書籍要約『危険社会:新たなる近代化へ』1986

テクノロジー、技術批判、ラッダイト崩壊シナリオ・崩壊学・実存リスク・終末論

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Ulrich Beck-Risk Society_ Towards a New Modernity -Published in association with Theory, Culture Society-Sage Publications Ltd-1992

危険社会:新たなる近代化へ

目次

  • 第一部 文明の火山に住む:リスク社会の輪郭 / Living on the Volcano of Civilization:the Contours of the Risk Society
  • 第1章 富の分配とリスク分配の論理について / On the Logic of Wealth Distribution and Risk Distribution
  • 第2章 リスク社会における知識の政治学 / The Politics of Knowledge in the Risk Society
  • 第二部 社会的格差の個別化:生活様式と伝統の終焉 / The Individualization of Social Inequality:Life Forms and the Demise of Tradition
  • 第3章 地位と階級を超えて? / Beyond Status and Class?
  • 第4章 「私は私である」:ジェンダー化された空間と家族内外の葛藤 / ‘I AM I’:GENDERED SPACE AND CONFLICT INSIDE AND OUTSIDE THE FAMILY
  • 第5章 個別化、制度化、標準化:生活状況と人生パターン / INDIVIDUALIZATION, INSTITUTIONALIZATION AND STANDARDIZATION:LIFE SITUATIONS AND BIOGRAPHICAL PATTERNS
  • 第6章 労働の脱標準化 / DESTANDARDIZATION OF LABOR
  • 第三部 政治を開く / OPENING UP THE POLITICAL
  • 第7章 真理と啓蒙を超えた科学? / SCIENCE BEYOND TRUTH AND ENLIGHTENMENT?
  • 第8章 開かれた政治へ / OPENING UP THE POLITICAL
  • エピローグ:産業自動化のサブ政治 / The Sub-Politics of Industrial Automation

本書の概要

短い解説:

本書は、高度に発展した近代化が、自らが生み出したリスクにより自らの前提を掘り崩す「リスク社会」への移行を分析する。従来の産業社会の分配の論理から、リスク分配の論理への根本的な転換、そして産業社会の構図そのものが「再帰的近代化」によって溶解していく過程を描き出す。主に社会科学、社会学に関心を持つ読者を対象とし、現代社会の根底にある危険と不確実性を理論化する。

著者について:

ウルリッヒ・ベック(1944-2015)は、ドイツの社会学者で、ミュンヘン大学、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)などで教鞭をとった。「リスク社会」「世界リスク社会」「再帰的近代化」などの概念で知られ、グローバル化と現代社会の危険性に関する研究の第一人者である。本書では、マルクスやウェーバーらの古典的産業社会論を乗り越え、現代社会が直面する文明論的リスクの構造を実践的に解明する視点を提示する。

テーマ解説

  • 主要テーマ:リスク社会への移行:先進工業社会は、富の生産と分配をめぐる階級対立(産業社会)から、科学技術によって生み出されグローバルに波及する危険(例:環境汚染、原子力リスク)の分配と管理をめぐる対立(リスク社会)へと軸足を移しつつある。
  • 新規性:再帰的近代化(reflexive modernization):近代化それ自体が、産業社会という近代の初期形態の基盤(階級、核家族、職業、科学への信仰など)を溶解させる段階に入ったという歴史観。継続の中に断絶がある。
  • 興味深い知見:リスクの分配論理:リスクは富とは異なり、不可視で知識に媒介され、誰もが平等に被る可能性がありながら、認識と定義をめぐる政治的闘争の対象となる。リスクは単なる「副作用」ではなく、社会を変革する政治力を持つ。

キーワード解説

  • リスク社会(Risk Society):科学技術の進歩に伴ってシステマティックに生み出される、地球規模かつ不可逆的な危険(例:環境破壊、原発事故)が社会の構造や政治を規定するようになった社会の段階。
  • 再帰的近代化(Reflexive Modernization):近代化プロセスそれ自体が、産業社会というかつての近代の形態を、その前提ごとに対象化し、変容させていく過程。「伝統からの近代化」から「産業社会の近代化」へ。
  • 個別化(Individualization):福祉国家と労働市場の発展により、人々が階級や家族といった伝統的な帰属や支持ネットワークから解放され、自らの生計と人生計画の主体として立ち現れる過程。同時に新たな標準化と制度依存も生む。

