
日本語タイトル:『T.A.Z.:一時的自律ゾーン、存在論的無政府主義、詩的テロリズム』ハキム・ベイ 1991年
英語タイトル:『The Temporary Autonomous Zone, Ontological Anarchy, Poetic Terrorism』Hakim Bey 1991年
目次
- カオス:存在論的無政府主義の宣言 / Chaos: The Broadsheets of Ontological Anarchism
- 詩的テロリズム / Poetic Terrorism
- 狂愛 / Amour Fou
- 野生の子どもたち / Wild Children
- 異教主義 / Paganism
- 芸術破壊工作 / Art Sabotage
- アサシン / The Assassins
- 花火 / Pyrotechnics
- カオス神話 / Chaos Myths
- ポルノグラフィー / Pornography
- 犯罪 / Crime
- 魔術 / Sorcery
- 一時的自律ゾーン / The Temporary Autonomous Zone
- 革命を待つこと / Waiting for the Revolution
- 日常生活の精神地形学 / The Psychotopology of Everyday Life
- ネットとウェブ / The Net and the Web
- クロアタンへ行った / “Gone to Croatan”
- 組織原理としての音楽 / Music as an Organizational Principle
- 消失としての力への意志 / The Will to Power as Disappearance
- 情報のバビロンにおける抜け穴 / Ratholes in the Babylon of Information
全体の要約
本書は現代アメリカの神秘主義思想家ハキム・ベイによる無政府主義思想の集大成である。著者は既存の革命概念を批判し、代替として「一時的自律ゾーン」(TAZ)という概念を提唱する。TAZとは、国家の支配を逃れて一時的に自律性を獲得する時空間のことで、永続的な革命ではなく瞬間的な解放の実現を目指す。
第一部「存在論的無政府主義の宣言」では、カオス(混沌)を創造的原理として捉え、既存の秩序への対抗を宣言する。詩的テロリズム、狂愛(アムール・フー)、野生の子どもたちなど、既成概念を破壊し新たな現実を創造する手法を論じる。異教主義への回帰、芸術による破壊工作、魔術的実践なども、支配体制への抵抗手段として位置づけられる。
第二部では中心概念であるTAZを詳述する。著者は伝統的革命が必ず反動を生む歴史的パターンを指摘し、永続的変革の不可能性を論じる。代わりに一時的だが真の自由を体験できる空間の創造を提案する。海賊のユートピア、アメリカ先住民社会、歴史上の反乱などを例に、TAZの実現可能性を示す。
情報技術の発展により、従来の国家統制から逃れるネットワーク(ウェブ)の構築が可能になったと主張する。このウェブを通じてTAZが形成され、短期間だが真の自律を体験できるとする。最終的に、消失という戦術によって権力との直接対決を避けながら、自由な生活を実現する道筋を示している。
各章の要約
第1章 カオス:存在論的無政府主義の宣言
カオス(混沌)は死んでいない。それは原初の創造的原理であり、あらゆる秩序と無秩序に先立つ存在である。権力者たちは我々に善悪の概念を売りつけ、身体への不信と預言者としての混沌への恥を植え付けた。しかし実際には法の鎖は決して存在せず、悪魔が星を守ったこともない。混沌の代理人たちは愛の犯罪者として行動し、既存の教会・国家・学校・工場の妄想的一枚岩の隙間を這い回る。我々は失われた言葉と想像上の爆弾を求めてトンネルを掘り続ける。
第2章 詩的テロリズム
真夜中のコンピューター銀行ロビーでの奇怪な踊り、不法な花火の展示、国立公園への奇妙な地上絵の設置など、既成概念を破壊する芸術的行為を提唱する。詩的テロリズムは観客に恐怖と同程度の強い美的衝撃を与えなければならない。それは舞台も客席もチケットも壁もない残酷劇場での行為である。認識可能な芸術カテゴリーを避け、政治を避け、議論のために留まらず、センチメンタルにならず、無慈悲であれ。芸術としての犯罪、犯罪としての芸術を実践せよ。
