
『悪魔から人間へ、人間から悪魔へ:日本の戦争犯罪と中国の正義』バラク・クシュナー 2015年
Men to Devils, Devils to Men: Japanese War Crimes and Chinese Justice Barak Kushner 2015
目次
- 序論 第1章 否認の中の敗北:日本の降伏の地域的影響 / Defeat in Denial: The Regional Impact of Japan’s Surrender
- 第2章 詳細の中の悪魔:日本の戦争犯罪に対する中国の政策 / Devil in the Details: Chinese Policies on Japan’s War Crimes
- 第3章 柔軟な帝国アイデンティティ:戦後法的罪責の管理 / Flexible Imperial Identity: Administering Postwar Legal Guilt
- 第4章 中国国民党の正義:国民党裁判 / Chinese Nationalist Justice: The KMT Trials
- 第5章 台湾:政治的便宜と日本帝国の援助 / Taiwan: Political Expediency and Japanese Imperial Assistance
- 第6章 不満足な平和:戦争犯罪に対する態度の変化 / An Unsatisfying Peace: Shifting Attitudes on War Crimes
- 第7章 社会主義的寛大さ:中国共産党裁判 / Socialist Magnanimity: The CCP Trials Conclusion 結論
各章の要約
第1章 否認の中の敗北:日本の降伏の地域的影響 / Defeat in Denial: The Regional Impact of Japan’s Surrender
1945年8月15日の日本の降伏は、東アジア全域で同時に実現したわけではなかった。中国大陸では9月9日まで権力移譲が行われず、台湾では10月25日まで延期された。中国には100万人以上の日本軍が残存し、多くの日本人は実際に敗北したとは感じていなかった。岡村寧次大将のような指導者は、中国での勝利を維持していると考え、降伏後も国民党軍との協力関係を築いた。日本政府は戦争犯罪裁判への対応策を急遽策定し、特に海軍は組織的に戦犯起訴を回避する工作を行った。日本の帝国解体は段階的かつ不均等に進行し、各地域で異なる政治的力学が作用した。
第2章 詳細の中の悪魔:日本の戦争犯罪に対する中国の政策 / Devil in the Details: Chinese Policies on Japan’s War Crimes
中国の現代的法制度は19世紀以来の西洋列強による不平等条約の遺産と闘ってきた。1943年の治外法権撤廃後、中国は初めて自国領土内で完全な法的主権を獲得した。東京戦犯法廷での中国代表団の経験は、国際法廷における準備不足を露呈した。中国の戦犯政策は国民党と共産党の競争によって複雑化され、両党とも日本に対する寛大さと正義の追求のバランスを取る必要があった。国民党は蒋介石の「徳をもって怨みに報いる」政策の下、日本軍との協力関係を維持しつつ、国際的な正当性を示すために戦犯裁判を実施した。この過程で中国は国際法の新たな適用者としての地位を確立しようとした。
第3章 柔軟な帝国アイデンティティ:戦後法的罪責の管理 / Flexible Imperial Identity: Administering Postwar Legal Guilt
台湾人のアイデンティティ問題は戦犯裁判において中心的な課題となった。1895年から1945年まで日本統治下にあった台湾住民は、法的には日本国民であったが民族的には漢民族だった。戦後、彼らは戦犯として起訴されるか、中国人として漢奸(売国奴)と見なされるかの選択を迫られた。国民党は台湾の「中国化」政策を推進し、日本文化の影響を排除しようとした。しかし多くの台湾人は日本語教育を受けており、中国語を話せなかった。1946年の渋谷事件のような在日台湾人と日本人の衝突は、帝国解体の複雑さを象徴している。BC級戦犯裁判では台湾人や朝鮮人が日本軍の一員として起訴され、植民地住民の複雑な立場が浮き彫りになった。
第4章 中国国民党の正義:国民党裁判 / Chinese Nationalist Justice: The KMT Trials
国民党は1946年から1949年にかけて10都市で日本戦犯軍事法廷を開廷し、883人の日本人を起訴した。代表的な事件として酒井隆中将、谷寿夫中将、向井敏明・野田毅少尉の「百人斬り競争」事件、岡村寧次大将の裁判がある。酒井裁判は中国初の大規模戦犯裁判として国際的注目を集めた。南京事件の責任者として起訴された谷寿夫は死刑となったが、「百人斬り競争」の真偽については歴史家の間で議論が続いている。最も注目すべきは岡村寧次の無罪判決で、これは国民党が共産党との内戦で日本軍の協力を必要としたためとされる。国民党の戦犯政策は法的正義と政治的実用主義の間で揺れ動き、最終的には反共という共通目標が優先された。
第5章 台湾:政治的便宜と日本帝国の援助 / Taiwan: Political Expediency and Japanese Imperial Assistance
1949年の国共内戦敗北後、国民党は秘密裏に元日本軍将校を軍事顧問として招聘した。岡村寧次を中心とする「白団」は約80名の元日本軍将校で構成され、1949年から1969年まで台湾で国民党軍の訓練に従事した。根本博中将の台湾渡航や金門島防衛への関与も、元敵国の軍事専門知識を活用する国民党の実用主義を示している。蒋介石は日本の軍事教育が貧しい国の戦術に適していると考え、豊富な物資を前提とするアメリカ式よりも効果的だと判断した。この日台軍事協力は、表面的な「徳報怨」政策の裏に隠された戦略的計算を反映している。占領軍当局は白団の活動を知りながら黙認し、冷戦構造の中で反共という共通利益が優先された。
第6章 不満足な平和:戦争犯罪に対する態度の変化 / An Unsatisfying Peace: Shifting Attitudes on War Crimes
1952年のサンフランシスコ講和条約第11条は、日本に戦犯裁判の判決受諾を義務付けたが、日本国内では戦犯釈放運動が高まった。朝鮮戦争の勃発により冷戦構造が固定化すると、戦犯問題は政治的道具と化した。『私は貝になりたい』などの作品は、戦犯を戦争の犠牲者として描き、日本の被害者意識を助長した。田島隆純による「愛の像」建立や戦犯遺書集の出版は、戦犯の顕彰運動の一環だった。1959年から1966年にかけて靖国神社はBC級戦犯を合祀し、彼らを「英霊」として祀った。日本政府は各国に戦犯釈放を働きかけ、1950年代半ばまでに多くの戦犯が釈放された。この過程で日本は戦争責任の議論から被害者論へと論点をすり替え、帝国主義的過去との真摯な向き合いを避けた。
第7章 社会主義的寛大さ / Socialist Magnanimity
中国共産党は1956年に日本の戦争犯罪者に対して独特な裁判を実施した。国民党や他の連合国の裁判とは異なり、共産党の目標は戦犯を「悪魔から人間に戻す」ことであった。驚くべきことに、全ての日本人囚人が罪を認めた。共産党は約1000人の日本兵を収容し、その多くは国民党軍と共に共産党と戦った者たちであった。新中国はわずか11カ国の承認しか得ておらず、国際的認知と自らの正義制度が国民党の腐敗とは異なることを証明する必要があった。ソ連から引き渡された969人の日本戦犯は撫順監獄で「再教育」を受けた。中国は日本との貿易関係改善と国際的威信向上を目指し、寛大な政策を採用した。最終的に45人のみが裁判にかけられ、死刑は一人も執行されなかった。この政策は戦後の中日関係改善と中国の国際的地位向上を狙った戦略的判断であった。
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