書籍『ローテク時代:技術的に持続可能な文明に向けて』フィリップ・ビウー 2020年

テクノロジー、技術批判、ラッダイトフリーカルチャー、コモンズローカリゼーション・脱中央集権・分散化ローテク、アーミッシュ、パーマカルチャー優生学抵抗戦略・市民運動生態経済学・脱成長

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日本語タイトル:『ローテク時代:技術的に持続可能な文明に向けて』フィリップ・ビウー 2020

英語タイトル:『The Age of Low Tech: Towards a Technologically Sustainable Civilization』Philippe Bihouix 2020

https://note.com/alzhacker/n/n11b692b5b4c1

目次

第I部:「工学の奇跡の働き手」の興亡

  • 第1章 技術はいかに資源不足に(常に)対応してきたか
  • 第2章 なぜハイテクは今回の解決策ではないのか
  • 第3章 最新のペットハイテクテーマ
  • 第4章 採掘主義・生産主義・消費主義社会の三重の行き詰まり

第II部:シンプルテクノロジーの原理

  • 第5章 ニーズに疑問を投げかける
  • 第6章 真に持続可能な設計と生産
  • 第7章 知識を資源の経済的利用に向ける
  • 第8章 性能と親和性のバランスを見つける
  • 第9章 (良い)規模の経済を失うことなく再配置する
  • 第10章 サービスの脱機械化
  • 第11章 謙虚であることを知る

第III部:シンプルテクノロジー時代の日常生活

  • 第12章 農業と食品
  • 第13章 交通と自動車
  • 第14章 建設と都市計画
  • 第15章 消費財、スポーツ・レジャー、観光
  • 第16章 新技術、情報学、通信システム
  • 第17章 銀行と金融
  • 第18章 ローテク時代に愛し、生き、死ぬ
  • 第19章 ゴミ箱が消える時
  • 第20章 エネルギーはこの中でどこにあるのか

第IV部:「移行」は可能か?

  • 第21章 不可能な現状維持
  • 第22章 様子見、宿命論、「サバイバリズム」の間で
  • 第23章 雇用の重大な問題
  • 第24章 規模の問題:イギリス奴隷制廃止論からの教訓
  • 第25章 文化的・道徳的問題
  • 第26章 移行を望ましいものにする方法:ローテク万歳!
  • 第27章 前向きな話で終える

全体の要約

本書は、環境危機に対する技術的解決策への盲信に警鐘を鳴らし、「ローテク」社会への移行を提唱する画期的な作品である。著者のフィリップ・ビウーは、工学の専門的背景を持ちながら、現代の高度技術文明が持つ根本的な限界を明らかにする。

現在の環境・気候危機に対し、多くの人々は「スマートシステム」「グリーンイノベーション」「リサイクルの拡大」といった技術的解決策に期待している。しかしビウーは、これらの複雑な技術的解決策が、実際には希少で異国的な材料に依存しており、問題解決を困難にしていると論じる。

第I部では、歴史的に技術がいかに資源不足に対応してきたかを振り返り、今回は状況が異なる理由を説明する。化石燃料、金属、その他の有限資源の品質と利用可能性が低下する中、エネルギー投資収益率(EROEI)は悪化している。再生可能エネルギーやリサイクル技術も、完全な循環経済は不可能であり、「グリーン成長」は長期的に危険で不合理である。

第II部では、ローテク社会の基本原理を提示する。まず「ニーズへの疑問」から始まり、真に持続可能な設計と生産、知識の資源効率的利用への方向転換、性能と親和性のバランス、適切な規模での再配置、サービスの脱機械化、そして謙虚さの重要性を説く。これらの原理は、資源消費の削減と社会の持続可能性向上を目指している。

第III部では、ローテク社会における具体的な日常生活を描写する。農業では有機農業と地産地消の推進、交通では自転車や公共交通の活用、建設では既存建物の有効活用と新規建設の抑制、消費財では修理可能で耐久性のある製品の選択、金融では利子による無限成長システムからの脱却などを提案する。

第IV部では移行の可能性と課題を検討する。現状維持は不可能であり、雇用問題が最大の障害となることを認めつつ、適切な規模での実施により移行は可能だと主張する。国家や地域レベルでの先駆的取り組みが、他国への波及効果を生む可能性がある。

著者は、手仕事の価値を再評価し、教育システムを改革し、移行を魅力的なものとして提示することの重要性を強調する。単なる物質的快適さの犠牲ではなく、より公正で平和な社会、自然と調和した持続可能な文明への道筋として描く。

本書の核心的メッセージは、技術的解決策への過度な依存から脱却し、より単純で持続可能な技術を基盤とした社会への移行が必要であり、それは実現可能であるというものである。フランスでベストセラーとなったこの作品は、地球の資源を保護し、未来を確保するための代替的視点を提供している。

各章の要約

第1章 技術はいかに資源不足に(常に)対応してきたか

歴史上、人類は資源不足に対して移住、交易、発明という三つの戦略で対応してきた。エネルギーでは木材から石炭、石油への移行が決定的だった。金属では「イナゴ採掘戦略」により高品質鉱床から低品質への移行が進んだ。無機化学の誕生により人工ソーダや染料の大量生産が可能となり、有機化学の発展でプラスチックなど合成材料が生まれた。建築材料では石灰からコンクリートへ、食品保存では缶詰や冷凍技術が開発された。コンテナ化により輸送革命が起こり、グローバル化が加速した。18世紀末から19世紀末の産業革命が決定的転換点となった。

第2章 なぜハイテクは今回の解決策ではないのか

今回は過去と異なり、技術による解決が困難な理由がある。化石燃料と金属の品質・アクセス性が悪化し、エネルギー投資収益率(EROEI)が低下している。「ピークオイル」に加え「ピークエブリシング」が到来し、より多くのエネルギーでより少ない金属を、より多くの金属でよりアクセス困難なエネルギーを得る悪循環に陥っている。循環経済には物理的・技術的・社会的限界があり、多くの金属のリサイクル率は25%以下である。「グリーン成長」は新たな資源不足を生み出し、規模と反発効果により期待される効果は限定的である。技術革新自体が制約となり、システム効果と収穫逓減により複雑性が増している。

第3章 最新のペットハイテクテーマ

資源不足への最新の「解決策」として、バイオ経済、ナノテクノロジー、経済の非物質化が提唱されている。しかしバイオ経済では、現在の化学品需要4億トンに対し、世界の農業残渣から得られるのは最大200万トン程度にすぎない。ナノテクノロジーは金属ナノ粒子の分散使用により資源浪費を加速させている。3Dプリンティングや「Economy 2.0」も従来の生産システムを置き換えることはできない。非物質化の歴史的蜃気楼は、IT革命により紙の消費やエネルギー使用が増加したことで証明されている。これらの技術は根本的な資源制約を解決できず、問題を悪化させる可能性がある。

第4章 採掘主義・生産主義・消費主義社会の三重の行き詰まり

現代社会は三重の行き詰まりに直面している。第一に資源の行き詰まり:化石燃料、金属、森林、漁業資源の枯渇、生物多様性の崩壊、農地の劣化である。世界平均で1トンの食料生産に4トンの土壌が失われている。第二に汚染の行き詰まり:温室効果ガス、金属汚染、プラスチック、持続性有機汚染物質の蓄積である。第三に土地消費の行き詰まり:フランスでは年間6-7.5万ヘクタールの都市開発が進行している。これらに加えて社会的行き詰まり(格差拡大)と道徳的行き詰まり(古代林の破壊)がある。2007-08年の金融危機も、実体経済の限界が背景にあった成長への執着は現実離れしており、根本的な変革が必要である。

第5章 ニーズに疑問を投げかける

ローテクの第一原理は、ニーズそのものへの疑問である。「清潔な」車や「ゼロエミッション」輸送は存在せず、使用しない製品・サービスが最も環境負荷が少ない。「供給側エコロジー」(グリーン成長)ではなく「需要側エコロジー」(需要削減)が必要である。根本的な問題への取り組みが重要で、例えばガラスリサイクルは下流の光学センサー技術より上流での色別分離が効果的である。使い捨て電池の回収率向上より、充電池への義務化や取替制度の方が簡単だ。気候変動対策では、採掘・輸入段階での制限が出口での複雑な仕組みより効果的である。タイヤのリモールド、ボトル水の廃止、建物暖房温度の低下など、具体的な「犠牲」案を提示している。

第6章 真に持続可能な設計と生産

持続可能な生産には製品寿命の大幅延長が必要である。製品は資源効率的、非汚染的、耐久的、堅牢、修理可能、再利用可能、モジュラー式、リサイクル容易に設計されるべきである。これは技術的・文化的計画的陳腐化からの転換を意味する。地域での修理可能性と使用可能性が重要で、自転車は複雑だが理解・修理可能な例だ。標準化では「良い標準化」(標準ボトルサイズによる再利用促進)と「悪い標準化」(携帯電話充電器)を区別する。使い捨て製品は完全に再生可能資源で製造し、消費財は地域の「薬局」での単純・天然成分による製造が望ましい。知識と研究は異なる目標に向けられるべきで、有機農業や「生命の化学」など複雑だが持続可能な分野への公的資金投入が必要である。