第3章 狂愛
狂愛(アムール・フー)は社会民主主義でも二人の議会でもない。それは巨大すぎるが正確すぎて散文では表現できない意味を扱う秘密会議の議事録である。当然ながら教師や警察を嫌悪するが、解放主義者やイデオローグも同様に軽蔑する。それは清潔で明るい部屋ではない。各々が地図の半分を所有し、二人のルネサンス君主のように身体の結合と液体の融合によって新たな文化を定義する。存在論的無政府主義は最後の釣り旅行から戻ってこなかった。狂愛は銀河の摂取のみを主要目標とする変容の陰謀である。
第4章 野生の子どもたち
五月中旬の満月の夜、二次元でしかない州で、その光の道は測り知れない。野生の子どもたちには散文で書くことはできない。彼らは映像で思考し、散文は完全に消化され骨化されていないコードである。彼らにとって空想と想像は未分化のままだ。無制限の遊びは芸術の源泉であり、種族の最も稀な愛の源でもある。十歳や十三歳の子どもと同様に、芸術家も何らかの種類の者である。澄んだ感覚が彼らを輝かしい美的快楽の魔術に陥れる野生の子どもたちは、現実の本質における野生で汚れた何かを反映している。
第5章 異教主義
星座によって魂の舟を導く。もしイスラム教徒がイスラムを理解したなら偶像崇拝者になるだろう。超自然を感知する器官は感覚とともに萎縮する。バラカ(祝福の力)を感じることができない者は世界の愛撫を知ることができない。異教の身体は天使たちの法廷となり、彼らは皆この場所を楽園として認識する。存在論的無政府主義は終末論には原始的すぎる。事物は現実であり、魔術は働き、森の精霊は想像力と一体である。異教主義はまだ法を発明していない、美徳のみがある。聖職者制度も神学も形而上学も道徳もなく、ただ誰もがヴィジョンなしには真の人間性を獲得できない普遍的シャーマニズムがある。
第6章 芸術破壊工作
芸術破壊工作は完璧に模範的であろうと努めるが、同時に不透明さの要素を保持する。宣伝ではなく美的衝撃、恐ろしく直接的でありながら微妙に角度をつけて、隠喩としての行動である。それは詩的テロリズムの暗黒面、破壊を通じた創造だが、いかなる党にも虚無主義にも芸術自体にさえ仕えることはできない。芸術破壊工作は意識、注意深さ、覚醒のみに仕える。個々の芸術作品は大部分無関係である。芸術破壊工作は意識を減少させ妄想によって利益を得る制度に損害を与えることを求める。公開焚書も一つの手段である。何の名の下でもなく、ただ優雅さへの心の憧れの名の下で帝国のシンボルを粉砕せよ。
第7章 アサシン
砂漠の光沢を横切り、多彩な丘陵地帯へ、毛のない赤茶色と紫と暗褐色の、乾燥した青い谷の頂上で、旅人たちは人工的なオアシス、隠された庭園を囲むサラセン風の要塞化された城を発見する。山の老人ハッサン・サッバーハの客として、彼らは岩を刻んだ階段を登って城へ向かう。ここでは復活の日がすでに来て去った。内部の者たちは俗世の時間の外で生活し、短剣と毒でそれを寄せ付けない。存在の階層は無次元の現実の点に圧縮された。彼らにとって法の鎖は破られ、断食を酒で終わらせる。アラムート(イーグルズ・ネスト)の紋章は心に残り、歴史に失われたが意識に埋め込まれたマンダラである。
第8章 花火
中国人によって発明されたが戦争のために発展させられることはなかった詩的テロリズムの見事な例。美的衝撃を引き起こす武器であり、殺すためのものではない。中国人は戦争を嫌い軍隊が徴発されると喪に服した。火薬は邪悪な悪魔を脅かし、子どもたちを喜ばせ、勇敢で危険な匂いで空気を満たすのにより有用だった。爆竹、ロケット花火、蝶々、M-80、ひまわり、「春の森」。地元の銀行や醜い教会をローマ花火と紫金色の打ち上げ花火で攻撃し、即興的かつ匿名で行う。雲彫刻、煙彫刻、旗は空気芸術である。数瞬間の間、帝国は倒れ、王子と総督は冥府の泥に逃げ込む。アサシンの子、火の精神が、短いシリウス座の熱い夜を支配する。
第9章 カオス神話
