What Is History, Now?

子供たちのために
目次
- 献辞
- タイトルページ
- ヘレン・カーによる序文
- プロローグ:ヘレン・カーとスザンナ・リップスコームの歩み
- 1. グローバル史が重要な理由ピーター・フランコパン
- 2. 歴史は映画化されるに値する理由アレックス・フォン・ツンツェルマン
- 3. 過去をクィア化することは可能であり、またそうすべきか?ジャスティン・ベングリ
- 4. 俗語史とは何か? サラ・チャーチウェル
- 5. 帝国史をどう書くか? マヤ・ジャサノフ
- 6. 栄光ある記憶 ダン・ヒックス
- 7. 障害史をどう書くか? ジェイプリート・ヴィルディ
- 8. 感情に歴史はあるのか? ヘレン・カー
- 9. 先史時代と古代史は知恵について何を教えてくれるだろうか? ベタニー・ヒューズ
- 10. チューダー朝イングランドの多様性が重要な理由 オニエカ・ヌビア
- 11. 女性の失われた人生をどう回復できるだろうか? スザンナ・リップスコム
- 12. 宗教の歴史をどう書くか? ミリ・ルービン
- 13. 家族史がなぜ重要なのかエミリー・ブランド
- 14. 博物館は過去への扉をどう開くか? ガス・カゼリー=ヘイフォード
- 15. 先住民のための空間を創出することが歴史を変える理由 レイラ・K・ブラックバードとキャロライン・ドッズ・ペンノック
- 16. 東アジアの過去が現在と未来を形作る理由(または、中国と日本を無視する危険性) ラナ・ミッター
- 17. 歴史は常に書き直されるべき理由 シャーロット・リディア・ライリー
- 18. 文学が歴史を形作る方法 イスラム・イッサ
- 19. 歴史、自然 シモン・シャマ
- 謝辞
- 寄稿者
- ヘレン・カーの他の著作
- 著作権
本書の要約
『歴史とは何か?今』は、E.H.カーの1961年の名著『歴史とは何か?』の出版60周年を記念して編まれた論文集である。本書は、カーの歴史に対する洞察を現代的視点から再考し、多様な歴史家の視点を提示している。カーが「歴史は過去と現在の対話である」と主張したように、本書も歴史を単なる事実の集積ではなく、解釈と主観性に満ちた学問として捉え直す。
特に注目すべきは、本書が歴史の周縁化された声—女性、有色人種、LGBTQ+、障害者など—に焦点を当てている点である。また、帝国主義、グローバル史、感情の歴史など、カーの時代には十分に発展していなかった分野における歴史研究の進展も示している。
本書は「歴史は私たち全員のものである」という強い主張を貫き、歴史が単に過去の出来事の記録ではなく、現在の社会的・政治的文脈の中で常に再解釈され、再構築されるものであることを強調している。歴史家ヘレン・カーとスザンナ・リップスコムの編集により、本書は過去の歴史理解の欠落を埋め、より包括的で多様な歴史観の構築を目指している。
歴史の書き方や解釈の仕方を問うことで、本書は現代社会における歴史の意味と目的についての深い考察を促している。特に「誰の歴史が語られるのか」「誰が語るのか」「何が省略されるのか」という問いは、今日の文化的・政治的議論の中心にある歴史認識の問題に直結している。
目次
献辞 タイトルページ ヘレン・カーによる序文 プロローグ:ヘレン・カーとスザンナ・リップスコームの歩み
- グローバル史が重要な理由 ピーター・フランコパン
- 歴史は映画化されるに値する理由 アレックス・フォン・ツンツェルマン
- 過去をクィア化することは可能であり、またそうすべきか? ジャスティン・ベングリ
- 俗語史とは何か? サラ・チャーチウェル
- 帝国史をどう書くか? マヤ・ジャサノフ
- 栄光ある記憶 ダン・ヒックス
