レビュー
カスパー・ハレは、私たちが何をすべきか、そしてなぜそうすべきか、という問題に対して新しいアプローチを提示している。この問題に取り組む伝統的な方法は、まず基礎となる原理を仮定し、その原理から導き出される結論を導き出すことだ。例えば、結果主義者は、私たちは世界を無差別に良くすべきだと主張し、カントの義務論者は、普遍化可能な最大命題に従って行動すべきだと主張する。契約論者は、私たちは特定の仮定的な契約の条項に従って行動すべきだと主張する。これらの原則はすべて壮大で議論の的となっている。 『親切の限界』の根本的なアイデアは、規範倫理学の最も困難な問題の一部を、謙虚で議論の余地のない原則から始めることで解決できるというものだ。道徳的であることは、特定の他者がより良い状態になることを望むことだ。
このような無害な出発点から、ハレは、利益の衝突をどのように解決すべきか、ある人々を創造すべきか、無限の世界で何を望むべきか、困っている見知らぬ人のために犠牲を払うべきか、そしてなぜ私たちは、非合理性を招くリスクを冒してまで、人々間の境界に大きな重要性を付与できないのか、といった驚くべき結論に導いていく。
本書の要約
『The Limits of Kindness』は規範倫理学における基本的問題を探求する哲学書である。著者は理性と最小限の善意という基本前提から出発し、道徳理論を論理的に構築する。本書は「誰を救うべきか」「子どもを産むべきか」「殺人を防ぐための殺人は許されるか」「遠い見知らぬ人々への義務」といった道徳的ジレンマを分析する。
形態変化(モーフィング)という概念を用いて、一見対立する道徳的直観の関係を明らかにする手法を提示している。本書の核心的洞察は、無限に多くの人々に対して善意を持つことは理性的に不可能であり、道徳的善意には理性自体によって課される限界があるという点だ。
最終的に、道徳的に正しい行動には時に特定の人々への献身が必要だと論じる。無数の困窮者すべてに等しく献身することは不可能であり、誰に特別な配慮をするかの選択が必要だと結論づけている。
目次
第4章 効率性と大きな善 (Efficiency and the Greater Good)
第5章 同じ数の非同一性問題 (The Same-Number Non-Identity Problem)
第6章 殺害を防ぐための殺害 (Killing-to-Prevent-Killings)
第7章 頑健な本質 (Robust Essences)
第8章 欲求に似た態度に対する合理的制約 (Rational Constraints on Desire-Like Attitudes)
第9章 形態変化 (Morphing)
第10章 透明な衝突 (Transparent Conflicts)
第11章 形態変化、無限性、善意の限界 (Morphing, Infinity, and the Limits of Good Will)
第12章 距離と必要性 (Distance and Need)
第13章 無知と不確定性 (Ignorance and Indeterminacy)
第14章 コミットメント (Commitment)
キーワード用語解説
規範倫理学
人間がどう行動すべきか、何が善く何が悪いかといった道徳的な規範や基準を研究する哲学分野。「~すべき」という規範的主張について体系的に検討する。
具体例: 「嘘をつくべきではない」という主張と「嘘をつくことで多くの命が救えるなら嘘をついてもよい」という主張の間の矛盾を解決しようとする議論が規範倫理学の一例。
反省的均衡
自分の道徳的直観と原理を相互に調整しながら、一貫した道徳観を目指す方法。直観と原理の間に不一致があれば、どちらかを修正して均衡状態を目指す。
具体例: 「功利主義は正しい」と思いつつも、「無実の人を犠牲にして多数を救うのは間違い」という直観を持つ場合、どちらかを修正するか、両者を調和させる新たな原理を探す過程。
最小限の配慮・善意
他者がより良い状況にあることを理由として認め(最小限の配慮)、他の条件が等しい場合に他者がより良い状況にある状態を好む(最小限の善意)という道徳的態度。
具体例: Aさんが風邪で寝込んでいるとき、「彼が健康である方が良い」と考え(配慮)、他に何も変わらないなら「彼が健康になること」を望む(善意)こと。
形態変化(モーフィング)
ある状態から別の質的に異なる状態への連続的な変化を考える方法。両極の状態間に中間段階を設け、それらを通じて道徳的判断がどう変化するかを検討する手法。
