
英語タイトル:『Small is Beautiful:Economics as if People Mattered』E. F. Schumacher 1973
日本語タイトル:『スモール イズ ビューティフル:人間中心の経済学』E. F. シューマッハー 1973
目次
- 第一部 現代世界 / The Modern World
- 第1章 生産の問題 / The Problem of Production
- 第2章 平和と永続性 / Peace and Permanence
- 第3章 経済学の役割 / The Role of Economics
- 第4章 仏教経済学 / Buddhist Economics
- 第5章 規模の問題 / A Question of Size
- 第二部 資源 / Resources
- 第6章 最大の資源――教育 / The Greatest Resource — Education
- 第7章 土地の適切な利用 / The Proper Use of Land
- 第8章 産業のための資源 / Resources for Industry
- 第9章 原子力エネルギー――救済か破滅か? / Nuclear Energy — Salvation or Damnation?
- 第10章 人間の顔をした技術 / Technology with a Human Face
- 第三部 第三世界 / The Third World
- 第11章 開発 / Development
- 第12章 中間技術の開発を求める社会経済的問題 / Social and Economic Problems Calling for the Development of Intermediate Technology
- 第13章 二百万の村 / Two Million Villages
- 第14章 インドの失業問題 / The Problem of Unemployment in India
- 第四部 組織と所有 / Organisation and Ownership
- 第15章 未来を予測する機械? / A Machine to Foretell the Future?
- 第16章 大規模組織の理論に向けて / Towards a Theory of Large-Scale Organisation
- 第17章 社会主義 / Socialism
- 第18章 所有 / Ownership
- 第19章 新しい所有形態 / New Patterns of Ownership
- エピローグ / Epilogue
本書の概要
短い解説
本書は、無限の経済成長を追求する現代文明の根本的誤謬を批判し、人間の尊厳と環境の持続可能性を中心に据えた新しい経済思想を提示することを目的としている。技術者・経済学者として豊富な実務経験を持つ著者が、西洋物質主義の限界と、人間中心の経済システムへの転換の必要性を説く。
著者について
著者E・F・シューマッハーは、ドイツ生まれの経済学者で、英国石炭庁のチーフエコノミストとして20年間勤務した実務家でもある。ローズ奨学生としてオックスフォードで経済学を学び、戦後ドイツの英国管理委員会の経済顧問も務めた。同時に土壌協会会長、中間技術開発グループ創設者として、有機農業や適正技術の推進に尽力し、理論と実践の両面から現代経済システムの変革を追求した思想家である。
テーマ解説
- 主要テーマ:物質主義経済の限界 無限の経済成長を前提とする現代経済学は、有限な地球環境と両立せず、人間の尊厳を破壊する。真の豊かさは量的拡大ではなく質的充実にある。
- 新規性:中間技術(適正技術)の概念 先進国の高度技術でも途上国の原始技術でもない「中間技術」こそが、大量失業と環境破壊を回避しながら真の発展を可能にする。技術選択は経済発展の最重要課題である。
- 興味深い知見:仏教経済学 西洋経済学が労働を必要悪とみなすのに対し、仏教経済学は労働を人間の能力開発・自己超越・共同作業の機会と捉える。最小の消費で最大の幸福を得ることこそ合理的である。
キーワード解説
- メタ経済学:経済学の前提となる形而上学的価値観。経済理論は人間観と自然観という「メタ経済的」基盤から派生するものであり、その基盤が誤っていれば政策も誤る。
- 補完性原理:下位組織ができることを上位組織が奪ってはならないという組織原理。大規模組織における自由と秩序の両立には、小規模単位の自律性を最大限尊重する必要がある。
- 永続性の経済学:無限成長ではなく永続可能性を目指す経済思想。健康・美・永続性という三位一体を追求し、量的拡大ではなく質的向上を重視する。
