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researchmap.jp/read0029525/published_papers/12220101
岡野内正
- Ⅰ 問題提起―21 世紀の桶物語
- Ⅱ 巨大多国籍企業、国際政策団体、主要国政府におけるトップ・エリート集団の一体化
- Ⅲ トランスナショナル資本家階級形成論
- Ⅳ トランスナショナル国家形成論
- Ⅴ 結論―船、桶、鯨の全体像をつかむ
記事のまとめ
この論文は、トランスナショナル資本家階級(超国家的ディープステート 注:著者はDSという言葉を使っていない)の形成による国民国家の空洞化について分析している。著者は以下の主要な論点を展開している:
中心的な主張:
- 現代のグローバル資本主義において、多国籍企業を支配するトランスナショナル資本家階級が形成されている。この階級は国民国家の枠組みを超えて活動し、国民国家を空洞化させている。
実証的分析:
- 世界の巨大企業上位500社と11の国際政策団体の役員887人が形成するトランスナショナルなエリート集団が存在する。
- これらの兼任役員は国際政策形成の中核を担い、グローバルな企業戦略の調整を行っている。
理論的枠組み:
- レスリー・スクレアのトランスナショナル資本家階級論を基礎としている。
- ウィリアム・ロビンソンのトランスナショナル国家形成論を発展させている。
- ジェリー・ハリスの経済的階級支配システム論を援用している。
著者の結論:
- 国民国家は多国籍企業集団が投げ込む「空の桶」となっており、その実質的な機能は失われている。
- グローバル資本主義社会システムによる人類社会全体の植民地化が進行している。
- この状況を克服するためには、システム転換の展望を持った新たな社会運動が必要である。
この研究は、ハーバーマスのシステム論を応用し、国民国家の空洞化をグローバルな文脈で理論化したものとして重要である。
Ⅰ 問題提起―21 世紀の桶物語
1. 8 世紀初頭の桶物語
『ガリバー旅行記』の著者ジョナサン・SWIFTに、『桶物語(A Tale of a Tub)』(初版は 1704)という風刺物語がある。その序文は、物語の意図を次のように説明する。
船員たちは鯨に出会った時に空の桶を投げ与え、鯨をそれで遊ばせて船に危害が及ぶのを食い止める習慣であるという。(SWIFT (1704[1973]=1989):284;76)
当時、船を転覆させるほどの力を持つ巨大な鯨をあざむき、攻撃の矛先をそらせるためのワナとして、空の桶が用いられたというのだ。この習慣を「神話化された(mythologiz’d)」教訓に仕立て上げ、一計を案じたのは、名誉革命直後のイギリスの「教会と国家のお偉方たち(the Grandees of Church and State)」であった。お偉方たちは、「当代の才子(the Wits of the present Age)」すなわち反体制派知識人の鋭い言論活動に脅威を感じていた。そして、体制擁護のために「大委員会(a Grand Committee)」を組織し、次のような解釈と対策を示したというのである。
鯨は、あらゆる宗教や統治の仕組み(all other Schemes of Religion and Government)を弄び、揺り動かす、ホッブズの統治理論すなわちリヴァイアサンなりと解釈された。確かに、そのような仕組みのほとんどが、空洞で(hollow)、乾いて、空っぽで、やかましい音を立て、木製で、次々に取り換えられていくものばかりではある。ともかく、この鯨こそは、現代の恐るべき才子がそこから武器を借りると言われるリヴァイアサンにほかならない。危機に瀕した船がノアの箱船を原型とする連邦国家(the Commonwealth)であることは容易に分かる。桶をいかに解するかが難題であったが、長時間の研究と討論の末にその字義通り、形ばかりで中身のないガラクタの意味にとることになった。こうして、これらのリヴァイアサンども(Leviathans)が、連邦国家(それは元来が動揺常なき代物である)を翻弄するのを予防すべく、与太話で攻撃目標から逸らすようにとの布告が下された。そして幸いにも、たまたま私はこの分野の才能を見込まれて以下の物語を書く栄誉を担った次第である。(SWIFT (1704[1973]=1989): 284;76-77 訳文は若干変更)
すなわち、18 世紀初頭の名誉革命後のイギリス連邦国家という船が、反体制派知識人という巨大で危険な鯨すなわち「リヴァイアサンども」をワナにかけるために、反体制派知識人が憤激して攻撃対象として飛びついてくるような与太話にほかならない桶を準備し、海に投げ込む、すなわち桶物語(1)を書いて公刊することを、SWIFTという船員に頼んだ、というわけである。もちろんこれは風刺物語の序文に書かれた表向きの設定であって、文字通りに受け取ってはいけない。
『桶物語』は匿名で出版された書物である。すぐ前の引用文からも明らかなように、当時、唯物論だ、無神論だと非難されていたホッブズの著書『リヴァイアサン』を敵として引き合いに出しながらも、SWIFTの筆は同時に、名誉革命後のイギリス国教会と統治の仕組みまでも、「空洞」化し、「危機に瀕した」ものと描いている。さらに『桶物語』の主要部分は、 当時のイギリスで対立する三つのキリスト教主要宗派である清教徒、カトリック、国教会を、父の形見の上着を三人三様に改造しながら世渡りをする三人兄弟の物語として描き出すことで笑い飛ばすものであった。したがって、国教会にまで向けられた宗教と政治への風刺を含むこの本は、国教会や政府内でも物議を醸していた。当時のSWIFTは、イギリスの植民地支配下にあったアイルランド在住のイギリス国教会牧師であった。そして彼は、死ぬまで国教会の聖職者として生き、著者として名乗り出ることはついになかった。
つまり、『桶物語』を書いたSWIFTは、アイルランドを植民地化してまもない名誉革命体制下のイギリス連邦国家を守ることではなく、アイルランドの人々を含むあらゆる人々の命を守る新しい国民国家の形成を求めていた。その意味で、彼は船員として船に乗り込んではいたが、心はリヴァイアサンの側にあった。『桶物語』の真の意図は、人々を動かす議論を展開する知識人たちという巨大な力を持つ鯨たち(リヴァイアサンども)に対して、当時の反体制派知識人まで含めた人々がつい熱中してしまう宗教対立が、統治の仕組みの改革という真の課題を覆い隠すワナであることを暴くことだ。そして、ワナに過ぎないからっぽの桶を投げ込んで人々を操る当時の連邦国家すなわち船の姿を、真の標的として示すことにあった。多くのSWIFT研究は、青年時代の『桶物語』のこのようなテーマが、体制内の批判派としての彼の全生涯を貫くものとだとする点で一致する。(2)
たとえば、『桶物語』からほぼ 30年後にSWIFTが出版した風刺的アイルランド論は、あらゆる人々の命を守りえない体制への憤激を示して余りある。それは、『アイルランドの貧民の子どもたちが両親および国家の負担となることを防ぎ、公共の利益とするための穏健な提案(A Modest Proposal for Preventing the Children of Poor People in Ireland, from Being a Burden to their Parents or Country; and for Making them Beneficial to the Publick)』(SWIFT (1729[1973])=1979 訳文変更)と題する小論であり、18 世紀初頭のアイルランドの貧困家庭に生まれる毎年 12 万人の子どもを、肉が柔らかい美味な食材として活用する提案として、詳細なレシピまで描いてみせている。
その冷静な筆致の中に絶望的な憤怒をみなぎらせた分析は、21 世紀の到来にあたって、多国籍企業が自由に活動できる体制を守るためには、飢餓、内戦、疫病を蔓延させて地球人口を大幅に減少させることが必要だという架空の報告書を展開してみせた多国籍企業批判のグローバルな市民運動の闘士スーザン・ジョージの『 ルガノ秘密報告』
(George(1999=2000))およびその続編(George(2012=2014))を思い起こさせるものだ。
2.1 世紀初頭の桶物語
SWIFTの時代からすでに 300年以上たった。しかし、桶物語はまだ終わらない。
21 世紀初頭の今日、桶物語の舞台は一巡した。物語の構図はそのままだが、登場人物は次のようになっている。筆者の結論を先取りして述べておこう。
鯨たちは、すべての国民の命を守れるような国民国家(ネイション・ステイト)建設を求める人々ではない。20 世紀に世界大戦を引き起こし、さらに 21 世紀になっても膨大な難民を排出する内戦を終わらせることができない国民国家群に替わって、人類社会に生きるあらゆる人々の命を守れるような新しい仕組みを求める人々だ。
時には捕鯨船となって鯨を絶滅寸前にまで追いやってきた船(3) は、もはや宗派対立を操りながら植民地支配を拡大して足場を固めていくイギリス連邦国家の支配層ではない。利益集団となって国民国家とその連合体である国連を操り、人類社会に猛威をふるう多国籍企業集団である。
そして船から投げ込まれたワナであるカラの桶は、もはや形式化した宗派の枠組みではない。多国籍企業集団が進めるグローバリゼーションによって空洞化した各国の国民国家の枠組みすなわちナショナリズムと官僚制国家との結合だ。
桶を投げ込む船員は、宗派対立を操る体制派知識人や政治家ではない。問題の根源としての多国籍企業集団の姿を隠し、国民国家の枠組みという桶を投げ込んで、国民国家の獲得(ネイションとステイトの結合)をめぐるゲームに人々を熱中させ、内戦や国家間対立に人類のエネルギーをいたずらに消費させる知識人や政治家である。
したがって今日の桶物語の課題は、人類社会を形成する全人類という鯨に対して、国民国家という桶の空洞化の実相を描き、真の標的として、桶を投げ込む利益集団としての多国籍企業(以下、多国籍企業集団と呼ぶ)という船の姿を示すことである。そして、空っぽの桶にすぎない国民国家の攻略に力を集中して消耗することを避け、むしろ鯨の側で空桶を操りながら、桶を投げ込む船の攻略を目指せるようにすることだ。すなわち全人類が主体となって、国民国家の枠組みを抜本的に再編成する必要を示し、多国籍企業集団全体をコントロールする道のりを見渡せるようにすることである。
さて、以上のような課題設定ともっとも重なり合う一群の先行研究がある。イギリス、アメリカ、カナダ、オランダなどの社会学、国際関係論、国際政治経済学などの学問分野で、21 世紀初頭から次々に実証的な調査研究と激しい論争を伴いながら展開されている、トランスナショナル資本家階級形成論、さらに国民国家の役割の評価にかかわってそれを一層発展させたトランスナショナル国家形成論がそれである。グローバル資本主義学派(Global Capitalism School)とも呼ばれるこの研究潮流(4)のまとまった紹介は、管見の限り日本ではほとんどない。(5) そこで本稿では、21 世紀初頭における国民国家空洞化の実相を示すという桶物語の課題に沿って、この研究潮流を紹介することにしたい。
以下、Ⅱでこの研究潮流の実証的成果を紹介する。Ⅲ、Ⅳでは、理論構成の概観を行い、到達点と今後の課題を確認する。そこでは、この理論潮流に関する論争に即して、桶のからくりをしかけてくる船の姿を明らかにすることが、重要な課題であることを確認する。とはいえ、それはいまだワナに警鐘を鳴らす陰謀説から若干進んだだけである。さらに船と桶と鯨の関係を全面的に解明する階級支配システム論の展開が必要である。そしてそのうえで、鯨たちは、桶と船を用いてどんな新しい仕組みを創り出せるのか。つまり、システム転換論の解明が次の課題なってくることが示されるであろう。
Ⅱ 巨大多国籍企業、国際政策団体、主要国政府におけるトップ・エリート集団の一体化
トランスナショナル資本家階級形成論あるいはグローバル資本主義学派の最大の実証的成果は、巨大多国籍企業、国際政策団体、主要国政府におけるトップ・エリート集団一体化の具体的分析である。まずは、その成果を紹介しておこう。
1. 兼任重役と政策団体の人的ネットワーク
会社どうしの株式所有に伴って、出資した会社が、出資先の会社に自社の重役を送り込んで兼任させ、出資先の会社の経営を日常的にチェックしコントロールしようとする仕組みを、重役兼任制(interlocking directorate)という。重役兼任制は多くの巨大多国籍企業の間でも見られる。重役兼任の担い手である兼任重役については、複数の企業の意思決定に関与し、それら企業全体の利害関係を代表して行動する最前線のエリート層として多くの人々が注目してきた(さしあたり、1968年の『パットマン報告』から 1980年の『リビコフ』報告に至るアメリカ議会報告についての松井(1986)の紹介、ミルズ以降のパワーエリート論の展開についての最新の回顧である。Domhoff et.al.(2018)を参照)。親会社の所在国が異なる複数の巨大多国籍企業を結びつける役割を果たす兼任重役は、トランスナショナルな資本家階級の形成を体現する存在として、社会学や国際関係論の研究者によって詳細な研究が進められてきた。(さしあたりユシームやフェンネマらの 1980年代までの研究の紹介として関下編(1989)、より新しい社会学から整理として高瀬(2010)参照)
一方で、利害関係を共にする人びとが共通の政策を形成する合意を作り、さらに政府や世論にその実現を働きかけていく政策団体(policy group)の役割についても、政治学や社会学の研究者によって多くの研究が行われてきた。1990年代以降は、特に巨大多国籍企業全体の利害を代表して現役の巨大多国籍企業の重役たちが主導する政策団体が、新自由主義政策とグローバル化を推進してきた政治的主体として、注目されている。(三極委員会に関する。Gill (1992)、アメリカに関する最近のApeldoorn & Graaf (2016)参照)
カナダの社会学研究者キャロルは、各社の公式報告に基づいて『ファウチュン(Fortune)』誌が毎年発表する事業規模による世界ランキング上位 500 社を基礎データとして 1996年から 2006年までのそれらの企業間での重役兼任について、さらにそれらと政策集団の理事との間での兼任関係を分析した。(6)
国際政策団体としては、1996年から 2006年の間に企業を主体としてトランスナショナルな利害のために活発に活動してきたという基準で、表1のような 11の政策集団が選ばれ、その理事会メンバーが分析対象とされている。
表1 巨大多国籍企業の利害を代表する 11の政策団体
名称 |
設立年 |
本部 所在地 |
組織形態 |
目的と活動 |
理事数1996 /200 6 |
国際商業会議所 International Chamber of Commerce(ICC) |
1919 |
パリ |
130か国の約 7千社が会員。 |
貿易、投資、自由経済発展のロビ ー活動。 |
27/2 5 |
ビルダ ー バ ー グ会議 Bilderberg Conferences |
1952 |
ライデン |
115人の財界、政界、軍関係者、学者が参加。固定会員 なし。 |
北大西洋周辺国家経済秩序のための非公開の政策策定、エリート 間合意形成。 |
112/ 135 |
三極委員会TrilateralCommission |
1972 |
ワシ ントン、パリ、東京 |
350人の財界、メディア、学者、公務員、NGOエリートが参加。 |
北大西洋、日本・ASEAN諸国の経済秩序形成への政策策定、エリート間合意形成、調査委員会設置、言 説創出。 |
304/ 413 |
世界経済フォーラムWorld Economic Forum |
1971( 1987) |
ジネヴ |
ュー |
世界トップ多国籍企業1千社が会員。 |
世界経済秩序のための多国籍企業エリート間の合意形成、政策策定、調査委設置、 言説創出。 |
