
日本語タイトル:『清潔の歴史:古代ギリシャから現代まで』キャサリン・アシェンブルク 2007年
英語タイトル:『The Dirt on Clean: An Unsanitized History』Katherine Ashenburg 2007年
目次:
- 序章:「彼らは臭わなかったのか?」 / “But Didn’t They Smell?”
- 第1章:社会的入浴:ギリシャ人とローマ人 / The Social Bath: Greeks and Romans
- 第2章:キリストに洗われて:200-1000年 / Bathed in Christ: 200–1000
- 第3章:蒸気に満ちた幕間:1000-1550年 / A Steamy Interlude: 1000–1550
- 第4章:清潔なリネンへの情熱:1550-1750年 / A Passion for Clean Linen: 1550–1750
- 第5章:水の復活:1750-1815年 / The Return of Water: 1750–1815
- 第6章:風呂とその入り方:ヨーロッパ、1815-1900年 / Baths and How to Take Them: Europe, 1815–1900
- 第7章:全身を一度に濡らす:アメリカ、1815-1900年 / Wet All Over at Once: America, 1815–1900
- 第8章:石鹸オペラ:1900-1950年 / Soap Opera: 1900–1950
- 第9章:家庭の聖域:1950年から現在まで / The Household Shrine: 1950 to the Present
全体の要約:
本書は西洋における清潔観念の2000年にわたる変遷を描いた歴史書である。著者アシェンブルクは、現代人が当然視する日常的入浴が実は比較的新しい習慣であり、各時代の社会情勢、宗教観、科学的理解によって清潔の定義が大きく変化してきたことを明らかにする。
古代ギリシャ・ローマ時代は入浴が社会的・宗教的な重要性を持っていた。ローマの公衆浴場は単なる清潔維持の場ではなく、社交の中心地として機能していた。しかし、キリスト教の台頭とゲルマン民族の侵入により、入浴文化は衰退する。中世初期には、身体への無関心や汚れを神聖視する風潮さえ生まれた。
11世紀以降、十字軍によってトルコ風呂が紹介され、ヨーロッパに入浴文化が復活した。中世後期には公衆浴場が各地に建設されたが、14世紀のペストの流行により、水は病気を運ぶものとして恐れられるようになる。16-18世紀は「汚い時代」の頂点で、人々は水を避け、清潔な下着を身につけることで身体の清潔を代替していた。
18世紀後半から水への恐怖は薄れ始める。イギリスでは冷水浴が健康法として普及し、フランスではルソーの自然主義思想が清潔観念の変化を促した。産業革命により都市の衛生問題が深刻化すると、公衆浴場の建設が進んだ。特にアメリカは南北戦争での衛生管理の成功を背景に、清潔を愛国的・道徳的価値として位置づけた。
19世紀後半から20世紀前半にかけて、細菌学の発展と広告産業の隆盛により、清潔への要求は急激に高まる。石鹸やデオドラント製品が大量生産され、「体臭は社会的罪悪」という観念が定着した。第二次世界大戦後のアメリカでは、浴室は家庭の威信を示す場所となり、日常的入浴が完全に定着する。
現代では清潔への執着は病的なレベルに達している。抗菌製品の氾濫、過度の衛生管理、自然な体臭への嫌悪など、清潔が新たな強迫観念となっている。一方で衛生仮説の登場により、過度の清潔がアレルギーや自己免疫疾患の原因となる可能性も指摘されている。
著者は、清潔の定義は文化的・社会的構築物であり、絶対的基準は存在しないことを強調する。現代の清潔観念も将来変化する可能性があり、私たちは自らの清潔への執着を相対化する必要があると提言している。
各章の要約:
序章:「彼らは臭わなかったのか?」
“But Didn’t They Smell?”
清潔の定義は時代と文化によって大きく異なることを示す導入部。現代の中流北米人にとって清潔とは毎日のシャワーとデオドラント使用だが、17世紀フランス貴族には毎日のシャツ交換と手洗いで十分だった。ローマ人は2時間以上かけて金属製のストリギルで汗と油を削り取る複雑な入浴儀式を行った。鼻は順応性があり、当時の人々は互いの体臭に慣れていた。著者の祖母の体臭に関する個人的回想を通じて、臭いに対する感覚が学習されることを説明している。
第1章:社会的入浴:ギリシャ人とローマ人
The Social Bath: Greeks and Romans
古代ギリシャでは入浴が宗教的・社会的重要性を持っていた。ホメロスの『オデュッセイア』では、旅立ち前や到着時の入浴が礼儀として描かれる。ギリシャ人は冷水浴を男性的で健康的とし、温水浴を軟弱で女性的と見なす傾向があった。ローマ人はギリシャの伝統を発展させ、温水・冷水・蒸気浴を組み合わせた複雑な入浴システムを確立した。ローマの大浴場は単なる清潔維持の場ではなく、図書館、運動場、レストランを備えた総合的社会施設として機能していた。石鹸は使用せず、オイルと金属製ストリギルで身体を清潔にしていた。
第2章:キリストに洗われて:200-1000年
Bathed in Christ: 200–1000
初期キリスト教はローマの入浴文化に複雑な態度を示した。イエスの教えは儀式的清浄への無関心を示し、キリスト教は徐々にユダヤ教の清浄法から離れていった。一部の聖人や修道士は「アロウシア」(不洗状態)を聖性の証として追求し、汚れを神聖視する風潮が生まれた。聖フランチェスコは汚れを「敬虔な悪臭バッジ」と呼んだ。同時に聖人たちは他者を洗うことで慈愛を実践していた。ローマ帝国の衰退とゲルマン民族の侵入により大浴場は廃れたが、修道院では限定的な入浴が続けられ、アラブ占領下のスペインでは清潔文化が維持された。
