
英語タイトル:『The Practice of Everyday Life』Michel de Certeau 1984
日本語タイトル:『日常的実践のポイエティーク』ミシェル・ド・セルトー 1984
https://note.com/alzhacker/n/necac09f7114f
目次
- 序論 / General Introduction
- 第一部 きわめて日常的な文化 / A Very Ordinary Culture
- 第1章 共通の場所:日常言語 / A Common Place: Ordinary Language
- 第2章 大衆文化:日常言語 / Popular Cultures: Ordinary Language
- 第3章 「やりくり」:使用と戦術 / “Making Do”:Uses and Tactics
- 第二部 実践の技術に関する理論 / Theories of the Art of Practice
- 第4章 フーコーとブルデュー / Foucault and Bourdieu
- 第5章 理論の技術 / The Arts of Theory
- 第6章 物語の時間 / Story Time
- 第三部 空間的実践 / Spatial Practices
- 第7章 都市を歩くこと / Walking in the City
- 第8章 鉄道の移動と収容 / Railway Navigation and Incarceration
- 第9章 空間の物語 / Spatial Stories
- 第四部 言語の使用 / Uses of Language
- 第10章 書字の経済 / The Scriptural Economy
- 第11章 声の引用 / Quotations of Voices
- 第12章 読み物としての密猟 / Reading as Poaching
- 第五部 信じるための方法 / Ways of Believing
- 第13章 信じることと信じさせること / Believing and Making People Believe
- 第14章 名づけえぬもの / The Unnamable
- 不定形のもの / Indeterminate
本書の概要
短い解説:
本書は、日常的な営み——歩くこと、読むこと、料理すること、住まうこと——を「消費」としてではなく、支配的秩序の内部で創造的に「使いこなす」実践として捉え直す。ド・セルトーは、権力の戦略に対して、弱者がその場で巧みに紡ぎ出す「戦術」の知恵を理論的に明らかにする。
著者について:
ミシェル・ド・セルトー(1925–1986)はフランスのイエズス会士、歴史家、哲学者。神秘主義史、歴史認識論、日常文化の研究で知られる。パリ第8大学などで教鞭をとり、学際的な視点から「日常」という領域を思想史・人類学・言語学の交差点に位置づけた。
テーマ解説:
- 消費者の生産性:消費者は受動的ではなく、与えられた商品や空間を自分のものに作り変える創造的な実践者である。
-
戦術と戦略:支配的な「場所」を持つ権力の戦略に対し、場所を持たない弱者は時間と機会を駆使する「戦術」を用いる。
-
日常的実践の論理:歩行・会話・読書・調理といった行為は、それ自体が一種の「語り」であり、意味生成の形式を持つ。
キーワード解説:
- 戦術:場所を持たない主体が、支配者の空間をすり抜けながら用いる狡知と偶然の技。
- 戦略:固有の場所を拠点に、空間を支配し全体を視野に入れる権力の計算。
- 歩行のレトリック:都市空間を歩くことは、一種の「発話行為」であり、修辞的技法を含む空間の実践である。
- 書字の経済:近代社会は書字を中心に組織され、声や身体を排除するが、そこから逸脱する実践も生まれる。
- 読書は密猟:読者は著者のテクストを横断し、その意味を奪い取る「密猟者」である。
- 物語の空間性:物語は移動の形式であり、場所を生産・変形させる実践的な力を持つ。
要点要約
本書は、日常的実践を「受動的な消費」ではなく、創造的で狡猾な「生産」として捉え直すことを目的とする。ド・セルトーは、テレビ・都市空間・スーパーマーケットなど、支配的な生産システムが提供するものを、人々がどのように「使いこなし」、そこに自分の意味や欲望を織り込んでいるかを問う。この問いは、フーコーやブルデューの理論を批判的に継承しつつ、権力の戦略に対抗する「戦術」の概念を中心に展開される。
戦略は、固有の場所(学校・軍隊・企業・都市)を持つ権力の計算である。それに対して戦術は、場所を持たない者が、支配者の領地の中で機会を捉え、時間を味方につけて行う狡知の技である。日常の歩行・会話・読書・調理・住まいといった行為は、すべてこの戦術的な性格を持つ。ド・セルトーはこれらの実践を「日常的創造性」の舞台として描き出す。
さらに本書は、空間実践と言語実践を相互に照らし、都市を歩くことは「発話行為」であり、読書は「密猟」であり、物語は空間を組織する移動の形式であることを示す。近代社会が書字を中心に編成されるなかで、声や身体に根ざした実践は周縁化されるが、それらは書字の内部で引用や逸脱として甦る。最終的にド・セルトーは、信じること・死・主体の問題を問い直し、日常的実践の理論が、技術的合理主義に抗する「不定形のもの」への眼差しであることを示す。
