
英語タイトル:『Weapons of the Weak:Everyday Forms of Peasant Resistance』James C. Scott [1985]
日本語タイトル:『弱者の武器:被支配者の日常的抵抗』ジェイムズ・C・スコット [1985]
目次
- 前書き
- 第1章 階級戦争における小規模な銃撃戦 / Small Arms Fire in the Class War
- 第2章 普通の搾取、普通の抵抗 / Normal Exploitation, Normal Resistance
- 第3章 抵抗の風景 / The Landscape of Resistance
- 第4章 セダカ村、1967–1979年 / Sedaka, 1967–1979
- 第5章 勝者と敗者の歴史 / History according to Winners and Losers
- 第6章 真実の拡大解釈:働くイデオロギー / Stretching the Truth:Ideology at Work
- 第7章 言葉の戦いを超えて:慎重な抵抗と計算された順応 / Beyond the War of Words:Cautious Resistance and Calculated Conformity
- 第8章 ヘゲモニーと意識:イデオロギー闘争の日常的形態 / Hegemony and Consciousness:Everyday Forms of Ideological Struggle
本書の概要
短い解説
本書は、組織化されず注目されることも稀な、貧しい人々による日常的な抵抗行為(「弱者の武器」)に焦点を当て、その政治的・社会的意義を分析することを目的としている。対象読者は、政治学、社会学、人類学、農民研究、社会運動論に関心を持つ研究者・学生である。
著者について
著者ジェイムズ・C・スコットは、イェール大学の政治学者・人類学者であり、東南アジア研究や農民研究の第一人者として知られる。彼はマレーシアでの長期にわたるフィールドワークに基づき、国家や巨大な社会運動に注目が集まりがちな抵抗研究の潮流に対し、民衆レベルの日常的な実践を分析する「サバルタン・スタディーズ(従属者研究)」の重要性を主張し続けている。
テーマ解説
- 主要テーマ:農民による日常的抵抗
組織化されず、直接的な対立を避けながら行われる、怠業・虚偽の服従・噂・軽微な窃盗といった「武器」がいかにして支配関係を掘り崩し、時には国家政策を骨抜きにするかを、マレーシアの農村での参与観察を通して明らかにする。
- 新規性:隠された台本(ヒドゥン・トランスクリプト)
公的な場面(公的台本)で権力者に従順なふりをしながら、非公式な場面(隠された台本)では不満を表現・共有するという、被支配者の二面的な行動様式に注目した概念は、支配と抵抗の複雑な力学を理解する上で画期的な分析枠組みを提供した。
- 興味深い知見:抵抗としてのイデオロギー闘争
抵抗は物理的・経済的行為だけではなく、事実の解釈、歴史の叙述、社会的評価をめぐる言葉の戦い(イデオロギー闘争)でも繰り広げられている。貧しい村民は、共有される規範や価値観を逆手に取り、富裕層の非道徳性を告発することで抵抗を行う。
キーワード解説
- 日常的抵抗(Everyday Forms of Resistance):
大規模な反乱や革命のような公然たる闘争ではなく、個人レベルで日常的に行われる、目立たず間接的な不服従・妨害行為。搾取や支配に対する「持続的なゲリラ戦」と見なせる。
- 公的台本と隠された台本(Public & Hidden Transcripts):
権力関係が作用する公的な場面で上演される支配者と被支配者双方の公式な言動(公的台本)と、支配者の目が届かない「隠された」場面で被支配者が行う本音や批判、対抗的な文化(隠された台本)を指す。両者の対照と相互作用を分析することで、見かけの従属の下に潜む闘争を可視化する。
- ヘゲモニー(Hegemony):
権力が物理的強制だけでなく、支配関係を「当然のもの」「自然なもの」として受け入れさせるような、文化や価値観を通じた同意の形成によっても維持される状態。スコットは、このヘゲモニーが常に完璧ではなく、内部に矛盾と抵抗の可能性を含んでいることを強調する。