具体例: 「健康だが貧しい赤ん坊」から「裕福だが健康問題のある赤ん坊」まで、少しずつ健康度と裕福さが変化する一連の中間状態を考え、どの状態が望ましいかを判断する思考実験。
対応物理論
ある可能世界の個体と別の可能世界の個体が、質的類似性によって関連づけられるという考え。「もし〇〇だったら」という反事実的条件文を解釈する理論の一つ。
具体例: 「もしアインシュタインが物理学者にならなかったら」という仮定において、別の可能世界での音楽家アインシュタインは、我々の世界のアインシュタインの「対応物」と考える。
否定的非推移性
選好関係が推移的でない状態。例:AよりA+を好み、BよりB+を好むが、AとB、A+とB+の間に選好がない場合。合理的決定理論の適用を難しくする特性。
具体例: レストランで「エビチリよりエビチリ+デザート」を好み、「麻婆豆腐より麻婆豆腐+デザート」を好むが、「エビチリと麻婆豆腐」間、「エビチリ+デザートと麻婆豆腐+デザート」間に好みがない状態。
パレート支配
ある状態が別の状態より「良い」と言える条件の一つ。状態Aが状態Bをパレート支配するとは、Aでは誰も悪化せず、少なくとも一人が改善している状態を指す。
具体例: 家族4人で映画を選ぶとき、「アクション映画」から「コメディ映画」に変更したとする。お父さんとお姉さんはどちらでも同じくらい楽しめるが、お母さんと弟はコメディの方が好き。この場合、「コメディ映画を見る」という選択は「アクション映画を見る」という選択をパレート支配している。誰も不利益を被らず、一部の人が利益を得る変化だからだ。
非同一性問題
ある行為が誰も害していないように見えるのに、道徳的に問題があると感じられる事例。例:妊娠前の病気で健康問題を持つ子を産む選択は、待てば別の健康な子が生まれるが、その子は待てば存在しないため「害された」とは言えない。
具体例: 母親が風疹にかかっている時に妊娠し、障害のある子どもが生まれた場合、「待てば健康な別の子が生まれた」が、この特定の子は待てば存在しないため「害された」とは言えないというパラドックス。
人格の分離性
異なる人の利益・不利益は単純に合算できず、各人は別個の存在であるという考え。功利主義批判の根拠として用いられる概念。
具体例: AさんとBさんの幸福は合算できない。「Aさんの大きな痛みを避けるためにBさんに小さな痛みを与える」という功利主義的判断に対し、「なぜBさんがAさんのために犠牲にならなければならないのか」と問う視点。
反事実的開放性
あるプロセスを開始しなかった場合、それを開始していたらどうなっていたかについての特定の事実が存在しない状態。例:寄付していたら誰が救われていたかという特定の事実が存在しない可能性。
具体例: 「もし昨日くじを買っていたら当たっていただろうか」という問いに対し、買っていない以上、特定の番号のくじを買っていたという事実はなく、「当たっていた」とも「外れていた」とも確定的に言えない状態。
各章の要約
序論 (Introduction)
規範倫理学は人々の行動規範を扱う哲学分野だ。本書は殺人防止のための殺人、非同一性問題、遠方の見知らぬ人への援助義務という三つの難問を提示する。反省的均衡による伝統的アプローチでは決着がつかないため、理性と最小限の善意から出発する新たな接近法を提案している。義務論と帰結主義の行き詰まった対立を超えた視点を模索する。(146字)
第1章 善意 (The Good Will)
道徳的人間は他者に最小限の配慮と善意を持つ。最小限の配慮とは他者がより良い状況にあることを好む理由と見なすこと、最小限の善意とは他の条件が等しい場合に他者がより良い状況にある状態を好むことだ。これらは弱い主張だが、平等、財産権、正義など他の考慮事項との兼ね合いが問題になる。また、すべての人に常に善意を持つことは不可能かもしれない。(147字)
第2章 最初のステップ:救助の道徳性 (First Steps: The Morality of Rescue)
救助の道徳に関する三つの事例を検討する:「1人か2人か」、「小さな時間差での救助」、「1人の大きな害か多数の小さな害か」。功利主義と義務論の対立する見解を概観した後、「不透明な」状況(誰が島のどこにいるか不明)を導入する。期待効用理論による分析を試みるが、選好の否定的非推移性により限界がある。(131字)
