書籍要約『国家に抗する社会:政治人類学論攷』ピエール・クラストル 1989

並行社会・抵抗運動・抵抗運動弱者の武器、ゾミア、ジェームズ・スコット権力

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『Society Against the State:Essays in Political Anthropology』Pierre Clastres (1989)

『国家に抗する社会:政治人類学』ピエール・クラストル (1989)

目次

  • 序章 コペルニクスと野蛮人 / Copernicus and the Savages
  • 第1章 交換と権力:インディアン酋長制の哲学 / Exchange and Power:Philosophy of the Indian Chieftainship
  • 第2章 独立と外婚 / Independence and Exogamy
  • 第3章 アメリカ先住民の人口学の諸要素 / Elements of Amerindian Demography
  • 第4章 弓と籠 / The Bow and the Basket
  • 第5章 何がインディアンを笑わせるか / What Makes Indians Laugh
  • 第6章 語る義務 / The Duty to Speak
  • 第7章 ジャングルの中の預言者たち / Prophets in the Jungle
  • 第8章 多なき一について / Of the One Without the Many
  • 第9章 未開社会における拷問について / Of Torture in Primitive Societies
  • 第10章 国家に抗する社会 / Society Against the State

本書の概要

短い解説

本書は、権力の本質を問い直し、「国家なき社会」における政治的なもののあり方を、南米インディアンの詳細な民族誌に基づいて考察する。西洋中心的な権力概念を相対化し、国家に抗する社会の創造的理性を明らかにすることを目的とする。

著者について

ピエール・クラストル(1934-1979)は、フランスの人類学者。レヴィ=ストロースに師事しながらも、その構造主義に独自の政治人類学的視角を加えた。パラグアイとベネズエラのインディアン社会での長期フィールドワークに基づき、権力、国家、社会の関係を根本から問い直す仕事を展開した。エコール・プラティーク・デ・オート・エチュードで南米インディアンの宗教と社会の教授を務めた。

テーマ解説

本書の中心テーマは「権力なき権力」のパラドックスを通して、国家を欠く社会がどのようにして自らの政治的秩序を維持し、いかなる論理で国家の出現を拒絶するかを解明することである。

キーワード解説

  • 非強制的権力:西洋的な命令=服従関係に還元されない、暴力や強制を伴わない権力のあり方。インディアンの酋長は「権力」を持つが、それを行使する手段を持たない。
  • 交換と権力:女性、財、言葉の交換という社会の三つの基本的レベルと、酋長制の関係。酋長は女性を独占する代わりに、言葉と財の贈与を義務づけられる「一方的贈与」の関係。
  • 身体への刻印:国家権力が法を文字に書き記すのに対し、未開社会は通過儀礼での拷問を通じて法を身体に刻み込む。これは不平等の発生を防ぐ「社会の自己防衛」である。
  • 予言者と酋長:トゥピ=グアラニ社会において、酋長の権力強化に対抗して現れた予言者たち。彼らは「悪しき大地」を捨てて「悪なき大地」への移動を導き、国家的一体化を拒否した。

3分要約

本書の出発点は、従来の人類学が「国家なき社会」を本質的に欠如した「未完成な」社会として評価してきたことへの根本的な批判である。クラストルは、この見方が西洋中心的な進化論と民族中心主義に基づくものであると断じる。彼は「未開社会には権力がない」という命題を逆転させ、「未開社会は権力を積極的に拒否する社会である」と主張する。すなわち、それらの社会は国家へと「発展できなかった」のではなく、「国家に抗する」ことを自らの存在原理として選択しているのだ。

インディアン社会の酋長は、一見すると権力を持つように見えて、実際にはほとんど何の強制力も持たない。酋長は平和の調停者であり、 generous(寛大)であることを義務づけられ、優れた演説家でなければならない。また彼は複数の妻(ポリガミー)を許される特権を持つが、その代償として財と言葉を絶えず群集に与え続ける義務を負う。女性は酋長へと「一方通行」で流れ、財と言葉は酋長から群集へと一方通行で流れる。これは「交換」の停止であり、権力を社会の外部に置き、その無力化を図る「構造的策略」である。

クラストルはさらにグアヤキ・インディアンの民族誌を通じて、男たちが自らの獲物を食べることを禁じるタブーと、女性不足から生じる一妻多夫制が、同じく「交換」を通じた社会の自己形成と、それからの逃避としての「歌」の機能を鮮やかに描き出す。男たちは夜ごとに独り歌う。それは言葉を交換という機能から切り離し、自己の価値として歌う行為であり、社会の掟から一時的に逃れる「夢」の場である。

チュルピ・インディアンの笑話の神話分析は、彼らが最も畏怖する存在であるジャガーとシャーマンを嘲笑の対象にすることで、その権威を無化する「笑い」の戦略を示す。国家なき社会では、法は文字に書かれるのではなく、通過儀礼での拷問による「身体への刻印」を通じて記憶される。この残酷な儀礼は、「お前は誰よりも優れておらず、誰よりも劣ってもいない」という平等の法則を身体に書き込み、権力の萌芽を未然に防ぐのである。

最後にクラストルは、トゥピ=グアラニ社会で発生した「悪なき大地」を求める大規模な宗教移動を取り上げる。これは酋長たちの権力強化の動きに対する社会の「反乱」であり、予言者たちの言葉は「一なるもの」(=国家)を悪として退け、「多なき一」としての完全な世界を希求する。未開社会の歴史とは、まさに「国家との闘いの歴史」なのである。

