
『The Samson Option:Israel’s Nuclear Arsenal and American Foreign Policy』Seymour M. Hersh 1991
『サムソンオプション:イスラエルの核兵器とアメリカ外交』シーモア・M・ハーシュ 1991
目次
- 著者ノート:/ Author’s Note
- 第1章 秘密の合意 / A Secret Agreement
- 第2章 科学者 / The Scientist
- 第3章 フランスの繋がり / The French Connection
- 第4章 最初の認識 / First Knowledge
- 第5章 内部抗争 / Internal Wars
- 第6章 表面化 / Going Public
- 第7章 二重忠誠 / Dual Loyalty
- 第8章 大統領の苦闘 / A Presidential Struggle
- 第9章 圧力の年月 / Years of Pressure
- 第10章 サムソンオプション / The Samson Option
- 第11章 ゲームを演じる / Playing the Game
- 第12章 大使 / The Ambassador
- 第13章 イスラエルの決断 / An Israeli Decision
- 第14章 大統領の贈り物 / A Presidential Gift
- 第15章 トンネル / The Tunnel
- 第16章 戦争への序章 / Prelude to War
- 第17章 核による恫喝 / Nuclear Blackmail
- 第18章 不公正 / Injustice
- 第19章 カーターの不安 / The Carter Malaise
- 第20章 イスラエルの実験 / An Israeli Test
- 第21章 イスラエルの核スパイ / Israel’s Nuclear Spy
- 第22章 イスラエルの諜報資産 / An Israeli Asset
- エピローグ:/ Epilogue
本書の概要
短い解説:
本書は、イスラエルがどのようにして秘密裏に核武装を果たしたのか、そしてアイゼンハワー政権以来のアメリカ政府高官たちがその秘密をいかに共有し、承認し、時には意図的に無視してきたのかを暴くことを目的としている。
著者について:
著者シーモア・M・ハーシュは、ピューリッツァー賞を受賞した調査ジャーナリストである。マイライ虐殺のスクープで知られ、ベトナム戦争からキッシンジャー外交まで、アメリカの権力と秘密を長年にわたり追及してきた。本書では、その経験を活かし、機密性の高いイスラエルの核開発とアメリカの対応に迫る。
テーマ解説
本書は、国家の生存を賭したイスラエルの核開発の決断と、それを目の当たりにしながらも、政治的・戦略的理由から事実を公に認めず黙認し続けたアメリカの外交姿勢を描く。
キーワード解説
- ディモナ:イスラエルのネゲヴ砂漠にある核施設。フランスの協力で建設され、プルトニウム生産の中心となった。
- サムソンオプション:イスラエルが最後の手段として、自国が滅びる際に敵も道連れにするという核抑止戦略。聖書の英雄サムソンに由来する。
- 非核拡散条約(NPT):核兵器の拡散を防ぐための国際条約。イスラエルはこの条約に加盟しておらず、核兵器を公式には認めていない。
- ラカム(LAKAM):イスラエル国防省の科学技術情報局。機密情報の収集を担当し、後にジョナサン・ポラード事件に関与した。
- ヴェラ衛星:アメリカの核爆発探知衛星。1979年に南インド洋でイスラエルと南アフリカによるものとされる核実験を探知した。
3分要約
本書は、アメリカのジャーナリスト、シーモア・ハーシュが、イスラエルがいかにして秘密の核武装国となり、アメリカ政府がその事実を知りながらも、どのように関与し、時に黙認し、また隠蔽してきたのかを、膨大な関係者へのインタビューと機密文書に基づいて描き出す衝撃のノンフィクションである。
物語は、1979年にアメリカがイスラエルに偵察衛星KH-11の画像を提供した極秘合意から始まる。これは、イスラエルを中東における重要な戦略的資産と見なす冷戦下のアメリカの判断であった。しかし、イスラエルはこの技術を利用して、1981年にイラクのオシラク原子炉を爆撃する。この作戦成功の陰で、イスラエルがアメリカの衛星画像を違反して利用していたことが判明するが、レーガン政権はこれを重大視せず、むしろイスラエルの行動を好意的に受け止めた。