第3章 甘味に鈍感な選好に対する合理的反応 (Rational Responses to Sweetening Insensitive Preferences)
選好が否定的非推移性を持つ場合(AよりA+を好み、BよりB+を好むが、AとB、A+とB+間に選好なし)の合理的決定を検討する。「2つの不透明な箱」の例を用いて、「プロスペクト主義」(甘味されたオプションを選ぶ)と「繰延主義」(甘味に影響されない)を対比。理由への敏感さを重視するなら前者が支持される。(139字)
第4章 効率性と大きな善 (Efficiency and the Greater Good)
不透明な救助状況では、善意ある合理的人間は小さな時間差なら近い島へ、同数なら多くの人を救える島へ向かう。この結論はパレート支配(誰も悪化せず少なくとも一人が改善)を好む論理に基づく。「人格の分離性」への対応も検討し、不透明状況では功利主義に反対する哲学者も効率性を選ぶことを示す。(136字)
第5章 同じ数の非同一性問題 (The Same-Number Non-Identity Problem)
非同一性問題とは、誰も害していないように見える行為が道徳的に問題視される場面だ。例:妊娠前の病気で健康上の問題を持つ子を産む場合、待てば健康な別の子が生まれるが、その子自身は待てば存在しないため「害された」とは言えない。形態変化の考えを適用し、理性的で善意ある母親なら健康な子を選ぶと論じる。(153字)
第6章 殺害を防ぐための殺害 (Killing-to-Prevent-Killings)
一人を殺して二人の殺害を防ぐ是非を検討する。不透明な状況では合理的で善意ある人は殺すだろう。義務論者への「汚れた手」批判として、殺さない制約を尊重し一人多く死なせることは自己中心的だと論じる。善き人は自分の行為と善い結果の関係より、人々に良いことが起こること自体を重視すべきだ。(133字)
第7章 頑健な本質 (Robust Essences)
人の本質は「完全に脆弱ではない」と主張する。自然的質的次元で少し異なっていても同じ人物でありうる。背が1インチ高い、生まれる時間が1秒違うなどの小さな違いで同一性は損なわれない。本章は無制限の違いを許すのではないか、本質の限界、人間性の本質などの反論に応答し、形態変化論の基礎を固める。(128字)
第8章 欲求に似た態度に対する合理的制約 (Rational Constraints on Desire-Like Attitudes)
合理性は願望の一貫性を要求する。合理的人間の最大状態間の選好は推移的、拡張整合的、収縮整合的であるべきだ。青いカーペット、痛みの強度vs持続、多数vs少数など、一見合理的な非推移的選好の例を検討し、これらが不合理である根拠を論じる。また選好と行動の関係、理由によって支持される選好の重要性も考察する。(133字)
第9章 形態変化 (Morphing)
形態変化(モーフィング)は反事実的対応物関係を通じて、ある状態から質的に異なる状態への連続的変化を考える方法だ。本質の頑健性と合理性の制約から、良い状態を好むことは匿名的に良い状態を好むことを含意する。これによりジャックとジルのような困難な選択が解決できる。この議論は対応物理論、同一性理論、性質理論のいずれでも成立する。(136字)
第10章 透明な衝突 (Transparent Conflicts)
形態変化の議論を透明な衝突(誰を救えるか知っている場合)に適用する。非同一性問題では、本質が完全に脆弱でも匿名的パレート優位で健康な子を選ぶべきだ。しかし救助ケースでは「より良い状態」関係の否定的非推移性により結論が変わりうる。著者は緩いパレート支配と厳格なパレート支配を区別し、後者の場合のみ形態変化論が機能すると主張する。(146字)
第11章 形態変化、無限性、善意の限界 (Morphing, Infinity, and the Limits of Good Will)
無限に多くの人々が存在する可能性を考慮すると、すべての人に善意を持つことは理性的に不可能だ。無限世界では同じ世界が自身を匿名的にパレート支配することがあり、選好の循環が生じる。合理的であるには善意に限界を設ける必要がある。井戸の少年には善意を持ちつつも、無限の人々全てには持てない。理性的に可能な態度は質的に同一の有限領域のみを考慮することだ。(149字)
第12章 距離と必要性 (Distance and Need)
