
英語タイトル:『The Defeat of the West』Emmanuel Todd with Baptiste Touvereu 2024
日本語タイトル:『西洋の敗北』エマニュエル・トッド(バティスト・トゥーヴルレ協力) 2024
目次
- 導入:戦争の十の驚き / Introduction:The Ten Surprises of the War
- 第1章:ロシアの安定 / 1. Russian Stability
- 第2章:ウクライナの謎 / 2. The Ukrainian Enigma
- 第3章:東欧におけるポストモダンな反露感情 / 3. In Eastern Europe, a Postmodern Russophobia
- 第4章:西洋とは何か? / 4. What is the West?
- 第5章:ヨーロッパの幇助自殺 / 5. The Assisted Suicide of Europe
- 第6章:英国:「ゼロ国家」へ / 6. In Great Britain:Towards the Zero Nation (Croule Britannia)
- 第7章:スカンジナビア:フェミニズムから好戦性へ / 7. Scandinavia:From Feminism to Bellicosity
- 第8章:アメリカの本質:寡頭制とニヒリズム / 8. The True Nature of America:Oligarchy and Nihilism
- 第9章:アメリカ経済をしぼませる / 9. Deflating the American Economy
- 第10章:ワシントン・バンド / 10. The Washington Band
- 第11章:なぜ「世界の残り」はロシアを選んだのか / 11. Why the Rest of the World Chose Russia
- 結論:アメリカはいかにウクライナの罠に陥ったか / Conclusion:How the United States Fell into the Ukrainian Trap
- 追記:アメリカ的ニヒリズム:ガザによる証明 / Postscript:American Nihilism:Proof by Gaza
本書の概要
短い解説:
本書は、2022年に始まったロシアのウクライナ侵攻を「西洋の敗北」という歴史的大転換の核心として分析し、その背後にある西洋内部の長期的な衰退と、世界秩序の再編を描き出す。国際情勢や現代史に深い関心を持つ一般読者を対象とし、地政学や経済学に留まらない、人口学・宗教学・人類学を基盤とした独自の視点を提供する。
著者について:
著者エマニュエル・トッドは、フランスの歴史人口学者・人類学者・エッセイスト。家族構造の比較分析を基盤に、ソ連崩壊やイスラム圏の動向、西洋の衰退などを長期スパンで予見・分析してきた。本書では、彼の方法論である「深層人類学」を駆使し、表層的な政治分析を超えた文明の深部から現代の地政学的衝突を読み解く。
テーマ解説
- 主要テーマ:西洋文明の内発的衰退と世界における相対的没落
- 新規性:ウクライナ戦争を「西洋の敗北」として位置づけ、軍事衝突よりも文明史的転換点と見なす視点
- 興味深い知見:「世界の残り(the Rest of the World)」の選択が、西洋中心の世界秩序の終焉を決定づけた
キーワード解説(抜粋)
- 深層人類学:家族構造、識字率、出生率、宗教的変容など、長期的で無意識的な社会構造を分析し、政治やイデオロギーの底流を理解する手法。
- ニヒリズム(西洋):本書における核心概念。プロテスタンティズムの消失に伴う価値観の空洞化、倫理的指針の喪失状態を指し、アメリカの寡頭制やウクライナの解体状態、EUの自殺的傾向の根源とされる。
- 「世界の残り」:西洋(米国・欧州・その同盟国)以外の広大な地域(中国、インド、中東、アフリカ、ラテンアメリカ等)。著者は、この大多数がウクライナ戦争において積極的あるいは消極的にロシアを支持し、西洋の孤立を示したと論じる。
- 経済的批判:軍事費やドル基軸通貨体制の持続可能性に疑問を呈し、特にアメリカ経済の実体的な弱体化を強調する分析。
- 地政学的罠:アメリカ・NATOが自らの拡大と傲慢によって招いた戦略的破綻。ロシアを追い詰め、自らが主導権を失う状況を作り出した過程。
3分要約
本書は、ウクライナ戦争を「西洋の敗北」を決定的に示す事件と位置づける。その分析の出発点は、冷戦終結という「歴史の終わり」の幻想に反し、歴史は再び動き出したという認識にある。ソ連崩壊は確かにロシアを一時的な危機に陥れたが、真の地政学的帰結は、自らも1980年代から内部衰退を始めていた「西洋」が、その空虚なイデオロギー(新自由主義、そして最終的にはニヒリズム)とともに、世界的な権力の真空に吸い込まれ、無謀な拡張を行ったことにある。
