
英語タイトル:『Tools for Conviviality』 Ivan Illich 1973
日本語タイトル:『コンヴィヴィアリティのための道具』 イヴァン・イリイチ 1973
目次
- 序文 / Introduction
- 第一部 二つの分水嶺 / I. Two Watersheds
- 第二部 コンヴィヴィアルな再構築 / II. Convivial Reconstruction
- 第三部 多元的均衡の破綻 / III. The Multiple Balance
- 1. 生物学的劣化 / 1. Biological Degradation
- 2. ラディカルな独占 / 2. Radical Monopoly
- 3. 過剰プログラミング / 3. Overprogramming
- 4. 二極化 / 4. Polarization
- 5. 計画された陳腐化 / 5. Obsolescence
- 6. 欲求不満 / 6. Frustration
- 第四部 回復 / IV. Recovery
- 1. 科学の脱神話化 / 1. The Demythologization of Science
- 2. 言語の再発見 / 2. The Rediscovery of Language
- 3. 手続き法の回復 / 3. The Recovery of Legal Procedure
- 第五部 政治的転換 / V. Political Inversion
- 1. 神話と多数派 / 1. Myths and Majorities
- 2. 崩壊からカオスへ / 2. From Breakdown to Chaos
- 3. 危機への洞察 / 3. Insight into Crisis
- 4. 突然の変化 / 4. Sudden Change
本書の概要
短い解説:
本書は、産業主義の「成長」イデオロギーが人間疎外と環境破壊を招いていると批判し、専門家や巨大機関に支配されない、自律的で創造的な「コンヴィヴィアルな社会」への転換を提案する。工業化の行き過ぎに警鐘を鳴らす思想家、政策立案者、一般市民に向けたラジカルな社会変革のマニフェストである。
著者について:
著者イヴァン・イリイチ(1926-2002)は、オーストリア生まれの哲学者、社会批評家。脱学校化論で知られ、近代の専門化・制度化された社会システム(学校、病院、交通など)の逆説的効率性と人間性への抑圧を鋭く批判した。カトリック司祭でもあった彼の思想は、産業文明への深い懐疑と、自律性、相互扶助、適正規模を重視するラディカルなヒューマニズムに貫かれている。
テーマ解説
- 主要テーマ:産業的生産様式の限界と、自律的個人が中心となる「コンヴィヴィアルな道具」による社会の再構築。
- 新規性:単なる環境保護や反技術主義ではなく、道具と制度の構造そのものの民主化を、政治・法的プロセスを通じて達成する道筋を提示。
- 興味深い知見:「ラディカルな独占」(Radical Monopoly)という概念。一産業が特定の欲求充足を独占し、非産業的・自立的活動を排除することで、人々の本来の能力を奪うメカニズムを分析。
キーワード解説
- コンヴィヴィアリティ(Conviviality):イリイチの核心概念。他人や環境との自律的で創造的な関わり合いを指し、専門家への依存や管理的支配とは対極をなす、個人の自由と相互依存が調和した状態。
- 道具(Tool):狭義の機械だけでなく、学校、病院、法制度など、人為的に設計された社会的装置すべてを含む広い概念。社会関係を内包する。
-
第二の分水嶺(The Second Watershed)
:医療や交通などの制度が、当初の目的達成から、自己目的化し、社会に害をもたらし始める転換点。
- ラディカルな独占(Radical Monopoly):一つの産業的生産プロセスが、基本的な欲求(移動、学習、健康など)の充足を独占し、非産業的(自立的、相互扶助的)な手段を競争から排除すること。
- 反対枠組み研究(Counterfoil Research):成長の限界を明らかにし、コンヴィヴィアルな道具体系を設計するための研究。既存の産業開発研究に対抗する。
3分要約
本書は、産業文明が人間の自律性と生態系を破壊する危機的状況を分析し、その解決策として「コンヴィヴィアリティ」(自律的で創造的な相互関係)に基づく社会への転換を提唱する。
イリイチはまず、医療や交通などの主要な制度が「第二の分水嶺」を超えると、当初の目的(健康増進、移動の容易化)に反して、専門家への依存、コストの暴騰、社会的害悪を生み出すようになることを指摘する。この転換点を超えた産業的生産様式は、効率と成長そのものを目的とし、人間をその「道具」の従属物とする。
続いて、コンヴィヴィアルな社会とは、人々が創造的な自己実現を行うために、自ら管理できる「道具」を最大限に利用できる社会であると定義される。そのような社会では、教育は学校に独占されず、健康は医師に独占されず、移動は高速車両に独占されない。道具は人間の能力を拡張するが、人間を代替したり支配したりすることはない。
しかし、現在の産業社会は、少なくとも五つの次元で生命の均衡を破壊している。第一に、環境汚染による「生物学的劣化」。第二に、産業的商品・サービスが人々の自己実現の手段を奪う「ラディカルな独占」。第三に、制度的な「教育」が自発的学習を圧迫する「過剰プログラミング」。第四に、資本と知識の集中による社会的「二極化」。第五に、強制される技術革新が伝統と持続性を損なう「計画された陳腐化」である。
この危機から脱却するためには、三つの「回復」が不可欠である。第一に、専門家だけのものではない日常的経験と判断力を尊重する「科学の脱神話化」。第二に、産業主義によって名詞化・物象化された言語を取り戻す「言語の再発見」。そして第三に、共通の利益をめぐる紛争を解決する形式的・対審的「手続き法の回復」である。