55/4 7 |
外交問題評議会・国際諮問委員会International Advisory Board of the Council onForeignRelations(IAB/CFR) |
1995 (CFRは1921 ) |
ニュ —ヨーク |
CFRは米企業と個人の4千会員、IABは世界の政財界、学者から 招聘。 |
米国をめぐる国際問題の調査研究と討議。『フォーリン・アフェアーズ』誌の刊行。 |
35/3 3 |
|
持続可能な開発のための世界経済人会議World Business Council for Sustainable Development(WBCSD) |
1995 |
ジネヴ |
ュー |
世界のトップ多国籍企業123社が会員。 |
環境問題の政策策定、エリート間合意形成、調査委 設置、言説創出。 |
116/ 185 |
国連グローバル・コンパクト理事会UN Global Compact Board |
2000 |
ニュ —ヨーク |
世界7千企業、 3千団体が参加。 企業、NGO代表で理事会を構成。 |
人権、労働、環境、腐敗防止に関する10原則を営利活動に組み入れ、国連を発展させ る合意形成。 |
-/19 |
|
欧州産業人円卓会議European RoundTableof Industrialists(ERT) |
1983 |
ブリ ュッセル |
EUのトップ企業50社で構成。 |
EU企業の競争力強化政策策定、合意形成、ロビー活 動。 |
56/5 7 |
|
日・EUビジネス・ラウンドテーブルEU-JapanBusinessRoundTable(BRT) |
1995( 1999 年改組) |
ブリ ュッセル、東京 |
日本とEUのトップ50企業で構成。 |
EU・日本貿易、投資、産業協力策策定、合意形成、ロ ビー活動。 |
26/5 0 |
|
大西洋横断ビジネス対話 TransAtlanticBusinessDialogue(TABD) |
1995 |
ワン ン |
シト |
米、EUトップ 50企業。 |
米、EU両政府と実業界の対話。 |
68/3 3 |
北米競争力会議North AmericanCompetitivenessCouncil(NACC) |
2006 |
米、カナダ、メ キシコのトップ30企業。 |
北米の経済統合 推進の合意形成と政府への提言。 |
-/33 |
[資料出所]Carroll (2010): 40, 181 および各団体のウェブサイトなどによって筆者作成。
表2 事業規模世界ランキング上位 500 社および表 1の 11の政策団体における重役・理事数とそれらの機関相互での兼任役員数、1996年と 2006年
役員の属性 |
1996年 |
2006年 |
増減率(%) |
a非兼任:会社重役 |
7,921 |
5,248 |
–33.7 |
b非兼任:政策団体 理事 |
419 |
650 |
+55.1 |
c兼任役員数合計 (d+e+f+g+h+i) |
1,000 |
887 |
–11.3 |
d二社のみの兼任重 役 |
757 |
611 |
–19.3 |
e二団体のみの兼任 理事 |
26 |
32 |
+23.1 |
f一社と一団体の兼 任役員 |
109 |
138 |
+26.6 |
g一社と二団体の兼 任役員 |
9 |
22 |
+144.4 |
h二社と一団体の兼 任役員 |
72 |
57 |
–20.8 |
i二社と二団体の兼 任役員 |
27 |
27 |
0 |
j会社重役: 合計 (a+d+f+g+h+i) |
8,895 |
6,103 |
–31.4 |
k兼任重役:合計 (d+f+g+h+i) |
974 |
855 |
–12.2 |
l政策団体理事数合 計(b+e+f+g+h+i) |
662 |
926 |
+39.9 |
m兼任理事:合計 (e+g+i) |
62 |
81 |
+30.6 |
n全役員数合計 (a+b+c) |
9,330 |
6,785 |
–27.3 |
[資料出所]Carroll (2010): 184によって筆者作成。2. ウィリアム・キャロルの実証分析の成果
表2は、事業規模でみた世界ランキング上位 500 社および表1の 11の政策団体における1996年と 2006年の役員(会社重役および団体理事)数とそれらの機関相互での兼任役員数、そしてそれらの推移を示したものである。
すべて巨大多国籍企業である世界ランキング上位 500 社の経営に責任を持つ取締役会に出席して決定に参加する重役は 2006年には 6,103 人(1996年では 8,895 人)いる。そのうち、ここでリストアップされた巨大多国籍企業2社以上の取締役会に参加する兼任重役は、855 人(1996年では 974 人)であり、全重役数の 14%(1996年では 11%)である。巨大多国籍企業の重役数が全体として減少していることに関しては、キャロルは激しい企業間の合併・買収運動の中で取締役会をも縮小して機動的にする減量経営の傾向の現れとしている(Carroll (2010): 185)。取締役会内部のエリートである兼任重役の比率が上がっていることは、それを裏付けするものと言えよう。
一方、巨大多国籍企業の利害を代表する国際政策団体としてキャロルが挙げる。11 団体の運営にあたる理事会の理事数は 2006年には 926 人(1996年では 662 人)である。そのうち 2 団体以上の理事会に出席する兼任理事は、81 人(1996年では 62 人)であり、全理事数の 8.7%(1996年では 9.4%)となる。巨大多国籍企業重役の人数が縮小しているのに対して、政策団体理事の人数が拡大していることは、巨大多国籍企業の国際的政治活動の増大を示すものとして注目されよう。
上位 500の巨大多国籍企業の全重役と 11の政策団体の全理事を合わせたこれらの機関の全役員は、巨大多国籍企業が主導する今日のグローバル資本主義経済の方向づけに責任を持つリーダーたちであり、その数は 2006年で、6,785 人(1996年では 9,330 人)となっている。その中でも、とりわけのエリート層は、兼任重役と兼任理事からなる兼任役員たちである。キャロルは、これらの人々を「企業政策エリート(corporate-policy elite)」と名付けており、その数は 2006年で、887 人(1996年では 1,000 人)である。
公表されているデータの分析によってリストアップされたこの千人弱の人々こそグローバ資本主義のリーダー中のリーダーの役割を果たす人々であり、主要諸国政府代表として 11の国際政策団体に参加・関与してくる政治家たちと一丸となって、人類社会全体の政治・経済の方向づけを行うグローバルなエリート集団だと言えよう。
もっとも、政治家たちが基本的に選挙で選ばれてこのエリート集団に参加してくるように、企業政策エリートである兼任役員の大部分を占める巨大多国籍企業の重役たちも、基本的にはそれぞれの企業の株主総会の選挙で選ばれる。ただし株主総会の選挙は、一人一票の選挙ではなく、一株一票である。それゆえ、企業のリーダーである取締役会メンバーを選ぶのは多数株の所有者であり、企業の真の支配者は、取締役会メンバーではなく、多数株所有者ということになる。したがって、キャロルが析出した企業政策エリートというグローバル・エリート集団は、あくまでも表向きの実働部隊のリーダーにすぎない。その裏には、影の支配者として、巨大多国籍企業の多数株所有者の存在がある。しかし取締役会メンバーとは異なり、株式所有者の情報がすべて公開されているわけではなく、株式資本の所有権に基づくこの影の支配者の具体的な分析は、困難を極める。ここに、ロスチャイルド家やロックフェラー家といった、国際的規模で莫大な相続財産を持つ資産家一族の世界支配といった陰謀説の根拠がある。所有権に基づく支配というこの論点は、経済的な階級概念のわかりにくさと関連してくるが、これについては次章で検討しよう。
そこで、あくまでもこのようなグローバルなエリート集団が選出されてくる道筋を示すものとして、これらの上位 500の巨大多国籍企業と 11の国際政策団体の兼任役員エリートが形成する組織間のネットワークを具体的に見よう。表3は 2006年のデータによって、887 人の兼任役員が形成する巨大な組織間ネットワークの中で、ネットワーク理論でいう「中心性(coreness)」の高い企業と団体を示したものである。ネットワーク全体の中で、より多くの組織とのつながりを持つ組織ほど、中心性は高くなり、ここでは、上位 41 組織の名称、1996年の順位 2006年の中心性スコア、本部所在の都市および国、そして備考欄では企業の解説を入れておいた。
表3は、リーマンショック直前の 2006年にグローバル資本主義の人類社会を方向付けていた。887 人の巨大企業と政策団体の兼任役員であるグローバル・エリート中のエリートが集まって議論する場を具体的に示すものとして、興味深い。
1 位から 8 位までを占める国際政策団体の重要性は明らかだ。三極委員会、ビルダーバーグ会議、欧州産業人円卓会議、持続可能な開発のための世界経済人会議、大西洋横断ビジネス対話、日・EU ビジネス・ラウンドテーブル、外交問題評議会・国際諮問委員会、世界経済フォーラムという、その中での順位およびスコアの数値も、これらの団体の位置を示すデータとして貴重な成果だ。
企業では、アリアンツ、スエズ、シーメンス、トタル、バイエル、ゼネラリ保険の順で、9~14 位の上位を占めるが、いずれもドイツ、フランス、イタリアなど EUに本社を置く保険、エネルギー関連、化学の巨大企業であり、15 位にパリに本部のある国際商業会議所をはさんで、16 位にようやくアメリカに本社のある非鉄金属企業アルコアが登場しているのも興味深い。イギリスに本社のある企業も、18 位でようやく石油化学の BPが登場している。なお、日本に本社のある企業では、36 位にソニーが入っているのみである。本社のある国別に企業のみの数を挙げれば、ドイツ 9 社、フランス 6 社、イギリス5社、アメリカ4社、オ
ランダ4社、イタリア1社、日本1社、アイルランド1社となっており、全 30 社の中で、25 社までが、EUに本社のある企業となっている。業種別では、銀行・保険8社(うち保険 3 社)、エネルギー7社、重化学工業 4 社、電気・通信 3 社、建設・建材 3 社、タバコ・日用品 3 社、航空運輸 1 社、コンサルティング 1 社となっており、銀行・保険の金融機関が、8社で最大とはいうものの、エネルギーから日用品までの製造業企業は合計で、20 社を占める。ここで注意すべきは、兼任役員の結節点となっているこれらの企業は、あくまでも集合場所(ミーティング・ポイント)となっていることを示すにすぎないことであり、これらの企業が所有による支配の中心となっていることを示すものではないことだ。やはりリーマンショック直前の 2007年のデータベースに基づいて全世界の多国籍企業間の株式所有を分析した研究によって析出された過半数株式所有による支配力ランキングの上位 50 社(ほとんどが金融機関)の中で、表3に登場する企業は、ドイツ銀行(支配力ランキング 12 位; 中心性ランキング 41 位〔以下同様〕)、アリアンツ(28 位;9 位)、BNP パリバ(46 位;19 位)の 3 社のみである。(Vitali, et.al. (2011): 33を参照。同論文については、岡野内(2017)も参照されたい)
したがって、これらのグローバル・エリートが形成する兼任役員ネットワーク内での企業間結合に関して言えば、主として EUに本社のある製造業の巨大多国籍企業の 20 社が、主要な8つの国際政策団体に次いで、3つの団体すなわち、国際商業会議所(15 位)、国連グローバル・コンパクト(23 位)、北米競争力会議(31 位)に匹敵するするグローバル・エリート集団の中での企業政策エリートのミーティング・ポイントとなっていることが明らかにされた、ということになる。これが貴重な実証的成果であることも言うまでもない。
表 3 事業規模上位 500 企業および 11の国際政策団体相互間で、887 人の兼任役員が構成するネットワーク内における中心性スコア上位 41 位までの政策団体あるいは企業 2006年
2006 年の順位 |
1996 年の順位 |
政策団体あるいは企業名 |
中心 性スコア |
本部所在都市 |
本部所在国 |
備考 |
1 |
1 |
三極委員会TrilateralCommission |
.68 |
ワシントン、パリ、 東京 |
アメリカ、フランス、日 本 |
表1参照 |
2 |
2 |
ビルダ ーバ ーグ会議 BilderbergConference(2007年春) |
.42 |
ライデン |
オランダ |
同上 |
3 |
3 |
欧州産業人円卓会議 European Round Table of Industrialists |
.31 |
ブリュッセル |
EU |
同上 |
4 |
4 |
持続可能な開発のための世界経済人会議World Business Council for Sustainable Development |
.25 |
ジュネーヴ |
スイス |
同上 |
5 |
201 |
大西洋横断ビジネス対話 TransAtlanticBusiness |
.16 |
ワシン トン |
アメリカ |
同上 |
Dialogue |
||||||
6 |
8 |
日・EUビジネス・ラウンドテーブルEU–JapanIndustrialistsRound Table |
.14 |
ブリュッセル、 東京 |
EU、日本 |
同上 |
7 |
6 |
外交問題評議会・国際諮問委員会CFR International Advisory Board |
.13 |
ニューヨーク |
アメリカ |
同上 |
8 |
5 |
世界経済フォ ーラム World Economic Forum |
.10 |
ジュネ ーヴ |
スイス |
同上 |
9 |
23 |
アリアンツAllianzAktiengesellschaft Holding |
.08 |
ミュンヘン |
ドイツ |
1890年設立のドイツの保険会社。傘下に、資産運用会社 等。 |
10 |
84 |
スエズSuez SA |
.08 |
パリ |
フランス |
1822年設立のオランダ王の興業会社が起源で、後にスエズ運河建設に関わり、1997年にこの社名の水道・電気・ガス事業の多国籍企業となり、2008年にフランスガス公社との合併でGDFスエズ、2015年にエンジーEngieへと 社名変更。 |
11 |
66 |
シーメンスSiemens AG |
.07 |
ミュンヘン |
ドイツ |
1847年設立の 電信機器会社から電気・電子 |
関連の多国籍企業規制に発 展。 |
||||||
12 |
96 |
トタルTOTAL SA |
.06 |
パリ |
フランス |
1924年に設立のフランス石油会社(CFP)の後身で、中東他での採掘からガソリン販 売まで。 |
13 |
46 |
バイエルBayer AG |
.06 |
ケルン |
ドイツ |
1863年ドイツ設立の製薬・化学企業。1925年以降IG Farbenの一部となり、ナチス犯罪に関与、1952年から独立、2018年には種子企業モンサントを 買収。 |
14 |
ゼネラリ保険 Assicurazioni Generali |
.06 |
トリエステ |
イタリア |
1831年設立のイタリア最大 の保険会社。 |
|
15 |
102 |
国際商業会議所 International Chamber of Commerce |
.06 |
パリ |
フランス |
表1参照 |
16 |
348 |
アルコアAlcoa,Inc. |
.06 |
ニューヨーク |
アメリカ |
1886年ピッツバーグで設立のアルミ他非鉄金属製造企 業。 |
17 |
ラファルジュLafarge SA |
.06 |
パリ |
フランス |
