
『Mind and Cosmos: Why the Materialist Neo-Darwinian Conception of Nature Is Almost Certainly False』Thomas Nagel (2012)
『心と宇宙:唯物論的ネオダーウィン主義的自然観がほぼ確実に誤っている理由』トーマス・ネーゲル (2012)
https://note.com/alzhacker/n/nd55c6c65dfc2
目次
- 第1章 序論 / Introduction
- 第2章 反還元主義と自然秩序 / Antireductionism and the Natural Order
- 第3章 意識 / Consciousness
- 第4章 認識 / Cognition
- 第5章 価値 / Value
- 第6章 結論 / Conclusion
本書の概要
短い解説
本書は、現代科学の支配的パラダイムである唯物論的自然主義とダーウィン進化論の組み合わせが、意識・認識・価値という人間の根本的特性を説明できないことを論証し、自然秩序の拡張された理解の必要性を提起する哲学的試みである。
著者について
トーマス・ネーゲル(Thomas Nagel, 1937-)は現代を代表する分析哲学者であり、ニューヨーク大学哲学・法学教授。心の哲学における主観性の問題を扱った論文「コウモリであるとはどのようなことか」で知られ、50年以上にわたり心身問題、倫理学、認識論の領域で独創的な貢献を続けている。本書では科学的自然主義への批判と代替的自然観の探求という挑戦的立場を展開する。
テーマ解説
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主要テーマ:反還元主義的自然観
物理科学だけでは意識・理性・価値を説明できず、自然秩序そのものの拡張が必要であるという主張 -
新規性:目的論的自然法則の可能性
神の意図にも盲目的物理法則にも還元されない、自然界内在的な目的論の復権を提案 -
興味深い知見:進化論と価値実在論の非両立性
ダーウィン的説明は道徳的真理の客観性と根本的に矛盾するという論証
キーワード解説
- 心理物理的還元主義の失敗:意識の主観的性格は物理的説明に還元できず、この失敗は生物学全体に波及する
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理性の自己検証不可能性:進化論的説明で理性の信頼性を正当化しようとすると循環論法に陥る
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中立的一元論:物質と精神の二元論でも唯物論でもない、基礎的要素が両面を持つという形而上学的立場
3分要約
本書は現代科学の基盤をなす唯物論的自然主義とダーウィン進化論の組み合わせが、宇宙の最も重要な特徴である心・理性・価値を説明できないと論じる。著者ネーゲルは、この支配的パラダイムを「ほぼ確実に誤っている」と断言し、より包括的な自然理解を求める。
問題の核心は17世紀科学革命に遡る。ガリレオとデカルトは、客観的物理世界を数学的に記述するため、主観的経験を物理科学の対象から意図的に除外した。この戦略は物理学に驚異的成功をもたらしたが、意識を持つ生物である我々自身を自然秩序に位置づける問題を残した。現代の唯物論的自然主義は、物理法則だけで生命・意識・理性の出現を説明しようとするが、これは根本的に不十分である。
意識の問題は最も明白である。行動主義や機能主義など、意識を物理的過程に還元する試みはすべて失敗してきた。それらは意識の本質である主観的経験の質―痛みがどう感じられるか、赤がどう見えるか―を説明から漏らしている。理論的同一説も、脳状態と心的状態を単純に同一視するだけで、なぜその脳状態が特定の主観的経験を構成するのかという説明を欠く。意識は物理的記述に還元できない実在である。
認識能力の問題はさらに深刻である。我々は知覚を超えて、論理・数学・科学の客観的真理に到達できる。しかし進化論的説明は、この能力の信頼性を正当化できない。視覚が信頼できるのは、正確な知覚が生存に寄与したからだと説明できる。だが理性の信頼性を「理性が生存に寄与したから」と説明しようとすると、その説明自体が理性を前提とする循環に陥る。理性は進化論を含むあらゆる理論の基盤であり、外部から正当化できない。我々は直接的に真理を把握する能力を持つのであり、これは単なる生存メカニズム以上の何かである。
