動画解説『世界を読む:マーク・クリスピン・ミラーの人生と時代』

PANDA,PROPAGANDA IN FOCUSダニエル・ブローディー

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英語タイトル

『Reading the World:The Life and Times of Mark Crispin Miller』

日本語タイトル

『世界を読む:マーク・クリスピン・ミラーの人生と時代』

主要トピック(タイムスタンプ順)

  • 1. 導入:パナマ侵攻の記憶と宣傳広告の機能について (0:00)
  • 2. 映画『Reading the World』予告編上映 (4:28)
  • 3. 対談開始:映画製作のきっかけと、ミラーへの締め付け (15:16)
  • 4. ノーム・チョムスキーとの類似点と相違点、左派知識人の反応 (21:59)
  • 5. コロナ禍における人間関係の断絶と初期の自身の反応 (29:31)
  • 6. ミラーを覚醒させた出来事:空っぽの病院と宣傳研究の難しさ (34:00)
  • 7. ドキュメンタリーの主な目的:異論への寛容さの訴え (41:54)
  • 8. キャンセルの始まり:2004年選挙盗難に関する著作『Fooled Again』 (46:36)
  • 9. プロパガンダを見極めるルールとチャーリー・カーク事件の分析 (51:34)
  • 10. 映画支援の呼びかけと今後の展望 (1:03:23)

登場人物

  • マーク・クリスピン・ミラー (Mark Crispin Miller):ニューヨーク大学(NYU)の名誉教授(メディア研究)。宣传、広告、メディア所有権の研究者。著書に『Boxed In:The Culture of TV』、『The Bush Dyslexicon』、『Fooled Again』など。長年にわたりメディア批判、選挙の不正、コロナ政策などを批判してきたため、主流メディアや学界から締め出し(キャンセル)を受けている。
  • エイミー・スマイル (Amy Smile):ミラーの妻であり、映画『Reading the World』の監督。ジョンズ・ホプキンス大学でフランス文学の元教授。現在は心理療法士としてニューヨークで開業し、小説家としても活動している。
  • ダニエル・ブローディー (Daniel Broudy):インタビュアー。琉球大学の教授(本対談の文脈から)。宣傳研究を専門とし、ミラーと同様の関心を持つ。

対談の基本内容

短い解説

本対談は、宣傳研究の第一人者であるマーク・クリスピン・ミラーへのインタビューを通じて、彼の新たなドキュメンタリー映画『Reading the World』の意義を探る。同時に、COVID-19パンデミック以降の社会における宣傳の実態と、異論を唱える知識人が晒される「キャンセル」の構造を浮き彫りにすることを目的としている。

著者について

マーク・クリスピン・ミラーは、ノースウェスタン大学で学士号を、ジョンズ・ホプキンス大学で修士号および博士号(英語学)を取得。長年NYUで教鞭をとり、広告やメディア所有権の批判的考察で知られてきた。しかし、2004年大統領選の不正疑惑や9/11に関する公式見解への異議、さらにはコロナ政策への批判によって、次第に主流から「陰謀論者」とレッテルを貼られ、学界やメディアから排除されるに至る。彼の研究姿勢は、いかなる権威的な情報に対しても懐疑の目を向け、自ら徹底的に調査することを重視している。

重要キーワード解説

  • プロパガンダ (Propaganda):ミラーによれば、現代の宣傳とは単なる情報ではなく、「物事を考えさせず、準自動的な行動へと導くこと」を目的とする。マスメディアや広告を通じて社会の空気を支配し、特定の見解だけを絶対的なものとして印象付ける技法である。
  • メディアの集中 (Media Concentration):ごく少数の巨大企業がメディア全体を支配することで、多様な意見や批判的な視点が排除され、画一的な情報が流される構造。ミラーは1990年代からこの危険性を警告し、チャート化して発表してきた。
  • 選挙窃取 (Election Theft):ミラーは2000年、2004年、そして2020年の大統領選挙において、大規模な不正が行われたと主張している。この主張は彼が「キャンセル」される最大の要因の一つとなり、左派メディアからも「陰謀論者」と攻撃される契機となった。
  • 学問の自由 (Academic Freedom):ミラーがNYUで宣傳学の講義中にマスク着用の効果に疑問を呈したことが発端となり、同僚や大学当局から調査を受けた事件。彼はこれを、都合の悪い真実を教える教師に対する「キャンセル」行為であり、学問の自由への攻撃であると捉えている。