池で溺れる子を100ドルの犠牲で救うなら、同額で遠方の子の命を救う寄付も義務ではないかを検討する。「支配」原則を導入し、状態間の唯一の違いが有意なパレート支配と因果関係の差異なら、善き人は前者を好むと主張する。これにより、近くの子には救助し遠方の子には無関心なのは、もし合理的かつ善意あるなら自己矛盾だと論証する。(142字)
第13章 無知と不確定性 (Ignorance and Indeterminacy)
寄付による救助の現実的不確実性を検討する。誰を救えるか、何人救えるか不明の場合、特に反事実的開放性(寄付していれば誰が助かったかの事実がない場合)の問題を分析。「もし寄付すれば確率0.5で生存した可能性」でさえ寄付理由になると論じる。人々への配慮が「ひどいことをしない」ことへの配慮より強いなら、不確実性があっても寄付義務が残る。(146字)
第14章 コミットメント (Commitment)
特定の人々への合理的コミットメントの重要性を論じる。否定的非推移的選好を持つとき、合理的に行動する5つの戦略を提案:問題状況回避、計画への無思考的服従、選好の先鋭化、自分の選択への配慮、決定的と考えずに考慮事項を決定的にすること。合理性は特定の人々へのコミットメントを含み、すべての困窮者に等しく献身することは不可能だと結論づける。(146字)
善意の限界と道徳判断の合理性についてのAI考察
by Claude 3
私たちは誰を助けるべきか?
キャスパー・ヘアの『The Limits of Kindness』は、日常的な道徳判断の背後にある理論的問題を掘り下げる哲学書である。この本の核心は、シンプルな問いかけにある——「私たちはどのような時に、どのような理由で、誰を助けるべきなのか?」
考えてみてほしい。目の前で子どもが溺れていたら、自分の靴が濡れることを気にせず飛び込むだろう。では、遠い国で同じように命の危険にある子どもを助けるために寄付するかと問われたら?多くの人は躊躇する。この違いはなぜ生じるのか?これは単なる感情の問題なのか、それとも理性的に正当化できる違いなのか?
ヘアの本は、このような身近な問いから出発し、規範倫理学という哲学分野の難問に挑む旅に私たちを誘う。彼は伝統的な倫理理論(功利主義、義務論、徳倫理学)の枠組みを超え、より基本的な前提から倫理を考える新しいアプローチを提案している。
最小限の善意から始める
ヘアの議論は、驚くほどシンプルな前提から始まる。「道徳的に適切な人間は、他者に対して最小限の善意を持つ」というものだ。
最小限の善意とは、他の条件が等しい場合に、他者がより良い状況にある状態を好むことである。たとえば、見知らぬ人が病気より健康である方が良いと思うのは、最小限の善意の表れと言える。
この前提は非常に弱く、ほとんどの人が同意できるものだろう。「他の条件が等しい場合」という限定があるため、自分の利益と他者の利益が衝突する場合については何も言っていない。また、すべての人に対して常に善意を持つべきだとも言っていない。
しかし、この弱い前提と「合理性」に関する前提を組み合わせることで、ヘアは驚くほど強力な結論を導き出していく。
形態変化の思考実験
ヘアの議論で最も興味深いのは「形態変化」(morphing)という思考実験である。これは少し複雑だが、日常的な例で考えてみよう。
あなたが医師から「今すぐ妊娠すると、生まれてくる子どもは健康問題を抱える可能性が高い。2か月待てば、健康な子どもが生まれる可能性が高い」と言われたとする。多くの人は「待った方が良い」と直感的に思うだろう。
しかし、この判断には哲学的な難問がある。もし待たずに妊娠すれば、仮にジャックという名の子どもが生まれる。もし待って妊娠すれば、遺伝的に異なるジルという名の子どもが生まれる。ジャックは健康問題を抱えるが、彼自身はその状態で存在することを望むだろう(存在しないよりも存在する方が良い)。彼は「待っていれば良かった」と言えない。なぜなら、待てば彼ではなくジルが生まれるからだ。
この「非同一性問題」に対し、ヘアは形態変化という発想を導入する。ジャックとジルの間には、連続的な中間状態を想定できる。ジャック→ジャック*→ジャック**→…→ジル*→ジルという具合に。各段階で、前の段階より少し健康になり、少しジルに近づく。
もし善意があり合理的なら、各段階でより健康な次の段階を好むはずだ。そして合理性は、この連鎖的な選好から「ジルの誕生を好む」という結論を導く。これにより、「待った方が良い」という直感に理論的根拠を与えることができる。
誰を救うべきか?
