
REALITY+ Virtual Worlds and the Problems of Philosophy
『Reality+: Virtual Worlds and the Problems of Philosophy』David J. Chalmers 2022
『リアリティ+:仮想世界と哲学の諸問題』デイヴィッド・J・チャーマーズ 2022年
目次:
- はじめに 技術哲学への冒険 / Introduction: Adventures in technophilosophy
- 第1部 仮想世界 / Part 1 VIRTUAL WORLDS
- 第1章 これは現実なのか? / Chapter 1 Is this the real life?
- 第2章 シミュレーション仮説とは何か? / Chapter 2 What is the simulation hypothesis?
- 第2部 知識 / Part 2 KNOWLEDGE
- 第3章 私たちは物事を知っているのか? / Chapter 3 Do we know things?
- 第4章 外部世界が存在することを証明できるか? / Chapter 4 Can we prove there is an external world?
- 第5章 私たちがシミュレーションの中にいる可能性は高いか? / Chapter 5 Is it likely that we’re in a simulation?
- 第3部 現実 / Part 3 REALITY
- 第6章 現実とは何か? / Chapter 6 What is reality?
- 第7章 神は上位宇宙のハッカーなのか? / Chapter 7 Is God a hacker in the next universe up?
- 第8章 宇宙は情報でできているのか? / Chapter 8 Is the universe made of information?
- 第9章 シミュレーションはビットから「それ」を創り出したのか? / Chapter 9 Did simulation create its from bits?
- 第4部 現実の仮想現実 / Part 4 REAL VIRTUAL REALITY
- 第10章 仮想現実ヘッドセットは現実を創り出すのか? / Chapter 10 Do virtual reality headsets create reality?
- 第11章 仮想現実装置は幻想機械なのか? / Chapter 11 Are virtual reality devices illusion machines?
- 第12章 拡張現実は代替現実をもたらすのか? / Chapter 12 Does augmented reality lead to alternative facts?
- 第13章 ディープフェイクによる欺瞞を回避できるか? / Chapter 13 Can we avoid being deceived by deepfakes?
- 第5部 心 / Part 5 MIND
- 第14章 仮想世界で心と身体はどのように相互作用するか? / Chapter 14 How do mind and body interact in a virtual world?
- 第15章 デジタル世界に意識は存在しうるか? / Chapter 15 Can there be consciousness in a digital world?
- 第16章 拡張現実は心を拡張するか? / Chapter 16 Does augmented reality extend the mind?
- 第6部 価値 / Part 6 VALUE
- 第17章 仮想世界で良い人生を送れるか? / Chapter 17 Can you lead a good life in a virtual world?
- 第18章 シミュレートされた命は重要か? / Chapter 18 Do simulated lives matter?
- 第19章 仮想社会をどのように構築すべきか? / Chapter 19 How should we build a virtual society?
- 第7部 基礎 / Part 7 FOUNDATIONS
- 第20章 仮想世界における私たちの言葉の意味は? / Chapter 20 What do our words mean in virtual worlds?
- 第21章 塵の雲はコンピュータプログラムを実行するか? / Chapter 21 Do dust clouds run computer programs?
- 第22章 現実は数学的構造なのか? / Chapter 22 Is reality a mathematical structure?
- 第23章 私たちはエデンの園から追放されたのか? / Chapter 23 Have we fallen from the Garden of Eden?
- 第24章 私たちは夢の世界におけるボルツマン脳なのか? / Chapter 24 Are we Boltzmann brains in a dream world?
本書の概要:
短い解説:
本書は、仮想現実(VR)技術と哲学の伝統的問題を結びつける「技術哲学」の試みである。著者のチャーマーズは、仮想世界が「本物の現実」であると主張し、このテーゼを「リアリティ+」と名付ける。対象読者は、仮想世界の哲学的含意に関心を持つ一般読者から哲学専門家まで幅広い。目的は、仮想世界に関する考察を通じて、知識、現実、価値といった哲学の根本問題に新たな光を当てることにある。特に、デカルトの「外部世界の問題」に対して、仮想現実の分析から独自の解答を提示する。仮想世界が単なる幻想や逃避の場ではなく、意味のある生活が営まれる「現実」として認められるべきだとする立場は、技術と哲学の対話を深める刺激的な視座を提供する。
各章の要約
第1部 仮想世界
第1章 これは現実なのか?