各章の要約
序論
ド・セルトーは本書を「消費者」の創造的実践を明らかにする探究と位置づける。日常的実践は、統計や生産システムの分析では捉えられない「使用の仕方」の問題である。言語学における「発話」のモデルを手がかりに、歩行・調理・読書などの非言語的実践も、それ自体が意味生成のプロセスであると論じる。序論はさらに戦術と戦略の概念的枠組みを提示し、日常実践が権力関係のなかで展開される「ポレモロジー(闘争学)」として分析されるべきことを示す。
第1章 共通の場所:日常言語
本章では、ウィトゲンシュタインの日常言語哲学を手がかりに、「普通の人」が理論的言説にとってどのような機能を果たすかを問う。フロイトが『文明への不満』で「普通の人」を語り手として据えたように、専門知は日常の場に回収されるところで初めてその普遍性を獲得する。ド・セルトーは、専門家の権威が「知」を「権威」に変換する構造を批判し、ウィトゲンシュタインが日常言語の内部から外部を指し示す禁欲的態度を、日常文化の分析モデルとして評価する。
第2章 大衆文化:日常言語
ブラジルのペルナンブコ州での調査を例に、大衆が宗教物語を通じて支配的秩序に抗する実践を分析する。民衆は経済的・社会的抑圧を鋭く認識しつつ、奇跡物語という「別の場」を築くことで、現実の不可能性を超える可能性を保持する。ド・セルトーは、このような「使用」の次元を捉えるためには、民話やことわざの分析が重要であると論じる。同時に、研究者の立場自体がこの実践のなかに巻き込まれており、学術制度の内部で「ペリュック(まげ)」——体制内での創造的横領——としての知の実践が可能であることを示唆する。
第3章 「やりくり」:使用と戦術
ここで戦術と戦略の区別が体系的に定式化される。戦略は固有の場所(プロプレ)をもつ主体の計算であり、戦術はその場所を持たず、相手の領域で機会を捉えて働く「弱者の技」である。ド・セルトーは、この戦術の系譜をギリシャのメーティス(狡知)や中国の『孫子』、アラブの『策略の書』まで遡りつつ、修辞学の「転換(トロープ)」が戦術の形式モデルを提供することを示す。日常実践はすべてこの戦術的性格を持ち、現代社会ではより断片化・拡散している。
第4章 フーコーとブルデュー
フーコーの「規律」論とブルデューの「ハビトゥス」論を批判的に検討する。フーコーは手続きの特権的発展を明らかにしたが、その他の無数の手続きを軽視している。ブルデューは戦略の細やかな分析を行うが、それらを「ハビトゥス」という無意識的・再生的な原理に回収し、実践の創造性を理論の枠内に封じ込めている。両者とも理論構築のなかで「切り取り」と「反転」という同じ操作を用いており、その操作自体が分析すべき日常的実践の一部であることを示唆する。
第5章 理論の技術
本章では、理論が非言語的実践を対象とするとき、いかにして「語り」の形式を取らざるを得ないかを論じる。デュルケムやフロイトも、未開の実践を「逆さに読む」ことで理論の原理を得てきた。ド・セルトーは、この操作が近代の「技術の記述」の伝統——ディドロの『百科全書』からデュルケームまで——に連なることを示す。カントの「判断力」や「触覚的論理」を参照し、実践知が理論と実践を媒介する「第三項」として位置づけられるべきことを論じる。
第6章 物語の時間
物語は単なる記述ではなく、それ自体が実践の形式である。ド・セルトーはデティエンヌ&ヴェルナンの『知性の狡知』を参照し、メーティスが状況・変装・不可視性において物語と同型の構造を持つことを示す。物語は「機会(カイロス)」を捉え、記憶を動員し、空間の秩序を転倒させる。物語は「境界」と「橋」を同時に設定し、秩序の内部に異質性を侵入させる「非行性」を持つ。アリストテレスが「神話を愛する者は知恵を愛する」と言ったように、物語は思考の実践そのものである。
第7章 都市を歩くこと
歩行は都市システムに対する発話行為であり、空間の「使用」である。ド・セルトーは、ワールドトレードセンターからのパノラマ的視点を「見る神」の幻想と批判し、歩行者の身体が紡ぐ「盲目的な実践」を対置する。歩行は提喩や省略(アシンデトン)といった修辞的技法を用いて都市空間を変形させる。固有名詞は記憶や夢の核として機能し、技術的合理性の空間に「信じられる場所」を創出する。空間実践は子どもの「フォー/ダ」遊びに遡る原初的な離別の反復であり、身体を介した移動可能な都市の創造である。
第8章 鉄道の移動と収容
鉄道旅行は、窓ガラスと線路による二重の分離を通じて、収容と移動の逆説的結合を示す。車内は規律化された空間であり、外の景観は不動のままであり、機械だけが運動を司る。この章は短いが、近代的移動が「隔離」と「観照」の技術であることを象徴的に示す。移動する主体は、場所を持たない「観客」として世界を見るが、その視線は記憶や夢を呼び起こす。鉄道は「移動する監獄」であり、技術的秩序の内部での夢想の可能性を指し示す。
第9章 空間の物語