この形態変化の議論は、「誰を救うべきか」という問題にも応用できる。
例えば、二つの島に漂流した人々がいるとしよう。西の島には1人、東の島には2人いる。あなたのボートは一方の島にしか行けない。誰を救うべきか?
多くの人は「2人を救うべき」と直感的に思うだろう。しかし、この判断の理論的根拠は明確ではない。功利主義者は「より多くの命を救う」という理由を挙げるが、これには「人格の分離性」という批判がある。各人の利益は単純に足し合わせられるものではないという批判だ。
ヘアは形態変化の議論を用いて、「合理性」と「最小限の善意」から「2人を救うべき」という結論を導く。特に、誰が島のどこにいるか分からない「不透明な状況」では、合理的で善意ある人は多くの命を救う選択をするという。
これは日常生活での判断にも関わる。例えば、「同じ費用で一人の子どもを長時間の苦痛から救うか、多くの子どもを短時間の苦痛から救うか」という選択に直面することがある。ヘアの議論は、このような状況での判断に理論的基礎を提供する。
遠くの見知らぬ人への義務
ヘアの議論で最も挑戦的なのは、「遠くの見知らぬ人への義務」についてである。
冒頭の例に戻ろう。目の前で溺れる子どもを100ドル相当の犠牲(靴が濡れる等)を払って助けることが義務なら、同じ100ドルで遠くの国の子どもの命を救う寄付も義務ではないかという問題だ。
ヘアは「支配」(dominance)の原則を導入する。もし善き人が「人々の幸福」そのものを気にかけるなら、「自分が直接関わって人々を幸福にすること」だけを気にかけるのは自己中心的だという。
彼は次のような実験を提案する。あなたが知っている二人の子ども(アンディとネッド)がいるとしよう。一人は目の前で溺れており、もう一人は遠くの国で医療支援を必要としている。もしあなたが合理的で善意あるなら、アンディが目の前、ネッドが遠くの場合、アンディを助ける。ネッドが目の前、アンディが遠くの場合、ネッドを助ける。それなら、どちらが目の前にいるか分からない場合、どうすべきか?合理性は、両方のケースで助ける義務があることを示唆する。
善意の限界とコミットメント
しかし、善意には限界がある。ヘアは宇宙には無限に多くの人々が存在する可能性を考え、すべての人に善意を持つことは理性的に不可能だと論じる。
なぜなら、無限の人々がいる世界では、同じ世界が自身を「匿名的にパレート支配」する(誰も悪化せず、少なくとも一部の人々が改善する状態に変わる)ことがあり得る。これにより選好の循環が生じ、合理性と矛盾する。
この洞察は、現代のグローバル倫理における重要な問題に対する示唆を与える。世界には膨大な数の困窮者がいる。私たちはすべての人を助けることはできない。誰に焦点を当てるべきか?