3分要約

本書は、現代社会が「産業社会」から「リスク社会」へと構造転換しつつあることを論じる。この転換の原動力は「再帰的近代化」、すなわち、成功した近代化それ自体が、産業社会の基盤(階級、核家族、標準的職業、科学への無条件の信頼など)を溶解させていくプロセスである。

第一部では、富の分配をめぐる階級社会の論理が、リスクの分配をめぐる論理へと重心を移すことが論じられる。化学汚染、原子力災害といった文明のリスクは、不可視で科学的知識に媒介され、国境や階級を越えて誰にでも降りかかる可能性を持つ。これらのリスクは単なる「副作用」ではなく、その社会的認知と定義をめぐって、科学、政治、経済、メディアが激しく争う政治的ダイナミクスを生み出す。リスクの世界的拡大は、被害者と加害者を区別しにくくし、人類に共通の脅威という新たな客観的連帯を生み出しつつある。

第二部では、社会的不平等の様相が、固定的な階級文化から「個別化」へと変化していることが論じられる。福祉国家と労働市場の下で、人々は伝統的な階級的帰属から解放され、教育、移動性、競争を通じて自らの生計と人生設計の主体となる。しかし、これは単なる解放ではなく、労働市場や社会制度への新たな依存と、ライフスタイルの標準化も伴う。同様のプロセスは家族内にも及び、男女の固定的な役割が揺らぎ、関係は流動化・交渉化する。ここでは、産業社会の「封建的」側面(性別による固定的役割分担)が、近代化の力によって掘り崩されるという逆説が見られる。

第三部では、科学と政治の領域における「再帰的近代化」が分析される。科学は自ら生み出したリスクを研究する過程で、その真理と啓蒙への主張を相対化せざるを得なくなる(脱神秘化)。同時に、技術経済的発展は「進歩」という名の下で民主的正当性を欠いたまま、社会を変革する強大な「サブ政治(下部政治)」として機能するようになる。原子力や遺伝子技術といった大規模技術の決定は、議会や公的議論を迂回し、企業や専門家集団の手で行われ、社会はその結果に後から直面する。リスク社会においては、政治の中心は議会から、こうした不可視の「サブ政治」の場へと移動しつつある。

全体を通してベックは、リスク社会がもたらす脅威は、古い産業社会のカテゴリーでは捉えきれない新たな民主主義のジレンマ(安全保障の名の下の全体主義化の危険)と、同時に、リスクを巡る論争を通じて社会の前提自体が問い直されるという解放の可能性の双方を含んでいると主張する。我々は産業社会の終焉の始まりを目撃しており、その先にあるのは近代の放棄ではなく、「別の近代」への道程なのである。

各章の要約

第一部 文明の火山に住む:リスク社会の輪郭

第1章 富の分配とリスク分配の論理について

先進近代において、社会的富の生産は体系的に、社会的リスクの生産を伴うようになった。物質的欠乏が支配的な「欠乏社会」では、富の不平等な分配をめぐる階級対立が中核だった。これに対し、福祉国家において物質的必要性が緩和されると同時に、生産力の発展によって文明の存続を脅かすような危険(放射能、化学汚染など)が増大する「リスク社会」では、リスクの防止・最小化・分配をめぐる問題が前景に浮上する。リスクは不可視であり、科学的因果解釈に媒介され、社会的に構築される。その分配論理は階級とは異なり、国境を越え、被害者と加害者の区別を曖昧にする「ブーメラン効果」を持つ。リスクの認知は、工業化プロセスそのものの原因の除去を政治化し、社会変革の可能性を開く。著者はこう述べる。「リスク社会においては、階級社会で『私は空腹だ!』であった推進力が、『私は怖い!』という表現に取って代わられる。」

第2章 リスク社会における知識の政治学

リスクの位置は、物質的窮乏が直接経験される階級の位置とは根本的に異なり、意識(知識)によって規定される。汚染物質の有無や影響は個人の経験では認識できず、科学的専門知に依存せざるを得ない。したがって、リスクの社会的認知をめぐる闘争は、本質的に知識の社会学となる。科学的リスク定義は、価値判断や社会的期待を含み、科学の合理性の独占は崩れる。公衆のリスク認識はしばしば「非合理的」と斥けられるが、それは科学的合理性自体がリスクに対処する上で制度的・方法的に失敗してきた歴史(例:原子力リスクの過小評価、因果関係証明の厳格化による被害認定の阻害、許容値決定の不確実性)に起因する。リスク意識は、科学的論理に依存しつつもそれを批判する「第二の非経験」に基づく、理論的で懐疑的な意識である。文明のリスクが顕在化するにつれ、それは民主的政治システムに、危険予防の名の下での権威主義的統制と、制度変革の要求という、未曽有のジレンマをもたらす。

第二部 社会的格差の個別化:生活様式と伝統の終焉

第3章 地位と階級を超えて?

