書籍要約『殺すということ:戦争と社会において殺人を学習する心理的代償』1995年

悪、犯罪学、サイコパス、ポリティカル・ポネロロジー戦争・国際政治

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『On Killing:The Psychological Cost of Learning to Kill in War and Society』

『殺すということ:戦争と社会において殺人を学習する心理的代償』

Dave Grossman デイブ・グロスマン 1995

目次

  • 謝辞:/ Acknowledgments
  • ペーパーバック版への序文 / Introduction to the Paperback Edition
  • 序論 / Introduction
  • 第一部 殺害と抵抗の存在:性を研究する処女たちの世界 / Killing and the Existence of Resistance:A World of Virgins Studying Sex
  • 第1章 戦うか逃げるか、威嚇するか服従するか / Fight or Flight, Posture or Submit
  • 第2章 歴史を通じての非発砲者たち / Nonfirers Throughout History
  • 第3章 なぜジョニーは殺せないのか? / Why Can’t Johnny Kill?
  • 第4章 抵抗の性質と源泉 / The Nature and Source of the Resistance
  • 第二部 殺害と戦闘外傷:精神医学的損害における殺害の役割 / Killing and Combat Trauma:The Role of Killing in Psychiatric Casualties
  • 第1章 精神医学的損害の性質:戦争の心理的代償 / The Nature of Psychiatric Casualties:The Psychological Price of War
  • 第2章 恐怖の支配 / The Reign of Fear
  • 第3章 疲労の重荷 / The Weight of Exhaustion
  • 第4章 罪悪感と戦慄の泥濘 / The Mud of Guilt and Horror
  • 第5章 憎悪の風 / The Wind of Hate
  • 第6章 忍耐の井戸 / The Well of Fortitude
  • 第7章 殺害の重荷 / The Burden of Killing
  • 第8章 群盲象を評す / The Blind Men and the Elephant
  • 第三部 殺害と物理的距離:距離があれば、君はまるで友達には見えない / Killing and Physical Distance:From a Distance, You Don’t Look Anything Like a Friend
  • 第1章 距離:死における質的区别 / Distance:A Qualitative Distinction in Death
  • 第2章 最大・長距離での殺害:悔恨も後悔も不要 / Killing at Maximum and Long Range:Never a Need for Repentance or Regret
  • 第3章 中間・手榴弾距離での殺害:「お前が殺したと確信できない」 / Killing at Mid- and Hand-Grenade Range:”You Can Never Be Sure It Was You”
  • 第4章 近接距離での殺害:「それを殺すのは、個人的に自分なのだと分かった」 / Killing at Close Range:”I Knew That It Was up to Me, Personally, to Kill Him”
  • 第5章 白兵戦距離での殺害:「親密な残虐性」 / Killing at Edged-Weapons Range:An “Intimate Brutality”
  • 第6章 徒手格闘距離での殺害 / Killing at Hand-to-Hand-Combat Range
  • 第7章 性的距離での殺害:「原初的攻撃性、解放、オーガズム的放出」 / Killing at Sexual Range:”The Primal Aggression, the Release, and Orgasmic Discharge”
  • 第四部 殺害の解剖学:全要素の考察 / An Anatomy of Killing:All Factors Considered
  • 第1章 権威の要求:ミルグラムと軍隊 / The Demands of Authority:Milgram and the Military