- 障害史をどう書くか? ジェイプリート・ヴィルディ
- 感情に歴史はあるのか? ヘレン・カー
- 先史時代と古代史は知恵について何を教えてくれるだろうか? ベタニー・ヒューズ
- チューダー朝イングランドの多様性が重要な理由 オニエカ・ヌビア
各章の要約
ヘレン・カーによる序文
序文では、編者ヘレン・カーが曾祖父E.H.カーの遺産について語る。E.H.カーは1961年に『歴史とは何か?』を出版し、歴史学に革命をもたらした。彼は歴史を単なる事実の集積ではなく、解釈のプロセスとして捉えた。ヘレン・カーは本書を、カーの時代を超えた作品へのトリビュートであると同時に、歴史から排除されてきた人々へのオリーブの枝として位置づけている。本書は、歴史は万人のものであり、すべての歴史にスペースを創出することで、より深い過去理解への一歩を踏み出せると主張している。(188字)
プロローグ:ヘレン・カーとスザンナ・リップスコームの歩み
編者二人の個人的な歴史への入り口を描く。ヘレン・カーはメアリー・スコットランド女王の処刑に関する幼少期の記憶から始まり、城や古代遺跡への家族旅行が歴史への興味を育んだと述べる。スザンナ・リップスコムは、17世紀にさかのぼる父方の家系や、家族に伝わる品々を通じて歴史に触れた。二人は、現代のイギリスで展開する歴史と記念碑をめぐる論争を取り上げ、歴史が単なる過去の記録ではなく、現在の理解と将来の展望を形作るものだと論じている。(198字)
第1章 グローバル史が重要な理由(Why Global History Matters)
本章では、「グローバル史」の定義と重要性が論じられている。フランコパンによれば、グローバル史とは単に地理的視野を広げるだけでなく、これまで無視されてきた地域や文化の歴史を包含し、文明間のつながりを探求する学問である。従来の歴史学がヨーロッパ中心的な視点に偏ってきたことを指摘し、この偏向を修正する必要性を説く。グローバル史は、異なる文明間の交流や影響関係を明らかにし、歴史理解の空白を埋める手段となる。また、過去の出来事を単一の文化圏の視点からではなく、複数の視点から検証することの重要性も強調している。(193字)
第2章 歴史は映画化されるに値する理由(Why History Deserves to be Filmed)
歴史映画は創設以来論争を引き起こしてきた。批評家は映画が歴史を歪曲すると非難するが、実証研究は映画の影響が限定的であることを示す。1991年の『JFK』は陰謀論者の割合にほとんど影響を与えなかった。映画は暗い歴史を照らし、博物館訪問や歴史書販売を促進する。また、批判的思考を養う教材として有用だ。表現の自由と歴史保護の衝突は、検閲より教育で解決すべきである。現代のデジタルメディア環境では、正確な事実より批判的思考力を養うことが重要であり、歴史映画はその一助となる。(200字)
第3章 過去をクィア化することは可能であり、またそうすべきか?(Can and Should We Queer the Past?)
過去のクィア化とは、現代のLGBTQ+のレンズを通して歴史を見直すことではなく、過去の多様なセクシュアリティと性自認の複雑さを認識することである。「クィア」という用語は時代により異なる意味を持ち、歴史的文脈で理解する必要がある。中世のモリーハウスの住人や18世紀の女性同士の関係など、現代のカテゴリーに簡単に分類できない複雑な性の歴史がある。過去のクィア化は、歴史から消されてきた声を回復し、人間経験の多様性を認識する手段である。これにより、私たちは自分たちの性に関する概念の歴史的相対性を理解できる。(199字)
第4章 俗語史とは何か?(What is Vernacular History?)