第7章 知識を資源の経済的利用に向ける

ローテクは反技術的ではなく、知識と研究を異なる目標に向けることである。有機農業、アグロエコロジー、パーマカルチャーは理論的基盤と地域適応が必要な高度な知識領域である。「生命の化学」は現在の単分子・単工程化学より複雑だが、より良い収率と資源最適利用が可能である。特許化困難なため公的資金による研究が必要である。知識共有により、生産の可視化と地域制御が向上し、種子・家畜交換ネットワークや堆肥原理の理解など、より多くの人々が経済生活に参加できる。専門家集中から分散型知識システムへの転換が、民主的健全性にも寄与する。

第8章 性能と親和性のバランスを見つける

ハイテク世界の主要問題は、効率性追求により希少資源を大量消費する複雑技術の開発である。高性能システムは製造公差が厳しく、故障しやすく、専門保守が必要で、将来の混乱に対する復元力が低い。イワン・イリッチの「親和的社会」概念を発展させ、専門家集団ではなく個人とコミュニティに奉仕する現代道具が必要である一部の用途では効率性を犠牲にしても、単純で堅牢、実証済み材料・技術の使用が望ましい。「村の風車」は5-7MW洋上風車より性能は劣るが、地域での修理・保守が可能である。建物では超高層を避け、車では旧シトロエン2CVの思想(低速度・軽量・単純構造・低消費)を現代技術で改良することが理想的である。完璧さより不完全さを受け入れる必要がある。

第9章 (良い)規模の経済を失うことなく再配置する

生産の再配置は必要だが、適切な規模の検討が重要である。工程産業(鉄鋼・化学・ガラス・建材)は規模の経済により集約化が進んだが、完全な分散化は非効率的である。消費削減により既存設備能力の削減で対応可能である。製造業ではアダム・スミスの分業効果を維持しつつ、中国の異常な集約化(世界の靴下の3分の1を単一都市で生産)からの脱却が必要である。日用品製造の中小工場再配置により、労働生産性を維持しながらエネルギー・技術含有量を削減できる。ネットワーク産業(上下水道・電力・交通・通信)では競争より独占が環境的に有利であり、技術複雑性は高いが全体資源消費は限定的である。過度な自動化は避けるべきである。

第10章 サービスの脱機械化

サービス分野での機械による人間の置き換えが進んでいる。駅や郵便局の自動端末、博物館のチケット販売機、スーパーのセルフレジなどは、単純な人間労働を材料・エネルギー消費に置き換える最も有害な例だ。これらの機械は電子機器を含み希少金属を恒久的に占有する。保守のための新たな低技能職が生まれ、システム全体が人間労働を必要とする矛盾がある。IT技術により「再配置可能」と「再配置不可能」な職業の新たな分裂が生まれている。配管工などの再配置不可能な職業は、多くの「有資格」サービス職より高収入である。自動端末は地域雇用を破壊し貿易赤字を悪化させる近視眼的政策である。数百万の失業者がいる中、有用な機械を残しつつサービスを「再人間化」することは可能である。

第11章 謙虚であることを知る

ローテクの最終原理は謙虚さである。科学技術の眩しい発見により方向感覚を失った。現代の「プロメテウス的」科学は全能を約束するが、環境被害修復から宇宙征服まで、DIY的な取り組みにすぎない。クモの巣作りや渡り鳥の行動など、DNAに記録された複雑な行動の仕組みは、分子生物学やビッグデータの進歩にもかかわらず理解不可能である。統計的相関関係は見えても因果関係は理解できない。宗教に頼らない場合、詩と哲学が現実の理解を助ける。すべてを制御することは不可能であり、ローテク世界への移行も不透明である。複雑で「システム的」な正負のフィードバックループの中で、事前計画より明確な目標と方向性が重要である。

第12章 農業と食品

食品分野では、成長する世界人口を養いながら、将来世紀の食料供給能力を損なわない農業が必要である。現在の農薬消費量は1945-2007年に50倍に増加し、毒性は10倍向上した。フランスは年間4.5kg/haで欧州最大の農薬使用国である。農業生産性(労働者あたり生産)と収量(面積あたり生産)を区別すべきで、近年の「奇跡」は同量を少数で生産することにすぎない。GMOは食料不足解決を約束するが、実際は農薬使用を増加させ、干ばつ耐性などの効果的品種は存在しない。解決策は耕作・畜産活動の再統合による小規模農場への回帰である。これにより家畜排泄物が肥料となり、生垣・雑木林が天敵を保護し、土壌肥沃度が自然回復する。西欧では食料廃棄が25-33%に達し、肉食を減らせば十分な生産能力がある。

第13章 交通と自動車

自動車文明は自己破壊的である。移動の自由は高い環境・社会コストを伴い、すべての人類が北米・欧州レベルの移動性を持つことは不可能である。10億台を超える世界の車両台数は数百万ヘクタールの農地を道路・駐車場に転用している。真の「クリーンカー」は自転車である。数キログラムの重量で極めて効率的、耐久性があり修理可能である。電動自転車、折りたたみ自転車、リカンベント自転車の技術進歩がある。イワン・イリッチの「全体平均速度」概念では、労働時間を含めると自転車が最速になる。自動車システム全体(製造・燃料・道路・駐車場・関連産業・警察・保険・医療)はGDPの30-40%を占める可能性があり、その削減により週2-3日勤務が可能になる。残存車両は軽量・低速のバブルカーが適している。公共交通では、バスが最も生態学的で持続可能である。

第14章 建設と都市計画

建設・公共事業部門は材料・エネルギーの大量消費者である。四つの主要課題がある:既存建物のエネルギー消費削減、緑地での建設停止、都市化・集中傾向の逆転、建設量の大幅削減である。フランスでは年間6-7.5万ヘクタールの都市開発が進行し、10年で国土の1%を消費している。すべての主要インフラ工事(道路・空港・トンネル・高速鉄道)を停止し、「既存のもので済ませる」原則を適用すべきである。住宅建設は人口増加、世帯数増加、空き家増加(フランスで300万戸)により推進されている。住宅面積削減の受け入れが必要で、自動車文明終了により公共空間の再発明が可能になる。美しく持続可能な建物の建設に時間をかけ、より少なくより良質な建設を行うべきである。

第15章 消費財、スポーツ・レジャー、観光

日常用品では祖父母のコーヒーミルとイタリア式コーヒーメーカーの組み合わせが、最新の電子プラスチック製エスプレッソマシンより優れている。需要削減が主要な手段で、既に大量の道具・玩具・本が流通している。年間3500万個の腕時計がフランスで配布され、100万個のスイス・アーミーナイフが販売されている。化粧品・衛生用品では地域生産と短い生産・消費サイクルにより多くの化学物質を回避できる。スポーツではヨガが落下傘やスキューバダイビングより汚染が少ない。カントの定言命令をスポーツに適用すると、ゴルフより卓球が推奨される。観光は現在の形態では環境破害が深刻で、「低インパクト観光」への転換が必要である。贅沢品の見栄消費は資源浪費だけでなく、社会的模倣効果により有害である。

第16章 新技術、情報学、通信システム

IT・通信は「仮想」と呼ばれるが実際は金属含有量が高く、多くはリサイクル困難である。世界電力消費の約10%(2000-2500TWh)を消費している。機器の複雑化・統合化・小型化によりリサイクル可能性が低下している。データ量は急激に増加し、2007-2017年にデータセンター間のデータ交換は22倍に増加した。ムーアの法則は5-10ナノメートル以下では物理的限界に達している。大幅な削減が可能で、冗長な物理ネットワークの削減、有線アクセス優先、サーバー・データセンターの適切な再設計により10分の1のインフラで同等サービスが提供可能である。機器寿命延長、モジュラー設計、データトラフィック削減(主にビデオダウンロード・ストリーミング・スパム・広告)により大幅な改善が期待できる。ウィキペディアは350台のサーバーで世界10位の訪問サイトを運営している例が示すように、効率的設計が重要である。

第17章 銀行と金融

銀行部門は高度にハイテク化されているが、より根本的な問題は利子付き貸出制度である。資本と利子の返済は貨幣供給の機械的・無限拡大を意味し、総返済額が貸出額を上回るため、全体として貨幣量増加が必要である。物価上昇を避けるには財・サービス生産も増加する必要があり、利子付き経済では成長が不可避となる。債務は本質的に債務者の将来労働に対する請求権である。年金制度の賦課・積立論争は社会的に同等で、同時点で同数の退職者が同数の労働者からの財・サービスを期待する。原発解体費用の問題は、将来の技術・人的資源の維持が前提となる。利子付き貸出制度からの脱却には、消費者信用・不動産信用・投資信用の区別が必要で、地域の集合貯蓄(頼母子講等)と公的資金の組み合わせが解決策となる可能性がある。