本書は、イスラエル核開発の父とも言える科学者エルンスト・ダヴィッド・ベルグマンと、建国の父ダヴィド・ベン=グリオン、そして若きシモン・ペレスの構想から説き起こす。彼らは、ホロコーストの記憶と、周囲を敵対するアラブ諸国に囲まれた生存への切実な願いから、国家存亡の切り札として核兵器の取得を決意する。資金は海外のユダヤ人から秘密裏に集められ、技術はフランスから提供された。1950年代後半、フランスはスエズ危機での裏切りへの償いもあり、ネゲヴ砂漠のディモナに核 reactor と地下の再処理工場を建設する。このフランスの協力は、シャルル・ド・ゴール大統領の知らないところで進められた。
アメリカ政府は、U-2偵察機による写真分析でディモナの建設を早くから察知していたが、アイゼンハワー政権はあえて追求しなかった。ケネディ政権は非核拡散に強い信念を持ち、イスラエルへのディモナ査察を強く求めたが、政治的压力やイスラエルの巧妙な欺瞞(偽の制御室や限定的な査察)に阻まれる。結局、アメリカの査察は実質的な意味を持たず、イスラエルは開発を着々と進めた。ケネディの死後、リンドン・ジョンソン大統領はイスラエルへの情誼から、核疑惑がありながらも非核拡散条約(NPT)への調印を条件とせずに最新鋭の戦闘機F-4を供与する決断を下す。
1967年の第三次中東戦争(六日戦争)での圧倒的勝利の後、イスラエルはフランスとの関係が断絶する一方、アメリカとの関係はさらに緊密化する。ウォルワース・バーボウ米大使はイスラエルびいきで、戦後、ディモナに関する報告を差し控えるよう指示した。一方、イスラエル国内では、モーシェ・ダヤン国防相が主導し、経済的懸念を抱くピンハス・サピルらを説得して、1968年までにディモナでの本格的な核兵器生産が開始される。目標はソ連であり、イスラエルは独自の核抑止力、すなわち「サムソンオプション」を手に入れようとしていた。
CIAは1968年、エドワード・テラーの指摘や、ザルマン・シャピロのNUMEC社からイスラエルへの核物質流出の疑いなどから、イスラエルが核兵器を保有したとの推定を行った。しかし、ジョンソン大統領はこの報告書を「埋葬」するよう命じ、その後の歴代政権も同様の対応を取る。ニクソン政権下では、ヘンリー・キッシンジャーがイスラエルの核保有に理解を示し、ディモナへのアメリカの査察も終了する。アメリカ政府内では、イスラエルの核問題はタブーとなり、知りながら知らないふりをする「見ざる、聞かざる、言わざる」の姿勢が官僚組織に浸透していった。
1973年の第四次中東戦争(ヨム・キプール戦争)では、イスラエルが緒戦で大敗する危機に陥り、ついに核兵器を実際に準備する。ダヤンは「第三神殿の終わり」を宣言し、ゴルダ・メイア率いる戦時内閣は核弾頭の装填を決定する。この情報はソ連を通じてアメリカに伝わり、核戦争の危機を恐れたニクソン政権は、それまで遅延していた対イスラエル大規模空輸を即座に決断する。イスラエルは核オプションを外交圧力の切り札として利用したのである。
カーター政権下では、1977年に南アフリカのカラハリ砂漠での核実験準備が発覚するが、イスラエル人の関与が報じられることはなかった。1979年、アメリカのヴェラ衛星が南インド洋で正体不明の核爆発の閃光を探知する。ホワイトハウスは、これがイスラエルと南アフリカの合同核実験である可能性が高いと認識しながらも、政治的混乱を避けるため、外部の科学者パネルに「偽信号」の可能性を検討させ、事実を曖昧にする工作を行う。
レーガン政権初期、イスラエルの国防相アリエル・シャロンはアメリカとの戦略的協力を求めるが、思うような結果を得られず、独自にアメリカの機密情報を収集する道を選ぶ。それが、ユダヤ系アメリカ人の海軍情報分析官ジョナサン・ポラードのリクルートであった。ポラードは1981年からイスラエルのために活動し、KH-11衛星画像を含む膨大な機密文書を提供する。その中には、ソ連を標的とするイスラエルの核戦略に不可欠な情報が含まれており、さらにはイツハク・シャミル首相の指示で、一部はソ連にまで転送された疑いが持たれている。
