書籍『アナーキスト・ハンドブック』マイケル・マリス 2021年

リバタリアン思想・アナーキズム加速主義、暗黒啓蒙、新右翼、ニック・ランド、カーティス・ヤーヴィン市民的不服従・納税拒否・非暴力的抵抗

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The Anarchist Handbook

マイケル・マリス著

読者へ:金正日の非公認自伝

新右翼:アメリカ政治の周辺への旅

「殺人ブームのきっかけとなったのは、少し前に私が聞いたエマ・ゴールドマンの講演だった。彼女はクリーブランドに滞在しており、私や他のアナーキストたちが彼女の話を聞きに行った。彼女の講演は私を熱狂させた。

「支配者はすべて絶滅させるべきだという彼女の教義が、私をそう考えさせ、頭が割れそうなくらい痛んだ。ゴールドマン女史の言葉は私を突き抜け、講演を終えて会場を出たとき、私は自分が愛する大義のために何か英雄的なことをしなければならないと決意した。」

レオン・コルゴッシュ

目次

各章の短い要約

第1章: アナキーへ栄光あれ! (Hoch Die Anarchie!)

アナキズムの本質はイデオロギー的には「あなたは私の代弁者ではない」という宣言である。この考えは常識から逸脱するように聞こえるが、アナキズムの批判者たちの反論(アナキズムは政府に至る、アナキズムは武装した軍閥を生む、アナキズムはユートピア的である)は論理的矛盾を含んでいる。実際、国家のない世界はすでに存在しており、国同士は互いにアナキスト的関係にある。アナキズムが解決しようとする問題は国家による強制的介入である。アナキズムの黒旗は多くの色合いを持ち、多様な解釈がある。

第2章: ウィリアム・ゴドウィン (William Godwin)

ゴドウィンは現代における最初のアナキストとして広く認められている。彼の政治的正義に関する探究は社会契約説に対する痛烈な批判を展開する。社会契約説とは自明の同意なしに人々を縛り付け、特定の条件を持たない「契約」という考えである。彼は社会契約を「誰も詳細に読まない、読んだとしても理解できない」ものとして描写し、現実の世界で契約が持つべき基本的属性を欠いていると主張した。実際には、いかなる政府も社会契約から生じたと主張したことはない。

第3章: マックス・シュティルナー (Max Stirner)

シュティルナーは唯一者とその所有で権利という概念を徹底的に解体し、「すべては私にとって何ものでもない」という言葉で始まる挑戦的な論考を展開する。彼は社会的義務や道徳を「幽霊」と呼び、自らの決定権のみを認める。シュティルナーにとって権力は権利に先行する。彼の考えでは、個人は自分の力の範囲内でのみ権利を持ち、国家の法は単なる強制にすぎない。彼は「自分の行動に対して個人的責任を負うこと」を重視し、国家を「個人の敵」として位置づける。彼は「幽霊」から解放された思考を促し、アナキズムの基礎となる思想を提示した。

第4章: ピエール=ジョゼフ・プルードン (Pierre-Joseph Proudhon)

プルードンは自身を「アナキスト」と呼んだ最初の現代の知識人である。彼の革命家の告白で彼は「政府の本性と目的」について論じる。彼はミューチュアリズム(相互主義)という概念を提唱し、アナキズムと社会主義の複合体として考えた。プルードンによれば、自己統治とは政府なしの状態を意味し、人々は自主的に働き共通の利益のために貢献する社会を創造すべきである。彼は「あなたに命令することでその場で革命を起こす」という前提に疑問を投げかけ、そのような革命は単に支配者を交代させるだけだと主張した。

第5章: ハーバート・スペンサー (Herbert Spencer)

スペンサーは19世紀後半の重要な英国の知識人である。彼は「適者生存」という言葉を生み出した。社会静学の「国家を無視する権利」の章で、スペンサーは市民は「自発的な無法状態の条件を採用する権利」を持つと主張する。個人が自由に望むことをする自由があるなら、国家との関係を断ち、保護を拒否し、その支援のための支払いを拒否する自由もあるはずだと論じる。国家に従わないという受動的な立場は他者の自由を侵害せず、強制的に政治団体に加入させることは道徳法の侵害となる。最後に彼は「完全な法則と不完全な国家の間の不一致」について言及する。

第6章: ジョサイア・ウォレン (Josiah Warren)