荘子の胡蝶の夢、ナラダの変身、プラトンの洞窟の比喩という三つの古代の物語を手がかりに、仮想世界が提起する三つの核心的な哲学的問いを導入する。知識に関する問い(私たちは仮想世界にいるかどうかを知ることができるか)、現実に関する問い(仮想世界は現実か幻想か)、価値に関する問い(仮想世界で良い人生を送れるか)である。これらの問いは、認識論、形而上学、価値論という哲学の主要分野に対応し、仮想世界の哲学的探求の基礎を築く。
第2章 シミュレーション仮説とは何か?
コンピュータシミュレーション技術の進歩を背景に、私たち自身がシミュレーションの中にいる可能性を示す「シミュレーション仮説」を検討する。この仮説は、思考実験やSF作品(『マトリックス』など)を通じて発展してきた。シミュレーションには、外部の脳が接続される「不純なシミュレーション」と、内部で完全にシミュレートされる「純粋なシミュレーション」などの区別がある。著者は、完全なシミュレーションからは内部で証拠を得ることは不可能であり、この仮説は科学的に検証可能な仮説というより哲学的仮説であると論じる。シミュレーション仮説は、私たちが仮想世界にいるという「仮想世界仮説」と等価である。
第2部 知識
第3章 私たちは物事を知っているのか?
デカルトの『省察』を出発点として、外部世界についての知識を疑う「懐疑論」を紹介する。デカルトは、感覚の欺き、夢、悪意の悪魔という三つの議論を用いて、私たちが外部世界について何も確実に知りえない可能性を示した。現代版では、これらは「仮想現実の議論」や「脳槽の脳」、そして「シミュレーション仮説」へと発展する。これらのシナリオを排除できないならば、私たちは外部世界について何も知りえないという「懐疑論の主議論」が成立する。デカルト自身は「我思う、故に我あり」によって懐疑を乗り越えようとしたが、外部世界への知識をどのように再構築するかが難問として残る。
第4章 外部世界が存在することを証明できるか?
歴史的に提案されてきた懐疑論への反論を検証する。デカルトの神を経由した議論、バークリーの観念論(存在することは知覚されること)、論理実証主義者による懐疑的仮説の無意味性の主張、パトナムの矛盾性の主張、ラッセルの単純性への訴え、ムーアの常識的な反論(「ここに一方の手、ここにもう一方の手がある」)などである。著者は、ジョナサン・ハリソンの「シミュレーションへの反駁」(「シミュレーションの中にいる人もそう言うだろう」)を用いて、これらの反論の多くが有効ではないと論じる。私たちがシミュレーションの中にいる可能性を真剣に排除できないという結論は揺るがない。
第5章 私たちがシミュレーションの中にいる可能性は高いか?
ニック・ボストロムらによって提唱された「シミュレーション議論」を詳細に検討する。この議論は、将来的に多くのシミュレーションが作成され、シミュレートされた意識存在の数が非シミュレートされた存在を大幅に上回るならば、私たちがシミュレーションの中にいる確率が高い、と論じる。著者は、この議論の様々な前提(シミュレーションの可能性、実現の容易さ、作成する動機など)と、私たちが特別な存在であることを示す「非シミュレーションの徴」の可能性を検討する。完全な確信は得られないものの、シミュレーション仮説は無視できない確率を持つ「深刻な可能性」であると結論づける。したがって、私たちがシミュレーションの中にいないと知ることはできない。
第3部 現実
第6章 現実とは何か?
「仮想現実は本物の現実である」という本書の中心テーゼを擁護する「仮想実在論」と「シミュレーション実在論」を提示する。これに対立する見解として、仮想世界を幻想やフィクションと見なす「仮想虚構説」を位置づける。「現実である」ことの意味を明らかにするため、存在、因果力、心からの独立性、非幻想性、真正性という五つの基準からなる「現実チェックリスト」を提案する。著者は、たとえ私たちが完全なシミュレーションの中にいたとしても、そこで知覚される対象(机や椅子など)はこれらの基準のほとんど、あるいは全てを満たす「現実」であると論じる。シミュレーション仮説は、何も存在しない懐疑的仮説ではなく、現実の性質についての形而上学的仮説なのである。
第7章 神は上位宇宙のハッカーなのか?
