
英語タイトル:『Fast Facts:The Gut Microbiome』 Fergus Shanahan 2024
日本語タイトル:『ファストファクト:腸内マイクロバイオーム』 ファーガス・シャナハン 2024
目次
- 第1章 序論 / Introduction
- 第2章 微生物のない生活 / Life without microbes
- 第3章 「正常」とは何か? / What’s normal?
- 第4章 宿主の加齢に伴うマイクロバイオームの変化 / The changing microbiome as the host ages
- 第5章 食物と微生物 / Food and microbes
- 第6章 意識する微生物:脳-腸シグナル伝達 / Mindful microbes:brain–gut signaling
- 第7章 微生物と慢性腸疾患 / Microbes and chronic intestinal disease
- 第8章 がんとマイクロバイオーム / Cancer and the microbiome
- 第9章 薬剤と微生物叢 / Drugs and the microbiota
- 第10章 抗菌薬耐性 / Antimicrobial resistance
- 第11章 腸内ウイルス叢と真菌叢 / The gut virome and mycobiome
- 第12章 マイクロバイオームの治療的改変 / Therapeutic modification of the microbiome
本書の概要
短い解説:
本書は、急速に進展する腸内マイクロバイオーム(腸内細菌叢)科学の「既知の事実」に焦点を当て、その基本特性から、健康・疾患との関連、さらには治療応用の可能性までを、医療従事者や研究者を主な対象として、簡潔かつ体系的に解説することを目的としている。
著者について:
著者ファーガス・シャナハンは、アイルランドの消化器病学の権威であり、炎症性腸疾患の微生物学的側面の研究で国際的に知られている。コーク大学の消化管薬理バイオロジックセンターの創設ディレクターとして、多分野融合的なマイクロバイオーム研究を牽引してきた。本書では、臨床医としての視点と最先端の科学知識を統合し、誇張や誤解の多いこの分野を批判的に検証し、確かな知見に基づく理解を提供する。
テーマ解説
- 主要テーマ:マイクロバイオームの特徴と可塑性:腸内マイクロバイオームは、各個人に固有でありながら、食事や生活環境、年齢によって劇的に変化する「可塑性」を持つ生態系である。本書は、この二面性を基軸に議論を展開する。
- 新規性:因果関係と相関関係の峻別:マイクロバイオームと疾患の関連に関する研究の多くは相関関係を示すに過ぎず、因果関係を証明するのは稀である。本書は、この重要な区別を繰り返し強調し、科学的研究の解釈と臨床応用への慎重なアプローチを促す。
- 興味深い知見:「正常」なマイクロバイオームの不在:万人に共通する「正常」または「健康」な腸内マイクロバイオーム像は存在しない。健康は多様な微生物構成によって達成され得る。この概念は、単純な善玉菌/悪玉菌の二項対立を超えた、複雑な生態系としての理解を要求する。
キーワード解説
- マイクロバイオーム/マイクロバイオータ:特定の環境(ここでは腸内)に生息する微生物(細菌、古細菌、ウイルス、真菌など)の集合体(マイクロバイオータ)と、その全遺伝情報(マイクロバイオーム)。一般的にはほぼ同義で用いられる。
- 宿主-微生物シグナル伝達:腸内微生物が産生する代謝産物(短鎖脂肪酸など)や細胞成分が、腸管上皮、免疫系、神経系、さらには脳と双方向に情報を伝え、宿主の生理機能を調節するネットワーク。
- プロバイオティクス/生体治療製品:摂取により健康に有益な効果をもたらす生きた微生物(プロバイオティクス)と、疾患の予防・治療・治癒を目的とする医薬品として規制される生きた微生物製剤(生体治療製品)は、規制的に明確に区別される。
- 抗菌薬耐性:細菌などが抗菌薬に対して効かなくなる現象。腸内はその主要な貯蔵庫の一つであり、人類の健康と経済に大きな脅威をもたらす。
- 糞便微生物移植:健常ドナーの糞便から調製した微生物叢を患者の腸内に移植する治療法。再発性クロストリディオイデス・ディフィシル感染症に対して驚異的な効果を示すが、他の疾患への応用は限定的である。
