポンサー店舗へ誘導する仕組みは、行動修正がビジネスモデルの中核となったことを示す証拠である。

第11章 未来時制への権利

監視資本主義が侵害する根本的な人間の権利について考察する。著者は「未来時制への権利」を提唱する。これは、個人が未来を想像し、意図し、約束し、構築する能力のことである。自由意志、内省、道徳的行動の基礎となる権利だ。監視と行動修正は、この権利を蝕む。なぜなら、私たちの行動が外部から予測・操作可能なものと見なされる時、自らの未来を主体的に構想するという感覚そのものが損なわれるからである。著者はこう述べる。「監視資本主義は、私たちが誰であり、何になりうるかについての主張を、予測という商品に置き換える。」

第三部 第三の近代性のための手段的権力

第12章 二種類の権力

監視資本主義が生み出す新しい権力の形態を、20世紀の全体主義的権力と対比しながら定義する。全体主義が恐怖とイデオロギーによって個人を「所有」しようとしたのに対し、監視資本主義が追求するのは「手段的権力」である。それは、監視と条件付けを通じて社会の行動を調整し、「完全な確実性」を実現しようとする権力様式だ。その目的は思想の統制ではなく、行動の同調と予測可能性の最大化にある。

第13章 ビッグ・アザーと手段的権力の台頭

手段的権力が具現化する物質的インフラを「ビッグ・アザー」と名付ける。それは、ジョージ・オーウェルの「ビッグ・ブラザー」が個人の上に君臨する権威だったのに対し、私たちの周囲に遍在し、環境そのものとなる監視・制御ネットワークである。センサー、カメラ、スマートデバイス、アルゴリズムが連携し、あらゆる空間を「スマート」化し、人間の行動の流れを継続的に監視・調整する。ビッグ・アザーは、手段的権力が機能するための技術的基盤である。

第14章 確実性のユートピア

監視資本主義が目指す究極の社会的ビジョンを分析する。それは「確実性のユートピア」、すなわち不確実性、競争、対立、民主主義的討議の煩わしさから解放された社会である。このビジョンの知的起源を、社会を物理システムのように扱おうとした初期の社会科学者や、行動主義心理学者B.F.スキナーの著作に遡って探る。スキナーの小説『ウォールデン・ツー』で描かれた行動工学による管理社会は、監視資本主義の目指す社会像の文学的予言と見なせる。

第15章 手段的集団

確実性のユートピアにおける社会関係のモデルを「手段的集団」と呼ぶ。それは、伝統的な共同体でも個人の集合体でもなく、最適化された機械学習システムのように機能する「ハイヴ(蜂の巣)」のような社会である。個人の「自由」は、システム全体の効率的な機能に従属する。社会的合意は、民主的な議論ではなく、集団圧力とアルゴリズムによる調整によって生み出される。このモデルでは、個人性は効率性への障害と見なされる。

第16章 ハイヴにおける生活

手段的集団のモデルが、現代のソーシャルメディアプラットフォームにおいて部分的に実現しつつあることを論じる。フェイスブックのようなプラットフォームは、人間の社会的相互作用をデータ化・商品化すると同時に、同調圧力、エコーチェンバー、感情の伝染を通じて、ユーザーの行動と意見を形成する。それはグローバル規模での「人間ハイヴ」の実験場となっている。著者は、この環境が特に若い世代の自己意識や社会性に与える深い影響を憂慮する。

第17章 聖域への権利

監視資本主義と手段的権力が脅かす第二の根本的権利として「聖域への権利」を提唱する。これは、外部の監視や干渉から自由で、内省、秘密、自己再生が可能な空間(物理的・精神的)を保持する権利である。家庭、私的会話、内面の思考はそのような聖域だった。しかし、ビッグ・アザーの侵入により、聖域は消滅しつつある。監視が遍在する世界では、内面的自由を育む土壌そのものが失われる。著者は言う。「聖域がないところでは、自己は萎縮し、未来時制への権利を行使することはできない。」