この拡張の最前線となったのがNATOの東方拡大であり、その究極的な衝突点がウクライナであった。しかし、西洋はそこで想定外の現実に直面する。第一に、プーチン体制下で政治的・社会的に「安定」し、伝統的・保守的価値観を基盤に再び大国としての自覚を取り戻したロシアの強靭さである。第二に、ウクライナ自体が、ソ連崩壊後の混乱と民族的亀裂、オリガルヒによる支配の中で「ニヒリズム」の状態に陥り、それが西洋のニヒリズムと共鳴して戦争を先鋭化させたという現実である。
著者は、戦争の原因を東欧の「ポストモダンな反露感情」やアメリカの戦略のみに求めるのではなく、西洋文明そのものの病的な衰退プロセスに遡る。それは、アメリカにおけるプロテスタント倫理の消滅と寡頭制的ニヒリズムへの変質、英国における金融化と国家アイデンティティの溶解(「ゼロ国家」化)、EU(特にドイツ)におけるエネルギー的自殺と主権放棄、スカンジナビアにおける平和主義から好戦的リベラリズムへの急変など、多面的に現れている。これらの社会は、かつての文化的・宗教的基盤を失い、実体的な経済力も衰えつつあるにもかかわらず、道徳的優越感に基づいて世界に干渉しようとする。
その結果、西洋は自らが「世界の残り」から孤立していることに気づかされる。中国、インド、中東、アフリカ、ラテンアメリカなどの大多数は、この戦争において西洋陣営に加わらず、むしろロシアに多かれ少なかれ同調する選択をした。これは単なる中立ではなく、アメリカ主導の一極支配に対する明確な拒絶の意思表示である。したがって、ウクライナ戦争は、軍事的前線での勝敗以上に、世界的な合法性と影響力という次元で、西洋が決定的な敗北を喫したことを意味する。結論として著者は、アメリカとNATOがロシアを追い詰めるという「罠」を自ら仕掛け、それにはまり、主導権を失ったと断じる。追記では、2023年秋以降のガザ情勢におけるアメリカの対応を、自らの宣言した原則を平然と踏みにじる「ニヒリズム」の証左として提示し、西洋の道徳的権威の完全な失墜を補強する。
各章の要約
導入:戦争の十の驚き
ウクライナ戦争は、西洋のメディアやエリートが予想した「ロシアの即時崩壊」や「西洋の結束した勝利」とは全く異なる経過をたどった。著者は、この戦争が露わにした十の逆説的で意外な事実を提示する。それは、ロシア社会の予想外の結束、ウクライナ国家の本質的脆弱性、東欧諸国の過剰な反露感情の背景、そして何より「西洋」という概念自体の空洞化と、それが「世界の残り」から孤立している現実である。これらの「驚き」は、表層的な報道を超えた深層の社会的・人類学的要因を分析しなければ理解できない。
第1章:ロシアの安定
西洋の崩壊予想に反し、プーチン体制下のロシアは驚くべき社会的・政治的安定を達成している。この安定の基盤は、ソ連崩壊後の混沌を経て、人口学的均衡(出生率の回復)、伝統的家族モデルへの回帰、そして国家主権と保守的価値観を中心とする新たな国民的合意が形成されたことにある。ロシアはもはや拡張的な共産主義イデオロギーを掲げず、自国の文明圏を守る「保守的大国」として振る舞っている。この内側に向かった強固なアイデンティティが、外的制裁や戦争の困難に耐える力を生み出している。
著者はこう述べる。「ロシアは、自分自身になることをやめてしまった西洋に対して、自分自身であり続けることで対抗している。」
第2章:ウクライナの謎
ウクライナは、西洋から「民主主義の最前線」として英雄視されるが、その内実はソ連崩壊後の「ニヒリズム」が深く浸透した分裂社会である。東西の地域対立、オリガルヒによる国家の私物化、極端なナショナリズム、そして人口の急激な減少が、国家としての健全な基盤を蝕んできた。2014年のマイダン革命は、西洋的な価値への転換というより、この腐敗した体制内部の権力闘争の色合いが強かった。ウクライナの「西洋化」は、実体的な社会変革ではなく、反ロシアという一点でのみ成立する空虚なイデオロギーとなっており、それが戦争を長期化・先鋭化させる一因となっている。
第3章:東欧におけるポストモダンな反露感情
ポーランドやバルト三国などの旧東欧諸国は、最も強硬な反ロシア・親ウクライナの立場を取る。しかし、この感情は単なる歴史的恐怖(ソ連支配)の反復ではない。それは「ポストモダン」な様相を帯びており、自らが西洋の一部であることを過剰に証明しようとするアイデンティティ政治の側面が強い。すなわち、ロシアを「非西洋」の野蛮として排除することで、自らの「西洋」への所属を確認する心理が働いている。同時に、これらの国々はEU内で自国の国益を追求する現実主義も忘れていない。彼らの反露感情は、歴史的記憶と、現代の地政学的・心理的要因が複雑に混ざり合った産物である。
第4章:西洋とは何か?
