根本原因という砂上の楼閣

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<古代の象の寓話>

6人の盲人が、象とは何かと聞かれた。

足を触った盲人は「柱のようです」と答えた。

尾を触った盲人は「綱のようです」と答えた。

鼻を触った盲人は「木の枝のようです」と答えた。

耳を触った盲人は「扇のようです」と答えた。

腹を触った盲人は「壁のようです」と答えた。

牙を触った盲人は「パイプのようです」と答えた。

それを聞いた王は答えた。

「あなた方は皆、正しい。あなた方の話が食い違っているのは、あなた方がゾウの異なる部分を触っているからです。ゾウは、あなた方の言う特徴を、全て備えているのです」

 

ja.wikipedia.org/wiki/群盲像を評す

変遷し続けるアルツハイマー病の原因

アルツハイマー病の原因が何かという推定は100年変遷し続けている。

アルツハイマー病の歴史 イコール アルツハイマー病原因の変遷の歴史とも言える。

 

アルツハイマーという病気が名付けられてからの数十年間は、動脈硬化が原因だと言われてきた。

1940年になると、脳卒中を繰り返した結果と考える研究者があらわれた。

20世紀中頃には、生物学的要因ではなく社会的な要因が関わっているのではと推測され、1960年代に入って、プラーク(アミロイドβの集積)とタングル(タウの集積)が密接に関連する因子だとされ、現在にまで続くタウ信者とアミロイドβ信者の対決が始まる。

その後数々の研究結果でアミロイド仮説は色あせてきたものの、これまでの認知症薬のターゲットはそのほとんどが抗プラークを中心としたものでもある。

現在ではアミロイドβもタウタンパクも中心的な役割は担っているものの、直接的な原因だとは考えられていない。

アルツハイマー病の仮説あれこれ

・アセチルコリン仮説

・タウタングル仮説

・感染症原因仮説

・アルミニウム原因仮説

・インスリン分解酵素仮説

・ミトコンドリア酸化ストレス仮説

・真菌感染仮説

・オリゴマー仮説

・タンパク質のミスフォールディング仮説

なぜアルツハイマー病薬の試験は失敗するのか。

www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/24210593

最近はAPPをN末端で切断するβセクレターゼをターゲットにした研究に移っているらしい・・

アルツハイマー型認知症の生化学

ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%84%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%BC%E5%9E%8B%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E7%97%87%E3%81%AE%E7%94%9F%E5%8C%96%E5%AD%A6

原因とは何か

ある事象が起きたとき、その本当の原因が何であるかというのは、なかなか奥が深い問題だったりする。

例えばあるテロの事件が起きた時、テロ実行犯がそのテロを起こした原因とも言えるが、そのテロ犯を捕まえて阻止ししても、また別の場所でテロが起きれば、異なるレベルの原因というものを考えるべきだろう。

そこで実行犯ではなく、テロの拠点をつぶすことがテロより根本的な解決だと考えてつぶすが、それでもなくならない。今度は、テロを指揮するやつをやってけなければダメだと思って、指導者をターゲットにする。

そこでウサマ・ビンラディンみたいなやつを殺す。だが、ご存知のようにウサマ・ビンラディンが殺された後も、各地でテロは起こっている。

その意味においてテロが起こる起因は、そういった個別の人物や出来事にあるわけではなく、宗教、戦争、貧困や政治的混迷と、もっと根深い問題から端を発しているからだ。

真の原因 vs 役立つ原因

ただ、これは必ずしもそういった「背景にある事象が真の原因だ」的なことを言おうとしているのではない。自然現象における原因というものは、もっと多層的に連なっているにすぎず、それぞれのレベルから見た原因と見なされるものが、それぞれの階層に存在するというだけのことにすぎない。

この場合大事になってくるのは、何が「真の原因か」という形而上学的な話ではなく、「どのレベルから原因を眺めることが効果的に問題を解決するのか」という、原因の切り取り方の適切さの問題になってくる。

「認知症の原因は何か?」という問いも、どのレベルで原因を眺めれば、より多くの患者を救えるか、ということにはなりはしないだろうか。

因果関係と相関関係

科学の教説などでよく、因果関係と相関関係を区別せよ、といったことが書かれてあったりする。

持ち出される例に、交番が多い地域では犯罪が多いというのは、これはたしかに交番が多いから犯罪が増えたわけではなく、犯罪が多い → 交番が増えた という因果関係が成り立つ、といった記述があったりする。

しかし、そもそも自然現象全体を眺めると、因果関係が明確に特定できる現象のほうが少ない。

 