ウォレンは19世紀アメリカの空想的共同体「モダン・タイムズ」を創設した。彼の真の文明で政府の真の機能を定義する。彼は自己主権を「生活機構の本能」として定義し、自然権として譲ることができないものと主張する。政府の正当な使命は、各個人の権利を守ることのみであり、政府による「介入は非介入のための介入」であるべきだと論じる。ウォレンは「民主的原則」を通して、軍事組織が真の秩序と平和をもたらすよう訓練されるべきだと提案する。従来の強制的な統治ではなく、提案と審議の場として機能する組織を構想した。

第7章: ミハイル・バクーニン (Mikhail Bakunin)

バクーニンはマルクスの最大のイデオロギー的ライバルであり、国家とマルクス主義ではマルクス主義国家社会主義を批判している。彼はマルクスの理論が権威主義的独裁につながると予測した。彼によると、マルクスは階級独占を廃止する唯一の方法として「あらゆる産業的・商業的利益を国家の手による一つの巨大な独占に集中させる」ことを主張した。バクーニンは「ロシアの皇帝もプロイセンの王も、全能性、全場所性、全知を神学者が神に帰するものを与えられていない限り」、少数派が多数派の行動をコントロールすることは不可能だと論じた。彼は神と国家で権威の本質について深く掘り下げている。

第8章: ライサンダー・スプーナー (Lysander Spooner)

スプーナーの憲法には権威がないは論理的に憲法の神聖性を解体し、道徳的権威を持たないことを実証する。彼は憲法が現存する誰も拘束せず、かつて誰も拘束したことがなく、契約として署名も配達もされていないと主張する。投票と税金の支払いは同意を示さない—投票は自由意志の行為ではなく、税金は強制的に徴収される。権力は「ブラッドマネー」の貸し手(ロスチャイルドなど)に依存し、彼らは政府に金を貸し、人々を奴隷化し搾取する。スプーナーは政府を「秘密の強盗と殺人者の集団」と呼び、アメリカの南北戦争を「北部の製造業者と商人が南部市場の支配権を維持するため」の戦争として批判した。

第9章: ヨハン・モスト (Johann Most)

モストは革命闘争の科学で暴力的革命によるアナキスト社会の実現を主張した。彼は「行為によるプロパガンダ」という概念と用語を広め、爆弾やテロを政治的立場を進める手段として促進した。彼の著作は爆発物の製造方法を詳細に記述しており、爆弾製造の試みの多くが失敗することを認めつつ、革命の武装準備の重要性を強調する。彼は「DIYのダイナミット製造」を現実的でないとし、「既存の産業源からの入手」を勧めた。彼は「金のためなら何でも手に入る、ダイナミットも同様だ」と主張する。

第10章: ルイス・リング (Louis Lingg)

リングは1886年のヘイマーケット事件で処刑された「殉教者」の一人である。彼の裁判での最後の言葉は若い革命家たちに影響を与えた。リングは裁判で爆弾投げの罪で告発されたことを非難し、証拠不十分であると主張した。彼は「アナキズム」が犯罪化されていることを指摘し、「アナキズムは人間の支配や権威を認めず、『無秩序』ではなく、そのような『秩序』を必要としない状態」と定義した。彼は力の使用を擁護し、「彼らが大砲を使うなら我々はダイナミットを使う」と宣言した。処刑前に自殺したリングは壁に「アナキズム万歳!」と血で書き残した。

第11章: ベンジャミン・タッカー (Benjamin R. Tucker)

タッカーの国家社会主義とアナキズムは二つの概念を対比し、アダム・スミスの「労働は価格の真の尺度」という原則から始まる社会主義経済原理を説明する。彼によれば、国家社会主義は「個人の選択に関係なく、すべての人間の事柄を政府が管理すべきだという教義」である。対照的にアナキズムは「すべての人間の事柄が個人または自発的団体によって管理され、国家が廃止されるべきだという教義」である。タッカーはアナキストの経済プログラムを説明し、貨幣独占土地独占関税独占特許独占という主要な独占を特定する。彼は自発的な関係と自由な競争に基づく社会を提唱する。

第12章: ピョートル・クロポトキン (Peter Kropotkin)