  • 第2章 集団による罪の免除:「個人は殺し屋ではないが、集団はそうである」 / Group Absolution:”The Individual Is Not a Killer, but the Group Is”
  • 第3章 感情的距離:「私にとって彼らは動物以下だった」 / Emotional Distance:”To Me They Were Less than Animals”
  • 第4章 犠牲者の性質:関連性と報酬 / The Nature of the Victim:Relevance and Payoff
  • 第5章 殺害者の攻撃的素質:復讐者、条件付け、そしてそれを好む2パーセント / Aggressive Predisposition of the Killer:Avengers, Conditioning, and the 2 Percent Who Like It
  • 第6章 全要素の考察:死の数式 / All Factors Considered:The Mathematics of Death
  • 第五部 殺害と残虐行為:「ここに名誉なく、美徳なし」 / Killing and Atrocities:”No Honor Here, No Virtue”
  • 第1章 残虐行為の全スペクトラム / The Full Spectrum of Atrocity
  • 第2章 残虐行為の暗黒の力 / The Dark Power of Atrocity
  • 第3章 残虐行為の罠 / The Entrapment of Atrocity
  • 第4章 残虐行為の事例研究 / A Case Study in Atrocity
  • 第5章 最大の罠:自らの為した業と共に生きること / The Greatest Trap of All:To Live with That Which Thou Hath Wrought
  • 第六部 殺害反応段階:殺すとはどのような感覚か? / The Killing Response Stages:What Does It Feel Like to Kill?
  • 第1章 殺害反応段階 / The Killing Response Stages
  • 第2章 モデルの応用:殺人自殺、選挙敗北、そして狂気の考察 / Applications of the Model:Murder-Suicides, Lost Elections, and Thoughts of Insanity
  • 第七部 ベトナムにおける殺害:我々は兵士たちに何をしたのか? / Killing in Vietnam:What Have We Done to Our Soldiers?
  • 第1章 ベトナムにおける脱感作と条件付け:殺害への抵抗の克服 / Desensitization and Conditioning in Vietnam:Overcoming the Resistance to Killing
  • 第2章 我々は兵士たちに何をしたのか?殺害の合理化とベトナムにおけるその失敗 / What Have We Done to Our Soldiers? The Rationalization of Killing and How It Failed in Vietnam
  • 第3章 心的外傷後ストレス障害とベトナムにおける殺害の代償 / Post-Traumatic Stress Disorder and the Cost of Killing in Vietnam
  • 第4章 人間の耐久限界とベトナムの教訓 / The Limits of Human Endurance and the Lessons of Vietnam
  • 第八部 アメリカにおける殺害:我々は子供たちに何をしているのか? / Killing in America:What Are We Doing to Our Children?
  • 第1章 暴力のウィルス / A Virus of Violence
  • 第2章 映画館における脱感作とパブロフの犬 / Desensitization and Pavlov’s Dog at the Movies
  • 第3章 ビデオゲームセンターにおけるB.F.スキナーのネズミとオペラント条件付け / B. F. Skinner’s Rats and Operant Conditioning at the Video Arcade
  • 第4章 メディアにおける社会的学習とロールモデル / Social Learning and Role Models in the Media
  • 第5章 アメリカの再感受性化 / The Resensitization of America
  • :/ Notes
  • 参考文献:/ Bibliography
  • 索引:/ Index

