
Superclass: The Global Power Elite and the World They Are Maki
『SUPERCLASS:グローバル・パワー・エリートと彼らが作り上げる世界』
目次
- ペーパーバック版への序文:スーパークラスの転換点?
- 序文
- 序章:プロムナードのパワー・エリート
- 第1章:各々は百万人に一人:スーパークラスとの出会い
- 第2章:Ceteris Non Paribus:不平等、反発、そして新秩序
- 第3章:歴史の教訓:エリートの興亡
- 第4章:多国籍企業の時代:金融とビジネスが世界の中心となるとき
- 第5章:グローバリスト対ナショナリスト:新世紀の政治的断層線
- 第6章:非対称性の時代:巨人の衰退と影の戦士の台頭
- 第7章:情報スーパークラス:アイデアの力
- 第8章:スーパークラスのメンバーになる方法:神話、現実、そして成功の精神病理
- 第9章:スーパークラスの未来——そしてそれが私たち残りの者にとって何を意味するか
本書の概要
短い解説:
本書は、グローバル化の時代に出現した新たな国際的エリート層——約6,000人の超富裕層・超権力者からなる「スーパークラス」——の実態を解明し、彼らが世界の政治・経済・軍事・メディア・宗教に与える影響力と、それによって生じる不平等やガバナンスの課題を多角的に分析することを目的としている。
著者について:
デイヴィッド・ロスコフ(David Rothkopf, 1955-)は、国際政治経済学者、作家、外交政策アナリスト。クリントン政権で商務省次官補を務め、キッシンジャー・アソシエイツのマネージング・ディレクターも歴任。『Running the World』(2005年)の著者でもあり、国際政治の実務と学術の両面に精通する。カーネギー国際平和財団の客員研究員も務める。
テーマ解説:
- グローバル・エリートの出現:国家の枠組みを超えた新たな権力階級が形成され、世界の運命に決定的な影響を及ぼしている。
- 権力と富の不平等:スーパークラスの台頭は、世界規模での富と権力の集中を加速させ、格差を拡大している。
- ガバナンスの欠如:国家主権の壁を越えるグローバルな課題に対し、既存の国際機関は機能不全に陥り、非公式なネットワークがその空白を埋めている。
キーワード解説:
- スーパークラス(Superclass):約6,000人の国際的エリート。政治的・経済的・軍事的・文化的影響力を持ち、国境を越えて数百万人の生活に影響を与える。
- ダボス・マン(Davos Man):世界経済フォーラム(ダボス会議)に集まるグローバル市民としてのエリート。国家忠誠心よりも国際的なネットワークを重視する。
- 市場原理主義(Market Fundamentalism):市場にすべてを委ねる思想。規制の緩和と民営化を推進し、不平等を拡大させた原因とされる。
- 非対称性の時代(Age of Asymmetry):超大国(ライオン)と非国家主体(ハエ)の間の非対称的な戦争の時代。テロリズムはその典型例。
- ガバナンス・ギャップ(Governance Gap):グローバルな課題に対応できる国際的な制度・枠組みが欠如している状態。スーパークラスがその空白を埋める存在となっている。
要点要約
本書『スーパークラス』は、冷戦終結後、グローバリゼーションの進展とともに出現した新たな国際的エリート層の実態を描き出す。ロスコフは、このスーパークラスが約6,000人の超富裕層・超権力者から構成され、彼らが世界の政治・経済・軍事・メディア・宗教に決定的な影響力を及ぼしていると論じる。従来の国家エリートとは異なり、彼らは国境を越えたネットワークを形成し、自らの利益に沿ったグローバルな秩序を形成している。
この階級の特徴は、権力と富の極度の集中にある。世界の富裕層上位10%が全世界の資産の85%を所有し、その中でもスーパークラスはさらに極小の階層として存在する。彼らはプライベートジェットで世界を移動し、ダボス会議やビルダーバーグ会議などの排他的な場でネットワークを構築する。その影響力は、国家政府の政策決定から市場の動向、さらには大衆の意識形成にまで及ぶ。