1833年設立のセメント・建材会社。2015年に スイスのセメ |
ント会社と合併し、LafargeHolcim に。 |
||||||
18 |
11 |
ブリティッシュ・ペトロリアムBP |
.05 |
ロンドン |
イギリス |
1909年にアングロ・ペルシャン・オイル・カンパニーAPOCとして設立、1954年にBP に改名した石 油化学企業。 |
19 |
24 |
BNPパリバBNPParibas |
.05 |
パリ |
フランス |
1848年創設のパリ割引銀行と1913年創設の国民商工銀行が1966年に合併してできたパリ国立銀行(BNP)、それに1860年代に創設の二行が1872年に合併してできたパリバ(パリ・オランダ銀行)が2000年に合併して成立した 銀行。 |
20 |
289 |
コノコフィリップス ConocoPhillips |
.05 |
ヒューストン |
アメリカ |
1875年設立の石油会社コノコと1917年設立のフィリップス石油が2002年に合併 して成立。 |
21 |
18 |
アメリカン・インターナショナル ・ グル ープ (AIG)AmericanInternationalGroup |
.05 |
ニューヨーク |
アメリカ |
1919年にアメリカ人が上海で開設した保険代理店を発端として発展 した保険会社。 |
22 |
14 |
ユニリーバUnileverPlc |
.05 |
ロンドン(およびロッテルダム) |
イギリス |
1885年設立のイギリスの石鹸会社と1927年設立のオランダのマーガリン製造会社が1930年に合併して成立した日用品製造販売企業。ロッテルダムとロンドンを本社としていたが、2018年からロッテルダム本 社に一本化。 |
23 |
国連グローバル・コンパ クトUNGlobalCompact |
.05 |
ニュー ヨーク |
アメリカ |
表1参照。 |
|
24 |
エ ー オンE. ONAG (E. ON SE) |
.05 |
デュセルドルフ(エッセン) |
ドイツ |
1920年代設立の二つの電力会社(プロイセン電力、バイエルン電力)の後身が2000年に合併してできたエネルギー 会社。 |
|
25 |
52 |
ティッセンクルップ Thyssen Krupp AG |
.05 |
デュセ ルドルフ |
ドイツ |
19世紀設立の デュッセルドルフのティッ |
(2010 年以後エッセン) |
セン社と18世紀に遡るエッセンのクルップ社が1999年に合併して成立した重工業コングロマリ ット。 |
|||||
26 |
81 |
ルフトハンザ航空 Deutsche Lufthansa AG |
.04 |
ケルン |
ドイツ |
1926年設立の政府系航空会社。1994年に完 全民営化。 |
27 |
55 |
シティグル ー プ Citigroup |
.04 |
ニューヨーク |
アメリカ |
1812年設立の銀行を母体とし、合併で巨大化。シティバンクなどを傘下に置く金融持 株会社。 |
28 |
62 |
ロイヤル・ダッチ・シェルRoyalDutch/Shell(Group) |
.04 |
ハーグ |
オランダ |
インドネシアの油田開発のために19世紀末設立のイギリスとオランダの石油会社、シェルとロイヤル・ダッチが1907年に業務提携してグループ設立、2005 年に合併。 |
29 |
234 |
エー・ビー・エヌ・アムロ・グループABNAMROHoldingNV |
.04 |
アムステルダム |
オランダ |
1824年設立の植民地開発のためのオランダ貿易会社と 1841年設立の |
農林金庫が1964年に合併したABNと、 19世紀以来のアムステルダム銀行とロッテルダム銀行の合併によるアムロ銀行とが1991年に合 併した銀行。 |
||||||
30 |
170 |
ブリティッシュ・アメリカン ・ タバコBritishAmericanTobaccoPlc[BAT] |
.04 |
ロンドン |
イギリス |
1901年にイギリスのタバコ会社13社の合併で成立したインペリアル・タバコ・カンパニーと、1890年にアメリカの5社連合によるアメリカン・タバコ・カンパニーとが、1902年に合弁して形成。世界最大の タバコ企業。 |
31 |
北米競争力会議North American Competitiveness Council |
.04 |
表1参照 |
|||
32 |
Hochtief AG |
.04 |
デュセルドルフ(エッセン) |
ドイツ |
1874年設立、世界展開するドイツ最大の建設会社だが2011年にはス ペインの建設 |
会社ACSが過 半数株を取得。 |
||||||
33 |
ボーダフォン・グループ Vodafone Group plc |
.04 |
バークシャー州ニューベリー |
イギリス |
1982年に軍用ラジオ会社を母体に設立された世界最大級の携帯電話会社。2006年に日本ボーダフォンをソフト バンクに売却。 |
|
34 |
129 |
アクゾノーベルAkzoNobel |
.04 |
アーネム (2007 年アムステルダムに移転) |
オランダ |
17世紀起源の 19世紀以来のオランダの諸化学企業の合併で1969年に成立したAKZOと、17世紀起源のスウェーデンの兵器製造会社や 19世紀以来の諸化学企業を吸収合併したダイナマイト発明者ノーベルの系列企業が、1994年に合併して成立。2008年、1926年のイギリス化学企業大合併で成立のICI を吸収。 |
35 |
44 |
コメルツ銀行 Commerzbank AG |
.03 |
フラン クフル |
ドイツ |
1870年設立の 貿易金融主体 |
ト |
の大銀行。2008年にドレスナ ー銀行を買収。 |
|||||
36 |
219 |
ソニー株式会社SonyCorporation |
.03 |
東京 |
日本 |
1946年に真空管電圧計の製造販売会社として設立、トランジスタラジオ輸出で1960年以降多国籍化、多角化、1988年にCBS レコード、翌年 コロンビア映画を買収。 |
37 |
アクセンチュア Accenture Ltd |
.03 |
バミュー ダ(2009 年ダブリン移転) |
バミューダ(2009年アイルランド移転) |
1913年にシカゴ開業(2002年にエンロン事件関与で解散)のアーサー・アンダーセン会計事務所から1989年に独立し、2001年に社名変更した総合コンサルテ ィング会社。 |
|
38 |
37 |
ダノンGroupe Danone |
.03 |
パリ |
フランス |
1919年創業のバルセロナのヨーグルト会社が、フランス、アメリカに展開、1960年代末以降チーズ、ビン製造会社 等との合併で |
多角化した多 国籍食品企業。 |
||||||
39 |
82 |
サンゴバンSaint-Gobain |
.03 |
パリ |
フランス |
1665年創業の鏡会社がガラス製造で発展し、1971年の鉄鋼、1996年の建材流通企業との合併で建材 多国籍企業に。 |
40 |
32 |
リオ・ティントRio Tinto plc |
.03 |
ロンドン |
イギリス |
1873年にイギリス、フランスのロスチャイルド家などが買収したスペイン鉱山会社が起源。オーストラリアでも上場する二元上場会社として鉱業・資源企 業集団を支配 |
41 |
30 |
ドイツ銀行DeutscheBank AG |
.03 |
フランクフルト |
ドイツ |
1870年創設後ドイツ帝国の海外進出で成長し、ナチ政権下でユダヤ資本の接収に協力、1948年に解体後、57年に復活合併、89年以後、ロンドンの投資銀行モルガン・グレンフェル銀行、アメ リカのバンカ |
—ス・トラスト、ブリュッセルのクレディ・リヨネ・ベルギ ーなどを買収。 |
[資料出所]Carroll (2010): 194, 表Table .3 および各企業のサイトによって作成。
Ⅲ トランスナショナル資本家階級形成論
前章では、キャロルの研究の実証的成果のハイライトのみを紹介した。ここでは、キャロルのような研究を生み出したトランスナショナル資本家階級形成に関する理論状況とともに、キャロルの解釈についても批判的に紹介し、本稿のテーマである国民国家の空洞化問題に迫る準備を行う。
1. レスリー・スクレアのトランスナショナル資本家階級論
キャロルによれば、トランスナショナル資本家階級形成に関する「最初の深い研究」は、主要多国籍企業の CEO へのインタビューに基づいたレスリー・スクレアの著作、『トランスナショナル資本家階級』(Sklair (2001))であった(Carroll (2010):2)。
同書の視角はすでに 1990年に刊行されて 1995年に邦訳も出ている『グローバル・システムの社会学』(Sklair (1990=1995))で示されていた。(7) それは、グローバル・システムの「社会学的全体性」を構成するとされる「経済、政治、文化・イデオロギー」からなる3 つのレベルにおいて、行為主体となる人々の「トランスナショナルな実践」の理論である(Sklair (1990=1995):19)。スクレアは、3 つのレベルでの実践の主要な担い手として、多国籍企業、トランスナショナルな資本家階級、消費主義の文化・イデオロギーをあげ、次のように説明している。
多国籍企業は、商品を生産し、商品の製造・販売に必要なサービスを生産する。トランスナショナルな資本家階級形成は、生産物が国境を越えた市場にうまく載せられるような政治的環境をつくりだす。消費主義の文化・イデオロギーは、生産物に対するニーズを生み出したり、そのニーズを支え続けたりするような価値観や態度をつくりあげる。(Sklair (1990=1995):73₋74、訳文は若干変更)
このような視点から 2001年の著作では、トンランスナショナル資本家階級に関する次の4 つの命題が示される(Sklair (2001):5₋6)。
- ① 多国籍企業を基盤とするトランスナショナル資本家階級が形成されつつあり、グローバル化をコントロールしている。
- ② トランスナショナル資本家階級が社会の諸分野で支配的な階級となりつつある。
- ③ 資本主義システムのグローバル化は、利潤追求で動く消費主義の文化・イデオロギーを通じて再生産される。
- ④ トランスナショナル資本家階級は、階級格差の拡大・分極化と生態系の持続不可能性という二つの危機を乗り越えるために意識的に活動している。
トランスナショナル資本家階級を構成する支配的集団は、「主要な多国籍企業を所有し、支配する」人々とされているが、トランスナショナル資本家階級は、それをサポートする人々を含めて、表 4のような4つの分派(fraction)から構成されるとされている。スクレアは、若干のマルクス主義的研究者は生産手段の所有者のみに限定すべきと批判するかもしれないとしつつも、ブルデューやスコットらのエリート研究(Bourdieu(1996), Scott ed.,(1990))の参照を求めつつ、「貨幣資本だけではなく、とりわけ政治的、組織的、文化的、そして知識資本のような他のタイプの資本の所有と支配を含めて拡張することによってのみ資本主義のグローバル化は適切に理解できる」(Sklair (2001):17)とする。
表4 スクレアによるトランスナショナル資本家階級の構成要素
4つの分派 |
経済的基礎 |
政治組織 |
文化・イデオロギー |
会社担当:多国籍企 業および子会社の重役 |
会社給与、株式所有 |
企業代表者の諸組織 |
確固とした消費主義 |
国家担当:グローバル派の官僚や政治家 |
国家給与、役得収入 |
国家機関、国際機関、協調主義(コーポラ ティズム)的諸組織 |
グローバル化適合的ナショナリズム、経済的新自由主義 |
技術担当:グローバル派の各分野専門家 |
給与、謝礼金、役得収入 |
専門職組織、協調主義的組織、シンクタ ンク |
経済的新自由主義 |
消費主義担当:商人およびメディア |
会社給与、役得収入、株式所有 |
企業代表者の諸組織、マスメディア、 売り場 |
確固とした消費主義 |
[資料出所]Sklair (2001):17-22 および表Table .1によって筆者作成。
スクレアは、この枠組みにしたがって、対外投資の変化、ワールド・ベストプラクティスやコーポレート・シチズンシップへの取り組み、そして環境問題への取り組みに焦点を合わせ、大手多国籍企業 88 社の経営者や経営者団体などを対象とするインタビューを含むビジネス・リーダーの言行を調査し、トランスナショナル資本家階級の実践を描き出した。 たとえば、スクレアが提示した次のような剃刀メーカーの多国籍企業ジレットの CEOの発言は、トランスナショナル資本家階級の実践をみごとに表現するものとして、後述のロビンソンにも引用(Robinson 2004:33)されている。(Sklair 2001:286)(8)
「グローバル企業というものは、世界がまるで一つの国であるかのように見ています。 私たちは、アルゼンチンとフランスが違うことはわかっています。でも、それが同じであるかのように扱うのです。どちらの国にも同じ製品を売り、同じ製法を用い、同じ会社の方針でいきます。広告さえ、同じものを使います。もちろん、言葉は違いますけどね」(『フィナンシャル・タイムズ』紙 1998年 4月 7日付記事「グループ企業がグローバルになれるように密着」より引用)
2. キャロルによるトランスナショナル資本家階級分析の集大成
キャロルのトランスナショナル資本家階級分析のまとめ:
1. グローバルな企業権力の地理的分布の特徴:
- ナショナルな企業集団の上部構造としてトランスナショナルな重役兼任ネットワークが形成されている
- 北大西洋地域支配階級が優勢で、特にアメリカの影響力が強い
- ロンドン、パリ、ニューヨークが主要拠点である
- 途上国の巨大企業は未だ十分に参加していない
2. 権力構造の継続性と変化:
- トランスナショナルな資本蓄積に対応したネットワークが形成されている
- 血縁経済集団が存在し、濃密な戦略的コントロールを志向している
- 情報共有と連帯のための薄い結びつきが主流である
- 金融機関と産業企業との結合は弱まっている
- 全体的に重役兼任は減少傾向にある
3. 階級のヘゲモニー形成:
- 巨大企業の兼任重役がトランスナショナル政策団体で知識人層として活動している
- 北米とヨーロッパの企業エリートが緊密に結合している
- トランスナショナル政策団体の重要性が増大している
- 途上国基盤の資本家の参加も増加している
- 対抗する下からのグローバル化運動も存在する
4. キャロルの結論:
- トランスナショナル資本家階級の形成は条件付きで認められる
- 個々の資本家の足場はナショナルな企業集団に根差している
- トランスナショナル資本家階級は、客観的な経済的結びつきや関係性としては既に形成されている。しかし、彼らが一つの階級として自覚的に団結し、共通の目的のために意識的に行動する段階には至っていない。つまり、実態としては存在するが、意識的な統一体としてはまだ完成していない状態である。
- この結論は、トランスナショナル資本家階級論争における折衷的立場を示している
当事者へのインタビューに基づくスクレアによるトランスナショナル資本家階級形成の問題提起、それまでのエリート研究の系譜を引く多国籍企業経営者の重役兼任のネットワーク形成のデータを踏まえて、多国籍企業経営者のコミュニティ形成としてトランスナショナル資本家階級形成の実証分析を集大成したのがキャロルの『トランスナショナル資本家階級の形成――21 世紀の企業権力』(Carroll 2010)であった。(9)
前章では、その実証成果のハイライトのみを紹介したが、ここでは、彼による分析結果を紹介しよう。それは、①グローバルな企業権力の地理的分布、②権力構造の継続性、③階級のヘゲモニー問題、という三つの視点から考察されている(Carroll 2010:224-227)。トランスナショナル資本家階級形成の実態を示すものとして、興味深い考察も多いので、以下、その要旨を紹介しよう。