見えないカオス、所有されず通り過ぎることのないカオス、絶対的闇のカオス、触れられず触れることのできないもの。カオスは天空の山に止まる。黄色い袋や赤い火の玉のような巨大な鳥で、六本の足と四枚の翼を持ち、顔はないが踊り歌う。あるいはカオスは黒い長髪の犬で、盲目で聴覚もなく五臓を欠いている。あらゆる実現した意識は「皇帝」であり、その唯一の統治形態は自然の自発性、タオを乱さないために何もしないことである。賢者はカオス自体ではないが、カオスの忠実な子である。存在論的無政府主義は道教徒の完全な静寂主義に同意しない。我々の世界ではカオスが若い神々、道徳主義者、男根崇拝者、銀行家祭司に打倒された。カオスは決して死ななかった。
第10章 ポルノグラフィー
ペルシャで詩は音楽に合わせて歌われることを知った。それが機能するからである。イメージと旋律の正しい組み合わせは聴衆をハール(感情的・美的気分と超覚醒の忘我状態の中間)に陥らせる。我々にとって詩と身体の結びつきは吟遊詩人の時代とともに死んだ。デカルト的麻酔ガスの影響下で読んでいる。東洋では詩人が時に牢獄に投げ込まれるが、これは作者が少なくとも盗みや強姦や革命と同程度に現実的なことをしたことを示唆する賛辞の一種である。支配者が詩を犯罪と見なすことを拒むなら、誰かが詩の機能を果たす犯罪を犯すか、テロリズムの共鳴を持つテキストを作らなければならない。いかなる犠牲を払っても詩を身体に再接続せよ。
第11章 犯罪
正義はいかなる法の下でも得ることはできない。自発的自然に従った行動、正義である行動は教義によって定義されることはできない。これらの宣言書で提唱される犯罪は自己や他者に対して犯すことはできず、毒性の王座と支配の死の結晶化したイデアの構造に対してのみ犯すことができる。自然や人間性に対する犯罪ではなく、法的命令による犯罪である。遅かれ早かれ、自己・自然の発見と暴露は人を山賊に変える。法は我々が存在様式、FDA承認の紫色スタンプ付き標準死肉とは異なる魂を発見するのを待っている。そして我々が自然と調和して行動し始めるとすぐに、法は我々を絞殺し首を絞める。
第12章 魔術
宇宙は遊びたがっている。乾いた精神的欲望から拒否し純粋な瞑想を選ぶ者は人間性を失う。鈍い苦悶から拒否する者、躊躇する者は神性の機会を失う。魔術とは高められた意識や非通常の覚醒の体系的培養と、望ましい結果をもたらすために行為と対象の世界でのその展開である。知覚の漸進的開放は偽りの自己、我々の騒々しい幽霊を次第に追放する。嫉妬と復讐の「黒魔術」は欲望を強制することができないため裏目に出る。我々の美の知識が自然の遊戯と調和するところで魔術が始まる。魔術師は単純な現実主義者である。世界は現実であるが、意識もその効果が非常に具体的であるため現実でなければならない。
第13章 一時的自律ゾーン:革命を待つこと
なぜ「世界がひっくり返る」ことがいつも元に戻ってしまうのか。なぜ反動は常に革命に続くのか。蜂起や反乱は、革命、反動、裏切り、より強力で抑圧的な国家の建設という期待される曲線に一致しない運動を指すために歴史家が使う言葉である。この曲線に従わないことで、蜂起は歴史の「進歩」のヘーゲル的螺旋を超えた動きの可能性を示唆する。歴史が「時間」だと主張するなら、蜂起は時間から湧き上がり出る瞬間、歴史の「法」に違反する。国家が歴史だと主張するなら、反乱は禁じられた瞬間、弁証法の許しがたい否定である。一時的自律ゾーン(TAZ)は、国家と直接関わることなく蜂起に伴う高揚感の質を提供できる戦術である。
第14章 日常生活の精神地形学
TAZ概念は第一に革命への批判と蜂起への評価から生まれる。第二の生成力は「地図の閉鎖」と呼ぶ歴史的発展から生まれる。1899年に最後の未開地が消費され、我々は未知の大地のない最初の世紀を迎えた。国籍が世界統治の最高原理となった。これは「領土的暴力団主義」の頂点である。しかし地図は政治的抽象格子であり、巨大な詐欺である。専門家国家の人参と棒の条件付けによって強制され、大部分の人にとって地図が領土になるまで続く。しかし地図は抽象であるため1対1の正確さで地球を覆うことはできない。実際の地理の分形的複雑さの中で、地図は次元格子しか見ることができない。隠れた内包された無限性が測定棒から逃れる。