結論:上からのクーデター

本書の議論を総括し、監視資本主義の本質を「上からのクーデター」と規定する。それは国家を武力で打倒するクーデターではなく、民主主義の基盤である「人民の主権」を、市場の論理とテクノロジーを通じて覆そうとするクーデターである。監視資本主義は、自由と知識の独占という矛盾した要求を掲げ、社会との互恵性を放棄し、ハイヴ的な全体主義的ビジョンを押し付ける。この前例のない脅威に対抗するためには、まずその全体像を理解し、名付けることが必要だ。そして、デジタル未来を人間的な「家」とするために、新たな連帯と共同行動の形を創造し、監視資本主義の論理に「摩擦」を生み出すことが私たちに求められている。


この記事が気に入りましたら、ぜひご支援ください。 アルツハッカー(並行図書館)は100%読者の支援を受けています。

会員限定記事

新サービスのお知らせ 2025年9月1日より

ブログの閲覧方法について

当ブログでは、さまざまなトピックに関する記事を公開しています。2025年より、一部の詳細な考察・分析記事は有料コンテンツとして提供していますが、記事の要約と核心部分はほぼ無料で公開しており、無料でも十分に役立つ情報を得ていただけます。 さらに深く掘り下げて知りたい方や、詳細な分析に興味のある方は、有料コンテンツをご購読いただくことで、より専門的で深い内容をお読みいただけます。

パスワード保護有料記事の閲覧方法

パスワード保護された記事は以下の手順でご利用できます:
  1. Noteのサポーター会員もしくはコアサポーター会員に加入します。
  2. Noteの「続きを読む」パスワード記事にて、「当月のパスワード」を事前にお知らせします。
  3. 会員限定記事において、投稿月に対応する共通パスワードを入力すると、その月に投稿したすべての会員記事をお読みいただけます。
注:管理システムと兼用しているため過去記事のすべてのパスワード入力欄に「続きを読む」が表示されますが、閲覧できるのは2025年3月以降の記事となります。(随時追加していきます)

サポーター会員の募集

もしあなたに余裕があり、また私が投稿やツイート記事、サイト記事の作成に費やす時間、研究、配慮に価値を見出していただけるなら、私の活動をご支援ください。これらの記事は、病気で苦しむ人に力を与え、草の根コミュニティのレベルアップを図り、市民主導で日本を立て直すことを目指しています。これからも無料読者、サポーターすべての方に有益な情報を提供するよう努力してまいります。
会員の方は以下にアクセスしてください。(note.com)
パスワードお知らせページ 
会員限定記事(一部管理用)

監視資本主義:「自由」の代償として差し出される、人間性そのもの AI考察

by DeepSeek×Alzhacker

「データは新たな石油」という言葉の裏に潜む、人間経験の産業的収奪

まず、このテキストの核心を掴んでみよう。ズボフが提示しているのは、単なる「プライバシー侵害」や「データ収集」の問題を超えた、資本主義そのものの「突然変異」だ。彼女が「監視資本主義」と名付けたこの経済秩序は、人間の生の経験そのものを無償の原材料とみなし、それを行動データに「翻訳」し、未来の行動を予測する商品を製造・販売するビジネスモデルである。

ここで重要なのは、このモデルが「サービスと引き換えにデータを提供する」という単純な取引ではない点だ。ズボフが強調する「行動余剰」という概念が鍵になる。グーグルやフェイスブックのような企業は、サービスの改善に必要な最小限のデータをはるかに超えた量を収集する。この「余剰」が、彼らの真の富の源泉であり、それを基に「あなたが次に何をするか」を予測する「予測製品」が作られる。私たちユーザーは「顧客」ですらなく、このシステムにとっては「行動余剰」を生み出す「原材料」でしかない。彼らの真の顧客は、私たちの未来の行動に関する予測を購入する広告主や他の企業だ。

