
『脱学校の社会』:イヴァン・イリイチ 1970
『Deschooling Society』:Ivan Illich 1970
目次
- 序文 / Introduction
- 第1章 なぜ学校を廃止すべきか / Why We Must Disestablish School
- 第2章 学校の現象学 / Phenomenology of School
- 第3章 進歩の儀式化 / Ritualization of Progress
- 第4章 制度的スペクトラム / Institutional Spectrum
- 第5章 非合理的な首尾一貫性 / Irrational Consistencies
- 第6章 学習のためのウェブ / Learning Webs
- 第7章 エピメテウス的人間の再生 / Rebirth of Epimethean Man
本書の概要
短い解説
本書は、義務教育制度としての学校が、学習を阻害し社会を貧困化させていると断じ、学校の解体(脱学校化)と、自律的な学習を可能にする新たな制度的枠組みを提言する。
著者について
著者イヴァン・イリイチは、オーストリア生まれの哲学者、社会批評家。カトリック司祭を経て、メキシコに国際文化 Documentation センター(CIDOC)を設立。産業社会の制度そのものをラディカルに問い直す思想で知られる。
テーマ解説
- 主要テーマ:学校制度の批判的解体。学校が「教育」を独占することで、真の学習と社会の自立が損なわれているという根源的批判。
- 新規性:「学習のためのウェブ」構想。教師とカリキュラムを介した既存の教育を、個人が自ら資源にアクセスできるネットワークへと転換する具体案を示す。
- 興味深い知見:学校の隠れたカリキュラム。学校が公式に教える内容ではなく、その制度的構造自体が、受動的な消費者と従属的な市民を生産する「隠れたカリキュラム」として機能する。
キーワード解説(2~7)
- 脱学校化:教育から学校という制度的枠組みを取り除き、学習を個人の自由で自律的な営みに戻す社会変革のプロセス。
- 隠れたカリキュラム:学校の形式的な教育課程ではなく、年齢別クラスや義務出席などの制度的構造そのものが教え込む、消費と依存の姿勢。
- コンヴィヴィアルな制度:電話や郵便のように、人々が自発的に使い、相互の交流や自律的な活動を促進する制度。操作的制度の対極にある。
- 学習のためのウェブ:脱学校化された社会において、教育リソース(事物、技能、仲間、教育者)へのアクセスを提供する四つのネットワーク。
- 操作的な制度:学校や刑務所のように、クライアントを操作し、依存させることを目的とする制度的類型。その効果はしばしば逆機能を生む。
- プロメテウス的誤謬:技術や制度によって自然や人間を完全にコントロールし、理想的な社会を構築できるとする近代の幻想。
3分要約
イヴァン・イリイチは本書『脱学校の社会』において、近代社会の根幹を成す義務教育制度としての「学校」に対し、根本的な解体を宣告する。彼の主張は、学校が公言する「教育」の目的とは裏腹に、その制度的構造そのものが「隠れたカリキュラム」として機能し、人々を受動的な消費者に仕立て上げ、真の学習と自立を阻害しているという痛烈な分析に基づく。
イリイチによれば、学校は単なる教育機関ではない。それは年齢による隔離、教師への絶対的依存、義務的な出席を通じて、子供たちを「子供」という地位に閉じ込め、社会の周辺に追いやる装置である。学校は、教えることが学びを生むという神話を広め、学習を教師という専門家の独占物とした。さらに、進級や卒業という儀式を通じて、人々に際限のない消費と進歩の神話を内面化させる。学校は、測定可能な価値、パッケージ化されたカリキュラム、自己増殖する進歩といったイデオロギーを注入し、人々を制度的な価値の消費者へと作り変える。こうして学校は、全世界を覆う新しい国教として、貧富の差を固定化し、先進国と発展途上国の双方に「近代化された貧困」をもたらすとイリイチは断じる。
イリイチは、学校を「偽の公共設備」として、軍需産業や医療制度と並ぶ操作的な制度の典型と位置づける。これらの制度は、その目的とは逆の効果(逆機能)を生み出しながらも、ますます肥大化する。対置されるのは、電話や郵便のような人々の自発的な使用に委ねられた「コンヴィヴィアルな制度」である。真の社会変革は、学校のような操作的な制度からコンヴィヴィアルな制度への移行にかかっている。
では、具体的に脱学校化された社会において、どのように学びは組織されるのか。イリイチはその青写真として「学習のためのウェブ」という四つのネットワークを構想する。第一に、図書館や博物館、さらには日常の工作機械など「事物」へのアクセスを保障する「教育的事物への参照サービス」。第二に、技能を持つ人が自らを登録し、学びたい人と結びつける「技能交換」。第三に、同じ関心を持つ仲間を探すための「仲間マッチング」。そして第四に、真の教育リーダーや助言者へのアクセスを提供する「教育専門家への参照サービス」である。これらは個人が自らの興味と必要に応じて、自由に組み合わせて使うことができる。
