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Power in Movement: Social Movements and Contentious Politics (Cambridge Studies in Comparative Politics) 3rd Edition
Sidney G. Tarrow
社会運動には捉えがたい力があるが、その力は現実のものだ。フランス革命やアメリカ革命から、現代のポストソビエト、民族、テロリズム運動に至るまで、対立的な政治は政治、社会、国際関係に一時的ながらも強力な影響を及ぼす。本書は、西欧の現代社会運動の現代史とその戦争、植民地主義、拡散を通じてグローバル・サウスへの拡散を概観し、その周期的な高揚と衰退を説明する理論を提唱する。運動の力に関する解釈は、活動家の生活への影響、政策改革、政治制度、文化変化に焦点を当てている。本書は、社会運動の興隆と衰退を、対立的な政治一般の一部として、および政治的機会と制約の変化、国家戦略、新たなコミュニケーションメディア、国際的な拡散の結果として分析する。
目次
- 図表一覧
- 表一覧
- 序文
- 謝辞
- はじめに
- 1 論争的な政治と社会運動
- パート I:現代社会運動の誕生
- 2 モジュール式の集団行動
- 3 印刷と結社
- 4 国家、資本主義、そして争点
- パート II:動きのある権力
- 5 論争的な行動
- 6 ネットワークと組織
- 7 意味の形成
- 8 脅威、機会、体制
- 第III部:対立のダイナミクス
- 9 対立のメカニズムとプロセス
- 10 対立のサイクル
- 11 改革への闘い
- 12 国際的な対立
- 結論:社会運動の未来
- 参考文献
- 索引
本書の要約
本書は、近代社会における社会運動の発展と変遷を包括的に分析した研究書である。著者は社会運動を「共通の目的と社会的連帯に基づく集合的挑戦であり、エリートや権威、対立者との持続的相互作用」として定義し、18世紀以降の西欧・北米における運動の誕生から現代のトランスナショナルな抗議活動までを詳細に検討している。
社会運動の「四つの力」として、行動レパートリー(抗議の形態)、動員構造(組織とネットワーク)、フレーミング(意味構築)、政治的機会構造を特定し、これらが相互作用して運動を形成することを論じる。特に注目すべきは、18世紀の伝統的な暴動や一揆から、19世紀のモジュラーな集合行動(デモ、ストライキ、バリケード)への転換が、国民国家の形成と資本主義の発達と密接に関連していたという分析である。
著者は社会運動を孤立した現象として捉えるのではなく、抗議サイクルという概念を用いて、広範囲にわたる社会的動員の波として理解する。1848年革命、1960年代の学生運動、1989年の東欧民主化運動などを例に、これらのサイクルがどのように始まり、拡散し、最終的に制度化や急進化を通じて終息するかを明らかにした。
現代的課題として、グローバル化と国際化がもたらすトランスナショナルな抗議活動の増加、宗教的・民族的暴力の台頭、民主主義国家における抗議活動の「正常化」といった現象を検討し、21世紀の社会運動研究が直面する新たな挑戦を提示している。
目次
- 序文 (Introduction)
- 第1章 抗議政治と社会運動 (Contentious Politics and Social Movements)
- 第I部 近代社会運動の誕生 (The Birth of the Modern Social Movement)
- 第2章 モジュラーな集合行動 (Modular Collective Action)
- 第3章 印刷物と結社 (Print and Association)
- 第4章 国家・資本主義・抗議 (States, Capitalism, and Contention)
- 第II部運動の力 (Powers in Movement)
- 第5章 抗議的行動 (Acting Contentiously)
- 第6章 ネットワークと組織 (Networks and Organizations)
- 第7章 意味の構築 (Making Meanings)
