Robert Nozick, “The Experience Machine”
www.uky.edu/~mwa229/RobertNozickTheExperienceMachine.pdf
I. マシン!
ベンサムが次のように主張していたことを思い出してほしい。
快楽とは、快楽だけが良いことだ1
さて、次のような思考実験を考えてみよう。
あなたが望むあらゆる体験を与えてくれる経験マシンがあったとしよう。
超ウルトラスーパー神経心理学者があなたの脳を刺激して、素晴らしい小説を書いている、友達を作っている、面白い本を読んでいる、などと考えたり感じたりするようにすることができる。
すべての時間、あなたは脳に電極が取り付けられた水槽の中にずっと浮かんでいることになる。あなたは人生経験を事前にプログラムして、残りの人生すべてをこのマシンにプラグインしておかなければならない。
もちろん、水槽の中にいる間、あなたはあなたがそこにいることを知らないだろう; あなたはそれがすべて実際に起こっていると思うだろう…さて、あなたはプラグインするか?(44-45)
あなたはプラグインしたいか? ノージックの言葉に言い換えるなら
「私たちが生活の内側からどう感じるかを除くと、何が私たちにとって重要なのであろうか?」 (613).
ノージックは次のような提案をしている。
1. 私たちはある特定のことをしたいのであって、それをただしたという経験をしたいのではない。
2. 私たちは特定の人になりたい – プラグインすることは一種の「自殺」を犯すことだ(613)。
3. 私たちは人間が作った現実に限定されている。
このようにして、ノージックによれば、私たちは単に特定の経験をすることよりも重要なことがあるということを学ぶ。
実際、私たちは、さまざまな種類のマシンを考案しみることで、私たちが本当は何を望んでいるのかを学ぶことができる。
変身マシン このマシンは私たちをどんな種類の人間にも変身させてくれる。
結果マシン このマシンは、あなたの好きな結果や、あなたの貢献度ベクトルを組み合わせた結果を生み出す。
ノージックは結論として、「おそらく私たちが望むのは、現実と接触しながら(アクティブなウェブ)自分自身を生きることなのだろう」と述べている。(614)
II. ノージックの主張は何を示しているのか?
おそらく、ノージックの主張は次のようなものだと思われる。
1. もし私たちにとって重要なのが快楽であるならば、私たちは体験マシンに接続したいと思うだろう。
2. しかし、私たちはプラグインを望んでいないだろう。
3. したがって、快楽以外にも私たちにとって重要なものがあるのである。
ベンサムの見解の問題点は、それが私たちが考えている道徳的信念を意味していないことである2。しかし、ベンサムの見解はそれをしていないように見える。これは次のような方法で見ることができる。
世界1では、あなたはAという人に恋をしていて、Aはあなたを愛し返してくれる。あなたはAといろいろな経験をして、その経験があなたを非常に喜ばせている。
世界2では、あなたはAに恋をしているが、Aはあなたを愛しているふりをしているだけである。しかし、この世界では、Aはあなたを嫌っている。Aは、あなたがAに物を買ってくれるからといって、あなたに我慢している。Aは定期的に浮気をすが、あなたはそれに気づくことはない。実は、あなたがこの世界で経験していることは、あなたがその世界で経験していることと同じなのだ。
快楽主義に従うなら、世界1、または世界2のどちらかを選ぶ理由はない。しかし、明らかに世界1は世界2よりも優れている。
これは、快楽主義が偽である場合にのみ意味がある。このように、快楽主義は、私たちが考える道徳的判断とは矛盾がある。