本書の概要

短い解説

本書は、戦場における人間の殺害行為にまつわる心理的メカニズムと、その代償を解明することを目的とする。著者は、兵士が直面する殺害への根源的抵抗と、それを克服するために軍隊が用いてきた方法、そしてその結果として兵士が負う心理的代償を、歴史的・心理学的分析を通して明らかにする。

著者について

著者デイブ・グロスマンは、米陸軍の歩兵将校であり、心理学を修めた軍人学者である。西点陸軍士官学校で心理学を教え、アーカンソー州立大学で軍事学教授を務めた。自身は戦闘での殺害経験を持たないが、退役軍人たちへのインタビューを積み重ね、殺害体験の本質に迫る。

テーマ解説

本書の核心は、人間には種を殺すことへの強力な生得的抵抗が存在するという発見と、社会や軍隊がこの抵抗をどのように克服し、またその克服が個人と社会にいかなる代償をもたらすかを探究することにある。

キーワード解説

  • 殺害抵抗:人間が同種を殺すことに対して抱く、強力かつ生得的な心理的障壁。
  • 条件付け:パブロフやスキナーの理論に基づき、兵士が反射的に殺害行動をとるよう訓練するプロセス。
  • 距離:物理的・感情的な距離が拡がるほど、殺害が心理的に容易になるという原則。
  • 戦闘外傷:戦場での殺害や恐怖が原因で兵士が被る、PTSDなどの長期的な心理的損害。
  • ベトナム帰還兵:殺害を可能にする訓練を施されながら、帰国後は社会から拒絶され、深刻なPTSDに苦しんだ米軍兵士たち。
  • メディア暴力:映画やゲームによる暴力描写が、軍の訓練と同様のメカニズムで若者を脱感作し、社会の暴力性を増大させているという問題。

3分要約

本書『殺すということ』は、戦争という究極の状況において、人間がどのようにして同じ人間を殺害するのか、その心理的プロセスと代償を体系的に解明する画期的な試みである。著者デイブ・グロスマンは、自らの軍人としての経験と心理学者としての知見を統合し、歴史的文献と膨大な数の退役軍人インタビューを基に、殺害行為の核心に迫る。

本書の出発点は、S・L・A・マーシャル将軍の第二次世界大戦での衝撃的な発見にある。戦場では、自らの生命や仲間の生命が危険にさらされているにもかかわらず、米軍歩兵のうち敵に向けて発砲したのはわずか15~20%に過ぎなかった。この発見は、人間には同種を殺すことに対する強力な生得的抵抗が存在することを示している。グロスマンは、この抵抗の根源を、動物行動学における闘争・逃走・威嚇・服従のモデルを用いて説明する。戦場での多くは、実際に殺すための戦闘ではなく、相手を威嚇するための示威行動だったのである。

では、軍隊はこの抵抗をどのように克服してきたのか。著者はそのプロセスを詳細に分析する。鍵となるのは、物理的・感情的距離、権威への服従、集団による責任の分散、そして訓練による条件付けである。遠距離からの爆撃や砲撃は、殺害の事実を否認しやすくする。敵を「猿」や「ゴキブリ」などと呼び、その人間性を奪う文化的・道徳的距離も同じ効果を持つ。ミルグラムの実験が示すように、権威ある者の命令は極めて強力であり、集団の中では個人の責任感は希薄化する。そして最も重要なのが、パブロフやスキナー流の条件付けを用いた訓練だ。戦闘状況を模した射撃訓練で、人型標的が現れたら即座に撃つことを繰り返し学習させることで、兵士はもはや思考することなく反射的に殺害できるようになる。ベトナム戦争では、こうした訓練の成果により発砲率は90~95%にまで上昇した。

しかし、この成功は大きな代償を伴った。殺害の衝撃は、殺害した者の心に深い傷を残す。本書は殺害後の心理的反応を、高揚、反芻、悔恨、そして合理化・受容という段階モデルで示す。ベトナム帰還兵は、この合理化・受容のプロセスを著しく妨げられることになる。彼らは一年という任期制のもとで孤独に戦い、帰国後は英雄として迎えられるどころか、自国民から「赤ん坊殺し」と罵られ、唾を吐きかけられた。戦争に負けたという感覚、戦友との絆の欠如、社会からの拒絶。これらの要因が重なり、何十万ものベトナム帰還兵が深刻なPTSDに苦しむことになった。

本書の後半で、グロスマンはこの知見を現代アメリカ社会の暴力問題に応用する。軍が戦場で用いた殺害促進の技法――脱感作、条件付け、ロールモデルの提示―が、今やメディアを通じて無差別に子供たちに浴びせられているというのだ。残酷な映画は観客を暴力に慣れさせ、暴力を娯楽と結びつける。人型標的を撃つビデオゲームは、軍の訓練と全く同じオペラント条件付けを施す。暴力的な映画のヒーローは、法ではなく私的復讐を是とするロールモデルとなる。この結果、アメリカ社会では殺人や暴行事件が激増している。グロスマンは、この「暴力のウィルス」に対抗するためには、社会全体での「再感受性化」、すなわちメディア暴力への無批判な受容を止め、暴力の真の代償を理解する必要があると訴える。人間が本来持つ殺害への抵抗という「安全装置」を再びかけることこそが、文明社会存続の鍵であると結論づけるのである。

