
英語タイトル:『The Emergence of Probability: A Philosophical Study of Early Ideas about Probability, Induction and Statistical Inference』Ian Hacking (2006)
日本語タイトル:『確率の出現:確率、帰納、統計的推論に関する初期思想の哲学的研究』イアン ハッキング (2006)
目次
- 序論2006:蓋然的推論の考古学 / Introduction 2006: The Archaeology of Probable Reasoning
- 第1章 欠如した概念群 / An Absent Family of Ideas
- 第2章 二重性 / Duality
- 第3章 意見 / Opinion
- 第4章 証拠 / Evidence
- 第5章 徴候 / Signs
- 第6章 最初の計算 / The First Calculations
- 第7章 ロアネズ・サークル(1654年) / The Roannez Circle (1654)
- 第8章 大いなる決断(1658年頃) / The Great Decision (1658?)
- 第9章 思考の技法(1662年) / The Art of Thinking (1662)
- 第10章 確率と法律(1665年) / Probability and the Law (1665)
- 第11章 期待値(1657年) / Expectation (1657)
- 第12章 政治算術(1662年) / Political Arithmetic (1662)
- 第13章 年金(1671年) / Annuities (1671)
- 第14章 同等可能性(1678年) / Equipossibility (1678)
- 第15章 帰納論理 / Inductive Logic
- 第16章 推測術(1692年?出版1713年) / The Art of Conjecturing (1692[?] published 1713)
- 第17章 第一極限定理 / The First Limit Theorem
- 第18章 設計 / Design
- 第19章 帰納(1737年) / Induction (1737)
本書の概要
短い解説
本書は、なぜ確率概念が1660年頃に突然ヨーロッパに出現したのかを、哲学的・歴史的に解明する研究書である。
著者について
著者イアン・ハッキングは、トロント大学とコレージュ・ド・フランスの名誉教授として、科学哲学と科学史の分野で多大な貢献をしてきた。本書では、ミシェル・フーコーの「考古学」的手法を取り入れ、確率概念の歴史的形成を分析している。
主要キーワードと解説
- 主要テーマ:確率概念の歴史的出現の条件分析
- 新規性:確率の「二重性」(頻度論的側面と認識論的側面)の歴史的起源
- 興味深い知見:中世の「徴候」概念から近世の「証拠」概念への変容
3分要約
本書は、現代数学の基礎概念である確率がなぜ1660年頃に突然ヨーロッパに出現したのかという謎を解き明かす野心的な研究である。ハッキングは、この謎に対してフーコー的な「考古学」的手法を用いて答える。
確率概念の登場以前、ヨーロッパには賭博や偶然に関する数学は存在しなかった。古代からサイコロは使われていたが、確率の数学的理論は皆無だった。この状況は1660年頃に劇的に変化し、パスカル、フェルマー、ホイヘンス、ライプニッツらによって確率理論が一斉に開花した。
ハッキングが注目するのは、確率概念の本質的な「二重性」である。確率は一方で頻度論的側面(安定した相対頻度)を持ち、他方で認識論的側面(信念の度合い)を持つ。この二重性は偶然の産物ではなく、確率概念の歴史的形成過程に根ざしている。
中世の知識体系において、「知識」(scientia)と「意見」(opinio)は明確に区別されていた。知識は論証可能な普遍的真理を扱い、意見は権威による証言に基づく蓋然的な判断を扱った。ルネサンス期に重要な変化が起こる。従来の「外的証拠」(証言や権威)に加えて、「内的証拠」という新たな概念が登場した。これは、一つの事物が他の事物を偶然的に指示する関係を表す。