今日、「西洋」という概念は地理的実体(西欧・北米)を越え、主にイデオロギー的・政治的陣営を指すようになった。それは、自由民主主義、人権、国際法に基づく秩序といった普遍的価値を自称する一方で、実際にはアメリカの覇権とその軍事同盟であるNATOによって具体化されている。しかし著者は、この「西洋」の本質は価値観の実体ではなく、むしろ「価値観の不在=ニヒリズム」が核心にあると指摘する。かつてキリスト教(特にプロテスタンティズム)が提供した倫理的基盤を失い、新自由主義的な市場原理と空虚な人権修辞が残っただけの文明が、今や世界を指導する資格を失いつつある。
第5章:ヨーロッパの幇助自殺
EU、特にその盟主であるドイツは、ウクライナ戦争において自殺的な政策を採っている。ロシアからの安価なエネルギー輸入を断ち切り、制裁という形で自国の産業基盤を傷つけ、巨額の軍事費とウクライナ支援によって財政を逼迫させている。この選択は、アメリカの圧力だけでなく、EU自身が内包する主権の放棄(国家主権から「法の支配」への移行という幻想)と、現実的な国益より道徳的姿勢を優先する「価値観外交」の帰結である。ドイツは自らの経済的成功を支えた現実主義的地政経済を捨て、結果として衰退への道を歩んでいる。ただし著者は、ドイツはその工業力と中央の位置ゆえに、最終的には現実に直面し、復活する可能性を秘めていると見る。
第6章:英国:「ゼロ国家」へ
英国は、金融サービスに特化した「虚構経済」への依存、EU離脱による孤立、スコットランドや北アイルランドの分離問題などによって、国家としての実体を失いつつある。かつてのユーモアのセンスさえ失ったこの「ゼロ国家」は、ウクライナ戦争において、アメリカに次いで好戦的な姿勢を示すことで、没落した大国としての存在感をかろうじて主張しようとしている。その政策は、自国の国益という現実的な計算よりも、かつての帝国の幻影と、現在のアイデンティティの空虚を覆い隠すための演劇的ジェスチャーに近い。
第7章:スカンジナビア:フェミニズムから好戦性へ
スウェーデンやフィンランドといった北欧諸国は、長年、中立・平和主義・フェミニズム・寛容社会のモデルとして自らを位置づけてきた。しかし、ウクライナ戦争を機に、これらはNATO加盟という軍事ブロックへの参加と、強硬な対露姿勢へと急速に転換した。この変化は、外部の脅威に対する反応というより、むしろこれらの社会が内包する「リベラルな価値観」自体が、自らを絶対化し、他者を排除・敵視する不寛容なイデオロギーへと変質したことを示している。平和の追求が、特定の価値観を守るための戦争の肯定へと倒錯したのである。
第8章:アメリカの本質:寡頭制とニヒリズム
現代アメリカの支配体制は、形式的民主主義を装った「寡頭制」である。政治エリート、軍事産業複合体、ウォール街、巨大テック企業などからなるこの寡頭集団は、自らの利益のために政策を動かす。そして彼らを動かすイデオロギー的核は、もはや自由や民主主義といった理想ではなく、あらゆる価値や真理を相対化・否定する「ニヒリズム」である。このニヒリズムは、かつてアメリカ社会を形成したプロテスタント倫理が完全に消滅した結果生じた精神的真空から生まれており、それは国内の政治的分断や文化的戦争、そして国外における無原則な介入主義の両方に現れている。
第9章:アメリカ経済をしぼませる
アメリカの経済的優位は、ドルの基軸通貨地位と金融的支配に依存する見かけ上のものであり、実体的な産業基盤は空洞化が進んでいる。巨額の貿易赤字、膨大な政府債務、社会インフラの老朽化がその証左である。ウクライナ戦争への関与と、それに伴う対ロシア制裁は、ドル体制への信頼を損ない、世界の非西洋諸国による脱ドル化の動きを加速させた。さらには、中国との新冷戦は、アメリカが安価な工業製品と資本を依存してきたグローバルサプライチェーンを断ち切るリスクをもたらす。アメリカは、自らの経済的弱みを顧みずに地政学的冒険を行い、かえって自らの経済的基盤を弱体化させる「逆説」に陥っている。
第10章:ワシントン・バンド
アメリカの外交・安全保障政策は、大統領個人を超えた永続的な官僚機構、諜報機関、シンクタンク、軍産複合体のネットワークによって形成される。この「ワシントン・バンド」(楽団)は、誰が政権に就いても演奏し続ける曲目、すなわち「アメリカの世界的リーダーシップ」と敵(かつてはソ連、今は中国とロシア)の存在を前提とした対外介入の楽譜を持っている。ウクライナ戦争は、彼らがロシアを主要な敵と見なし、NATO拡大を推進してきた長年の路線の当然の帰結である。バイデン政権は、この「バンド」の単なる指揮者に過ぎない。
第11章:なぜ「世界の残り」はロシアを選んだのか
ウクライナ戦争において決定的だったのは、西洋以外の広大な地域、すなわち「世界の残り」(BRICS諸国、イスラム世界、アフリカの大部分、ラテンアメリカ等)が、西洋の対ロシア制裁に参加せず、国連投票などで消極的あるいは積極的にロシアを支持する立場を取ったことである。この選択は、単にロシアへの共感ではなく、アメリカ一極支配に対する歴史的な不満、植民地主義の記憶、内政不干渉の原則へのこだわり、そしてドル支配からの脱却願望が結実したものである。彼らは、ウクライナ戦争を西洋対ロシアの局地戦ではなく、世界秩序の再編をかけた大きな闘いの一幕と見ている。この「世界の残り」の支持が、ロシアが経済的・政治的に孤立せずに戦いを継続することを可能にしたのであり、ここに西洋の「敗北」の本質がある。