ロスコフは、このスーパークラスの台頭が世界規模での不平等を拡大させたと批判する。チリやロシアなどの事例を引きながら、市場改革が一部のエリートにだけ恩恵をもたらし、大多数の人々が取り残された実態を明らかにする。また、国際機関(IMF、世界銀行、国連)の機能不全により、スーパークラスが非公式なガバナンスの役割を担うようになった現状を指摘する。
しかし本書は単なる批判ではない。スーパークラスにはイノベーションやリーダーシップをもたらす側面もあり、歴史的に見ればエリートの興亡は繰り返されてきた。ロスコフは、スーパークラスが自らの長期的利益のために不平等是正やグローバル・ガバナンスの強化に取り組むべきだと主張する。もし彼らが現状を放置すれば、歴史が示すように反発と混乱が生じるだろう。
本書は、権力の集中、ガバナンスの欠如、グローバリズムとナショナリズムの対立という現代世界の核心的課題を、具体的なエピソードとデータを交えて描き出す。最終的にロスコフは、バランスの取れたグローバルな秩序の構築こそが、スーパークラス自身の生存と繁栄の条件であると結論づける。
各章の要約
序章:プロムナードのパワー・エリート
ロスコフはダボス会議の風景から始める。スイスの山岳リゾートに集う世界の指導者たち——CEO、国家元首、ノーベル賞受賞者——は、C・ライト・ミルズが1950年代に描いた「パワー・エリート」とは異なる新たな階級を形成している。彼らは国家を超えた「スーパークラス」の構成員であり、その影響力は国境を越えて及ぶ。ロスコフは自身の経験と観察をもとに、この新たなエリート層の研究の必要性を提示する。
第1章:各々は百万人に一人:スーパークラスとの出会い
スーパークラスの定義を明確にする。約6,000人のメンバーは、常に数百万人の生活に影響を与える能力を持つ。その大半は企業・金融業界のリーダーであり、政府・軍事・メディア・宗教の指導者が続く。パレートの80/20法則が示すように、権力と富は極度に集中している。スーパークラスの特徴として、排他的なアクセスとネットワークの重視があり、プライベートジェットや高級クラブ、国際会議がその手段となる。本章は、この階級が単なる富裕層ではなく、世界を動かす実質的な権力者であることを論証する。
第2章:Ceteris Non Paribus:不平等、反発、そして新秩序
チリを事例に、市場改革がエリートにのみ恩恵をもたらした実態を描く。チリの「奇跡」と呼ばれる経済成長の裏で、所得格差は拡大し続けている。ロスコフは、市場原理主義が「すべての船を持ち上げる」という約束を果たせなかったと論じる。権力と富の非対称的な分配は、グローバルなルールが既存の権力者の利益に合わせて設計されていることに起因する。CEO報酬の高騰や富裕層と超富裕層の格差拡大は、この不均衡の象徴である。
第3章:歴史の教訓:エリートの興亡
歴史的なエリートの興亡パターンを分析する。古代ギリシャ、17世紀中国(明王朝の崩壊と清の台頭)、アメリカの「強盗男爵」時代(カーネギー、ロックフェラー)を事例に、エリートは常に過剰な権力集中によって反発を招き、最終的に衰退するサイクルを繰り返してきたことを示す。この歴史的パターンは現代のスーパークラスにも当てはまり、彼らが同じ過ちを繰り返す危険性を警告する。
第4章:多国籍企業の時代:金融とビジネスが世界の中心となるとき
スーパークラスの中で最大の勢力を占める企業・金融エリートを分析する。ロシアのオリガルヒ(ホドルコフスキー)の興亡を例に、国家と企業の力関係の変容を描く。多国籍企業は国家を凌駕する経済力を持ち、規制のないグローバル市場で活動する。ブラックストーンのシュワルツマンやゴールドマン・サックスの事例を通じて、金融エリートが政府政策に与える影響力と、民間企業がグローバル・ガバナンスの空白を埋める実態を明らかにする。
