誰も気づかなかった300年にわたる物理学の誤り ジョン・ノートン教授(ピッツバーグ大学)

カート・ジャイムンガル因果関係・統計学物理学・宇宙量子力学・多世界解釈・ファインチューニング

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The 300-Year-Old Physics Mistake No One Noticed

対談の基本内容

登場人物(参照される主要人物を含む):

  • ジョン・ノートン (John Norton):ピッツバーグ大学の哲学教授。物理学の哲学と歴史を専門とし、ノートンのドーム(Newtonian物理学の非決定論を示すモデル)やランダウアーの原理(計算における熱生成の理論)の批判などで知られる。
  • カート・ジャイマンガル (Curt Jaimungal):ポッドキャスト「Theories of Everything」のホスト。物理学、哲学、意識に関する議論を展開。
  • ジョン・アーマン (John Earman):ノートンの同僚で、ピッツバーグ大学の哲学者。決定論に関する研究で知られ、ノートンのドームの着想に影響を与えた。
  • ジェームズ・ロバート・ブラウン (James Robert Brown):トロント大学の哲学者。思考実験のプラトニックな解釈を提唱。
  • アルバート・アインシュタイン (Albert Einstein):物理学者。特殊相対性理論、量子論、統一場理論の貢献で言及される。
  • ニールス・ボーア (Niels Bohr):量子力学の創始者の一人。ボーアの原子モデルや相補性原理で言及される。

対談全体のメインテーマ

メインテーマを約200字で解説

物理学の哲学的基礎、特に決定論因果性思考実験熱力学、およびアインシュタインの量子論への貢献を検証する。ジョン・ノートンは、ノートンのドームやランダウアーの原理の誤解を批判し、物理学の前提を再考する重要性を強調。科学的推論と歴史的文脈を通じて、物理学の概念の再評価を議論する。

トピックの背景情報や文脈

議論の主要なポイント

  • ノートンのドーム:ニュートン物理学における非決定論(indeterminism)の例として、特定の条件下で粒子が予測不可能に運動するモデルを提示。
  • 因果性:因果メタフィジックス(因果の本質を哲学的に定義する試み)を批判し、科学的因果は定義やラベリングにすぎないと主張。
  • ランダウアの原理:計算における最小熱生成量が論理的プロセスではなく物理的実装に依存するとし、従来の理解を否定。
  • 思考実験:思考実験は単なる議論であり、プラトニックな洞察(形而上学的直観)を持つという見解を否定。
  • アインシュタインの貢献:光量子仮説や波動粒子二重性など、量子論の初期発展における重要性を強調。

提示された具体例や事例

  • ノートンのドーム:頂点に置かれた粒子が自発的に動き出す可能性を示す、特定の形状のドーム。
  • ガリレオの思考実験:異なる質量の物体が同じ速度で落下するという論理的帰結。
  • シルラードエンジン(Szilard engine):マクスウェルの悪魔に関連し、熱力学の第二法則の逆転可能性を議論。
  • アインシュタインの光量子:1905年の論文で、プランク分布から光が粒子的な性質を持つと推論。
  • マリー・キュリーの結晶構造:ラジウム塩化物の結晶学的特性を例に、帰納推論の事実的根拠を説明。

結論や合意点

  • ニュートン物理学は本質的に決定論的ではなく、非決定論が特定の条件下で現れる。
  • 因果性は形而上学的原理ではなく、科学における便宜的なラベリングである。
  • ランダウアの原理は熱力学の誤解に基づいており、計算の熱生成は物理的プロセスに依存する。
  • 思考実験は議論の一形態であり、特別な認識論的力を持たない。
  • アインシュタインの量子論への貢献は、初期の光量子仮説や波動粒子二重性で顕著である。

特に印象的な発言や重要な引用(複数)