結論:アメリカはいかにウクライナの罠に陥ったか
アメリカとNATOは、冷戦勝利後に生じた「歴史の終わり」の傲慢によって、ロシアを軽視し、その核心的な安全保障上の懸念(NATO東方拡大)を無視し続けた。彼らは、ロシアを弱体化したまま封じ込め、場合によっては解体できると考え、ウクライナをその最前線に仕立て上げた。しかし、これはロシアを追い詰め、自衛と国益のための断固たる反撃(ウクライナ侵攻)を誘発する「罠」であった。この戦争に引きずり込まれたアメリカは、自らが想定したような短期決戦での勝利を得られず、逆に「世界の残り」の前で影響力を失い、自国の経済的・社会的問題を悪化させる泥沼にはまり込んだ。罠を仕掛けたのは西洋であったが、落とし穴に足を踏み入れ、抜け出せなくなったのも西洋なのである。
追記:アメリカ的ニヒリズム:ガザによる証明
2023年10月のハマスによるイスラエルへの攻撃と、それに続くイスラエルのガザへの軍事作戦は、ウクライナ戦争に関する西洋(特にアメリカ)の言説の空虚さを白日のもとに曝した。アメリカはウクライナでは「国際法」「主権」「民間人保護」を声高に主張したが、ガザではイスラエルの行為に対してほぼ無条件に支持を表明し、大量の民間人犠牲生を事実上容認した。この明白な二重基準は、アメリカの外交が原則ではなく、同盟国イスラエルの国益と国内ユダヤ系ロビーの圧力、そして中東における地政学的計算によって動いていることを示す。これは、あらゆる普遍的価値観が自らの利益と方便の前で無化される「ニヒリズム」そのものの証明である。この事件は、西洋がウクライナで振りかざした道徳的権威が、世界の目に完全に信用を失った決定的瞬間であった。
西洋の自己破壊とニヒリズムの地政学:トッドが暴く「敗北」の深層構造 AI考察
by Claude 4.5
エマニュエル・トッドの『西洋の敗北』を読んで最初に気づくのは、この本がウクライナ戦争の「表面的な分析」を徹底的に拒否していることだ。プーチンが狂人か、ロシアが侵略国家か、という二項対立に囚われた議論を一蹴し、むしろ問題の根源は「西洋そのもの」にあると主張する。これは挑発的だが、パンデミック以降、政府やメディアの公式見解に疑問を持つようになった読者にとっては、極めて重要な視点転換かもしれない。
では、トッドの分析の核心は何か。それを掴むために、彼の議論構造を追ってみる必要がある。
プロテスタンティズムの「ゼロ状態」という鍵概念
トッドは、西洋の危機を理解する鍵を「宗教的基盤の崩壊」に見出している。具体的には、プロテスタンティズムが「ゾンビ化」を経て「ゼロ状態」に達したという診断だ。
まず、この論理を解きほぐしてみよう。プロテスタンティズムは歴史的に、教育の普及、勤勉倫理、共同体意識、国民国家の形成をもたらした。これが西洋の「成功」の基盤だった。しかし20世紀後半から宗教実践が衰退し始める。日曜礼拝の放棄(活動期の終焉)、しかし洗礼・結婚・土葬は維持される(ゾンビ期)、そして最終的に洗礼の廃止、火葬の一般化、同性婚の合法化が「ゼロ状態」を示す指標となる。
この「ゾンビ」から「ゼロ」への移行が、なぜこれほど重要なのか。トッドの主張は、宗教が単なる「信仰」ではなく、社会的結束、道徳律、集合的行動能力の源泉だったということだ。それが消滅すれば、個人は原子化し、共同体は崩壊し、「超自我」(理想的な自己像)を失った社会は、拠り所を失う。
待てよ、これは本当にそうなのか? 世俗化した社会でも、法の支配や民主的価値観は維持できるのではないか? しかしトッドが指摘するのは、まさにその「民主的価値観」自体が形骸化しているという現実だ。イギリスやアメリカでは、エリートと大衆の分断が進み、「代表制民主主義」は機能不全に陥っている。これを彼は「自由主義的寡頭制」と呼ぶ。多数派の意思は無視され、マイノリティ(特に富裕層)の権利保護が最優先される社会。
つまり、プロテスタンティズムが提供していた「平等主義的エートス」が失われた結果、不平等を正当化するメンタリティが広がり、寡頭制への道が開かれた、というのがトッドの因果連鎖だ。
「ニヒリズム」という診断の妥当性
トッドは、この宗教的ゼロ状態の帰結として「ニヒリズム」という概念を中心に据える。特にアメリカ社会の分析で、この言葉が繰り返し登場する。
ニヒリズムとは何か。通常は「価値の不在」「虚無」を意味するが、トッドが描くのはより具体的な現象だ。オピオイド中毒による「絶望死」、平均寿命の低下、生物学的現実を否定するトランスジェンダーイデオロギーの台頭、頻発する銃乱射事件、極端な監禁率と肥満率。これらは単なる社会問題ではなく、集合的な価値観の崩壊と自己破壊的傾向の表れだ、と彼は主張する。
外交政策においても、このニヒリズムは現れる。ウクライナへの無謀な関与、ガザでの暴力への本能的傾斜。これらは戦略的合理性ではなく、「暴力への欲求」によって動かされている。つまり、アメリカの意思決定は、もはや合理的なアクターの行動ではなく、内部の空洞化に駆られた破壊的衝動だと。
しかし、ここで立ち止まる必要がある。「ニヒリズム」という診断は、どこまで説明力を持つのか?