第5章:グローバリスト対ナショナリスト:新世紀の政治的断層線
政治エリートのジレンマを扱う。国家主権に縛られた政治家は、グローバルな課題に対応するため国際協力を必要とするが、国内のナショナリストの反発に直面する。アメリカ大統領の権力集中、キャンペーン資金と企業の関係、サルコジやベルルスコーニなどの事例を通じて、政治とビジネスの癒着がグローバル政策を歪める実態を描く。国際機関(IMF、国連)の弱体化により、非公式なネットワークがガバナンスの役割を担うようになった。
第6章:非対称性の時代:巨人の衰退と影の戦士の台頭
軍事エリートとテロリストの「影のエリート」を分析する。アメリカの軍事力は依然として圧倒的だが、非対称的な脅威(テロ)には効果的に対処できない。国防総省と防衛産業の回転ドア関係が、恒久的な戦争体制を維持する構造を生んでいる。一方、アルカイダなどのテロ組織は情報技術を駆使して影響力を拡大し、国家の枠を超えたネットワークとして機能する。武器取引や民間軍事企業の台頭も、新たな力関係を形成している。
第7章:情報スーパークラス:アイデアの力
メディア・宗教・科学・文化のエリートを取り上げる。ルパート・マードックやアムル・ハーリド(イスラムのテレビ伝道師)のような情報エリートは、大衆の意識や価値観を形成する力を持つ。テロリストも情報技術を利用して影響力を増大させる。科学者(モリーナ)や宗教指導者(ハメネイ師)の事例から、アイデアや信仰がどのようにグローバルな影響力を持つかを示す。情報技術はエリートの力を増幅する一方、民衆化の可能性も秘めている。
第8章:スーパークラスのメンバーになる方法:神話、現実、そして成功の精神病理
スーパークラスのメンバーシップの実態と神話を検証する。陰謀論(フリーメイソン、スカル・アンド・ボーンズ、ビルダーバーグ会議)を退け、実際のエリート形成のメカニズムを解明する。スーパークラスに属する条件は、男性であること、欧米のエリート大学出身であること、ビジネスや金融の分野で成功していること、そして運が良いこと。成功者の精神病理(ナルシシズム、強迫性、権力への依存)も分析し、彼らが「普通の人々」とは異なる心理的特性を持つことを示す。
第9章:スーパークラスの未来——そしてそれが私たち残りの者にとって何を意味するか
スーパークラスの未来と、それが世界に与える影響を論じる。石油がもたらす腐敗(赤道ギニアの独裁者オビアンを事例に)を警告し、スーパークラスの利益が公共の利益と一致しない危険性を指摘する。しかし、スーパークラスにはイノベーションや成長をもたらす側面もある。アジア(特に中国・インド)のエリートの台頭が、スーパークラスの構成と価値観を変えつつある。ロスコフは、スーパークラスが自らの長期的利益のために不平等是正とグローバル・ガバナンスの強化に取り組むべきだと結論づける。バランスの取れた秩序の構築こそが、彼らの生存と繁栄の条件である。
想定読者・前提知識・読みどころ
- 想定読者:国際政治・経済に関心のある一般読者、グローバリゼーションの影響を理解したいビジネスパーソン、政治学・社会学・国際関係論を学ぶ学生・研究者。
- 前提知識:基本的な国際政治経済の知識(IMFや世界銀行の役割、グローバリゼーションの概略)があれば理解が深まる。専門用語は丁寧に説明されているため、初心者でも読解可能。
- 分量・難易度:約400ページ(ペーパーバック版)。学術的な分析とジャーナリスティックな叙述が混在し、豊富な実例とインタビューに基づくため読みやすい。ただし、歴史的・経済的な文脈を多く含むため、集中して読む必要がある。
- 読みどころ:
- 第1章はスーパークラスの定義と全体像を把握するための核心。
- 第3章の歴史的分析は、現代エリートを理解するための基盤となる。
- 第4章と第5章は、ビジネスと政治の関係性を知るうえで重要。
- 第9章の結論は、本書全体の論点をまとめ、未来への展望を示す。
- 特定の関心に応じて、第6章(軍事・テロ)、第7章(メディア・宗教)、第8章(エリートの実態と神話)から読むことも可能。