シミュレーション仮説と神の存在論議の関係を探る。シミュレーションの創造主(シミュレーター)は、私たちの宇宙を創造し、それに対して強大な知識と力を持つ点で、一種の「神」と見なすことができる。しかし、伝統的なアブラハムの宗教の神のような完全な善性や、宇宙全体の創造主であることまでは必ずしも要求されない。著者は、シミュレーション議論が、宇宙の創造主の存在を支持するある種の議論として機能しうることを示す。これは超自然的な神ではなく「自然的な神」の可能性を開く。しかし、著者自身は、いかなる存在も崇拝に値するとは考えないという理由から、自身を無神論者と位置づける。
第8章 宇宙は情報でできているのか?
ライプニッツの二進法やコンウェイの「ライフゲーム」を例に、物理的世界が究極的にはビット(情報)のパターンから構成されているとする「it-from-bit(それ-from-ビット)仮説」を検討する。情報には、事実に関わる「意味的情報」と、ビットの構造に関わる「構造的情報」がある。コンピュータにおけるビットは電圧などによって物理的に具現化され(「bit-from-it」)、因果力を持つ。ジョン・ホイーラーらによって提唱された「デジタル物理学」は、物理法則をビットの相互作用するアルゴリズムとして記述できる可能性を示唆する。この仮説が真実であれば、物理的実体(「それ」)は情報(「ビット」)から構成されていることになる。
第9章 シミュレーションはビットから「それ」を創り出したのか?
シミュレーション仮説と「it-from-bit創造仮説」(宇宙が創造主によってビットから創られたとする仮説)が実質的に等価であると論じる。完全なシミュレーションは、物理的世界の数学的構造をビットのレベルで再現する。物理学についての構造主義的見解(物理的対象はその数学的・観測的役割によって定義される)を採用すれば、その構造を再現するデジタル対象は本物の物理的対象(光子やクォーク)なのである。したがって、シミュレーションが真実であれば、私たちの周りの机や椅子はビットから構成される「現実の」対象である。この「シミュレーション実在論」は、シミュレーション仮説を用いた懐疑論の主議論の第二前提(シミュレーションの中では何も現実ではない)を退ける決定的な応答となる。
第4部 現実の仮想現実
第10章 仮想現実ヘッドセットは現実を創り出すのか?
一時的な没入型VR(『スノウ・クラッシュ』のメタバースのような)における仮想対象の存在論的ステータスを問う。一般的な見解である「仮想虚構説」(仮想対象はフィクションである)に対し、著者は「仮想実在論」を擁護する。その核心が「仮想デジタリズム」である。仮想対象は、コンピュータ内に存在するデータ構造、すなわち「デジタル対象」であると論じる。これらの対象は、他の仮想対象やユーザーに影響を与える因果力を持ち、私たちの心から独立して存在する。仮想の子猫は生物学的な子猫と同じ種属には属さないが(基盤依存性)、仮想の図書館や計算機は本物の図書館や計算機でありうる(基盤中立性)。仮想対象は、現実チェックリストの五つの基準のうち四つを満たす、れっきとした「現実」なのである。
第11章 仮想現実装置は幻想機械なのか?
VRが「幻想」や「幻覚」を生み出すという通説に異議を唱える。メル・スレイターらの議論(場所の幻想、もっともらしさの幻想、身体所有権の幻想)を検討する。著者は、VR体験が常に幻想であるわけではないと論じる。熟練したユーザーは、仮想空間を「仮想空間」として、仮想対象を「仮想対象」として、仮想身体を「自分の仮想身体」として知覚する。これは、鏡を「鏡」として知覚する専門家の経験と同様に、正確な知覚であり幻想ではない。VRは幻想機械たりうるが、本質的に幻想機械なのではなく、多くの場合「現実機械」として機能する。仮想世界で起こることは「現実に」起こっているのである。
第12章 拡張現実は代替現実をもたらすのか?
拡張現実(AR)技術がもたらす認識論的・形而上学的問題を考察する。ARは物理的現実に仮想オブジェクトを重ねるが、これは「代替的事実」の拡散につながる可能性がある。著者は、ARが客観的現実を歪める危険性を認めつつも、適切に使用されれば現実を「拡張」するものであると論じる。重要なのは、AR体験においても、仮想的要素と物理的要素の区別を維持することである。AR環境での情報の信頼性を確保する社会的・技術的メカニズムの必要性が強調される。
第13章 ディープフェイクによる欺瞞を回避できるか?
AIによって生成された偽の映像・音声である「ディープフェイク」が、個人や社会に対する深刻な脅威となりうることを論じる。ディープフェイクは、私たちの現実認識や信頼の基盤を侵食する。著者は、この問題をデカルト的懐疑論の現代的現れと位置づける。しかし、完全な懐疑に陥るのではなく、情報の出所の確認、技術的検証手段、批判的思考、教育的アプローチなど、現実的な対応策を講じる必要性を主張する。真実と虚偽を見分ける社会的実践の重要性が強調される。
第5部 心
第14章 仮想世界で心と身体はどのように相互作用するのか?
