リコード法を「信頼」だけで実行してはいけない

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リコード法概要

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「物事ってものは、みんなとてもあいまいなものよ。まさにそのことがわたしを安心させるんだけれどもね」

おしゃまさん「ムーミン谷の冬」

知識は見えない健康ポイントを見る力

当ブログで紹介するDIYな治療方法はまず、この日常生活にありふれた事柄に潜む仕組みの理解から始める必要があります。

仕組みの理解ができる
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重要性とコツがわかる
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継続力と実行力につながる

今現在の社会的に黙殺された状況においては、この流れ以外での実行&継続方法がわたしには思いつかないのです。(他に方法があるのなら教えてください!)

もらうまで給与がわからない会社

他人からよく知らない会社の採用募集で「働きぶりに応じて報酬を支払うけどいくらになるかはわからない。その報酬は数ヶ月後、場合によっては数年後に支払う」と言われたとします。人はその会社で働きたいと思うでしょうか?ほとんどの人はNOでしょう。ところが、誰かが語る健康情報を良いと聞いただけでわからないままやってみようというのは、この会社に就職するようなものです。

反対に知識や理解が身につくと、例えば朝30分空腹状態で太陽を浴びながら運動しただけで、そのたびに3000円分のお買い物ポイント(将来かかる医療コストや労働で得られる対価)をもらっているようなものだということが、理解できるようになります。

そしてちょっとした生活上の工夫により、健康寿命だけではなく健康感も高まるため、今度はこうしてみようといったフィードバックが可能となるため、改善策はどんどん洗練されていきます。

そのように得られる報酬が知識によって具体的にイメージができると、こんなホワイトな会社はないじゃないかと、その会社で働きたいというモチベーションにつながるわけです。

盲目的な実行は100%挫折する
理解というプロセスは省略できない

特に手間暇がかかり体感的な効果がすぐに感じれないものは、なぜそれが必要なのかを自分の頭で考えて納得しておかないと、最初はいろんな本を読んだり、サイトを見たりして「早く始めないと悪くなる!」と焦って勢いで飛びついも、続けているうちに疑いだしたり、面倒くさくなってやめてしまうケースがほとんどです。

また、心理的な不安感から、その他の団体、組織が語る無責任な「認知症は治る」といった宣伝文句に惑わされ飛びついた結果、より悪化させてしまった例も少なからず耳にしています。

直感は初期ではなく末期の兆候

繰り返しになりますが、認知症は体感で簡単にわかるような病気ではありません。風邪のようなものであれば、飲んでみた → 3日後、風邪が治った → 「この薬は効くなあ」となりますが、認知症は短くても数ヶ月単位、通常は数年単位の成果で考えて行動するものです。

くどいようですが、20年かけて認知症が進行していた間、そのことにわれわれはまったく気がつかなったことを思い出してください。

自分以外誰も説得はしてくれない

そのため、サプリメントや医薬など飲むだけのものでさえも、理屈がよくわからないまま、ドサッと大量に与えられると、多くの人は「こんなにたくさんの薬やサプリを摂ったら、身体にかえって悪いのではないか?」と疑心暗鬼になると思います。

白衣を着たお医者さんが威光をもって説得してくれるわけでもありません。

そして数カ月経過すれば、「効いているのかよくわらかないしなあ」と感覚に頼って減らしたり、「お金もかかるし」とか「管理が大変」などと無意識に理由を作り出して、止めてしまいます。

継続的な学習者を目指す

とはいえ、時間に迫られている患者さんが、最初に飛びつくのは仕方のないことだと思います。(むしろ必要なことかもしれません)継続のためのポイントは、勢いで始めた後、そのまま惰性的に続けるのではなく、実行していく中で理解を一歩ずつ深めていくことがひとつの成功パターンであるように思います。