① グローバルな企業権力の地理的分布
- a. ナショナルな企業集団をつなぐ上部構造としてのトランスナショナルな重役兼任ネットワークの形成:ナショナルな企業エリートのネットワークから純粋にトランスナショナルなネットワークへの大規模な転換は見られない。ただし、1990年代半ば以降、最大規模の企業間でのトランスナショナルな重役兼任ネットワークが広がりつつある。
- b. トランスナショナルな重役兼任ネットワークの中での北大西洋地域支配階級の優勢: 長年にわたってグローバルな企業権力の中心となってきた北大西洋地域支配階級(North Atlantic ruling class)の持続的な影響力を示している。(10)
- c. 北大西洋地域支配階級内でのアメリカの優勢とヨーロッパの台頭:ヨーロッパ統合の影響にもかかわらず、アメリカ拠点企業ネットワークの優勢は揺らがない。
- d. トランスナショナルな重役兼任ネットワークの拠点としてのロンドン、パリ、ニューヨーク
- e. 増加する途上国巨大企業が未参加のトランスナショナルな重役兼任ネットワーク:文化的、組織的惰性によって、企業エリートも、長年の帝国主義構造を維持している。
② 権力構造の継続性と変化
- a. トランスナショナルな資本蓄積に対応するトランスナショナルな重役兼任ネットワーク:特にヨーロッパでは、資本蓄積に成功してきたネットワーク中心企業が他の巨大企業との結びつきによってその地位を維持し、ネットワークを支配の継続性を確保している。
- b. トランスナショナルな重役兼任ネットワークにおける血縁経済集団の存在:家族財産を権力基盤とする、男性優位の「血縁経済集団(kinecon group)」の形をとる超富裕層は、階級全体のヘゲモニーを確保するための緩やかな重役兼任とは対照的に、企業間の濃密な戦略的コントロールを志向している。(11)
- c. 情報共有と連帯のための薄い結びつきとしてのトランスナショナルな重役兼任ネットワーク:一人だけの外部取締役を通じて、強固な金融帝国支配ではなく、コミュニティの構造維持の場合が多い。(ただし、モントリオールとブリュッセルを基盤とするデマレ兄弟(Desmarais-Frères)グループのような例外もある)
- d. トランスナショナルな重役兼任ネットワークのグローバルな拡散:最近 10年間、ヨーロッパの小国、グローバル・サウス、グローバル・シティを包括すべく、拡散してきた。
- e. トランスナショナルな重役兼任ネットワークにおける金融機関と産業企業との結合の弱まり:信用を供与する側の監視機能よりも株式市場の淘汰機能を重視する英米型の短期処分型の「出口確保(exit-based)」企業統治戦略が、長期育成型の「物言う(voice-based)」企業統治戦略よりも広まってきたため。(12) ただし、ヨーロッパでは国境を越えた金融と産業の間の重役兼任によって、EU 経済圏を固めようとする反対の傾向も見られる。
- f. トランスナショナルな重役兼任ネットワークを含む重役兼任そのものの減少: OECDのような機関によっても推奨されているこのような企業統治規範の変化によって、グロー バル・ネットワーク内のナショナルな部分が弱まっている。
- g. 重役兼任の減少の中でのトランスナショナルな重役兼任ネットワークの重要性の増大: その多くはヨーロッパ人であり、先進国基盤のナショナルな兼任重役とも結びつき、グロー バルなネットワークの骨組みとなっている。世界最大級の企業は、トランスナショナル・ネットワークに参加するより多くの場合と、孤立する場合とに分岐している。
③ 階級のヘゲモニー問題
- a. トランスナショナル資本家階級のヘゲモニーのための知識人層として活動するトランスナショナル政策団体理事会における巨大企業の兼任重役の存在:数十人の強力なネットワークの中心にいる企業重役が、高度に中央集権的に、三極委員会や持続可能開な開発のための経済人会議のような特定の組織を通じて、トランスナショナル資本家階級のための組織的知識層(有機的知識人層)として活動し、新自由主義の企てを進めている。
- b. トランスナショナル政策団体理事会における北米とヨーロッパの企業エリートの緊密な結合
- c. トランスナショナル資本家階級の自覚を促すうえでのトランスナショナル政策団体理事会の重要性の増大:ナショナルな企業間ネットワークが弱まるとともに、企業権力を統合的な機能を強めていいる。
- d. トランスナショナル政策団体理事会のネットワークへのトランスナショナル資本家階級の参加の増大:北米競争力会議(NACC)の衰退に対し、ヨーロッパ円卓会議(ERT)と大西洋横断ビジネス対話(TABD)の隆盛は、グローバルな企業エリートの引力の中心がヨ ーロッパに移りつつあることを示す。途上国基盤の資本家の参加も増加しつつある。
- e. トランスナショナル資本家階級の政策形成を進めるトランスナショナル政策団体に対抗する他の階級のトランスナショナルな組織形成:グローバルな公共圏で、さまざまな争点をめぐって、下からのグローバル化と社会正義を求める人々が、ネットワーク的な組織の形をとって、対抗している。
以上、①a~bにおける巨大多国籍企業の重役兼任ネットワークの地理的分布、②a~gにおけるその 1990年代以降の時間的変遷、そして③a~eにおけるトランスナショナル政策団体における理事と巨大多国籍企業兼任重役の関係の具体的分析を踏まえて、次のような結論が導き出されている。(Carroll (2010):227-228)
グローバルな企業権力の組み立てに関する我々の分析によって、トランスナショナルな資本家階級形成論が条件付きで支持されることが明らかになった。…おそらく、トランスナショナル資本家階級形成のもっとも強力な証拠は、企業間ネットワークに続いて、いっそう念入りに組み立てられている、企業政策形成のためのエリートのネットワークである。グローバルな場でコンセンサスを形成し、企業側のリーダーシップを実践する、資本家とその組織化のための知識人からなるトランスナショナルな歴史的ブロックの一部分となっているのが、それである。とはいえ、そこでのイデオロギー的な連帯にもかかわらず、トランスナショナル資本家階級は、自由に足場を移し替えることができるような集団(a free-standing entity)ではなく(それは、それぞれの足場となるナショナルなビジネス・コミュニティに深く埋め込まれている)、また、似たり寄ったりのものの集合体(a homogenous collectivity)でもない。
つまりトランスナショナル資本家階級を構成する個々の資本家の足場がナショナルな企業集団に根差し、それぞれが異質であることを強調するという条件付きで、トランスナショナル資本家階級の形成を結論づけている。ただし、それは、即自的すなわち無自覚的な階級としての事実上の形成であって、対自的すなわち自覚的な階級としての形成ではないとされていることに注意すべきだろう。「自覚的な階級を創り出そうとする意識的な努力と、そのような階級がすでに形成されていることとを混同してはならない。対自的階級としては、トランスナショナル資本家階級は、形成途上にあり、(いまだに)形成されてはいない」(Carroll (2010):233)というのが、キャロルの結論である。
キャロルのこの結論は、トランスナショナル資本家階級の四つの分派のメルクマールを設定して、階級に属する人々の意識的な実践を実証することで、階級形成を結論した先述のスクレアのような議論への批判だと考えていいだろう。
だがはたして、企業の重役兼任や政策団体の役員兼任のネットワーク分析を中心とした階級的意思形成のための意思疎通の回路を対象とするキャロルのような研究は、いったいどこまで階級意識の形成あるいは意識的階級形成を論証できるのだろうか。意識によって階級を定義するのではなく、社会システムの中での役割として、生産手段に関わる所有関係によって階級を定義するというマルクス的な経済的階級の概念戦略を採用するのであれば、その基本概念に忠実に、株式会社を通じる生産手段の所有関係、その所有権を保障する仕組みである国家についても検討することから始めねばならないのではないだろうか。
キャロルは、彼自身の結論を、スクレアやロビンソンの形成論( Sklair(2001)、Robinson(2004))に対して、ベッロやデサイの未形成論(Bello (2006)、Desai(2007))が対立するトランスナショナル資本家階級(TCC)論争のなかでは、ヴァン・デア・ペールやサッセン、タッブらと同じく、折衷論(Van der Pijl (2005)、Moore(2002), Sassen(2001), (2007)、Tabb(2009))に属するものだとしている。
次章では、トランスナショナル資本家階級形成と対応するものとしてトランスナショナル国家形成論を提唱したロビンソンらの議論を紹介しよう。
Ⅳ トランスナショナル国家形成論
1. ウィリアム・ロビンソンのトランスナショナル資本家階級形成論
ロビンソンは、このスクレア議論について、「資本家階級は、領域性に縛られたり、ナショナルな競争に駆り立てられたりすることが、ますますなくなりつつあると考える点で、私の考えに最も近く、最も徹底している。このような見方こそが、グローバル資本主義テーゼの本質をなすものだ」(Robinson (2004):36)と高く評価する。同時に、スクレアの階級論を次のように批判している。(Robinson (2004):36, n.1)
私の見解とスクレアの「グローバル・システム理論」(Sklair (1995), (2002))との相違は、専門職業人や中産階級(ジャーナリストのような)、国家官僚、政治家、技術者、 その他の必ずしも財産所有者ではないような諸階層の人々をひっくるめてしまう彼の資本家階級の定義を中心とするものだ。私は、資本家階級とは、財産所有者の階級―― 資本の所有者たち――であり、トランスナショナル資本家階級とはトランスナショナルな資本を所有し、コントロールする資本家の集団だと信じている。
この言明は、筆者の言葉で言えば、ある人のある階級への帰属を定義する場合には、所有権にかかわる社会システムの中でその人が占める位置のみを基準とするべきで、その他の機能までをも基準とするべきではない、ということになろう。ロビンソンはすぐに次のように続ける。(Robinson (2004):36 n.1)
所有者ではない諸階層や国家にまで資本家が影響を与えるメカニズムを問題にし、どのようにして連携が組み立てられ、どのようにして資本家のヘゲモニーが達成されるかを分析することが、課題なのだ。
ここからは、ロビンソンの階級論が、所有権を基礎とする階級支配システムの解明を課題としていることがわかる。同じ論点でのスクレア批判の文献参照を指示する文がこの後にあるが、それに続けてさらに次のような論点が出されている。
加えて、スクレアの理論には、トランスナショナルな国家装置あるいはトランスナショナルな国家の諸実践を概念化する余地がない。私にとっては、世界銀行の職員のような人々は、トランスナショナルな国家を機能させる技術者にすぎないが、スクレアによれば、そのような人々もトランスナショナル資本家階級の一員ということになってしまう。
ここに至って、階級支配システムの解明を課題とするロビンソンのトランスナショナル資本家階級形成論は、それに対応する国民国家を越えるトランスナショナル国家形成論を必要とすることが明らかになる。(13) この点に関するロビンソンの議論を紹介する前に、ロビンソンと並ぶトランスナショナル国家形成論の主唱者であるハリスの経済的階級支配システム論を紹介しておこう。
2. ジェリー・ハリスによる国民国家を越える経済的階級支配システム論
節のまとめ
ジェリー・ハリスは、世界支配の分析において国民国家中心の思考から脱却し、経済的階級支配システムの観点から分析することを提唱している。その主張の要点は以下である:
1. 世界支配の分析において重要なのは、「どの国が支配しているか」ではなく、経済的階級構造である。国には全階級が含まれており、一国全体として世界支配を論じることは適切でない。
2. グローバリゼーションによって以下の変化が生じている:
- 国境を越えた資本の融合が進行
- トランスナショナルな生産体制の確立
- 国境を越える資金流動の常態化
- 各国単位の経済的まとまりの空洞化
3. これらの結果、現代の支配的勢力は「トランスナショナル資本家階級(TCC)」となっている。この階級は以下の権力を持っている:
- 雇用条件や労働環境の決定
- 主要技術システムの管理
- 住宅市場の支配
- 環境への影響力
- 立法・規制への影響力
- 文化生産のヘゲモニー
- 政党への資金提供
4. 国民国家の位置づけの変化:
- かつてマルクスは国民国家を資本主義システムの総括者として位置づけた
- 現在は多国籍企業の下部組織のような存在に変質している
- 実質的な権力は空洞化している
5. この分析手法は「グローバル資本主義学派」と呼ばれ、現実主義者、新保守主義者、世界システム論者、マルクス主義者など、国民国家を分析の中心に置く他の学派とは一線を画している。
アメリカの歴史学者ジェリー・ハリスは、国民国家中心思考を強く批判し、資本家階級という資本主義的経済システムの中で規定される現代世界における経済的階級支配の観点を強調して次のように書いた。(14)
「誰が世界を支配しているのか」と問えば、人々はすぐさま、どの国(nation)が世界を支配しているのだろう、と考える。ほとんどの人は、それはアメリカだと答えるだろうが、挑戦国として中国の名を挙げるひともいるだろう。だが、国中心の分析(nation- centric analysis)を離れて、階級構造を前面に出し、それを中心に見れば、この問いは、はっきりしないものとなる。私たちが近代的な国(modern nations)を語るとき、その支配階級だけを指すことはありえない。国(nations)には頂点から底辺までのすべての階級が含まれる。では、アメリカの失業者あるいは中国の「奴隷工場」労働者は、世界を支配しているだろうか? 答えは明らかに否だ。そこで私たちが問いの立て方を改め、アメリカあるいは中国の資本家階級は世界を支配しているかを問えば、違った角度からの答えにたどり着く。それは、権力関係をより明らかにする答えだ。
(Harris(2015): 194)
このようにしてハリスは、世界を支配する権力を問題にするにあたって、日本でもほぼ常識的と言える国中心の議論のしかたが、経済的階級すなわち国内の経済システムの中で生産手段と労働力をめぐる個々人の異なる役割という意味での「階級」の違いによる権力の強さの違い――他人をその意に反して行動させる力というウェーバー的な意味での支配する力の違い――を無視することになるという弱点を持つことを鋭く指摘する。アメリカであれ、中国であれ、政治的特権階級を排除して近代国家を形成してきた歴史を持ち、すべての国民に同等な権力へのアクセスの機会を保障する国民主権の民主主義的近代国家の人権的政治システムを標榜している。世界支配の権力問題に関する国中心の議論の仕方は、このような側面を反映するものだ。しかし、アメリカでも中国でも、巨大企業や工場したがって生産手段を所有して労働力を購入する少数の資本家階級は、企業も工場など生産手段を所有しないために自分の労働力を販売せざるをえない立場におかれたより多数の賃金労働者階級―そのため失業者になったり奴隷的待遇で働かざるをえなくなったりする――に対しては、労働力の売買に関して一般的に有利な立場にあり、したがってより強い権力を持つ。「近代ブルジョア=市民社会の解剖学」を標榜し、経済的階級間の取引を中心に、経済的階級支配システム論としてその権力問題を分析してみせたのがマルクスの『資本論』であったことは言うまでもない。(15)
ハリスはこのような経済的階級支配システム分析の視点を貫くことの重要性を掲げたうえで、すぐに続けて次のように書く。