物語は「メタフォライ(ギリシャ語で乗り物)」であり、空間を移動させる実践である。ド・セルトーは、日常の空間記述が「地図(マップ)」よりも「巡歴(ツアー)」——操作の連鎖——を優先することをリンデ&ラボフの調査から示す。中世の地図が巡礼の行程記録であったのに対し、近代の地図は実践を消去する。物語は境界の設定とその越境を同時に語り、境界を「橋」として機能させる。この「非行的」な語りの力は、社会秩序に抵抗する日常実践の基層をなす。
第10章 書字の経済
近代は書字を中心に組織されてきた。書字は白紙という固有の場所を前提とし、そこから外部を支配・変形する戦略的実践である。ド・セルトーは、デフォーの『ロビンソン・クルーソー』を書字の神話として読み解き、近代的主体が書字によって自己を生産する一方で、身体への刻印(刑罰・医療・教育)としての書字の暴力性を指摘する。しかし20世紀初頭の「独身機械」たち(ジャリ、ルーセル、デュシャン、カフカ)は、書字がもはや現実と接触せず、自己模倣的なシミュラークルに堕したことを示す。書字はその神話性を剥ぎ取られ、喪の作業としての笑いの場となる。
第11章 声の引用
書字の経済は声を排除するが、声は「引用」としてその内部に回帰する。ド・セルトーは、民俗学・精神分析・歴史学が「他者の声」を書き取ろうとする「異種学」の営みを分析する。それらは常に声を「主題化」し「翻訳」することで、書字の支配を確立するが、同時に声は完全には回収されず、途絶や逸脱として現れる。オペラやデュラスの映画、詩的断片のなかで、身体の声は「意味」ではなく「響き」として言語に刻印される。この声の「不意の出現」が書字の秩序を撹乱する。
第12章 読み物としての密猟
読書は受動的消費ではなく、テクストへの「密猟」である。ド・セルトーは、教育システムが「正しい読み」を強制し、テクストを専門家の所有物とする社会的機構を批判する。読者はテクストの断片を組み替え、別の意味を生成し、権威ある書き手の領地を横断する旅人である。身体を引っ込め視線だけで読む近代の読み方は、テクストからの解放を可能にするが、同時にメディアによる想像力の管理をも招く。読書は「不届きな不在」であり、遊びと策略に満ちた実践である。
第13章 信じることと信じさせること
現代社会では信念のエネルギーが枯渇しつつある。政治組織や企業は、かつて宗教が担っていた「信じさせる」技術を模倣するが、実質的な信用を失っている。ド・セルトーは、信念が宗教から政治へと移動する歴史的プロセスを跡づけ、今日ではメディアが「現実の制度」として機能し、引用と世論調査によってシミュラークルを現実化させることを論じる。人々は「それが偽物だと知りつつも」他者が信じているという前提に支えられて信じる。この信念の循環は、政治的な操作の対象であると同時に、その脆弱性ゆえに新たな戦術の余地を開く。
第14章 名づけえぬもの
死は現代社会において語りえぬもの、名づけえぬものとして周縁化されている。病院は死を「仕事の失敗」として隠蔽し、家族の言語もそれを受け止めない。だが、死は主体の根本的他者性であり、信じることと語ることの根源に関わる。ド・セルトーは、書くことそのものが「語りえぬものへの期待」から生じる実践であり、死を語ろうとする欲望とその不可能性の間で揺れ動くことを示す。科学の進歩は死を管理しようとするが、文学や精神分析はその「場」に侵入する異質性を暴露する。書字は死の場での彷徨であり、その希求は他者からの応答を待つ。
不定形のもの
結論部では、理論が「不定形」のものへと向かう一方で、技術は機能的差異化へと突き進む逆説が描かれる。日常的実践は、この技術的合理主義の隙間に浸透し、階層化された場所と偶然の時間のなかで創造的に働く。都市や言語は複数の歴史的層の折り重なりであり、そこでは予測不可能な出来事が常に介入する。日常は「不定形」の領域であり、あらゆる計画や計算を撹乱するが、まさにその撹乱こそが象徴的な思考と実践の源泉である。本書は、日常的実践の理論が、技術的合理性の向こう側にある「闇」と戯れることの意義を最後に示す。
想定読者・前提知識・読みどころ
- 想定読者:社会学・文化研究・メディア研究・都市計画・哲学・人類学に関心のある大学院生以上、または学際的な日常論に関心を持つ専門家・実践者。
- 前提知識:フーコーやブルデューの社会理論、言語学(ソシュール、ベンヴェニスト)、記号論に関する基礎的知識があると理解が深まる。ただしド・セルトー自身が主要概念を逐次定義しているため、必ずしも必須ではない。
- 分量・難易度:約350ページの理論書。フランス現代思想の議論を前提とするため、難易度は高いが、各章が比較的独立しており、関心に応じて選択的に読むことも可能。
- 読みどころ:第3章(戦略と戦術の定義)は全書の理論的基盤であり、まずここを読むことを推奨。第7章(都市を歩くこと)と第12章(読書は密猟)は具体的で示唆に富む。理論的骨格を掴むには序論+第3章+第6章を、具体的応用を知るには第三部と第四部を中心に読むとよい。最終章は本書全体の哲学的含意を深める。
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