クロポトキンはパンの略奪でアナルコ・コミュニズムの実践的なビジョンを描いた。彼は「競争はジャングルの法則だが、協力は文明の法則だ」と主張し、社会的ダーウィニズムに代わる進化した選択肢としてアナキズムを位置づけた。アナキスト共産主義は、個人の自由を最大限に保障する相互扶助と平等に基づく社会を目指す。彼は接収という概念を通じて、社会的富の再分配と生産手段の公有化を主張した。クロポトキンは国家が人間の自己保存と主権の本能に反すると論じ、各個人が「各人がその能力に応じて、各人にその必要に応じて」という原則で協力する未来社会を構想した。

第13章:私たちの時代の奴隷制 (The Slavery of Our Times)

トルストイは政府の本質は暴力だと論じる。労働者の悲惨な状況は奴隷制の結果であり、それは法律によって維持される。政府は組織的暴力の独占を主張し、人々の自由を制限する。多くの社会機能は政府なしでより効率的に運営できるロシアや欧米の政府は、自発的に組織された相互扶助が国家の干渉なしでうまく機能しているにもかかわらず、干渉を続ける。国家は抑圧的な階級秩序を維持し、支配者の利益のために人々を分割する。政府を廃止する方法は、税金の支払い拒否や公職の拒否など、暴力的でない不服従を通じてである。他者を支配するための国家暴力への参加を拒否することが、奴隷状態からの脱却への道である。

第14章:刑務所と犯罪 (Prisons and Crime)

現代の刑務所システムは改革よりも懲罰に焦点を当てている。この懲罰は本質的に復讐であり、犯罪者に苦痛を与えるが被害者を賠償しない。刑務所は犯罪者を敵対的な存在に変え、社会に対する憎悪を生み出す。罰則の厳しさではなく、正義が犯罪を抑止する。若い犯罪者を収容する「改革」施設でさえ、実際には新たな犯罪者を生み出す環境となっている。刑務所は更生ではなく、「犯罪の学校」として機能している。現行の制度は犯罪者にスティグマを与え、社会復帰を困難にする。政府による刑罰システムは人間の価値を破壊し、社会に害をもたらす。効果的な犯罪対策には犯罪者が被害者に賠償し、社会に再統合される仕組みが必要である。

第15章:アナーキズムとアメリカの伝統 (Anarchism & American Traditions)

アナーキズムはアメリカの建国の伝統と一致する。アメリカ革命は単なる戦争ではなく、自治と自由の原則を確立する試みだった。建国の父たちは、統治者の権力を制限し、市民の自由を保護するメカニズムを築こうとした。しかし時間の経過とともに、これらの制限は侵食され、連邦政府の権力が拡大した。政府教育は市民の批判的思考を抑制し、国家への従順を促進する。商業と製造業の発展は政府権力の拡大を促進した。アナーキズムは、アメリカ独立革命の精神を保持する唯一の政治哲学である。真の自由は国家からの解放と個人の自律を通じてのみ達成される。アナーキズムは、すべての人間が尊厳を持って平等に生きる世界を目指している。

第16章:多数派に対する少数派 (Minorities versus Majorities)

エマ・ゴールドマンは「多数派」の支配を批判する。社会全体が量を質より重視し、政治制度は単なる数の力によって正当化される。選挙では、最大票数を得た政党が勝ち、大衆は指導者に従う。歴史的に見て、あらゆる進歩的な変化は多数派ではなく少数派から生まれた。個人の独創性と勇気が社会進歩の原動力である。多数派は常に革新と変化に抵抗し、指導者に従うことを好む。大衆は自由よりも物質的安全を選ぶ傾向があり、批判的思考を放棄する。真の社会変革は個人の自発的な活動と少数派の先駆的取り組みによってのみ達成される。社会主義運動でさえ、大衆運動になると革命的性格を失っていく。

第17章:ダイナマイト! (Dynamite!)