価値の領域ではこの問題がさらに鮮明になる。ネーゲルは価値実在論―善悪や正不正が我々の反応から独立に存在するという立場―を擁護する。快楽は本当に善く、苦痛は本当に悪い。これは単に我々がそう感じるからではない。しかしダーウィン的説明では、苦痛への嫌悪は怪我を避けさせることで適応的だが、苦痛が客観的に悪いかどうかは無関係である。自然選択は価値判断の客観的正しさに無関心であり、価値実在論と両立しない。シャロン・ストリートはこの非両立性を理由に価値実在論を拒否するが、ネーゲルは逆に、価値実在論が正しいならダーウィン的説明が不完全だと結論する。
では代替案は何か。ネーゲルは慎重ながら、いくつかの可能性を示唆する。第一に、中立的一元論または汎心論―宇宙の基本要素が物理的であると同時に原心的(protopsychic)な性質を持つという立場。第二に、創発主義―複雑な生物組織において意識が新たに出現するという立場。第三に、最も急進的だが、自然界に内在的な目的論的法則の存在である。
目的論は近代科学が17世紀に追放したアリストテレス的概念だが、ネーゲルはその復権を提案する。それは神の意図ではなく、自然法則自体が特定の結果―生命、意識、理性―に向かう傾向を持つという考えである。生命の起源の化学的説明の困難さ、進化に必要な遺伝的変異の供給源の問題を考えれば、物質が自己組織化して複雑性を増す傾向が自然秩序の基本特性かもしれない。価値もまた生命と不可分であり、宇宙は偶然ではなく、価値を実現する傾向によって意識的存在を生み出したのかもしれない。
ネーゲルは自身の提案が極めて思弁的で不十分だと認める。真理は我々の認識能力を超えているかもしれない。しかし現在の支配的パラダイムが「常識に対するイデオロギー的勝利」であり、概念的・確率論的に無理を重ねていることは明らかである。我々は物理科学の成功に目を眩まされ、それが説明できないもの―我々自身の最も基本的な特性―を見落としている。心・理性・価値を真剣に受け止めるなら、自然秩序の理解を根本的に拡張しなければならない。宇宙は意識と理性を偶然の副産物として生み出したのではなく、それらは自然秩序の基本的側面なのである。
各章の要約
第1章 序論
心身問題は局所的問題ではなく宇宙全体の理解に関わる。物理科学と進化生物学は意識・志向性・意味・目的・思考・価値を物理的事実だけで説明できない。唯物論的自然主義は、物理科学の成功を全領域に外挿した世界像だが、科学実践自体にとって必須ではない。著者は心理物理的還元主義の失敗を出発点に、生物学における物理化学的還元主義への懐疑を展開する。進化論の標準的説明―物理法則と自然選択だけで生命と意識が偶然生じたという物語―は、化学的基礎の複雑さを知るほど信じがたくなる。インテリジェント・デザイン論者の経験的批判は、宗教的動機とは別に真剣に検討すべきである。デザイン仮説は採用しないが、唯物論的自然主義の完全性への信念も根拠が薄い。
第2章 反還元主義と自然秩序
科学的自然主義と反還元主義の対立は現代哲学の中心問題である。唯物論は物理科学で全てを説明しようとするが、意識・志向性・価値は物理的に還元不可能に見える。有神論も世俗的代替案も不十分である。有神論は神の意図に訴えるが、自然秩序の内在的理解を提供しない。進化的自然主義は認知能力を自然選択で説明するが、これは理性への信頼を弱める。自然選択で形成された能力が日常的生存には有効でも、理論的真理の発見に信頼できる保証はない。道徳的実在論も進化的説明と両立しない。我々は理性と道徳的判断への直接的信頼を放棄すべきではない。必要なのは、意識と理性を基本的側面として含む、拡張された自然秩序の概念である。物理学だけが基盤的真理ではなく、現象学的・規範的真理も独自の地位を持つ。世界の理解可能性自体が説明を要し、これは客観的観念論の立場を示唆する。
第3章 意識