3分要約
本書は、人体に100兆個以上も生息し「もう一つのゲノム」とも呼ばれる腸内マイクロバイオームの総合的な入門書である。その基本特性として、個人ごとの固有性、食事や環境による高い可塑性、生後3年間で形成され加齢とともに変化する時間的変動、そして腸管の部位ごとの空間的異質性を解説する。
マイクロバイオーム研究の基盤となる無菌動物モデルは因果関係の証明に有用だが、微生物不在による発達異常などの解釈上の限界がある。また、「正常」なマイクロバイオームは単一ではなく、健康は多様な構成で達成され得る。現代的な生活様式、特に抗生物質の早期曝露はマイクロバイオームの組成を乱し、免疫・代謝性疾患のリスクを高める可能性が示唆される。
マイクロバイオームは食事、特に食物繊維の代謝を通じて宿主の栄養と代謝に深く関わる。食物繊維は微生物によって短鎖脂肪酸に変換され、腸管バリア機能の強化から免疫調節、脳機能への影響まで多岐にわたる生理作用を発揮する。この脳-腸軸を介した双方向のシグナル伝達は、過敏性腸症候群などの機能性疾患の病態にも関与している。
慢性炎症性腸疾患やがんなどの疾患では、マイクロバイオームの乱れ(ディスバイオーシス)が観察される。しかし、その多くは炎症などの結果として生じた二次的な変化である場合が多く、原因であることは稀である。例えば、炎症性腸疾患では多様性の低下や特定の細菌の増減が見られるが、それは疾患を増幅する「共犯者」としての役割が強い。一方、がん免疫療法の効果は患者の腸内マイクロバイオームの構成に大きく影響され、これを操作することで治療反応性を高める新たな治療戦略が模索されている。
薬剤とマイクロバイオームの関係は双方向的である。多くの常用薬(メトホルミン、プロトンポンプ阻害薬など)は微生物叢を変化させ、逆に微生物叢は薬剤(L-ドパ、イリノテカンなど)の代謝や有効性を修飾する。また、抗菌薬耐性の世界的な蔓延は重大な脅威であり、微生物叢の防護機能を活用する新たなアプローチ(バクテリオシン、ファージ療法など)が求められる。
腸内生態系は細菌だけでなく、ウイルス(主にバクテリオファージ)や真菌も含み、これら異種生物間の複雑な相互作用が恒常性を維持している。治療的介入としては、糞便微生物移植に加え、定義された生菌製剤、遺伝子組み換え微生物、ファージ療法など、より精密な手法の開発が進んでいる。著者は、この急速に発展する分野において、誇張ではなく確固とした科学的証拠に基づく理解と、臨床応用への慎重かつ倫理的なアプローチの重要性を終始強調する。
各章の要約
第1章 序論
腸内マイクロバイオームは、一人の成人の体内に100兆個以上生息する膨大で多様な微生物生態系である。細菌、古細菌、真菌、ウイルスから構成され、その遺伝子数はヒトゲノムを遥かに凌駕する。その特徴は、個人ごとに固有であること(個性)、食事や生活環境によって変化すること(可塑性)、生後早期に形成され加齢とともに変遷すること(時間的変化)、そして消化管の部位(口腔から肛門まで、また粘膜表面から内腔まで)によって全く異なる組成を持つこと(空間的異質性)である。これらの微生物は単なる「住人」ではなく、宿主の免疫系、代謝、脳と活発な双方向のシグナル伝達を行い、恒常性の維持に不可欠である。マイクロバイオーム科学と個別化医療の融合は、新たな診断法、治療法、予防法の開発を約束する。
第2章 微生物のない生活
無菌動物は、宿主と微生物の相互作用、特に因果関係を証明するための「ゴールドスタンダード」である。無菌マウスは通常飼育マウスに比べて痩せており、同じ体重を維持するために20-30%多くのカロリーを摂取する必要がある。これは微生物が宿主の栄養に寄与していることを示す。また、腸管の構造や機能、免疫系、さらには脳の構造と行動(ストレス応答、社会性など)に至るまで、微生物の不在は広範な異常を引き起こす。しかし、無菌動物は「微生物を除去しただけの動物」ではなく、発達段階で生じた構造的・機能的な異常を抱えており、結果の解釈には注意が必要である。ヒトの微生物叢を無菌動物に移植する実験では、ドナーの数が統計学的な推論の単位となるため、単一または少数のドナーの結果を過大解釈してはならない。
第3章 「正常」とは何か?
