書籍要約『否認の諸相:残虐行為と苦しみを知ること』 スタンレー・コーエン 2001

悪、犯罪学、サイコパス、ポリティカル・ポネロロジー生命倫理・医療倫理

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『States of Denial:Knowing about Atrocities and Suffering』

Stanley Cohen 2001

『否認の諸相:残虐行為と苦しみを知ること』

スタンレー・コーエン 2001

目次

  • 序文 / Preface
  • 第1章 否認の原初形態 / The Elementary Forms of Denial
  • 第2章 知ることと知らないこと:否認の心理学 / Knowing and Not-Knowing:The Psychology of Denial
  • 第3章 機能する否認:メカニズムとレトリック装置 / Denial at Work:Mechanisms and Rhetorical Devices
  • 第4章 残虐行為の説明:加害者と当局者 / Accounting for Atrocities:Perpetrators and Officials
  • 第5章 過去の遮断:個人の記憶と公的な歴史 / Blocking out the Past:Personal Memories, Public Histories
  • 第6章 傍観者国家 / Bystander States
  • 第7章 苦しみのイメージ / Images of Suffering
  • 第8章 訴えかけ:怒りを行動へ / Appeals:Outrage into Action
  • 第9章 墓を掘り起こし、傷口を開く:過去を認めること / Digging up Graves, Opening up Wounds:Acknowledging the Past
  • 第10章 いま、ここでの承認 / Acknowledgement Now
  • 第11章 否認の文化に向かって? / Towards Cultures of Denial?

本書の概要

短い解説

本書は、人間が自分自身や他者の苦しみについて知りながら、なぜそれを見過ごし、無視し、否認するのかを、心理学的・社会学的・政治的観点から包括的に分析する。

著者について

著者スタンレー・コーエンは、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの社会学者であり、南アフリカでの幼少期の経験とイスラエルでの人権活動への関与から、苦しみに対する社会の無関心と否認のメカニズムに長年取り組んできた。

テーマ解説

本書は、残虐行為や苦しみに関する情報に直面した際に、個人、組織、国家がとる「否認」という複雑で多層的な反応を、その心理的基盤から政治的戦略まで解き明かす。

キーワード解説

  • 否認のパラドックス:情報を「知っている」と同時に「知らない」という、意識の分裂状態。
  • 解釈的否認:事実そのものは否定しないが、それに「拷問」や「虐殺」といった否定的な解釈が当てはまることを否定すること。
  • 含意的否認:事実とその解釈は認めるが、そこから生じる心理的・道徳的義務(行動する責任)を否定すること。
  • 傍観者効果:緊急事態において、他に人がいることで責任感が分散され、個人が介入しなくなる現象。
  • 知識と承認のギャップ:情報を知っていることと、その意味を認め、適切に行動することの間にある乖離。
  • 公式的否認:政府が人権侵害の告発に対して行う、嘘、言い換え、正当化などの組織的な反応。
  • 文化としての否認:社会全体に浸透し、特定の苦しみについて語ることをタブー視したり、無関心を当然とする無言の合意。

3分要約

本書は、南アフリカのアパルトヘイト下で著者が幼少期に感じた「なぜ私の家には暖かいベッドがあり、外の警備員にはないのか」という疑問から出発する。この「知っているのに何かがおかしい」という感覚は、やがて「なぜ人々は他者の苦しみを知りながら、それに対して無関心でいられるのか」というより大きな問いへと発展する。コーエンはこの広範な現象を「否認」というコードネームで捉え、その多様な形態を分類する。それは単なる嘘とは異なり、情報を認識しながらも、その心理的、道徳的、政治的な意味を遮断する複雑なプロセスである。

第1章から第3章では、「否認」の概念的枠組みとその作動メカニズムが探求される。否認は、事実そのものを否定する「文字的否認」、事実の解釈を否定する「解釈的否認」、事実から導かれる道徳的義務を回避する「含意的否認」に大別される。その心理学的基盤は、フロイトの精神分析における「否認(disavowal)」と「分割」の概念に遡る。そこでは、苦痛な現実を意識から締め出す無意識の防衛機制として説明される一方、サルトルの「悪意(bad faith)」は、より意識的な自己欺瞞のプロセスを描き出す。さらに日常レベルでは、犯罪者や患者が用いる「責任の否認」「被害者の否認」といった「理屈(accounts)」や、家族や組織内で共有される「共謀的沈黙」が、いかにして苦しみを日常化し、見えなくするかを明らかにする。

第4章から第7章では、分析は個人から公的領域へと移行する。ホロコーストやアルゼンチンの「汚い戦争」における加害者たちは、「命令に従っただけだ」「知らなかった」といった「理屈」を用いて自らの行為を否認する。これらは、政府が人権侵害の告発に対して用いる「公式的否認」のレトリック(字義的通り否認、婉曲表現、法的解釈、自己正当化)と驚くほど類似している。また、過去の記憶に関しても、個人はトラウマを抑圧し、社会全体は「社会的健忘症」に陥り、恥ずべき過去を覆い隠す。このような文化は、南アフリカのアパルトヘイト、ナチス・ドイツの「普通のドイツ人」、イスラエルの占領政策など、具体的な事例を通して描かれる。同時に、遠く離れた場所での苦しみを知らせるメディアや人道支援団体の訴えも、「 compassion fatigue(同情疲れ)」という新たな否認の形態に直面する。

