「私は母のことを、母の皮をかぶった化け物だと思っていました。」
母を殺害した50代受刑者
真面目な人が加害者になる
親孝行な子が親に手をかける
介護する方が母親と無理心中をした話を聞くと、、やはりつい、自分と母親の関係を重ね合わせてしまいます。。
そして、「自分の母親は大丈夫で良かった」という自分の家族さえ良ければ良いというエゴイスティックな感情と、それに対する自己嫌悪感を往復して精神的に疲労するのですが、最近はそのこと自体も少し麻痺してきたかもしれません。
ネット掲示板のリアルな介護の書き込みなども、、見なければ良いと思いつつも、起こりうる現実から目をそらしてはいけないと見てしまうのですが、結局「自分には関係のない話だ」と、なにも見なかったことして過ごそうとします…
こういった介護殺人は、年間30~40件 1~2週間に一件起こっています。
※一方で、数字として上げられている介護殺人の数は氷山の一角にすぎないという専門家の指摘もあります。
介護殺人。遺族の意向で事件化されない、「封印された死」の真相
100万人を超える介護者が殺意を感じているとしたら
「今しかない、今しかない、お父さんを殺るのは今しかない」っていう異常な声が聞こえたの。
80代女性介護者
ケアマネージャーの53%が、
「在宅介護の家族の殺人や心中が起きてもおかしくないと感じている」
と新聞社のアンケート調査で答えたそうです。
また「介護している家族を殺してしまいたい」「一緒に死のうと考えたことがある」と介護者の20%が答えています。(500万人の介護者の20%は100万人!)
介護の苦しさで「家族を殺そう」「一緒に死のう」と考えた介護者が、おそらくは100万人存在するであろう事実が、事件そのものよりももっと深刻だと感じるのは自分だけでしょうか?
それだけの規模でありながら社会的問題としてもさほど認知されているように思えませんし、それらの組織だった研究やサポートもあるように見えません。
実際に起こってしまった介護殺人はいたましくはあるものの、むしろ現在の事件件数で抑えられていることも驚きだったりもします…
15件中9件が女性…コロナ禍で妻による“介護殺人”が増加
「限界だった」たった1人の介護の果て なぜ22歳の孫は祖母を手にかけたのか
認知症掲示板
※内容的にきついものも含むので、認知症患者さん本人が簡単に見られないようパスワード制限かけています。パスワードはこの文中にあります。
認知症患者・介護者(投稿動画)
直感が通用しない認知症
地球をぐるっと一周、ひもでぴったり巻いてしまう。
このひもを1mだけ余計に長くして、よりがないよう均等にひもを広げたとする。そうすると、ひもは地表からどれぐらい高く上がるか。
ほとんどの人は1mm以下だと答える。
これに直感で正しく答えれる人は二種類しかいない。
数学者とドレスメーカーである。
われわれは直感で生きている
当ブログで取り上げられる改善策は、一定の医学的理由を重視しています。
わたし自身もそうでしたが、自分たちは五感で感じれるものだけで判断する習慣が身に染みついており、(そうではないものは権威に頼りがち)とかく病気に関しても目に見える症状や感覚をあてにして考えがちです。
例えば、「お腹の調子が悪いな?」とかであれば、「昨日食べすぎたせいかな」などといった感覚的なフィードバックを働かすことができます。
自分も当初、持病については、頼れる医学情報がそもそもなかったため、体感を拠りどころに治療方法を模索していたようなところがあります。
直感が通用しない認知症
しかし、認知症は違います。
認知症は、そういう直感を当てにできるような種類の病気ではまったくないのです!
そもそも脳には痛みの受容体がありません。
(ガンの場合にはまだ内蔵痛覚、深部痛が存在します。)
「なんだか、最近物覚えが悪くなったなあ」と思うのは、
足の骨を折った痛みを感じない無痛症の人が、歩いてみて
「なんだか、最近ぐにゃぐにゃ曲がって歩きにくいなあ」と言って気が付き始めているようなものです。
直感は経験則からしか生まれない
直感の正しさは過去に何度も経験してきたことか、その延長線上からしか生まれません。
ドレスメーカーが正しく言い当てられるとすれば、それは過去に何度も測っているからです。数学者が言い当てられるのは、直感ではなく理論的に考えるからです。(正解は16cm、多くの人は1mmに満たないと考える。)
そして認知症は、誰にとっても自分の感じる感覚としてはそれが人生で初めての出来事であり、一回限りの経験です。
本当の進行は20年前から始まっている
認知症の直接的な原因とされているアミロイドプラークやタウタングルは、発症の20年以上前から脳の中で蓄積を始めていると言われています。
脳の構造的な萎縮も10年間前から検出されています。[R]
これは言い換えれば20年間、体感では脳の異常を感知できなかったということを意味します。
www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA02931_04
認知症は回復するのか?
ガンにしてもエイズにしても、遅れて発症するタイプの病気は、そのすぐに発症しない性質がゆえに被害の拡大を招いていると思いますが、それに加えて認知症は病識(病気だという自覚)がない、そして回復しないという不可逆性が、本当に輪をかけてやっかいなものにしています。
認知症の回復は死者の回復を望むようなもの
また、認知症には痛みがないというだけではなく、一度、脳の神経細胞が壊れてしまうと基本的に回復しないという特性があります。
これが、肝臓や筋肉であれば、損傷を受けても細胞の増殖によって修復が可能です。
そして腎臓のように回復が難しい臓器などは、片側の腎臓が機能してくれたり、ダメージを受けていない部位が代わりに働くことで、致命的な機能喪失は避けることができます。
脳の場合、その機能がネットワークとして協調して働くため、回復が難しいだけでなく、そのネットワーク機能が一度大きく壊れてしまうと、他でその機能を代替することが非常に困難になります。
※海馬、海馬歯状回など脳の部位によっては神経幹細胞から新しく細胞が作られることがわかっきており、脳の神経可塑性についても期待を寄せていますが、現在の知見ではそれらは切り傷が治るような回復力があるわけではく限定的なものです。
失われたデータは復活しない
また仮に神経細胞が回復したとしても、記憶を担うシナプスの結合自体は回復が不可能なため、シナプス自体が損傷を受ければその箇所の記憶が戻ってくることは原理的にありえません。
これは、ちょうどコンピューターのメモリが壊れてしまえば、メモリそのものを新品に変えることはできても(脳ではそれもできませんが)元にあったデータの復活はできないようなものです。
病気というよりも小刻みな死
この修復不可能性は技術的な問題ではなく物理法則、因果律に伴うものであるため、記憶を含めた完全な回復治療の到来を願うのは、いわば死者の復活が可能になる技術を望むようなものなのです。
言いかえれば、少なくとも神経細胞の死に伴う記憶や思い出の喪失に関しては、病気の進行であるというよりも、(不可逆という意味で)断続的に死を経験しているといった捉え方が実態に近いと思います。
直感が通用しないのなら
自分のことに話を戻しますが、母が自分自身で判断をすることも難しいのに、家族や外部からの観察となればなおさら困難です。そこで当初、医療データ(エビデンス)を元にした治療をしていく必要性を感じました。
しかし、客観性を厳格に適用するなら、当時は、アリセプトしか選択肢がなく、多くの方がご存知のように、これはせいぜい進行を1~2年間引き伸ばす効果しかありません。
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