戦後西ドイツを中心に、社会的不平等の構造は持続しながらも、人々の生活状況と意識に「個別化」の大規模なプロセスが生じた。教育、移動性、競争を原動力とする労働市場は、人々を階級文化や伝統的な結びつきから解放し、自らの市場依存的生計と人生設計の主体とする。マルクスの想定した階級形成への道筋とは異なり、福祉国家下での生活水準の向上は、階級への帰属意識を弱め、ライフスタイルの多様化と個別化をもたらした。この結果、不平等は持続するが、それはもはや階級という集合的アイデンティティではなく、個人の労働市場における運命として経験されるようになる。かつての階級社会に代わり、法や社会政策のカテゴリーによって規定される「労働者(従業員)の個別化社会」が登場しつつある。ここでは、社会的問題は個人の心理的問題へと置き換えられ、多様で流動的な状況的連合と葛藤が生まれる。

第4章 「私は私である」:ジェンダー化された空間と家族内外の葛藤

産業社会は、生産(賃労働・市場)と再生産(無償家事・家族)の分離、およびそれに基づく男女の固定的性別役割という、近代内部の「封建的」秩序に依存してきた。しかし、再帰的近代化の過程で、この秩序は溶解し始める。女性は、長寿命化、家事の孤立化と自動化、避妊技術、離婚の増加、教育機会均等などにより、家事と夫への依存という「性別による運命」から解放されつつある。一方で、労働市場への参入障壁や母性との矛盾は、女性を新たな不安定さの中に置く。男性の役割解放は主に女性の変化によって誘発される。この解放過程は、家族を、男女の対立が先鋭化する場へと変える。家族は、労働市場や社会制度の矛盾が「私的関係の葛藤」として現れる場となり、子供は最後の絶対的関係として過剰に愛される対象となる。男女の平等は、市場原理の全面的適用(孤立化社会)でも伝統的家族の回帰(新たな女性の貧困)でもなく、労働と生活を再統合する新たな制度的枠組みの創造を通じてしか達成されない。

第5章 個別化、制度化、標準化:生活状況と人生パターン

個別化は、単なる主観的な解放ではなく、客観的な生活状況の変化である。人々が階級や家族といった伝統的枠組みから解放される一方で、労働市場、教育、消費、社会法などへの新たな制度的依存が生じ、生活は標準化され管理される。人生設計は「反射的」となり、個人は自らの生を計画し構築する主体となることを迫られるが、その選択とリスクは制度的に前もってプログラムされている。この「制度依存的な個別状況」は、家族、職業、教育など、社会のサブシステムの境界を横断し、それらの矛盾を個人の生の次元で体現する。個人は自らの生を通じて社会の全体性と向き合わざるを得なくなるが、その負担は増大し、無力感と並行して世界形成者のような幻想も生み出す。個別化社会は、脆弱で紛争に満ちた、新しい社会化のモードである。

第6章 労働の脱標準化

産業社会の生活の中軸をなしてきた標準化された終身フルタイム労働は、マイクロエレクトロニクスを基盤とする合理化の波の中で、根本的な変容に直面している。労働時間の柔軟化(パートタイム、フレックスタイム)、作業場所の分散化(在宅勤務など)が進み、「フルタイム雇用」と「失業」という二者択一は、多様で柔軟な「不完全就業」のシステムへと溶解しつつある。失業は、「不完全就業」という形で雇用システム自体に「統合」され、その代償として雇用不安が一般化する。企業はこの新しい「雇用関係のテイラー主義」により生産性を高めるが、労働者は時間の主権と引き換えに新たな不確実性とリスクを負う。これは、産業社会の雇用システムの「再帰的近代化」、すなわち、利潤追求の論理の連続性の中での、労働の社会的・組織的形態そのものの断絶を示している。

第三部 政治を開く

第7章 真理と啓蒙を超えた科学?