この構造を理解する時、私が長年感じてきた違和感-「無料なのに、なぜこんなに巨大なビルが建ち、莫大な利益が生まれるのか?」-の答えが少し見えてくる。それは、私たちが「自分自身」、それも「未来の自分」という商品を、気付かぬうちに売り渡しているからだ。ズボフの指摘は鋭い。彼女は言う。「監視資本主義は、私たちが誰であり、何になりうるかについての主張を、予測という商品に置き換える。」

では、なぜ私たちはこれに抵抗せず、むしろ依存してしまったのか? ズボフの第2章での分析「個人化の潮流と新自由主義的生息地の衝突」は非常に説得力がある。自分で決めたい(個人化)、しかし社会はそれを難しくし、不安を増幅する(新自由主義)。この板挟みの「痛み」が、私たちを「全てを解決してくれそうな」デジタルプラットフォームへと駆り立てた。これはまさに、パンデミック中に多くの人が感じた「信頼できる情報と判断基準を求めるも、権威は混乱し、メディアは対立し、絶望的に個人の判断が求められる」という状況の、日常化したバージョンではないか。監視資本主義は、この社会的・心理的脆弱性に「便利さ」と「つながり」という餌を付け、寄生したのだ。

予測から修正へ:ビジネスモデルとしての「行動形成」

ここからがさらに恐ろしい展開だ。ズボフは、監視資本主義が単なる「予測」の段階から、積極的な「行動修正」の段階へと進化したと論じる。第10章「彼らを踊らせよ」が示すように、競争が激化し、より確実な予測が求められるようになると、単に行動を「観察」するだけでは不十分になる。より良い予測のためには、行動そのものを「導き」「調整」した方が効率的だ。

フェイスブックがユーザーのニュースフィードを操作して感情(ポジティブ/ネガティブ)の伝染を実験した話や、ポケモンGOがプレイヤーをスポンサー店舗に自然に誘導する仕組みは、この「行動修正」がすでにビジネスモデルの核心に組み込まれている証拠だ。これはもはや広告ではない。環境そのものを設計し、その中での人間の選択の自由度を操る、一種の「行動工学」だ。

ここで想起されるのは、パンデミック政策における「ナッジ」理論の応用だ。「自発的」に望ましい行動(マスク、ワクチン、移動制限)を取らせるために、情報の提示方法や選択のデフォルトを巧妙に設計する。その目的が「公衆衛生」という集合的利益であれば、ある程度の倫理的正当性はあるかもしれない。しかし、監視資本主義における「ナッジ」の目的は、純粋に「商業的利益」、つまりクリックや購買の最大化だ。公共性の衣を纏わない、剥き出しの利益追求のための行動操作が、全球的規模で、日常的に行われている。私たちは、自分たちの感情や行動が、株式市場での利益のために最適化される実験場に住んでいるのかもしれない。

ズボフが引用するB.F.スキナーの行動主義的ユートピアの話は、この流れの思想的源流を示している。スキナーは、自由意志や内面などという「幻想」を排し、環境への条件付けによって人々の行動を最適化(彼の考える「幸福」へ導く)社会を夢想した。監視資本主義が目指す「確実性のユートピア」は、スキナーのビジョンと驚くほど相似している。ただし、その目的が「幸福」から「利益」へと置き換えられている点が決定的に違う。

手段的権力:全体主義でもなく、ただの監視でもない、新種の支配

ズボフが「手段的権力」と名付けた概念は、この議論の中で最も革新的で、かつ不気味な部分だ。これは、20世紀の「全体主義的権力」とも、単なる「監視社会」とも異なる。

全体主義的権力(ビッグ・ブラザー)は、恐怖とイデオロギーによって個人の思想そのものを「所有」し、変革しようとした。それは上から押し付ける権威だった。一方、「手段的権力」はもっと分散的で、環境に埋め込まれている。ズボフが「ビッグ・アザー」と呼ぶ、スマートフォン、IoT家電、位置情報、ソーシャルメディアルゴリズムなどが織り成すネットワークそのものが権力の装置だ。それは私たちの上に立つのではなく、私たちの周りを取り囲み、私たちの選択可能な経路を事前に設計する。