ヘアは「コミットメント」という概念を導入する。合理的な人は、特定の人々への特別な配慮を持つ。すべての人に等しく献身することは不可能であり、誰に特別な配慮をするかの選択が必要になる。
この視点は、私たちの日常的な道徳感覚と一致する。家族や友人への特別な配慮は、単なる感情的な偏りではなく、合理的に正当化される選択である。
現実世界への応用
ヘアの議論は抽象的に見えるかもしれないが、現実の道徳的判断に重要な示唆を与える。
例えば、効果的な利他主義(Effective Altruism)運動は、「限られた資源でどれだけ多くの命を救えるか」を考える。ヘアの議論は、この発想に理論的基礎を提供する。同時に、特定の人々や原因へのコミットメントの重要性も認識している。
また、社会制度の設計においても重要な示唆がある。すべての人に完全に平等な配慮をすることは不可能でも、特定の範囲内での公正さや効率性を追求することはできる。どの範囲で、どのような形で配慮すべきかという問題は、制度設計の中心的な課題である。
さらに、個人として日常的に直面する道徳的ジレンマへの指針も提供する。例えば、友人への特別な配慮と見知らぬ人への援助のバランスをどう取るか、という問題だ。
結論:バランスの取れた道徳的視点
『The Limits of Kindness』の中心的なメッセージは、道徳的に正しく生きることが単純ではないということである。すべての人に対して常に善意を持つことは理性的に不可能であり、どの人々に対して特別な配慮を持つかという選択が必要になる。
ヘアの議論は、功利主義的な「最大多数の最大幸福」の視点と、義務論的な「特定の関係に基づく特別な義務」の視点を統合する試みと見ることができる。結果の重要性を認めつつ、特定の関係に基づく特別な配慮の合理的基礎も提供している。
この視点は、現代のグローバルな問題に対する私たちの道徳的立場を考える上で重要である。遠くの見知らぬ人々の苦しみに対して無関心でいることは正当化できないが、すべての苦しみを解決しようとすることも理性的ではない。
最終的に、善意には限界があるが、その限界を認識することで、私たちはより現実的かつ効果的な形で道徳的に行動することができる。すべての困窮者を救うことはできなくても、目の前の特定の人々に対して適切に行動し、広い視野で社会的・制度的な改善に貢献することはできる。そして、そのような行動は理性的に正当化されうる。
ヘアの善意論から見る功利主義の限界についてのAI考察
by Claude 3
効果的利他主義と功利主義への批判
キャスパー・ヘアの『The Limits of Kindness』は、一見すると功利主義的な結論に近い主張をしているように見えるが、実際には功利主義に対する重要な批判と修正を含んでいる。特に近年注目を集めている「効果的利他主義」(Effective Altruism)のような現代功利主義の実践に対して、ヘアの議論はどのような批判や指摘を行っているのだろうか。
効果的利他主義とは、「限られた資源でどれだけ多くの善を成し遂げられるか」を合理的に計算し、最も効果的な慈善活動を選ぶべきだという考え方である。例えば、100ドルを寄付するなら、1人の子どもに教育を提供するよりも、10人の子どもの命を救う活動に寄付する方が「効果的」だという主張だ。
ヘアの議論は、この発想の基礎となる直観(より多くの命を救うべき)に理論的根拠を与えつつも、いくつかの重要な点で功利主義を批判している。
「人格の分離性」による功利主義批判
ヘアが取り上げる功利主義への重要な批判の一つは、「人格の分離性」(separateness of persons)という概念である。彼は第4章でこの批判を詳しく検討している。
この批判は、ロールズ、ノージック、トムソンといった著名な哲学者によって提起されたもので、功利主義が異なる人々の利益や害を単純に足し合わせることを問題視する。功利主義は、個人の中での利益と害の比較(例:今日の痛みと将来の健康)と、異なる人々の間での利益と害の比較(例:Aの利益とBの損失)を同じように扱う。
しかし批判者たちは、これらは本質的に異なると主張する。ノージックは特に、「社会全体の善」というものは存在せず、あるのは個々の人々の善だけだと強調する。
「善を被る社会的存在はいない。存在するのは、別々の個人、異なる個人、それぞれ自分自身の人生を持つ個人だけである」
ヘアはこの批判を真剣に受け止め、「不透明な状況」(誰がどこにいるか分からない場合)でのみ功利主義的結論を導くことで、人格の分離性の問題を部分的に回避しようとしている。
無限の世界における善意の限界
ヘアが功利主義に対して行う最も独創的な批判は、第11章の「無限の世界における善意の限界」に関する議論である。
功利主義、特に効果的利他主義は、すべての人の幸福を等しく考慮することを要求する。しかし、ヘアは宇宙には無限に多くの人々が存在する可能性を考慮し、すべての人に善意を持つことは理性的に不可能であると論じる。