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メンバー特別記事
スーパークラスは国家を卒業したか──『SUPERCLASS』の分析枠組みを現代のデジタル帝国に拡張する
by DeepSeek
デイヴィッド・ロスコフ『SUPERCLASS:グローバル・パワー・エリートと彼らが作り上げる世界』を読む
本書の骨格──国家の枠を超えた約6,000人の超富裕層・超権力者が「スーパークラス」を形成し、グローバルなガバナンスの空白を非公式に埋めている──を目にしたとき、最初に浮かんだのは知的好奇心だ。2008年の時点でこの構造を見抜いていたロスコフの眼は、2026年のいま、何を捉え損ね、何を予見していたのか。とりわけ気になるのは、本書が分析の主役に据える「ダボス・マン」が、今日のテクノロジー寡頭制や暗号資産のエコシステムの前で、むしろ古風な地縁的存在に見え始めているという直感である。ロスコフのスーパークラスは飛行機で移動し、ダボスやビルダーバーグで握手を交わす。今日の新興エリートは、物理的に移動せずともプラットフォーム上で帝国を運営し、国家の法域そのものを迂回するコードを書く。この違いは単なる手段の変化ではなく、スーパークラスの「領土」の定義を根底から変えているのではないか。
ロスコフがスーパークラスの中核に据えるのは、多国籍企業のCEOや金融業界の巨人たちだ。ブラックストーンのシュワルツマン、ゴールドマン・サックスの面々、ロシアのオリガルヒ。彼らの権力は、究極的には国家が定める法人格や規制の枠組みの上に成立している。国家の制度と衝突することはあっても、制度そのものが不要になったわけではない。第4章や第5章で描かれる「回転ドア」関係や政治献金の構造は、国家という制度への依存をむしろ前提にしている。だが、この前提は今日、崩れ始めている。ビットコインのプロトコルは国家の通貨発行権を必要としない。イーサリアム上で動く自律分散型組織(DAO)は、特定の国家に登記された法人格を持たずに、何十億ドルもの資金を管理し、意思決定を行う。GAFAに代表される巨大プラットフォームは、独自の利用規約とアルゴリズムによる統治システムを持ち、国家の法律と並行して、あるいはそれを上書きする形で数十億人の行動を規定している。ここに至って、スーパークラスの「領土」は物理的な国境から、プロトコルとプラットフォームというデジタルな領土へと重心を移しつつある。
この変化は、ロスコフが第8章で分析した「スーパークラスのメンバーになる方法」の条件も大きく揺るがす。彼はその条件として「男性であること、欧米のエリート大学出身であること、ビジネスや金融の分野で成功していること、そして運が良いこと」を挙げた。このリストは、今日のテクノロジー・エリートにはもはや完全には当てはまらない。イーサリアムの共同創設者ヴィタリック・ブテリンは大学を中退し、その出自はカナダとロシアのハッカーコミュニティにある。数多くの暗号資産プロジェクトの創業者たちは、MBAではなくGitHubのコミット履歴を信頼の担保とし、シリコンバレーのアクセラレーターではなく、グローバルに分散したオンライン・ハッカソンから頭角を現す。エリート大学というパイプは依然として強力だが、それに代わる新たなパイプラインが無視できない規模で出現しているのだ。これはロスコフが描いた「閉鎖的なネットワーク」の原理そのものは変わらないものの、その入り口と通過儀礼の様式が情報技術によって分散化されたことを示す。ネットワークの排他性は、物理的な会員制クラブから、特定の技術的知識(暗号理論、スマートコントラクトの記述能力)を持つ者だけが参加できるデジタル・ゲーテッドコミュニティへと移行している。