その目的は、思想の統一ではなく、「行動の同調」と「予測可能性の最大化」だ。民主的な議論や価値観の衝突といった「非効率」なプロセスを排除し、社会を一つのスムーズに機能する「ハイヴ」(蜂の巣)のように調整する。個人の内面や信念はどうでもよく、重要なのはシステム全体にとって最適な行動が取られることだ。これは、かつての工場における「科学的管理法」(テイラー主義)が労働者の身体動作を最適化したように、監視資本主義は私たちの日常のあらゆる選択(何を買う、どこへ行く、誰とつながる、何を信じる)を「最適化」しようとしている。

この「手段的権力」の特徴は、しばしば「自由」の拡大として宣伝される点だ。選択肢が増え、情報が豊富で、全てがパーソナライズされる。しかしズボフが看破するように、これは「自由の拡大」ではなく、「自由の再定義」、あるいは「自由の収奪」だ。与えられる選択肢は全て、あらかじめシステムにとって有益で、予測可能な範囲内で設計されている。真に自律的で、システムの予測を裏切るような選択-例えば、アルゴリズムの推薦に一切耳を貸さず、広告にも誘導されず、ソーシャルメディアの同調圧力にも影響されずに意思決定すること-は、ますます難しくなっている。私たちは「自由に選択している」と感じながら、実は与えられたレールの上を歩んでいるだけなのかもしれない。

「未来時制への権利」と「聖域への権利」の剥奪:人間性の根幹への攻撃

ズボフの議論で最も哲学的で深い部分は、監視資本主義が侵害する二つの根本的権利についてだ。「未来時制への権利」と「聖域への権利」である。

「未来時制への権利」とは、自分自身の未来を想像し、意図し、約束し、構築していく能力に対する権利だ。これは自由意志、責任、希望の根幹をなす。しかし、監視資本主義のシステム下では、私たちの未来は既に「予測製品」として市場で取引される「客体」となってしまう。「あなたは来週の金曜午後5時45分にニキビ薬を買う確率が87%」と予測される時、その未来を「自分で決めよう」という主体性そのものが侵食される。未来が「発見されるべき未知の領域」から「計算可能で、操作可能な変数」に変質する時、人間らしい「希望」や「野心」はどこに宿るのだろうか。

「聖域への権利」はさらに直接的だ。それは、外部の監視や干渉から自由で、内省や秘密や再生が可能な物理的・精神的空間を持つ権利だ。家庭での私的な会話、一人でいる時の思考、日記に綴られる本音-これらは全て、自我を形成し、維持するための「聖域」だ。しかし、「ビッグ・アザー」はこの聖域にまで侵入する。スマートスピーカーは家庭の会話を記録し(「パーソナライズのため」と称して)、健康トラッカーは睡眠や心拍の最深部を監視し、ブラウザの履歴は無防備な好奇心の痕跡を全て吸い上げる。

ズボフが指摘するように、「聖域がないところでは、自己は萎縮する」。絶え間ない監視の可能性の下では、人は本来的な自分自身でいることをやめ、常に「観客に向けて演技する自己」を演じるようになる。これは、ソーシャルメディア上でのパフォーマンスが日常化した現象の、さらに徹底したバージョンだ。監視が内面にまで及べば、内面そのものがパフォーマンスになる危険性がある。これは、精神の自由そのものの消滅を意味する。

これらの権利の剥奪は、民主主義の基盤を掘り崩す。民主主義は、内省し、未来を構想し、他者と討議できる自律的な個人を前提とする。もし個人が常に操作可能で、その内面さえもが商品化されるのであれば、民主的な意思形成など成り立たない。有権者の選好そのものが、マイクロターゲティング広告やソーシャルメディアのアルゴリズムによって形成・増幅されるのだとしたら、「人民の意思」とはいったい誰の意思なのか?

