書籍要約『時間の終焉 ― デイヴィッド・ボームとの13の対話』 Jiddu Krishnamurti / David Bohm

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英語タイトル:

The Ending of Time:Thirteen Dialogues with David Bohm(with two additional dialogues in this edition)

日本語タイトル:

『時間の終焉 ― デイヴィッド・ボームとの13の対話』(本版には追加の2つの対話を含む)

著者名:Jiddu Krishnamurti / David Bohm

出版年:1985年(原版)、2014年(追加対話を含む拡大版)

目次

  • イントロダクション
  • 前書き
  • 第1章 心理的葛藤の根源
  • 第2章 時間の蓄積から心を清める
  • 第3章 なぜ人間は思考に至高の重要性を与えたのか
  • 第4章 自己中心的活動のパターンを断つ
  • 第5章 存在の基盤と人間の心
  • 第6章 洞察は脳細胞の突然変異をもたらしうるか
  • 第7章 死はほとんど意味を持たない
  • 第8章 洞察は他者に目覚めさせることができるか
  • 第9章 老化と脳細胞
  • 第10章 宇宙的秩序
  • 第11章 洞察の解放
  • 第12章 愛の知性
  • 第13章 「心理的知識」の終焉
  • 第14章 宇宙の中の心
  • 第15章 人間の問題は解決できるか
  • 付録:人類の未来(第一の対話 / 第二の対話)

本書の概要

短い解説

本書は、世界的宗教哲学者ジッドゥ・クリシュナムルティと、著名な理論物理学者デイヴィッド・ボームとの一連の対話を収録したものである。両者が根源的な対話を通じて、時間と思考がもたらす人間の心理的苦しみの構造を探求し、その根本的な終焉の可能性、ひいては人間意識の変容と宇宙の中での人間の位置づけを考察する。読者は、心理学、哲学、科学の境界を超えた知的・精神的探求の旅へと誘われる。

著者について

ジッドゥ・クリシュナムルティ(1895-1986)はインド生まれの思想家。若くして「世界教師」として擁立されるが、組織や権威を拒否し、独立して世界的に講話活動を行った。権威やイデオロギーに依拠せず、個人の洞察と気づきを通じた根本的な心理変容を説き続けた。

デイヴィッド・ボーム(1917-1992)は20世紀を代表する理論物理学者。アインシュタインと共に研究し、量子力学の解釈や「暗黙的秩序」理論で知られる。物理学の枠を超え、意識や思考の本性についても深い関心を持ち、クリシュナムルティとの対話を長年にわたり重ねた。

テーマ解説

  • 主要テーマ:時間と思考による束縛からの解放。過去の経験に基づく思考が、分離した「私(自我)」を生み出し、それが人間のあらゆる心理的葛藤と苦しみの根源であると論じる。
  • 新規性:物理学者と哲学者の対話を通じ、心理的問題を科学的・実存的な観点から同時に掘り下げる学際的アプローチ。量子物理学の知見と深い内観的洞察を交差させる。
  • 興味深い問い:洞察は脳細胞の物理的構造を変容させうるか? 心理的知識の蓄積とは異なる「純粋な洞察」とは何か?
  • 核心的対立軸:思考に基づく時間的な努力による変化 vs. 時間を超えた洞察による即時的変容(突然変異)。

キーワード解説(1~3つ)

  • 洞察(Insight):思考や分析、時間的過程を経ずに、問題の全体像が直接的に、瞬間的に理解されること。真の変容をもたらす根源的な気づき。
  • 心理的知識(Psychological Knowledge):過去の経験や記憶に基づいて蓄積された自己に関する知識。この知識が自我を強化し、新たな経験を歪めてしまうとされる。
  • 宇宙的秩序(Cosmic Order):自我の雑音や思考の混乱が終わった時に現れる、人間の心が参与しうる根源的・調和的な秩序。