ここで、既存の制度の横に自律的な文化・経済・生活の基盤を作る実践という視点からこの変化を捉え直すと、非常に興味深い構造が見えてくる。従来のスーパークラスは、ロスコフの言葉を借りれば「非公式なガバナンス」の担い手だった。国家や国際機関が機能しない「ガバナンス・ギャップ」を、彼らのネットワークと非公式な合意が埋める。これは、いわば制度の「隙間」で作動する権力である。しかし、今日のテクノロジー・エリートの一部は、隙間を埋めるのではなく、制度の「横」に新しい制度を丸ごと構築する道を選び始めている。ビットコインのネットワークは、中央銀行間の決済システムの隙間を埋めるのではなく、中央銀行そのものを不要とする前提で設計された、全く別の支払いレイヤーである。これは、スーパークラスのガバナンス戦略の質的な転換点を示す。彼らはもはや国家の制度を利用したり、その欠陥を補完したりするのではなく、国家というOSの上で走るアプリケーションから、それ自体が独立したOSへと進化しようとしているように見える。
この視座に立つと、ロスコフが第5章で見出した「グローバリスト対ナショナリスト」という新世紀の政治的断層線は、より先鋭化した「アナログ国家対デジタル帝国」の断層線として再解釈できる。今日、私たちが世界中で目撃しているナショナリズムの再燃は、単なる排外主義への退行としてだけでは捉えきれない側面を持つ。それは、課税も規制も及ばないデジタル空間に富と権力が流出していくことに対する、国家という枠組みの側からの、いわば免疫反応としての側面である。国家は、自らの領土内で活動しながら自らの法を回避するプラットフォーム帝国に対し、デジタル課税や独占禁止法、越境データ規制といった新たな関税障壁を必死に築こうとしている。ロスコフが描いた2000年代の断層線が、物理的な国境を越えるモノ・カネ・ヒトの流れをめぐる争いだったとすれば、2020年代のそれは、国家の主権そのものが適用される「空間」の定義をめぐる争いである。この戦いに敗れれば、国家は単なる物理的領土の管理人に格下げされ、本当の意味での統治機能は、コードを支配するスーパークラスへと委譲されるかもしれない。
ロスコフの主張をさらに増幅して考えてみたい。彼は第9章で、スーパークラスが自らの長期的利益のために不平等是正とグローバル・ガバナンスの強化に取り組むべきだと説き、バランスの取れた秩序の構築を呼びかける。これは、スーパークラスが「この世界」の船を沈めないために賢明であれ、という啓蒙的な勧告だ。しかし、先に述べた「OSからOSへの進化」がさらに進行した場合、この前提そのものが崩れる。彼らが作る新しいデジタル・ガバナンスのシステムが、既存の国家システムから完全に自己充足し、自らの富と安全を物理世界の混乱から遮断できるようになった時、「私たち残りの者」と「この世界」を共有する必要性は、論理的に消滅する。物理的な領土を複数持つ「パスポート・ポートフォリオ」、海上や宇宙空間に建設される自律都市、暗号技術によって物理的暴力から隔離された資産。これらは、ロスコフが想定した「ノブレス・オブリージュ」の物質的基盤そのものを掘り崩す。彼の警告は、スーパークラスとそれ以外が「運命共同体」であることを前提としているが、技術はその前提を解除する方向へ進んでいる。
ここで一つ、ロスコフのテキストの「沈黙」に目を向ける必要がある。本書はスーパークラスを批判的に分析しながらも、その記述の多くはスーパークラスの「内部」にアクセスできる著者の特権的な視点に依存している。ダボス会議の観察、CEOや政治家へのインタビュー、政策決定の舞台裏。この内部視点が本書のリアリティの源泉であると同時に、ある構造的な死角を生み出している。それは、スーパークラスのネットワークによって「排除された」側の論理、ネットワークの外部に出たままの集団の経験である。ロスコフの分析枠組みは、権力のピラミッドの頂点を精緻に描写するが、そのピラミッドの「外部」に留め置かれた人々──極度の貧困にある層、国家の保護すら受けられない難民、デジタル・インフラに接続できない情報貧困層──の視点を、分析の中心に据えていない。この沈黙は、本書の主題が「スーパークラス」そのものにある以上、ある意味で当然だが、ここで私が増幅しようとしているテクノロジー寡頭制の文脈では決定的な重要性を持つ。デジタル帝国から排除されることは、物理的な国境から排除されることとは比較にならないほど徹底した不可視化をもたらすからだ。プラットフォームにアカウントがなければ、あなたは存在しない。この新たな「外部」を分析する語彙は、ロスコフのスーパークラス論にはまだ用意されていない。