各章の要約

序章 コペルニクスと野蛮人

西洋の権力概念は命令=服従の関係を本質と見なす。この視点からは、強制を伴わないインディアンの酋長制は「権力なき権力」というパラドックスとして映る。クラストルは、「未開社会は権力を持たない」という語り自体が進化論的バイアスに基づくと批判する。必要なのは「未開社会を中心に西洋を回転させる」コペルニクス的転回であり、権力を暴力に還元しない政治人類学の構築である。

第1章 交換と権力:インディアン酋長制の哲学

南米インディアンの酋長は、平和の調停者、寛大さ、雄弁という三つの条件を満たさねばならず、さらに複数の妻を持つ特権を有する。女性は群集から酋長へと「一方通行」で与えられるが、財と言葉は酋長から群集へと還流する。これは相互交換の停止であり、権力を社会の外部に置きその無力を確保する「反交換」の構造である。酋長は社会の夢の器であり、権力の不在こそがこの社会の政治哲学の核心である。

第2章 独立と外婚

熱帯林の諸社会は「拡大家族」ではなく、複数の拡大家族からなる「外婚的デム」である。外婚制は各コミュニティを孤立させるどころか、女性の交換を通じて複数のデムを結びつけ、ポリデミックな構造を形成する。トゥピ社会ではこれが多リニージ構造へと発展し、酋長の権力強化と階層化の萌芽が見られる。クラストルは、ここに「非歴史的社会」と「歴史的社会」の中間的な「先史的な動態」を読み取る。

第3章 アメリカ先住民の人口学の諸要素

従来の低い人口推定を覆し、グアラニ・インディアンの人口は約150万人だったと論証する。これは、彼らが「生存経済」に苦しむ未開人ではなく、豊かな余剰を生産し、一日の労働時間が三時間未満の「最初の豊かな社会」であることを示す。人口密度の高まりは社会変動の要因となり、権力の発生と密接に関連する。

第4章 弓と籠

グアヤキ・インディアンでは、男は弓(狩猟)を、女は籠(運搬)をそれぞれの象徴とする。男は自分の獲物を食べることを禁じられ、さらに女性不足から一妻多夫制を強いられる。これらは「交換」を通じた社会の自己形成である。しかし男たちは夜ごとに独り歌を歌う。それは言葉を交換機能から切り離し、自己の価値として歌う行為であり、社会の掟から一時的に逃れる個人の夢の空間である。

第5章 何がインディアンを笑わせるか

チュルピ・インディアンの二つの笑話的神話を分析する。神話は最も畏怖される存在であるジャガーとシャーマンを無能で滑稽な存在として描き、聞き手の笑いを誘う。現実には危険で恐れられる両者を、神話の中で嘲笑することで、彼らが持つ権威や力を無化する「笑い」の戦略が働いている。笑いは現実には不可能な「恐怖の対象を殺す」象徴的行為であり、神話はインディアンの「陽気な科学」である。

第6章 語る義務

国家社会では「権力を持つ者が語る」が、未開社会では逆に「語る者が権力を持つ」のではなく、「語ることが権力者の義務である」。酋長は毎日「語らねばならない」が、その内容は伝統の反芻という空虚なものであり、聞き手は聞いていないふりをする。酋長の言葉が空虚であることこそが、彼が権力を持たないことの保証である。言葉の独占は権力の行使ではなく、社会が暴力(権力の本質)を外部に追いやる装置である。

第7章 ジャングルの中の預言者たち

トゥピ=グアラニ社会では、「悪なき大地」を求める予言者(カライ)たちの宗教移動が起こった。これは酋長たちの政治的権力強化の動きに対抗する、社会の「反乱」である。彼らの言葉は、この世界を「悪しき大地」と断罪し、人々を既存の社会秩序から引き離す力を持つ。この予言の言葉には、将来の専制者の言葉の原型的な力が潜んでいるという逆説がある。

第8章 多なき一について

グアラニの預言者の言葉は、「事物の全体は一である」こと、すなわち「一なるもの」こそが悪の根源であると宣言する。ここで「一」とは有限で死すべきもの全て、つまりこの世のあり方そのものを指す。「悪なき大地」とは「多なき一」の世界、すなわち神と人が区別されない完全な世界である。西洋形而上学が「一」を善としたのに対し、グアラニ思想はそれを悪と断じる。この「一」を「国家」として読み替えるならば、彼らの思想はまさに「国家に抗する」思想である。

第9章 未開社会における拷問について

国家権力は法を文字に書くことで記憶に刻むが、未開社会では通過儀礼での拷問による「身体への刻印」によって法を記憶する。若者は耐え難い苦痛に沈黙することで、「汝は誰よりも優れず、誰よりも劣らず」という平等の法則を身体に刻み込まれる。この残酷さは、不平等を根源的に拒絶する社会の意志の現れであり、文字による法と国家権力が生み出す恐るべき暴力(収容所の刺青)を未然に防ぐ「反国家」の論理である。

第10章 国家に抗する社会

未開社会は「欠如」ではなく、積極的な「拒絶」として国家なき状態を選択する。彼らは一日数時間の労働で十分な豊かさを得ており、「余剰」を拒否する。経済的搾取は政治的隷属に先立つ。国家が発生したのは経済的な変革からではなく、政治的な断裂(クープール)からである。トゥピ=グアラニの予言者運動は、酋長の権力強化という「一なるもの=国家」への動きに対する社会の防衛機制である。未開社会の歴史とは、まさに国家との闘いの歴史なのである。


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