- 中間技術:途上国や地域社会に適した、小規模で安価、非暴力的で人間の創造性を生かす技術
- 自然資本:化石燃料、環境の許容力、人間性といった、経済活動の基盤でありながら収入とみなされて浪費される有限の資源
- 十分の哲学:欲望の拡大ではなく、充足を知ることで真の豊かさと自由を達成する考え方
3分要約
現代文明は「生産の問題は解決された」という致命的な誤りに基づいている。実際には、化石燃料という不可逆的資本を収入のように消費し、自然の寛容限界を破壊し、人間の本質的価値を食い潰している。この三重の危機は、経済学が形而上学的基盤を失い、純粋に量的指標のみを追求してきた結果である。
経済学は本来、人間と環境についての深い理解から派生すべき知恵の一分野である。しかし現代経済学は、物理学を模倣して科学たろうとし、測定可能なものだけを現実とみなす。市場は個人主義と無責任の制度化であり、そこでは質的差異が抑圧され、すべてが価格という単一尺度に還元される。費用便益分析は、測定不可能なものに恣意的な価格をつけることで、高次の価値を低次の価値に従属させる手法にすぎない。
仏教経済学は、この西洋物質主義への対抗思想を示す。労働は必要悪ではなく、人間の能力を発揮し、自己中心性を克服し、必要な財を生産する三重の機会である。目的は最大の消費ではなく、最小の消費による最大の幸福である。地域資源による地域需要の充足こそ最も合理的であり、遠隔地との貿易依存は失敗の兆候である。
規模の問題は決定的に重要である。人間は小さく、したがって「小さいことは美しい」。巨大主義は自己破壊への道である。現代技術の発展は、複雑性・資本集約性・長期計画性の増大をもたらし、貧困社会には適用不可能である。途上国に必要なのは、1ポンド技術でも1000ポンド技術でもなく、100ポンド程度の中間技術である。これは技術的に劣るのではなく、労働力豊富な社会の文脈に適合した技術である。
教育は最大の資源であるが、現代教育は特権への通行証となり、教育を受けた者を民衆から引き離している。真の教育は、メタ経済的価値――健康・美・永続性――を理解させ、形而上学的混乱を克服させるものでなければならない。19世紀的観念――進化論的決定論、適者生存、経済還元主義、相対主義、実証主義――は、高次のものを低次のものに還元し、人間を絶望に追い込む。
土地と動物は単なる生産要素ではなく、それ自体が目的である。これはメタ経済的真理であり、聖なるものである。人間は自ら作らなかったものを、自ら作ったものと同様に扱う権利はない。現代農業の工業化は、土壌・生態系・農村文化の破壊をもたらし、大量失業と都市への人口流入を引き起こす。
エネルギー資源の問題は他のすべての問題の前提条件である。エネルギーがなければ何も機能しない。化石燃料は急速に枯渇しつつあり、1980年代には石油成長の終焉が予測される。原子力は解決策ではなく、放射性廃棄物という人類史上最大の危険を創出する。使用済み原子炉は数世紀にわたり放射能を漏出し続ける「悪魔の記念碑」となる。
技術選択が最重要課題である。現代技術は自然の自己調整システムとは異なり、自己制限原理を持たない。人間の顔をした技術とは、安価で小規模で創造的な技術である。大量生産ではなく大衆による生産が必要である。先進国も途上国も、人間の尺度に適合した技術への転換が求められている。
第三世界の開発は、資金援助ではなく知識援助を中心とすべきである。二百万の村に暮らす二十億人の問題は、大都市での近代産業では解決できない。必要なのは、地域に根ざした雇用創出であり、そのための適正技術の体系的開発である。インドで五千万の雇用を創出するには、一職場あたり150ポンド程度の資本投資が限界であり、これは中間技術によってのみ可能である。
大規模組織は、小規模単位の連合として構成されるべきである。補完性原理は、下位組織ができることを上位が奪ってはならないと教える。正当化原理は、明確な基準による例外的介入のみを許す。識別原理は、各単位が独自の損益計算書と貸借対照表を持つことを要求する。動機づけ原理は、貨幣以上のものを提供する必要性を示す。中間公理は、命令でも勧告でもない中間的指針の重要性を説く。
私的所有と公的所有の二分法は誤りである。小規模企業では私的所有は自然であるが、大規模企業では機能的に不要である。スコット・ベイダー社の事例は、集団所有・利益の社会還元・規模制限・報酬格差制限・雇用保障という原理が、商業的成功と両立可能であることを示している。新しい社会化の方法として、大企業株式の50%を地域社会評議会が保有する方式が提案される。