3分要約
本書は、マレーシアの稲作農村セダカ村での2年間の参与観察に基づき、貧しい農民や土地なし労働者たちが、自らを搾取し貧困に追いやる「緑の革命」の下で、いかにして日々、目立たない方法で抵抗し、自らの尊厳と生計を守ろうとしているかを描き出す。
1970年代、セダカ村を含むムダ灌漑地区では二毛作と新技術の導入(「緑の革命」)によって生産性が向上した。しかし、その恩恵は主に地主や規模の大きな自作農に集中し、逆に小作農や土地なし労働者は、地代の上昇や機械化(特にコンバインの導入)による賃労働機会の喪失によって、ますます貧しくなり、村の社会関係からも疎外されていった。こうした変化に対して、貧しい村民たちは大規模な抗議運動を組織することはなかった。村社会での物理的・経済的依存関係、村の治安維持組織への警戒、そして事実上の一党支配体制の下では、それは危険で無益に思われたからである。
その代わりに、彼らが用いたのは「弱者の武器」と呼ばれる日常的・個人的な抵抗の技術であった。例えば、地主の依頼に遅れて応じる、仕事を中途半端にやる、収穫物をこっそりと自分のものにする、などである。これらの行為は、公然たる反抗ではなく、暗黙の了解と非公式のネットワークを通じて行われ、支配的な秩序との直接的な衝突を巧妙に避けている。
本書が特に重視するのは、こうした物理的・経済的抵抗と並行して、あるいはそれを基礎づけるものとして展開される「イデオロギー闘争」である。貧しい村民たちは、村の歴史(緑の革命前の「良き時代」)、現在の貧富の実態、誰が「けち」で誰が「気前が良い」か、といった事実の解釈をめぐり、富裕層と激しい言葉の戦いを繰り広げる。富裕層が村の発展と繁栄を強調するのに対し、貧しい人々は貧富の格差の拡大、旧来の相互扶助関係の崩壊、富裕層の傲慢さや非道徳性を強調する。彼らは、富裕層も表向きは否定できない「村の一体性」「イスラムの施しの精神」といった共有された規範や価値を武器として、相手の行為の非道徳性を告発し、自らの立場を正当化する。これは、公的な場面では従順な態度をとりつつ、非公式な場面では本音をぶつけるという「隠された台本」の典型的な発露である。
こうした日常的な抵抗は、革命を引き起こすわけではない。しかし、スコットは、無数の「弱者の武器」の積み重ねが、あたかも小さなサンゴ虫が巨大な礁を形成するように、支配的な秩序や政策を内側から侵食し、時にはその進路を変更させるほど強力な「政治経済的な防壁」を築きうると主張する。歴史は、組織化された大規模反乱にのみ注目し、日々のこうした「静かで無名の」闘いを見逃してきた。本書は、被支配者の政治性と主体性を理解するためには、この日常的抵抗の領域にこそ注目すべきだと結論づける。それは、支配関係が単なる強制ではなく、常に潜在的な抵抗と再交渉の可能性を含んだ不安定な均衡の上に成り立っていることを示しているからである。
各章の要約
前書き
本書は、叛乱や革命といった劇的な「出来事」としての農民抵抗に研究の焦点が集中しがちな状況を批判し、逆に「普通の搾取」に対する「普通の抵抗」の日々の実践に光を当てる必要性を訴える。著者が研究の場として選んだのは、マレーシアのケダ州にあるセダカ村である。ここで行われる参与観察は、支配と抵抗が織り成す複雑な日常の糸を丹念に解きほぐし、支配の下での生存戦略の豊かさと政治的意味を明らかにすることを目的としている。
第1章 階級戦争における小規模な銃撃戦
富裕層と貧困層の対立の実態を、具体的な村人たちの物語と事例で紹介する。ラザクという貧しい青年の挑発的な振る舞いと、それを取り締まろうとする富裕層の村役員ハジ「ブルーム」との間の確執は、直接的な衝突には至らないものの、村のあちこちで繰り広げられる「階級間の小競り合い」の縮図である。これらの事例は、対立が一方的な弾圧ではなく、相互の認識と駆け引き、象徴的な力のバランスの上に成り立っていることを示している。
第2章 普通の搾取、普通の抵抗
「抵抗」の概念を再定義する。著者は、目に見える組織的抵抗だけが抵抗ではないと主張する。歴史の表舞台には現れない、怠業、偽装、悪意のある噂、器物損壊、軽微な窃盗といった無数の日常的行為もまた、搾取的な関係に対する持続的で重要な抵抗形態であり、それらを総合して「弱者の武器」と呼ぶ。この章では、そうした日常的抵抗を、記録されない「抵抗の思想と象徴」として、また生きた人間の主体的な経験と意識の現れとして位置づける理論的枠組みを提示する。