第18章 ローテク時代に愛し、生き、死ぬ

資源節約社会への移行は深刻な行動・文化・道徳変化を伴う。愛の領域では、ダイヤモンド取引を支配したセシル・ローズの「男女が恋に落ちる限り帝国の未来は保証される」という言葉のように、金・宝石への価値観変更が必要である。人口問題はタブーだが、地球の収容力には限界がある。安定人口では「出生±移住収支-死亡=0」の等式が成立し、寿命延長は出生制限を意味する。高齢者への敬意は普遍的だが、資源制限社会では終末期医療の過剰化への疑問が生じる。生態学的葬儀では土葬が火葬よりエネルギー消費が少なく、認証木材や竹、段ボール、わらの棺桶使用、金属取手なしの「レンタル棺桶」が推奨される。墓地は整然とした砂利敷きより「聖なる森」として生態系機能を果たすべきである。

第19章 ゴミ箱が消える時

1880年代にウジェーヌ・プーベル県知事により導入されたゴミ箱制度以前は、パリの街は不潔だったが廃棄物処理システムは効率的だった。排泄物は「プードレット」に加工され農民が肥料として利用し、家庭廃棄物は街に投棄され最終的に周辺農地に運ばれた。現在は1日1kg以上の廃棄物を生産し、15%のみリサイクルしている。ゴミ箱の中身を項目別に検討すると、腐敗性廃棄物(3分の1)は堆肥化または家畜飼育で処理可能、紙・段ボール・ガラス・金属・繊維は既存の分別収集で対応、プラスチック・複合材料は需要削減と製品再設計で削減、衛生繊維は不要化または生分解性材料への転換が可能である。建物中庭での豚の飼育、犬・猫に替わるより「有用な」動物の都市飼育も提案している。最終的にゴミ箱の廃止が可能で、栄養分の土壌還元システムが実現できる。

第20章 エネルギーはこの中でどこにあるのか

エネルギー配給では、コンピューター・自動制御により需要ピークに応じた追加生産能力調整が行われている。スマートグリッド・スマートメーターにより需要を生産に適応させる方向に進んでいる。生産面では原子力発電と大規模風力・太陽光発電の技術的複雑さは類似している。これらの技術で数世紀・数千年維持可能な「安定した」世界は想像困難である。30-40年毎の更新、材料の完全リサイクル不可能性、希少資源の欠如、化石燃料・技術メガマシンへの隠れた依存が問題となる。真に持続可能なエネルギーは、より「攻撃的でない」地域適応型の低技術システムである:小規模水力、小型風力、太陽熱、バイオマス・バイオガス、場合によりヒートポンプの組み合わせ。これらの技術で回収可能なエネルギー量は現在の西欧基準より低く、現在消費量の20-25%程度と推定される。

第21章 不可能な現状維持

現状維持は不可能であることを多くの理性的な人々が認識している。様々な分析が存在する:マルクス主義的視点では1960年代後期の利潤率低下により、失業創出による賃金下押しと家計債務増加が必要となったが、家計債務が持続不可能レベルに達し政府が肩代わりする状況となった。「脱成長」的読解では、製造物への社会飽和と債務・失業による購買力低下が需要を減速させている。「ピーク論者」は供給制約、特にアクセス困難なエネルギー資源による制約を重視する。タインターの追随者は産業社会の複雑性が不安定化レベルに達し、相対的に容易に崩壊する可能性があると考える。開発論的批判者は北南関係の不均衡、交易条件悪化、歴史的で持続的な北南エリート共謀を分析する。現状維持は物理的危険に加え、個人・集団の狂気リスクを伴う矛盾した要求の継続を意味する。

第22章 様子見、宿命論、「サバイバリズム」の間で

「様子見」は最も実践的だが、罪悪感を伴う。宿命論は良い時期を楽しむことだが、道徳的問題がある。サバイバリズムは魅力的だが限界がある。金貨備蓄は歴史的に有効だが、武器による菜園防衛は非現実的である。缶詰備蓄も期限管理が困難である。突然の崩壊より緩慢な沈下が可能性が高い。西欧では非必須消費が多く、石油消費20-25%削減は数ヶ月で可能である。日本の2011年原発停止後20%電力削減や、ソ連崩壊時の適応例がある。消費の高い弾力性により、基本需要(水・食料・衣服・基礎医療・日常移動)が脅かされる前に多くの調整余地がある。しかし特権層は制度維持のため極端な手段も辞さず、タールサンドやシェールオイル開発などの先例がある。漸進的で社会的に苦痛だが段階的な非自発的適応シナリオが最も可能性が高い。

第23章 雇用の重大な問題

雇用保護は成長継続と規制発展阻止の第一論拠である。シェールガス、プラスチック包装、軍需品輸出は雇用名目で正当化される。ローテク計画は多くの経済活動を直接・間接に脅かす。しかし「成長は雇用」は誤りで、成長は実際には破壊する雇用の方が多い。システムは消費増加と複雑化により雇用を維持してきた。全面競争により労働の公平分配が阻害され、国際競争によりケインジアン回復戦略が非実用的となっている。缶工場閉鎖のロビンソナード分析では、同数住民が缶以外の同量生産を継続すれば、失業者への所得保障により社会的結束維持が可能である。重要なのは輸出品の場合の国際収支への影響である。消費削減により雇用創出と破壊の両面があり、最大の問題は適切な労働時間配分である。農業では有機農業発展により300万以上の雇用創出が可能で、産業では地域生産再配置により雇用維持できる。全体として2600万雇用が2000-2300万相当となり、週3日労働が実現可能である。

第24章 規模の問題:イギリス奴隷制廃止論からの教訓

グローバル化経済での根本的変革に対する第二の論拠は実施規模の問題である。世界規模の合意は180ヶ国との協調が必要で非現実的である。個人・家族レベルでの「意図的簡素」は模範となるが限界がある。地域・小地域レベルの「移行都市」運動は意識・実験・発明に有用だが行動手段が限定的である地域・州・小国グループの中間規模が最適である。この規模では議論・決定が可能で、地域特性に応じた解決策選択ができる。国家・地方自治体の行動力は規制・立法・大量購入・市民関与において依然として大きい。英国奴隷制廃止の例では、1807年奴隷貿易禁止、1833年所有禁止を一方的に決定後、積極的二国間外交と海軍力行使により他国に圧力をかけた。現在でも都市計画規則見直し、有機農業大規模支援、高速鉄道・道路・空港計画放棄、税制見直し、手工業・手労働の社会的認知向上、公共研究・教育の抜本的方向転換などが可能である。関税障壁や規制圧力により「囚人のジレンマ」を解決し、先駆国が他国への波及・ドミノ効果を創出できる。

第25章 文化的・道徳的問題

移行には価値システムの強い再評価が必要である。現在、マーケティング管理者・テレビ司会者・会計士・弁護士が靴職人・廃棄物収集者・石工より社会的に認知されている。しかし手工業は社会により多くの物質的価値・具体的で快適さをもたらす価値を生産する。明日の英雄は農民・廃品回収業者・靴職人・機械工・大工・家電・コンピューター修理業者であり、銀行家・会計士・弁護士・広告主・市場専門家は消失または大幅削減されるべきである。熟練職人・労働者は数世紀間尊敬された職業だったが、テイラー主義により破壊された。手工業・小工業の大規模復活は高等教育との並行追求を妨げない。マシュー・クロフォードが示すように、「知的」職業の多くは実際には無意味となり、真の手労働は知性を要求する。教育では功利主義と消費主義という二つの根本的欠陥を逆転させる必要がある。基礎・行動技能・好奇心・道徳・哲学・詩・演劇・音楽・歴史・芸術に焦点を当てるべきである。

第26章 移行を望ましいものにする方法:ローテク万歳!

民主社会では移行を魅力的にする必要がある。「啓発された破局論」による将来災害の反復発表では大衆を説得できない。世代間連帯は期待できず、多くの人々が生活苦に直面している中で犠牲精神は非現実的である。解決策は移行を望ましいものとし、変化が私たちを解放し幸福にし、最初から、より公正な世界で生活させることを確信することである。老子の「目標は目標だけでなく、それに導く道である」という教えが重要である。自動車の例では、一人で自転車に乗ることは「囚人のジレンマ」で敗者となるが、全員が同時停止すれば騒音・汚染・ストレス終了となる。鳥の歌声が聞こえ、農薬停止・夜間照明停止と合わせて蛍・土蛍が戻る可能性がある。ローテク世界は物質的「快適」さを失うが、「人類新世」参入以来失ったものの回復も意味する。物質消費削減により自然の詩的・哲学的楽しみの再発見、ストレス・労働時間削減により文化・余暇活動発展が可能となる。最も重要なのは、特に若者への希望と生きる理由の回復である。