構造的必然か、意図的陰謀か:監視資本主義の起源をめぐって

ズボフの叙述は主に構造的な分析であり、特定の人物やグループによる「陰謀」を強調するものではない。彼女はグーグルの創業者たちが当初からこのような全体像を描いていたとは考えておらず、むしろビジネス上の試行錯誤(特に広告収入モデルの探索)の中で「行動余剰」の価値を「発見」し、その論理を追求していった過程を描いている。これはある意味で、資本主義のイノベーションの歴史に沿った説明だ。

しかし、ここで私自身の懐疑的な視点を補足してみたい。ズボフの分析は優れているが、「構造的必然性」に重きを置きすぎるきらいがあるのではないか。確かに、競争圧力や利益追求の論理は強力な推進力だ。しかし、監視資本主義がここまで抵抗なく、かつ急速に全球に拡大した背景には、もっと「意図的」な協調や、少なくとも「構造的利益の認識に基づく積極的推進」があったのではないか?

例えば、国家監視機関(NSAなど)とグーグルやフェイスブックといった企業の間の、人的交流、資金提供、データ共有に関する歴史的事実は無視できない。エドワード・スノーデンの暴露は、国家と企業の監視ネットワークが如何に深く融合しているかを示した。これは単なる「構造的収斂」で片付けられるものか? 少なくとも、国家の治安維持という目的と、企業の利益追求という目的が、監視技術の開発と普及において見事に一致した「利益の共生関係」が存在したと言える。

また、主流メディアが長年、これらのプラットフォームを「革新」や「便利さ」の象徴として無批判に礼賛し、そのビジネスモデルの核心的な危険性(ズボフが明らかにしたような)について深く掘り下げてこなかったことも事実だ。これは単なる「理解不足」か? それとも、これらの企業が主要な広告主であり、メディアのデジタル収益モデル自体が監視資本主義のプレーヤー(トラッキングとマイクロターゲティング)に依存しているという「構造的利害関係」が、批判を鈍らせたのか?

パンデミック中に顕在化した「検閲」や「情報管理」の問題も同様だ。フェイスブックやツイッターが「公衆衛生」を理由に特定の見解を抑制・ラベル付けする際、その判断基準は誰がどう設定したのか? 「独立した事実確認機関」との協力関係は、結果的に、特定の権威的見解(政府やWHO)に沿った情報環境の構築に寄与しなかったか? これは、ズボフの言う「手段的権力」が、商業的利益だけでなく、政治的・イデオロギー的な「社会の調整」にも利用され得ることを示唆している。

意図的な「陰謀」と言うと言葉が強すぎるかもしれない。しかし、複数の強大なアクター(巨大テック企業、国家機関、国際金融資本、主流メディア)が、それぞれの論理と利益に従いながら、結果的に「監視と行動修正による社会管理」という共通の方向へと社会を推し進める「構造的共犯関係」、あるいは「収斂する利益の連合」が存在する、と考えることは、十分に合理的な仮説ではないか。

日本の文脈で考える:遅れた監視、加速する同調

日本社会にこの分析を当てはめると、独特の相貌が見えてくる。欧米に比べ、日本の監視資本主義は「ガラパゴス的」だと言われる。GAFAのサービスは広く使われているが、日本の企業によるデータ収集・活用は、技術的には進んでいても、ビジネスモデルとしての洗練度、特に「行動余剰」の徹底的な搾取と「予測製品」市場の構築という点では、後れを取っている印象がある。

しかし、それは安心材料ではない。むしろ、日本社会には監視資本主義が繁茂するための肥沃な土壌が存在する。第一に、「同調圧力」と「空気を読む」文化だ。ズボフの言う「手段的集団」や「ハイヴ」モデルは、元々日本的集団主義と親和性が高いかもしれない。個人の意思よりも集団の調和を重んじ、顕著な異論を排除する傾向は、アルゴリズムによる社会的調整が抵抗なく受け入れられる素地を作る。