一つの疑問は、これが「原因」なのか「結果」なのか、あるいは単なる「ラベル」に過ぎないのではないか、ということだ。オピオイド危機は製薬業界の利益追求と政治的腐敗の産物でもある。外交政策の暴走は、軍産複合体の利害や「ブロブ」と呼ばれる外交エリートの組織的動機で説明できるかもしれない。これらを「ニヒリズム」という文化的・精神的概念で一括りにすることは、構造的・物質的要因を見落とす危険性がある。
とはいえ、トッドの強みは、単に「構造」だけでなく、「精神」の次元を視野に入れたことだろう。確かに製薬業界の腐敗は説明できるが、なぜ社会全体がそれを許容し、医師たちが加担し、議会が規制を妨げる法律まで通したのか? そこには、単なる利益追求を超えた、道徳的崩壊、「道徳ゼロ」状態がある、とトッドは見る。この視点は、単純な陰謀論(「製薬会社が悪い」)でも、単純な構造決定論(「資本主義が悪い」)でもない、より深い分析を可能にする。
ロシアの「安定性」という逆説
トッドの分析で興味深いのは、ロシアに対する評価だ。西側メディアは「プーチンの独裁」「失敗国家」というイメージを繰り返すが、トッドは逆に「ロシアの強靭性」を強調する。
その根拠は「道徳統計」だ。2000年から2017年にかけて、アルコール中毒死率、自殺率、殺人率が大幅に低下し、乳児死亡率は米国を下回った。これは社会の深部における「安定と平和の回復」を示している。経済面でも、制裁を乗り越え、農業で純輸出国となり、独自の金融システムを構築した。
さらに重要なのは、ロシアの家族構造が「父権的で共同体的」であり、これが「権威と平等」の価値観を生み、国民の結束を可能にしているという指摘だ。つまり、ロシアはソ連崩壊後の混乱を経て、伝統的な文化的基盤の上に「復活」した。これは西洋の「原子化」「個人主義の絶対化」とは対照的だ。
しかし、ここでも慎重に考える必要がある。トッドの分析は「ロシアの現実」をどこまで正確に捉えているのか?
確かに、西側メディアのロシア報道には明らかなバイアスがある。プーチンを「狂人」と決めつけ、ロシア社会を一枚岩の独裁体制として描く。これはステレオタイプであり、現実の複雑さを無視している。トッドがこの単純化を批判するのは正当だ。
しかし同時に、トッドの分析も理想化の危険性を孕んでいないか? 「道徳統計の改善」は確かに意味があるが、それだけで社会の「健全性」を測れるのか? ロシア社会にも深刻な問題はある。人口減少、脳流出、地方の疲弊、権威主義的な政治文化。これらはトッドも認めているが、彼の全体的な論調は「ロシアの強さ」を強調する方向に傾いている。
おそらく、ここでトッドが行っているのは、「西側中心主義」への対抗言説としてのロシア再評価だろう。西側が自らを「自由民主主義の擁護者」と位置づけ、ロシアを「専制の敵」とする図式を解体するために、ロシアの側にも「正当性」と「合理性」があることを示す必要がある。これは学問的にも政治的にも重要な作業だ。
しかし、それが「ロシア礼賛」に転じてはならない。重要なのは、両者の対立を「善対悪」ではなく、「異なる文明原理の衝突」として理解することだ。
ウクライナの「ニヒリズム国家」という鋭い洞察
トッドの分析で最も鋭いのは、ウクライナについての記述かもしれない。彼は、2014年以降のウクライナを「ニヒリズム国家」と呼ぶ。
その論理はこうだ。ウクライナは人類学的に三つの地域に分かれる。西部(反露民族主義)、中部(無政府主義的)、東部・南部(親露)。ソ連崩壊後、この多元性が国家の「バランス」を生んでいた。しかしマイダン革命後、親露派は政治的に排除され、国家から消滅した。その結果、西部の超民族主義と中部の軍事的エリートが連合し、対露憎悪と戦争そのものを自己定義の核とする「新しいウクライナ」が誕生した。
これは「国家」というより「戦争機械」に近い。戦費は国内税収ではなく西側援助に依存し、多元主義は失われ、ロシア語とロシア文化への攻撃は「自己否定」に等しい。つまり、ウクライナは自らの半分を切り捨てることで「純化」を図り、その空虚を戦争で埋めているのだ。
この分析は、西側の「ウクライナ支援」言説に対する強力な批判となる。西側メディアは「民主主義国ウクライナvs専制国ロシア」という図式を繰り返すが、トッドの分析によれば、現在のウクライナは「自由民主主義国家」ではない。むしろ、西側との結びつきは「民主的価値観」ではなく、「ポスト国家的でニヒリスティックな価値観の一致」によるものだ。
これは衝撃的な主張だが、どこまで妥当なのか?