この変化の鍵となったのが「徴候」(sign)概念の変容である。パラケルススらの低次科学(錬金術、医学、占星術)では、自然界の徴候を読み解くことが重要だった。自然は「神の書」として理解され、徴候はその文字だった。しかし17世紀に入ると、自然的徴候と人工的徴候が区別され、前者が新たな「内的証拠」の概念を生み出した。
確率の二重性は、この概念変容から生まれた。意見の蓋然性は従来通り権威による証言(認識論的側面)に基づくが、その権威が今や自然の徴候となった。そして自然の徴候は頻度によってその信頼性が測られる(頻度論的側面)。かくして、証言と頻度という二つの異なる側面を持つ確率概念が誕生した。
ベルヌーイの『推測術』(1713年)で確率は完全に出現を遂げる。彼は主観的確実性の度合いとしての確率を定義し、大数の法則を証明した。これにより、未知の確率パラメータの経験的推定が可能になった。しかし同時に、帰納的推論の正当化という新たな哲学的問題も生み出された。
最終的に、ニュートン力学の成功は因果関係の理解を変化させた。従来「知識」の領域にあった因果関係が「意見」の領域に移され、バークリーによって原因と徴候が同一視された。この変化により、ヒュームの帰納の懐疑的問題が可能になった。
ハッキングの分析は、確率概念が単なる数学的発見ではなく、知識・証拠・因果関係といった基本概念の根本的再編成の産物であることを示している。この再編成こそが、現代まで続く確率解釈をめぐる哲学的論争の根源にある構造を決定したのである。
各章の要約
序論2006:蓋然的推論の考古学
2006年版序論では、1975年の初版以降の確率史研究の発展を概観し、フーコーの「考古学」的手法の適用について説明している。ハッキングは本書が単なる歴史書ではなく、現在の確率概念の理解を深める「現在の歴史」であることを強調する。確率の二重性(頻度論的・認識論的)という現代的問題の起源を、概念の歴史的形成過程に求める方法論を提示している。
第1章 欠如した概念群
古代からサイコロや籤引きは存在したが、1660年以前のヨーロッパには確率の数学は皆無だった。この事実に対する従来の説明(決定論的世界観、宗教的タブー、記数法の不備、経済的必要性の欠如など)はいずれも不十分である。重要なのは、確率概念そのものが存在しなかったことであり、その概念的前提条件を探求する必要がある。インドの『マハーバーラタ』には確率的思考の痕跡があるが、ヨーロッパでは概念的準備が整っていなかった。
第2章 二重性
1660年頃、パスカル、フェルマー、ホイヘンス、ライプニッツらによって確率概念が一斉に出現した。この概念は本質的に二重である。一方では統計的・頻度論的側面(偶然過程の確率的法則)を持ち、他方では認識論的側面(命題に対する合理的信念の度合い)を持つ。パスカルの賭けの問題(頻度論的)と神の存在に関する賭け(認識論的)がこの二重性を象徴している。この二重性は偶然ではなく、概念の歴史的形成条件に根ざしている。
第3章 意見
中世において「蓋然的」(probabilis)とは「承認に値する」を意味し、権威による証言に基づく意見の属性だった。トマス・アクィナスの知識論では、知識(scientia)と意見(opinio)は明確に区別され、知識は論証による普遍的真理、意見は権威による証言に基づいていた。蓋然的意見とは、賢者や権威によって承認された意見を指し、現代的な証拠による支持とは異なる概念だった。この古い確率概念の理解が、新しい確率概念の出現条件を理解する鍵となる。
第4章 証拠
現代哲学者の多くは確率を仮説と証拠の関係とするが、関連する証拠概念が以前は存在しなかった。中世には論証、証言、真実らしさの概念はあったが、「内的証拠」すなわち一つの事物が他の事物を偶然的に指示するという概念が欠けていた。この概念は主に錬金術、地質学、占星術、医学などの「低次科学」から生まれた。これらの分野では論証的知識が得られず、別の証明方法が必要だった。内的証拠の概念形成が確率概念出現の重要な前提条件である。
第5章 徴候