3分要約

本書は、クリシュナムルティとボームが、人間の苦しみの根源とその終焉の可能性について行った一連の深遠な対話である。対話は、私たちを悩ませる心理的葛藤の原因を探ることから始まる。両者は、葛藤の根源は「私」という感覚、つまり過去の経験や記憶から構築された分離的で時間に縛られた「自我」にあると見なす。この自我は、常に自己の存続と安全を求め、思考を通じて世界を解釈し、防衛し、投影する。思考自体は過去の産物であり、限界があるにもかかわらず、私たちは人生のあらゆる問題をこの不完全な道具に委ねてしまっている。これが誤解、対立、終わりのない内部対話を生み出している。

では、この循環から抜け出す道はあるのか? 両者が探求するのは、思考や分析による漸進的な改善ではない。それらは依然として時間のプロセスであり、自我の活動にすぎない。代わりに、彼らが注目するのは「洞察」である。洞察は、時間を超越した瞬間的な理解であり、問題の全体構造を思考を介さずに直接見抜く知性である。例えば、恐怖や怒りの全体を瞬間的に洞察するとき、その感情は変容せざるを得ない。重要なのは、この洞察が単なる観念的な理解ではなく、脳の物理的な構造・機能にさえ影響を与える可能性が探求される点である。

この洞察の探求は、人間の最も根本的な条件へと向かう。すなわち、死と時間である。クリシュナムルティは、通常の死の概念(自我の終焉への恐怖)もまた思考の産物だと論じる。時間と自我から自由になった心にとって、死は「ほとんど意味を持たない」連続性の終わりにすぎない。自我の活動が止むとき、心は「宇宙的秩序」に触れる余地が生まれる。これは物理的な宇宙だけでなく、自我の混乱が消えた時に現れる、根源的で調和のとれた秩序である。

対話は最終的に、このような深い探求が日常生活とどう関係するかを検証する。人間の問題(葛藤、暴力、孤独)は、自我と時間の活動が終わることで、根本から解決される可能性がある。それは、愛や慈悲、美の知性が機能し始める状態である。本書の終盤と付録では、この個人の意識の変容が、機械的思考の連鎖に縛られた人類全体の未来にどのような影響を与えうるかが問われる。答えは外的なシステムの変化ではなく、個人の心における「時間の終焉」にこそあると示唆される。

各章の要約

第1章 心理的葛藤の根源

対話は、人間の心理的葛藤がどこから生じるかという根源的な問いから始まる。クリシュナムルティは、葛藤の本質は「あるべき姿」と「現実」の間の分裂、つまり思考が生み出す理想と実際の自分とのギャップにあると指摘する。ボームは、分裂が時間の概念、すなわち「現実を変えようとする未来への投射」に関係していると付け加える。両者は、葛藤は自己内の対立(「私」と「私ではないもの」)であり、この分裂した自己の構造そのものの中に存在すると結論づける。その構造を深く理解することが探求の出発点となる。

第2章 時間の蓄積から心を清める

第1章の議論を受け、自己の構造を形作る「時間の蓄積」としての記憶と経験に焦点が当てられる。クリシュナムルティは、心は過去の知識、イメージ、傷(hurt)の蓄積であり、それらがすべての知覚と関係をフィルタリングしていると述べる。この蓄積が「観察者」(自我)を生み、観察者と観察対象の分離を永続させる。真の観察とは、この蓄積からの自由においてのみ可能である。問題は、その蓄積を「誰が」清めるのかというパラドックスであり、清めようとする主体自体が蓄積の一部だからである。ここで「(時間を要する)努力による変化」という通常のアプローチの限界が浮き彫りにされる。

第3章 なぜ人間は思考に至高の重要性を与えたのか

葛藤の原因が自己の時間的構造にあるなら、なぜ人間はその主要な道具である「思考」にこれほど依存するのかが問われる。ボームは、思考が物理的生存において非常に有効だったが、その成功が心理的領域への誤った拡張を招いたと推測する。クリシュナムルティは、思考が「継続性」と「安全」をもたらす幻想を創り出すからだと指摘する。自我(思考の産物)は、自己の継続を保障するものとして思考を崇拝する。しかし、思考は常に過去に基づいており、常に変化する生命(現在)を捉えることは本質的に不可能である。私たちはこの限界ある道具で無限の心理的問題を解決しようとしているという矛盾が明確にされる。