第15章 ネットとウェブ
TAZに寄与する次の要因は、独自の章を必要とするほど広大で曖昧である。すべての情報と通信転送の総体として定義できるネットについて語った。これらの転送の一部は様々なエリートに特権化され制限されており、ネットに階層的側面を与える。しかし他の取引は全員に開かれており、ネットには水平的・非階層的側面もある。ネット内部で、我々がウェブと呼ぶ影のような対抗ネットが出現し始めた。一般的にウェブという用語を、情報交換の代替水平開放構造、非階層ネットワークを指すのに使い、対抗ネットという用語は、実際のデータ海賊行為やネット自体からの寄生的摂取を含む、ウェブの秘密裏の違法で反逆的使用を示すために取っておく。
第16章 「クロアタンへ行った」
TAZやそれを創造する方法について教義を定義したり詳述したりする願望はない。むしろそれは創造されてきた、創造されるだろう、創造されつつあると主張する。したがって過去と現在のいくつかのTAZを見て将来の現れについて推測する方がより価値があり興味深いだろう。16-17世紀とニューワールドの入植から始める。新世界の開放は最初から秘教的作業として構想された。魔術師ジョン・ディーがエリザベス1世の精神的顧問として「魔術帝国主義」の概念を発明した。ロアノーク植民地は最初の実験だった。植民者たちは消失し、「クロアタンへ行った」とだけ残した。しかしクロアタンは友好的なインディアンの部族名だった。最初の植民地が契約を放棄し野生の民と合流することを選んだのである。
第17章 組織原理としての音楽
古典的無政府主義の歴史をTAZ概念の観点から見る。「地図の閉鎖」以前、かなりの反権威主義エネルギーがモダンタイムズや様々なファランステールなどの「逃避主義」的コミューンに向けられた。興味深いことに、それらの一部は「永遠に」続くことを意図されておらず、プロジェクトが充実している間だけ続くことを意図されていた。パリ、リヨン、マルセイユのコミューンは永続性の特徴を身に着けるほど長く生存しなかった。我々の観点から最も魅力的なのはコミューンの精神である。ダヌンツィオのフィウーメ共和国は知られていないが永続することを意図されていなかった。憲法は音楽を国家の中心原理と宣言した。芸術家、ボヘミアン、冒険家、無政府主義者が群れをなしてフィウーメに現れ始めた。パーティーは決して止まらなかった。
第18章 消失としての力への意志
フーコー、ボードリヤールらは様々な「消失」の様式を詳細に論じた。TAZがある意味で消失の戦術であることをここで示唆したい。理論家たちが社会の消失について語るとき、部分的には「社会革命」の不可能性を、部分的には「国家」の不可能性を意味する。権力の深淵、権力の言説の終わり。この場合の無政府主義的問題は、すべての意味を失い純粋なシミュレーションになった「権力」になぜ対峙するのかということである。そのような対立は軍械庫と監獄のすべての鍵を相続した空っぽな頭の愚か者による危険で醜い暴力痙攣しかもたらさないだろう。消失は我々の時代にとって非常に論理的な急進的選択肢のように思われ、決して急進的プロジェクトの災害や死ではない。
第19章 情報のバビロンにおける抜け穴
TAZが意識的な急進戦術として出現するのは特定の条件下である。心理的解放が必要で、自由が可能であるだけでなく実際である瞬間と空間を実現しなければならない。対抗ネットが拡大しなければならない。現在それは現実性よりも抽象性を反映している。統制装置である「国家」は同時に溶解し石化し続けなければならない。現在の進路において、ヒステリックな硬直性がますます力の空虚、深淵を覆い隠すようになっている。権力が「消失」するとき、我々の力への意志は消失でなければならない。TAZは単なる芸術作品として見ることができるかという問題をすでに扱った。しかし情報のバビロンにおける貧しい鼠の穴、より多くの接続を持つトンネルの迷路にすぎないのか、海賊的寄生主義の経済的行き詰まりに専念しているだけなのかと要求するだろう。
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