確率概念の原材料は「低次科学」の徴候概念にある。パラケルススのような人物は、自然を神の書として読み解き、徴候を通じて真理に到達しようとした。自然の徴候は神の証言と見なされ、その信頼性は頻度によって測られた。ガサンディやホッブズの時代になると、自然的徴候と人工的徴候が区別され、前者が新たな内的証拠概念を生み出した。この変容により、証言(認識論的)と頻度(統計的)を結ぶ確率概念の基盤が形成された。
第6章 最初の計算
16世紀イタリアで偶然現象に関する最初の計算が現れた。カルダーノは賭博について書いたが、彼の仕事は1663年まで出版されず、影響は限定的だった。ガリレオは三つのサイコロの問題を解決し、順列が等確率であることを理解していた。これらの初期の計算は主に頻度論的概念に基づいていたが、概念的基盤は不安定で、確率という統一的概念には至らなかった。真の確率概念の出現には、さらなる概念的発展が必要だった。
第7章 ロアネズ・サークル(1654年)
メレ騎士の賭けの問題がパスカルに提示され、フェルマーとの往復書簡が確率論の出発点となった。ロアネズ公爵のサロンがこの数学的発展の舞台だった。パスカルは分割問題の一般解を発見し、二項係数の本格的理解を達成した。この成果は純粋に数学的だったが、同時にパスカルは賭けの問題を他の不確実性下の決定問題に応用する可能性を見出し、決定理論の基礎を築いた。
第8章 大いなる決断(1658年頃)
パスカルの「賭け」は宗教的護教論として知られるが、実際には決定理論への最初の重要な貢献である。三つの異なる論証形式(支配、期待値、支配期待値)を含む洗練された議論である。神の存在について確信が持てない人に対し、信仰的生活を選択することの合理性を論証した。この議論は賭博の構造を宗教的決断に適用した最初の例であり、確率概念の一般化への道を開いた。数学的期待値の概念が宗教的・実存的問題に応用可能であることを示した。
第9章 思考の技法(1662年)
ポール・ロワイヤル論理学は「確率」という語が測定可能なものとして初めて使用された文献である。アルノーらによって書かれたこの書は、内的証拠と外的証拠を明確に区別し、確率の数値的測定を試みた。奇跡や歴史的事件の信憑性を確率論的に評価する方法を提示し、パスカルの賭けの簡略版も含んでいる。ウィルキンズの著作の変遷は、徴候から証拠への概念変化と、設計論証の発展を示している。
第10章 確率と法律(1665年)
ライプニッツは19歳で法学に基づく確率理論を発表した。条件的権利の研究を通じて、確率を「証明の度合い」として数値化した。法学を「自然法学」のモデルとして確率理論を構想し、証拠の関係的性格を強調した。法廷での判断は常に証拠に相対的であり、この洞察が確率の条件的性格の理解につながった。また、法学では純粋証拠と混合証拠の区別があり、これが後の確率理論の発展に影響を与えた。
第11章 期待値(1657年)
ホイヘンスは最初の確率教科書を著し、期待値概念の正当化を試みた。現代的な長期平均による正当化は不十分であり、ホイヘンスは同等賭博の概念を用いた論証を展開した。公正な籤引きを基本とし、賭博者が無差別な賭けを見つけることで期待値を正当化した。この方法は後にラムゼーやサヴェージによって復活される。スピノザも同様の問題に取り組み、賭けの公正価格の理論的基礎を探求した。
第12章 政治算術(1662年)
グラントとペティは死亡表を用いた最初の体系的統計推論を行った。従来は疫病の「徴候」として自然現象を読み解いていたが、彼らは死亡率データそのものを「証拠」として使用した。グラントはロンドンの人口推定、死亡原因の分析、生存曲線の構築を行った。ペティは統計データの政策的活用を提唱した。この転換により、自然現象が神の証言から独立した証拠源として認識されるようになり、近代統計学の基礎が築かれた。
第13章 年金(1671年)
デ・ウィットとヒュッデは年金の公正価格計算に確率論を適用した。オランダの年金記録を分析し、死亡率曲線を構築した。デ・ウィットは一様死亡率仮説を提唱し、ホイヘンスの期待値理論を実際の保険数理に応用した。ライプニッツも年金問題に関心を示し、実証データと理論的考察を組み合わせた。これらの研究により、確率論の実用的応用が確立され、後の生命保険業界の基礎が築かれた。
第14章 同等可能性(1678年)