真理への奉仕においてのみ完全な自由がある。四枢要徳――賢慮・正義・剛毅・節制――の復権が必要である。賢慮とは現実の明晰な認識であり、利己的関心を静めた観照を要求する。我々はそれぞれ、自らの内なる家を整えることから始めなければならない。その指針は科学技術ではなく、人類の伝統的知恵のうちに見出される。
各章の要約
第一部 現代世界
第1章 生産の問題
現代の致命的誤謬は「生産の問題は解決された」という信念である。この誤りは三つの資本の浪費に現れる。第一に化石燃料という不可逆的資本を収入のように消費している。第二に自然の寛容限界を破壊し、汚染を激化させている。第三に人間の本質を食い潰し、労働を苦役に変えている。これらは収入と資本の区別を怠った結果である。真の課題は、健康・美・永続性を追求する新しい生活様式の確立であり、量的成長の追求ではない。
第2章 平和と永続性
普遍的繁栄が平和の基礎になるという支配的信念は誤りである。第一に、世界の資源は現在の消費パターンの継続的成長を支えられない。第二に、貪欲と嫉妬の組織的培養は知性の崩壊をもたらす。第三に、物質的繁栄の追求は必然的に資源をめぐる衝突を生む。永続性の経済学が必要である。地球は人間の必要を満たすに足るが、欲望は満たせない。成長には質的規定が不可欠であり、大きさ・速度・暴力の限りない増大は自然法則への違反である。
第3章 経済学の役割
経済学は断片的判断しか提供しない。ある活動が経済的か否かは、それが金銭的利益をもたらすかどうかのみで判断される。この方法論は人間を神の似姿として造られた存在ではなく、原子の偶然的集積とみなす形而上学に基づく。市場は個人主義と無責任の制度化であり、質的差異を抑圧する。費用便益分析は測定不可能なものに恣意的価格をつけることで、高次の価値を低次に従属させる。経済学はメタ経済学――人間と自然についての研究――から目的と方法論の大部分を引き出すべきである。
第4章 仏教経済学
仏教経済学は西洋経済学とは根本的に異なる人間観に立つ。労働の機能は三重である――人間の能力を発揮する機会、自己中心性を克服して他者と協働する機会、そして必要な財を生産する機会である。したがって労働を無意味で退屈なものにすることは犯罪的である。文明の本質は欲望の増殖ではなく人間性格の浄化にある。仏教経済学の目標は最大の消費ではなく、最小の消費による最大の幸福である。地域資源による地域需要の充足が最も合理的であり、遠隔地との貿易依存は失敗の兆候である。
第5章 規模の問題
国際連合は60加盟国から120以上へと倍増した。大きな単位は小さな単位に分裂する傾向がある。最も繁栄している国々の多くは非常に小さく、最大の国々の多くは非常に貧しい。現代技術の巨大化傾向は、長期計画・巨額資本・組織の�硬直性・専門化を必然化する。1903年のフォード社は資本3万ドルで4ヶ月後に生産を開始したが、1963年のマスタング開発には3年半と5900万ドルを要した。人間は小さく、したがって小さいことは美しい。巨大主義は自己破壊である。
第二部 資源
第6章 最大の資源――教育
あらゆる文明は教育を通じて知識を伝達することで維持される。現代の危機は教育内容の誤りに起因する。19世紀の六つの大観念――進化、競争と自然淘汰、マルクス主義的経済還元論、フロイト的無意識理論、相対主義、実証主義――は、高次のものを低次のものに還元し、人間を絶望に追い込む。これらの観念は三代目四代目には思考の道具そのものとなり、疑われることがない。真の教育はメタ経済的価値を明確化し、形而上学的混乱から人々を解放する。教育の本質は「エデンの園を耕し守る」人間の使命を理解させることである。
第7章 土地の適切な利用
歴史上、文明は土壌の濫用によって衰退してきた。現代の危険は都市人の計画による農業工業化である。土地と動物は単なる生産要素ではなく、それ自体が目的でありメタ経済的に神聖である。人間は自ら作らなかったものを自ら作ったものと同様に扱う権利はない。マンスホルト計画のような農業の工業化政策は、大量失業と都市への人口流入を引き起こす。「経済的に行動する以外の贅沢は誰も許されない」という主張の結果、生活はごく裕福な者以外には耐えがたいものとなる。
第8章 産業のための資源
工業化された社会は莫大な資源を消費しながら達成するものは僅かである。アメリカは世界人口の5.6%で世界資源の40%を消費する。エネルギーは機械世界における意識のようなものであり、エネルギーが失われればすべてが失われる。石油消費が年率7%で成長すれば、1980年には年間40億トンに達し、既知埋蔵量では需要を満たせない。石油成長の終焉は1980年代に訪れる。原子力は解決策ではなく、放射性廃棄物という人類史上最大の危険を創出する。炭素14の半減期は5900年であり、ストロンチウム90は28年である。
第9章 原子力エネルギー――救済か破滅か?