確かに、2014年以降のウクライナで親露派の政治的排除が進んだのは事実だ。ドンバス地域の分離、言語法によるロシア語の地位低下、親露政党の禁止。これらは「多元性の喪失」を示している。また、ゼレンスキー政権下で野党指導者の拘束やメディア統制が強化されたことも、「自由民主主義」の後退を示唆する。
しかし、「ニヒリズム国家」という診断は強すぎないか? ウクライナの抵抗は、単なる「戦争への欲求」ではなく、生存のための戦いでもあるのではないか? ロシア軍の侵攻という「現実の脅威」に対する反応として。
ここでトッドの議論の限界が見える。彼は構造的・文化的要因を重視するあまり、個々の人間の行為主体性(agency)や、具体的な戦争の暴力性を軽視しているように見える。ウクライナ市民の多くは、イデオロギーではなく、故郷や家族を守るために戦っているのではないか?
とはいえ、トッドの指摘には重要な真実が含まれている。それは、ウクライナの「国民統合」が、外部の敵(ロシア)への憎悪によって達成されているという点だ。これは確かに脆弱な基盤だ。戦争が終われば、この国家をどう再構築するのか? 失われた多元性をどう回復するのか? これらの問いに、西側の支援者たちは答えを持っていない。
西洋の「寡頭制化」とエリート支配の構造
トッドは、現代西洋を「自由民主主義」ではなく「自由主義的寡頭制」と呼ぶ。これは本質的な診断だ。
その証拠として、彼はいくつかの現象を挙げる。高等教育の大衆化による「エリート大衆」の形成、格差の拡大、富裕層の実効税率低下、メリトクラシーから世襲制への逆戻り、政治的代表性の喪失。これらは統計的にも裏付けられている(エマニュエル・サエズらの研究)。
特に興味深いのは、欧州エリートがアメリカに「捕捉」されたメカニズムの分析だ。ユーロへの信頼低下により、富裕層の資産が米国影響下のオフショア金融センターへ逃避し、NSAの監視網によって米国がこれらの資産と個人の秘密を掌握した。これが欧州の対米従属を生んでいる。
この分析は、単なる「陰謀論」ではない。スノーデンの暴露以降、NSAによる世界規模の監視が現実であることは明らかだ。また、オフショア金融の実態も、パナマ文書などで部分的に明らかになっている。トッドが行っているのは、これらの断片的情報を「権力構造」として統合することだ。
しかし、ここでも疑問が残る。欧州の対米従属は、本当にこの金融的メカニズムだけで説明できるのか?
おそらく、複数の要因が重なっている。軍事的依存(NATO)、経済的統合(米国市場へのアクセス)、イデオロギー的親和性(自由主義・民主主義)、そして確かに金融的捕捉。トッドが強調するのは最後の要因だが、それだけが決定的とは言えない。
むしろ重要なのは、これらの要因が「複合的」に作用し、欧州の政治エリートが構造的に米国の利益に同調せざるを得ない状況を作り出していることだ。個々の政治家が「悪人」だから従属しているのではなく、システムそのものが従属を強制している。
この視点は、単純な「陰謀論」(エリートが裏で操っている)でも、単純な「構造決定論」(資本主義が全てを決定する)でもない、より洗練された権力分析を可能にする。
アメリカ経済の「幻想」と実態の乖離
トッドは、アメリカのGDP統計を批判的に再検証し、「真の国内総生産(PIR)」を推計する。その結果、アメリカの1人当たりPIRは約39,520ドルとなり、ドイツやフランスと同等かそれ以下となる。
この分析の要点は、サービス業(特に医療費)の「水増し」を疑うことだ。米国はGDP比18.8%を医療に費やしているが、その結果は乳児死亡率や平均寿命で見れば先進国最低レベルだ。つまり、高額な医療費は「生産的価値」を生んでいない。むしろ、製薬業界と医療産業の利益に転換されているだけだ。
さらに、製造業の衰退も深刻だ。世界の工業生産シェアは1928年の44.8%から2019年の16.8%に激減。工作機械生産では中国、ドイツ、日本に次ぐ6.6%に過ぎない。ウクライナで砲弾不足に陥ったのは、この産業基盤の侵食の結果だ。
この分析は重要だが、いくつかの留保が必要だ。
第一に、GDP統計の「再計算」は方法論的に難しい。トッドの推計は大胆だが、どこまで正確なのかは検証が必要だ。彼自身も認めているように、これは「概算」に過ぎない。
第二に、アメリカの強みをすべて否定するのも誤りだろう。シリコンバレーのハイテク産業、金融セクターの支配力、軍事技術の優位性、ドルの基軸通貨地位。これらは依然として強力だ。
しかし、トッドの核心的な主張は否定しがたい。それは、アメリカが「金融化」と「ドル依存」によって、実物経済の基盤を侵食してきたということだ。これは「オランダ病」の極端な形態だ。基軸通貨を持つがゆえに、通貨を印刷して世界から富を吸い上げることができる。これが、製造業よりも金融や法律など「お金に近い」職業を選好させ、工学や科学を志す学生を減少させた。
この診断が正しければ、アメリカの衰退は「不可逆的」かもしれない。なぜなら、その根底にある構造的要因(プロテスタンティズムの終焉、ドル依存の経済構造)は、容易には変えられないからだ。