理解不足がもたらす3つのデメリット

何事であれ、最終的には自分で考える覚悟がないと、情報の山に埋もれるだけである。

羽生善治

自ら考えて行動する人へ

本来、わたしの意図するところは、そのまま具体策を採用してもらうということではなく、「アルツハイマー病発症後であっても、やり方と努力次第で十分に回復や進行抑制につながる」といったことを、”自ら考えて”治療法を探している人に伝えたい、という思いが根底にあります。

考えようとせず結果だけを求めようとする方略には、3つの致命的なリスクがあります。くどく感じられるかもしれませんが、重要なので書かせてください。

1. 選択肢が極端に限定される

なにが正しいかという判断をしていく時、その理由や原因を自分で考えて理解できないとなると、第三者の判断に頼ることしかできなくなってしまいます。そうなると一般的には「~の有名な先生が言っている」とか「みんながしているし」といった、権威や世間の評判のようなものに頼りがちです。

ただここで、わたしは「権威などに頼ってはいけない!」みたいな美徳を語りたいわけでもありませんし、その種の判断の仕方にも一定の合理性はあると思います。むしろ「それで助かるなら、わらでもすがれ!」というプラグマティックな(実際的な)考え方をもっているぐらいです。

理解によって100倍の選択肢が生まれる

しかし、理解する努力をまったく放棄してしまうとその改善策の正否の判断能力以前に、そもそもどういった改善方法があるのか、その選択肢が最初からきわめて限られてしまいます。

けして誇張ではなく、その”まともな”選択肢の数は、情報探索が可能な人とそうでない人で100倍の開きがあります。他にもある山ほどの改善策、進行抑制策は、そのほとんどが自分で考えて探っていくことで初めて見つかるものです。

理解によって選択が可能になる

特に、手間のかかるものや、特殊なものほど、知識に裏付けがあって初めて安全性や効果、またはリスクマネジメントの観点から実行することができます。

「運動が大事だとはわかっているけど…」という人の全員が、わかっていません!

認知症に効果がある適応外薬のほとんどは、たとえ知り合いから勧められたとしても選択肢に入れられないでしょう。

広がる第三者の選択肢

あと誤解されがちなのは、自分で考えるというは、第三者の情報を頼らないということではないのです。

事実はその逆で、第三者の立場や肩書ではなく、その語る内容を判断する能力があるため、第三者的情報の選択肢自体も大きく広がるわけです。

「誰が言うか」ではなく「何を言うか」って時々教訓(テクスト論)として耳にしたりしますが、この2つはどちらかを選択するようなものではなく、両者は掛け算の関係にあり「何を言うか」の判断ができることで「誰が言うか」の選択肢も増加し、その反復によって使える情報量が増大します。

教義の疑問を教祖にきいてみる

翻って考えると、アルツハイマー病に関しては特にそうなのですが、一般的な常識の元でそもそも治らないとされている疾患なわけです。

それを、その常識のより厳格な枠内にある標準医療や、微妙な常識感をもっている新聞テレビなどのメディアを参考にしようとして、そこから答えが出てくるのか?と素朴に疑問を思ったりすることもあります。

まあ、かといってその枠を出たら出たで怪しげな情報もわんさか出てくるため、二者択一状態になってしまっていることは否めませんが。

2. コアな情報ほど、そのまま表には出せない

最も必要としている物や情報は、最も入手しにくい。

マーフィーの法則

そして二つ目、これは日本で情報を提供する側の宿命とも言えますが、誰であろうとAという治療方法を実行すれば、認知症が治ると思っていても、それをブログで、少なくとも、そのまま書くことは薬事法や医師法などの法律によって規制されています。

そして、わたしは医療者としての資格も持っていませんので、より多くの法的制限のもとでしか情報が発信できません。

お医者さんゆえに治療手段が限られる

ただ、一方でお医者さんだとあれこれ自由に医療活動ができるかというとそうとも限りません。考え方によっては、むしろお医者さんという資格や、医療組織に属することによる足かせによってできないことも多々あります。

