書籍要約『戦争の味:第二次世界大戦と食料をめぐる戦い』リジー・コリンガム 2012

戦争・国際政治日本の政治、自民党食糧安全保障・インフラ危機

サイトのご利用には利用規約への同意が必要です


英語タイトル:『The Taste of War:World War II and the Battle for Food』Lizzie Collingham 2012

日本語タイトル:『戦争の味:第二次世界大戦と食料をめぐる戦い』リジー・コリンガム 2012

目次

  • 第一部 食料——戦争の原動力 / Food – An Engine of War
  • 第2章 ドイツの帝国への挑戦 / Germany’s Quest for Empire
  • 第3章 日本の帝国への挑戦 / Japan’s Quest for Empire
  • 第二部 食料をめぐる戦い / The Battle for Food
  • 第4章 アメリカの好況 / American Boom
  • 第5章 イギリスの食料確保 / Feeding Britain
  • 第6章 大西洋の戦い / The Battle of the Atlantic
  • 第7章 大英帝国の動員 / Mobilizing the British Empire
  • 第8章 ドイツの食料調達 / Feeding Germany
  • 第9章 ドイツによる東部への飢餓の輸出 / Germany Exports Hunger to the East
  • 第10章 ソ連の崩壊 / Soviet Collapse
  • 第11章 飢餓へ向かう日本の旅路 / Japan’s Journey towards Starvation
  • 第12章 分裂した中国 / China Divided
  • 第三部 食料の政治 / The Politics of Food
  • 第13章 日本——天皇のために飢える / Japan – Starving for the Emperor
  • 第14章 ソ連——空腹のなかの戦い / The Soviet Union – Fighting on Empty
  • 第15章 ドイツとイギリス——二つの「権利」の考え方 / Germany and Britain – Two Approaches to Entitlement
  • 第16章 大英帝国——戦争がもたらした福祉 / The British Empire – War as Welfare
  • 第17章 アメリカ合衆国——大恐慌から豊かさへ / The United States – Out of Depression and into Abundance
  • 第四部 戦後 / The Aftermath
  • 第18章 飢える世界 / A Hungry World
  • 第19章 豊かさの世界 / A World of Plenty

本書の概要

短い解説:

本書は、第二次世界大戦を「食料」という未踏の視点から再解釈することを目的とする。戦史、政治史、経済史の読者に対して、ナチス・ドイツの飢餓計画とホロコーストの直接的連関、日本の農村危機と南下政策の関係、連合国によるベンガル大飢饉の放置など、戦争の駆動メカニズムを食料問題から浮かび上がらせる。

著者について:

歴史学者リジー・コリンガムは、ケンブリッジ大学で博士号を取得後、帝国史と食料史の交差点に関する研究で知られる。著書『カレー:ある料理の伝記』でも示した通り、彼女は「もの」の移動を通じてグローバルな権力構造を描く手法を得意とする。本書では膨大な一次資料と日記、回想録を駆使し、戦争の「現場」にある空腹の感覚を復元している。

テーマ解説

戦争の勝敗は火薬よりもカロリーによって決定された——本書は、20世紀の総力戦を「いかに食料を調達し、誰に配分するか」という分配の闘争として描き直す。

キーワード解説

  • 飢餓計画:ナチス・ドイツの農業官僚バッケが立案した、ソ連市民3000万人を計画的に餓死させることでドイツの食料を確保する狂気の戦略。
  • 生活圏:ドイツが東方に獲得しようとした農業植民地。アメリカの西部開拓をモデルに、スラブ系住民を「インディアン」のように駆逐する構想を含んでいた。
  • ベンガル大飢饉:1943年にイギリス領インドで発生し、約300万人が死亡。チャーチルの食料輸出優先政策と人種的差別が引き起こした「人災」。
  • カロリー戦略:栄養学を戦力変換装置として活用する思想。労働者や兵士の身体を、生産高を最大化する「カロリー消費単位」として扱う。
  • 配給の政治:平等を掲げるイギリス式配給と、労働者と「無用な食べる者」を峻別するナチス式配給の比較から見える、統治の正統性の差異。