世界の「非西側」が西側を拒否する理由
トッドの分析で最も重要な洞察の一つは、世界の大多数がウクライナ戦争で西側に同調しなかったという事実の意味を問うことだ。
西側の「国際社会」は、実は世界人口の12%に過ぎない。中国、インド、ブラジル、南アフリカ、イスラム世界、アフリカ、ラテンアメリカ。これらの地域は制裁に加わらなかった。
その理由を、トッドは二つの次元で説明する。
経済的対立:グローバリゼーションは、西側が「世界のブルジョア階級」として振る舞い、非西側を「地球規模のプロレタリアート」に変える、新たな「再植民地化」だった。西側の消費者は、安価な商品を享受し、非西側の労働力を搾取してきた。したがって、西側対ロシアの戦争は、非西側にとって「搾取者同士の争い」に見える。
人類学的対立:西側の急進的なフェミニズムやLGBT、特にトランスジェンダーイデオロギーは、父系的で家共同体の伝統を持つ非西側社会から見れば「狂気」と映る。ロシアが打ち出す伝統的家族価値は、新たなソフトパワーとなっている。
この分析は鋭い。確かに、西側の「普遍的価値」という自己認識は、非西側世界では必ずしも共有されていない。むしろ、西側の価値観を「文化的帝国主義」と見なす傾向さえある。
しかし、ここでも慎重な検討が必要だ。
トッドは「西側の価値観」を過度に否定的に描いていないか? 確かに、トランスジェンダーイデオロギーの一部には行き過ぎがある。生物学的性別を完全に否定することは、科学的にも社会的にも問題を孕む。しかし、だからといって、ジェンダー平等や性的マイノリティの権利保護そのものを否定すべきではない。
また、「伝統的家族価値」を称揚することは、家父長制や女性の抑圧を正当化する危険性もある。ロシアの反LGBT法は、単なる「伝統の擁護」ではなく、マイノリティへの差別を制度化するものだ。
おそらく、ここで必要なのは、西側の「普遍主義」と非西側の「多様性」の間のバランスだろう。西側が自らの価値観を「唯一の正解」として押し付けることは傲慢だが、だからといって相対主義に陥り、あらゆる文化的実践を容認することも誤りだ。
重要なのは、「対話」と「相互理解」の可能性を残すことだ。トッドの分析は、西側中心主義を批判する点で価値があるが、それが「西側対非西側」という新たな二元論を生み出してはならない。
「ワシントンの村」という権力の実態
トッドは、アメリカ外交を動かす「ブロブ」(専門家集団)の分析に多くのページを割いている。これは、スティーブン・ウォルトらの研究を踏まえたものだ。
「ブロブ」の特徴は、国家的ビジョンよりも、内部の出世競争と集団思考に従って動くことだ。彼らは「アメリカの世界的関与」に自らの存在意義を依存しており、脅威を誇張し、軍事的解決策を好む傾向がある。
さらにトッドは、バイデン政権の主要メンバー(特にブリンケン、ヌーランド)がロシア帝国からのユダヤ系移民の子孫であることに言及し、彼らがウクライナの歴史的反ユダヤ主義を知りつつも無視しているか、あるいは無意識に「報復」を求めているのではないか、という疑問を投げかける。
この部分は議論を呼ぶだろう。トッドは慎重に「可能性」として提示しているが、それでもユダヤ系出自を政策動機と結びつけることは、反ユダヤ主義的言説と紙一重だ。
しかし、彼の核心的な主張は別のところにある。それは、アメリカ外交がもはや「国家利益」ではなく、ワシントンという「村」のローカルな力学によって動いているということだ。これは、合理的な戦略分析では理解できない。むしろ、組織社会学や権力の微視的分析が必要になる。
この視点は重要だ。確かに、大国の外交政策を「合理的アクター」として分析することには限界がある。実際には、官僚組織の利害、個人のキャリア、ネットワークの力学、イデオロギー的バイアスなど、多様な要因が絡み合っている。
ミアシャイマーのような現実主義者は、国家を単一のアクターとして扱い、その「国益」を前提に分析する。しかしトッドが示すのは、その「国益」自体が曖昧であり、実際の意思決定は、もっと混沌とした人間的なプロセスによって行われているということだ。
この分析枠組みの限界と盲点
ここまでトッドの分析を追ってきたが、いくつかの限界も見えてくる。
第一に、決定論の危険性。トッドは、プロテスタンティズムの終焉→ゼロ状態→ニヒリズム→自己破壊という因果連鎖を強調する。これは説得力があるが、同時に「宿命論」に陥る危険性もある。西洋は「必然的に」衰退し、「不可逆的に」崩壊するのか? もしそうなら、何をしても無駄ということになる。
しかし、社会は決定論的なシステムではない。人間の行為主体性、予期しない出来事、偶然性。これらが歴史を動かすこともある。トッドの分析は、長期的趨勢を捉えるのに優れているが、短期的な変化や反転の可能性を軽視している。
第二に、ロシアの理想化。トッドはロシアの「強靭性」を強調するが、それはロシア社会の深刻な問題を軽視していないか? 権威主義的統治、言論の自由の制限、少数民族への抑圧、人口減少、経済の多様化の欠如。これらは無視できない。