例えば、今この記事を見ている方は、この記事を見る前から認知症やアルツハイマーなどの病気についてそれなりに詳しく調べたり、興味を持たれていた方が多いと思う。

そこで、一般的には認知症に興味がある → この記事を見る。という因果関係が成り立つ。

しかし一方で、この記事やサイトをたまたま見始めて、認知症に興味を持ち始めた、もっと深く調べようという気になった、ということも、十分に考えられるだろう。

そうなると

この記事を見る → 認知症に興味をもつ という因果関係も成り立ちうることになる。

因果関係と相関関係は確定的なものではない

このように、もともとは一方通行だった因果関係が繰り返されることで、相関関係に転じてしまう、または因果関係が増強し合うという現象も少なくない。

因果関係と相関関係をごちゃごちゃにしている人に対して、それらを区別せよ、というお説教は有効だろうが、因果関係自体は世界の事象を現したものではなく世界の見方のツールにすぎないし、そのツールが有効ではない事象があることが見えていないのではなかろうか。

 

ちなみにイタイイタイ病とカドミウムの関係は生理学的にはまだ因果関係が立証されていないらしい。そのことで公害を拡大させることとなったとも書かれている。

ja.wikipedia.org/wiki/イタイイタイ病

生化学の尺度は絶対なのか?

では生化学の世界ではどうなのか?

一般に医療研究の世界では、代謝の動きを川の流れに例えて、上流下流という考え方の元に因果関係を明確化しようとしたりする。これは分子化合物一個を、ひとつのたんぱく質追っていると確かにそう見える。

また、生命の進化には非常に多くの漸次的な段階があり、そのつどその局所内において進化発達していったせいだと思うが、身体は局所性の積み重ねのようにも見えるし、社会ほどの流動性を持つことはできないようにも見える。

 

しかし、それはどこまでもミクロ視点で眺めるがゆえに、そう見えてしまうということはないだろうか。

仮にアミロイドβが上流のトップにあるという考え方がそのスケール、生化学的なスケールにおいては正しくても、俯瞰的には間違っている可能性、そしてマクロスケールでの視点がより適切であるという可能性はないのだろうか。

 

アルツハイマー病の原因をいわば工学的に特定しようとすること自体の意義を否定するつもりはないのだが、病気には根本原因という比重の高い疾患と、そうではない、要因がもっと複雑で多岐にわたっている疾患というものがあり、現代医学ではその区別をつけた治療戦略だったり、臨床試験のデザインというものがされていない。

 

www.bioregulatory-systems-medicine.com/en/brsm-model/biological-communication-across-multi-scale-networks

実践的な原因追求

例えば、テロの犯罪をなくそうと現実的に考える時、犯人を捕まえることばかりにこだわって、背景的な要因に目を向けないと現実的な解決策にはならないだろう。

テロ事件が近日中に起こるという情報をキャッチしたのなら、当然そのテロ実行犯を捕まえることが先決だ。しかしそいつを捕まえたからといって、他でテロが発生しないということにはならない。

 

根本的な解決ではないかもしれないが、実践的な解決策というのは、目の前のテロ犯人を捕まえつつも、入国管理を強化するとか、拠点を作らせないようにするとか、さらに言えば政治的合意だとか、宗教や貧困の問題とかも含めて改善をはかっていくことじゃなかろうか。

 

テロに限らないが、多くの社会的課題(複雑な事象)は、ひとつの革命的なアイデアで解決されるわけではなく、効果があると思われる解決策を地道に複合的に講じることが、もっとも現実的であり、実際に行われている方法である。

※くどいようだが、原因を探そうとする行為自体は、より詳細に身体のメカニズムを明らかにするとか、選択と集中を高めるとかいった多くの点で有用だろう。だがそれは他の事は何もしなくていいということを意味しない。

還元主義の全否定ではない

テロと疾患を一緒くたにする比喩は乱暴だという考えがあると思う。また、身体のメカニズムは社会の流動性よりは、もっと局所的な作用の仕組みをベースにした働きをしているという意見もあると思う。

実は部分的には賛同できるところもあって(笑)、身体の働きは、分子構造(宇宙のどこへ行こうと炭素原子の構造は変わらない)からその働きが始まっているため、社会の中で起きている複雑な現象よりは、もう少しメカニカルな動きをしていると思っていて、身体に関しては自分もある程度還元主義的な見方をしている。(あくまで相対的にはという前提だが)

また、これまで天然痘や感染症など多くの疾患に対して、ターゲット的な手法で治療の成功を収めてきた歴史があることも確かだ。

 

だがしかし、そういう単一的な局所性で捉えた戦略が、現にアルツハイマーの臨床試験でずっと失敗続きなのはなぜなのだろうか?

他の疾患と比べてもアルツハイマーの承認試験失敗率は異常に高い。

これは本当に単に根本原因を見つけていないだけだからなのだろうか?