1986年、ディモナで働いていたモルデハイ・ヴァヌヌが内部写真と共にイスラエルの核兵器製造の実態を暴露する。しかし、このセンセーショナルなスクープは、メディアの多くにほとんど無視された。ハーシュは、イギリスのタブロイド紙とロバート・マクスウェルなどメディア界の大物がイスラエルの情報操作に加担した構図を描き出す。
本書は、湾岸戦争でイラクのスカッド・ミサイル攻撃を受けたイスラエルが、再び核兵器を発射準備状態に置いたエピソードで締めくくられる。アメリカは再びイスラエルの行動を制御できなかった。ハーシュは、アメリカ政府が長年にわたり現実を直視せず、「サムソンオプション」がもはや唯一の選択肢ではなくなっている現実を、我々は直視すべきだと警鐘を鳴らす。
各章の要約
第1章 秘密の合意
1979年、カーター大統領はイスラエルに偵察衛星KH-11の画像を提供する極秘合意を行った。これは冷戦下でイスラエルを重要な戦略的資産と見なしたためだが、イスラエルはこの情報を利用して1981年にイラクのオシラク原子炉を爆撃する。この攻撃はアメリカの意図せぬ黙認の結果であり、後にイスラエルが合意を逸脱してKH-11を運用していたことが発覚するも、レーガン政権は重大な制裁を科さなかった。イスラエルの真の目的は、ソ連を標的とする自国の核戦略のための情報収集にあった。
第2章 科学者
イスラエルの核開発の父は、ドイツ出身のユダヤ人科学者エルンスト・ダヴィッド・ベルグマンである。彼はワイツマン研究所の化学者でありながら、国防省の科学顧問として、ベン=グリオンやペレスと共に核兵器開発を主導した。表向きは原子力平和利用を掲げ、資金は海外のユダヤ人から秘密裏に集められた。ベルグマンは、ホロコーストの惨劇を繰り返さないという「選択の余地なし(エイン・ブレラ)」の思想と、イスラエル独自の核抑止力の必要性を確信していた。
第3章 フランスの繋がり
1956年のスエズ危機で、イスラエルはアメリカと国連に betrayal され、フランスも約束を守らなかった。この経験からイスラエルは自国の安全保障に核兵器が不可欠と決意する。フランスは、同じくスエズで屈辱を味わい、アルジェリア問題でイスラエルを頼っており、両国の利害は一致した。イスラエルはフランスの協力を得て、ネゲヴ砂漠のディモナに大型原子炉と地下のプルトニウム再処理工場の建設を開始する。これにより、イスラエルは核兵器製造への道を大きく進むことになる。
第4章 最初の認識
アメリカ政府は、U-2偵察機の写真分析により、1958年にはディモナの建設を察知していた。CIAの写真分析官アーサー・ルンダールとディノ・ブルジオーニは、それが核関連施設であると確信し、アイゼンハワー大統領に報告した。しかし、ホワイトハウスからの追調査の指示はなく、大統領は事実上、黙認する道を選んだ。イスラエルは後にU-2の偵察を察知し、偽装工作を強化する。情報機関内では、ユダヤ系科学者のイスラエルへの協力や資金提供の噂もありつつも、上層部の「見て見ぬふり」の態度が続いた。
第5章 内部抗争
ディモナ計画は、イスラエル内部でも激しい反対に直面した。巨額の費用、優秀な人材の流出、そして核兵器がもたらす安全保障上の危険性が議論された。また、フランス人技術者との軋轢も問題となった。しかし、ベン=グリオンとペレスは党内の反対を押し切り、新たな情報機関ラカムを設立して施設の秘密を守りながら、計画を強行した。資金は海外のユダヤ人富豪から調達され、1960年代初頭にはディモナは本格的な操業準備を進めていた。
第6章 表面化
1960年12月、アメリカの原子力委員会委員長ジョン・マコーンがニューヨーク・タイムズに情報をリークし、イスラエルの核開発疑惑が初めて公になる。マコーンは、イスラエルとフランスの隠蔽工作に怒り、退任間際に暴露を行った。国際的な非難が高まる中、ベン=グリオンは議会でディモナは平和目的であり、「学生に開放する」と虚偽の説明を行った。驚くべきことに、アイゼンハワー政権はイスラエルの説明をそのまま受け入れ、事態の鎮静化に動いた。これが、アメリカの偽りの政策の始まりであった。
第7章 二重忠誠