  • ジョン・ノートン: 「ニュートン物理学が常に決定論的だという考えは、物理学者の精神に深く根付いているので、私がそれに反することを言うと、間違いを指摘する義務があると感じるようです。」(7:21)
  • ジョン・ノートン: 「因果メタフィジックスは、経験的調査に先立つ概念的作業を必要とすると主張しますが、それは完全に失敗した試みです。」(18:59)
  • ジョン・ノートン: 「ランダウアの原理が続く理由がわかりません。分子スケールのプロセスでは、論理ではなくステップ数と完了確率が熱生成を決定します。」(38:39)
  • ジョン・ノートン: 「アインシュタインの魔法の力は、実験結果から他の誰も見つけられない意義を見出す能力でした。」(1:07:05)

サブトピック

0:00-9:04 ノートンのドームとニュートン物理学の非決定論

ジョン・ノートン(John Norton)が自身の研究であるノートンのドームを説明。ニュートン物理学が常に決定論的(deterministic)であるという前提を覆す例として、特定の形状のドーム上で粒子が自発的に動き出す可能性を示す。リプシッツ条件(微分方程式の解の唯一性を保証する数学的条件)の違反が非決定論の原因であると解説。この発見は、1980年代のジョン・アーマンとの共同セミナーから始まり、物理学者の強い反発を引き起こした。

9:04-16:47 無限自由度と熱力学の非決定論

無限の自由度を持つニュートン系では、非決定論が一般的であるとノートンが主張。例として、熱力学の極限における結晶格子の振る舞いを挙げ、無限格子では非決定論的になる可能性を指摘。実世界では量子力学の制約により実現困難だが、理論的意義は大きい。物理学の前提を経験的に検証する必要性を強調する。

16:47-24:07 因果性の批判

ノートンは因果メタフィジックスを批判し、因果性は科学的記述における定義やラベリングにすぎないと主張。アインシュタインのA・B係数(レーザーの基礎となる放射の理論)やウッドワードの介入主義的因果を例に、因果言語の心理的・実践的利点を認めるが、形而上学的本質を否定。科学的因果は事実に基づく実用的なツールである。

24:07-32:44 思考実験の性質

ノートンは、思考実験は単なる議論であり、ジェームズ・ブラウンのプラトニックな解釈(思考実験が形而上学的真理を直観する)を否定。ガリレオの落下実験を例に、思考実験が論理的推論に基づくことを主張。直観的魅力はあるが、特別な認識論的力はないと結論づける。

32:44-47:09 ランダウアの原理の誤解

ノートンはランダウアの原理(計算の論理的不可逆性が最小熱生成を決定する)を批判。分子スケールのプロセスでは、論理的構造ではなく物理的実装(ステップ数や完了確率)が熱生成を決定すると主張。シルラードエンジンを例に、熱力学の基本原理であるボルツマンのS=k log Wが適用されると説明。

47:09-55:26 マクスウェルの悪魔とリウヴィルの定理

マクスウェルの悪魔(熱力学の第二法則を逆転させる仮想装置)が情報論で説明される傾向を批判。リウヴィルの定理(古典的および量子力学における状態の保存則)が悪魔の不可能性を簡単に証明するとノートンは主張。情報論的アプローチは研究を複雑化させ、無駄な議論を生むと指摘。

55:26-59:26 エントロピーの種類と関係

エントロピーの定義(ボルツマン、ギブス、シャノン、フォン・ノイマン)を比較。ボルツマンとギブスのエントロピーは熱力学的プロセスを記述し、互いに整合するが、シャノンエントロピーは情報理論の確率分布の尺度であり別物。量子エントロピーは測定問題に関連し、解釈が困難であると説明。

59:26-1:13:10 アインシュタインの量子論への貢献と批判

アインシュタインの光量子仮説(1905年)、波動粒子二重性、A・B係数の発見が量子論の基礎を築いたとノートンが評価。一方で、新量子力学の非決定論を批判し、統一場理論で隠れた変数を模索したことを紹介。熱力学の観点から光量子を見出したアインシュタインの洞察を強調。

1:13:10-1:45:16 若手研究者への助言と帰納推論

ノートンは、アインシュタインの成功は実験結果から新たな意義を見出す能力にあったと分析。若手研究者に、自分の強みを活かし、新しい分野に挑戦するよう助言。物質的帰納(事実に基づく局所的推論)を提唱し、普遍的帰納規則の不存在を主張。マリー・キュリーの結晶研究を例に、事実的根拠の重要性を説明。

