
英語タイトル:『Alone Together:Why We Expect More from Technology and Less from Each Other』Sherry Turkle 2011
日本語タイトル:『接続されているのに孤独:なぜ私たちはテクノロジーに多くを期待し、互いに期待しなくなるのか』シェリー・タクル 2011
目次
- 著者ノート:/ Author‘s Note
- イントロダクション:/ Introduction
- 第一部 ロボットの時代 / The Robotic Moment
- 第1章 最も身近な存在 / Nearest neighbors
- 第2章 生きているかのような存在 / Alive enough
- 第3章 真の伴侶 / True companions
- 第4章 魅了 / Enchantment
- 第5章 共犯関係 / Complicities
- 第6章 失われる愛の労働 / Love’s labor lost
- 第7章 交感 / Communion
- 第二部 ネットワーク化 / Networked
- 第8章 常時接続 / Always on
- 第9章 つながれて育つ / Growing up tethered
- 第10章 電話する必要はない / No need to call
- 第11章 縮減と裏切り / Reduction and betrayal
- 第12章 本当の告白 / True confessions
- 第13章 不安 / Anxiety
- 第14章 若者のノスタルジア / The nostalgia of the young
- 結論 / Conclusion
- エピローグ:/ EPILOGUE
本書の概要
短い解説
本書は、デジタルテクノロジーが人間の心理と社会生活に与える影響を、15年以上にわたるフィールドワークに基づき描き出す。
著者について
著者シェリー・タクルは、マサチューセッツ工科大学(MIT)の社会学・科学技術研究教授。臨床心理学者の資格も持ち、30年以上にわたり人とテクノロジーの関係を研究してきた第一人者である。
テーマ解説
- 主要テーマ:デジタルテクノロジーと人間性の変容
ロボットやネットワーク技術が、私たちの孤独、親密さ、共感のあり方をどう再定義しているかを探求する。
- 新規性:二重の視線
人とロボットの関係(第一部)と、人とネットワーク技術の関係(第二部)を同一の枠組みで捉え、テクノロジーがもたらす「孤独」の両面を浮き彫りにする。
- 興味深い知見:ゴールディロックス効果
ロボットは「生きすぎず、死にすぎず、ほどよく生きている」ように見えるとき、人は最も感情移入しやすいという知見。
キーワード解説
- テザリング / Tethered:携帯電話などで常に他者やネットワークとつながれている状態。物理的には一人でも、精神的には常に接続されている。
- シミュレーション・シック:/ Simulation Sick:実際の体験よりもシミュレーションの体験を「よりリアル」だと感じる感覚の麻痺状態。
- ロマンティック・リアクション:/ Romantic Reaction:産業革命期に自然や真正性を理想化したように、デジタル時代に人間関係の純粋さを過度に賛美する態度。
3分要約
本書『接続されているのに孤独』は、デジタルテクノロジーが私たちの親密さと孤独の経験を根本から変えつつあると主張する。著者タクルは、この問題を「ロボットとの関係」と「ネットワーク上の関係」という二つの領域に分けて分析する。
第一部「ロボットの時代」では、人々が「生体模倣ロボット」にどのように感情的に関わるかを描く。高齢者は孤独を癒す存在として癒しのアザラシロボット「パロ」を受け入れ、子どもたちはデジタル生命「たまごっち」の死を目前に「プログラムを止める」か「見殺しにする」かの苦しい選択をする。人々はロボットが「生きていない」と知りながらも、その反応に「生きているかのような」錯覚を抱き、ケアをしてしまう。ここでは、傷つきやすさや死を共有する人間関係の煩わしさから解放され、自分の都合だけでコントロールできる「コンパニオン」への欲望が明らかにされる。この欲望は、ケアの現場を「愛情労働」から「管理」へと変質させる危険性をはらむ。