この論考は政治的暴力の正当化を主張している。国家の暴力に対しては、無力な労働者は「ダイナマイト」のみを持つ。ロックフェラーなどの資本家が労働者に対して行使する暴力と抑圧が描かれる。労働者たちはタウントン、ニューヨークでの抗議活動で警察から暴力を受け、逮捕された。ロックフェラー一族はルドロー虐殺で女性や子供を含む労働者を殺害した。このような状況下では、アナーキストによる爆発物の使用は自己防衛の一形態と見なせる。支配階級が法的暴力を独占する社会では、被抑圧者は自らを守るために過激な手段を取らざるを得ない。「言論の自由が抑圧され、男性が食料を求めて投獄され、集会のために殴打されるとき、暴力に対抗する唯一の手段は—ダイナマイトである」と主張する。

第18章:自由の市場 (The Market for Liberty)

アナキャピタリズムの視点から、強制に対処する市場メカニズムを提案している。現行の刑事司法制度は復讐ではなく、被害者への賠償に基づくべきである。犯罪は「社会に対する」ものではなく、被害者に対する行為である。自由市場では、保険会社が被害者を補償し、加害者から賠償金を回収する。仲裁会社が紛争を解決し、加害者は賠償金を支払うために監督下で働く。このシステムは強制的税金なしで機能し、被害者の補償と加害者の社会復帰を両立させる。競争市場は複数の保護サービスを提供し、現在の国家独占よりも効率的で公正である。理性的自己利益に基づくこのシステムは、強制力を用いず社会秩序を維持できる。

第19章:自由の機械 (The Machinery of Freedom)

デイヴィッド・フリードマンは無政府資本主義社会における安定性防衛の問題を検討する。無政府資本主義社会は、マフィアや権利執行機関が政府に変わる可能性がある「安定性問題」を抱えているという批判に対し、市場インセンティブがこれを防ぐと反論する。警察とは異なり、民間防衛機関は顧客満足度を維持するため、従業員の不正を厳しく取り締まる。武力紛争はすべての当事者にとって非常に高価につくため、権利執行機関は協力するインセンティブを持つ。国家防衛という「難問」については、自発的な民兵組織、慈善事業、義務感に基づく寄付の組み合わせが効果的な防衛を提供できる可能性を示唆する。第二修正条項のような解決策—少数の専門家と大規模な素人の民兵を組み合わせる—が適切かもしれない。

第20章:国家の解剖学 (Anatomy of the State)

マーレイ・ロスバードは国家の本質と機能を分析する。国家は「社会的サービス機関」ではなく、力と暴力の独占を維持する組織である。「私たちは政府である」という言説は個人に対する政府の行為を正当化する幻想を作り出す。国家は生産と交換という「経済的手段」の代わりに「政治的手段」(強制と収奪)を用いる寄生的存在である。国家は征服と搾取から生まれ、被支配者の同意を確保するためにイデオロギー的支配を必要とする。知識人はこの支配を正当化する「世論形成者」として機能する。国家は伝統、民族主義、科学への訴えなどを通じて自らの権威を強化する。「社会力」(自然に対する人間の協力的力)と「国家力」(人間に対する強制力)の歴史的闘争において、20世紀は国家権力が優位に立った時代である。

第21章:法の支配の神話 (The Myth of the Rule of Law)

「法の支配」は危険な神話である。人々は法が固有に政治的だと知りながら、同時に客観的で中立的なルールだと信じる矛盾した考えを持つ。この「ダブルシンク」により、国家は自由を蚕食しながら支持を維持できる。法律は矛盾する規則と原則の集合体であり、どのような法的結論にも論理的に到達できる。法的推論の誤りは、単一の正しい解決策があるという前提にある。判事の同質的なイデオロギー的背景が法の「安定性」をもたらすが、これは法の客観性の証明ではない。法の支配の神話は、人々が「法と秩序」を混同し、国家以外の秩序供給源を想像できなくする。独占的な法体系は一部の価値観を全員に押し付けるが、自由市場では多様な「法的システム」が発展し、個人のニーズに応じたサービスを提供できる。

第22章:私が今年も投票しない理由 (Why I Won’t Vote This Year—Or Any Year)

マイケル・マリスは投票という行為を拒否する理由を説明する。年に一度秘密裏にスイッチを切り替えることは「声を上げる」ことにはならない。選挙は形式的なものにすぎず、権力者はすでに決定した行動の事後的正当化として投票を利用する。彼は北朝鮮やソ連について研究し、一党制であれ二党制であれ、形式的な選択肢は真の自由を構成しないと論じる。教育を受けた人々でさえ、人気コンテストの勝者に従う傾向がある。彼は投票を拒否する理由を、カトリックでない人がカトリックの聖体拝領を拒否するのと同じだと説明する—ローマ教皇が魂の管理者でないのと同様に、大統領も彼の人生の指導者ではない。これは無知や邪悪さの表れではなく、異なる信念体系の表現である。


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