物理学の「常識」を疑う:ノートン教授が解体する決定論、因果性、ランダウアー原理 AI考察

by Claude Sonnet 4.5

ニュートン物理学は決定論的という神話

ジョン・ノートン(John Norton)がピッツバーグ大学で提示した「ノートンのドーム」は、物理学者たちの深層心理に根差した前提を揺さぶる。ニュートン物理学は本質的に「決定論的」である——この信念は100年以上にわたり、物理学者の思考を支配してきた。しかし、ノートンが示したのは、有限自由度系においてさえ、ニュートン力学が「非決定論的」になりうるという事実である。

ドームの構造は驚くほど単純だ。特定の形状を持つドーム頂点に質量点を置く。この系はリプシッツ連続性条件を違反し、微分方程式の解が一意でなくなる。頂点で静止していた粒子が、いつ動き出すかは「決定されない」。これは量子不確定性の話ではない。古典物理学そのものの話である。

物理学者たちの反応は興味深い。ノートンのもとには「親切な」訂正メールが殺到した。「教授、あなたは間違いを犯しています」——しかし、その訂正はどれも機能しなかった。なぜか。ニュートン物理学が決定論的であるという信念が、「心理的に深く根付いている」からだ。

ここで重要なのは、ノートンが主張するメタ認識論的立場である。「決定論的であるかどうかは、発見されるべきものであり、規定されるべきものではない」。我々は物理理論に先立って、世界が「こうでなければならない」という知恵を持っていない。量子力学登場時の「因果性の喪失」という嘆きは、まさにこの誤謬の産物だった。19世紀の物理学者たちは因果性と決定論を同一視し、世界が非決定論的であることを学んだとき、「絶対的な基礎」を失ったと考えた。しかし、実際には彼らは単に「世界について新しいことを学んだ」だけなのだ。

無限自由度系では非決定論は「蔓延している」とノートンは指摘する。熱力学極限を考える際、我々は注意を要する。「任意に大きな有限格子」と「無限格子」は異なる。後者は格子力学を非決定論的にする。ノートンの2011年論文「近似と理想化」が警告するのは、無限極限を取る際の概念的危険性である。

因果性という言語ゲーム

ノートンの因果性批判は、より根源的だ。彼が拒絶するのは「因果的形而上学のプロジェクト」そのものである。このプロジェクトは、経験的探究に先立って「因果性とは何か」を概念的に決定しようとする。形而上学者は言う:「科学者が因果性を語る前に、我々が因果性の本質を明らかにしなければならない」。

しかし、この試みは「何千年もの失敗」に終わっている。形而上学者たちは、経験的内容を持ち、かつ世界で成功する因果原理を提示できなかった。ノートンの代替案は単純だ:因果的言明は「隠された定義」に過ぎない。

アインシュタインのA係数・B係数分析を考えよう。励起原子が適切な周波数の放射場にあると、「誘導放射」が起こる。我々はこれを「放射場が放射を引き起こす」と記述する。ノートンは言う:「異議はない。ただし、あなたは単に言葉の使い方を宣言しているだけだと理解せよ」。深遠な形而上学的真理を発見したのではない。

ジム・ウッドワード(Jim Woodward)の介入主義的因果論も、ノートンにとっては「定義」である。二つの変数があり、一方への介入が他方の変化と関連するなら、因果関係がある。これは「有用な定義」だ。なぜなら、「これがあれを引き起こす」と告げられれば、我々は「これに介入すればあれを変えられる」と知るからだ。

物理学における因果性の用法を調査すると、ノートンは二つのパターンを発見した。第一に、「因果構造」はミンコフスキー時空の「光円錐構造」を意味する。第二に、物理過程の伝播が光円錐内に限定されるという事実を指す。それ以上のものはない。

では、何を失ったのか。ノートンは問う:「何も失っていない。最初から持っていなかったのだから」。因果的形而上学者は「ア・プリオリな物理学」をしようとしている。しかし、何千年もの科学的探究が教えるのは、これが機能しないということだ。世界は我々の想像力よりも「はるかに創造的」である。