 

「ワトソンくん、きみにもすべてが見えているんだよ。それなのに見たものから推理をしていない。大胆な推論を建てようとしていないんだ」

コナン・ドイル シャーロックホームズ

教条主義的な「根本原因」という考え方

ここで、私がアルツハイマーの根本原因がもっと多くの要素で成り立っている、という主張をしているように思われている人もいるかもしれない。

そうではなく、(それもなくはないが)「根本原因は何なんだ」というような考え方自体が問題をミスリードしているんじゃないかとも思っているのである。

 

例えば根本原因というものがあるとしても、それらが単に複合的であるだけでなく、

局所的な要因と多面的な要因が、もっと入り組んでいる可能性も考えられると思っている。

病気のステージによって分子レベルでの根本原因が変化する可能性

それとか人によって根本原因の比重が違う可能性だって、ありはしないだろうか。

そこまで流動的な要素を含むとすれば、原因は複合的だとさえ言えず、あるのは強い相関関係だけで、根本原因という言葉の定義が成り立たなくなるのではないかと思うのだ。

 

 

 

www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0028390813003195

ツールとしての原因追求

まあ、仮に根本原因というものがあったとしよう。あると仮定した上で、例えばテロが起きた時に、テロの真の原因は何なんだと探って、その原因が見つかるまで他の対策はとらない、ということは考えられないはずだ。

別の言い方をするなら、「根本原因という考え方はツールに過ぎない」ということかもしれない。

製薬会社も作用機序がわからずに行動はとっているのだが、それが、特定の原因を解明してやるという考え方に縛られて、単一的な薬剤でなんとかしようとするものだから、自分から見ると、治験対象の人たちが人体実験になってしまっているようにしか見えない。

一つの方法でテロを防ぐ方法はありうるだろうか?

今の社会の仕組みの中で、テロの問題を根本的に解決する方法はおそらくないだろう。(完全な監視社会が実現すれば別だが、、そしてアルツハイマー病の根治薬が仮に発明されるとしたら、それに近いようなものになると思う。)

現実的にテロの問題を解決するには、犯人を捕まえるだけでなく、前にも書いたように入国管理を厳しくするとか、テロが起こる可能性の施設の警備を強めるとかいったことしかないはずだ。

そして、そういったことを地道に積み重ねていけば、ひょっとするとテロ犯人もテロを起こすことを諦め、実質的にテロが起きない社会、またはあってもダメージを最小限に抑えることができる社会は可能であるように思う。

日本では、少なくとも現状そのことによって成功しているとは言っていいと思う。

 

問題を解くための時間が1時間あり、私の人生がその答えにかかっているのだとしたら、私は正しい問いを考えることに55分を使う。正しい問いがわかれば、5分以内で問題は解決できるだろう。

アルバートアインシュタイン

テロを防ぐようにアルツハイマー病を防ぐ

ブレデセンプロトコル(リコード法)は、末期の患者を改善することはできないことから、根本的解決ができる治療法であるとは”現時点では”言えない。

そこで、対症療法にすぎないという批判もあると思う。

※既存の薬を大きく凌ぐ最強の対症療法ではあるが。

しかし、まだ始まったばかりのリコード法、もっと言えばリコード法に潜む本質的な考え方が広まり、プログラム自体も改善されつづけてゆき、そういった治療の仕組みが広がれば、あるレベルまでは実質的に解決がついたのと同じ立場につくことは原理的には可能だと思う。

あるレベルまでというのは、神経細胞の完全回復は、リコード法であろうと現在研究されている最先端の薬であろうと原理的な難しさを抱えており、その実現には極めて核心的な仕組みの治療方法が必要であるためだ。

考え方としてのリコード法

そういったことから、私はリコード法の個々の要素よりも、リコード法のもつ考え方のほうが重要だと思っている。

正確に言えばイデオロギーからスタートするのではなく、個々の要素をそれぞれ追求していった結果、たどりつく思想としてのリコード法に価値があると思っている。(残念ながら私にはその能力はない。)

リコード法自体も、臨床検査値項目やそれに対する治療法が進化を続けており、そういったことにも従来の治療法とは大きく違う特色がある。

アミロイド標的はいいとしてもその下流で生じた障害は?

あと、もうひとつ、標的にこだわる治療への違和感というか疑問を付け足したいのだが、

原因がオリゴマーなのかアミロイド繊維なのかわからないが、それらにより引き起こされた脳内のネットワークのダメージは、原因の除去によって本当に回復するのだろうか?