私たちは、ひとたび資本家階級と資本家階級による生産および融資の手段の所有状況の分析に着手するやいなや、グローバリゼーションによって、もはや国ごとで所有状況を問題にすることが、しばしばほとんど意味をなさないほどの資本の融合(merger of capital)に行きついていることに気づく。各国ごとのまとまりのある経済( nation- centric economies ) は、 国の壁を越えたトランスナショナルな生産(transnationalization of production)と国境を越えるお金の流れ(cross-border flows of money)に取って代わられてしまった。今日では、資本の中でヘゲモニーを取る分派(hegemonic fraction of capital)は、トランスナショナル資本家階級(transnational capitalit class)(TCC)である。(Harris(2015): 195)
国境を越える資本の融合→トランスナショナルな生産→国境を越えるお金の流れ→各国ごとにまとまりのある経済の空洞化→融合した資本のヘゲモニー→その所有者としてヘゲモニーを行使する支配者としてのトランスナショナル資本家階級の形成、という論理展開で、新しい支配者としてのトランスナショナルな資本家階級の形成とは裏腹な、人類社会内部 の権力関係における国民国家の空洞化が主張されているのである。なお、資本の融合の根拠として、全世界の多国籍企業のほとんどが株式所有のネットワークによってまさしく融合していることを分析したVitali et al.(2011)が挙げられている。さらにこれに続けて、次のように、トランスナショナルで、グローバルな経済的階級支配システムの様相が、みごとに描写される。
そこでおそらく私たちは、誰が世界を支配しているのかを問うのではなく、人々の生活はどのように支配されているのかを問わねばならない。会社や金融機関を所有し、営業させている資本家たちは、賃金や福利厚生を含めた被雇用者への給付の仕組みを決め、日々の労働条件を定める。雇用、失業、パートタイム、一時雇用の割合を決める。職務をアウトソーシングする。コミュニケーション関連、インターネット、軍用兵器、運輸、 エネルギーのような主要な技術システムをコントロールする。住宅市場をコントロ ールする。環境に対して莫大な影響を与える。課税、立法、規制の仕組みに影響を与える。文化の生産に関してヘゲモニーをもってコントロールする。全世界の主要政党に資金を提供する。これらすべてが決定され、配置されるやり方は、柔軟なものだ。大衆的な運動が、政治に影響を与え、あれこれの側面で、政府を動かすこともありうる。しかし、そのうちの大部分、つまりあなたがいくら稼ぎ、どのように働き、どこに住み、何を食べるか、あなたが吸い込む空気の質、あなたが運転する車、あなたが燃やす油、あなたが消費する文化は、トランスナショナルな資本家階級が創り出した範囲の中で、決定されている。私たちはグローバルな資本主義システムの中で生きている。だから、だれがシステムを支配しているのか、その支配権力の本質的な性格は何かについて、うぶなまねはよそう(let us not be coy)。それどころか、資本家たちはそれを良く知っている。だから、ダボスやその他の会場に集まって会議をする。資本主義はゲームを決定する構造かもしれないが、そのゲームをプレイするのは人間なのだ。それは複合的、多面的で、最新事情や流行が重なり合ってしのぎをけずる競争的なものだが、階級支配という根本的な日々の現実は、まったく変わらず、私たちはそこから逃れられない。
(Harris(2015): 195)
グローバリゼーションのもとでの人類社会全体の経済的階級支配のシステムが、具体的に明確に描写されている。このような分析手法をハリスは、グローバル資本主義学派(the school of global capitalism)と呼ぶ。国民国家ごとの資本主義ではなく、グローバルな単一の資本主義システムとして人類社会をとらえ、単一の支配階級としてのトランスナショナルな資本家階級による人類社会全体の経済的階級支配の分析を呼びかけているのである。
(16) 『資本論』などの記述に明らかなように、19 世紀のマルクスは、「ブルジョア社会の国家形態での総括」(Marx 1953=1958:28-29=30)として「資本家的生産様式」を存立させ、「資本家的社会構成体」の上部構造として特別な役割を果たすのが国民国家だと位置づけていた。(17) しかしグローバル資本主義学派の場合、諸国民国家は、あたかも一国民国家内部の地方自治体でもあるかのように、扱われる。資本主義システムを総括するどころか、単なる末端の機関として取り換え可能な道具の役割を果たすだけだという意味で、空洞化したものとされている。国民国家は、空の桶に過ぎないと告発され、桶を投げ込む船、すなわち多国籍企業を操るトランスナショナル資本家階級の存在に鯨たち、すなわち人類全体の注意を向けさせようとしている。
そしてハリスは、国民国家(nation states)を特権化して、分析の中心に置く論者として、Nye (2002=2002)のような現実主義者(Realist)、Kagan (2003=2003)のような新保守主義者(neo-conservatives)、Arrighi (2007=2011)のような世界システム論者(world systems theorists)、そして、Panitch & Gindin (2013)のようなマルクス主義者(Marxists)を挙げ、グローバル資本主義学派と区別している。(Harris(2015): 195)
3. ウィリアム・ロビンソンによるトランスナショナル国家形成論
節のまとめ
ウィリアム・ロビンソンのトランスナショナル国家形成論の核心は以下である:
1. トランスナショナル国家の3つの特徴:
- トランスナショナル資本家階級の集合的権威として機能する単一の国家である
- 既存の国民国家を包含しつつ、より大きな構造の中に組み込んでいる
- グローバルな資本と労働の間の新しい階級関係を制度化している
2. トランスナショナル国家の具体的形態:
- 中央集権的な形態をとる必要はない
- IMFやWTOなどのトランスナショナルな機関と変容した国民国家の両者から構成される
- 「制度の総体」として機能する緩やかな諸制度のネットワークである
3. 国民国家の役割の変化:
- ローカルな資本蓄積よりもグローバルな資本蓄積の利益を優先する
- 領域のコントロールではなく、資本の自由な蓄積条件の確保を目的とする
4. この理論の含意:
- G8、G20、BRICSなどの国家間提携を、グローバルな資本蓄積のための協力体制として解釈する
- BRICSの台頭を三極支配への挑戦とみる見解を否定する
- レーニン的な帝国主義論の現代への適用を時代錯誤として否定する
5. 理論的位置づけ:
- システム論の観点からは、トランスナショナル国家は行政的サブシステムとして解釈できる
- グローバル・ガバナンス論やグローバル市民社会論と部分的に重なる内容を持つ
- ただし、国際関係論との全面的な理論的対話には至っていない
では、空洞化した国民国家に替わって、かつて国民国家が果たしたような「総括」的役割を、ナショナルな枠を越えた生産の在り方を基礎として人類社会全体を包み込むグローバルな資本主義システムの存立のために果たすものは何か。
ロビンソンは、次のような内容を持つトランスナショナル国家の形成を主張した。
- ① 経済的グローバリゼーションによってトランスナショナルな階級が形成され、同時に、単一のグローバル支配階級の集合的権威(collective authority)として機能する、単一のトランスナショナル国家が姿を現した。
- ② 国民国家はもはや至高のものではなく、かといって消え去るわけでもなく、形を変えて単一のトランスナショナル国家のより大きな構造の中に飲み込まれる。
- ③ このトランスナショナル国家は、グローバルな資本とグローバルな労働との間の新しい階級関係、すなわちグローバル資本主義の新しい階級関係と社会的実践を制度化する。(Robinson (2014): 67、この議論の初出は 2001年とされているが、Robinson(2004):88にもほぼ同様の論点提示がある)
すなわち、①トランスナショナル資本家階級の集合的権威として機能し、②諸国民国家を飲み込んで、③グローバルな資本主義における資本対労働の階級関係を制度化するのが、トランスナショナル国家だというのである。
ロビンソンは、トランスナショナル国家を、「憲法によって構成された『グローバル国家』( a constituted “global state「 )」の概念と混同することのないようにと警告する(Robinson(2014) : 68)。また、トランスナショナル国家の装置は、近代国家のような中央集権的な形態をとる必要はなく、「トランスナショナルな諸制度と変容する諸国民国家(national states)との、両者の中に存在する」こともありうるとする。そして、次のように描いている。
IMFや WTOのようなトランスナショナルな機関は、諸国民国家と共に働くことで、労使関係や金融機関や生産過程の循環を、グローバルな蓄積のシステムにはめ込んできた。決定的に重要なことは、そのような諸国民国家の役割の変化である。いまや諸国民国家は、ローカルな蓄積よりは、グローバルな蓄積過程の諸利益を促進する(prmoting the interests of global over local accumulation processes)。トランスナショナル国家は、一つの「制度の総体(institutional ensemble)」、すなわち資本主義的グローバリゼーションとその再生産のために必要な条件を整備する機能を果たすために緩やかに統一された諸制度のネットワークだと理解できよう。トランスナショナル国家は、領域それじたいをコントロールしようとはしない。むしろ、あらゆる領域内で、そしてあらゆる領域を越えて、資本が自由に蓄積できる条件を確保しようとする。
(Robinson(2014) : 68)
一方で、ローカル(ナショナル)よりはグローバルな資本蓄積の促進を優先するという諸国民国家の変化、他方で、そのような諸国民国家が形成する諸制度のネットワーク。すなわち、 変容した国民国家と国際的な諸制度との両者からなる、「制度の網の目」こそがトランスナショナル国家だというのである。(18)
ロビンソンは、この 3 つの命題に沿って、G8、G20や BRICSなどの国家間の提携の動き、さまざまな国家間の貿易・投資協定、国連や国連の諸機関、WTOや IMFや世界銀行などの国際機関、そして世界経済フォーラムや三極委員会などの国際政策団体の展開を整理している。(Robinson 2004)
特にBRICS(経済発展の著しいブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカの五か国)の台頭を、非同盟運動の系譜を引く南側諸国(グローバル・サウス)による、米欧日の先進国を核とする三極支配への挑戦として評価する見解(19)も、同様の理由からグローバル資本主義の資本蓄積条件整備のための相互協力を大前提とした国民国家間の競争を過大評価するものとして拒否される。(Robinson(2015) )
さらに、帝国主義的な国民国家間の敵対的矛盾を強調するレーニン的な帝国主義論の現代への適用も、グローバルな資本蓄積の促進を優先するという諸国民国家の変化を見ない時代錯誤の見解として、拒否される(Robinson(2016):99-127)。(20) トランスナショナル国家形成論に全面的には賛成しないキャロルも、帝国主義論との関連では、むしろ帝国主義国が相互協力する状態を想定したことで日和見主義につながる調和的議論としてレーニンに厳しく批判された、カウツキーの超帝国主義論に注目している。(Carroll 2010: 232) このような議論は、トランスナショナル資本家階級形成論の理論構成をとらない国際関係の論者たちのグローバル・ガバナンス論、グローバル市民社会論、さらにそれに対応するグローバル国家論の提起と事実上の重なりを示している。(21) しかし、残念なことに、ロビンソンらの議論は、広く国際関係論の諸理論と全面的な論争を展開するまでには至っていない。(22)
「制度の網の目」とは、システム論からみれば、社会システムにほかならない。したがってロビンソンらの国家は、ハーバーマスの意味での行政(政治)システムと解釈できよう。ロビンソンらは、トランスナショナル資本家階級が支配するグローバル資本主義というトランスナショナルな経済的サブシステムに対応する、トランスナショナル国家というトランスナショナルな行政的サブシステムの形成を主張しているとみることができよう。この点については、最後に検討する。(23)
Ⅴ 結論―船、桶、鯨の全体像をつかむ
以上、国家を突き抜ける(トランス・ナショナル!)資本家階級の形成を示すデータ、それに対する新しい理論的アプローチと、それをめぐる論争を紹介した。そこからは第一に、階級論は、社会全体の階級支配システム論でなければならぬこと、第二に、国家論は、その階級支配システム論の中に位置づけねばならぬこと、第三に、階級支配システム論は、ハーバーマスが生活世界植民地化テーゼで主張したように、いわゆるシステム論ではなく、システム転換の原動力である生活世界論を含むものでなければならぬことであった。冒頭の桶物語に即して言えば、主体である鯨の底力を見失うことがないように、船、桶、鯨の関係の全体像を描くことが必要なのだ。そこで、以下、結論として、ハーバーマスの図式の拡張を試みよう。(24)
1. 資本主義社会システムによる生活世界植民地化モデル
図1は、1960年代までのアメリカを見ながらタルコット・パーソンズが展開したシステム論を基調に、マックス・ウェーバーの近代合理主義批判とマルクスの資本主義批判の論点を含めてハーバーマスが示した「システムの視点から見たシステムと生活世界との関係」の図をもとに、筆者が作成したシステムによる生活世界植民地化の基本モデルである。
資本主義社会システムは、生活世界の二つの領域(私的領域と公共圏)と二つのサブシステム(経済的サブシステムと行政的サブシステム)との間での人々の独自の役割に応じた交換関係として示されている。生活世界で命の営みを行う人々は、二つのサブシステムで独自な役割(資本家、企業、公務員、政治家・政党)、を担う人々に応じて、これらの交換(労働力と賃金、財・サービスと購買力、税と行政サービス、支持・忠誠と政策決定)を行い、 自分たちも独自な四つの役割(労働者、消費者、納税者、有権者)を担うことで資本主義社会システムというゲームに参加するのである。このゲームの中でのそれぞれの役割に応じた実践も、マニュアルよろしく、動詞の形で示してある(はたらく、雇われる、育む、買う、使う…など)。
経済的サブシステムでの労働者・消費者と資本家・企業(生産者・販売者)という社会的役割分担は、経済的な階級分割にほかならない。それは、資本主義という経済的な階級支配システムを決定づけるものだが、意思疎通の合理性を柱とし、目的合理性をその範囲で許容する生活世界の論理からみて、資本主義社会システムという世の中の仕組みの中でのこれらの役割分担は、生産力の状態に応じてそれなりに正当化できるものであり、人類史的には、それが存立の根拠でもある。しかしながら、マルクスが資本主義経済システムについて示したように、またウェーバーが官僚制行政システムについて示したように、資本家と労働者、 納税者と公務員、有権者と政治家といった役割分担に基づく交換の繰り返しによって、そのような役割分担による実践そのものが、生活世界の意思疎通の論理から見て耐え難いほどの病的な実践へと転換してくる。