時空には光円錐構造がある。通常の伝播はそれに限定される。これを「因果構造」と呼んでもよい。しかし、損失はどこにあるのか。

思考実験は特権的認識論ではない

思考実験の哲学には二つの極がある。完全な「デフレ主義的見解」——思考実験は通常の論証に過ぎず、単に絵画的で魅力的な方法で行われるだけ——と、「魔術的見解」である。後者の最も明確な表現者はジェームズ・ロバート・ブラウン(James Robert Brown)だ。彼によれば、正しいタイプの思考実験は「プラトンの天国への窓」を文字通り開き、我々は自然法則を「直接見る」ことができる。その証拠は「アハ体験」——突然理解する瞬間——である。

ノートンの立場は明快だ:「彼は間違っている」。

ガリレオの思考実験を考えよう。重い物体は速く落ちるとする。では、重い大理石の袋と単一の大理石を落とすと?袋はゆっくり落ちるはずだが、袋は多くの大理石で構成されている——矛盾だ。したがって、すべては同じ速度で落ちる。

なぜこれに納得したのか。ノートンは問う:「そこに論証があったからだ」。プラトン的世界への窓は不要だった。単に「論証を実行した」のだ。

40年間、ノートンとブラウンはこの論争を続けてきた。ノートンにとって驚きは、自身の立場が「あまりにも明白」に思えることだ。「これは少し退屈な論文になるだろうと思った。完全に自明なことを言っているだけだから」。しかし、多くの人々が異議を唱える。

ブラウンが好む例:数列1、2、3、4、5…をブロックの積み重ねで視覚化すると、突然「5+6を2で割る」という和の公式が「見える」。この瞬間的理解こそが、プラトン的洞察の証拠だとブラウンは主張する。

ノートンの返答:「それでも論証だ。なぜなら、『私には見えなかった』と言うと、彼は説明してくれる——そして彼は論証を与える」。

思考実験が単なる絵画だけなら、説得力はない。永久機関を想像できるか。真鍮の装置、弁、蒸気…車輪が永遠に回る。しかし、単に「想像すること」は何も証明しない。説得力のある思考実験には「論証がそこになければならない」。

これは創造性や洞察の価値を否定しない。思考実験は「心理的に助けになる」。視覚的イメージは論証の実行を容易にする。しかし、認識論的には、それ以上のものはない。

ランダウアー原理の熱力学的錯誤

ロルフ・ランダウアー(Rolf Landauer)が1960年代に提起した原理は、計算科学において「聖域」となってきた。論理的に可逆な操作(ビット反転など)は原理的に最小限の熱生成で実行できる。しかし論理的に「非可逆」な操作——特にビット消去——は必然的に熱を生成し、その量はシャノン情報エントロピーに対応する。1ビット消去なら、kT log 2のエントロピーが創出される。

チャールズ・ベネット(Charles Bennett)による精緻化で、この原理は計算の物理的限界を理解する基礎となった。ジョン・ホイーラー(John Wheeler)の「it from bit」——物理的実在が情報から構成される——の物理的基盤とさえ見なされた。

ノートンの批判は「初等的」だと彼自身が言う。分子スケールの熱力学の基本的事実:「分子スケールでエントロピーを生成せずに何もできない」。

単純なビット反転を考えよう。電荷を一つの位置から別の位置に移動させる。これには「駆動力」が必要だ。何に抗して働くのか。分子スケールでは、個々の電荷は「自身の熱エネルギー」を持ち、跳ね回っている。これを閉じ込めるには、位置ポテンシャルに押し込む必要がある。この過程で仕事が熱として失われる。

これは「極めて一般的な結果」だ。ボルツマンの S = k log W が教える:分子スケールのあらゆる過程において、最良の場合でも「完遂確率」がある。Wはその確率を、Sは創出されるエントロピーを示す。

電荷をあまり閉じ込めなければ、熱エネルギーで元の状態に戻る——低確率だが低エントロピー。強く閉じ込めれば、高確率だが高エントロピー。「結論:分子スケール過程で生成される熱量は、論理ではなく、完遂したいステップ数と各ステップの完遂確率で決まる」。