第二部「ネットワーク化」では、携帯電話やソーシャルメディアが私たちの日常を覆い尽くす状況を扱う。人々は「いつでもどこでも」他者とつながり、もはや一人でいることが難しい「テザリング(つながれている)」状態にある。特に若者は、この状態で成長し、自己を絶えず「パフォーマンス」することを強いられる。SNSでの「いいね!」に自己肯定感を依存させ、電話という「リアルタイムの侵入」を避け、管理可能なテキストメッセージを好む。しかし、多数とつながるほど、孤独や退屈といった「本当の自分」と向き合うための「一人の時間」は失われる。タクルは、私たちがテクノロジーに「多くを期待する」ほど、相手に「多くを期待しない」というトレードオフが生じていると警告する。
最終的に本書は、デジタル技術が約束する「孤独からの解放」が、実はより深い「接続されているのに孤独」な状態を生み出していると結論づける。私たちはテクノロジーを通じて他者との「交感」を求めながらも、真の親密さに伴うリスクや負荷を避けている。タクルはこの現状に対する批判で終わらず、エピローグでは「会話を取り戻す」という具体的な処方箋を提示する。対面での会話、沈黙、無防備な瞬間の中にこそ、共感と自己形成の糧があると訴え、デジタル技術とどう付き合うべきかを読者に問いかける。
各章の要約
著者ノート
本書の構成が説明される。第一部は人間とロボットの関係、第二部はネットワーク技術による人間関係の変容を扱い、両者は密接に関連する。
イントロダクション
テクノロジーは私たちに「親密さの新たな幻想」と「孤独の新たな現実」をもたらしたと宣言する。人々はロボットに感情的なケアを求め、ネット上では絶えず他者とつながることで「独りでいること」を避ける。この二つの動きは、人間同士の関係を脆弱なものにするという共通点を持つ。
第一部 ロボットの時代
第1章 最も身近な存在
デジタル生命「たまごっち」や初期のAIBOロボットとの関わりを通じ、人々がいかに容易に「関係」を擬人化するかを描く。たまごっちが「死ぬ」とき、子どもは「もう一度起動する」という現実的な解決よりも、その喪失感に苦しむ。ロボットは「忘れない」存在として、人間よりも信頼できる相手として見られ始める。
第2章 生きているかのような存在
毛むくじゃらのロボット「ファービー」の登場で、擬人化はさらに進む。ファービーは「生きていない」と知りつつも、その反応の豊かさに人は「この子には何かがある」と感じてしまう。著者はこの現象を「ゴールディロックス効果」と呼ぶ。ロボットは「生きすぎず、死にすぎず」、ちょうど良い塩梅で生命らしさを示すとき、最も魅力的に映る。
第3章 真の伴侶
ソニーの犬型ロボット「AIBO」は、捨てられずに修理に出されるなど、家族の一員として扱われる。高齢者施設では、本物の犬よりも要求が少なく、いつでも「オフ」にできるAIBOが歓迎される。ここに「何もないよりはまし」という発想が、「何よりもまし」という過大評価へと変わる瞬間が捉えられる。
第4章 魅了
幼児向けロボット「マイ・リアル・ベイビー」は、泣き止ませや授乳の世話を要求する。子どもたちはこのロボットに夢中になるが、それは「実際の赤ちゃん」の世話の疑似体験ではなく、自分が完全にコントロールできる関係に魅了されているのだ。著者は、この感覚が将来的に人間の乳児の世話能力を損なう可能性を危惧する。
第5章 共犯関係
MITメディアラボで開発された社会的ロボット「キスメット」や「レオナルド」との実験から、人はロボットの「身体性」「表情」「ケアの受け答え」を通じて、容易に「あなた」という存在をそこに構築してしまう過程を解明する。ロボットに対して怒りや失望を感じることさえ、関係を深める共犯関係となる。
第6章 失われる愛の労働