マコーンの前任の原子力委員長ルイス・ストラウスは、ユダヤ人でありながらホロコーストに対する強い罪悪感とイスラエルの安全保障への共感から、ディモナについて後任のマコーンに何も伝えなかった。これは、ユダヤ人の「二重忠誠」問題の一例として捉えられる。アメリカ政府内では、イスラエルに批判的な情報は共有されにくく、逆にイスラエル支援のためにユダヤ系職員が機密情報を提供する可能性が常に疑われていた。この複雑な感情と政治的配慮が、アメリカの「見て見ぬふり」の体質を形成していった。
第8章 大統領の苦闘
ケネディ大統領は非核拡散に強い信念を持ち、ディモナへの国際査察を強硬に求めた。しかし、イスラエル支援のユダヤ人富豪エイブ・ファインバーグの政治的压力や、イスラエル国内の政治情勢に翻弄される。結局、ファインバーグらの介入もあり、ケネディはイスラエルへのホーク・ミサイル売却と引き換えに、限定的で事前通告制のアメリカの査察を受け入れざるを得なかった。イスラエルはこの査察に対しても、偽の制御室を用意するなどして欺瞞工作を徹底した。
第9章 圧力の年月
ケネディの後継ジョンソン大統領は、イスラエルに対して非核拡散条約への調印とIAEA査察の受け入れを求めたが、イスラエルはこれを拒否し続けた。ジョンソンは、ソ連の中東進出を強く警戒し、イスラエルを冷戦の代理戦士と見なすようになる。1964年のエシュコル首相との会談で、ジョンソンはイスラエルへの武器供与を強化する一方、核開発の凍結を要請したが、イスラエルは独自の道を歩み続けた。
第10章 サムソンオプション
1965年、イスラエル政府内で核兵器開発の是非をめぐる最終的な議論が行われた。結果として、エシュコルは本格的な兵器生産には踏み切らず、研究開発を継続する中間的な選択をした。これは費用対効果と、アラブ側の核開発が当面は現実的でないという分析に基づくものだった。しかし、この決定は核推進派のベン=グリオンとペレスを怒らせ、彼らは新党ラフィを結成して政界を分裂させる。イスラエルは依然として、最後の手段として敵を道連れにする「サムソンオプション」を模索していた。
第11章 ゲームを演じる
1960年代半ばまでに、CIAはイスラエルが核開発を進めていることを確信していたが、上層部はその情報を公式見解として発表することを躊躇した。ジェームズ・アングルトンなどのイスラエルに同情的な高官が情報を握りつぶしたり、分析部門がイスラエルが核兵器を公にするとの誤った前提で分析するなど、情報コミュニティは機能不全に陥っていた。一方で、ロスアラモス研究所などでは、イスラエルの核能力に関するより正確な情報が把握され始めていた。
第12章 大使
ウォルワース・バーボウ駐イスラエル大使は、イスラエルの指導部と親密な関係を築き、本国のホワイトハウスに「悪い知らせ」を報告することを避けた。彼の下で、大使館は1967年の第三次中東戦争後、ディモナに関する情報収集を停止するよう指示を出す。この大使の意向が、アメリカ政府のイスラエルの核に対する認識を著しく歪める一因となった。イスラエルの核開発を警告する現場からの報告は、ワシントンで無視され続けた。
第13章 イスラエルの決断
1967年の第三次中東戦争後、イスラエルはフランスとの関係を失い、ソ連の脅威が増大する中、モーシェ・ダヤン国防相は本格的な核兵器生産を決断する。経済閣僚ピンハス・サピルをディモナに招き、施設の全容を見せることで、彼の承認を取り付けた。1968年までにディモナは本格生産を開始し、イスラエルは核兵器国への道を歩み始める。核弾頭には「二度と繰り返すな(NEVER AGAIN)」の言葉が刻まれたとされる。
第14章 大統領の贈り物
CIAは1968年、エドワード・テラーの指摘などから、イスラエルが核兵器を保有したとの初の公式見解をまとめた。しかし、ジョンソン大統領はCIA長官リチャード・ヘルムズにこの報告書を「埋葬」するよう命じ、事実を認めることを拒否した。さらに同年、イスラエルへのF-4ファントム戦闘機売却をめぐり、国務省や国防総省は非核拡散条約(NPT)への調印を条件にしようとしたが、ファインバーグの介入とジョンソンの決断により、無条件での供与が決定された。ジョンソンはイスラエルに核への事実上のゴーサインを与えたのである。
第15章 トンネル
1986年に内部告発者モルデハイ・ヴァヌヌがロンドン・サンデー・タイムズに暴露した情報により、ディモナの地下再処理工場(通称トンネル)の実態が初めて明らかになった。そこでは、プルトニウムの分離だけでなく、リチウム6の生産やトリチウムの抽出など、水素爆弾(中性子爆弾)の製造に必要な高度な技術が駆使されていた。写真分析の結果、イスラエルは驚くべき規模と洗練度で核兵器を製造していることが判明した。