本書の要約

対談は、インタビュアーであるダニエル・ブローディーが、1990年代初頭にパナマ侵攻を現地で目撃した際の記憶を語ることから始まる。テレビで流れる歓喜の映像と、現地で見た荒廃した人々の現実との乖離に長年悩んでいた彼は、後にマーク・クリスピン・ミラーの著書にある一節に出会う。それは、プロパガンダの目的は「考えることから遠ざけ、準自動的な行動へと導くこと」だという洞察だった。この言葉を契機に、本対談ではミラーの仕事と、その思想がなぜ現代社会で「危険視」されるのかが深掘りされる。

ミラー自身は、映画『Reading the World』の監督である妻のエイミー・スマイルと共に登場する。スマイルは、この映画を作った動機について、コロナ禍で夫に対する締め付けが強まる中、彼の思考の軌跡を記録し、なぜ彼の発言がこれほどまでに脅威とみなされるのかを理解したいと思ったからだと語る。

対談の中でミラーは、かつてはノーム・チョムスキーとも一定の共通点を持ちながらも、選挙不正や9/11、ケネディ暗殺といった具体的な事件の真相究明において、チョムスキーが「構造主義的」な枠組みに固執し、調査を拒んだ点を批判する。特に2020年の大統領選挙不正をめぐっては、かつて2004年の不正を共に糾弾した「選挙公正派」の活動家たちさえも、トランプが標的になると沈黙してしまったことに失望を表明する。

COVID-19パンデミックは、ミラーにとっても分水嶺となった。彼は当初、自身も高齢であったため、ロックダウンやマスク着用を徹底し、妻に16階分の階段での買い物を強いるほどだった。しかし、自身が教えるプロパガンダの授業で「マスクの効果に関する研究を全て読んでみよう」と学生に促したことが発端で、大学から執拗な攻撃を受ける。同僚たちからは「ヘイトスピーチ」だと告発され、授業を任されなくなる。この経験を通じてミラーは、主流メディアだけでなく、リベラルを自認する知識人層こそが、パンデミック政策に盲目的に従い、異論を封殺する側に回ったと痛感する。

彼は、プロパガンダを見抜くための一つのルールを提示する。それは、「全てのメディアが全く同じように報道し、異論を唱える者を激しく罵倒するような話」は、間違いなくプロパガンダであるというものだ。その最新の事例として、チャールズ・カークの「暗殺」事件を挙げる。公式発表は誰も信じていないにもかかわらずメディアはそれを流し続け、一方で右派の間では別の陰謀論が飛び交う。ミラーは、この事件の本質はカークが実際に殺されたかどうかではなく、翌日のトランプ前大統領の9/11追悼演説で「内部の敵」との戦いを宣言するためのプロパガンダの道具として利用されたことにあると分析する。

最終的にミラーは、党派を超えた「国民の団結」の必要性を訴える。今や左も右も、お互いを罵倒するためのプロパガンダの受け手となっており、社会は分断される一方だ。民主主義を救うためには、既存の政治家や政党に頼るのではなく、市民一人ひとりが情報を批判的に読み解く力を取り戻し、対話を再建する以外に道はないと結論付ける。

特に印象的な発言や重要な引用

  • 「宣傳広告の目的は、私たちを驚かせて『考えさせる』ことではなく、『考えることから遠ざけ』、準自動的な行動へと導くことにある。」
  • 「どんな話であれ、全てのメディアが全く同じように報道し、異論を唱える者が激しく罵倒されるなら、それは間違いなくプロパガンダだ。」
  • 「私は自分を愛国者だと思っている:もしあなたが歴史的な認識を持って世界を読むことを学ばなければ、騙され続けることになる。」
  • 「この困難を乗り越えるには、『我々、人民』が団結するしかない。右や左といった枠組みを捨て、互いに争うのをやめ、部族的な対立を止めなければならない。」

サブトピック

00:00 宣傳広告の本質とパナマ侵攻

インタビュアーのダニエル・ブローディーは、1990年代初頭にパナマ侵攻を現地で目撃した体験を語る。テレビで流れる「解放の歓喜」の映像と、現地で目の当たりにした荒廃した現実との間に大きな乖離を感じていた。その疑問を解決したのが、ミラーの著書にある一節だった。それは、プロパガンダとしての広告が、私たちを「考えさせる」のではなく、「考えることから遠ざけ」、何も考えずに行動させることを目的としているという洞察だった。この体験が、戦争がどのように広告され、大衆に売り込まれるのかを深く考えるきっかけになったと述べる。