意識は包括的自然主義にとって最大の障害である。近代科学革命は主観的経験を物理世界から除外することで成功したが、我々自身が物理世界の一部である以上、この除外は維持できない。意識を物理世界に位置づける試みは全て失敗してきた。行動主義は意識の内的側面を無視し、心理物理的同一説は脳状態がなぜ主観的経験でもあるかを説明できない。機能主義も因果的役割だけでは経験の質を捉えられない。クリプキの議論が示すように、心的状態と脳状態の関係は「水=H2O」のような必然的同一性ではなく、偶然的に見える。これはおそらく概念の不十分さの反映である。心理物理的還元主義が失敗すれば、唯物論的自然主義全体が崩壊する。なぜなら意識を持つ生物の進化を説明するには、物理的進化だけでは不十分で、意識そのものの出現を説明しなければならないからだ。単に物理的生物が偶然意識を持ったという記述では、意識の出現が説明されない。創発的説明も満足できない。還元的説明なら汎心論―全ての物質要素が原心的性質を持つ―が必要だが、これも不明瞭である。目的論的説明の可能性が残る。
第4章 認識
意識の非還元性に加え、理性はさらに深い問題を提起する。我々は知覚を超えて客観的真理―論理・数学・科学・倫理―を発見できる。進化論的説明は基本的知覚や欲求の適応的価値を説明できるが、客観的実在を把握する理性能力の説明に失敗する。進化論が価値実在論と両立しないように、科学的実在論とも緊張関係にある。実在論を維持しつつ進化論的説明を試みるなら、先史時代に適応的だった能力が現代の理論的探求で有効である偶然を説明しなければならない。さらに根本的問題がある。知覚は間接的に真理と結びつくが、理性は直接的に真理を把握する。論理的推論の正しさは、それが適応的だったからではなく、直接に必然性を認識するからである。理性の信頼性を進化論で正当化しようとすると循環論法に陥る。理性はあらゆる説明の前提であり、外部から確認できない。デカルトの洞察はここにある。理性は意識のさらなる発展であり、物理科学では説明できない。還元的説明は理性の統一性と部分への分解の矛盾から困難である。目的論的または意図的説明が必要かもしれない。自然界に理性を生む傾向が内在するという目的論は、アリストテレス的だが排除すべきではない。
第5章 価値
価値の実在性は意識・認識とは別の問題を提起する。価値実在論とは、善悪・正不正が我々の反応から独立に存在し、我々の判断はそれを発見しようとするという立場である。対する主観主義は、価値判断は洗練された動機的傾向の表現に過ぎないとする。快楽と苦痛の基本的価値では両者は一致するが、それを超えると分岐する。実在論は形而上学的理論ではなく、価値的真理が独自の基礎的真理であるという主張である。ストリートは進化論が道徳的実在論と両立しないと論じる。自然選択は苦痛回避が適応的だから苦痛への嫌悪を生んだのであり、苦痛が客観的に悪いかは無関係である。ストリートは実在論を拒否するが、著者は逆に進化論的説明が不完全だと結論する。苦痛は本当に悪く、これは単なる錯覚ではない。実在論が正しければ、我々は価値を認識し動機づけられる能力を持つ。これは判断に敏感な態度であり、物理的因果とは異なる。歴史的には、生命の出現とともに価値が世界に入り、意識的生命で拡大し、実践理性で自己意識的になった。主観主義なら進化論的説明が可能だが、実在論は別の説明を要する。目的論的説明―自然界が価値を実現する傾向を持つ―が最も有望である。生命は価値の条件だから、価値のために生命が存在するのである。
第6章 結論
哲学は比較的に進むしかない。対立する見解を展開し、どちらがより説得的か判断する。支配的な科学的自然主義とダーウィン主義に対し、著者は代替案の可能性を探った。世俗的理論界が「隙間の唯物論とダーウィン主義」から脱却すべきである。だがこの試みは想像力が足りない。意識を生物現象として理解するには、主観と客観の根本的差異を忘れず、物理的過程の概念で精神を考える誤りを避けねばならない。真理が我々の認知限界を超えている可能性もあるが、それは確定できない。自然界における我々の位置の体系的理解を求め続けるべきである。還元的唯物論は経験的証拠を様々に解釈できるが、概念的・確率論的な無理が大きすぎる。現在の正統的合意は一、二世代で笑い物になるだろう―もちろん同様に無効な新しい合意に置き換えられるかもしれないが。人間の信念への意志は無尽蔵である。
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