さらに思考を進めると、このデジタル帝国のエリートたちが形成しつつあるガバナンスは、ロスコフが批判した「市場原理主義」を別の次元で反復しているように見える。「市場原理主義」が「規制の緩和と民営化」を唱えたのに対し、新しいドグマは「コードによる自動執行」と「トラストレス(信頼不要)」を掲げる。ここでは、公正さは人間の裁量や民主的な手続きによってではなく、あらかじめ書かれたプロトコルによって機械的に達成されるとされる。しかし、そのプロトコルを誰が、どのような価値観で設計するのかという根源的な問いは、技術のブラックボックスの中に巧妙に封印される。「コードは法である」という言葉は、一見すると公正無私なルールによる統治を約束するが、実際には立法権をコーダーという新たな聖職者階級に委ねることである。この点で、対象領域の「道具や技術を、使用者の自律を拡張するか制度への依存を深めるかで判定する視点」が有効になる。暗号資産や分散型台帳技術は、国家の検閲や金融排除からの自律を個人に与える一方で、その複雑性とボラティリティゆえに、それを理解しリスクを取れるごく一部のスーパークラスへの新たな依存を生み出す。自律をもたらすはずの道具が、新たな依存の源泉へと反転するこの逆説こそ、ロスコフの古典的分析を今日に延命させるための鍵である。
この考察の先に、ロスコフが最後に置いた「バランスの取れたグローバルな秩序の構築」という希望は、別の形を取らざるを得ないことが見えてくる。もはや、従来の国際機関の改革や、スーパークラスの良心に訴えるだけでは追いつかない。必要とされているのは、デジタル帝国の「プロトコル」に対抗しうる、別のプロトコルと実践の重層的な集積であろう。それは、分散型技術を個人やコミュニティの自律のために再取得し直す無数の試み(市民によるデータ協同組合や、地域通貨の分散台帳化など)であり、プラットフォームのアルゴリズムを監査し可視化する対抗技術であり、そして、デジタル空間における新しい「コモンズ」を定義し防衛する法的・社会的な闘争である。小規模・分散・重層的で、単一の対抗組織に頼らないこの構図は、まさに対象領域が焦点を当てる実践の集積に他ならない。ロスコフの「スーパークラス」は、我々に対抗者としてではないにせよ、我々自身の自律的なガバナンスを構築しなければならない必然性を、その卓越した分析によって逆説的に突きつけているのだ。
総括
本書『SUPERCLASS』が読者の判断の道具箱に加えた最も重要なものは、「国家の枠を超えたネットワークとしての権力」を具体的に捉える分析枠組みである。6,000人という規模感、彼らの行動原理、そして「ガバナンス・ギャップ」の概念は、グローバルな出来事を理解するための基礎的なレンズとして機能し続ける。本考察が明らかにしたのは、このレンズそのものが、テクノロジーによって生まれた新たなエリートの質的変容──制度の隙間を埋める権力から、制度を丸ごと代替するプロトコルを創造する権力への移行──を捉えきれなくなっている領域である。ロスコフの枠組みは古典的な価値を保ちつつ、その適用限界もまた可視化されてきた。
この考察が開いたまま残す問いは次のものだ。スーパークラスが、国家の法域に依存せず、コードによって自己執行される独自のガバナンス・システム(プラットフォーム、暗号経済、自律都市)を完全に実現したとき、「私たち残りの者」は、彼らのシステムに「参加しない」または「退出する」という選択肢を実質的に持ちうるのか。それとも、そのシステムこそが唯一のグローバルOSとなり、「退出」はシステムからの存在論的な追放、すなわち不可視化を意味するのか。この問いの検証が、スーパークラス論の次なる段階である。