21:59 チョムスキーとの決別と左派の硬直化

ミラーは、ノーム・チョムスキーが「かつて合理的だった頃」に指摘していた「体制の熱狂的支持者は教育を受けた層に多い」という点に言及する。しかし、チョムスキーがメディア集中については鋭くても、選挙不正や9/11、コロナ禍などの「国内的」なプロパガンダには一切目を向けなかったと批判する。ミラーがNYUで学問の自由を巡って窮地に立たされた際、チョムスキーが支援を拒否したことも明かされる。パンデミック以降、リベラルや左派と称する知識人たちこそが最も硬直化し、異論を封殺する側に回ったとし、左派・右派という従来の区分けが崩壊した現状を嘆く。

34:00 「空っぽの病院」が教えたもの

ミラーは、自らもコロナ初期には恐怖に取り憑かれ、厳格なロックダウンを実践していたことを告白する。しかし、転機は自身のプロパガンダ研究にあった。SNSで「病院はガラガラだ」と訴える市民の動画を偶然見て、実際に近所の病院に足を運んでみると、メディアが喧伝する「危機」とは全く異なる光景が広がっていた。この経験から、ニューヨーク・タイムズなどの扇情的な報道が虚構であると確信する。さらに、病院にはコロナ患者に対する報奨金制度があり、死因を水増しすることで金銭的利益を得る構造があったと指摘。この発見が、彼をしてパンデミックそのものを巨大なプロパガンダとして徹底的に研究する原動力となった。

41:54 映画の目的は「寛容さ」の回復

監督であるエイミー・スマイルは、ドキュメンタリー『Reading the World』の主な目的は、異論に対する「寛容さ」を訴えることだと語る。コロナ禍で最も恐ろしかったのは、たった一つの考え方しか許されなかったことだと振り返る。科学者であっても多様な見解があって然るべきなのに、それらが完全に抑圧された。この映画は、ミラーという「世界を読む」人物の軌跡を追うことで、視聴者自身もまたプロパガンダに惑わされず、自ら世界を読み解く力を取り戻すきっかけを提供したいと語る。情報に催眠術をかけられた現代人に、批判的思考の重要性を再認識させることを目指している。

46:36 キャンセルの起源は2004年選挙

ミラーは自身の「キャンセル」の起源を、2005年に発表した著書『Fooled Again』まで遡る。それまで広告やメディア集中の批判で名を馳せ、ニューヨーク・タイムズやNPRなどに頻繁に登場していた彼は、2004年大統領選挙が窃取されたと主張した途端に完全にブラックリストに載せられた。大手出版社から出したその本は全くレビューされず、左派メディアからは「陰謀論者」と攻撃された。この経験から、どれだけ証拠を積み上げても、支配的なプロパガンダに逆らう者は排除されるという厳しい現実を学んだと語る。このパターンはその後のコロナ政策批判にも繋がっていく。

1:03:23 ドキュメンタリー支援の呼びかけ

対談の終盤で、ダニエル・ブローディーは視聴者に向けて、ドキュメンタリー『Reading the World』への支援を強く呼びかける。過去20年以上にわたり、9/11以降、特にコロナ禍以降に感じてきた「基本的人権」や「市民的自由」への直接的な脅威について目を覚ますためにも、ミラーのような明晰な声が必要だと訴える。エイミー・スマイルは、支援方法として公式ウェブサイト(readingtheworldmovie.com)での寄付を案内する。ミラー自身も、現在の主な収入源であるサブスタック(Substack)での活動への購読を呼びかけ、退休後も精力的に情報発信を続ける決意を示した。

「読み方」を奪われた社会:プロパガンダ研究者が消された理由

by Claude Sonnet 4.6

賞賛された批評家が、なぜ突然「陰謀論者」になったのか

マーク・クリスピン・ミラー(Mark Crispin Miller)という人物の軌跡を追うと、ある奇妙なパターンが見えてくる。NYU(ニューヨーク大学)でメディア・文化・コミュニケーションを教えてきたこの教授は、かつてテレビ広告の批評や、メディア集中に関する分析で高く評価されていた。ハーパーズ誌に寄稿し、NPR、PBSに頻繁に呼ばれ、「現代のプロパガンダ批評の最鋭峰」と称された人物だ。

それが——2004年の大統領選の不正を論じた本『Fooled Again』を出してから、突然、主要メディアから完全に締め出された。

書籍要約『またもや騙された:選挙改革の真の論拠』 マーク・クリスピン・ミラー 2005年/2007年
英語タイトル:Fooled Again:The Real Case for Electoral ReformMark Crispin Miller 2005/2007日本語タイトル:『またもや騙された:選挙改革の真の論拠』 マーク・クリスピン・ミラー 2005年/2007年目次