このラディカルな提案の背後には、人間観の転換がある。イリイチは、人間を自らの計画によって世界を改造する「プロメテウス的」な存在と見なす近代の幻想を「プロメテウス的誤謬」と呼ぶ。これに対し、彼が期待を寄せるのは、自然や他者からの贈り物を受け入れ、共に生きることを大切にする「エピメテウス的人間」の再生である。脱学校化は単なる教育改革ではなく、人間の希望を制度への期待から解き放ち、自律と相互ケアに基づく新たな文明を築くための、根源的な社会変革のプログラムなのである。
各章の要約
序文
本書の成立背景と目的が述べられる。著者はエベレット・ライマーとの対話を通じて、義務教育が多くの人々にとって学習する権利を奪っているという認識に至った。普遍的な教育は、学校を通じては実現不可能であり、新たな教育の形として「学習のためのウェブ」を模索する必要がある。本書は、制度としての学校を解体し、学習、共有、ケアに満ちた社会を構想するための概念的枠組みを提供することを目指す。
第1章 なぜ学校を廃校すべきか
学校は、人々にプロセスと実体を混同させる「隠れたカリキュラム」を教え込む。これにより、人々は治療と健康、教育と学位を取り違え、制度的なサービスへの依存を深める。この制度的価値の制度化は、物理的汚染、社会的分極化、心理的無力化という三つの側面で現代の貧困を生み出す。アメリカの貧困層への巨額の教育費投入が失敗に終わったように、学校を通じた平等な教育は経済的に不可能であるだけでなく、原理的に不合理である。著者は、学校の脱国家による公教育からの撤退と、学習歴に基づく差別の禁止を提唱する。
第2章 学校の現象学
学校とは、「年齢別に編成され、教師に関連づけられ、義務的なカリキュラムへの全日制の出席を必要とするプロセス」と定義される。この制度は「子供時代」という概念を大量生産し、子供たちを社会的に隔離する。教師は、看守、説教者、セラピストという三つの権威を一身に兼ねることで、子供たちに対して憲法上も許されない全能的な権力を振るう。全日制の出席は、学校という神聖な領域を創り出し、そこで営まれる儀式としての「隠れたカリキュラム」が、社会的不平等を強化し、成長志向の消費社会へのイニシエーションとして機能する。
第3章 進歩の儀式化
学校は、世界宗教としての機能を果たす。大学卒業者の消費水準が社会全体の目標とされ、学校は成長なき消費という神話を強化する。学校は、価値が計測可能であり、パッケージ化され、自己増殖するという三つの神話を教え込む。進級と卒業という儀式的ゲームを通じて、人々は終わりのないサービス消費の神話へと導かれる。これは、世界規模での期待の普遍化であり、メラネシアの積荷崇拝にも似た新たな宗教である。学校は最大の雇用者でもあり、人々を「教えられる必要がある」という事前の疎外状態に置く。脱学校化は、この新たな疎外からの人間解放のための根源的な運動である。
第4章 制度的スペクトラム
制度は、人々の自発的な利用に委ねられる「コンヴィヴィアルな制度」(左翼)から、クライアントを操作する「操作的な制度」(右翼)までのスペクトラム上に位置づけられる。学校や刑務所、軍隊は典型的な操作的制度であり、その目的とは逆の効果(逆機能)を生み出す。高速道路は一見公共設備に見えても、自動車という操作的な商品に従属する「偽の公共設備」である。学校もまた、学習をカリキュラム的教授の結果であるとする虚偽の前提に基づく、最も狡猾な偽の公共設備である。真の未来は、技術をコンヴィヴィアルな制度の成長に投資し、人々が「作ること」から「行うこと」へと重心を移すことにかかっている。
第5章 非合理的な首尾一貫性
教育論争(行動主義的教育技術と自由学校運動)は、対立しながらも、学習が教育者の管理する制度的プロセスの結果であるという前提を共有している点で、本質的に保守的である。両者は「学校化された社会」の枠内での改良に過ぎず、学校の根本的な前提を疑うものではない。真の教育革命には、研究の方向性の転換(教育のパッケージ供給から学習者の自律的な資源編成へ)と、新たな対抗文化の教育スタイルの理解が必要である。技術がもたらす効率性の向上ではなく、予期せぬ個人的な出会いの豊かさを価値とする視点への転換が求められる。
第6章 学習のためのウェブ
脱学校化された社会における教育機関として、四つの「学習のためのウェブ」が構想される。
- 教育的事物への参照サービス:図書館、博物館、工作機械など、学習に利用できる事物へのアクセスを保障する。
-
技能交換:特定の技能を持つ人が自らを登録し、それを学びたい人と結びつけるシステム。
-
仲間マッチング:同じ関心を持つ学習仲間を探すための通信ネットワーク。
-
教育専門家への参照サービス:真の教育的リーダーや助言者へのアクセスを提供する。
これらは、個人が自らの目的に応じて自由にアクセスできるネットワークであり、教師によるカリキュラムの代わりに、学習者の自律的な探求を支援する。
第7章 エピメテウス的人間の再生
現代社会は、あらゆる価値を制度的に生産する「プロメテウス的」な企ての末に、自己完結的な罠にはまり込んでいる。人間は自らの道具の道具と化し、無限の期待に駆り立てられる地獄のような状態にある。この「プロメテウス的誤謬」から脱却するためには、制度への「期待」ではなく、自然や他者からの「贈り物」としての「希望」を回復する必要がある。その希望を体現するのが、パンドラ(全贈り物)と結婚し、共に生きることを選んだ「エピメテウス的人間」である。脱学校化は、このエピメテウス的人間の再生を通じて、新たな文明の可能性を切り開く。
パスワード記載ページ(note.com)はこちら
注:noteのメンバーのみ閲覧できます。