普遍的に合意された「正常」または「健康」なマイクロバイオームの定義は存在しない。健康は多様な微生物構成によって達成され得るため、「正常は健康と同義ではない」「正常は平均や典型的なものとは異なる」といった概念的な区別が必要である。人口ベースの研究では、マイクロバイオームの組成の差異の大部分は未だ説明できておらず、遺伝的要因よりも環境・生活習慣・社会文化的要因が主要な決定因子である。性別も重要な要因であり、微生物は性ホルモンの代謝に関与している。多くの疾患で観察されるマイクロバイオームの変化は、原因というより、疾患そのもの(例:炎症による酸素濃度変化)や薬剤治療(例:メトホルミン)の結果である場合が多い。現代の工業化社会のマイクロバイオームは、非工業化社会や古代のそれとは大きく異なっており、多民族化が進む社会において「正常」を定義することは一層複雑である。
第4章 宿主の加齢に伴うマイクロバイオームの変化
ヒトの腸内マイクロバイオームは宿主の一生を通じて変化する。出生時、微生物叢は主に母体からの垂直伝播によって形成され、分娩様式(経腟か帝王切開か)が初期組成に大きな影響を与える。その後、母乳(特にヒトミルクオリゴ糖)の摂取が最初で最も重要な修飾因子となり、離乳や固形食の導入によって組成は大きく変わる。早産児では微生物叢の形成が不安定で多様性が低く、壊死性腸炎のリスクが高まる。成人期には比較的安定するが、加齢とともに保護的な細菌が減少し、病原共生体が増加するなど、微生物叢の「老化」が進行する。この変化は宿主の生理的衰えと相互に影響し合い、健康な老化と病的な老化を分けるバイオマーカーとなり得る。地中海食などの食事介入は、加齢に伴う微生物叢の劣化を遅らせ、虚弱や認知機能低下を抑制する可能性がある。
第5章 食物と微生物
食事は微生物叢を形作る最も強力な因子の一つである。宿主が消化できない食物繊維は、腸内細菌によって発酵され、短鎖脂肪酸(酢酸、プロピオン酸、酪酸)に変換される。これらの代謝産物は、腸管上皮細胞のエネルギー源となるだけでなく、免疫調節、ホルモン分泌、脳機能など、全身に多様な生理作用を及ぼす。食事の多様性の低下は微生物の多様性を失わせる。早期の栄養不良は微生物叢の成熟を妨げ、宿主の発達と長期的な健康に悪影響を及ぼす。一方、抗生物質への早期曝露と高カロリー食は、微生物叢を介したエネルギー回収の増加を通じて肥満のリスクを高める可能性がある。加工食品に含まれる乳化剤や人工甘味料などの添加物も、微生物叢を変化させ、宿主の代謝に悪影響を与えることが動物実験で示されている。
第6章 意識する微生物:脳-腸シグナル伝達
脳と腸は、迷走神経や脊髄路といった「有線」の神経経路と、免疫系・内分泌系を介した全身循環を組み合わせた複雑な双方向通信ネットワーク(脳-腸軸)で結ばれている。腸内微生物は、食物繊維から産生される短鎖脂肪酸、トリプトファン代謝物、あるいはリポポリサッカライドなどの細胞壁成分を介して、このネットワークにシグナルを送る。無菌動物の研究は、微生物が脳の発達と行動に影響を与えることを明確に示している。過敏性腸症候群は脳-腸軸の障害の典型と考えられ、一部の患者では微生物の関与が示唆されるが、直接的な因果関係は確立されていない。パーキンソン病や自閉症など他の神経疾患との関連も主に動物モデルに基づくもので、ヒトでの証拠は決定的ではない。
第7章 微生物と慢性腸疾患
炎症性腸疾患(クローン病、潰瘍性大腸炎)をはじめとする多くの慢性非感染性疾患の増加は、社会経済の発展に伴う生活様式の変化とマイクロバイオームの変化に関連している。移民研究は、特に幼少期の環境が疾患リスクに強く影響することを示す。炎症性腸疾患では、微生物叢の多様性低下や特定の細菌の増減(例:プロテオバクテリアの増加、酪酸産生菌の減少)が観察される。しかし、これらの変化の多くは炎症に伴う酸素濃度の変化や食事制限の結果として生じる二次的なものである可能性が高い。とはいえ、変化した微生物叢は、二次胆汁酸の減少やトリプトファン代謝異常などを通じて炎症を増幅する「共犯者」として働く。また、疾患の異なる段階や合併症(瘻孔、狭窄、大腸癌)に、特定の微生物(バクテロイデス・フラジリス、大腸菌、真菌デバリオマイセス・ハンセニーなど)が関与する証拠が増えている。過敏性腸症候群やセリアック病における微生物の役割は、炎症性腸疾患ほど明確ではない。
第8章 がんとマイクロバイオーム