ここで立ち止まって考えてみたい。批評の「内容」ではなく、「対象」が変わった時に何が起きたのか。広告やテレビ番組の読み解きは歓迎された。メディア集中の問題提起も、笑われながらも許容された。しかし選挙不正を論じた瞬間、ゲームのルールが変わった。

これは偶然だろうか。

ナチス・ドイツの教訓:体制を最も熱狂的に支持したのは誰か

対談の中でミラーが言及するのは、ヴィクトール・クランペラー(Victor Klemperer)の日記だ。ナチス政権下を生き延びたユダヤ系知識人の記録であるこの「第三帝国の言語(LTI)」は、ある不快な真実を繰り返し記録している——「体制の最も狂信的な支持者は、しばしば教育を受けた人々だった」という観察だ。

ノーム・チョムスキーも同様の指摘をしているとミラーは言う。「彼がまだ正気だったころ」という皮肉な留保をつけながら。

これは日本でも当てはまらないか。コロナ禍において、マスク着用や行動制限に最も熱心に従い、異論を唱える者を社会的に排除しようとしたのは、どういう層だったか。高学歴、都市部在住、リベラルを自称する層——まさに「教育を受けた人々」だったのではないか。

教育が批判的思考を育てるのではなく、「権威の言語を流暢に話す能力」を育てるとすれば、教育水準が高いほど同調圧力に対する耐性は低くなりうる。これは不快な仮説だが、捨て去るには証拠が多すぎる。

チョムスキーの「死角」——なぜ彼はそこで止まったのか

対談でエイミー・スマイル(Amy Smile)が指摘する点は鋭い。チョムスキーは国際レベルでのプロパガンダ分析——アメリカの対外政策、メディアによる合意製造——については卓越している。しかし国内の選挙不正、コロナ政策への疑問、暗殺事件の再検証には「目を向けなかった」。

ミラーはこれを二つの仮説で説明する。一つは、チョムスキーが硬直した構造主義者であり、自分のモデル(政府+大手メディア=プロパガンダ)に収まらないものを切り捨てる知的傲慢さがあるという説。もう一つは、より不穏な仮説——MITという軍事研究機関への雇用との関係だ。

「面白い」とミラーは言い、それ以上踏み込まない。

この「踏み込まない慎重さ」自体が示唆的だ。チョムスキー批判は学術的タブーに近い。しかし証拠の論理として考えれば、プロパガンダの構造分析において「ここから先は立ち入り禁止」という境界線が存在するとすれば、その境界線はどこが引いているのか、という問いは正当だ。

「陰謀論」というラベルの武器化——1967年からの歴史

ミラーが提示する重要な歴史的事実がある。「陰謀論(conspiracy theory)」というフレーズが批判の武器として機能し始めたのは、1967年にCIAがこれを意図的に流布させてからだという。ウォーレン委員会報告(ケネディ暗殺調査)に疑問を呈するマーク・レーン(Mark Lane)のような人物を黙らせるために。

当時は「笑われる」存在として扱われた。それが2010年代以降、特にオバマ政権期を経て変化した——「危険な存在」として扱われるようになった。国内テロリズムとの連想が生まれた。

日本でも「陰謀論」というレッテルは似たような機能を果たしている。政府のコロナ対応に疑問を持つ医師、ワクチンの有害事象を報告する研究者、選挙制度の信頼性に疑問を呈する人々——これらはすべて「陰謀論者」のカテゴリーに押し込まれることで、議論の土俵に上がれなくなる。

ミラーの定義は明快だ——「あらゆるメディアが同一の論調で叩き、異論を唱える者が一斉に糾弾される話題」、それがプロパガンダの徴候だと。この定義に照らすと、コロナ政策をめぐる2020年から2022年の日本のメディア空間は、まさにその条件を満たしていた。

空の病院——現実を自分の目で確認した瞬間

ミラー自身がコロナに関して「まんまと騙された」と認白していることは重要だ。70歳という年齢もあり、最初の数ヶ月はエレベーターのボタンを肘で押し、階段を16階まで上がらせるほど恐怖に囚われていた。