ノートンは12年間この主張を続けてきたが、ランダウアー原理の議論は継続している。「なぜ理解されないのか、私には分からない」。

計算装置の最小熱生成に興味があるなら、問うべきは:何ステップあるか、各ステップの完遂確率をどう設定するか。S = k log W が答えを与える。「それで終わりだ」。

ノートンが計算した例:単一過程で90%か95%の完遂確率を求めるなら、k log 2(約0.69k)よりはるかに多くのエントロピーを生成する——確か3kほど。しかしこれは「1ステップだけ」だ。計算装置には「多数の」ステップが連鎖している。それぞれが散逸的だ。「これは分子スケール物理学の完全に基本的な事実だ。大規模で複雑な派生は不要。2行で完了する」。

ノートンは、Nature誌の実験的「検証」も批判する。彼らは何を示したか。コロイド粒子(ブラウン運動粒子のように振る舞う)を障壁で圧縮すると、ゆっくり行えば可逆的にkT log 2の熱を環境に渡す。「もちろんだ。これは理想気体の基礎熱力学だ。アインシュタインのブラウン運動研究で完全に理解されていた。100年以上前の話だ」。

もしこの実験が「失敗」していたら、理想気体の熱力学を再考する必要があった。しかし彼らは何を示さなかったか。「装置の他のすべての部分で生成されたエントロピー」。障壁を動かすために抑制された揺らぎは?計上されていない。「その計算全体がなければ、結果はない」。

さらに深刻な問題がある。この文献は「100年間ナンセンスの縁をぐらついてきた」とノートンは言う。何が問題か。「揺らぎの選択的扱い」だ。

シラードのエンジンと揺らぎの不均等な扱い

レオ・シラード(Leo Szilard)の1929年論文に遡る。彼はマクスウェルの悪魔の変種——シラードのエンジン——を導入した。1分子気体がチャンバー内で跳ね回る。隔壁を挿入して気体を一方に閉じ込める。等温膨張させ、環境から熱を仕事に変換する。

シラードが扱っていたのは「熱揺らぎ」の文献だった。ブラウン運動、スモルホフスキ(Smoluchowski)、アインシュタインの研究。根本的問いは:熱揺らぎはどの程度、熱力学第二法則を逆転できるか。

ブラウン粒子が上下するとき、上昇時には環境からの熱が微視的な仕事に変換される——重力場で持ち上げられるから。ポアンカレ(Poincare)は「顕微鏡を通して作動中のマクスウェルの悪魔を見る」と述べた。

問題は:これらの微視的な第二法則違反を蓄積して、巨視的違反を生成できるか。スモルホフスキが答えを出した:「できない」。揺らぎを利用しようとするたびに、他の過程が持つ自身の熱揺らぎによってすべてが逆転される。例:スモルホフスキの跳ね上げ式扉。

シラードのエンジンに戻ろう。単一分子が前後に跳ねるのは、気体の「劇的な密度揺らぎ」だ。分子数が多ければ揺らぎは小さい。分子数が減ると、全エネルギーに対する揺らぎは大きくなる。シラードの問い:これらの揺らぎを利用して第二法則を破れるか。

問題は、人々がこれを分析する際、「装置内のすべての揺らぎを考慮しない」ことだ。隔壁の挿入を考えよう。隔壁自体が熱力学的過程だ。隔壁が非常に軽ければ、1/2 kTのエネルギーを持つ——そのエネルギーを抑制して静止させるには、エントロピーを生成する。非常に重くすれば、1/2 kTが大きな動きを生まないが、今度は摩擦的に減衰させる必要がある——それもエントロピー生成。

「要するに、シラードの時代から現在まで、シラードのエンジンの分析は、抑制されなければならない揺らぎ現象の全体を単に無視している」。揺らぎを利用しようとするなら、「揺らぎを一貫して扱い、系全体の揺らぎを見る」必要がある。特定の揺らぎだけを選び出せば、「ナンセンスな結果を得る」のは当然だ。