第27章 前向きな話で終える

圧倒的証拠に直面し、暫定的解決策が出現している。しかし一世代以内での全分野大規模変化の必要性により、落胆が待ち受けている。タイタニック号のように、船が沈没中でもオーケストラが演奏を続けているだけでなく、システムの慣性、障害回避のための方向転換の困難・不能により、舵取りが遅すぎた状況にある。多くの問題が相互に悪化させ合い、正のフィードバックループ(第I部参照)により強化されている。船体の破損が拡大している。しかし正のフィードバックループは両方向に効果的で、原材料需要削減によりエネルギー需要減少が加速し、土壌生産性維持のための有機農業により化学的投入・エネルギー・原材料需要が削減され、土壌・収量回復により熱帯林開拓圧力が削減される。経済システムは定期船より「オーバーステア」車に類似し、一貫した措置群(規制・財政・関税・文化)への舵切りの集合的勇気があれば、スキッドの可能性を考慮しつつ、すべてが急速に実現可能である。宿命論をやめるべきで、移行が必要なら確実に可能であり、豊富な技術・財政・社会・組織資源を保有している。古い惑星は疲れているが他の挑戦を見てきており、現在傾向の逆転開始と同時に回復能力に驚く可能性がある。

献辞

「気候変動に対するハイテク即効薬はない。テクノロジーは私たちを助けてくれるかもしれない。しかし、消費と生産におけるより多くの責任ある行動が最も重要である。新しい文明だ!」

モーゲン・リッケトフト、元国連総会議長

「持続可能性への移行方法について、支配的な言説に挑戦する勇気ある本であり、「グリーン成長」と「ハイテク」がどの程度実行可能な解決策を提供できるかを問うている」

カレン・ベル、ウェストオブイングランド大学

「本書は、世界的な脅威とチャンスに満ちた私たちの未来にふさわしいテクノロジーのアイデアを実現するものである」

イアン・ロデリック、シューマッハ研究所

「多くの新技術を分析し、その構成要素を効果的にリサイクルすることの難しさを説明している。..厳密で、楽しく、読みやすい。

アントニオ・バレロ(Thanatiaの著者)。地球鉱物資源の運命

「技術では、人類が置かれている状況を打開することはできない。ビホワは、テクノオプティミズムに対する重要かつ不完全な批判を行うと同時に、楽しみにするに値する未来のビジョンを提供している。私が書きたかった本だ。

スティーブ・エヴァンス(ケンブリッジ大学製造研究所

ローテクの時代

技術的に持続可能な文明をめざして

フィリップ・ビホイックス

クリス・マクマホン訳

原著は 2014年にEditions du Seuilからフランス語で出版された。

L’Âge des low tech:

『VERS UNE TECHNOLOGY SOUSTENABLE(技術的に持続可能な文明)』として出版された。

本書に含まれる声明や意見は、あくまでも著者のものであり、ブリストル大学やブリストル大学出版局のものではない。ブリストル大学およびブリストル大学出版局は、本書に掲載された内容により発生した人的・物的損害について、一切の責任を負わない。

ブリストル大学出版局は、性別、人種、障害、年齢、セクシュアリティを理由とする差別の撤廃に取り組んでいる。

目次

  • 図と表のリスト
  • 謝辞
  • 英語版への序文
  • プロローグ エビの狂騒曲
  • 第1部 「工学」の興亡
    • 奇跡の労働者たち
    • テクノロジーは常に資源の不足にどう対応してきたか
    • なぜハイテクは今回も資源の答えにならないのか
    • 最後に、最新のペット・ハイテクのテーマについて
    • 採取主義、生産主義、消費主義という三重の行き詰まり
    • 消費主義社会
  • 第2部 シンプルなテクノロジーの原則
    • ニーズに挑戦する
    • 真に持続可能な設計と生産
    • 資源の経済的活用に向けた知識の方向づけ
    • 性能と快適性のバランスを見つける
    • 規模の良い)経済性を失わずに移転する
    • サービスの脱機械化
    • 控え目でいる方法を知る
  • 第3部 シンプルな技術の時代における日常生活
    • 農業と食品
    • 輸送と自動車
    • 建設と都市計画
    • 消費財、スポーツ、レジャー、観光
    • 新技術、情報学、通信システム
    • 銀行・金融
    • ローテク時代を愛し、生き、死ぬために
    • ゴミ箱が消えたら
    • エネルギーはどこにあるのか?
    • ローテクの時代
  • 第4部 「移行」は可能か?
    • 不可能な現状
    • 様子見、宿命論、「生存論」の狭間で
    • 雇用という大きな問題
    • 規模の問題イギリスの廃絶運動からの教訓
    • 文化的・道徳的問題
    • 移行をいかに望ましいものにするか:ローテク万歳!
    • 肯定的な言葉で締めくくる
    • エピローグ夢があるとすれば、それは一つだ
  • ノート
  • インデックス
  • 図と表のリスト
    • 0.1 フランスのある日 ……
    • 1.1 世界の一次エネルギー消費量
    • 1.2 投入エネルギー量に対するエネルギー回収率
    • 1.3 部門別一次エネルギー利用率
    • 1.4 ホワイトバイオテクノロジーと植物化学
    • 1.5 1トンの食料のための1トンの土壌
    • 2.1 「エコロジカル・リバティシズム」マトリックス
    • 2.2 「ヘビー級」セクターによる消費
    • 2.3 アダム・スミスには遠すぎる?中国のクラスター
    • 2.4 ローテクの7つの戒め
    • 3.1 農作物の収量と生産性を混同してはならない
    • 3.2 2018年の世界の遺伝子組み換え作物
    • 3.3 ムーアの法則の終焉?
    • 3.4 インターネットのネットワーク利用状況
    • 3.5 家庭ごみ:…..そしてその可能な未来
    • 4.1 1日2時間働く?
    • 1.1 一部の金属の分散利用
    • 1.2 ダミーのためのバイオテクノロジー
    • 3.1 球技へのカントの思想の適用

概要

人類を語る上で繰り返されるテーマは、資源との関係である。歴史上、地球上の人類は、土地で採集、狩猟、採掘、そして栽培できるもの、バイオマスの燃焼、人間や動物の労働、そして風や水の移動によるエネルギーで生き延びてきた。鉱物の利用は、利用可能なエネルギーと道具、そして製錬のための木材の必要性によって制限されるのが一般的であった。そのため、維持できる人口や一人当たりの生産量、消費量に限界があった。

産業革命が起きると、石炭、そして次第に石油や天然ガスが使われるようになり、より多くのエネルギーが消費され、より多くの土地が食料生産に使われ、人口が増え、都市や交通網がますます大規模になった。工業生産と消費の増大は、あらゆる材料の使用量の増加をもたらし、その採掘と生産は、大量の化石燃料エネルギーの使用によって可能となった。

しかし、原材料の生産、製品への加工、そして製品の使用後の廃棄に伴う環境負荷は増大している。このような「直線経済」の物質フローを維持するためには、物質資源、特に化石燃料の利用可能性、大量の廃棄物に対する生物圏の能力、様々な汚染や排出物、特に燃料の燃焼や農業の影響による温室効果ガスなど、いくつかの制約があることは以前から明らかであった。これらの制約は、経済活動の継続、ひいては地球が人口を維持する能力を脅かすものである。

エネルギーや資源の制約に対処するために、再生可能エネルギーやバイオテクノロジーへの移行、資源利用の効率化を図るための「スマート」なデジタルツールの活用、修理や改修、マテリアルリサイクルをより多用する「循環型経済」の採用など、さまざまな技術的解決策が提案されている。現在、このようなさまざまな技術的解決策は、特に気候変動への対応策として、研究開発と継続的なイノベーションを通じて、「グリーン成長」を維持しながらこの存亡の危機に取り組むことができるという観点から、盛んに推進されている。

本書は、フィリップ・ビホワが、このような「ハイテク」アプローチに懐疑的であることを示し、代替策を提案するために書かれたものである。電子機器や再生可能エネルギー装置などのいわゆる「グリーン」テクノロジーは、再生不可能な資源をより多く使用する必要があり、また、リサイクルの損失や分散により、真の循環型経済が達成されるにはほど遠いからだ。

また、「グリーン成長」という概念も、長期的には危険で不合理なものだという。世界規模で2%の成長率を維持することは、37年ごとにGDP(国内総生産)を2倍にすることであり、1000年ごとに約3億9000万倍にすることを意味する。経済学者は、経済パフォーマンスと資源の使用や排出を切り離すことができると考えている。つまり、GDPを増やすと同時に、汚染物質の排出や廃棄物、資源の消費を減らすということだ。しかし、今から1000年後に、今より3億9000万倍も効率がよく、インパクトの少ない技術ができているとは思えない。もし、私たちが技術から得られる利点を享受しようとするならば、まず、私たちのニーズを問い直し、倹約や充足のアプローチと技術の巧みな利用を目指さなければならない。

本書では、この議論を大きく4つのパートに分けて展開している。プロローグに続いて、第Ⅰ部では、古代以来、科学技術は常に資源不足に対応してきたことを振り返り、工業化学、エネルギー技術、食糧生産と貯蔵、建設資材の起源を説明し、なぜ今回はハイテクによる解決策でないのかを解説している。

第2章 では、ローテク・アプローチの原則を展開し、ニーズを問い直し、シンプルさと和やかさ、ローカリゼーション、真の持続可能性のための設計と製造の探求に根ざしている。

第3章 では、農業と食料、輸送、建設、製品、金融、情報技術、恋愛とレジャーなど、さまざまなトピックを取り上げ、ローテク時代の日常生活とはどのようなものかを探っている。