ちょうど、一般人よりも逮捕権、質問権など権利を多くもつ警察官が、実際の生活において自由に行動できるかというと、公私ともに制約感が高まるようなものかもしれません。

法律的な制約

話は戻りますが、「認知症予防に良い食事」ぐらいであれば許容範囲なのかもしれませんが、当ブログは、具体的な医療情報に光をあてて掘り起こしていることも多いため、やはり表現には注意を配っています。

そのため有用な情報を掘り起こす努力はしていますが、病院での処方のようにフローチャートに従ってこうすればいい、とまで情報を噛み砕くことはできません。

消費社会の罠にひっかからない

これは我々が日本社会に住む以上、仕方のないことで、この「伝達障壁」は、読者の理解によってしか乗り越えられません!

一般的には、ビジネス的に有利な立場に立ちたいというインセンティブぐらいしか、第三者がリスクをわざわざ犯してまで、法律のぎりぎりをつく表現をとろうとはしないんじゃないでしょうか。

もしそうだとすれば、無理解のまま情報を探っても、消費者からお金を奪いやすい改善策ばかりが、半ば必然的に目につくことになります。

(認知症適応外の医薬品について専門的に詳しく書かれたサイトや記述も一部ありはします。少し余談ですが、それらも専門的な記述であるからこそ法に触れずに書くことが可能であり、そこでぎりぎりの善意が示されているように思います。当サイトはそういう方に感化されて一歩、歩を進めている面もあるかと思います。)

価格と効果は相関しない

もちろん、お金がかかるからダメだ(効果がない)とは言えません。ただこれまで5桁代の医療論文を読んできて、3桁代の改善策を実体験で確かめてきていますが、価格の高さと効果の高さはほとんど比例(相関)しません。

価格が高くて効果があるものもたしかに一部あり、選択肢が増えることも事実ですが、それ以上に低価格または無料でより効果がある改善策がごろごろ転がっています。

「価格が高い = 効果がある」というバカバカしい思い込みと価値観をもっている人が非常に多いため、あえて言いますが、価格と効果はまったく連動しません。

仮に関連があるとしても、むしろ逆相関で低価格になるほど効果的な改善策が増えてくるという印象をもっています。

3. 自ら間違いを軌道修正できない

多くの方はこういった健康サイトを読む際に、このサイトは信頼できるのだろうか?という観点で読まれる方が多いと思います。

驚かれるかもしれませんが、当サイトやブレデセンプロトコル(リコード法)というのはその本質上、「よしこの人の言っていることを信頼してやってみよう」という治療法ではないのです。

これがサプリのようなものなら飲むか飲まないか、買うか買わないかという判断を信頼またはギャンブル的な感覚で行われるかもしれません。

しかし、当サイトで紹介する多くの改善策は、自分で考えて行うアナログな要素が大きく、それによって改善効果が高まるため、言われたことはそのまま従うといった姿勢で行うと守るべきポイントを外し、重要ではないことに過度にこだわり、そして体感だけをあてにして判断し実行していこうとするため失敗する確率も高まります。

よし、やってみようとスタートを切るところまでは、盲目的な信頼もありかもしれませんが、それだけでは必ず途中で挫折します。

ここはむずかしいところで、わたしも認知症とアルツハイマーの違いもわからないところからスタートしていますし、過去を振り返ると、散々稚拙な間違いをやってきています。あまりこういったことを言いすぎて読まれた方がひいたり、理解に時間をかけすぎて、早期治療の機会を失ってしまいはしないか、というジレンマもあります…

優先順位づけと軌道修正を繰り返すスキルが必要

上から目線で物を言うようで恐縮ですが、そのまま教科書的に鵜呑みにしてしまうタイプの方は、

自己修正ができない問題:間違ったことにいつまでも気づかず同じことを続けてしまう。

優先順位の間違い:些末なことにこだわり続けて、大事なことを軽んじる。

といった傾向があるように思います。

根本原因が、努力の有無にあるのではなく、性格や気質的なものに由来するのだとすれば、むしろそういった方へ声をかけるべきではないのかもしれません。。これは、見極めができていない自分の課題でもあるように思います。

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