トッドの意図は、西側中心主義を批判し、ロシアの視点を理解することだろう。しかし、それが「ロシア礼賛」に転じてはならない。重要なのは、批判的距離を保ちつつ、多元的な視点を維持することだ。
第三に、代替案の不在。トッドは西洋の衰退を鋭く描くが、「では、どうすればいいのか?」という問いには答えていない。これは学者としては正当かもしれない。診断と処方は別の作業だからだ。しかし、読者としては、何らかの方向性や希望を求めたくなる。
おそらく、トッドが示唆しているのは、「西洋の復活」ではなく、「多極化した世界」への移行を受け入れることだろう。アメリカ帝国の終焉、欧州の自立(あるいは従属の深化)、非西側世界の台頭。これは避けられない趨勢かもしれない。問題は、この移行が平和的に行われるか、破滅的な戦争を伴うかだ。
日本の文脈で考えると
トッドの分析を日本に当てはめてみると、いくつかの興味深い論点が浮かび上がる。
日本は「広義の西洋」に含まれる。経済的・教育的離陸を成し遂げ、先進国の一員となった。しかし、プロテスタンティズムの影響は限定的だった。日本の近代化は、西洋の模倣ではあったが、独自の文化的基盤(仏教、儒教、神道の混合)の上に築かれた。
トッドの枠組みで言えば、日本は「直系家族」を基盤とする社会であり、これが権威と不平等を正当化する傾向を持つ。実際、日本社会は年功序列、男性優位、企業への忠誠など、家父長的・集団主義的な特徴を保持してきた。
しかし、現代日本もまた「ゼロ状態」に向かっているのではないか? 少子化、未婚化、宗教離れ、共同体の崩壊。これらは西洋と共通する現象だ。ただし、その帰結は異なるかもしれない。日本のニヒリズムは、暴力的ではなく、むしろ内向的で「諦め」の形を取る。「絶望死」ではなく、「社会的引きこもり」や「無気力」として現れる。
また、日本の対米従属も、トッドの分析と重なる。日米安保条約による軍事的依存、経済的統合、そして政治エリートの「捕捉」。日本の外交政策は、独自の国益よりも、アメリカの戦略に同調する傾向が強い。これはウクライナ戦争での対応(制裁への参加、武器供与の検討)にも表れている。
しかし、日本には独自の選択肢もある。地理的には、中国、韓国、東南アジアとの関係が重要だ。アメリカ一辺倒ではなく、アジアの一員としての自己認識を深めることもできる。また、「平和国家」としてのアイデンティティを再確認し、軍事的冒険主義を避けることもできる。
問題は、日本の政治エリートと国民が、アメリカ帝国の衰退という現実を直視し、独自の道を模索する意志と能力を持っているかどうかだ。
結局、トッドは何を語っているのか
長い思考の旅を経て、トッドの核心的なメッセージに戻ってみよう。
彼が語っているのは、「ウクライナ戦争」という個別の出来事ではなく、より大きな文明的転換だ。西洋の覇権の終焉、多極化した世界の到来、そしてその移行期における混乱と暴力。
西洋は、自らの宗教的・文化的基盤を失い、「ゼロ状態」に陥った。その結果、寡頭制化、ニヒリズム、自己破壊的な外交政策が現れた。ウクライナ戦争は、この内的危機の「外部化」であり、西洋が自らの終焉を認めたくないがゆえに、ロシアという「他者」に投影した幻想の戦いだ。
一方、非西側世界は、西洋の衰退を見抜き、新たな秩序を模索している。ロシアは、この転換期において、伝統的な価値観と国家主権を掲げることで、多くの国々の共感を得ている。これは、西洋の「普遍主義」に対する挑戦であり、文化的多様性の主張だ。
トッドの分析が示すのは、世界がもはや単一の中心(西洋)によって秩序づけられる時代ではないということだ。複数の文明圏が並存し、競合し、時に衝突する多極的な世界が到来しつつある。
この移行は、平和的に行われるだろうか? トッドは悲観的だ。なぜなら、西洋(特にアメリカ)は、自らの覇権の喪失を受け入れられず、ニヒリスティックな暴力に訴える傾向があるからだ。ウクライナ、そしてガザ。これらは、その暴力性の表れだ。
しかし、同時に希望もある。それは、世界の大多数が、西洋の自己破壊的な戦争に巻き込まれることを拒否しているということだ。中国、インド、ブラジル、アフリカ諸国。これらの国々は、新たな秩序の構築に向けて動き出している。
トッドの『西洋の敗北』は、単なる地政学的分析ではない。それは、私たちが生きる時代の深い転換を理解するための、文明論的な試みだ。その診断が完全に正しいかどうかは別として、彼が提起する問いは避けて通れない。
西洋は本当に終わりつつあるのか? 多極的な世界は、より平和なのか、それとも混沌なのか? 私たちは、この転換期をどう生きるべきなのか?
これらの問いに対する答えは、まだ誰も持っていない。しかし、トッドが示したのは、従来の「西洋中心的」な思考枠組みでは、もはや世界を理解できないということだ。新たな視点、新たな概念、新たな想像力が必要とされている。
その意味で、『西洋の敗北』は、終わりの書であると同時に、始まりの書でもある。ある時代の終焉を記録すると同時に、次なる時代への思索を開くものだ。