そしてもう一つの誤謬:P log P が現れるたびに、「熱力学的エントロピーに違いない」という反応。「そうではない」。P log Pが熱の形でクラウジウスの意味でのエントロピーと関連するには、Pが「非常に特定の方法」で生じる必要がある。

コインをポケットに入れて、表か裏か分からない。これは「熱力学的エントロピーk log 2をコインと関連付ける正しい方法ではない」。しかし、「この誤謬が何度も何度も犯されている」。

マクスウェルの悪魔が不可能である理由は?ノートンはバスに乗っているとき、5分で気づいた:「リウヴィルの定理(Liouville’s theorem)がそれを禁止する」。古典物理学内で悪魔を実装すると仮定すれば、本質的に計算なしで、リウヴィルの定理が阻止することが分かる。

しかし、これは決定的議論ではない——我々が扱うスケールでは何も実際には古典的ではない。すべて量子力学的だ。そこでノートンは問うた:量子力学にリウヴィルの定理の類似物はあるか。「ある」。同じ議論が走る。論文では2列で対比した——古典分析と量子分析が「完璧に一致」する。

「我々はマクスウェルの悪魔が不可能であることを知っている——リウヴィルの定理が適用される限りにおいて」。これが、ナノスケール物理学でこれほど多くの研究がなされても、誰も悪魔を生み出していない理由を説明する。

アインシュタインが開いた量子の扉

アインシュタインの旧量子論への貢献は、新量子論への批判に霞んで「忘れられている」とノートンは言う。しかし、1905年から1920年代初頭までのアインシュタインの業績は「極めて巨大」だった。

1905年の奇跡の年(annus mirabilis)を見ると、光量子論を「除いて」、すべてが19世紀物理学の完成である。ブラウン運動による原子実在性の議論——マクスウェル=ボルツマンの統計物理学の伝統の完成。特殊相対性理論——ローレンツ電磁気学に暗黙の運動学を「掘り起こした」もの。E=mc²——電磁気学の特殊ケースで既に存在。

これらすべての中で、19世紀の巨大な発見は「光の波動説」だった。マクスウェル=ローレンツ理論による電磁波。そして1905年、アインシュタインは言う:「待て。熱放射は、ある熱力学的意味で、特定の性格を持つ」。

アインシュタインはどう発見したのか。ノートンが長年魅了されてきた問いだ。アインシュタインは他の誰もが持たないものを持っていたわけではない。「ペンと紙と読むべき雑誌」があっただけ。実験はほとんどしなかった——「あまり得意ではなかった」。

鍵は:「経験的結果に、他の人々が見られない重要性を見出す能力」だった。

光量子の場合、これを電磁気理論の修正として理解しようとすれば「理解不能」だ。ヤングの二重スリット、電磁気学の大成功——どうして粒子があり得るのか。しかし、発見を正しい文脈に置けば:「熱力学」。

1905年に至る数年間、アインシュタインは熱力学に取り組んでいた。物質の「分子スケール特性」を理解しようとしていた。彼が認識したのは:分子スケール特性が熱力学特性に「刻印される」。

最も単純な例:系の圧力、温度、体積が理想気体の法則に従うなら、その分子構成は「局在化された物質点が互いに跳ね返るが、それ以外は独立に運動する」ことを意味する。PV=nRTは、熱力学スケールで、この構成の「署名」だ。

これが浸透圧が理想気体の法則に従う理由だ。統計熱力学のクラスで最初に習うとき、「なぜ希薄な塩溶液が理想気体と同じ圧力を示すのか」と疑問に思う。答え:希薄だから、塩イオンが独立な分子のように動き回るからだ。

アインシュタインは何をしたか。熱放射の最新の熱力学的結果を見て、「同じ構成の署名」を認識した。特にプランク分布(1900年のルーメルとプリングスハイムのベルリン実験で経験的に確立)を取り、エントロピーを体積の関数として書くと——彼は今、ヴィーン領域を見ている——高周波熱放射のエントロピーが「体積の対数で変化」することを見出した。