各章の要約

第一部 殺害と抵抗の存在:性を研究する処女たちの世界

第1章 戦うか逃げるか、威嚇するか服従するか

戦場の心理学を理解する上で、従来の「戦うか逃げるか」モデルは不十分である。動物が同種と対峙する際には、威嚇や服従という選択肢がある。戦場での多くの行動、例えば戦闘前の鬨の声や無意味な上空への発砲は、実際に殺すためのものではなく、相手を威嚇するための示威行動である。歴史的に見ても、銃火器の命中率は驚くほど低く、兵士たちは無意識のうちに殺害を避けてきた。

第2章 歴史を通じての非発砲者たち

南北戦争のゲティスバーグ戦場からは、多数の装填されたままの銃が回収された。中には23回も装填されながら一発も撃たれていないものもあった。これは、兵士たちが発砲の瞬間に直面し、無意識のうちに、あるいは意図的に発砲を避けていた証拠である。第一次世界大戦の退役軍人たちも、同じく「撃とうとしない兵士」の存在を後輩たちに警告していた。非発砲者は第二次世界大戦に固有の現象ではなく、歴史上常に存在していたのである。

第3章 なぜジョニーは殺せないのか?

マーシャル将軍は、平均的な健康な人間は、自らの意思で同種を殺すことに強力な内的抵抗を持つと結論づけた。この抵抗は「バックファイア」として知られる現象と同種のものであり、軍のパイロットの大半が敵機を撃墜できなかった事実にも表れている。なぜこの事実が長く見過ごされてきたのか。それは、戦闘が性と同じく、神話や虚飾、自己欺瞞に覆われたタブー領域だったからである。負け戦や不名誉は歴史から抹消され、英雄譚だけが語り継がれてきた。

第4章 抵抗の性質と源泉

殺害への抵抗がどこから来るのかは完全には解明されていないが、フロイトの生の本能(エロス)と深く関わっている可能性がある。人間は、全ての人類が相互依存的であり、他者を傷つけることは全体を傷つけることにつながるという、深い直感を持っているのかもしれない。この抵抗は、軍事的には障害だが、人類という種にとっては誇るべき特性である。

第二部 殺害と戦闘外傷:精神医学的損害における殺害の役割

第1章 精神医学的損害の性質:戦争の心理的代償

戦争において、兵士が敵の銃弾で死ぬ確率よりも、精神医学的損害(戦闘ストレス反応)で戦線を離脱する確率の方が高い。第二次世界大戦では50個師団分もの兵士が精神的な理由で失われた。持続戦闘が60日を超えると、98%の生存兵が何らかの精神医学的損害を被るという研究もある。その症状は疲労、錯乱、ヒステリー、不安、強迫、人格障害など多岐にわたる。

第2章 恐怖の支配

戦闘ストレスの主要因は、一般に考えられているような死への恐怖だけではない。爆撃を受けた民間人や捕虜、艦船乗組員など、死の危険に晒されながらも殺す義務のない人々には、精神医学的損害の発生率が著しく低い。一方、戦闘で殺すことを義務づけられた兵士や、収容所で加害者と直面させられた囚人には高い。重要なのは、死の恐怖そのものより、能動的に殺さねばならない責任と、自分を殺そうとする敵の憎悪に直面することである。

第3章 疲労の重荷

持続的な生理的覚醒、睡眠不足、栄養失調、厳しい気象条件など、戦場での疲労は想像を絶するものである。レンジャー学校などの苛酷な訓練は、この疲労に対する「接種」の役割を果たすが、実戦での疲労はそれを遥かに超える。交感神経と副交感神経のアンバランスは兵士の心身を消耗させ、精神崩壊の準備状態を作り出す。