残りの章では、このような否認に対抗する「承認」の可能性が探求される。南アフリカの真実和解委員会のような制度は、過去の残虐な真実を公に認め、社会を癒やすための試みである。しかし、真実を知ることと行動することの間には依然として大きな隔たりがある。真の承認とは、知識を単に受け取ることではなく、それを内面化し、倫理的な責任として行動に移すことである。個人が傍観者から積極的な支援者へと変わる稀有なケース(ホロコースト期の救助者など)の分析は、この変容の難しさと可能性を示す。最終章では、ポストモダニズムの相対主義が、かえって否認のための文化的な「言い訳」を提供していると批判する。それでも著者は、遠く離れた他者の苦しみに対する「道徳的無関心」に対抗する唯一の道は、差異を認めた上でなお「友愛(fraternity)」の原理に基づき、苦しみの閾値を普遍化することだと結論づける。

各章の要約

第1章 否認の基礎形態

否認とは、あまりにも動揺させる、脅威的な、または異常な情報が完全に吸収されたり公然と承認されたりしない状態を指す。コーエンは否認を三つの次元で分類する。心理的次元では、無意識の防衛機制から意識的な嘘、そして「知りながら知らない」グレーゾーンまで連続体をなす。内容的次元では、「リテラルな否認」(事実の否定)、「解釈的否認」(事実は認めるが意味を言い換える)、「含意的否認」(事実と解釈を認めつつ帰結を拒否する)に区分される。組織的次元では個人、文化、公式の三水準がある。さらに時間(歴史的/現代)、主体(被害者/加害者/傍観者)、空間(自社会/他社会)によって否認の形態は変わる。この分類枠組みは本書全体の基礎となる。

第2章 知ることと知らないこと:否認の心理学

コーエンは日常的な「知りたくない」という感覚から始め、フロイトの精神分析における否認概念を検討する。フロイトは「Verleugnung」(否認/拒絶)を、現実の知覚そのものではなく、その含意を認識しない防衛機制として位置づけた。しかしフロイトの説明は男性の去勢恐怖という特殊な文脈に限定されており、拡張には問題がある。コーエンはサルトルの「悪意」概念も検討し、自己欺瞞のパラドックスを論じる。認知心理学のアプローチは防衛機制を否定し、知覚防衛や選択的注意を「情報処理のエラー」として説明する。しかしコーエンは、どんな理論も文学が描き出す「知りながら知らない」という人間の複雑な状態を完全には捉えられないと結論づける。

第3章 働く否認:メカニズムと修辞的装置

この章は否認が実際にどのように機能するかを、日常的な逸脱行為の事例から分析する。コーエンは「正常化」概念を導入し、ドメスティック・バイオレンスが公的問題として認識されるまでの過程を描く。認知的不協会理論や防衛機制では説明できない「合理化」のレパートリーを、シクスとマッツァの「中和化の技法」を用いて分析する。すなわち責任の否認、傷害の否認、被害者の否認、非難者の非難、高位の忠誠への訴えである。さらに組織的な隠蔽(ウォーターゲートからスコット inquiry まで)と、日常的な傍観者の反応パターンを検討する。コーエンは、傍観者の受動性を単なる無関心と決めつけるのではなく、その複雑な心理的プロセスを丁寧に描き出す。

第4章 残虐行為の説明:加害者と当局者

コーエンは政治的残虐行為の加害者の言説を、公式否認と並行して分析する。加害者の「知らなかった」という主張は、アルベルト・シュペーアの場合のように単なる嘘ではなく、「知りながら知らない」という複雑な状態である。責任の否認の技法として、「命令に従っただけ」「同調」「必要性」「自我分割」などを取り上げる。また公式否認のレパートリーとしては、リテラルな否認(何も起きていない)、解釈的否認(婉曲表現・法律主義・責任転嫁)、含意的否認(正当化・必要性・被害者非難・有利な比較)を詳細に検討する。アルゼンチン・フンタの二重言説やイスラエルの拷問論争は、公式否認の典型例として分析される。

第5章 過去の封鎖:個人の記憶、公共の歴史

個人の過去の否認と社会全体の歴史的否認との関係を論じる。コーエンは「想起された記憶」論争を取り上げ、幼少期の性的虐待の記憶が「回復」されるという主張の妥当性を批判的に検討する。真実委員会や戦犯法廷における「知らなかった」「忘れていた」という主張は、単なる嘘ではなく複雑な自己欺瞞の領域に属する。アルゼンチンの「失踪者」や南アフリカの真実和解委員会の証言は、「知りながら知らなかった」という状態の典型である。さらにアルメニア人虐殺の否定やホロコースト否定運動のような組織的な歴史否認のメカニズム、そして情報が「文化すべり」によって自然に忘却されていくプロセスを分析する。