第4章 では、「移行は可能か」という問いを投げかけ、政治的、文化的、道徳的な問題を探り、移行が必要であれば、それは確かに可能であり、私たちには十分な技術、資金、社会、組織のリソースがあると結論付けている。最後のエピローグでは、行動への呼びかけをさらに発展させている。

英語版への序文

2014年にフランスで出版された『L’Âge des low tech』は、より技術的な社会への競争は危険をはらんでいると警告し、より和やかで適切なアプローチを呼びかける世界中の数多くの著作に加わった。『L’Âge des low tech』の特徴は、工学的な視点から、歴史的な背景を明確にした上で、未来の「ローテク」世界について、日常的に使用する人工物のデザインの変更から社会・政治の広範な変革に至るまで、具体的に提案していることだろう。2017年にクリス・マクマホンがこの本とフィリップの文章やインタビューに初めて出会ったとき、この作品の強い工学的視点に惹かれたのである。この英語版は、クリスがフィリップに、翻訳が存在するのか、あるいは予定されているのかを尋ね、その後、ボランティアで翻訳を作成したことから生まれた。

初版から6年、気候変動問題はますます緊急性を増し、「気候の非常事態」という言葉が広く使われるようになり、社会的な関心も高まっている。また、プラスチック汚染や農薬の影響、土壌の劣化などの懸念も高まっており、ピークオイルの問題や他の限られた資源の生産における同様のピークも消えてはいない。しかし、CO2排出量、石油・石炭・鉱物の消費量、プラスチックの生産量、自然生息地の破壊量など、その数値は上昇の一途をたどっている。グリーン・テクノロジーに支えられた 「ビジネス・アズ・ユー・スタディ」は、まだ解決策にはなっていないのである。『L’Âge des low tech』のメッセージは、これまで以上に重要であり、適切だ。

この本はもともとフランスの読者に向けて書かれたものである。翻訳を始めたとき、英語圏の読者に理解しやすく、適切なものにするためには、多くの変更が必要かもしれないと考えた。しかし、翻訳草稿の読者はそれに反対し、海外の読者にも理解しやすい例文だと感じてくれた。フランス語の例を残したところ、それが与えるメッセージは、より広い文脈に容易に伝達された。しかし、私たちは翻訳の機会を捉えて、提示されたデータを更新し、特に例や文章をより広いヨーロッパあるいは世界の文脈に広げることができた。

社会の安定を維持しながら環境問題に対処するための決断は、おそらく容易ではないだろう。本書が、技術的にも社会的にも本当に持続可能な産業システムと文明への道筋を見出すためのささやかな一助となれば幸いである。

フィリップ・ビホイックス、クリス・マクマーン 2020年4月

プロローグ

エビの狂騒曲

1940年5月。ドイツ軍の機甲部隊はフランス軍の戦線を突破し、恐怖におののいた人々は、難民であっという間に渋滞する道路に押し寄せている。誰も使わない情報を集めるため、敵陣上空から決死の覚悟で送り込まれたスポッター機から、アントワーヌ・ド・サンテグジュペリはこの惨状を思い浮かべている。

この中で最も哀れだったのは、古い自動車だった。農耕用カートのシャフトに直立している馬は、堅固な印象を与える。馬は部品を必要としない。農耕車なら釘3本で形がつくれる。しかし、このような機械時代の名残がある。ピストン、バルブ、マグネト、ギヤ・ホイールの集合体。壊れる前にどれだけ走れるだろう?

親愛なるサンテックスよ、あなたの洞察に満ちた考察を、ローテクでシンプルな技術の例として用いたことをお許しほしい。もちろん、勇敢な飛行家であるあなたは、先進的な技術に全面的に納得していたはずだ。しかし、あなたは、昨日の優雅な車を捨てて、馬と馬車に戻ることを提案したのである。私は、この産業社会が直面している重要な問題を、これ以上要約するものはないと思う。ピストンとバルブをトランジスタとコンデンサーに置き換えて、エレクトロニクスを機械に置き換えても、その洞察は1940年当時と同様に今日も新鮮である。技術的に複雑化し、グローバル化し、専門化したこの世界は、簡単に手に入るエネルギーや材料の不足、公害、特に気候変動、あるいはより深刻な新しい金融・経済危機など、どんなカタストロフィにも耐えることができるだろうか?

本書は、現在の環境問題や社会問題に対してトップダウン的な解決策を求めるのではなく、イノベーション、ハイテク、デジタル化、競争、ネットワーク化、成長–「持続可能な開発」「グリーン成長」「経済2.0」などの名称を与えて–ではなく、よりシンプルで基礎的な技術に基づく社会をできるだけ早く構築しなければならないという、私の知る限り過激なテーゼを展開するものである。この考え方は新しいものではない。1940年代から1950年代にかけて、ベルナール・シャルボノーやジャック・エルール2といった作家が、より技術的な社会に向かう競争を非難し、1960年代から1970年代にかけて、イヴァン・イリッヒ3やエルンスト・フリードリヒ・シューマッハ4が「共生的」「中間」技術の使用を主張した。最近では、Langdon Winner5やJohn Michael Greer6といった作家が同じような考えを展開し、Kris de Deckerは過去の知識と技術の歴史的分析とリフレッシュを目的とした非常に包括的なウェブサイトを立ち上げ、現在は書籍として出版されている7。

その前に、私がこのような考え方をするようになったきっかけについて、読者に説明する必要がある。しかし、私が馬車を選んだのも、ハイテク、研究開発、イノベーションを信奉する大多数の技術者たちと正反対の考えを持ったのも、何も運命的なものではない。要するに、私はなぜ、今日の常識とは逆の、また、止むことのない進歩を前提とする人たちとは矛盾する見方をしなければならないのか、その理由を説明しなければならないのである。

月着陸の2年後に生まれた私の子供時代は、他の多くの世代と同様、多くの科学技術に触れ、SF映画に興じ、「革命的」な製品に囲まれたものであった。私が10歳の年には、スペースシャトル・コロンビアがケープカナベラルから飛び立ち、そのポスターは今でも子供の頃の部屋の壁に貼ってある。その数ヵ月後には、探査機ボイジャー2号が送信した土星の素晴らしい画像がパリ・マッチ紙に掲載された。1980年代初頭には、電子計算機、日本初の小型リチウム電池を搭載したデジタル時計、携帯型ゲーム機など、家電製品の最初の波が到来した。学生だった私たちは、文部省から支給された初期のコンピューターで、「スペースインベーダー」などの低解像度のアーケードゲームを何時間もかけてプログラミングした(フランスの技術支援と、国有化されたばかりのトムソン-CSF社のライバル、アムストラッド社に対する支援として支給されたと思う-プロセッサはモトローラ製だったが、まあいいや)。そして、まもなくソニーのウォークマンが登場し、移動中に音楽を楽しむことができるようになった。

要するに、人生には流れがあり、その流れは明らかに直線的であった。もちろん、技術的な失望もあった。1950年代の大衆科学雑誌は、メーターで計れないほど安い電気、原子力自動車やトースター、さらには都市移動用のヘリコプターなどを発表したが、少し早すぎたようだ。また、予測に反して、超音速飛行機が何百機も海を渡ることはなかった。しかし、新しい情報が次々と飛び込んでくる中、不機嫌な一部の人たちだけが覚えていた。

もちろん、地球上のすべてが完璧であったわけではない。発展途上国の発展は期待されたほど速くはなかったが、誰もが自分たちのせいだと考えていた。脱植民地化はまだ最近のことであり、冷戦を背景にした「技術移転」計画が本格化していた。ソ連圏の人たちは、ちょっと苦労しているようだが、スパイ映画の格好のシナリオになる。公害はあったが、少なくとも人々の認識では、局地的なものだった。水俣病の水銀中毒はひどいものだったが、それほど多くの人に影響を与えたわけではないし、遠く離れた場所だった。水俣病の水銀中毒はひどいものだったが、それほど多くの人に影響があったわけでもなく、また遠く離れた場所でもあった。

それは、公害のレベルを下げ、明るい未来を約束する新しい現象、すなわち脱工業化現象が現れたからだ。特に石炭採掘や、高炉、冶金工場などの目に見える産業がある地域では、ヨーロッパ全土でその影響が見られた。鉄鋼業の場合、脱工業化とは生産設備の合理化であり、需要の減少に伴う生産能力の下方調整であった。戦後復興の努力で、1940年代後半から1970年代にかけての成長期は過ぎていた。石炭鉱山にとっては、もはや生産性のない鉱山の閉鎖の方が問題であった。しかし、生産拠点の移転による脱工業化という新しいトレンドは、気づかないうちに形作られていた。Made in Europeが他の場所へ移っていったのである。1970年代以降、日本製品は「メイド・イン・USA」を後退させるようになった。ヨーロッパの産業界も東に目を向け、香港やシンガポールといった都市国家が、世界の工場となる準備を進める中国を後ろ盾に、サクセスストーリーを始めていた。