3分要約

第二次世界大戦において、銃弾ではなく飢えで命を落とした人間の数は、戦死者数に匹敵する。少なくとも2000万人が starvation(飢餓)と栄養失調で死んだ。歴史家リジー・コリンガムは、この事実を手がかりに、戦争そのものを「食料獲得競争」として読み解く。本書の核心的な主張はこうだ。ナチス・ドイツと日本は、自国の都市人口を養うために「帝国」を必要とした。しかし彼らが獲得したのは豊かな農地ではなく、食料を奪われて飢える占領地と、それによって引き起こされるパルチザンの抵抗だった。

ドイツの場合、その論理は極めて計画的かつ殺人的だった。第一次大戦の「カブの冬」で国民が飢え、戦意を失った経験から、ナチスは「他民族が餓える前にドイツ人は決して餓えない」という原則を採用する。農業官僚ヘルベルト・バッケが立案した「飢餓計画」は、ソ連侵攻後、ウクライナの穀物をすべてドイツ軍と国民に回し、結果として3000万人のソ連市民を餓死させることを狙った。レニングラード包囲戦とキエフ、ハリコフの封鎖はその試験運用であり、ポーランドのユダヤ人への極小配給(184カロリー)はホロコーストを「経済的に合理的」に見せる口実となった。

日本も同様のジレンマを抱えていた。農村の疲弊と人口増加に対し、政府は満蒙開拓による「食料自給」を選ぶ。しかし現地の中国人農民を追い出して作った農業コロニーは失敗し、逆に本土への食料還流を喪失する。日本の真の弱点は物流にあった。アメリカの潜水艦が海上封鎖を強化すると、南方から調達した米は日本本土に届かず、ビルマやベトナムでは現地人が飢える一方で、日本兵自身も戦死の60%を starvation(飢え)で失うという逆説的事態を招いた。

連合国側も無垢ではない。イギリスは国内の「公平な配給」を達成したが、その裏でベンガル大飢饉を引き起こした。チャーチルはインドへの食料輸出を停止し、「あの連中はウサギのように増える」と述べて、推定300万人の餓死を事実上放置した。まさに「飢えの輸出」である。アメリカだけが豊かさを謳歌した。戦争はアメリカ農業を生産性革命へと押し上げ、農民は「タール紙の小屋から室内配管付きの新しい家へ」移動した。だがその「豊かさ」の裏で、メキシコ人労働者(braceros)の搾取と日系移民の強制収容が行われた。

本書の最も衝撃的な洞察は、戦時中の栄養学の政治化にある。栄養士たちは「労働者の生産性を最大化する食事」を設計した。イギリスでは工場食堂で「脂肪分の多いビールとバター」を制限された労働者が、結果として健康を改善した。しかしそれは人間をエネルギー消費単位として扱う功利主義の産物に他ならない。戦争が終わったとき、世界は空前の飢餓に直面した。しかしアメリカは備蓄ではなく、自国民の消費を優先した。1946年の干ばつでヨーロッパが危機に陥ったとき、トルーマン政権は「強制ではなく、アメリカ人の心が決める」と述べて配給再開を拒否した。冷戦下のマーシャル・プランは「人道」ではなく「反共」の論理で食料を配分した。

結論としてコリンガムは問いかける。現代の気候変動とバイオ燃料の拡大が穀物価格を押し上げる中、私たちは再び「誰が食べる権利を持つか」という戦前に戻りつつあるのではないか、と。戦争は終わった。しかし「食べ物をめぐる闘い」は、形を変えて続いている。

各章の要約

第1章 序論——戦争と食料

戦争による死者の数は戦場よりも飢餓の現場で多かったという事実から、本書は「食料」を分析の中心軸に据える。著者はまず、19世紀以降のヨーロッパにおける食生活の変化(穀物から肉へ)が、ドイツと日本を帝国主義へ駆り立てたと論じる。同時に、現代の食料危機(バイオ燃料、新興国の肉食増加)を戦間期の問題と連続的に捉え、歴史研究が現在に対する警告であることを示す。