図1では、労働者に関して、〔生態系と人間関係をめぐる現場での意思疎通→疎外〕、資本家に関して、〔職場の指揮→搾取競争〕のように、生活世界の論理で正当化できる役割から、病的な役割への転換を、「→」で結んで示した。システムを存立させる役割分担の構造そのものからくるこのような病理的症状は、システムを機能不全に陥れ、生活世界も存続の危機に陥る。そのとき、生活世界の意思疎通の力(人々の命の営みの底力としての想いを通じ合わせる力)が作動し、システムそのものの転換が模索されることになる。ハーバーマスは、このようなシステム転換の論理を「史的唯物論の再構成」と呼ぶ。(Habermas(1976=2000)、なお岡野内 2016dも参照)
2. 福祉国家と新しい社会運動モデル
図2は、19 世紀のマルクスの予言にもかかわらず、福祉国家(ドイツでは社会国家と呼ばれる)構築によってしたたかに生き延びた。1970年代西ドイツの資本主義システムと、それに対して人々がさらにしたたかに、労働運動を中心とする「古い社会運動」だけでなく、環境・女性・マイノリティの権利運動を中心とする「新しい社会運動」をもって対抗する様相を説明したハーバーマスの叙述をもとに、筆者が作成した図式である。ここでは、生活世界の意思疎通の力からシステムへの反作用は、それぞれの役割に応じて、「+」の記号に続いて示してある。また、病的症状とそこからの転換も「→」で示した。たとえば、労働者に関して、+労働運動〔疎外→話し合い・責任追及・状況改善〕、資本家に関して、+労働者代表の経営参加〔搾取競争→競争緩和〕のようにである。
本稿のテーマである国民国家の空洞化に即して言えば、図2のモデルは、国民国家の空洞化とは対極的な、国民国家の充実を示す。ここでは、行政的サブシステムは、公共部門の拡大によって経済的サブシステムの一部を飲み込んで拡大している。国民国家は、生活世界のコントロールを部分的に受け入れ、国民経済の一部を飲み込むほどの充実を示しているのである。
公共部門の民営化、規制緩和、小さな政府をめざす新自由主義改革は、この行政的サブシステムを縮小し、国民的な経済的サブシステムはグローバルな経済システムに飲み込まれていった。国民国家の空洞化とはこのような事態を指す。この意味で、グローバル化によって国民国家が空洞化しつつあるという事実認識については、だれもが一致できる。しかし、トランスナショナル国家形成論のように、国民国家という枠組みそのものが生活世界にとって無効なものあるいはむしろワナとなりつつあるとする議論は、図2のモデルを理想として資本主義社会システムの改革と取り組む多くの社会運動当事者や理論家から当惑や反発を呼ぶ。たしかに空っぽになりつつある。だが、国民国家なしで、どうするんだ?まだまにあうかもしれない、いや、間に合わせるんだ、というわけである。
だが、国民国家の行政的サブシステムが縮小しただけでなく、国民国家の経済的サブシステムの基幹部分は、グローバルな経済システムと融合してしまっている。いまや船は、桶と比べて、とてつもなく大きい。鯨は、いつまでも桶にこだわることをやめ、まずは、船の大きさと向き合わねばならない。
3. グローバル資本主義社会システムによる生活世界植民地化モデル
図3は、図 1 および図2をもとに筆者が作成した、ハーバーマスが論じていない。21 世紀初頭の人類社会におけるグローバル資本主義社会システムによる人類全体の生活世界の植民地化モデルである。
図 1 および図2では、資本主義社会システムという場合に、アメリカあるいは西ドイツといった国民国家の枠組みでの社会システムが想定され、人々の日常生活での意思疎通を基軸とする国民的生活世界と、経済的サブシステムとしての資本主義的国民経済システム、そしてそれに対応する行政的サブシステムとしての国民国家の立法・行政・司法システムが示されていた。それに対し、図3では、人類全体を包みこむグローバル資本主義社会システムが想定され、人類全体の日常生活での意思疎通を基軸とする生活世界(私的領域には、グローバルな労働者と消費者、そして労働も消費もままならぬ危険地域に住む人々、公共圏では諸国民国家の納税者と有権者、そして納税も権利行使もできない破たん国家国民、難民、移民)、経済的サブシステムとしての多国籍企業のグローバル資本主義システム(トランスナショナル資本家階級と多国籍企業)、そしてそれに対応するグローバルな行政的サブシステムとしての「トランスナショナル国家」を構成する二つの部分、すなわち国際機関と諸国民国家(国際公務員、諸国民国家の公務員、政治家)とがさらに分割して示されている。
図1および図2では、経済的と行政的な二つのサブシステム間の交換関係は表示されていない。図3は、これを踏襲しつつも、国際機関が、従来は国民国家からの資金提供によって成り立っていたが、21 世紀初頭以来、それだけではなくグローバル資本主義システムの多国籍企業からの資金提供によって成り立つようになっていることを示すために、その点を明示した。さらに国際機関は、グローバルな生活世界に対して、「多国籍企業の財産権保障」、そして「人道・緊急・開発援助、軍事介入」のような、生活世界の意思疎通の論理からは、しばしばまったくありがたくない種類のものも含めたサービスの提供を行っている。この流れは、経済的サブシステムおよび行政的サブシステムが生活世界との間での行っている交換(労働力と賃金、財・サービスと購買力、税と行政サービス、支持忠誠と政策決定)の一部としてとらえられる。しかし、トランスナショナル国家の中でもとりわけ多国籍企業との関係が焦点となっている国際機関の独自の地位を示すために、国際機関のサービス提供の二つの流れも図に示した。
図3において、多国籍企業の資金提供を受けながら、その財産権保障という行政サービスを国民国家の統制から離れて提供する国際機関の登場は、図2さらに図 1と比べてさえ、はなはだ進んだ諸国民国家の空洞化を示すものと言える。とはいえ、アメリカをはじめとする大国は、国際機関とともに、あるいはそれと並んで独自に、特に「人道・緊急・開発援助、軍事介入」のような行政サービスを提供し続けている。図3にはそのような事情も反映させた矢印を描いた。これによって、国際協力、援助、国際機関や国民国家のそれを補完するNGOの援助や慈善活動さえ、それがグローバル資本主義システムの再生産をむしろ支える機能を果たすことが明らかになる。援助やチャリティの「うさん臭さ」の根源はここにある。
人類社会の生活世界という視野に立つことで、国民国家の視野では見えなかった人々が目に入ってくる。21 世紀になって増大し六千万人を越える人類史上空前の規模に達している、破たん国家の住民や難民として命の危険にさらされている人たち、さらに破たん国家の国民や難民、移民として、諸国民国家の公共圏から排除されている人々である。図3では、これらの人々の存在も明示した。
図3における役割分担のそれぞれが直面する病的症状(症候群)を見るとき、生活世界の意思疎通の力に依拠する図2の福祉国家モデルで示された処方箋が、人類社会レベルの図3ではことごとく無効とされた仕組みが明らかになる。それは国民国家の枠を越えて、多国籍企業が中心となって推進した資本主義経済システムのグローバル化、そして諸国民国家の行政システムの新自由主義改革であった。図2から図3への移行は、諸国民国家資本主義社会システムからグローバル資本主義社会システムへの人類社会のシステム転換といってもいい。トランスナショナル資本家階級の形成による国民国家の空洞化とは、このような内容を持つものであった。
新しい仕組みへのシステム転換の展望につながらない活動は、システムを再生産する。それは、軍備拡大や軍事介入を含む諸国民国家の防衛活動、それを基礎とする軍事協力についても同様だ。人類社会を図3のような経済的役割(階級分割)に固定化することで生活世界をシステムの植民地とし、人々の意思疎通を限定し、歪曲する仕組みを変えない限り、終わりのない軍事活動が再生産されることになる。
以上、巨大化した船と、桶と、鯨たちとの関係の全体像が、ひとまず明らかになった。てんでに桶にむしゃぶりつくのではなく、桶も用いながら、巨大な船に風穴を開け、鯨たちが船の収穫物を分かち合い続けられるような仕組みは作れないか。これが、次の課題だ。(25)
図1 資本主義社会システムによる生活世界植民地化モデル
図2 福祉国家と新しい社会運動モデル
図3 グローバル資本主義社会システムによる生活世界植民地化モデル
注
(1) 「桶物語)という言葉は、中野・海保(1989):458によれば、「与太話」という意味で当時多用されたという。研究社英和中辞典は「たわいのない話」という訳を当てている。
(2) SWIFT研究には内外で膨大な蓄積がある。たとえば最近の Stubbs (2017) は、
「私が知っていることはただ一つ。イングランドによるこの王国のかくも残酷な抑圧は、決して生まれてはならなかったということです」(ベンジャミン・モッテ宛SWIFTの書簡、1736年 5月 25日)というSWIFTの書簡の一節を巻頭に掲げ、SWIFTの「基本的な敵は独裁体制」であり、彼は「当時の政府がなすべき義務を系統的に裏切っているとみなし」、「彼の書くものはそれに対する復讐」(Stubbs(2017):16)であったという視点からその大著をまとめている。また、重商主義批判としてSWIFTの全著作を分析する試みである西山 2004も、青年時代の『桶物語』から一貫する体制内の批判派としてSWIFTの全著作を読み解く点では共通する。ただし、「SWIFTは、ホッブズの『偉大なるリヴァイアサン』になんの美点も見出さなかった」(西山(2004):244)という解釈は、SWIFTの著作にポストモダン的な近代批判の契機を読み取ろうとする視角にこだわるあまり、いわば「奴隷のことば」で風刺作品を書き続けた体制内批判派SWIFTのホッブズ批判を、文字通りに受け取り過ぎているように見える(西山(2004):244-254)。筆者は、反体制派知識人であったホッブズと、体制内の批判派であったSWIFTとの共通点として、すべての人々の命を守りうる統治の仕組みの追求へのこだわりに注目することで、マクファーソン(Macpherson(1962=1980)など)やポーコック(Pocock(1975=2008)など)が試みたような人類史的なヒューマニズムの発展史の中にホッブズとSWIFTを位置づけることが可能になると考える。とはいえ、この点の展開は他日を期したい。
(3) 佐野(1979):420 は、船を捕鯨船と解釈している。西山(2004):225-244における当時の捕鯨産業の分析はそのような解釈の可能性をも許容するかに見える。
(4) 2003年 5月にカリフォルニア大学サンタバーバラ校で行われた「批判的グローバリゼーション研究(critical globalization studies)をめざして」と題した国際会議の報告論文集である。Appelbaum & Robinson(Eds.)(2005)には、スーザン・ジョージ、ジョヴァンニ・アリギ、デビッド・ハーべイ、ウォーデン・ベッロ、サスキア・サッセン、リチャード・フォークなど、日本でもその著書が多く邦訳されている人びとの論文が収録されており、グロー バリゼーション研究の刷新に向けて論争を引き起こそうという熱気が伝わってくる。その潮流にあって、トランスナショナル資本家階級の形成の実証とその意味に焦点を置く研究者たちが、後に紹介するイギリスのスクレア、オランダからイギリスに移ったヴァン・デア・ペール、オランダのヴァン・アペルドーンら、カナダのキャロル、アメリカのロビンソン、 ハリス、スプレイグらである。中でもロビンソンを中心とする研究者たちは、グローバル資本主義学派(global capitalism school)と呼ばれることが多い。しかしマルクス主義を掲げるかあるいはマルクス的な研究の系譜を重視する研究者たちを越えた議論の広がりはない。たとえば、労働経済学の分野からグローバルな不安定就労層でるプレカリアートの形成を描き出しているStanding (2011=2016)は、トランスナショナル資本家階級形成に対応するトランスナショナルな労働者階級形成論というべきだが、そこではロビンソンらの研究はまったく視野に入っていない。ロビンソンたちにとっても、やはりスタンディングの研究は視野にはいっていない。この学派の視点から日本のケースを分析する。Takase(2010)、(2016) は貴重な成果だが、日本でのこの学派のまとまった紹介はないようだ。
(5)日本の社会学研究における階級論の問題点について、渡辺(2004)参照。とりわけその序論は、高島善哉の労働価値説に関する議論(高島(1975))にヒントを得つつ、階級概念が本質的、全体的、実体的な理論だとして日本の社会学者の大勢によって排斥され、替わって階層概念が用いられるようになった結果、さらに階層概念すらも便宜的、操作的概念にすぎないとして、規範的含意から切り離された結果、日本の社会学研究そのものが社会問題解決に示唆を与える社会分析として魅力を失いつつある過程を見事に描いている。たとえば長松(2011)は、最近の格差問題への関心から規範理論と階級論に取り組む意欲的な試みだが、第一に、レーマーやライトらの「現代マルクス主義階級論」における労働価値説の放棄を受け入れ、第二に、盛山(1992)のレーマーやライト批判――レーマーやライトは労働価値説を放棄したために搾取論も階級論も首尾一貫性を欠くとしつつ、同時に労働価値説は本質的、全体的、実体的ゆえに科学的でないとして階級論そのものを否定する手の込んだもの ――を受け入れたために、ハーバーマスによって観察者の視点と当事者の視点とを結びつける「天才的な奇襲攻撃」(Habermas(1981=1987):330)と評された労働価値説に基づくマルクスの価値論の理論戦略の利点まで見失っているかに見える。その点では、渡辺(2004)の整理は、高島善哉の「マルクス・ウェーバー問題」に代表される。1970年代の科学論に依拠し、後にハーバーマスが『コミュニケーション的行為の理論』などで展開したようなシステム論と行為論の分裂を哲学的基礎にさかのぼって検討する科学論を視野にいれているわけではない。その意味では、日本の社会科学研究は、ハーバーマス以前的な混乱状況にある。 さらに言えば、そのハーバーマスにも、たとえば鈴木(2003)も批判するように、1990年代以後のグローバル化による人類社会全体の変容とそれに伴う社会科学領域全体の研究を視野に入れためざましい理論展開はない。ましてやそれに取り組むトランスナショナル資本家階級形成論を視野に入れてはいない。かくて、渡辺(2007)は、階級論を基礎に日本の市民社会論、福祉国家論、グローバル化論研究を批判し、渡辺(2009)は階級概念を用いてグローバル化の中の日本社会、とりわけ日本の政治過程を分析する貴重な試みだが、社会学研究者の間に論争を呼び起こすことはできていない。またトランスナショナル資本家階級形成論の視点も、まったく視野に入っていない。この点は精力的に日本社会の階級分析を展開する橋本 (2011)、(2013)、(2018)も同様である。その結果、フランスのブルデューの階級研究を継承するイギリスの階級研究の翻訳者たちによる最近の日本の学部生向けの簡にして要を得たブルデューの解説である森田・相澤(2017)も、渡辺や橋本によるこのような階級概念をめぐる日本の理論状況に関する問題提起に触れず、ましてやトランスナショナル資本家階級形成論の論点に触れることもなく、「社会調査の方法」としてのみ紹介している。社会学ではなく、むしろ文学研究の分野で、階級論への関心が高まっていることは興味深い。たとえば魯迅研究の中井(2012)、現代アメリカ文学研究の栗原(2018)を参照。
(6) 非金融部門の企業の事業規模を比較する場合、実際に動かすお金の流れという意味で、売上高を用いることが多い。しかし金融部門の場合の売上高は、実際に動かされたお金の流れを示す貸付や投資の額ではなく、そこから得られる利子や配当収益のみを示す。したがって、売上高で見た場合、非金融部門に比べて金融部門の事業規模が過小評価されてしまう。 したがって、金融部門の場合は、貸付や投資の額を含む資産額が、非金融部門の売上高に相当して事業規模を示すことになる。したがって、上位 500 社とは、実際には、米ドル表示で、非金融部門の企業の場合は売上高で上位 400 社、金融部門の場合は資産額で上位 100社がリストアップされている。(Carroll (2010):83)