第3章 抵抗の風景
セダカ村の具体的な社会経済的背景を描く。まず、マレーシアにおける稲作農業の位置づけ、そして「緑の革命」のモデルケースであるムダ灌漑計画の概要を説明する。続いて、この地域における土地所有の不平等、二毛作と機械化(特にコンバイン収穫機の導入)がもたらした経済的変容を詳細なデータで示す。生産性は向上したが、利益は地主や大規模農家に集中し、逆に小作農は地代の上昇に苦しみ、土地なし労働者は収穫時の雇用機会を大きく失った。この構造的な変化こそが、セダカ村で観察される「普通の搾取」とそれへの「普通の抵抗」が生まれた舞台である。
第4章 セダカ村、1967–1979年
セダカ村という小さな共同体そのものの詳細な分析に入る。村の構成(約70世帯)、1967年から1979年にかけての貧富の格差の拡大、土地所有権や小作関係の変化、そして賃金労働機会の減少を示す家計データを提示する。さらに、村の有力機関(農民協会、与党UMNOの村開発委員会)が富裕層によって支配され、貧しい村民の利益を代弁していない実態を明らかにする。これらは、貧しい人々が公然たる抗議を行う上での構造的な障壁となっている。
第5章 勝者と敗者の歴史
同じ村の出来事について、富裕層と貧困層が全く異なる歴史的物語を紡ぎ出していることを示す。二毛作による繁栄か格差の拡大か、地代の固定化は進歩か暴利か、コンバイン導入は効率化か生計の破壊か、土地へのアクセスの変化は誰の責任か、さらには昔の相互扶助の儀礼の思い出に至るまで、両者の解釈は鋭く対立している。歴史の叙述それ自体が、現在の不平等を正当化し、あるいは告発するための「イデオロギー闘争」の場となっているのである。
第6章 真実の拡大解釈:働くイデオロギー
第5章で示された歴史認識の対立が、具体的にどのような言葉の戦いとして日常的に繰り広げられているかを分析する。貧しい村民たちは、富裕層が使う「発展」「繁栄」といった言葉を、格差や疎外を隠蔽する「偽りの言葉」として批判する。彼らは、村の門の建設や村美化計画といった具体的な問題をめぐって、富裕層の傲慢さや公共性の欠如、共同体の価値観(「イスラムの施し」「村の一体感」)への背反を告発する。この「議論としての抵抗」は、共有された規範を逆手に取ることで、富裕層の道徳的優位性を脅かす効果を持っている。
第7章 言葉の戦いを超えて:慎重な抵抗と計算された順応
いよいよ、言葉の領域を超えた「行為」としての日常的抵抗と、それに対する抑圧の実態を検討する。コンバイン導入阻止の試みが失敗に終わった経緯は、公然たる集団的抵抗の困難さを象徴する。その一方で、貧しい人々は個別に、「見えない」抵抗を続けている。仕事の請け負いにおける「非公式の組合主義」、富裕層に互酬性を強いる「押し付けられた相互扶助」、共有資源の管理における「自助と強制」など、その形態は多様である。こうした抵抗は「覆面をかぶって」行われ、それに対応して富裕層も「日常的抑圧」(監視、噂の流布、援助の打ち切り)で応酬する。そして公的な場面では、貧しい人々は「計算された順応」を見せ、安全のために服従を演じる。この二面性こそが、「公的台本」と「隠された台本」の使い分けによる生存戦略の核心である。
第8章 ヘゲモニーと意識:イデオロギー闘争の日常的形態
最終章では、セダカ村の事例を、支配のイデオロギー(ヘゲモニー)と階級意識というより広い理論的問題と結びつける。著者は、支配的なイデオロギーが被支配者に完全に内面化されているという見方(伝統的ヘゲモニー論)を退ける。むしろセダカ村では、富裕層のイデオロギーは「貫徹」されておらず、貧しい人々は支配関係の本質を見抜き(「看破」)、それを「不自然で不当」なものとして認識している。ヘゲモニーは、彼らの異議を封じ込める装置として機能しているに過ぎない。したがって、彼らの意識は「革命的な階級意識」ではないが、搾取を自覚し、抵抗を実践する「従属者のイデオロギー」として十分に政治的である。歴史的変化は、こうした日常的抵抗の累積と、それを可能にする社会経済的条件の変化から生じる可能性があると結論づける。
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