あとは存知の通りである。ベルリンの壁が崩壊し、明るい未来への希望が生まれる一方で、オゾン層の破壊、森林破壊、そして気候変動と、人間の活動が地球全体に及ぼす影響について議論されるようになった。オゾン層の破壊、森林破壊、そして気候変動。2000年代初頭の一時期、このような問題は、第一次インターネットの狂騒と「経済の脱物質化」に取って代わられたが、すぐに疑問がよみがえった。2002年にフランスのシラク大統領が南アフリカで言った言葉を思い出してほしい。「私たちの家は燃えており、私たちは他の場所を見ている。[中略)私たちは知らなかったと言うことはできないだろう」8。

このようなことが起こっている間、私は教育を受けていた。私は、学校で方程式の解き方を他の人より少し早く学び、フランスの実力主義の典型的な産物となり、科学と工学の分野で輝かしい未来を約束されていた。しかし、数年間の産業界での経験により、私は経済システムの物質的な現実とその物理的な帰結を発見することができたのである。「環境」アプローチは限られた効果しかなく、ヨーロッパと世界の統合が進行中だった。北海で獲れた貝が、人件費の関係でモロッコに運ばれて殻を剥かれる「エビの乱舞」や、1992年に原料が9000キロ以上移動したイチゴヨーグルトは、私に進歩というものに対する懐疑心を抱かせるのに役立ったのである。

しかし、幸いなことに、「持続可能な開発」という概念が登場し、この問題を解決することができた。1987年に発表された「ブルントラント報告書」で、この概念が正式に発表され、地球規模の課題への対応の先駆けとなったのである。私と同じように、今やあらゆるものが「サステナブル」になっていることにお気づきだろう。「エコデザイン」でない製品、「エコ・ネイバーフッド」でない都市開発、「低消費」「環境にやさしい」でない重要な建物はない。道路、空港、F1レースでさえ、ヒキガエルを潰さないようにするための対策や、より効率の良いエンジンの開発のおかげで、環境に優しいと宣言されるようになった。すべての大企業と地域社会は、「持続可能な成長のための」戦略を提示し、地球へのコミットメントを促進し、もちろんすべて「グリーン」である主要データを提示するために、厚い報告書を作成し、当初は光沢紙で、現在は「持続可能なソース」を使用している。今は、「循環型経済」や「インダストリアル・エコロジー」という、驚くべき矛盾をはらんだ、現代の偶像の時代なのである。

ここ数年、私たちはそれを実践してきたが、ほとんど効果はなかった。森林を保護し、燃料を節約するために、木を切り、石油を燃やしてきた。持続可能な開発という言説は、使い古され、ねじ曲げられ、転用され、劣化し、私たちを病気にさせるほど馬鹿げたものになっている。しかし、事実は頑固なものである。エンジニアなら誰でもそうだが、私は事実と数字が好きなのである。現実には、私たちは今ほど大量に生産し、消費し、廃棄したことはない。ミツバチは都市に避難し、農薬業界の「革新的な」分子よりもディーゼルの煤煙を好む。ゴミ箱は満杯で溢れかえっている。ゴミの重量は多少減らしても、その有害性は増すばかりで、リサイクル率も伸び悩んでいる。

多くのヨーロッパ諸国は、自分たちが真の環境移行期にあり、徳の高い国であると考えている。しかし、フランスで何が起こっているかを考えてみよう(図01参照、バリエーションがあれば多くのヨーロッパ諸国で同様の図が見られるだろう)。フランスでは、住民一人当たり年間約2トン、一日当たりほぼ5キロの産業廃棄物を排出している。つまり、平均120kmの距離を約100kgの商品が移動していることになり、その88%は道路によるものである。都市の拡大が示すように、国土の約1%(フランスの行政区画の大きさ9)が10年間で建設され、その後わずか7年間でさらに1%が建設されたのである。スーパーマーケットの駐車場の舗装路の下では、何百年もの間、食用に適したものは何も生産されない。地球規模で見ると、世界人口の20パーセントが80パーセント以上の資源を搾取し続けており、一世代で人類の歴史上最も多くの金属を地殻から取り出そうとしているのである。この増加の原因を新興国、とりわけ中国に求めたいのはやまやまである。しかし、中国の資源消費は、世界の工場としての役割も担っており、その生産物のかなりの部分を直接または間接的に輸入していることを忘れてはならない。

世界は映画のセットのようなものである。消費者にとってのファサードは、今でもよく見えようとするものである。広告でも、スーパーマーケットの棚でも、すべてが偽りのないものである。しかし、ファサードの裏側には現実がある。たとえ善意であっても、隠された結果がある。私はフランスで携帯電話を買うことができるが、そうすることでコンゴの鉱山労働者を搾取し、パプアニューギニアの原生林を破壊し、ロシアのオリガルヒを潤し、中国の水源を汚染し、12〜18カ月後にはガーナかどこかに電子ゴミを捨てることになる。

世界は、私たちの経済産業システムを象徴する巨大なエスプレッソマシンのようなもので、使用済みのコーヒー豆のカプセルはマシンの底に消えていく。ゴミは、ゴミ箱を素早く目立たなく空にできるまで、そこに保管される。余裕のある人は、その作業さえも清掃員がやってくれるかもしれない。こうしている間にも、密猟者は最後の象を追い求め、残された原生林は紙くず(タスマニアとカナダ)、合板とアブラヤシ農園(インドネシアとマレーシア)、遺伝子組み換え大豆農園(ブラジルとアルゼンチン)に姿を変え、海はプラスチック破片に覆われ、土地と水は農薬で永久に毒されつつある。誇れるものはほとんどない。

化石燃料や金属などの再生可能な資源と、再生不可能な資源という、将来起こりうる資源の制約に直面したとき、私たちはモリエールの医者のように振舞う。このような医師を、イギリス人は「ヒルヒ(蛭)」と呼ぶようになった。彼らは、出血すれば治ると信じ、患者が悪化すれば、採血が不十分だったということになる。私たちは、革新とテクノロジーを信条としている。何千年にもわたる探検、実験、革新の結果、私たちは19世紀と20世紀の驚異的な加速を手に入れたのである。しかし、それは公害という犠牲の上に成り立っており、現在では前例のない社会的・環境的破壊を引き起こしている。私たちは、今ここにある結果を自分自身で認めることさえ困難なのである。未知のもの、つまり人新世という厄介で残忍な病に直面しながら、私たちはいまだに将来の成長を望み、それが「グリーン成長」となり、私たちの過去の活動の影響を逆転させることを望んでいるか、望んでいるように見せかけている。さらに、「少しの成長が汚染をもたらし、多くの成長がそれを浄化する」(イノベーションの後押しのおかげで)ので、そのような成長は加速するはずだと、ばかげたことさえ言っているようだ。私はそれを信じてはいない。このプロローグで皆さんにお話ししたような多くの理由から、もう信じられない。しかし、ダンテの『神曲』のように、「すべての希望を捨てよ」(Lasciate ogne speranza, voi ch’intrate)とは言わないので、安心してほしい。それどころか、世界的な危機、紛争、崩壊、もっと簡単に言えば、不況や絶望を回避する方法があると信じている。そして、もしかしたらローテクの時代技術的に持続可能な文明の時代が来るかもしれないのである。

会員限定記事(一部管理用)

エピローグ

A Dream If Ever There Was One

世界は狂ってしまった。「彼ら」がおかしくなったのだ。このままでは、いずれ私たちもおかしくなってしまう。この「進歩」を止められないでいると、とんでもないことになる。今、フランスのポルニシェ・ラ・バウルの海岸では、夏になると、観光客のために砂浜を整備するために、小型の電動機械で貝殻の破片を取り除く作業が行われている。…..。誰がこんなことを決めたのだろう?足を傷つけられた海水浴客から集団訴訟を起こされるのを恐れた選挙管理委員会か?カンヌやビアリッツをベンチマークとしたコンサルタントか?砂浜の一部が貝殻でできていることを誰も指摘しなかったのだろうか?