仮想世界における心身問題は、内的視点と外的視点で異なる。仮想世界の住人にとって、物理法則は仮想空間内の物体に適用されるが、人間プレイヤーの精神は仮想空間の外(非仮想の脳)に存在する。これはデカルト的二元論に類似しており、仮想世界の内部から見れば精神は非物理的である。一方、仮想世界の外部から見れば、脳も物理的プロセスであり、一元論が成立する。不純粋なシミュレーション仮説(脳が仮想世界の外にある)は、精神と身体の相互作用に関する従来の難問を自然主義的に説明する可能性を開く。著者はこう述べる。「シミュレーション推論は、デカルト的二元論が少なくとも一貫した可能性であることを示している。」
第15章 デジタル世界に意識は存在しうるか?
意識の「ハードプロブレム」は、物理的プロセスがなぜ主観的経験を生むのかを説明することである。哲学的ゾンビ(行動は同じだが意識がない存在)の可能性は、他者意識の問題を浮き彫りにする。脳の完全なシミュレーションが意識を持つかどうかは、漸進的アップロードの思考実験から検証できる。神経細胞を一つずつシミュレート部品に置き換えても、行動と意識の報告は変わらない。この連続性から、完全なシミュレーション脳も意識を持つと推論される。これは、純粋シミュレーション仮説とマインドアップロードの可能性を支持する。著者はこう述べる。「シミュレートされた脳は、少なくとも特別な場合において、意識を持つことができる。」
第16章 拡張現実は心を拡張するか?
拡張現実(AR)やスマートフォンなどの技術は、記憶、ナビゲーション、意思決定などの心的プロセスを外部にオフロードする。これは「拡張された心」の仮説を支持する。アルツハイマー患者オットーがノートに依存する例と、通常の記憶を持つインガを比較すると、両者の記憶プロセスは機能的に等価である。この同等性原理に基づけば、信頼性と利用可能性が高い外部ツールは心の一部となりうる。ARは技術とのシームレスな結合を促進し、認知プロセスをさらに拡張する。著者はこう述べる。「道具が正しい役割を果たすとき、それは文字通り心の一部となるのである。」
第6部 価値
第17章 仮想世界で良い人生を送れるか?
ノージックの「経験機械」思考実験は、快楽主義(経験のみが価値の源泉)に反論する。しかし、標準的な仮想現実(VR)は経験機械とは異なり、没入的で開放的であり、ユーザーは自身の行動が仮想世界に影響を与えることを知っている。仮想世界における価値は、快楽主義、欲望充足説、社会的関係説、客観的リスト説のいずれの観点からも成立しうる。長期的なVRでは、感覚体験や社会的交流が物理的現実と同等になりうる。自然や歴史、出生と死の不在は価値を損なう可能性があるが、仮想世界特有の新たな価値と引き換えにできる。著者はこう述べる。「仮想世界での生活は、少なくとも原理的には、非仮想世界での生活と同じくらい価値がありうる。」
第18章 シミュレートされた生命は重要なのか?
倫理的考察のための思考実験として、トロッコ問題と移植問題がある。構造的に類似しているにもかかわらず、我々の直感は異なる。道徳的地位の根拠は意識にあると著者は主張する。哲学的ヴァルカン(感情的な意識状態はないが、他の意識はある)の思考実験は、単に苦楽だけが道徳的地位をもたらすという見方(ベンサム/シンガー)に反論する。完全なシミュレーション人間が意識を持つなら、彼らは我々と同等の道徳的地位を持つ。したがって、シミュレーション内の5人を犠牲にして非シミュレーションの1人を救うことは許容されない。シミュレーションを作成する行為そのものも、その中の存在を単なる手段として扱わない限り、道徳的に問題となりうる。著者はこう述べる。「シミュレートされた人間は、少なくとも意識がある限り、我々と同等に道徳的に重要なのである。」
第19章 仮想社会をどのように構築すべきか?