原子力の平和利用は軍事利用以上に人類を脅かす可能性がある。放射性物質は一度創出されれば人間には減衰を早める手段がない。高レベル廃棄物は数千年間危険であり続ける。使用済み原子炉は解体も移動もできず、数世紀にわたり「悪魔の記念碑」として放射能を漏出し続ける。許容濃度基準は科学的発見ではなく行政的決定にすぎない。放射能汚染は従来の大気水質汚染とは次元の異なる悪である。「科学は中立」という主張は欺瞞であり、原子力科学者自身が罪悪感から楽観論を説いている。
第10章 人間の顔をした技術
現代世界は三重の危機――人間性の反乱、環境の悲鳴、資源枯渇――に直面している。先進国の実質生産時間は全社会時間の3.3%にすぎないが、この僅かな時間が残り96.7%を支配する。現代技術は創造的労働を破壊し、人間を機械の従者に変える。必要なのは中間技術である――誰もが利用できるほど安価で、小規模で適用可能で、人間の創造性に余地を残す技術。大量生産ではなく大衆による生産が求められる。土壌協会や中間技術開発グループの活動が示すように、オルタナティブは存在する。
第三部 第三世界
第11章 開発
開発援助の失敗は形而上学的誤謬に起因する。援助提供者は都市に住む富裕な教育を受けた者であり、受益者は農村に住む貧困な教育を受けていない者である。三つの深淵――富と貧困、教育と無教育、都市と農村――が彼らを隔てている。開発の第一次的原因は非物質的である――教育・組織・規律の欠如が貧困を生む。開発は創造行為ではなく進化過程である。適切な教育なしには何も始まらない。教育は特権への通行証ではなく、民衆への奉仕の誓約でなければならない。
第12章 中間技術の開発を求める社会経済的問題
途上国の根本問題は二元経済――近代部門と非近代部門の併存――である。近代部門の成長は非近代部門を破壊し、大量失業と都市への人口流入を引き起こす相互毒殺過程を生む。必要なのは数百万の雇用創出である。インドで五千万の雇用を十年間で創出するには、一職場あたり150ポンドの資本投資が限界である。現代技術では一職場に数千ポンドを要し、実現不可能である。中間技術――1ポンド技術と1000ポンド技術の中間にある100ポンド技術――こそが解決策である。
第13章 二百万の村
世界貧困は二百万の村、二十億の村人の問題である。援助の中心は資金ではなく知識でなければならない。知識の贈与は永続的であり、受領者を自立させる。必要なのは適正技術に関する体系的知識の組織化である。建築、水、エネルギー、食糧保存、小規模製造など、貧者の基本的ニーズに関する技術情報の収集・普及が急務である。ABC結合――行政官・実業家・知識人の協働――が不可欠である。中間技術開発グループはこの課題に取り組んでいるが、一組織では不十分である。
第14章 インドの失業問題
インドでは年間五百万の新規雇用創出が必要である。一職場150ポンドなら可能だが、1500ポンドなら年間50万、5000ポンドなら17万しか創出できない。技術選択が最重要である。教育を受けた者が民衆への奉仕ではなく特権の享受を求めるなら、解決は不可能である。一人の大学生を五年間学ばせるには150農民労働年を要する。教育は債務であり特権ではない。植林は最も単純で効果的な開発である。全国民が年に一本ずつ五年間植樹すれば、二十億本の樹木が確立され、あらゆる五カ年計画を上回る経済的価値を生む。
第四部 組織と所有
第15章 未来を予測する機械?