- 第8章 脅威・機会・体制 (Threats, Opportunities, and Regimes)
- 第III部 抗議の動態 (Dynamics of Contention)
- 第9章 抗議のメカニズムと過程 (Mechanisms and Processes of Contention)
- 第10章 抗議サイクル (Cycles of Contention)
- 第11章 改革への闘争 (Struggling to Reform)
- 第12章 トランスナショナルな抗議 (Transnational Contention)
- 結論 社会運動の未来 (The Future of Social Movements)
各章の要約
第1章 抗議政治と社会運動
Contentious Politics and Social Movements
社会運動研究の理論的基盤を概観し、著者独自の関係論的アプローチを提示する。マルクス、レーニン、グラムシ、ティリーの古典理論から現代の資源動員論、政治過程論、文化的転回までを検討し、個別運動の分析を超えた包括的な抗議政治の理解の必要性を論じる。社会運動を「集合的挑戦、共通目的、社会的連帯、持続的相互作用」の四要素で定義し、これらが政治的機会と制約の変化に応じて動員される過程を分析する枠組みを確立する。(199字)
第2章 モジュラーな集合行動
Modular Collective Action
18世紀後半から19世紀中期にかけての抗議レパートリーの根本的変化を分析する。伝統的レパートリーは地方的、分断的、特殊的であったが、近代レパートリーは全国的、自律的、モジュラー的特徴を持つ。1848年革命におけるバリケードの普及を例に、新しい抗議形態がいかに急速に拡散し、様々な状況に適用可能な一般的手法となったかを検証する。この変化は印刷技術と結社の発達、国民国家の形成と密接に関連していた。(198字)
第3章 印刷物と結社
Print and Association
近代社会運動の発展における印刷技術と結社形態の決定的役割を検討する。18世紀の商業印刷業の拡大は読字能力の向上と相まって、「想像の共同体」を創出し、地理的に離れた人々の間に連帯感を醸成した。アメリカ独立革命におけるポール・リビアの「真夜中の騎行」や英国の奴隷制廃止運動を例に、弱い紐帯が強力な運動の基盤となる過程を分析する。印刷物と結社の結合が、局地的抗議を全国的社会運動に変換する機制となった。(199字)
第4章 国家・資本主義・抗議
States, Capitalism, and Contention
国民国家の形成と資本主義の発展が抗議政治に与えた影響を分析する。マルクスの階級闘争論、ポラニーの「大転換」、トクヴィルの国家論を比較検討し、戦争遂行、食糧供給、徴税という国家機能の拡大が新たな抗議機会を創出した過程を明らかにする。18世紀末から19世紀にかけて、抗議の標的が私的・地方的行為者から国民的権力中枢へ移行し、国家が抗議の仲裁者としての役割を担うようになった変化を検証する。(200字)
第5章 抗議的行動
Acting Contentiously
現代の抗議レパートリーを破壊的行動、暴力、慣例的行動の三類型に分類し、それぞれの特徴と動態を分析する。破壊的行動は運動の最も重要な武器だが不安定で、暴力は最も劇的だが持続困難、慣例的行動は最も一般的だが制度化の危険性を孕む。非暴力直接行動の発展、都市暴動から市民戦争まで多様な暴力形態、ストライキやデモの慣例化過程を検討し、レパートリーの革新と対抗革新の相互作用を明らかにする。(199字)
第6章 ネットワークと組織
Networks and Organizations
社会運動組織の多様な形態と発展軌跡を分析する。19世紀の社会民主主義的組織モデルとアナーキスト的対抗モデルの競争から、現代のハイブリッド組織まで、組織形態の歴史的変遷を追跡する。正式組織、擁護組織、結合構造の三層構造を提示し、運動の持続性において人間関係ネットワークが果たす決定的役割を強調する。デジタル技術の発達により、従来の組織形態に代わる新たな動員形態が出現しているが、対面的信頼関係の重要性は変わらない。(200字)
第7章 意味の構築
Making Meanings