物事はあまりにも遠くに行ってしまった。歯を磨くときに蛇口を閉め、あとは奇跡を起こすエンジニアやビジネスマンに頼っていては、地球は救えないし、少なくとも地球上の文明的な人類は救えないということを、私たちは認めた方がいいかもしれない。今こそ、私たちの運命を自分たちの手に取り戻すときなのである。

具体的にはどうすればいいのだろうか

快適性、移動性、消費に何の変化もなく、最高のものを手に入れられると約束する四方八方のサイレンに抗い、「私の方法はどれだけ環境に優しいか!」と主張するセールスマンに汚染され続けることはないだろう。いや、もはや循環型経済や再生可能エネルギー、その他あちこちに手を加えることで、豚のように消費し、無精者のように生産して捨てることを続けられるとは思えないのである。

この地球上では、残念ながら、どんな行動も影響を及ぼす。バリー・コモナーが書いたように、「フリーランチなど存在しない」1。電力網がなく、石油を待つ間の照明にマッコウクジラ油がまだ使われていた時代、捕鯨船の生活は不安定で、銛銃が発明される前は、手でリヴァイアサンに銛を打つ必要があったのだ。そして、ハーマン・メルヴィルのエイハブ船長は、「頼むからランプやキャンドルを経済的に使え! お前が燃やすのは1ガロンもないが、少なくともそのために1滴の人間の血が流されたのだ」と叫んだ2 見てみぬ振りをしても、今日も本当は何も変わっていない。…..。人間も、森も、海も、土壌も、川も、地球の裏側も、私たちの高価な生活の圧力で曲がっている。

私は、幼い頃からこの真実を子供たちに伝えるよう心がけてきた。なぜなら、「パパと一緒だとエレベーターに乗らないよ、オランウータンが死んじゃうからね」と言われたからだ。このことは、我が家で導入した(ほとんど)すべての工業用ケーキとそのパーム油のモラトリアムと少し混同している。一方、私の節電の試みは、気候変動を考慮して、より(哺乳類の領域にとどまり)白熊を対象としたものであった。また、我が家では、サンタクロースがハイテク玩具や機器を求める声に耳を貸さなかったとしても、それが彼らを悲しませることはないようで、全く逆である。

あらゆる場所で、可能な限り、あらゆる地理的規模で、家庭で、職場で、家族で、レジャーで、スローダウン、シンプル化、断捨離、リデュースを行おう。将来のシステム・ショックに耐えられるような、耐久性のあるローテクなものを選ぼう。生産的な活動、具体的なもの、土、石、単純な喜びを選ぼう。

大胆になろう、挑戦しよう、発明しよう、DIYしよう。そして、たとえそれが地球を救うのに十分でないとしても、最も単純な行動から最も困難な行動まで、選択すべき原則を日常生活に反映させることを躊躇してはならない。特に、危険な地球工学によって「惑星医学」を行おうとする前に。3 食料品を持ち帰るのに生分解性のビニール袋を使うのは、確かに少しはましである。あるいは、紙袋の方がもっといいに決まっている。しかし、紙袋であれプラスチック袋であれ、なぜ再利用しないのだろうか?あるいは、使い捨ての袋を一切使わないというのはどうだろう?私はパンをキャンバス地の袋に入れる。ほんの30年前まではみんなそうしていたのに、パン屋さんが変な顔をするので、今では近所で私一人しかいないのだろう。しかし、嘲笑されることを恐れず、先駆者となり、教育者となり、好奇心を持ち、模範となり、道徳心を持ち、隣人や店主や同僚と(再び)関わり、自分の快適さや確信に少し疑問を持つようにしようではないか。

常に自問自答してみよう。このままで良いのか?もっと少なくできないか?もっと簡単にできないか?ところで、なぜそうしなければならないのだろう?そして、すでにあるものでできないか?

時には、なるべく何もしないことを選択しよう。まず第一に、害を与えないこと、もう一度言うが、まだ保存できるものを破壊しないことだ。それはもう、本当の革命になるはずで、私たちは今日、そこから遠く離れている。それから、何が何でも「修復」しようとするのではなく、ある種の産業用地の復旧を注意深く見てほしい。

規制や禁止さえも美徳であることを再認識し、「市場の効率性™」だけに頼らないようにしよう。対策が迅速で、効果的で、模範的で、目に見える消費の主要な項目に取り組もう。自動車に関わるすべてのもの、その使用、重量、速度を削減し、消費者廃棄物を減らし、包装に制限を導入し、普遍的な預金と体系的な再利用を導入するためにいくつかの標準サイズのボトルを課し、農業における有機と地元の一般化、使い捨て製品、おもちゃ、電池などの販売の規制などである。関税障壁、関税、規制、標準を導入して、不可避の下方平準化、価格、社会・環境条件、製品品質への下方圧力に対抗しようではないか。

不可逆的なもの、特に土地開発、土壌汚染、都市のスプロール化、公共事業である高速道路、高速鉄道、トンネル、運河の最新の白い象に対して、優先的に闘おう。私たちの故郷を破壊することを、個人的な信用のため、あるいはあまり明白でない理由のために喜んでいる選出された議員に、習慣的に呼びかけよう。

20-30年や2050年のエネルギーミックスやCO2排出量について、事前に結果が分かっているような未来志向の報告書を作成するのはやめよう。世界はあまりにも速く動いており、私たちのシステムの複雑さ、グローバルな絡み合い、そして良くも悪くも適応と革新の驚くべき能力を考えると、ローカルな展開と結果を予測することはもはや不可能である。その代わりに、私たちは即座に勇気ある決断を下しよう。

公共サービス、企業、店舗、日常生活において、システムをより複雑にし、人間を機械に置き換えるようなあらゆる開発に抵抗しようではないか。派手な消費、特に富裕層の消費に代表される信じられないような不始末に反旗を翻そう。制限し、課税し、禁止し、必要なら差し押さえよう。疑いなく、私の提言は少しばかり自由主義的である。しかし、私たちが今でも誇りにしている啓蒙主義から受け継いだ基本原則は、ある者の自由は他の者の自由が始まるところで終わる、というものだろう?しかし、私たちはたった一つの惑星しか持っていない。もし、それを傷つけようとする人々がいるならば、真剣に議論しなければならないだろう。このような状況で、どうやって超富裕層の存在を受け入れることができるのだろうか?

世界の複雑さに圧倒され、次の選挙の結果を危うくするような大きな変化にも動じず、すべてを手に入れようとする(貧しい)経営者に成り下がった臆病な政治家たちの目を覚まさせ、揺り動かそうではないか。彼らの知的無能と視野の狭さには、本当に驚かされる。現状を維持しようとすることで生まれる不満や絶望を、一刻も早く理解した方が良いだろう。歴史は時に意外な形で発展し、必ずしも快適な方向には向かわないし、現在の警告のサインは良い兆候とは言えない。

最後に、私たちが諦めなければならないことについて不平を言う代わりに、経済システムや私たちの生活をどのように変えられるかについて夢を見ようではないか。私たちは、もっと魅力的な世界、もっと楽しい世界、もっと団結した楽しい社会、平和な文明、自然を尊重し、技術的に持続可能な世界にふさわしいのだと、自分たちに言い聞かせよう。そして何よりも、私たちにはそのための手段があるのだということを。

そのために、私はユートピアを作ろうとし、たとえば数世紀前にセバスチャン・メルシエがしたように、皆さんをパリの夢の中に導くこともできたはずだ。芝生の敷石、花で埋め尽くされた休耕地、ファサードに生えるツタ、藤、パッションフラワー、バージニアクリーパー、古い公園での野菜や果物の生産など、「理想」の緑の都市について話すことだ。車から解放され、テラスに変わり、チェスプレーヤー、スポーツ、音楽、アート、ガレージセールなど、大通りの占領を表現している。自然のリターンに魅了され、建物の中庭にコウモリやアオジタ、市場で蜂やスズメバチが、また、あなたはそれが肉屋やfshmongerのディスプレイ上の青いハエをブンブン飛ぶ良いものだけではないことを警告されている。または、ローテク時代の想像上の喜びの市民と、新しい経済、文化、道徳、政治システムについていくつかの言葉を持っている。

しかし、私にはメルシエのような才能はない だから

その間に、この生活を耐えられるものにするよう努力しよう。それが無理なら、せめてそうなるように夢見よう。..親愛なる同胞よ、私たちが不満でうんざりしている虐待の負荷の下でうめく声をよく聞くが、私たちの夢はいつ実現するのか?そして眠り続けよう。そこにこそ、私たちの幸福があるはずだから」4。

『ローテクの時代』についてのAI考察

by Claude Sonnet 4

ビウーの技術文明批判とその根本的問題提起

フィリップ・ビウー(Philippe Bihouix)のこの著作は、現代の技術文明に対する根本的な問いかけを投げかけている。まず感じるのは、著者が単なる技術悲観論者ではなく、工学的バックグラウンドを持つ実務家として、現実的な観察に基づいて論を展開していることだ。

ビウーの中心的な主張を整理してみよう。彼はハイテク技術による環境問題解決という現代の主流な見解に対して、むしろそれが問題を悪化させるという逆説的な視点を提示している。興味深いのは、これが単なる直感的な批判ではなく、資源の利用可能性、エネルギー効率の限界、リサイクルの物理的制約といった具体的なデータに基づいていることだ。

技術的解決主義への根本的疑問

まず考えてみたいのは、なぜ私たちは技術的解決を求めがちなのかということだ。これは人間の本質的な問題解決パターンなのだろうか。ビウーは歴史を振り返りながら、過去の技術革新が確かに資源不足に対する解決策を提供してきたことを認めている。しかし今回は違う、と彼は主張する。

なぜ違うのか。ここでビウーが指摘するEROEI(Energy Return on Energy Invested)の概念は重要だ。1930年代のサウジアラビアの油田では、2-3バレルの石油投入で100バレルを得られた。現在の洋上油田では10-20バレル投入が必要で、カナダのオイルサンドでは1バレル投入で3バレルしか得られない。つまり、エネルギー資源の質の劣化が進んでいる。

これは単純だが見落とされがちな物理的制約だ。金属については、品位の低下した鉱石からの採取により多くのエネルギーが必要になる一方で、そのエネルギー自体の取得コストも上昇している。まさにダブルバインドの状況だ。