微生物とがんの関係は、単なる原因(例:ヘリコバクター・ピロリと胃がん)から、診断・治療への関与へと拡大している。腸内マイクロバイオームは、微生物代謝産物や細胞成分を介して全身の免疫系の「炎症基調」を形成し、がんに対する宿主防御を間接的に調節する。この役割は、免疫チェックポイント阻害剤によるがん免疫療法の場面で特に顕著である。患者の治療反応性は腸内細菌叢の構成に強く相関し、糞便微生物移植や特定の食事(高食物繊維食)によってこれを改善できる可能性が示されている。また、腫瘍組織内にも細菌や真菌が存在し、がん細胞の薬剤耐性を誘導したり、逆に免疫応答を促進したりするなど、多様な影響を及ぼす。腸内細菌は化学療法薬(イリノテカン)の代謝を修飾し、副作用(重度の下痢)の原因となることもある。マイクロバイオームのプロファイリングは、大腸がんなどのリスク層別化や予後予測に将来役立つ可能性がある。
第9章 薬剤と微生物叢
薬剤と微生物叢の相互作用は双方向的であり、多くの一般的な処方薬が関与する。微生物叢は、L-ドパ、ジゴキシン、イリノテカン、スルファサラジンなど多くの薬剤を代謝(活性化または不活性化)し、その有効性や副作用に個人差をもたらす。逆に、メトホルミン、プロトンポンプ阻害薬、下剤、抗生物質などの薬剤は、微生物叢の組成を大きく変化させる。アルコールやタバコも、直接・間接的に微生物叢に影響を与える。この複雑な相互作用は、疾患に関連するとされる微生物叢の変化が、実際には薬剤治療の結果である可能性を示しており、研究の解釈を難しくする。一方、微生物叢はバクテリオシンなどの生物活性代謝産物の宝庫であり、新薬開発の源ともなり得る。
第10章 抗菌薬耐性
抗菌薬耐性は、微生物が抗菌薬に対して効かなくなる現象であり、人類の健康、経済、地球環境に対する重大な脅威である。耐性は人類以前から自然界に存在したが、医療や畜産における抗菌薬の濫用、環境汚染などによりその拡散が加速されている。耐性は水平伝播により感染症のように広がる。公衆衛生メッセージは、抗菌薬の不適切使用の抑制に加え、正常微生物叢への悪影響についても説明することで効果を高められる可能性がある。この「ワンヘルス」(人・動物・環境の健康は一体)問題の解決には、従来の抗菌薬適正使用に加え、微生物叢の保護機能の活用(プロバイオティクス、ファージ療法など)、新しい作用機序の抗菌薬開発など、革新的なアプローチが必要である。
第11章 腸内ウイルス叢と真菌叢
腸内生態系は細菌だけでなく、ウイルス(主にバクテリオファージ)や真菌も含む。ウイルス叢は生後2年で形成され、その多様性は細菌叢の多様性と逆相関する傾向がある。ファージは細菌に感染して溶菌するだけでなく、溶原化して細菌の遺伝子機能を変化させ(例:抗菌薬耐性遺伝子の水平伝播)、宿主免疫系と直接相互作用することもある。真菌叢は腸内微生物のごく一部を占めるに過ぎないが、免疫系との相互作用において重要な役割を果たす。カンジダ・アルビカンスなどの真菌は通常は無害な常在菌だが、免疫抑制状態では病原性を発揮する。炎症性腸疾患では、特定の真菌(マラセジア・レストリクタ、デバリオマイセス・ハンセニー)の増加が病態悪化に関与する証拠が示されている。細菌、ウイルス、真菌は互いに緊密に連携し、腸内の恒常性を維持している。
第12章 マイクロバイオームの治療的改変
マイクロバイオームを標的とした治療法は、その特異性の度合いに応じて階層化される。最も包括的なのは糞便微生物移植であり、再発性クロストリディオイデス・ディフィシル感染症に対する驚異的な有効性が認められている。しかし、他の疾患への応用は限定的であり、感染症リスクに加え、炎症や代謝の表現型が伝播する可能性などの長期的リスクも考慮する必要がある。プロバイオティクス(健康に有益な生菌)と、疾患の治療を目的とする生体治療製品は、規制的に明確に区別されるべきである。将来は、完全に定義された微生物コンソーシアム、遺伝子組み換え微生物(特定の治療分子を産生または疾患バイオマーカーを感知)、高度に特異的な抗菌ペプチドであるバクテリオシン、または特定の病原体のみを標的とするバクテリオファージ(ファージ療法)など、より精密な治療法が主流となるだろう。いずれのアプローチにおいても、厳格な科学的証拠と臨床試験に基づく開発が不可欠である。
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