(7) スクレアの最初の理論的著作は、『進歩の社会学(Sociology of Progress)』(Sklair (1970))という理論研究であり、ルソーやカント、ヘーゲル、マルクス、コント、スペンサ ー、デュルケム、ウェーバーから、パーソンズに至る所説を、行為論的な個々人の選択の自由とシステムによる制約とに留意して跡付けながら、社会システムの分析を踏まえて、個々人にとっての倫理的選択のための回答を提供することが社会学の使命だとする議論を展開している。NICS 現象を見据えながら、多国籍企業の国際分業の中での経済発展は、諸個人が自由な社会をもたらすものではないとする所説を、メキシコなどの輸出加工区での調査に基づいて展開した実証研究である。Sklair(1989)は、初期のこの著作の理論的見通しをグローバルな開発問題に関して具体化するものと言えよう。スクレアが編集し、イマニュエル・ウォーラースタインやマリア・ミースなども寄稿している、『資本主義と開発』と題する論文集(Sklair(ed.)(1994))は「資本主義は第三世界を開発できるか」という問題に答えようとするものだが、彼も論文を寄せ、次のような興味深い言明をしている。
まず、資本主義的「開発(development)」は、歪んだもの(distorted)である理由として、
①経済的には、輸出指向工業化戦略の利益が限られたものであって多くの問題を含むばかりか、競争優位をねらうものであるがゆえにすべての第三世界が採用することは原理的にできないものであること、②政治的には、トランスナショナルな資本家階級に支配されるようなシステムは純粋な(genuine)開発とはいえないこと、③文化・イデオロギー的には、 消費主義(consumerism)にもとづくシステムは環境の制約を考慮しない点で歪んだ開発であること、を挙げる(Sklair (1994): 179-180)。そして、資本主義ではなく、「おそらくなんらかの他の形での工業化が純粋な開発を達成できる」(Ibid.: 180)というのが自分の考えであるとする。しかし、ソ連などの 20 世紀の社会主義の失敗によって、チャーチルの民主主義論をもじって次のように言いきることができるようになったとする。「結局のところ、資本主義は第三世界を開発できるか?という問いに対して、いや、無理だ。しかしほかのあらゆる選択肢は、資本主義よりももっと悪い」(Sklair (1994):181)したがって、「基本に立ち戻り、社会主義建設は窮乏ではなく、富裕に基づいてのみ可能だ、というマルクスの洞察をかみしめよう。資本主義が富裕を生み出す唯一のシステムである限り、理論と実践は次のことを示している。資本主義はその富裕を地球規模で公平に分配することはできない。つまり、資本主義は第三世界を開発できない」(Ibid.)とし、次のように結論づける。
私が引き出す結論は、かなり乱暴な表現になるが、次のようなものだ。消費主義の文化的イデオロギーがローカルな文化やイデオロギーにとってかわり、多国籍企業やトランスナショナルな資本家階級が、第三世界の諸コミュニティの支配的集団が消費財やサービスを得られるようにできるかぎり、資本主義的「開発」こそが開発への唯一の道なのだというなにがしかの現実とそれにまつわる幻想が続くことだろう。/ このことのきわめて重要な帰結は、ラディカルな政治改革、とりわけ純粋な「民主化」への要求は、大衆的な支持を得ることができないだろうということだ。私の主張は、社会を「改革する」にあたって、政治的変化を引き起こすのは経済改革ではない、ということだ。そうではなく、消費者の要求を充たす経済改革の失敗こそが、それは、「民主的」改革と資本主義的な自由市場こそがすべての人の生活水準と生活様式の急速な改善をもたらすという幻想にもとづく、大衆の運動を引き起こすのだ。この見解では、第三世界における資本主義(そして共産主義)の失敗は、それが政治的な問題を解決できないことにではなく、消費主義の文化イデオロギーに替わる有効な文化イデオロギーを提供できないことにある。(Sklair (1994):181)
「消費主義の文化イデオロギー」が、第三世界を含む人類社会を資本主義のシステムにつなぎとめる要の地位を与えらているのである。この点は、その後のトランスナショナルな資本家階級の実践に関する実証分析(Sklair (2001))で当事者の意図として確認されたあと、さらに消費主義の文化を世界に広める都市空間のグローバルな構築を実証する「アイコン・プロジェクト」論(Sklair (2017))に結実する。消費主義の文化イデオロギー批判が社会学の最重要課題として遂行されているわけである。ただし、ハーバーマスが提起した生活世界とシステムが重なる社会的世界の二重性と両者の対抗を分析・綜合する二正面作戦を重視する筆者の視点から見れば、それなりに鋭いスクレアの消費主義批判は、システムの側面のみを分析する点で一面的である。生活世界の側面から、公共圏において消費主義を克服する新しいシステムへの転換を求める論理と行動の生成への見通しが示されないために、グローバル化に対抗する反システム的な運動組織の形成が示されはするものの、外面的な指摘にとどまっている。
(8) Gillette は、1901年にアメリカで設立された会社で、1967年にはドイツのブラウンを買収したが 2005年には P&Gに買収された。この発言は 1998年のものだが、当時のCEO であったAlfred M.Zeien は、1999年に CEOを退職した。Wikipediaの「ジレット」の項目および」Gillette Chairman Alfred M. Zeien to Retire; President Michael C. Hawley Elected CEO..” The Free Library. 1999 Business Wire 30 Jul. 2018 www.thefreelibrary.com/Gillette+Chairman+Alfred+M.+Zeien+to+Retire%3b+Pr esident+Michael+C….-a053903445 参照。
(9) 同書は著作権上キャロルの単著となっているが、中表紙にはキャロルと並んで、“with Colin Carson, Meindert Fennema, Eelke Heemskerk, J.P. Sapinski”とあり、それぞれ重役兼任ネットワーク分析を手掛けてきた研究者たちとの協力が強調されている。中でもフェンネマは、1980年代から銀行と産業企業の国際ネットワーク分析を手掛けてきた古参であり、その紹介として田中(1989)がある。
(10) これについては、第一次大戦後から第二次大戦後までの時期に関するヴァン・デア ・ペールの有名な歴史的研究 Van der Pijl (1984)があり、キャロルもそれを意識していることは間違いない。
(11) 血縁経済集団(kinecon group)については、チリに関する。Zeitlin et al. (1974)からScott & Cliff (1984)の一般化を経て、Zeitlin & Ratcliff (1988)、李(2012)、Huneeus(2013)などに至る研究の系譜がある。スコットの議論の紹介として植田(1989)がある。
(12)このような企業統治すなわちコーポレートガバナンス戦略の類型化は、Nooteboom(1999)の英米、ヨーロッパ、日本の比較論を踏まえたものである。
(13) スクレアは、ロビンソンのトランスナショナル国家形成論を、次のように批判している。(Sprague 2009:505)
トランスナショナルな国家という考え方に、私は次の二つの点で賛成できません。第一に、それは、むしろ国家を一枚岩のように見てしまうことにつながるように思えます。国家が、資本と労働との間、さらに国内の資本とグローバル化した資本との間での、重要な闘争の場となっていることを見落としてしまうように思います。第二に、このような理論的盲点の結果として、グローバル化を進める政治家や官僚、つまりトランスナショナル資本家階級の国家担当ですが、この人たちの役割の重要性を見落としてしまうことになります。
この批判の立脚点は、支配のシステムの中に、矛盾を見出そうとするものであって、先述のロビンソンのスクレア批判と同じものだ。それにもかかわらず、両者の見解が相違してくるのはなぜだろうか。スクレアは、すぐに続けて次のような興味深い発言をしている。
私は、これは、アメリカの学者たちに特異な問題だと考えています。いつもアメリカ国家の覇権的な権力の批判をしていると、アメリカ国家が、そのあらゆる部局をあげて、国内でも国外でも一枚岩として動いている証拠に事欠かないのです。
つまり、覇権国家アメリカについては、国民国家からトランスナショナルな国家へと転換したと言えるかもしれないが、イギリスやその他の国民国家は、そうではない。国民国家内部のグローバル化推進派と自国利害優先派、すなわちトランスナショナル資本家階級とナショナルな資本家階級、そしてナショナルな労働者階級との間で、国民国家を舞台に三つ巴の階級闘争が行われている、というわけである。とすれば、スクレアにとって、国民国家は、まだトランスナショナル資本家階級によって操られるカラの桶ではない。トランスナショナル資本家階級の支配を食い止める砦となるような、それなりに中身のある桶ということになる。
ちなみに、スクレアは、ロンドン・スクール・オブ・エコノミックスで社会学を教えながら、第二次大戦後 1960年代に至るまでの激しい脱植民地独立闘争を経て国連に加盟してきた新興独立諸国が要求する新国際経済秩序樹立の線での多国籍企業規制論の最後の牙城と言える国連機関 UNCTADの多国籍企業センターのコンサルタントとして多国籍企業の社会的影響とその規制問題に取り組んできた研究者である。
これに対し、ロビンソンは、ジャーナリストとしてニカラグア革命を中心とする取材活動に取り組んだ後、研究者に転じてカリフォルニア大学サンタバーバラ校で社会学やラテンアメリカ研究を教えてきた研究者である。このような経歴からは、多国籍企業に対する抵抗の砦として国民国家の役割に期待するスクレアに対して、ロビンソンが国民国家の枠組みに絶望してトランスナショナルな国家を標的とした闘いを呼びかけるという違いを生み出す国民国家イメージの相違が理解できるように思える。
とはいえ、スクレアの場合もロビンソンの場合も、その国家論は、ハーバーマスのシステムによる生活世界植民地化論からみれば、いやむしろパーソンズのシステム論の視野と比較してみても、いまだ断片的にとどまる。ハーバーマスが言うように、「パーソンズを見過ごしているネオ・マルクス主義」(Habermas (1981=1987):131)と同じ「誤り」を共有していると言えるかもしれない。
(14) ジェリー・ハリスは、シカゴのデヴライ大学(DeVry University)元歴史学教授で、現在は 2002年に中米を含む北アメリカ諸国の批判的グローバリゼーション研究の研究者らの交流のために結成された北アメリカ・グローバル研究学会(Global Studies Association of North America )の事務局長となっている。( 同学会のサイトによる。net4dem.org/mayglobal/index.htm :2018年 10月 4日アクセス)
(15) 権力論としてマルクスの資本論を再解釈するユニークな試みとして、Nitzan and Bichler(2009)がある。「資本家的権力様式」を提起するその議論には興味深い論点が多いが、その検討は他日を期したい。
(16)なおハリスは、このようなトランスナショナルな資本家階級の「統一したプロジェクトを、統一した階級と誤解してはいけない」とする。(Harris(2015): 197)トランスナショナルな資本家階級の階級としての統一したプロジェクトとは、世界市場で資本主義のゲームを進める点で一致しているだけというわけである。したがって、どのような資本主義をどのように進めるかなど、具体的なビジョンとなると、個々の資本家の間で決して一致してはいない。同じトランスナショナルな資本家階級とはいえ、その内部の個々の資本家は相互に競争しており、具体的な資本主義のビジョンの違いも含めて、あらゆるレベルで紛争を引き起こしているというのである。したがって、そのようなトランスナショナルな個々の資本家階級内部の紛争が、昔ながらの国レベルの相互紛争の形をとることもある。しかし、その紛争を引き起こしているのは、トランスナショナルな個々の資本家階級の相互競争であって、あくまでもグローバルな規模の世界市場での資本主義のゲームの存続という統一したプロジェクトの枠内のものにすぎない、というのである。この点が、国家間の世界戦争が資本主義のゲームの存廃に関わっていた、20 世紀の二つの大戦との違いである。
(17)日本では、『資本論』をその最初の部分とするマルクスの経済学批判研究のプランをどう受け継いで世界経済を分析するか、すなわち「資本、土地所有、賃労働、国家、外国貿易、世界市場」というマルクスのメモにおける「国家、外国貿易、世界市場」の諸概念をどう構成するかという「後半体系」の問題として、1960年代に多くの議論が行われた。たとえば、関下(1970)を参照。その後、日本でも世界経済研究者は多国籍企業研究に没頭することになるが、マルクスの視点をどう生かすかという問題意識は、連綿として続いているように思う。たとえば、価値論の視点から多国籍企業論を踏まえて世界市場論を展開する試みである中川(2014)を参照。マルクス的な視点で多国籍企業を論じる場合、多国籍企業を規制できる権力の形成をどう展望できるかが課題となるが、この点ではいまだに模索が続いているようだ。たとえば関下(2017)は多国籍企業論研究の側から国連、OECD、ILO、ISOによる多国籍企業規制の最近の試みについて整理して「その有効性如何を判断」し、「多国籍企業のあるべき姿」(関下(2017):45)を展望しようとする貴重な試みであり、「人類が踏み込んだグローバル社会という現下の状況」、「換言すれば、世界経済のグローバル化と国民経済的な視点からのローカル化(=ナショナル化)との巧みな結合―これを筆者は『グローカリズム』と呼び、こうした資本の相互浸透、相互交流を『国際直接投資』と規定した―」(同上:44)に関する状況認識は鋭いが、そのもとでの規制権力の形成について、トランスナショナル階級形成論が提起したような、階級分析のトランスナショナル化と、国家中心主義批判に基づく問題設定の仕方そのものの転換の必要性は意識されていない。そのため、「多国籍企業の自覚」(同上:66)の必要や「企業、労働、政府(あるいは国連などの国際機関)の三者の調整による合成力」(同上:45)への期待が表明されるにとどまっている。
(18) 地理学者のアレックス・デミロヴィッチは、ほぼ同様の「トランスナショナル・ネットワーク国家」の形成を問題提起した。それは、「ローカル、ナショナル、そしてインターナショナルな規模での国家装置の総体、および公式には私的な諸組織からなる装置」(Demirovic (2011):56)であり、「トランスナショナルな要素を組織し、政策を発展させ、グローバルな蓄積過程の再生産をコントロール」(Demirovic (2011):53)して、多国籍企業資本の利益となるようにする特殊な機能を果たすとされている。
(19) ロビンソンは、デサイ(Radhika Desai)、エスコバル(Pepe Escobar)、スービン(Vladimir Subin)、タブ(William K.Tabb)、マーティン(William G. Martin)、アンガー(Mangabeira Unger)、チャンド(Manish Chand)、チェイス=ダン(Christopher Chase- Dunn)、そして第三世界ネットワーク(Third World Network)といった、反グローバリゼーション運動とかかわりの深い有名な理論家たちが、2013年前後に新聞や雑誌などに発表した時評を挙げている。文献については、Robinson(2015): 1-2を見られたい。