俗語史は言語や文化の民衆的表現を通じて歴史を探求する方法論である。テキストの表面的意味を超え、「行間を読む」ことで隠された文脈や意味を解読する。この方法は公式記録から排除された声や物語を回復し、神話化された歴史に挑戦する。例えば、アメリカ内戦の文化史は文学作品を通じて理解でき、『風と共に去りぬ』から『パラサイト』までの文化的影響を辿ることができる。俗語史は単なる事実の羅列ではなく、社会がどのように自らを理解し表現してきたかを探る。時に神話も含む俗語史は、社会の自己認識を明らかにする重要な手段である。(199字)
第5章 帝国史をどう書くか?(How Should We Write Imperial History?)
帝国史は急速に変化している分野である。カーが批判した古い帝国史観は、西洋の「拡大」を讃え、植民地化された人々の視点を無視していた。現代の帝国史は、このような一方的な見方に挑戦し、帝国が持つ多様な形態や、植民地の人々の主体性、抵抗、協力などの複雑な側面を探求している。特に重要なのは、イギリス帝国崩壊期の「移送されたアーカイブ」に代表される、意図的に隠蔽された歴史文書の発見である。これらの新たな証拠は、帝国の「平和的移行」という神話に挑戦している。帝国史は単なる「興隆と衰退」の物語ではなく、継続的な権力構造と遺産の探求を含むべきである。(196字)
第6章 栄光ある記憶(Glorious Memory)
著者は幼少期の記念碑や像との出会いから始め、これらが歴史理解をどう形成するかを考察する。第一次世界大戦やボーア戦争の記念碑が「栄光ある記憶」を称える一方、E.H.カーは歴史を単なる記念ではなく解釈のプロセスと見なした。近年のコルストン像撤去などの議論は、記念碑が中立的事実ではなく特定の歴史観を固定化する政治的手段であることを示す。歴史家と考古学者は協力して「歴史の行間」を読み、記念碑に表現されない物語を発掘すべきだ。歴史書は記念碑のように機能することがあり、過去の声を聞きつつ現在の課題に対応できる柔軟なアプローチが必要である。(197字)
第7章 障害史をどう書くか?(How Should We Write Disability History?)
障害史は単なる医学的観点や「克服」の物語を超え、障害者の経験と主体性を中心に据える。歴史的に障害は常に人間経験の一部だったが、その理解は時代と文化によって変化してきた。ダニエル・キッシュのエコロケーションの例は、障害に対する現代の期待と可能性を示す。障害の概念自体は比較的新しく、産業革命と資本主義の発展により「生産性」の観点から定義されるようになった。障害史は交差性を認識し、障害者を支援技術の開発者や革新者として捉え直す。障害をどう理解するかは、社会がどのような価値を重視するかを反映している。障害史を書くことは、包括的で多様な歴史理解を構築する重要な一歩である。(194字)
第8章 感情に歴史はあるのか?(Do Emotions Have a History?)
感情は歴史研究において長らく「大いなる沈黙」の領域だった。感情という概念自体が19世紀初頭のトーマス・ブラウンによって導入された比較的新しいものであり、それ以前は「情動」や「情熱」という用語が使われていた。ポール・エックマンのような心理学者は感情の普遍性を主張する一方、歴史家は感情表現の文化的・時代的相対性を指摘する。中世の宗教的感情や14世紀の「ダンス・ペスト」、18世紀の「ウォルフ将軍の死」の絵画に見られる集団的感情など、過去の感情表現は現代とは異なる文脈で理解する必要がある。感情の歴史研究は、過去の人々の内面生活への窓を開き、人間存在の普遍性と特殊性の両方を照らし出す。(199字)
第9章 先史時代と古代史は知恵について何を教えてくれるだろうか?(What Can Prehistory and Ancient History Teach Us about Wisdom?)