科学と技術の成功は、それ自体の正統性を相対化する「再帰的科学化」の段階を招いた。第一次科学化が伝統や自然に対する科学の優位に基づいていたのに対し、再帰的科学化では、科学は自らが生み出した問題(リスク、副作用)と向き合う。科学の合理性は内部で懐疑主義を徹底させると同時に、外部ではその成果を権威的に適用するという二分法は崩れ、科学は真理の独占権を失いつつある。科学理論における可謬主義の徹底や、研究実践における仮説性の自覚は、科学の主張を必然性から選択と決定の次元へと後退させた。他方、科学の分化と過剰複雑化は、その成果の利用者(政治、経済、市民)を、科学解釈を選択・再構成する「知識の共同生産者」へと変える。リスクが顕在化するにつれ、科学はタブーを破る啓蒙の役割と同時に、行動変数を凍結するタブー構築者の役割をも担わされる。文明のリスクに対処するためには、症状への対処から原因除去へ、無謬性の想定から学習能力へ、細分化された専門知から文脈における専門知へと、科学的合理性そのものの再構築が必要である。

第8章 開かれた政治へ

リスク社会では、リスクが産業的に生産され政治的であることから、政治の概念、場所、媒体が変化する。産業社会の設計では、政治的変革は議会民主制の制度(政治)に、社会的変革は「進歩」の名の下に民主的正当性を免れた技術経済システム(非政治)に委ねられてきた。しかし、再帰的近代化により、技術経済的発展の変革力と危険性が増大するにつれ、それはその非政治的性格を失い、「サブ政治(下部政治)」という、正当性を欠いたまま社会を構造化するハイブリッドな領域となる。一方、民主主義の定着は、司法、メディア、市民運動など、議会の外に多元的な監視と参与の場(新しい政治文化)を生み出し、政治システムの影響力を相対化する。こうして、政治の非政治化と非政治の政治化が並行して進む。遺伝子技術や医療技術の進歩は、議会での議論を経ずに社会の文化的基盤を変えてしまうサブ政治の典型である。リスク社会における政治の根本的な課題は、この民主的コントロールを欠いたサブ政治を、いかにして民主的な意思形成のプロセスに組み込み、文明の自己制御を可能にするかにある。

エピローグ:産業自動化のサブ政治

エピローグでは、ベックはマイクロエレクトロニクスを基盤とする産業自動化の波が、工業社会の「確固たる前提」を溶解させ、「サブ政治」という新たな政治的領域を開いていると論じる。従来の機能主義や新マルクス主義、組織社会学の分析は、大組織、階層性、テイラー主義、経済危機といった「確実性」を前提としているが、現実にはそれらの基盤はすでに動揺している。

自動化技術は、工場パラダイム、生産部門の境界、大量生産の必然性、賃労働の時間・空間・法的標準化といった工業社会の「支柱」を緩め、解体しつつある。特に顕著なのは、「知的」な電子技術が、社会構造の客観的・技術的制約という神話を反証している点である。技術はもはやその詳細な使用方法を規定せず、その逆に、社会が望む組織形態を「入力」する必要が生じている。さらに、労働システムと生産システムを分離・独立させて変動させることを可能にし、組織内外の境界を流動化させる。

これにより、企業内および企業間の組織構造は、固定された階層的・官僚的な巨大組織から、柔軟で流動的なネットワーク型組織へと変容する可能性が開かれる。管理と支配は、直接的な命令系統から、機能原理と効率性に基づく電子監視下の「自己調整」へと委譲される。同時に、情報の流れの方向性と独占が権力闘争の核心となる。情報技術は、意思決定権の集中と、労働組織やサービス機関の分散化・脱官僚化を同時に可能にする。

また、自動化は、市場を媒介とした有償労働と無償の消費労働の境界を曖昧にし、両者のハイブリッド形態を生み出す。消費者は生産過程に組み込まれ、サービスセクターの自動化は、専門家から一般消費者への労働の移転として進行する。市場の脱標準化やリスク認識の高まりに対応して、企業は柔軟性を求め、大量生産モデルは「柔軟な専門化」や個別化された製品を生み出すモジュール型生産へと補完・置換されつつある。