第4章 自己中心的活動のパターンを断つ

これまでの議論を踏まえ、具体的にいかにしてこの自己中心的な思考のパターンから自由になるかが探求される。クリシュナムルティは、パターンを断つための努力や規律も、実は同じ自己中心性の別の形態にすぎないと警告する。真の変化は「気づき(awareness)」を通じて訪れる。それは、自己中心的な思考が活動していることを、批判も選択もなく、ただ観察することである。例えば、怒りを「怒っている」と観察するのではなく、「怒りそのもの」として観察するとき、観察者と怒りの分離が消える。この非選択的な気づきが、活動を終わらせるエネルギーをもたらす可能性が示唆される。

第5章 存在の基盤と人間の心

対話は、自我の活動が止んだ先にあるものについての探求へと深まる。ボームは「存在の基盤(ground of being)」という概念を提起する。それは、すべての存在を生み出す源泉であり、通常の思考では到達できない領域である。クリシュナムルティは、人間の心がその「基盤」に触れることができるかどうかが問題だとする。そのためには、心があらゆる知識(特に心理的知識)、信念、追求から完全に自由でなければならない。なぜなら、それらはすべて自我の活動であり、「基盤」への障壁となるからである。これは宗教的追求の否定でもある。彼はこう述べる。「真理は未知の地であり、既知によって近づくことはできない」。

第6章 洞察は脳細胞の突然変異をもたらしうるか

この章では、洞察が単なる観念ではなく、生物学的・物理的な影響を持つ可能性が大胆に探求される。ボームは、脳細胞の構造と機能は過去の経験によって条件づけられ、固定的な経路(「ルーチン」)を形成していると説明する。通常の学習はそのルーチンの強化にすぎない。それに対し、「洞察」は全く新しい理解であり、それによって脳細胞自体の物理的・化学的状態が変わり、古い条件づけのパターンが終わる「突然変異」が起こりうるのではないか、と問う。クリシュナムルティはこれに同意し、洞察は思考や時間を介さないエネルギーであり、それが脳の物質自体に影響を与えると見なす。これは、精神と物質(心と脳)の関係についての根本的な仮説である。

第7章 死はほとんど意味を持たない

洞察と時間の終焉についての探求は、必然的に「死」というテーマに至る。クリシュナムルティは、一般的な死の概念(恐怖、悲しみ、来世への希望)はすべて、継続性を求める自我(思考)の産物だと論じる。自我にとって死は絶対的な終焉だから恐ろしい。しかし、もし日常生活の中で「自我の活動(エゴのすべての動き)」が終わっていれば、つまり心理的に毎日が終わっていれば、生物学的な死は「ほとんど意味を持たない」出来事となる。彼はこう問う。「毎日終わること…それ自体が再生であり、新たさであり、愛ではないか?」。死への洞察は、生きることの質そのものを変容させる。

第8章 洞察は他者に目覚めさせることができるか

実践的な疑問が提起される:もし洞察が個人的な瞬間的体験なら、他者に伝えたり、促したりすることは可能なのか? クリシュナムルティは、これは教育や精神指導の核心的問題だと認める。彼の答えは明快である。講話や対話は、相手自身の心の動きを「鏡」として映し出すことである。教師は知識を与えるのではなく、相手が自分自身の思考と動機を明晰に見られる条件を作る。しかし、最終的に洞察が起こるかどうかは、個人の「真剣さ(seriousness)」にかかっている。外部からの動機づけは機能せず、苦しみからの真の解放への欲求が決定的である。

第9章 老化と脳細胞

第6章の「脳細胞の突然変異」というテーマを発展させ、脳の老化と知的能力の減退について議論する。身体的・生物学的な老化は避けられないが、クリシュナムルティは、心理的な負担(自我の絶え間ない活動、葛藤、恐怖の蓄積)が脳に過剰な負荷をかけ、その機能を早期に衰えさせるのではないかと問う。もし洞察を通じて心理的蓄積が終わり、脳が「無垢(innocence)」の状態、すなわち過去の傷や知識で歪められていない状態で保たれたなら、脳細胞は生物学的年限いっぱい、活発で明晰であり続けるのではないか。これは、精神の状態が肉体に与える影響についての深い考察である。