「これは理想気体の法則と同じだ」。そしてアインシュタインは言う:「見よ、ここに分子構成の熱力学的指紋がある」。ボルツマン定数の大きさが分かり、理想気体の法則があれば、分子のサイズを計算できる。同様に、S = k log Wを与えるエネルギー粒子のサイズを計算できる。

結果は:局在化されたエネルギー束のサイズは周波数に依存し、「我々が今プランク定数と呼ぶもの×周波数」である。

これが「大きな議論」だ。アインシュタインはボルツマンの原理——実際には「アインシュタインの原理」だが、彼はこの論文で「ボルツマンの原理」と呼んだ——の非常に単純な導出を与え、それがここで実体化されると言う。条件を加えると、エントロピーは体積の対数で変化する。

ノートンはこれを「最も美しく、最も特異なアインシュタインの貢献の一つ」と呼ぶ。

次に:粒子的性格を確立したのは、黒体スペクトルのヴィーン領域のみを見ることによってだった。全領域——低周波端まで——を見るとどうなるか。熱的性質、特に放射圧とエネルギーの揺らぎを見ると、揺らぎの表現が「二つの項の和」として導かれる。一つは特定の性格を持ち、もう一つは波動的性格を持つ——それらは「算術的に加算」される。

「これが波動粒子二重性の起源だ」。放射がこの二重の波動的・粒子的性格を持つことが最初に現れたのはここだ。

そして続く:1916-17年のA・B係数論文——レーザーの基礎。1920年代初頭のボース=アインシュタイン統計。

光量子の概念は大きく抵抗された。ボーアはそれを全く好まなかった。20年間、それは「異端」と見なされた——コンプトン効果まで。コンプトン効果が最終的に、アインシュタインの光量子が電磁放射の良い記述であることを物理学者たちに納得させた。

帰納推論に普遍法則は存在しない

ノートンは「科学愛好家」だと自認する。科学を愛し、科学史を愛し、「最良の科学が他の試みよりも何らかの形で特権的である」と言えることを望む。その特権は経験的理由による——証拠によく支持されているから。その支持の性格は「帰納的」だ。

しかし、科学哲学文献で帰納的推論の説明を探すと、彼はこの結果を支えられるものを見つけられなかった。代わりに「断片化と多数の説明」があった。特定の例を取り、「なぜこれが証拠の良い使用なのか」と言いたいとき、適合する帰納的推論の説明を探し回る——そして「それを貼り付ける」。これは「医者選び」だ。

我々が必要とするのは「あらゆる場所に適用される単一の説明」だ。多くの探究の後、ノートンが実現したのは:「あらゆる場所に適用される帰納推論の普遍的規則は存在しない」。

代わりに:「局所的に適用される帰納的システムがあり、それらは事実によって特定的に保証される」。

例を挙げよう:マリー・キュリー(Marie Curie)は1903年、世界のどの研究室にも存在しない唯一のサンプル——0.1グラムの塩化ラジウム——を調製した。彼女はその結晶学的性質を調べ、宣言した:「塩化ラジウムはこのような結晶学的性質を持つ」。確か「単斜晶系」——塩化バリウムと同じだと。

他の帰納推論の説明の観点から考えると、これは何か。「列挙的帰納」かもしれない:このAはBである、したがってすべてのAはBである。しかし、これは「悪い形式」だ。なぜなら、「このAはB」であるほとんどすべての場合、すべてのAはBではないからだ。

この塩化ラジウムのサンプルはマリー・キュリーが調製した——すべてがそうではない。このサンプルはパリにある——すべてがパリにあるわけではない。このサンプルは0.1グラム——すべてが0.1グラムではない。

一般規則を見ることで、この推論を認可できるという考えは「機能しない」。では、なぜキュリーは推論に自信を持っていたのか——あまりに自信があったので、注目にさえ値しなかった。

答えは:19th世紀を通じて結晶の性質を事実的に調査した結果だ。どんな形態を結晶は取るか。これは原子論の研究、数学の研究——有限離散群の理論が始まった場所の一つ——だった。結果:格子を構築すると、「6つか7つの族の一つに入る」(数え方による)。