癒しのアザラシロボット「パロ」が高齢者施設で用いられる事例を検討する。パロは確かに高齢者の孤立を癒すが、その成功の裏で、人間の介護者が担うべき「愛情労働」がロボットに代替されていく危険性を指摘する。ロボットは「傷つけない」「去らない」という点で安心だが、それこそが人間関係の本質的な価値を見えにくくする。
第7章 交感
最先端のロボット研究が目指すのは、ロボットとの「交感」、つまり言葉を超えた身体的・感情的なつながりである。ダンサーとロボットアームの共演や、脳波で動く義手の例を挙げ、人はロボットと「一つになる」感覚に快感を覚えると論じる。これは、人間の身体性そのものがテクノロジーによって再定義されつつあることを示す。
第二部 ネットワーク化
第8章 常時接続
携帯電話とソーシャルメディアの浸透により、人々は物理的には一人でも、精神的には常にネットワークと「テザリング(つながれた)」状態になった。人々は待ち時間や退屈な瞬間をすべてスマホで埋め、自分の人生を「ライフ・ミックス」として編集・消費するようになる。時間の質が変容し、深い思索のための「何もしない時間」が消失する。
第9章 つながれて育つ
「テザリング」状態で育つ十代の若者たちの自己は、常に他者の視線を意識した「コラボレーティブ・セルフ(協働的自己)」となる。彼らはソーシャルメディア上で「アバター」のように自己を演出し、プレゼンテーション不安に苛まれる。親からは一歩離れたいが、完全な分離は怖いという、新しいタイプの思春期の葛藤が生まれる。
第10章 電話する必要はない
学生たちは、親との関係をテキストメッセージで管理することを好む。電話は「リアルタイムの侵入」であり、コントロールが効かない。一方、テキストは自分のタイミングで返信でき、感情を編集できる。しかしその結果、親子関係は情報交換に矮小化され、声のトーンや沈黙が伝える微妙なニュアンスが失われる。
第11章 縮減と裏切り
オンラインゲーム「セカンドライフ」などの仮想世界では、現実よりも「より良い自分」を演じることができる。しかし、画面上の関係は「テキストのみ」に縮減されており、対面関係の豊かさを裏切るものだとも著者は指摘する。人は仮想空間に逃避するが、そこでの関係性は結局のところ「管理可能なもの」に留まる。
第12章 本当の告白
ブログやSNSでは、見知らぬ大衆に向けた「告白」が日常化している。人々はこれを「正直になること」「カタルシス」と捉えるが、そこには真の親密さや応答責任は伴わない。タクルは、匿名の大衆に向けた告白は、親しい友人が示すような「赦し」や「共感」というプロセスをすっ飛ばした、危うい自己満足に過ぎないと警告する。
第13章 不安
プライバシーの概念が大きく揺らぐ。若者はプライバシーを「秘密を守ること」ではなく、「自分が情報公開をコントロールすること」と再定義する。しかし、常に晒されていることへの不安は大きく、人々は「見る/見られる」関係の中でストーカー的な不安と、自分がストーカーになる誘惑の両方を抱える。
第14章 若者のノスタルジア
デジタルネイティブの世代でさえ、常時接続の生活に疲れを感じ始めている。彼らは時として携帯を置き、対面で深く話し合う時間にノスタルジアを抱く。ある学生は大学内に「デジタル機器禁止の隠れ家」を作ろうとするなど、デジタルから距離を置く「Walden 2.0」のような動きが見られる。
結論
テクノロジーは私たちに「親密さの幻想」を売り込むが、それは真の親密さが持つ複雑さやリスクを排除したものだ。私たちはロボットに感情移入し、ネットで繋がることで「独り」であることを免れようとする。しかしその結果、私たちは人間関係の本質的な価値である「共にいても孤独を感じるリスク」や「傷つけ合う可能性」さえも手放してしまっている。
エピローグ
タクルは悲観論で終わらず、具体的な行動を促す。「会話」を取り戻すための提案がなされる。例えば、食事中はデバイスを置く、運転中は電話をしない、瞑想や散歩の時間を持つこと。重要なのは、テクノロジーを否定することではなく、その制限を知り、人間同士の無防備な対話の場を意図的に確保することだと説く。
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