第4章 罪悪感と戦慄の泥濘

戦場は、死体の腐臭、負傷者の断末魔の叫び、肉親を失う悲しみなど、あらゆる感覚を刺激する恐怖に満ちている。さらに兵士は、自らが殺した敵と、自分が守れなかった味方の双方に対して罪悪感を抱く。この罪悪感と恐怖が混ざり合った「泥濘」は、長期間にわたって兵士の心を蝕み、時には数十年後にフラッシュバックとして襲いかかる。

第5章 憎悪の風

日常生活でも、対人関係での敵意は大きなストレス源である。戦場では、見知らぬ誰かが自分を個人的に憎み、殺そうとしているという事実が「憎悪の風」として兵士に吹き付ける。この風は、単なる砲爆撃よりもはるかに強力な心理的破壊力を持つ。戦略爆撃が敵の戦意を挫くのに失敗した一方で、敵の背後に迫る脅威が圧倒的な効果を発揮するのはこのためである。

第6章 忍耐の井戸

兵士はそれぞれ、恐怖、疲労、罪悪感、憎悪に耐えるための内的資源として「忍耐の井戸」を持っている。この井戸の水は戦闘が続くにつれて徐々に枯渇し、やがて98%の兵士が心理的に崩壊する。リーダーの存在や戦勝は、この井戸を補充する効果を持つ。

第7章 殺害の重荷

兵士は「殺す」か「殺さない」かのジレンマに苦しむ。殺せば血の罪悪感に苛まれ、殺さなければ仲間を死なせた罪悪感に苛まれる。どちらにせよ、罪悪感はつきまとう。兵士たちは、敵を「始末した」「片付けた」といった婉曲表現を用い、敵の人間性を「ゴキ」「ジャップ」などの蔑称で否定することで、この重荷から逃れようとする。

第8章 群盲象を評す

戦闘ストレスを説明する既存の理論は、恐怖、疲労、戦慄、憎悪など、それぞれが「象」の一部分を捉えているに過ぎない。真実はこれらの複合的な要因が重なり合って、兵士を精神崩壊へと追いやるというものである。社会がこの全貌を直視することを避けてきたことが、問題の解決を遅らせてきた。

第三部 殺害と物理的距離:距離があれば、君はまるで友達には見えない

第1章 距離:死における質的区别

殺害の心理的困難さは、殺害者と犠牲者の物理的・感情的距離に反比例する。遠距離からの爆撃は容易であり、パイロットは罪悪感を感じることなく任務を遂行できる。しかし、同じ数の人間を白兵戦で一人ずつ殺すことは想像を絶する。バビロンの陥落とハンブルクへの爆撃は、結果的には同じ大量死をもたらしたが、その質においては全く異なる。

第2章 最大・長距離での殺害:悔恨も後悔も不要

爆撃機搭乗員、砲兵、艦艇乗組員など、最大・長距離で殺害を行う者に、殺害への抵抗や精神的外傷はほとんど見られない。彼らは「目標」を攻撃しているのであって、人間を殺しているのではないと、心理的に否認することができる。スナイパーはより近距離で殺害するが、チームで行動し、スコープという機械的距離に守られている。

第3章 中間・手榴弾距離での殺害:「お前が殺したと確信できない」

通常の小銃射撃距離では、誰が敵を倒したのか確信が持てないことが多く、それが心理的な緩衝材となる。殺害後には高揚感が訪れるが、その後、自分が殺したかもしれない敵の姿を確認すると、罪悪感や嘔吐などの激しい反芻反応が起こる。

第4章 近接距離での殺害:「それを殺すのは、個人的に自分なのだと分かった」

至近距離での殺害は、責任の否認が全く効かない。自分の目で相手の顔を見、その表情の変化を確認し、血を見る。殺害者はしばしば嘔吐し、罪悪感と恥辱に苛まれる。多くの戦記文学が、この種の殺害体験を最も生々しく、かつ苦悩に満ちたものとして描いている。