これが感染症のようなものであれが、病原菌をやっつけてしまって、後は身体の回復能力によってある程度は自然と回復していくだろう。

脳の場合、仮にオリゴマーが根本原因であってそれを除去することに成功したとしても、一度受けた神経細胞のダメージは、普通の細胞のようには回復するとは思えない。

 

これにはこれで普通に考えて、別に手当が必要だろう、しかしそれに関する研究というものは手当というよりもそれぞれの研究者が標的として捉えているため、上流の標的と組み込んで行うという発想がそもそもない。。

おそらく成果が上がりにくいといったこともあるのだろう。IPS細胞はそれに該当すると思うだがまだ先の話しだろう。

 

複雑なシステムは、短期的には統計的に有意でない要素によって支配される。

社会生態学者 ドラッカー

工学的アプローチの限界

こういう複雑系、ネットワーク系ほど暗中模索的に多方面からアプローチしないと、効果が出ないので、作用機序がある程度特定できるのであれば、あまり個々のエビデンスにこだわらずにやってみるべきだ。今の専門家だと、こんなことざっくりしすぎて言えないだろう。(笑)

しかし、認知症が多因子疾患だったとすればそれこそが正しい方法だ。

有意差という曲者

例えば、シートベルトの着用義務をドライバーに課した結果、交通事故の死亡率が間違いなく下がっており、有意差もついてくるだろう。

それはシートベルトと死亡リスクに一対一の対応関係があるからだ。

しかし認知症が多因子である可能性を、社会の事象として類比するなら、シートベルトの着用義務をした結果、社会全体の死亡率が下がったかどうかをエンドポイントにして判断を下すようなものだ。

これは、つまり、死亡原因は当然、交通事故だけでなく、病気、自殺、災害等多くの要因がからむ。そのため、シートベルト着用義務によって間違いなく交通事故の死者を減らしたにもかかわらず、他の原因による死者が圧倒的に多いため、助かった生命は統計的に眺めると埋もれてしまいかねない。

薬剤の有効性にしても、疫学的に何かの毒性を判断したりするときでも、変数、交絡因子が多いケースではこういった問題が常につきまとう。

街灯効果

また、テロの比喩でいうなら、おそらく入国管理を厳しくするとか、犯罪者を直接捕まえるとか、直接的であればあるほど、テロの減少が明確にエビデンスとして現れることになると思う。

それとは対称的にテロを根本的になくそうと貧困問題と関係するところから取り組んだとすると、テロが有意差をつけて減少することは数年のスパンではまず起きないだろう。

 

これはEBMの原理的な問題というよりも、かけれるリソースの問題である気もするが、現実に研究資源に制約がある以上、それを前提として考えていくしかない。

いずれにしても多くの臨床試験は短期的であらざるをえないため、有意差がはっきりとつきやすいものほど治療が直接的であり、根本的な治療ほど(研究リソースに制限のある臨床試験で)有意差に反映されにくいという傾向が出てくるのではなかろうか。

組み合わせ療法などは厳格にテストしようとすると、指数関数的な増大を示すため、(一ヶ月後の天気予報が実際には予測できないという意味で、)エビデンスの原理的な問題と言えるかもしれない。

 

www.sciencedaily.com/releases/2016/07/160711155535.htm

 

雑感まとめ

・根本原因という考え方で自然現象の事象説明ができるものは一部である。

・特定の原因を究明するという考え方が馴染む疾患と、そうでない疾患の区分はできているのだろうか?アルツハイマーは後者だろう。

・分子レベルでの原因究明しようとすることと、実践的な治療方法は必ずしもイコールではない。

・根本原因を見つけるぞーばかりで、神経細胞を修復していくことへの研究が、ほとんどといっていいほどされていない。(つまり将来認知症を治す治療法が見つかったとしても、それはすでに進行してしまっている患者さんの進行抑制はありえても回復にはつながらない)

・アルツハイマーが(オリゴマーやアミロイド繊維などの)単一的な要素からではなく、(代謝障害などの)ネットワークの乱れから生じるのであれば、それらを修復または改善するには、こちらも単一薬剤ではなく(複数の投薬、運動、食事など)ネットワーク的に対応していかなければならないのではなかろうか。

・ネットワークの乱れをもたらす個々の項目を単一的に改善しても、ネットワーク全体が改善するとは限らない。本当は有効だった治療法が、現代の単一的に測ろうとする臨床試験の仕組みによって振り落とされてしまっている可能性がある。

・治療法の組み合わせることができるパターンはとんでもない数になり、厳密な答えを出そうと思えば臨床研究は不可能になる、臨床試験のあり方に不備があるというよりも、今の臨床試験の実証主義的な性格の問題かもしれない。

・一言で言うと、「もうちょっと柔軟に考えれないの?」ということになるかもしれない。(笑)

・ついでに言うと国や研究機関、製薬会社が柔軟に考えられないのなら、後は個人の活動でそのすき間を埋めていくしか無いと思っている。

・仕組みの側が変えられないのなら、せめてそういう「個人の活動がすき間を埋めることが可能だ」という認識が広がってほしいなと少し思っていて、本当はそれらが個々の具体的な策よりも伝えたいことかもしれない。

 

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