なぜなら、無限の人々がいる世界では、同じ世界が自身を「匿名的にパレート支配」することがあり得る。つまり、ある変化によって誰も悪化せず、少なくとも一部の人々が改善する状態に変わることがある。このような世界では、「すべてのパレート改善を好む」という合理的選好が循環を引き起こし、合理性と矛盾する。
これは抽象的に聞こえるかもしれないが、実践的な含意は大きい。功利主義者が「可能な限り多くの人を助けるべき」と主張するとき、彼らは「助けられる人すべて」という有限集合を想定している。しかし現実には、潜在的に助けられる人の数は無限に近い。今日助けなかった人々も、明日は助けられるかもしれない。そして明日助けなかった人々も、明後日は助けられるかもしれない…このように考えると、功利主義的要求には際限がなくなる。
ヘアの議論は、この無限後退に理論的な限界を設ける。すべての人に善意を持つことが理性的に不可能であるなら、誰に善意を向けるかの選択は避けられない。そしてこの選択は功利主義的計算によってではなく、「コミットメント」という概念によって導かれる。
「コミットメント」と特定の人々への特別な配慮
ヘアの功利主義批判の最も建設的な側面は、第14章で展開される「コミットメント」という概念である。
功利主義、特に効果的利他主義は、すべての人を等しく考慮することを要求する。家族や友人への特別な配慮は、単なる感情的な偏りとして扱われがちだ。しかし、ヘアは特定の人々への特別な配慮が合理的に正当化されうると論じる。
ヘアは「棒か切り替えか」(Stick or Switch?)という思考実験を用いる。二人の友人(アンディとベン)が危険な状況にあり、あなたはどちらか一方しか救えないとする。どちらを救うかの決断を下した後、その決断を覆す機会があるとき、あなたはどうすべきか?
ヘアは、最初の決断を維持することが合理的だと論じる。なぜなら、決断を覆すと、「合理的に許されない複合行為」(最初から別の選択をした方が良かった行為)を行うことになるからだ。この「コミットメント」の概念は、特定の人々への継続的な関与を正当化する。
これは効果的利他主義への重要な批判となる。効果的利他主義者は、より効果的な援助先が見つかれば、既存の援助先から資源を移すべきだと主張するかもしれない。しかしヘアの議論は、既存の関係やコミットメントには道徳的重要性があることを示している。
実践的含意:バランスのとれた道徳的視点
ヘアの功利主義批判から、どのような実践的含意が導かれるだろうか?
まず、遠くの見知らぬ人々への無関心は正当化できない。ヘアの「支配」の原則は、目の前の子どもを救う義務があるなら、遠くの子どもも救う義務があることを示唆する。この点で、効果的利他主義の基本的な直観を支持している。
しかし同時に、すべての困窮者を等しく考慮することは不可能だという認識も重要だ。誰に焦点を当てるかの選択は避けられず、この選択は完全に功利主義的計算によるべきではない。特定の人々や原因へのコミットメントには道徳的重要性がある。
効果的利他主義が求める「冷静な計算」と「感情的なつながり」のバランスが必要である。例えば、長期的な援助関係を築き、特定のコミュニティに継続的に関与することは、単に「最も効率的」な援助先を常に追い求めるよりも価値があるかもしれない。
また、個人的な関係と広範な道徳的考慮のバランスも重要だ。家族や友人への特別な配慮は正当化されるが、それは遠くの見知らぬ人々への配慮を完全に排除するものではない。
結論:功利主義を超えた倫理的視点
ヘアの『The Limits of Kindness』は、功利主義の魅力的な側面(結果の重要性、より多くの命を救うことの価値)を保持しつつ、その限界(すべての人を等しく考慮することの不可能性、特定の関係の重要性)を明らかにする。
効果的利他主義への批判としては、次の点が重要である:
1. すべての人の幸福を最大化することは理性的に不可能であり、誰に焦点を当てるかの選択は避けられない。
2. 特定の人々や原因へのコミットメントには道徳的重要性があり、単に「最も効率的」な援助先を追い求めることが最善とは限らない。
3. 人格の分離性を考慮すると、異なる人々の利益や害を単純に足し合わせることはできない。
これらの批判は、効果的利他主義を全面的に否定するものではなく、より豊かで現実的な道徳的視点へと発展させるものである。究極的には、ヘアの議論は功利主義と義務論の最良の部分を統合し、現代のグローバルな問題に対するより微妙でバランスのとれたアプローチを提供している。
善意には限界があるが、その限界を認識することで、私たちはより現実的かつ効果的な形で道徳的に行動することができる。すべての困窮者を救うことはできなくても、特定の人々への継続的なコミットメントと広い視野での社会的貢献を両立させることは可能だ。そして、そのような行動は理性的に正当化されうる。