未来予測と実行可能性研究は本質的に異なる。前者は不確実な予測であり、後者は条件付き確実性を持つ探索的計算である。人間の自由が介入する領域では予測は原理的に不可能である。大規模な定型的行動のみが相対的予測可能性を持つ。長期予測は傲慢であるが、長期実行可能性研究は必要である。電子計算機は物質的・非人間的主題には有用だが、人間の自由が関わる領域では危険である。最良の決定は状況を冷静に全体として見た成熟した人間の判断に基づく。「止まれ、見よ、聞け」は「予測を調べよ」より優れた標語である。
第16章 大規模組織の理論に向けて
大規模組織の根本課題は、巨大さの中に小ささを実現することである。五つの原理が重要である。第一に補完性原理――下位組織ができることを上位が奪ってはならない。第二に正当化原理――中心は明確な基準により例外的にのみ介入する。第三に識別原理――各準企業は独自の損益計算書と貸借対照表を持つ。第四に動機づけ原理――人々は金銭以上のものを求める。第五に中間公理――命令でも勧告でもない中間的指針が変革を可能にする。これらの原理により、自由と秩序の両立が可能となる。
第17章 社会主義
社会主義の意義は非経済的価値と経済学宗教の克服にある。私企業の強みは恐るべき単純性――利益のみを追求すればよい――にあるが、これは人間の尊厳を破壊する。「我々は皆社会主義者だ」と主張する現代資本家は、利益以外の目標も追求すると言いながら、社会主義は非効率だと主張する矛盾に陥る。国有化は所有権の束を再配分する機会である。国有企業は利益を追求すべきだが、同時に「あらゆる点で公共利益に奉仕する」法的義務を負うべきである。この二重の要求こそが国有企業経営者への高次の要求である。
第18章 所有
所有には二つの根本的に異なる形態がある――創造的労働を助ける所有と、それに代替する所有である。前者は健全であり、後者は寄生的である。小規模企業では私的所有は自然であるが、中規模になると機能的に不要となる。大規模企業では私的所有は擬制であり、機能なき所有者が労働者に寄生する手段である。タウニーが述べたように「何も投入しない者が何かを取り出すことを要求する」構造は不正である。スコット・ベイダー社は、集団所有・350人の規模制限・1対7の報酬格差制限・利益の社会還元という原理で成功を収めている。
第19章 新しい所有形態
私企業は社会資本から莫大な利益を得ているが、その見返りを利潤税という事後的手段でしか返還しない。提案は、一定規模以上の企業の株式50%を公的に保有させることである。新株は地域社会評議会が保有し、配当を受け取るが、通常は経営権を行使しない。経営権は重大な公益侵害の場合のみ裁判所の決定により活性化される。地域社会評議会は労働組合・専門家協会・住民から構成され、配当収入を地域の社会的ニーズに充当する。これは利潤税廃止と引き換えの措置であり、収用ではない。
エピローグ
物質主義哲学は現在、事象そのものによって挑戦を受けている。テロリズム・ジェノサイド・崩壊・汚染・資源枯渇が、「神の国をまず求めよ、さらばこれらのものも加えられん」という警告を物理的言語で語っている。真理は人間に迫りつつある。破壊的力を制御するには、生産の論理そのものを制御しなければならない。無限成長は有限環境に適合しない。必要なのは四枢要徳――賢慮・正義・剛毅・節制――の復権である。賢慮は現実の明晰な認識を意味し、利己的関心を静めた観照を要求する。「我々は各自、自らの内なる家を整えることができる」――その指針は伝統的知恵のうちに見出される。
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