(20) そこでは、とりわけハーヴェイの「ニュー・インペリアリズム」(Harvey(2003=2005))論が詳細に批判されている。
(21) 国際関係論の諸潮流のグローバル・ガバナンス論について、さしあたり渡辺・土山編 (2001)、また理論アプローチの概観として吉川・野口編(2006)が便である。グローバル市民社会論では、イギリスのロンドン大学 LSEのグローバル・ガヴァナンス研究センター所長カルドーの議論(Kaldor (2003=2007)、Kaldor (2007=2011)など)が興味深く、また影響力も強い。カルドーは、市民社会を、規範的かつ記述的な概念として、すなわち「 合意が生み出される過程であり、個人が政治的・経済的権威の中枢と交渉したり、戦ったり論争したりする場」(Kaldor (2007=2011):209)として定義する。そして、「今日、こうした中枢にはグローバルな制度や国際組織、企業が含まれる」ため、「グローバル市民社会という言葉がグローバルな発展を促す足がかりになりうる」(同上)ようにするためには、 グローバル市民社会に関して 1990年代以降現れた3つの解釈を包括して、社会運動、NGO ・NPO、宗教・エスニック運動をも含めるべきとする。なお、3 つの解釈として、第一に自律的で非暴力的で個人主義的な集団に限定する社会運動活動家的解釈(ハーバーマス)、 第二に国家の過剰な介入に替わるものを提供し、市場改革と議会制民主主義導入を促すメカニズムとしてNGOやNPOをイメージするネオリベラルの解釈(レスター・サラモン、ヘルムート・アンハイアー、アミタイ・エツィオーニ、ロバート・パトナム)、第三に西洋中心主義を排して、暴力的で過激な新しい宗教運動やエスニック運動をも含むべきとするポストモダンの解釈(マフムード・マムダーニー、パルタ・チャタジーなど)が挙げられている。カルドーは、アイリス・マリオン・ヤングに賛意を表し、「市民社会と国家、そして市場を個別の空間もしくは領域と考える」のではなく、「過程」すなわち、「活動を調整する」別々の――コミュニケーション行為によるか、権限を認められた権力によるか、金によるかの――「方法」とする。そのうえで、「国家は、権限を認められた権力の唯一の形態ではないし、そうであってはならない」(Kaldor(2007=2011):214)とし、国家の活動をチェックする「グローバル・カバナンスのシステム」の組織化をコミュニケーション行為によって促すのがグローバル市民社会だとする。
このようなカルドーのグローバル市民社会論は、普遍的な人間理性に信頼を置くカント的なコスモポリタニズムの視点に立って、規範的含意に無自覚な国家中心主義的なシステム論や戦略論的議論があふれる国際関係論の諸議論と切り結んでいく貴重なものであり、目的合理的行為とは区別されるコミュニケーション的行為に注目する点でハーバーマスに近い。ただし、カルドーが、Kaldor(2007=2011):303-302 注2、および注7などでしばしばハーバーマスのテキストを孫引きするのは、ハーバーマスの理論展開の全体を検討することなく経済過程を無視して公共圏での議論を強調する議論だと批判する点できわめて問題のあるエーレンベルグの市民社会論 Ehrenberg (1999=2001)からであり、『コミュニケーション的行為の理論』を始め、生産手段の所有による階級規定を軸とするマルクス的な史的唯物論をシステム論的進化論に対置しながら展開されたハーバーマスの議論が検討された形跡はない。したがって、カルドーのグローバル市民社会論が階級支配システムの視点を踏まえてさらにダイナミックな展開に踏み出すのは、今後の課題となっている。
そのようなカルドー的なグローバル市民社会論は、日本では、グローバル・ガバナンスを担う新しいアクターとしての NGO 論として展開され、美根編(2011)(中でも遠藤(2011)) および毛利(2011)が問題整理の到達点と言えるが、カルドーと同じ課題を抱えている。たとえば毛利(2011)は、公文(1994)をもとに、国家(国内社会、ヒエラルキー原理)、企業(経済社会、市場原理)、NGO(市民社会、ネットワーク原理)の三者の関係を「社会システムの 3 つの原理」として提示しているが、公文(1994)の社会システム論は、ハーバーマスがルーマン批判で展開してきたようなシステム論的社会把握の問題点があるだけでなく、三者と 3 つの原理との対応関係は、システム論としての首尾一貫性からいっても、疑問である。Kaldor(2003=2007)に依拠しつつ、国家と市場の中間にある中間組織が飼いならされた新しい社会運動となり、さらにシステム転換運動につながると展望する斎藤(2004)、星野(2009)や Kaldor(2003=2007)のグローバル市民社会論に依拠しつつ、国家間システム、世界経済、グローバル市民社会の 3 つの集合の重なりあいの視点から、日本の NPOも視野に入れつつ、アカウンタビリティの面から NGOの課題を整理する秦(2011)、さらにはカルドーには一切触れず、グローバルでもなく、インターナショナルでもない。NGOの多様な運動を捉える概念として「トランスナショナル・シビル・ソサエティ」を提案する目加田(2003)についても、階級支配システムの明確化が課題となっている。国家や企業による。NGOの取り込み、ボランティア動員、世界システムの手先化、といった新自由主義批判の立場からのグローバル市民社会論批判を整理した稲井(2009)、グローバル市民社会における開発 NGOの飼いならし問題などを整理した高柳(2010)についても同様だろう。ルーマンのシステム論に依拠して、国境を越えたグローバルな民間の自主規制を通じるグローバル・ガヴァナンスに注目し、グローバル市民社会の歴史的形成を展望する川村(2014)の場合、ハーバーマスの執拗なルーマン批判への応答が課題となるだろう。
(22) Garrod(2017): 288n.2 は、トランスナショナル国家論への批判者たちの論点を次のように整理している。①トランスナショナルな蓄積あるいはグローバリゼーションは特に新しいものではない。(Lacher(2006), McMichael (2001), Tabb (2009), Teschke and Lacher (2007), Wood (2002),(2007))②トランスナショナル資本の登場に機械的に対応させた国家論だ。(Block (2001), Cammack (2009), Carroll (2012), Mann (2001), McMichael (2001), Tabb (2009))③ネイションを超越する場(supranational forum)を国家に含めるのは範疇的誤謬だ。(Arrighi (2001), Mann (2001), Van der Pijl (2001))④恣意的な時代区分に基づくものだ。(Moore (2001), Wood (2007))⑤「グローバル」を抽象的空間と捉えるものだ。
(Cammack (2009), Carroll (2012), McMichael (2001), Moore (2001))⑥トランスナショナル資本の実態と規模は過大評価されている。(Anievas (2008), Panitch and Gindin (2012), Prashad (2012), Wood (2002))⑦複数の国民国家の存在は、必然的で、不変な資本主義の一部分だ。(Anievas (2008), Cammack (2009), Davidson (2012), Panitch and Gindin (2012), Tabb (2009), Wood (2002),(2007))
このような論争状況の中でガロッドは、アメリカのトランプ大統領の TPP 離脱や、イギリスの EU 離脱への動きを踏まえ、絶対主義国家成立期における財産権保障の歴史的観点から、トランスナショナル国家論の問題提起を肯定的に受け止める論点を提起した。一見すると国民国家のリバイバルを思わせるアメリカやイギリスのそのような動きにもかかわらず、グローバリゼーションの中でこれまでに構築されてきた二国間ベースを基本とする自由貿易協定(FTA)によるグローバルな多国籍企業の財産権保障体制がみじんも揺らぎを見せないものである限り、人類社会がトランスナショナル資本家階級とトランスナショナル国家の形成によって進行するグローバル資本主義という新しい歴史段階にあることは否定できない、というわけである。財産権への注目は、中世から近代への移行に関するサスキア・サッセンの研究(Sassen(2006))に依拠するものだが、今日の国民国家の空洞化を議論する際に、グローバルな財産権保障を焦点とすべきとするのは、卓見と言えよう。それは、16 世紀以来の資本の本源的蓄積による財産権の侵害を隠蔽するグローバルな財産権保障体制の改革に、今日の人類社会のシステム転換の鍵を見出そうとする筆者にとってとりわけ重要である。
(23) ただし、ロビンソンは、ハーバーマスのモデルについては、グローバル市場の消費主義文化との関係で「生活世界の植民地化」についてあいまいに触れているだけであり、ハーバーマスのモデルにそって、システム論的なグローバル資本主義のもとの人類社会の全体システムにおける経済的サブシステムと行政的サブシステムによる生活世界の植民地化の分析を試みているわけではない。Robinson (2004): 32 参照。そこでは、『コミュニケーション的行為の理論』と『公共性の構造転換』の参照が求められている。
(24) ハーバーマスは、実証主義的なシステム研究(経済学、政治学、システム論的社会学、 政策学など)と、行為主体の形成に関する生活世界研究(発達心理学、精神分析学、思想史、社会史、エスノグラフィー的人類学や行為論的社会学など)とが、相互の対話のないままで分裂して発展している学問研究の現状に対して、「システムによる生活世界の植民地化」に抗する「新しい社会運動」と呼応する人文・社会科学研究者の課題として、学問分野や学派の壁を越える論争を呼びかけた。そのような論争こそが、システム(経済や政治などの世の中の仕組み)の転換を展望する生活世界(日常生活での人々の命の営み)のコミュニケーション的権力(人々の想いの伝え合いが深まるときに生まれる社会的な力)を形成するコミュニケーション的行為の実践にほかならないとしたのである。この議論は、初期の公共圏論からコミュニケーション的行為論を経て晩年の市民社会論に至るまで一貫している。この点につき、岡野内(2016d)参照。なお、ネグリとハートは、「ハーバーマスがコミュニケーション的行為という概念を展開したとき、その生産的形態とそこから派生する存在論的な諸帰結を非常に力強く論証し」たと高く評価しながらも、「依然として彼はグローバリゼ ーションの諸効果の外部にある立脚点、すなわち、情報による存在の植民地化に対抗しうる生活[世界]と真理という立脚点に依拠していた」(Hardt & Negri (2000=2003):54)と批判する。あるいは、ハーバーマスは「拳固とコミュニケーションの解放的機能」を理解していたと評価しつつ、それを「社会の個別で孤立した部分のみに割り当ててしまう」(同上 501)と批判する。興味深い論点ではあるが、ハーバーマスの著作に匹敵するほどの広範な分野にわたって基本文献を渉猟して論争をしかけるハートとネグリの研究と「マルチチュード」への呼びかけは、ハーバーマスから見れば「生活世界の潜勢力」を解放する実践ということになろう。Sprague (2011)は、トランスナショナル資本家階級形成論の立場から、ネグリとハートの帝国論を高く評価しながらも、それがフーコーの権力論に引きずられて、社会分析としてあいまいだと批判している。そして、ネグリらの場所を特定できないとされる「帝国権力」に対して、ロビンソンらのトランスナショナル資本家階級という社会的勢力とその勢力が用いる具体的な制度としてのトランナショナル国家概念を、ネグリらの対抗勢力としての「マルチチュード」に対して、キャロルらのトランナショナルな対抗的社会運動の概念を、より有用な分析概念として対置している。
(25) 筆者は、全人類が共同株主となってすべての多国籍企業の議決権株式の51%を所有する公共持株会社の設置によって、市場経済の利点を生かすことと多国籍企業の規制を両立させ、その配当収入から全人類にベーシック・インカムを保障するシステムへの転換を提案してきたが、細部については今後の課題となっている。岡野内(2016a,b,c,d)、Okanouchi(2016)(2017)などを参照されたい。
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(おかのうちただし会員、法政大学社会学部教授)
Hollowing-Out of Nation-States by Transnational Capitalist Class Formation
OKANOUCHI Tadashi*
The purpose of this article is to show a new model of Colonization of Life-World by System applied to the contemporary global capitalist social system, which is to be a relevant starting point for critical study of globalization.
This study examines firstly William Carroll’s empirical analysis of the making of a transnational class, secondly the theoretical hypothesis of the Global Capitalism School, including the thesis of transnational capitalist class formation by Leslie Sklair and the thesis of transnational state formation by William Robinson and Jerry Harris, along with the criticisms to those theses and their debates. Finally it concludes that application of the Habermasian model of Colonization of Life-World by System to the
global capitalist social system is crucial to overcome the theoretical ambiguities of the research on the relation between the transnational class formation and the nation- states, i.e. how deep is the hollowing-out of the nations-states by transnational capitalist formation. Then, the article actually showed a new model in conclusion, which has never attempted even by Jürgen Habermas himself.
*AAIJ member, Professor, Hosei University