第二部 食料をめぐる戦い

第4章 アメリカの好況

戦争はアメリカ農業を「良い戦争」へと変えた。農家の収入は156%増加し、トラクターやハイブリッド種子、化学肥料の導入が進んだ。特に冷凍食品と大豆の生産が飛躍的に伸び、大豆は戦後、加工食品(マーガリン、ソーセージの増量剤)として世界の食卓を支配する。しかしこの「豊かさ」の陰で、黒人小作人の土地追放やメキシコ人労働者の搾取、日系人の強制収容も進んだ。

第5章 イギリスの食料確保

イギリスは牧草を耕して小麦とジャガイモの生産を増やし、自給率を33%から44%に引き上げた。しかし真の成功は帝国とアルゼンチン、アメリカからの輸入維持にあった。コンビーフと乾燥卵は船腹不足を乗り切る「濃縮食料」だったが、味は「血の気が引くほど不味かった」。

第6章 大西洋の戦い

ドイツのUボートより深刻だったのは、連合国間の輸送船争いだった。アメリカ軍は自軍の輸送を優先し、イギリス向け冷凍肉の約束を反故にする。イギリスは備蓄を4〜6ヶ月分維持する方針を取ったが、これはアメリカ不信を招き、戦後まで尾を引いた。勝利はアメリカのリバティ船の大量建造によってもたらされ、1943年には1日3隻が進水した。

第7章 大英帝国の動員

イギリスは中東供給センター(MESC)を設立し、パレスチナやトルコなど異なる政体の間で食料の共同プールを機能させた。しかし東アフリカでは白人農場主がアフリカ人労働力を強制徴用し、戦後ジンバブウェの土地問題の遠因を創り出した。最悪の事例はベンガル大飢饉(1943年)で、チャーチルはインドへの食料輸送を60%削減し、約300万人が餓死した。

第8章 ドイツの食料調達

ドイツは自国の農業生産を維持するため、約700万人の外国人強制労働者を投入した。しかし生産性の限界は明らかで、1942年には肉とパンの配給を再び削減せざるを得なかった。占領した西欧諸国からはデンマークが最も効率的な収奪対象だったが、ギリシャでは紅十字の警告にもかかわらず約50万人が餓死した。

第9章 ドイツによる東部への飢餓の輸出

「飢餓計画」の実行現場。ドイツ軍は現地調達を原則としたため、ベラルーシやウクライナでは村から家畜も穀物も奪い尽くした。1941年から42年の冬、捕虜収容所では月に9000人のソ連兵が餓死した。キエフとハリコフでは「役に立たない食べる者」としてユダヤ人と学者が標的にされ、約15万人が餓死した。この危機がホロコーストの決断を加速させたと著者は論じる。

第10章 ソ連の崩壊

ソ連の農業はドイツ侵攻で最も肥沃な土地を奪われ、壊滅した。集団農場(コルホーズ)は政府への供出ノルマを達成するため、農民の私的農地を奪い、結果的に農民自身が飢えた。レニングラードでは約100万人が餓死したが、ソ連国民は「生き延びる技術」——野生の草、松の樹皮、ネズミの調理法——を既に1930年代の大飢饉で学んでいた。レンドリース物資(特にスパム)が赤軍の崩壊を防いだ。

第11章 飢餓へ向かう日本の旅路

日本の弱点は食料自給率(20%)ではなく、輸入に依存する船腹の脆弱さだった。アメリカ潜水艦の攻撃で南方からの米が届かなくなると、日本本土の配給はサツマイモと大豆に切り替わる。ビルマとベトナムでは無理な米の徴発が飢饉を引き起こし、ベトナムでは推定200万人が死亡した。日本兵自身も戦死の60%は starvation(飢え)によるものだった。

第12章 分裂した中国

国民党政府は日本との戦争で最も肥沃な穀倉地帯を失い、兵士を養うために農民から強制的に糧食(りょうしょく)を徴発した。河南省では1942年から43年にかけて干ばつと軍隊の略奪で約300万人が餓死した。対照的に共産党は軍自ら農業を営み、減租減息政策で農民の支持を得た。この「食料戦略」の差が、その後の内戦の帰趨(きすう)を決めたと著者は論じる。