したがって、結晶性物質がそれらの族の一つに入ることを発見すれば、「より多くのサンプルが同じ族に入る」ことを知る。一般化できる。これは帰納的だ——少しリスクがある。なぜなら、いくつかの物質は「二形性」または「多形性」——複数の族に存在する形態を持つ——だから。

炭素の多形性の身近な例は、これに完全にはマッピングされないが:ダイヤモンドまたは黒鉛。しかし他の鉱物の多くのケースがある。

キュリーの推論を正当化していたのは「結晶性物質についての事実——19世紀を通じて苦労して得られた」だった。これらの族を特徴づけるには「途方もない量の仕事」が必要だった——そしてそれは正則化され、「オルスの原理」と呼ばれるようになった(初期の研究者の一人の名前)。

ノートンの物質的帰納理論の議論:「すべてこのようだ」。誰かが帰納的推論をしていて、それが説得力があり、なぜこれが適切な推論なのかと問いたいなら、答えは「事実に戻ってくる」。

これは確率論的推論を帰納的に使う人々にも特定的に適用される。ノートンの議論:不確実性について何かに不確実である場合、「確率でその不確実性を責任を持って表現できるというデフォルトはない」。それはできない。「確率的表現が手元のケースに適切であることを示す積極的義務がある」。

例えば集団遺伝学では:この特定の事例が集団から「ランダムにサンプリングされた」として扱えると言う。DNA型判定をしていて、犯行現場で見つかった血液サンプルに一致する血液サンプルを持つ容疑者がいるとする。その確率に満足しているが、「確率が何らかの事実によって固定されていることが不可欠」だ。

事実は:その容疑者を集団から「ランダムにサンプリングされたかのように扱える」。そうでなければ——容疑者をランダムにサンプリングされたとして扱えなければ——「すべての賭けは無効」だ。何らかの形で仕組まれたかもしれない…さまざまな方法で破綻する可能性がある。

これを真剣に行わないとどうなるか。「機能しない愚かな議論」に陥る。シミュレーション論を見たか——我々がシミュレーションである可能性が非常に高いという議論。

論証の進行:何らかの形で、我々の世界の経験が生じうる多くの可能性があると自らを納得させる。我々がコンピューターシミュレーションであれば、経験が生じうる方法は「膨大に多く」、世界が実際にそう見える通りであれば、相対的に「少ない」。

次のステップは何か。次のステップは、どれが我々のものか「全く分からない」と言うことだ。そしてノートンは言う:「そこで止まるべきだ。どれが我々のものか全く分からない」。

しかし、続ける:「いや、不確実性を確率で表現する」。不確実性を確率で表現すると、確率の大部分が「コンピューターシミュレーションのケースに」行き、ごく少量が「本当の現実」に行く。

誤謬は何か。「その確率の事実的根拠が全くない」。単に「空から降ってきた」だけで、結果は「誤適用された帰納論理の単なる人工物」だ。「これほど甚だしい誤謬だ」——しかし、物質的理論のようなものが必要だと理解するまで、それを認識できない。

代わりに「無差別原則を使うつもりで、確率を使える」と言うなら、「大きな問題に陥る」。なぜなら、無差別原則は「真正で極端な無知のケースでは確率と矛盾する」からだ。そして「これは真正で極端な無知のケースだ」。


ノートンの仕事が示すのは、科学における「自明」とされる概念の多くが、実は「選択的理想化」「権威への服従」「概念の混同」の産物であるということだ。ニュートン力学の決定論、因果性の形而上学的地位、ランダウアー原理、思考実験の特権的認識論——これらはすべて、批判的検討の下では崩壊するか、大幅な修正を要求する。

彼が提供するのは破壊だけではない。物質的帰納理論は、科学的推論をより誠実に理解する道を開く。帰納は「普遍法則」ではなく、「局所的で事実依存的なシステム」である。これは科学の特権を否定しない——むしろ、その特権を「より正直な基盤」の上に置く。

最も重要なのは、ノートンのメタ認識論的姿勢だ:「世界がどうあらねばならないかを、経験に先立って決定しようとするな」。世界は我々の想像より創造的だ。謙虚さと、証拠への注意深い傾聴が、ア・プリオリな体系構築に勝る。

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