この変容は、利益最大化や所有関係といった資本主義の基本原理と衝突するのではなく、むしろそれらによって強制されている。その結果、工場という「産業時代の大聖堂」の独占は崩れ、労働と生産の組織形態の「唯一の道」は多元的で設定可能なものとなる。経営陣、労働組合、従業員間の紛争は、労働関係の代替モデルに関する決定へと移行し、それは日常生活のビジョンに沿って構想される。このプロセスにおいて、企業活動は従来にない程度で正当化の圧力にさらされ、新たな政治的・道徳的次元を獲得する。すなわち、生産は「道徳化」され、その正当性は公衆の影響下に置かれる。

こうして、技術経済的行為は、民主的正統性の要求から遮蔽されたままであると同時に、その非政治的性格を失う。それは政治でも非政治でもない、利害追求としての経済活動という「第三のもの」、すなわちサブ政治となる。リスクが顕在化し、複数の可能な決定が存在する場所では、企業活動は公衆の告発にさらされ、論証を必要とするようになる。市場での自己主張には、包装だけでなく「議論」も不可欠となる。メディア、市民活動、新しい社会運動、批判的技術者や裁判官といったサブ政治の多様な主体を通じて、企業の決定や生産方法は即座に公に非難され、市場シェアの喪失という圧力の下で、その措置の「非経済的・論争的な正当化」を強いられる可能性がある。

ベックは、このような状況の中での将来の可能性として、三つのシナリオを提示する。

  1. 工業社会への回帰(再工業化):経済優先主義と「進歩」への信仰に基づき、従来の発展経路を継続しようとする、現在支配的なシナリオ。しかし、リスク社会の現実を「伝統の近代化」という19世紀的思考で捉える誤りを犯しており、リスクの否認は政治的無力化と信頼喪失の悪循環を生み、最終的には民主主義システムそのものの危機を招く危険性がある。

  2. 技術経済発展の民主化:産業社会の革新過程において民主的自決の機会が制度的に切り詰められてきたという認識に立ち、議会による企業技術開発の監査、専門家による「近代化議会」、市民団体の計画への参加など、技術経済的サブ政治を民主的政治システムの下に置こうとするモデル。しかし、このアプローチは官僚的・議会的中央集権化を前提としており、近代社会が中心を持たないという現実を見落としている。あるいは、貧困リスクへの対応としての福祉国家拡大を範例とする「エコロジー福祉国家」の構想もあるが、科学的権威主義と過度の官僚制の危険を伴う。

  3. 差別化された政治:この未来構想の出発点は、先進民主主義社会において政治がその一義性を失い、「中心なき」広がりを持つようになったという現実認識である。政治の「非拘束化」は、近代化の再帰的段階の表れであり、中央集権や官僚制の原則は、柔軟性の原則と対立する。ここでの課題は、議会的中央集権を避けつつ、同等の強制力を伴う正当化を生み出す、相互監視の新たな中間形態を構想することである。その萌芽は、メディアの公開性、市民活動グループ、抗議運動など、過去数十年の政治文化の発展の中に見出せる。科学、経済、家族など、工業社会と共に成立した様々な領域の独占(科学の合理性、男性の職業、結婚など)は崩壊しつつあり、これは近代の原則(自己懐疑、平等、自己表現など)が、工業社会という分岐形態に対して自らを主張していることを意味する。差別化された政治の下では、政治は全体の(法的)条件を定め、合意を形成する保存的・調停的機能に核心を移す。一方、サブ政治の各領域では、組織や専門職内部での自己批判の制度化が進められ、専門知識に基づくリスク認識と代替案の提示が公的な議論の対象となる。政治はそのようなサブ政治の多元的競争と実験的プロセスを可能にする法的・制度的条件を整える役割を担う。

全体としてベックは、産業自動化をめぐるサブ政治の展開が、古い産業社会の制度的・概念的枠組みを溶解させつつあると結論付ける。我々は産業社会の終焉の始まりに立ち会っており、それは近代の放棄ではなく、リスクと不確実性に満ちながらも、近代の解放の約束を新たな形で追求する「別の近代」への移行期なのである。エピローグは、リスク社会における変革の主体と可能性が、もはや伝統的な政治や階級闘争の中ではなく、技術経済の核心に潜むサブ政治の場にこそ存在することを示唆して終わる。


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