歴史の語源「historiā」は古代ギリシャ語で「合理的探究」を意味し、過去の研究よりも探究の方法を指していた。著者はホメロスやギルガメシュなど古代の叙事詩を通じて、記憶が知恵の源泉だったことを示す。古代では女性も知恵の守護者だったが、文字の普及と社会の軍事化に伴い、女性の声が歴史から消されていった。歴史理解には没入型アプローチも必要で、ヘロドトスのような「埋め込まれたジャーナリスト」の手法が有効だ。現代の歴史学は専門分野の境界を超え、記憶と想像力を活用した「知恵を選ぶ未来の盟友」となるべきである。(189字)
第10章 チューダー朝イングランドの多様性が重要な理由(Why Tudor England Diversity Matters)
チューダー朝イングランドの歴史は白人中心に描かれ、アフリカ人は「他者」「異邦人」「奴隷」として周縁化されてきた。しかし、新研究はアフリカ人がイングランド社会の重要な一員だったことを示している。人種法が制度化されたのは17-18世紀であり、それ以前の地位は主に社会的立場や家柄で決まっていた。ウォリックシャーのヘンリー・アンソニー・ジェットの例は、アフリカ人が土地所有者として選挙権を持ち、コミュニティで尊敬される存在だったことを示す。エリザベス1世の一部政策はアフリカ人排除を試みたが、成功しなかった。チューダー朝の多様性を認識することは、イギリスのアイデンティティ理解を豊かにする上で不可欠である。(193字)
第11章 失われた女性の命を取り戻すには?(How to Recover Lives of Lost Women?)
歴史記録から長く排除されてきた女性の生活を再構築する方法について論じている。従来の史料では女性は周辺的か不可視化されていたため、「逆らって読む」(against the grain)技法や、日記、手紙、法廷記録など非伝統的資料の活用が必要だと説く。また、断片的証拠から女性の主体性を再構築する際の方法論的・倫理的問題や、女性の声の「回復」と創造的再構成のバランスについても検討。さらに、「共感的想像」の役割や、女性を単に犠牲者としてではなく能動的行為者として描く重要性も強調している。女性の歴史を回復することは、より公正で包括的な歴史叙述への貢献である。(199字)
第12章 宗教の歴史をどのように書くか?(How to Write a History of Religion?)
本章は宗教現象の歴史的研究における変化と方法論を考察している。従来の宗教史が教義や制度に焦点を当てていたのに対し、現代の研究は宗教的実践の社会的・文化的・物質的側面を重視する。宗教を「文化システム」として分析する人類学的アプローチや、日常的な宗教実践、男女の異なる宗教経験、物質文化と宗教の関係などの研究の発展を論じている。また、西洋中心主義を超えた多様な宗教伝統の研究、宗教的「他者」の表象批判、そして研究者自身の立場性の問題も取り上げられる。宗教史は信仰内容の真偽ではなく、その社会的意味と機能を探求する分野である。(200字)
第13章 家族史が重要な理由(Why Family History Matters)
家族史は単なる系図学や趣味的研究ではなく、社会構造、アイデンティティ形成、権力関係などを理解する重要な視点を提供する学問分野である。本章は、家族史研究の歴史的発展と方法論を概観し、家族を通して階級、ジェンダー、人種、移民などの広範なテーマを探求する可能性を示している。また、個人的記憶と集団的記憶の交差点としての家族の役割、家族史と国家アイデンティティの関係、そして家族史を通じて「大きな歴史」と「小さな歴史」を結び付ける方法なども論じている。家族史は過去との個人的つながりを提供するとともに、現代社会の自己理解にも寄与する。(196字)
第14章 博物館はどのようにして過去への扉を開くことができるのか?(How Can Museums Open a Door to the Past?)