第5章 白兵戦距離での殺害:「親密な残虐性」

銃剣やナイフによる殺害は「親密な残虐性」を伴う。刺すという行為は、性的な含意すら持つため、人間は本能的に強く抵抗する。歴史的に見ても、銃剣による戦闘は極めて稀であり、実際に刺し合う前に一方が逃走するのが常である。銃剣で敵を刺した経験を持つ兵士は、その記憶に生涯苦しめられる。

第6章 徒手格闘距離での殺害

素手で相手を殺すことは最も困難である。喉を潰す、目をえぐるといった効果的な殺害技法は存在するが、人間はそれを行うことに強力な心理的抵抗を示す。人類が武器を用いるようになったのは、物理的優位を得るためだけでなく、この心理的抵抗を克服するためでもあった。

第7章 性的距離での殺害:「原初的攻撃性、解放、オーガズム的放出」

殺害と性は深く結びついている。銃を「永久勃起」に例えるベトナム帰還兵の証言や、引き金を引く快感を「オーガズム的放出」と表現する心理学者の分析は、殺害の持つ性的な側面を浮き彫りにする。この結びつきの最たるものが「スナッフ・フィルム」であり、殺害と性が一体化した時に、人間の闇の深さが露わになる。

第四部 殺害の解剖学:全要素の考察

第1章 権威の要求:ミルグラムと軍隊

スタンレー・ミルグラムの実験は、権威への服従が、ごく普通の人々をして他者に苦痛を与える行為へと駆り立てることを示した。軍隊では、上官の存在、上官への尊敬、命令の強度、命令の正当性といった要素が「権威の要求」として機能し、兵士の殺害抵抗を克服する。古代ローマ軍の強さは、戦わずして兵士を殺害に向かわせる百人隊長制度にあった。

第2章 集団による罪の免除:「個人は殺し屋ではないが、集団はそうである」

戦場で兵士を突き動かす最大の動機は、仲間への責任感である。集団は、個人に責任を負わせる一方で(アカウンタビリティ)、個人の罪の意識を拡散させる(匿名性)という二重の機能を持つ。機関銃のような集団運用兵器の発砲率が高いのは、このメカニズムによる。戦友が殺されたという事実は、復讐心を煽り、殺害を促進する。

第3章 感情的距離:「私にとって彼らは動物以下だった」

物理的距離だけでなく、文化的・道徳的・社会的・機械的距離も、殺害を容易にする。敵を「ゲルマン野郎」「ゴキブリ」と呼び、その人間性を否定する文化的距離。自らの大義を「聖戦」と位置づけ、敵を悪と断じる道徳的距離。士官と兵士の階級格差が生む社会的距離。暗視装置やTV画面を通して敵を見る機械的距離。これらはいずれも、犠牲者への共感を妨げる「感情のフード」として機能する。

第4章 犠牲者の性質:関連性と報酬

兵士は無差別に敵を殺すわけではない。最も脅威となる敵、最も価値の高い敵を狙う。自らを殺そうとしている敵、味方を殺そうとしている敵は、最も殺害の動機となる。一方、明らかな非戦闘員(女性や子供)を殺すことは、たとえそれが戦術的に必要でも、深刻な心理的外傷を残す。

第5章 殺害者の攻撃的素質:復讐者、条件付け、そしてそれを好む2パーセント

戦闘で長時間の殺害を平気で行える兵士は、全兵士の約2%に過ぎない。彼らは精神医学的に「攻撃的精神病質者」と分類される可能性があるが、社会では通常、警察官や特殊部隊員など、貴重な人材として機能する。これに対し、大多数の普通の兵士は、オペラント条件付けを含む現代の訓練によって、初めて殺害を可能にされている。

第6章 全要素の考察:死の数式

殺害を可能にする要素は、権威の要求、集団による罪の免除、距離、犠牲者の性質、殺害者の素質など、複合的かつ相互作用的に機能する。これらの要素が強まれば強まるほど、殺害は容易になる。しかし、その作用は繊細であり、強め過ぎれば残虐行為(ミライ事件)を引き起こし、弱め過ぎれば自軍の敗北を招く。