ライプニッツは1678年に確率を「可能性の度合い」として定義した。この「同等可能性」概念は後にラプラスの古典的定義となった。可能性概念の二重性(事物について・命題について)が確率概念の二重性(頻度論的・認識論的)と対応している。フランスでは認識論的解釈が、イギリスでは頻度論的解釈が優勢になった。ライプニッツの定義は曖昧だったが、その曖昧さこそが確率概念の二重性を保持する上で有用だった。
第15章 帰納論理
ライプニッツは確率論を「新しい種類の論理学」として構想し、現代の帰納論理を先取りした。法学をモデルとして、すべての確率は証拠に相対的であることを理解していた。彼の形而上学では、可能世界がそれぞれ存在への傾向性を持ち、これが確率の客観的基礎となる。組合せ術と可能性理論、偶然の理論を組み合わせて、包括的な帰納論理体系を構想した。カルナップの現代的帰納論理との類似点と相違点を詳細に分析している。
第16章 推測術(1692年?出版1713年)
ヤコブ・ベルヌーイの『推測術』は確率論の決定的発展を示した。彼は確率を「主観的確実性の度合い」として定義し、初の極限定理(大数の法則)を証明した。純粋証拠と混合証拠の区別を発展させ、非加法的確率概念を最後に検討した数学者となった。彼の確率概念は認識論的でありながら、未知の頻度論的確率の推定という問題設定により、両側面を統合する試みを行った。道徳的確実性の概念も導入した。
第17章 第一極限定理
ベルヌーイの大数の法則は、観測される成功の割合が真の確率に収束することを証明した。しかし、この定理の解釈には困難がある。試行前評価(推定法が通常正しい)と試行後評価(特定の推定が信頼できる)の区別が重要である。ベルヌーイは主に前者を意図していたが、後者を意図していると誤解される場合がある。ベイズの定理は後者の問題に対する最初の体系的解答である。信頼区間とベイズ推定の違いも詳細に論じられている。
第18章 設計
アーバスノットは出生における男女比の一定性を神の摂理の証拠とした。しかし彼の統計的推論には誤りがある。ニコラス・ベルヌーイが正しい反駁を提示した。英国王立協会の神学者たちは、ニュートン的世界観の下で、統計的法則を神の恒常的介入の証拠と見なした。重力法則と同様、統計的法則も単なる規則性の記述であり、効率原因は神の作用にあるとされた。この思想は確率概念の頻度論的解釈を強化し、後の決定論的世界観における偶然の問題へとつながった。
第19章 帰納(1737年)
ヒュームの帰納に関する懐疑的問題は1739年に初めて定式化された。この問題が1660年以前に現れなかった理由を分析する。内的証拠概念の欠如に加えて、因果関係概念の変化が必要だった。中世では因果関係は知識の領域にあったが、ニュートン科学の影響で意見の領域に移された。バークリーは原因を徴候と同一視し、ヒュームがこの変化を完成させた。かくして、徴候から証拠への変化と、知識から意見への因果関係の移行により、帰納の懐疑的問題が可能になった。
アルツハッカーは100%読者の支援を受けています。
会員限定記事
新サービスのお知らせ 2025年9月1日よりブログの閲覧方法について
当ブログでは、さまざまなトピックに関する記事を公開しています。2025年より、一部の詳細な考察・分析記事は有料コンテンツとして提供していますが、記事の要約と核心部分はほぼ無料で公開しており、無料でも十分に役立つ情報を得ていただけます。 さらに深く掘り下げて知りたい方や、詳細な分析に興味のある方は、有料コンテンツをご購読いただくことで、より専門的で深い内容をお読みいただけます。パスワード保護有料記事の閲覧方法
パスワード保護された記事は以下の手順でご利用できます:- Noteのサポーター・コアサポーター会員に加入します。
- Noteサポーター掲示板、テレグラムにて、「当月のパスワード」を事前にお知らせします。
- 会員限定記事において、投稿月に対応する共通パスワードを入力すると、その月に投稿したすべての会員記事をお読みいただけます。
サポーター会員の募集
- サポーター会員の案内についての案内や料金プランについては、こちらまで。
- 登録手続きについては、Noteの公式サイト(オルタナ図書館)をご確認ください。