第10章 宇宙的秩序

ここで、内なる探求は外なる宇宙への視野を広げる。ボームは、物理学が明らかにする宇宙の驚くべき物質的秩序(数学的法則性)について言及する。しかし、クリシュナムルティが関心を持つのは、人間の心がそれに参与できる「秩序」である。彼は、自我の混乱(無秩序)が終わるとき、心は「宇宙的秩序」に触れると語る。この秩序は個人の創造物ではなく、人間とは独立して存在する「もの(something)」である。それは「神」や「絶対」と呼ばれるかもしれないが、重要なのはラベルではなく、心がすべての動機と探索を止め、完全に静寂であるときに、その秩序が現れるということである。

第11章 洞察の解放

本書のタイトル的なテーマが改めて焦点となる。「時間の終焉」とは何か? それは単に時計の時間の否定ではなく、思考が生み出す「心理的時間」—過去から未来へ向かう「なりゆく(becoming)」プロセス—の終わりである。この心理的時間が、葛藤、恐怖、希望を生む。洞察は、この時間の連鎖を瞬時に断ち切る。それは「知性(intelligence)」の働きであるが、それは知識の蓄積による知性ではなく、観察から直接生まれる「洞察としての知性」である。この知性は、日常生活のあらゆる関係や問題に正しい行動をもたらすとされる。解放とは、時間からの自由であり、それによって初めて「現在に生きる」ことが真実となる。

第12章 愛の知性

時間の終焉と洞察の状態は、抽象的ではなく、人間的な質として描かれる。その核心が「愛」である。しかし、ここで言う愛は、感情や欲望、関係の絆ではない。クリシュナムルティは、それは「慈悲(compassion)」であり、あらゆる思考(評価、分離、イメージ)が存在しないところに生まれる「知性」だと説明する。「愛の知性」は、問題を解決する道具ではなく、問題がそもそも生じない状態である。それは、美を感じる感覚とも深く結びついている。ボームは、この愛は宇宙的秩序と調和しており、単なる個人的な感情を超えた次元を持つものだと理解を示す。人間性の最高の表現としての愛が再定義される。

第13章 「心理的知識」の終焉

探求は「知ること(knowing)」の本性に立ち戻る。私たちは「心理的知識」(自分自身についての物語、自己イメージ、過去の分析)を蓄積し、それに基づいて行動する。しかし、この知識は常に過去のものであり、生きた現在の事実ではない。クリシュナムルティは、この知識の蓄積が、心の無垢さと学習能力を損なうと強く主張する。「心理的知識の終焉」とは、新しい経験を過去のフィルターを通さずに、毎瞬新鮮に遭遇できる状態である。それは恐れの終焉でもある。彼はこう断言する。「知識のあるところに、愛は存在しない」。

第14章 宇宙の中の心

対話は、究極の問いに到達する:意識ある人間の心は、広大な物理的宇宙の中でどのような位置を占めるのか? ボームは、現代物理学の宇宙観を説明し、観測者が宇宙の一部であるという見方を提示する。クリシュナムルティは、宇宙は物質だけでなく、「空(emptiness)」や「エネルギー」を含む全体であるとし、人間の心が純粋(あらゆる思考内容が消えた状態)であれば、その全体に参与できる可能性を示唆する。重要なのは、参与しようとする「主体」が存在しないことである。自我が消え、心が完全に静かであるとき、「宇宙の中の心」は「宇宙そのものである心」となりうるかもしれない。これは神秘主義的な合一ではなく、秩序への参与として語られる。

第15章 人間の問題は解決できるか

最終章では、これまでの高次元な探求が、地上の現実の問題—暴力、憎しみ、戦争、不平等—とどのように関連するかが問われる。クリシュナムルティの主張は一貫している。これらの問題はすべて、分離した自我とその思考(国家主義、イデオロギー、所有欲)から生じている。したがって、外的なシステムや法律を変えても、根源は変わらない。唯一の根本的解決は、個人の意識の変容、「心理的革命」にある。それは教育、環境、世代を通じて広がる可能性がある。人類の危機は意識の危機であり、その危機からの脱出は、時間に縛られた思考の活動が終わることにかかっている。対話は、行動への呼びかけではなく、理解そのものが行動であるという認識で締めくくられる。


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