第3章:蒸気に満ちた幕間:1000-1550年
A Steamy Interlude: 1000–1550
十字軍がハマム(トルコ風呂)をヨーロッパに紹介し、11世紀以降各地で公衆浴場が復活した。中世後期の浴場は社交場として機能し、男女混浴も珍しくなかった。浴場は飲食、音楽、ゲームを楽しむ娯楽施設でもあった。同時に売春の場としても利用され、道徳的な批判を受けることもあった。14世紀のペスト流行により、医師たちは温水浴が毛穴を開いて病気を招くと警告し始めた。「入浴は肉体を軟化させ、疫病の蒸気が体内に侵入しやすくする」という理論が広まり、16世紀にはフランスとイングランドで浴場が閉鎖された。エラスムスは「25年前にブラバントで公衆浴場ほど流行したものはなかったが、今では皆無である」と記している。
第4章:清潔なリネンへの情熱:1550-1750年
A Passion for Clean Linen: 1550–1750
16-18世紀は西洋史上最も汚い時代となった。水への恐怖が支配的となり、人々は入浴を避けて清潔な下着で身体の清潔を代替した。フランス宮廷では香水で体臭を隠し、白いリネンのシャツや化学がファッションの中心となった。医師たちは毛穴が塞がれることで有害な体液の侵入を防げると信じていた。ルイ14世は生涯で2回しか入浴せず、代わりに1日3回シャツを交換した。スペインでは反イスラム感情から入浴が忌避され、イザベラ王女は3年間下着を交換しないことを誓った。一方で温泉療養地では医師の監督下での入浴が続けられ、貴族たちは健康目的で訪れていた。
第5章:水の復活:1750-1815年
The Return of Water: 1750–1815
18世紀後半から水への態度が変化し始めた。イングランドではジョン・ロックやジョン・フロイヤーが冷水浴の健康効果を提唱し、海水浴が医療行為として普及した。ルソーの自然主義思想は清潔を自然で純粋なものとして再評価した。フランス革命後、人工的な古い体制への反発から、自然な清潔さが革新的で進歩的とみなされるようになった。マリー・アントワネットは毎朝入浴し、ナポレオンとジョゼフィーヌも熱い香りの風呂を愛好した。ビデが上流階級の間で普及し、身体の特定部位を洗う重要性が認識された。ボー・ブランメルは完璧な清潔さを男性の優雅さの基準とし、3時間の身づくろいで「新鮮さ、清潔さ、秩序の権化」となった。
第6章:風呂とその入り方:ヨーロッパ、1815-1900年
Baths and How to Take Them: Europe, 1815–1900
19世紀ヨーロッパでは清潔への関心が高まったが、実際の普及は緩やかだった。チャールズ・ディケンズは冷水シャワーを「悪魔」と呼びながらも毎日使用していた。皮膚の呼吸機能説により、毛穴の清潔が健康に重要とされるようになった。イギリスでは中産階級以上で浴室が普及し始めたが、労働者階級は公衆浴場に依存していた。ドイツでは市民階級も利用できる豪華な公衆浴場が建設されたが、利用率は低かった。フランスでは宗教的偏見により入浴への抵抗が強く、浴室のない邸宅が多かった。オスカー・ラッサールは経済的なシャワー浴場を提案し、「雨浴は人民の浴場」として普及を図った。
第7章:全身を一度に濡らす:アメリカ、1815-1900年
Wet All Over at Once: America, 1815–1900
アメリカは19世紀後半に世界で最も清潔な国となった。水治療法の流行、豪華ホテルでの浴室完備、南北戦争での衛生管理成功が要因となった。ブッカー・T・ワシントンは解放奴隷教育で「歯ブラシの福音」を説き、清潔を文明化の第一歩とした。都市部の移民に対しては公衆浴場を通じてアメリカ化教育が行われた。サイモン・バルーフの指導で1891年にニューヨークに最初の貧民向け浴場が開設され、各州で公衆浴場建設が義務化された。しかし私有浴槽の普及により公衆浴場の利用は減少し、1915年までに建設は終了した。工場生産による浴槽の価格低下と配管技術の向上により、中産階級の家庭で浴室が標準設備となった。
第8章:石鹸オペラ:1900-1950年
Soap Opera: 1900–1950
20世紀前半は清潔への要求が急激に高まった時代である。細菌学の発展により石鹸の重要性が科学的に裏付けられ、アイヴォリー石鹸などのブランドが確立された。1920年代の広告業界は「恐怖による広告」手法を開発し、リステリン社は「口臭」という医学用語を一般化させて大成功を収めた。デオドラント製品も「体臭は社会的罪悪」という観念を植え付けて市場を拡大した。清潔協会は学校教育を通じて子供たちに清潔習慣を徹底的に教え込んだ。女性向け衛生用品では生理用品の使い捨て化が進み、女性の身体への管理意識が高まった。オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』は消毒された未来社会の皮肉として清潔崇拝を描いた。
第9章:家庭の聖域:1950年から現在まで
The Household Shrine: 1950 to the Present
現代の浴室は「家庭の聖域」として豪華さを極めている。アメリカでは住宅の24%が3つ以上の浴室を持ち、浴室のサイズは1994年から2004年で3倍に拡大した。歯の白さへの執着は病的レベルに達し、ホワイトニング製品は5億ドル市場となった。嗅覚研究者シセル・トーラースは現代人の「臭い盲目」を批判し、自然な体臭の価値を訴えている。衛生仮説の登場により、過度の清潔がアレルギーや自己免疫疾患の原因となる可能性が指摘されている。抗菌製品の氾濫と病原菌への恐怖が強迫的行動を生み出している。著者は現代の清潔観念も歴史的に相対的なものであり、将来変化する可能性があると結論付けている。
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