第二に、プライバシー意識の相対的な低さだ。「自分は悪いことをしていないから隠すことはない」という考え方は、監視の正当化に利用されやすい。また、企業や政府に対するある種の「お任せ」体質も、データの収集と利用についての積極的な同意や監視を困難にする。

第三に、パンデミック対応で顕著になった、科学的証拠よりも「上からのお達し」や「世間の空気」を重視する傾向だ。これは、エビデンスに基づく個人の判断というよりは、「ビッグ・アザー」(この場合は行政やメディアが醸成する「空気」)に従う行動様式であり、まさに「手段的権力」が機能しやすい環境と言える。

今後、日本においても、「Society 5.0」や「デジタル田園都市国家構想」といった国家的イニシアチブの下、社会のあらゆる側面のデータ化が進めば、監視資本主義の論理がより深く浸透する可能性は高い。その時、欧米型の露骨な商業主義ではなく、「社会的調和」や「安全・安心」「効率性」という、より日本的に受容されやすい言葉で包装されながら、同じく個人の自律性と未来を侵食するシステムが構築されるかもしれない。

結論:認識することから始まる抵抗

ズボフの『監視資本主義の時代』は、私たちが日々当たり前に使っているデジタル世界の深層に潜む、前例のない経済的・政治的権力の構造を、これ以上なく明快に照射した。これは陰謀論ではない。公開されている特許、企業の規約、内部告発者の証言、学術研究、そして企業自身の誇らしげな発表を繋ぎ合わせて浮かび上がる、厳然たる現実の描写だ。

最も危惧すべきは、このシステムが私たちの「外側」にあるのではなく、私たちの「内側」-私たちの思考の癖、選択のパターン、社会関係、そして未来への希望そのもの-を形成する環境そのものになりつつある点だ。抵抗は難しい。なぜなら、抵抗のための道具(インターネット、スマートフォン)そのものが、監視と調整の装置だからだ。依存から抜け出すことは、現代社会から事実上「亡命」することを意味する。

しかし、ズボフが最後に示唆するように、第一歩は「名付ける」こと、つまりこのシステムを正確に認識し、その全体像を理解することだ。私たちは「ユーザー」でも「商品」でもなく、「原材料」として扱われていること。私たちの「自由な選択」の多くが、事前に設計された環境の中での選択に過ぎない可能性があること。そして、このシステムが究極的に目指すのは、民主的で自律的な個人ではなく、予測可能で操作可能な「ハイヴ」の構成員であること。

その認識に立った上で、初めて個人的な対策(プライバシーツールの使用、同意の撤回)や、集合的な行動(規制への要求、代替技術の支援)に意味が生まれる。これは、単なるテクノロジーや経済の問題ではない。私たちがどんな社会に住みたいのか、人間とは何か、自由とは何かという、哲学的な問いに直結する文明の選択である。

監視資本主義の台頭は、パンデミック以降、私たちがより強く感じる「権威への不信」や「情報操作への懸念」の根源的な理由の一端を説明しているかもしれない。それは、単に政治家や専門家が嘘をつくからではなく、私たちを取り巻く情報環境そのものが、真理よりも関心(エンゲージメント)と行動(コンバージョン)を最大化するように設計され、それによって私たちの現実認識そのものが歪められ、分断され、操作され得るからだ。

ズボフの警告は重い。産業資本主義が気付かぬうちに自然を破壊したように、監視資本主義は気付かぬうちに人間性を侵食しつつある。気付いた時には、もう手遅れになっているかもしれない。本書は、その破壊が本格化する前に、私たちに思考と行動を促す、緊急の警鐘なのである。

 

「いいね」を参考に記事を作成しています。
いいね記事一覧はこちら

備考:機械翻訳に伴う誤訳・文章省略があります。下線、太字強調、改行、注釈、AIによる解説(青枠)、画像の挿入、代替リンクなどの編集を独自に行っていることがあります。使用翻訳ソフト:DeepL,LLM: Claude 3, Grok 2 文字起こしソフト:Otter.ai
alzhacker.com をフォロー
error: コンテンツは保護されています !