第三部 食料の政治

第13章 日本——天皇のために飢える

日本兵は「武士道」と称して、米一粒まで自分で炊く「自給自足」を強要された。ガダルカナル島では補給を断たれた日本兵約1万5000人が starvation(飢餓)で死亡したが、上級司令部は「自活せよ」と命じるだけだった。本土でも1945年夏には配給カロリーが1680に低下し、栄養失調で倒れる市民が続出した。死因の多くは「空襲」ではなく「慢性的なカロリー不足」だった。

第14章 ソ連——空腹のなかの戦い

赤軍兵士のカロリーは必要量の60%以下だったが、ナチスの残虐性への恐怖が戦意を支えた。工場労働者は1日12〜16時間働き、生産性の低下を恐れたスターリンは、レンドリースのスパムを優先配給した。それでも労働者は体重を減らし続け、モスクワの街頭で餓死者が出る状況は1943年まで続いた。ソ連は「飢えても戦う」ことを国民に強い、それが可能な社会だった。

第15章 ドイツとイギリス——二つの「権利」の考え方

イギリスは全ての成人に同一配給(平等)を原則とした。これは不公平(肉体労働者には不十分)だったが「フェアだ」という国民の合意を得た。ドイツは肉体労働者に優遇配給(効率)を原則としたが、東欧の強制労働者には「ロシアンパン」(藁と砂糖大根の残渣)しか与えず、結果的に生産性は上がらなかった。両国の比較から著者は「公正の感覚」こそが総力戦の持続可能性を決める核心要因だと導く。

第16章 大英帝国——戦争がもたらした福祉

イギリスの市民栄養は劇的に改善した。妊婦への無料牛乳配給と学校給食が、階級間の栄養格差を閉じたからだ。植民地でも同様の政策は取られず、むしろ「栄養改善」は軍事的必要性から導入された。ビルマ戦線ではインド人兵士がビタミンB不足で失明する事態を受け、陸軍は「タスマニアン・フィールド・ピー」の発芽義務化など、強制的な栄養介入を開始した。戦争は「福祉」を生んだが、それは「兵士の戦闘効率」という冷徹な計算の産物だった。

第17章 アメリカ合衆国——大恐慌から豊かさへ

アメリカ兵は世界で最も恵まれた食事(1日4300カロリー)を享受した。戦地でもKレーションとPX(売店)でコカ・コーラとキャンディーが手に入り、「これこそが戦う理由だ」と兵士は感じた。しかしこの豊かさの代償は大きかった。太平洋の島嶼部では、アメリカ軍の基地建設で先住民の伝統的な食料生産システムが破壊され、戦後、彼らは缶詰と糖尿病という「アメリカン・ディズィーズ」を抱えることになった。

第四部 戦後

第18章 飢える世界

戦後、世界の食料総量は1939年比で一人当たり12%減少した。日本の都市では米の代わりに馬飼い用のふすまが出回り、東京だけで約10万人が餓死した。ドイツでは1946年の公式配給が約1000カロリーに低下し、「アメリカのタバコとチョコレート」が通貨代わりになった。しかし真の惨状はソ連だった。スターリンは備蓄を衛星国への輸出に回し、ウクライナでは再び人肉を食べる事件が発生した。

第19章 豊かさの世界

1945年にアメリカだけが豊作を迎えたが、トルーマン政権は救済より国内消費を優先した。1946年の世界干ばつで危機が表面化すると、フーバー元大統領は「空腹な子どもたち」の写真をキャンペーンに使ったが、食料備蓄は解放されなかった。結局、マーシャル・プランは「反共」の論理で西欧への食料供給を開始する。しかし飢餓問題の抜本的な解決——ボイド・オア(John Boyd Orr)が提案した世界食料理事会構想——は、アメリカの国務省によって握りつぶされた。戦後世界は「食べ物を武器にする」ことを止めなかった。


続きのパスワード記載ページ(note.com)はこちら
注:noteの有料会員のみ閲覧できます。

メンバー特別記事

会員限定記事(一部管理用)