博物館が単なる「もの」の保管庫ではなく、過去と現在を結ぶ対話の場となる可能性を探る。本章は、植民地主義的収集の歴史から、より包括的で対話的な現代の実践への移行を論じている。特に、展示を通じて多様な声を表現する方法、物質文化を通して無文字社会の歴史を語る手法、来館者が過去と主体的に関わる仕掛けなどを検討。また、帝国主義的収奪に由来するコレクションの返還問題や、コミュニティと協働して「共有された権威」を構築する新たなアプローチなども扱う。博物館は過去の解釈を固定するのではなく、複数の視点からの批判的対話を促進する場となりうる。(196字)
第15章 先住民のための空間を作ることで歴史が変わる(How Making Space for Indigenous People Changes History)
本章は先住民の歴史を中心に据えることの重要性と、それが歴史学全体に与える影響を論じている。植民地主義的歴史叙述が先住民を「過去の人々」や「消えゆく人種」として描いてきたのに対し、現代の先住民は自らの歴史を「生きた継続性」として捉えている。文字資料と口承伝統、西洋的時間観と先住民の循環的時間観、学術的「客観性」と共同体の知識など、異なる認識論の対話の必要性を説く。また、先住民自身による歴史記述(Indigenous historiography)の発展や、植民地アーカイブを「逆らって読む」方法も検討される。先住民の視点を取り入れることは、より豊かで複雑な歴史理解をもたらす。(199字)
第16章 東アジアの過去が現在と未来を形作っている理由(あるいは、中国と日本を無視することは危険である理由)(Why East Asia’s Past is Shaping Its Present and Future (or Why it is Dangerous to Ignore China and Japan))
西洋が東アジア特に中国と日本の歴史を十分に理解せずにきた危険性を指摘している。本章は第二次世界大戦の異なる記憶が現代の東アジア政治を形作っていること、西洋と東アジアでは「同じ」戦争の認識が大きく異なること、そして日中間で共有された歴史認識が欠如していることを論じる。また、中国の歴史的自己認識が「世界秩序の創設者」としての役割を含むこと、日本の戦後アイデンティティが経済発展と結びついていることなども分析。「グローバル化」時代においても、地域の歴史的文脈を理解せずに国際関係を把握することは不可能である。(198字)
第17章 なぜ歴史は常に書き直されるべきなのか(Why History Should Always Be Rewritten)
歴史の「書き直し」が歴史の否定ではなく、より豊かな理解への不可欠なプロセスであることを論じている。本章は「歴史」と「過去」の違いを明確にし、歴史が常に解釈と選択を伴う構築物であること、そして新たな視点や方法論、資料の発見によって歴史理解が変化することの重要性を説く。また、従来無視されてきた女性、有色人種、労働者階級などの声を取り入れることの意義や、歴史記念碑の撤去・再検討が過去の抹消ではなく再評価であることも論じている。歴史は単なる「事実」の集積ではなく、現在と過去の継続的対話であり、それゆえ常に再解釈される必要がある。(199字)
第18章 文学が歴史を形作る方法(How Literature Shapes History)
文学と歴史の複雑な相互関係を探求している。文学作品は単なる歴史的資料ではなく、過去の認識を形作り、時に歴史そのものを創造する力を持つ。例えば、古代アラビアの詩がその時代の主要な歴史記録となり、シェイクスピアの『リチャード三世』が実在の王についての一般的イメージを形成した例などが挙げられている。また、文学の受容・解釈が時代や文化によって変化し、その変化自体が歴史的研究対象となること、そして文学作品の主観的読解が集団的記憶や国家アイデンティティの構築に影響することも論じられる。文学は歴史を記録するだけでなく、歴史そのものを創造する力を持っている。(197字)
第19章 当然のことながら、歴史(Naturally, History)
環境史の意義と可能性について論じている。従来、歴史は人間中心に語られ、自然は受動的背景として扱われてきたが、環境史は自然を能動的な歴史的行為者と見なす。本章は、気候変動、生態系の変化、自然災害などが人間社会をいかに形作ってきたかを示し、同時に人間の活動が自然環境に与えてきた影響も検討する。また、自然と人間の二項対立を超え、両者の複雑な相互作用を理解する必要性や、環境史が現代の気候危機への洞察を提供しうることも論じている。環境史は「人間だけの歴史」という限定的視点を克服し、より包括的な過去理解への道を開く。(197字)
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