社会運動における意味構築の三つの機制を分析する。フレーミングは現実解釈の枠組み提供、集合的アイデンティティは「私たち」と「彼ら」の境界設定、感情労働は連帯維持と行動活性化を担う。インドのアヨーディヤ・モスク破壊事件を例に、ヒンドゥー民族主義者が宗教的象徴を政治的動員に転換した過程を検討する。デンマークのムハンマド風刺画論争では、異なる感情文化間の衝突が国際的抗議に発展した。メディアの役割と国家の対抗フレーミング戦略も重要な要素である。(199字)
第8章 脅威・機会・体制
Threats, Opportunities, and Regimes
政治的機会構造の概念を精緻化し、機会と脅威が抗議動員に与える影響を分析する。ゴルバチョフの改革がソ連崩壊を招いた過程を例に、体制自由化が意図せざる結果をもたらす機制を検証する。機会の四要素(参加へのアクセス拡大、政治的再編、影響力ある同盟者、エリート分裂)と抑圧形態(強制的統制から誘導的統制まで)を検討し、体制類型(政府能力と民主主義の程度)が抗議パターンを規定することを明らかにする。(199字)
第9章 抗議のメカニズムと過程
Mechanisms and Processes of Contention
従来の変数間相関分析を超えた機制・過程アプローチを提示する。機制を「様々な状況下で特定要素間の関係を同様に変化させる限定的変化」として定義し、これらが過程を構成する。動員・非動員化の基本過程から、キャンペーン形成、連合構築、拡散、規模転換といった具体的機制まで幅広く検討する。このアプローチにより、個別運動の分析を超えて、抗議政治の動態的相互作用を理解する新たな分析枠組みを確立する。(200字)
第10章 抗議サイクル
Cycles of Contention
1848年革命を原型として、抗議サイクルの動態を分析する。サイクルは機会拡大で始まり、レパートリー革新、連合形成、拡散を経て、疲弊、急進化・制度化、抑圧・促進により終息する。フランス学生運動(1968年)の爆発的出現と挫折、アメリカ女性運動の漸進的発展と成功を対比し、運動の出現様式が長期的影響を規定することを明らかにする。革命と非革命サイクルは同一過程の異なる帰結であり、エリートの対応が決定的要因となる。(199字)
第11章 改革への闘争
Struggling to Reform
社会運動の政策成果の曖昧性と複雑性を分析する。運動は根本的変革を要求するが、実際の成果は「改革」にとどまることが多い。これは政治過程が要求を構造化し、狭小化し、時には逆転させるためである。個人レベルでは、運動参加が政治化、急進化、継続的活動参加を促進する。フランス1968年学生運動の爆発的影響と限定的成果、アメリカ女性運動の漸進的発展と持続的影響を比較し、運動が政治文化に与える長期的影響の重要性を指摘する。(200字)
第12章 トランスナショナルな抗議
Transnational Contention
グローバル化と国際化が促進するトランスナショナルな抗議の五つの過程を分析する。国内化(外的脅威に対する国内抗議)、グローバル・フレーミング(国内問題の地球規模化)、拡散、外部化(国際機関への訴え)、国際連合形成である。1999年のシアトルWTO抗議から世界社会フォーラムまで、新たな抗議形態が出現している。しかし国民国家の枠組みは依然強固であり、多くの「国際的」活動家は実際には国内に根ざした「根づいたコスモポリタン」である。(199字)
結論社会運動の未来
The Future of Social Movements
2008年金融危機のヨーロッパへの波及を例に、現代抗議政治の特徴を分析する。グローバル化により抗議は国境を越えて拡散するが、各国の対応は政治的文脈により大きく異なる。「運動社会」化により抗議が常態化する一方、宗教的・民族的暴力も増加している。国家の抑圧能力拡大、インターネット活動、株主反乱など新たな課題が出現している。歴史的には暴力的運動も最終的に制度化される傾向があり、現在の暴力的潮流も部分的に制度化される可能性がある。(200字)
本書についての考察
by Claude 4
社会運動の基本概念と現代的意義