第16章 戦争への序章
ニクソン政権は、公には非核拡散を唱えながらも、秘密裏にイスラエルの核保有を事実上容認する方針を打ち出した。1969年にはディモナへのアメリカの査察も終了する。アメリカ政府内では、イスラエルの核に関する情報は極秘扱いとされ、議論されることはなかった。1973年までに、イスラエルは少なくとも20発の核弾頭と、ソ連を射程に入れたジェリコ・ミサイルを配備し、核戦力としての基盤を確立していた。
第17章 核による恫喝
1973年の第四次中東戦争(ヨム・キプール戦争)の緒戦でイスラエルが大敗すると、モーシェ・ダヤンは「第三神殿の終わり」を宣言し、イスラエルは核兵器を実戦配備する決断を下す。ゴルダ・メイア率いる戦時内閣は核弾頭の装填を指示した。この情報はソ連を通じてアメリカに伝わり、核戦争の危機を察知したニクソン政権は、それまで遅延していた対イスラエルへの大規模な軍事空輸を即座に開始した。イスラエルは核オプションを外交圧力の切り札として利用したのである。
第18章 不公正
CIAは長年、ペンシルベニア州の核燃料加工会社NUMECから約200ポンドの濃縮ウランがイスラエルに流出したと疑い、同社のユダヤ人オーナー、ザルマン・シャピロを内通者と見なした。しかし、長年にわたる調査にもかかわらず、決定的な証拠は見つからなかった。実際には、行方不明とされたウランは工場の床や換気ダクトに付着し、廃棄物として環境中に放出されていたことが後の調査で判明する。シャピロは濡れ衣を着せられ、その人生を大きく狂わされた。
第19章 カーターの不安
1977年にメナヘム・ベギン政権が誕生すると、イスラエルはより積極的に核戦力を増強し、ソ連への核ターゲットを拡大した。カーター政権は非核拡散を掲げたが、イスラエルの核は既成事実として扱い、実質的な圧力をかけることはなかった。1977年には南アフリカのカラハリ砂漠でイスラエルが関与したとされる核実験の準備が発覚するが、カーター政権は表面化を避けた。
第20章 イスラエルの実験
1979年9月22日、アメリカのヴェラ衛星が南インド洋で特徴的な二重閃光を探知した。CIAはイスラエルと南アフリカによる核実験の可能性が高いと結論づけた。しかし、カーター政権は再選を控え、この問題が外交的・政治的に大きな混乱を招くことを恐れた。ホワイトハウスは科学者パネル(ルイナ委員会)を設置し、閃光は自然現象か機器の誤作動である可能性を検討させ、結論を曖昧にする工作を行った。
第21章 イスラエルの核スパイ
1985年に逮捕されたユダヤ系アメリカ人海軍情報分析官ジョナサン・ポラードは、イスラエルのために1981年から活動していた。彼はラカムのラフィ・エイタンにリクルートされ、KH-11衛星画像を含む膨大な機密文書を提供した。その中には、ソ連を標的とするイスラエルの核戦略に不可欠な情報が含まれていた。さらに、ポラード情報の一部は、当時の首相イツハク・シャミルの指示により、ソ連との関係改善のために転送された疑いがある。
第22章 イスラエルの諜報資産
1986年、ヴァヌヌのディモナ暴露のスクープは、イギリスのタブロイド紙とメディア王ロバート・マクスウェルの協力を得たイスラエルの情報操作により、大きく信用を毀損された。イスラエルの諜報機関は、メディアに浸透した工作員を通じてヴァヌヌの写真を入手し、彼をおびき出して誘拐した。ヴァヌヌの暴露は多くのメディアで軽視されたが、イスラエルの核の実態を世界に知らしめる重要なものだった。
エピローグ
1991年の湾岸戦争で、イラクのスカッド・ミサイル攻撃を受けたイスラエルは、再び核ミサイルを発射準備状態に置いた。アメリカはイスラエルの自制を要請する以外に術がなかった。ハーシュは、イスラエルが数百発の核弾頭を保有し、もはや「サムソンオプション」は唯一の選択肢ではなくなっていると警告する。そして、アメリカが長年にわたり現実を無視し続けた政策の結果、今やイスラエルはいつでも核を使える状態にあると結論づける。
続きのパスワード記載ページ(note.com)はこちら
注:noteの有料会員のみ閲覧できます。