リサイクルの限界という現実

ビウーの指摘で特に印象深いのは、循環経済の限界についての分析だ。私たちは金属が「無限にリサイクル可能」だと思い込んでいるが、現実は違う。ニッケルでさえリサイクル率は55%程度で、3回のリサイクルサイクルで80%の資源が失われる。希少金属に至っては1%以下のリサイクル率のものも多い。

これは熱力学第二法則の必然的な帰結でもある。完全な循環など存在しない。さらに現代製品の複雑性が問題を悪化させている。スマートフォン一台に数十種類の金属が含まれているが、それらを完全に分離・回収することは技術的に極めて困難だ。

グリーン成長という矛盾

グリーン成長という概念への批判も鋭い。ビウーは数学的に簡単な例を示す。年2%の成長は37年でGDPが倍増することを意味し、1000年では3億9000万倍になる。これが資源消費と完全にデカップリングできるという前提は、物理的に不可能だ。

現実に、いわゆる「グリーン技術」は従来技術よりも多くの希少金属を必要とする場合が多い。風力発電機のネオジム・ディスプロシウム磁石、太陽光パネルのガリウム・インジウム・カドミウム・テルル、電気自動車のリチウム電池…これらはすべて希少で採掘が環境破壊的な素材だ。

私が疑問に思うのは、なぜこのような明白な物理的制約が政策決定や技術開発において軽視されるのか、ということだ。経済学者や政策立案者の多くが工学的・物理的バックグラウンドを持たないことが一因だろうか。あるいは、短期的な政治サイクルと長期的な物理的制約のミスマッチが根本原因なのだろうか。

ローテク社会の具体像

ビウーの提案するローテク社会の具体像を検討してみよう。彼は7つの原則を提示している:

  1. ニーズへの疑問視
  2. 真の持続可能な設計・生産
  3. 資源経済利用への知識の方向付け
  4. 性能と親和性のバランス
  5. 良いスケールメリットを失わない再ローカル化
  6. サービスの脱メカ化
  7. 謙虚さを保つ

これらは理論的には魅力的だが、実践的な課題も多い。特に興味深いのは「ニーズへの疑問視」だ。確かに、なぜクリスマスライトで街を照らし続けるために複雑な再生可能エネルギーシステムを構築するのか、という問いかけは合理的だ。

日常生活における具体的変化

ビウーが描く日常生活の変化は、確かに多くの人には「後退」と感じられるだろう。自動車の大幅削減、建物内温度の低下(16-18℃)、消費財の大幅な耐久化と修理重視、包装材の削減…しかし、これらの変化によって得られるものも大きいかもしれない。

特に興味深いのは労働時間の削減の可能性だ。ビウーは自動車関連産業だけで経済システムの30-40%を占めていると推定している。もしそれが不要になれば、週2-3日の労働で済む可能性がある。これは魅力的な可能性だが、同時に巨大な転換コストも伴う。

実現可能性への疑問

最も重要な問題は実現可能性だ。ビウーも認めているように、このような転換は囚人のジレンマ的な構造を持っている。最初に動いた者が損をする構造では、集団行動問題が深刻化する。

歴史的な類例として、イギリスの奴隷制廃止を挙げているのは興味深い。確かに一国が先行し、その後二国間圧力と海軍力を使って他国にも拡大させた。しかし、現在のグローバル化した経済システムでは、このような一方的な行動ははるかに困難だろう。

技術決定論への警告

ビウーの議論で最も重要なのは、技術決定論への警告かもしれない。私たちは技術が自律的に発展し、問題を解決してくれると信じがちだが、技術の発展方向は社会的・経済的・政治的選択の結果だ。

現在のハイテク志向は、短期的利益、特許システム、軍事技術からの派生といった要因に強く影響されている。もし社会が意識的にローテクの方向を選択すれば、全く違った技術発展の軌道が可能かもしれない。

エネルギー問題の核心

エネルギー問題について、ビウーの見解は現実的だ。真に持続可能な再生可能エネルギーは、現在の西欧の消費水準の20-25%程度しか供給できないという推定は、おそらく正確に近いだろう。これは多くの人には受け入れがたい現実だが、物理的制約を考えれば避けられない。

問題は、この現実を社会がどう受け止めるかだ。徐々に適応していくのか、それとも急激な変化に直面するのか。ビウーは「ゆっくりとした沈没」のシナリオを示唆しているが、これは楽観的すぎるかもしれない。

文明論的な含意

より深く考えてみると、この本は単なる環境・技術論を超えた文明論的な問いかけを含んでいる。現代の技術文明は持続可能なのか。もし持続不可能であれば、どのような文明への転換が可能なのか。

ビウーの答えは明確だ。技術的複雑性を意図的に削減し、地域的な自立性を高め物質消費を大幅に削減する文明への転換だ。これは確かに「後退」の側面もあるが、同時に新しい可能性も開くかもしれない。

政治経済学的な課題

この転換の最大の障害は政治経済学的なものだろう。現在の経済システムは利子付き貸付に基づいており、これは必然的に成長を要求する。ビウーが指摘するように、マネーサプライの拡大なしには金融システムが維持できない。

これは根本的な制度改革を要求する。金融システム、所有制度、労働制度の全面的な見直しが必要だ。これは単なる技術的選択の問題を超えて、社会制度の根本的変革を意味する。

日本への含意

日本の文脈で考えてみると、ビウーの提案にはある種の親和性があるかもしれない。伝統的に日本社会には「もったいない」という概念があり、物の修理・再利用を重視する文化がある。また、職人技術への敬意も残っている。

しかし同時に、日本は高度に都市化・工業化された社会でもある。東京圏のような巨大都市圏でローテク社会への転換は可能なのか。ビウーは「脱都市化」を提案しているが、これは日本では特に困難だろう。

また、日本の製造業の多くは高精度・高技術を売りにしている。これらの産業が不要になるという前提は、経済的・社会的に巨大な転換を要求する。

実践的な第一歩

では、個人レベルで何ができるのか。ビウーの提案は実践的だ:

  • 不要な消費の削減
  • 修理可能な製品の選択
  • 地産地消の重視
  • 自動車依存の削減
  • エネルギー消費の削減

これらは個人的な選択として可能だが、システム全体への影響は限定的だろう。より重要なのは、政治的・制度的な変革への圧力を高めることかもしれない。

批判的検討

ビウーの議論にも問題がないわけではない。まず、技術発展の可能性を過小評価している可能性がある。確かに現在の延長線上での技術発展では限界があるが、根本的に異なるアプローチ(例えば常温核融合や室温超伝導)の可能性は完全に排除できない。

また、ローテク社会の社会的コストも十分に検討されていない。医療技術の後退は確実に人命に関わる。通信技術の後退は知識の共有や緊急時の連絡を困難にする。これらのトレードオフをどう評価するかは困難な問題だ。

さらに、グローバルな不平等の問題もある。先進国がローテク社会に転換する一方で、途上国が高エネルギー消費の発展を続けることは可能なのか。これは国際的な公正性の観点から重要な問題だ。

時間軸の問題

最も困難な問題の一つは時間軸だ。ビウーが描く転換には数十年が必要だが、気候変動や資源枯渇はより短いタイムスケールで進行している可能性がある。この時間的ミスマッチをどう解決するかは明確でない。

また、世代間の公正性の問題もある。現世代が快適な生活を諦めて将来世代のために犠牲を払うという選択は、民主主義社会では困難だ。特に短期的な政治サイクルの中では、長期的な視点に基づく政策決定は困難である。

技術と社会の共進化

より深く考えてみると、技術と社会は共進化の関係にある。ローテク社会への転換は、単に技術を変えるだけでなく、社会構造、価値観、生活様式の全面的な変革を伴う。これは歴史上稀な規模の社会変革となるだろう。

問題は、このような変革が平和的・民主的に実現可能かということだ。過去の大きな社会変革の多くは、戦争、革命、危機といった破壊的な出来事を伴った。ビウーが描く転換も、結局は危機に駆動されたものになるのかもしれない。

結論:複雑さの中の単純な真理

ビウーの『ローテクの時代』は、現代文明への根本的な問いかけを提起している。その核心は単純だ:有限な惑星で無限の成長は不可能であり、技術的複雑性の増大は問題の解決にならない

この認識から導かれる結論も明確だ:意図的な単純化消費の大幅な削減地域的自立性の強化技術システムの親和性重視。これらは確かに現代の主流な価値観に反するが、物理的制約を考えれば避けられない選択かもしれない。

最も重要な点は、これが単なる技術的選択ではなく、文明の選択だということだ。我々は複雑で脆弱な高技術社会を続けるのか、それとも単純で堅牢な低技術社会を選ぶのか。この選択は、おそらく今後数十年の間に、意識的であれ無意識的であれ、なされることになるだろう。

ビウーの貢献は、この選択を意識化し、低技術社会の具体的な可能性を示したことにある。それが実現可能かどうかは未知数だが、少なくとも現在の軌道が持続不可能であることは確かだろう。その意味で、この本は重要な警告であり、同時に希望の書でもあると言えるかもしれない。

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