最終的に、このような根本的な転換(「政治的転換」)は、既存の制度の崩壊という「危機」の瞬間に可能となる。その時、成長の限界を受け入れ、コンヴィヴィアルな生活様式を求める多様な人々が、回復した法的・政治的手続きを用いて、社会の枠組みを自ら設計し直すことができる。イリイチは、この転換こそが、管理された破滅ではなく、自由で持続可能な未来への唯一の道であると結論づける。
各章の要約
序文
本書は「脱産業時代」に向けた序論であり、工業化された職業と生産様式の独占が消滅し、世界の多数派が「超工業国」が選択を迫られる「ポスト産業的均衡」を今すぐ選び取る可能性を探る。著者は、道具の産業的生産がもたらす破壊的副作用を分析し、成長の限界を概念化するための共通言語と理論的枠組みの必要性を訴える。その鍵となるのが、人々が自律的に用いることのできる「コンヴィヴィアルな道具」であり、これに基づく社会構想である。
第一部 二つの分水嶺
医療の歴史を例に、近代的制度の「二つの分水嶺」モデルを提示する。第一の分水嶺(例:1913年頃)では、科学的知見が応用され、感染症対策などで実効性が飛躍的に高まる。しかし第二の分水嶺(例:1955年頃)を超えると、制度は自己目的化し、医原病の蔓延、医療依存症の形成、社会的コストの暴騰など、逆説的に健康と福祉を損なうようになる。交通や教育など他の制度も同様の軌跡をたどり、現在は複数の主要機関が同時に第二の分水嶺を超えつつある。エスカレーション(管理の強化、技術の高度化)による対応は問題を悪化させるだけであり、根本的な制度の「転換」が必要である。
第二部 コンヴィヴィアルな再構築
産業的生産様式は「機械が人間に替わって働く」という実験の失敗であり、人間を機械の奴隷にしている。「コンヴィヴィアリティ」とは、個人の自由が相互依存において実現される倫理的価値であり、これに対置される。コンヴィヴィアルな社会では、各成員が共同体の道具に最大限かつ自由にアクセスできるよう社会制度が設計され、その自由は他者の平等な自由によってのみ制限される。
「道具」とは、機械だけでなく学校や法制度など、合理設計された全ての社会的装置を含む。コンヴィヴィアルな道具は、誰もが自分の目的で使用でき、その使用が他者の同等の使用を妨げない。これに対し、産業的・管理的道具は、使用者の創造性を否定し、設計者の意図を強制する。社会の転換は、道具の「構造」に注目し、操作的で依存を強いる「ラディカルな独占」的構造を持つ道具を排除・制限する政治的プロセスによって達成されねばならない。
第三部 多元的均衡の破綻
産業的成長は、人間の生の均衡を複数の次元で脅かす。第一に「生物学的劣化」:汚染と資源消費が地球環境を破壊する。第二に「ラディカルな独占」:自動車が徒歩や自転車による移動を、学校が自律的学習を、病院が相互介護を排除することで、人々の自生的能力を奪い、強制的消費へと導く。
第三に「過剰プログラミング」:制度的「教育」が自発的学習を圧迫し、知識を商品化・稀少化する。人々は「教えられる」ことに依存し、世界に自らの意味を与える「詩的」能力を麻痺させる。第四に「二極化」:巨大な道具は少数の専門家・管理者による集中管理を必然化し、資格(学歴など)に基づく権力と特権の格差を拡大する。
第五に「計画された陳腐化」:強制的な技術革新と製品の陳腐化が、持続性と伝統に基づく判断を無効化し、社会を不安定化させる。これらの破綻は相互に強化し合う。これに対し、「反対枠組み研究」が、成長の限界を明らかにし、各次元における最適な道具の規模と構造を探求する手がかりとなるべきである。
第四部 回復
危機を乗り越えるには、三つの根本的障害を克服する「回復」が必要である。第一に「科学の脱神話化」。科学を客観的知識を生産する制度的企業と見なす誤解は、人々の個人的判断と政治的想像力を麻痺させる。科学は、日常的経験と対話によって培われる個人的確信と創造性を補完するものでなければならない。
第二に「言語の再発見」。産業主義は、行為を表す動詞(学ぶ、歩く)を、所有物を表す名詞(教育、交通)に置き換え、人々を「消費者」として規定してきた。自律的行為の可能性を語るためには、この言語の物象化から脱し、行為主体としての語りを取り戻さねばならない。
第三に「手続き法の回復」。現在の法制度は産業成長の擁護に利用されているが、その「形式的構造」(継続性、対審性、手続き的正義)は、むしろコンヴィヴィアルな社会を構築するための強力な道具となりうる。市民が、大企業や国家機関と対等な立場で、共通の利益に反する制度拡張に対抗するためには、この形式的法手続きを活用することが決定的に重要である。
第五部 政治的転換
官僚的管理による生存か、政治的プロセスによる自由な選択か。イリイチは後者の道を探る。現在、「成長を支持する多数派」というのは神話である。社会的利益は分断されており、危機の瞬間に初めて新たな連合が可能となる。
産業的生産様式そのものの「崩壊」が間近に迫っている。その「危機」の瞬間、様々な理由から成長の限界を認識し、コンヴィヴィアルな生活を求める多様な人々(例:環境汚染の被害者、過剰医療に倦んだ者、資格主義に排除された者)が、回復された「言語」と「法的手続き」を用いて、社会の枠組みを再設計する可能性が開ける。
この転換を主導するのは、単一の政党やイデオロギー集団ではなく、明確な思考と言葉を持ち、形式的プロセスを信頼する人々のネットワークである。彼らは、「道具」に対する民主的コントロールを取り戻すことで、管理された破局ではなく、自由で持続可能な未来への「革命」を成就することができる。
著者はこう述べる。「歴史から回復された言葉だけが、必然的な暴力をコンヴィヴィアルな再構築へと転換するための力として、私たちに残されている。」
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