第五部 殺害と残虐行為:「ここに名誉なく、美徳なし」

第1章 残虐行為の全スペクトラム

戦場における殺害は、白黒はっきりつけられるものではない。堂々と戦う「高貴な敵」の殺害から、待ち伏せ攻撃、ゲリラ戦、投降者の殺害、そして非戦闘員の虐殺へと、残虐性の度合いはスペクトラム状に広がっている。グレーゾーンでの殺害は、殺害者に複雑な罪悪感を残す。

第2章 残虐行為の暗黒の力

残虐行為は、その残虐性ゆえに強力な心理的効果を持つ。恐怖による支配、殺害者間の連帯強化、そして外部社会の否認(「あんな酷いことが本当に起きたはずがない」と思わせる力)である。ナチスやポル・ポトなど、残虐行為を組織的に用いた政権は、この「暗黒の力」によって国民を支配した。

第3章 残虐行為の罠

しかし残虐行為は、長期的にはそれを用いた側を破滅に導く「罠」でもある。残虐行為に手を染めた者は、敵の人間性を完全に否定するため、敵との妥協点を見出せなくなる。また、残虐行為の噂は敵の戦意を高揚させ、降伏を拒否させる。何より、自らが犯した残虐行為の記憶は、殺害者の魂を永遠に蝕む。

第4章 残虐行為の事例研究

コンゴで国連平和維持軍に従軍した若きカナダ人将校の証言。彼は、教会で尼僧を拷問・殺害していた反乱軍兵士を、上官の命令により射殺する。反乱軍の残虐行為への怒りと、目の前で殺した男への複雑な感情。そして、この経験が彼の人生観を根本から変えたという赤裸々な告白は、残虐行為が加害者・被害者双方に及ぼす心理的影響を生々しく描き出す。

第5章 最大の罠:自らの為した業と共に生きること

残虐行為の最大の代償は、それを実行した者がその後一生、罪の意識と共に生きねばならないことである。命令に従った大多数の者、拒否できなかった弱さを恥じる者。一方、ごく稀に命令を拒否し、自らの信念に従って処刑された英雄も存在する。自由のためには、時に命を懸けた代償を支払う覚悟が必要である。

第六部 殺害反応段階:殺すとはどのような感覚か?

第1章 殺害反応段階

殺害後の心理的反応は、一般的に以下の段階をたどる。①懸念段階(自分が本当に殺せるのかという不安)、②殺害段階(ほとんど反射的に実行される)、③高揚段階(激しい満足感・陶酔感)、④悔恨段階(吐き気を伴う激しい罪悪感)、⑤合理化・受容段階(長期的に自己を納得させるプロセス)。このプロセスは狩猟体験と類似するが、その強度は桁違いである。

第2章 モデルの応用:殺人自殺、選挙敗北、そして狂気の考察

殺害反応段階モデルは、日常の暴力や社会的現象の理解にも応用できる。激情に駆られた連続殺人犯が事件後に自殺するのは、高揚段階の後に襲い来る強烈な悔恨段階のためかもしれない。湾岸戦争勝利後のブッシュ大統領人気とその後の失速も、国家規模での高揚と悔恨のサイクルとして理解できる。多くのベトナム帰還兵が自らの感情を「狂気」と疑ってきたのは、高揚感と悔恨の激しいギャップを理解できなかったからである。

第七部 ベトナムにおける殺害:我々は兵士たちに何をしたのか?