転機になったのは、ソーシャルメディアで見たある動画だ。ニューヨーク市内の病院を回り、スマートフォンで撮影した映像——「病院は空だった」。

ミラーはそれを見て、自分でも確認しに行った。近所の病院を歩いて回った。冷凍トラックが大量の遺体を積んでいると報道されていた病院の周辺も。ニューヨーク・タイムズが「医療崩壊」を伝えるエルムハースト病院も。

「誰もいなかった」。

これは重要な認識論的な問いを立ち上げる。私たちは「現実」をどこから受け取っているのか。新聞が「病院は崩壊している」と書けば、それが現実になる。しかしその記述と物理的現実の間に乖離があったとするなら——そしてその乖離を誰も報じないとするなら——私たちには現実を知る手段が事実上ない。

さらにミラーが指摘するのは、コロナ患者・コロナ死亡者に対する病院への財政的インセンティブだ。コロナ患者と記録すれば補助金が出る、コロナ死亡と記録すれば追加の報奨がある——こうした構造が存在したとすれば、死亡統計の信頼性は根底から問い直される。

日本でもこれに類する議論は存在した。死亡診断書におけるコロナ死亡の記録方法、超過死亡統計とコロナ死者数の乖離、ワクチン接種後の超過死亡と荒川・村上論文が示した自治体データ。これらは日本の主流メディアではほぼ報じられなかった。

「奴隷に読み方を教えた」——NYUが彼を追い出した理由

ミラーが自分の追放を表現した言葉が刺さる。「私は奴隷に読み方を教えていた(teaching the slaves how to read)」。

プロパガンダを研究するということは、宣伝の技法を分析するだけではない。現在進行形のプロパガンダを、その真っ只中で識別できるようにする訓練でもある。マスクの効果について「すべての研究を読む」よう促した——それがNYU当局を激怒させた。学生一人がTwitterで「解雇しろ」と要求し、大学がそれを支持した。

チョムスキーは彼の学問的自由を守る請願書への署名を拒否した。

ここには構造的な問題がある。大学は「批判的思考を教える場所」として社会的正統性を持つ。しかし実際には、どの思考が「批判的思考」として許容されるかを管理する装置でもある。ミラーのケースは、その管理の境界線がどこにあるかを可視化した。

左右の崩壊——新しい分断線

対談でミラーとブローディーが共有する認識は、コロナを経て「左右」という政治的座標が意味を失ったということだ。リバタリアン右派やキリスト教右派と「科学について話せた」、一方でリベラル左派とは話すことができなくなった——これはミラーの個人的体験であると同時に、広範な社会現象を指している。

日本でも似たことが起きていないか。脱原発、反戦、反差別を掲げてきた「リベラル」の層が、コロナ政策については最も強固な服従を示した。権威への懐疑を看板にしてきた人々が、最も権威的な医療・行政の言説を疑わなかった。

この「逆転」をどう説明するか。おそらく、彼らが批判してきたのは「自分たちが認めない権威」であり、「自分たちが認める権威」への批判的思考は欠如していた。批判的思考とは選択的に適用されることが多い——そして自分がどの権威を盲信しているかは、外からしか見えない。

「世界を読む」——プロパガンダへの最大の抵抗

ドキュメンタリー「Reading the World」が訴えるメッセージは単純だ。プロパガンダへの最大の抵抗は、自分で世界を読む能力を維持することだ。

しかし「読む」とはどういうことか。ミラーの軌跡が示すのは、文学テキストを読む能力が広告を読む能力になり、広告を読む能力がメディアを読む能力になり、メディアを読む能力が政治的現実を読む能力になるということだ。これは同じ認識論的筋肉の異なる運用だ。

問題は、その筋肉が「使われないと退化する」という点ではなく、「特定の方向にしか使わせてもらえない社会構造」が形成されていることかもしれない。テレビCMを批評することは許される。しかしワクチンの有効性を批評することは許されない。メディア企業の集中を批評することは笑われながらも許された。しかし選挙システムの信頼性を批評することは「陰謀論」として封殺される。

この非対称性こそが、構造を示している。

何を批評してよいかの境界線は、どの権力にとって批評が脅威かによって決まる。その境界線を誰かが引いているとすれば——いや、引いていることは明らかだ——問うべきは「誰が」「なぜ」だ。

ミラーの答えは「CIAのような機関の関与なしに、全メディアが同一の論調をとることはありえない」というものだ。これを「陰謀論」と一蹴することは容易だ。しかしその一蹴の判断が、プロパガンダによって形成された可能性を排除してからでないと、その一蹴は認識論的に無効だ。

私たちは自分が泳いでいる水の質を、自分で測ることができるか——それがミラーの問いの核心にある。

 

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