仮想世界における倫理と政治は、現実世界のそれを反映する。LambdaMOOでのバーチャルな性的暴行事件は、仮想世界での行為が現実の害をもたらしうることを示した。仮想世界の創造者には、ユーザーへの影響を考慮する責任がある。政治形態としては、無政府状態、独裁、企業統治、民主主義などが可能である。仮想的豊穣(仮想世界における物質的資源の無限の複製可能性)は、分配的正義に関する問題を緩和する可能性がある。しかし、名声や権力などの地位的財、および人種や性別に基づく抑圧などの社会的関係における不平等は残る可能性が高い。著者はこう述べる。「仮想世界は、少なくとも分配的正義に関する限り、ユートピア的可能性を秘めている。」
第7部 基礎
第20章 仮想世界における言葉の意味は?
言葉の意味は、話者の環境に依存する(意味の外部主義)。地球と双子地球(H2Oの代わりにXYZがある)の思考実験では、「水」という言葉が指す対象が環境によって異なる。同様に、仮想地球(Sim Earth)で育った住人の「水」や「木」は、仮想的な水や木を指す。したがって、仮想世界の内部から「ハリケーンが私を濡らす」と発言すれば、それは(仮想世界における)真実である。パトナムは外部主義を用いて「私は脳入りの壺ではない」という命題が常に真であると論じたが、この議論は「シミュレーション」のようなより一般的な語には適用できない。著者はこう述べる。「シミュレーションの内部から見れば、我々の言葉は仮想世界の対象を指し、我々の信念の多くは真なのである。」
第21章 塵の雲はコンピュータプログラムを実行するか?
イーガンの『順列都市』で提示された「塵理論」は、無秩序に散らばった塵の雲が任意のアルゴリズムを実行しうると主張する。しかし、計算の実装には、単なる状態の対応付けではなく、適切な因果構造と反事実的条件(もしXが起きていたらYが起きただろう、という関係)が必要である。塵の雲にはこのような複雑な因果的相互作用がないため、ライフゲームなどの計算を真に実行しているとは言えない。物理的計算は、数学的構造がシステムの因果構造によって具現化されることである。著者はこう述べる。「計算を実装するには、正しい因果構造が必要であり、因果構造は安価ではない。」
第22章 現実は数学的構造なのか?
科学的理論が世界について語る内容は、その数学的・因果的構造であるとするのが構造的実在論である。ニューマン問題(十分な数の対象があれば任意の数学的構造を見出せる)は、物理理論が純粋に数学的であるならば空虚になるという難問を提起する。この問題は、物理理論が具体的な存在、因果法則、観測との結びつきを含むことで回避できる。完全なシミュレーションは、非シミュレート宇宙(Nonsim Universe)と同じ因果的・観測的構造を持つ。したがって、構造的実在論に立てば、シミュレーション宇宙(Sim Universe)にいる場合でも我々の物理理論は真であり、物理的対象は実在する。著者はこう述べる。「シミュレーション宇宙は非シミュレート宇宙と同じ構造を持つゆえに、我々の物理理論はそこで真なのである。」
第23章 我々はエデンの園から堕落したのか?
「エデンの園」は、事物がそれらしく見える完全な世界の比喩である。エデンには、原初的な色(Color)、空間(Space)、固体性(Solidity)が存在する。科学の進歩はこのエデンの世界観を壊した(相対性理論、量子力学など)。しかし、我々はこれらの概念を機能主義的に再構築した。例えば、固体性とは浸透に対する抵抗の役割を果たす性質であり、色とは正常な知覚者に特定の経験を引き起こす能力である。この「不完全な実在論」によれば、エデン的な性質は幻想だが、機能的な性質は実在する。仮想現実における物体も、これらの機能的な役割を果たす限り、色、空間、固体性を持つ。著者はこう述べる。「我々はもはやエデンに住んではいないが、事物は依然として色、空間、固体性を持っているのである。」
第24章 我々は夢の世界のボルツマン脳なのか?
局所的・一時的・不完全なシミュレーション仮説は、世界についての我々の信念の一部を誤りにする可能性がある(局所的懐疑論)が、通常の物理的対象の実在そのものを否定するものではない(全体的懐疑論には至らない)。二つの脳を用いた事前プログラム型シミュレーションのような難しいケースでも、入力を受け取る第二の脳は(時間遅れがあっても)その世界を正確に知覚している。混沌仮説やボルツマン脳(物質のランダムなゆらぎで一時的に形成される脳)の仮説は、経験の規則性を説明できないため、確率的に排除できる。著者はこう述べる。「説明があるところには構造があり、構造があるところには実在がある!」経験の規則性を説明するためには、何らかの外部世界が存在しなければならず、それは我々の信念の多くが真であることを意味する。
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