第1章 ベトナムにおける脱感作と条件付け:殺害への抵抗の克服

ベトナム戦争において、米軍は発砲率を90~95%にまで引き上げることに成功した。これは、訓練における脱感作(「殺せ」という連呼)、オペラント条件付け(人型標的の即時射撃と報酬)、そして否認機制の発達(標的を撃っているのだと自己暗示する)という三つの心理的手法によるものである。この訓練は兵士の生存率を高めたが、同時に大きな代償をもたらすことになる。

第2章 我々は兵士たちに何をしたのか?殺害の合理化とベトナムにおけるその失敗

歴史上の兵士たちは、殺害体験を合理化・受容するための様々なプロセスを与えられてきた(凱旋パレード、勲章、戦友との語らい、戦勝の事実など)。ベトナム帰還兵は、これらのプロセスのほとんど全てを否定された。若年での従軍、正規戦でなく「汚い戦争」、戦線の不存在、個人単位での任務、薬物の蔓延、浄化の儀式の欠如、戦友との分断、敗戦の事実、そして何より社会からの罵倒と唾棄――これらが重なり、殺害の合理化は不可能となった。

第3章 心的外傷後ストレス障害とベトナムにおける殺害の代償

ベトナム帰還兵の多くが、PTSDに苦しむことになった。PTSDの発症には、体験したトラウマの大きさだけでなく、帰還後の社会的支援の有無が決定的な要因となる。ベトナム帰還兵への社会的拒絶は、彼らのトラウマを増幅させ、50万から150万人ものPTSD患者を生み出す遠因となった。

第4章 人間の耐久限界とベトナムの教訓

ベトナムの経験は、国家が戦争において殺害を強いることの心理的・社会的代償がいかに大きいかを教えている。ワインバーガー・ドクトリンは、この教訓を国家戦略のレベルで取り入れた試みである。軍隊は、兵士が帰還後に受容と浄化のプロセスを得られるよう配慮すべきであり、社会は兵士の犠牲を理解し称える責任がある。

第八部 アメリカにおける殺害:我々は子供たちに何をしているのか?

第1章 暴力のウィルス

アメリカでは、殺人未遂(加重暴行)の発生率が1957年以降、激増している。この増加を殺人率の増加として表面化させていないのは、医療技術の進歩と驚異的な収監率という「止血帯」の効果である。この暴力増大の原因は、軍隊が殺害抵抗を克服するために用いたのと同じ心理的メカニズムが、メディアを通じて子供たちに無差別に適用されていることにある。

第2章 映画館における脱感作とパブロフの犬

映画やテレビは、子供たちを暴力に慣れさせる古典的条件付け(脱感作)の場と化している。残酷な映像が繰り返し流され、ポップコーンやデートといった楽しみと結びつくことで、子供たちは無意識のうちに暴力と快感を結びつけるようになる。これは、暗殺者養成のために米政府がかつて検討した手法と同じものである。

第3章 ビデオゲームセンターにおけるB.F.スキナーのネズミとオペラント条件付け

ビデオゲーム、特に人型標的を撃ち倒すタイプのゲームは、軍の射撃訓練と全く同じオペラント条件付けを施す。標的が現れ、即座に撃ち、倒れたという報酬を得る。このプロセスを繰り返すことで、攻撃行動が反射的に強化される。軍の訓練には「権威の下でのみ発砲せよ」という抑制が組み込まれているが、ゲームにはそれがない。

第4章 メディアにおける社会的学習とロールモデル

訓練教官が兵士にとっての攻撃性のロールモデルであるように、映画のヒーローは若者にとってのロールモデルである。過去のヒーローは法の枠内で正義を貫いたが、現代のヒーローは法を超越し、私的復讐を遂げることに喜びを見出す。このようなモデルは、子供たちに「暴力こそが問題解決の手段である」というメッセージを送り続けている。

第5章 アメリカの再感受性化

殺害への抵抗という人間の「安全装置」を再びかけるためには、社会全体の「再感受性化」が必要である。メディア暴力の害を認識し、その流布者を社会的に糾弾すること、そして暴力を娯楽として無批判に享受する文化を変えていくことが求められる。過去に毒ガスや核兵器の制限に成功したように、我々は「大量脱感作装置」としてのメディア暴力を制限する道を選べるはずである。


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