第6章 傍観者の状態

内部の傍観者(自社会での苦しみを知ること)と外部の傍観者(他国での苦しみを知ること)を区別する。コーエンはキティ・ジェノヴィーズ事件に端を発する傍観者実験の知見を整理しつつ、それだけでは政治的暴力の傍観者を説明できないと論じる。ナチス時代の「普通のドイツ人」に関する歴史研究を引きながら、彼らが「知るには知っていたが、これ以上知らない方が良いと判断した」状態を描き出す。ラテンアメリカの「恐怖の文化」やハヴェルの「嘘のうちに生きる」概念を参照し、強制と自己規制のあいだのグラデーションを分析する。イスラエルは「民主主義の中の否認」の特殊事例として取り上げられる。

第7章 苦しみのイメージ

メディアと人道支援組織が苦しみをどのように表象するか、そしてその表象が傍観者の反応にどう影響するかを分析する。ニュース価値の基準は客観的な被害の規模ではなく、地政学的関心、文化的親近性、視覚的ドラマ性によって決定される。コーエンは「飢えたアフリカの子ども」イメージをめぐる議論を詳細に検討し、ネガティブ・イメージとポジティブ・イメージの緊張関係を描き出す。また「コンパッション・ファティーグ」(共感疲労)の概念を批判的に検討し、情報過多や感覚麻痺だけでは説明できない問題の複雑さを指摘する。ケヴィン・カーターのスーダン写真(ハゲタカと飢えた少女)の事例は、イメージの力を示すと同時に、その解釈の多様性も示している。

第8章 訴え:怒りを行動へ

アムネスティ・インターナショナルやオックスファムなどの人道支援団体の訴えを分析し、どのように否認を乗り越えようとしているかを検討する。典型的な訴えの物語構造は、「あなたは誰か」(対象読者の定義)、「問題は何か」(個別事例のドラマ化)、「私たちは誰か」(組織の信頼性)、「あなたに何ができるか」(エンパワーメント)、「なぜ行動すべきか」(否認への対抗)、「最後の呼びかけ」という六部構成をとる。効果的な訴えは、ショック、怒り、罪悪感、共感などの感情と、合理的な情報提供を組み合わせる。「休日のスナップ写真」キャンペーンのように、日常的な文脈に残虐なイメージを挿入することで、否認の壁を突き破ろうとする試みが紹介される。

第9章 墓を掘り、傷を開く:過去の承認

過去の残虐行為への承認の形態を、真実委員会、刑事裁判、資格剥奪(ラストレーション)、補償、命名と恥辱、否認の犯罪化、追悼、贖罪と謝罪、和解、社会再建という十の方法に分類して分析する。コーエンは南アフリカの真実和解委員会が採用した四つの「真理」(事実的/法医学的真理、個人的/物語的真理、社会的/対話的真理、癒しと修復の真理)を詳細に検討する。同時に、過剰な承認がもつ危険性も指摘する。アルゼンチンの「失踪者」の母親たちのように、真実を求め続けることは傷を開き続けることでもある。ポストモダンの「ヴァーチャルな記憶産業」や「インスタントな謝罪」への批判も展開される。

第10章 現在の承認

コーエンは否認を正常状態と捉え、承認が起きる条件を探求するという理論的立場を明確にする。アパルトヘイト南アフリカの白人主婦アグネス・バイス、ボスニアでのレイプ報道に衝撃を受けた女性、ブルンジで隣人を保護した老人などの事例を紹介し、なぜ一部の人だけが「目を開く」のかを問う。承認の形態として、自己知識、道徳的証言、内部告発、「嘘の外に生きる」ことを検討する。ホロコースト時の「救助者」研究を引きながら、「拡張性」(extensivity)という性格特性が受動性(「収縮性」)と対比される。しかしコーエンは、英雄的な行動を一般化するのではなく、教育、法制度、効果的な訴え、制度化された承認経路といったより現実的な方策を提案する。

第11章 否認の文化に向けて?

結論章では、否認を克服するプロジェクトの複雑さを改めて問い直す。コーエンはポストモダンの認識論的相対主義が、残虐行為の否定者に「別の見方」という隠れ蓑を提供していると批判する。真理の多元性を強調するあまり、人権の普遍性そのものが脅かされている。しかし同時に、過去半世紀で道徳的想像力は拡大し、遠方の他者の苦しみへの感受性は確実に高まっているとも論じる。最後にコーエンは、苦しみのイメージに対する反応の個人差の不可解さに立ち返る。ダイアン・アーバスの写真を見て深く動かされる者と、同じ写真に無感動な者がいるように、否認と承認の境界は最終的には各人の「見る目」の問題として残る。著者はドン・マカリンが撮影したビアフラのアルビノの少年の写真を引きながら、「通り過ぎる者については語ることは何もない」とベルジェが書いたことに異議を唱え、語ることを諦めない姿勢を示す。


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