シドニー・タローの「Power in Movement」を読み進めながら、この膨大な分析を通じて何が見えてくるのかを考えてみたい。まず気づくのは、著者が単純に「社会運動」という概念を説明するのではなく、より広い「論争的政治(contentious politics)」という枠組みの中で社会運動を位置づけていることだ。
これは実は重要な視点の転換なのではないだろうか。従来の社会運動研究が個別の運動組織や特定の抗議活動に焦点を当てがちだったのに対し、タローは社会運動を権力保持者、当局、競争相手、第三者との持続的な相互作用として捉えている。つまり、社会運動は孤立した現象ではなく、常に他のアクターとの関係性の中で動的に変化する政治プロセスなのだということになる。
この視点から見ると、例えば2010年のアメリカのティーパーティー運動の展開過程は非常に興味深い。リック・サンテリがシカゴの商品取引所でオバマ政権の住宅政策に抗議の声を上げたことから始まったこの運動は、当初は破壊的な街頭抗議の形を取っていた。しかし著者が指摘するように、運動が進展するにつれて、活動家たちは次第に制度化された政治形態に向かっていった。町民集会での政治家への抗議から始まり、最終的には政治行動委員会の設立や選挙活動への参加に至ったのである。
レパートリーの進化と社会変化
タローが提示する「論争のレパートリー」という概念も深く考えさせられる。これは単に抗議の形式や戦術を意味するのではなく、特定の時代や社会において利用可能で文化的に理解可能な集合行動の形式全体を指している。
18世紀から19世紀にかけて起こったレパートリーの変化は、まさに近代社会の形成過程そのものを反映している。従来の「伝統的」レパートリーは教区的(parochial)、分断的(segmented)、特殊的(particular)であった。つまり、地域固有の問題に対する直接的な行動が中心で、より広範な連帯や共通の利益を基盤とした行動には発展しにくかった。
ところが近代に入ると、「モジュラー」な集合行動の形式が登場する。バリケードの例は特に示唆的だ。1588年にパリで近隣防衛のために樽(barriques)を使って作られた防御構造物が、1848年の革命期にはヨーロッパ全体に拡散する革命のシンボルとなった。同じ形式が異なる文脈、異なる目的のために使用可能になったのである。
これは現代のインターネット時代の拡散現象と何か共通するものがあるのだろうか。2019年のイラン選挙抗議で使われた携帯電話、インターネット、Facebook、Twitterによる組織化は、確かに技術的には新しい。しかし既存の社会ネットワークと信頼関係に基づいて行動が組織されるという基本的な仕組みは、タローが描く18-19世紀の変化と本質的に同じなのかもしれない。
ネットワークと組織の複合的動態
著者が強調する「社会ネットワーク」の重要性についても考えてみたい。ポーランドの連帯運動の例が示すように、正式な組織構造が破壊されても、その背後にある人的ネットワークは存続し、条件が整えば再び活性化される。1981年の戒厳令下で連帯が非合法化された後も、多面的な「地下社会」が出現し、秘密出版から私的劇場公演、時には警察の鎮圧部隊によって解散させられる大規模な集会やデモ行進まで様々な活動が継続された。
これは組織論の観点からも興味深い示唆を与える。ミヘルスの「寡頭制の鉄則」は、組織が時間とともに目標を置き換え、ルーティン化に慣れ、最終的には既存システムのルールを受け入れるようになると論じた。しかしクリージが提示する組織軌跡の多様性は、この「鉄則」が絶対的なものではないことを示している。
学術論文『民主主義における動的理論:ロバート・ミシェルスの寡頭制鉄則とその現代的意義』Hugo Drochon 2020年https://t.co/AQH5GDVcWE
「組織を言う者は寡頭制を言う」この寡頭制鉄則に見えない亀裂がある。実は民主主義は「組織的支配への継続的挑戦」そのものに宿る。—…
— Alzhacker (@Alzhacker) May 15, 2025
制度化に加えて、商業化(ミッション志向の組織が商業的・非営利組織に変化)、内向化(社会的インセンティブのみに焦点を当てる)、急進化(「再活性化された動員」)という選択肢が存在する。これは現代の社会運動組織が直面する選択の複雑さを物語っている。
フレーミングと意味構築の政治
タローが論じる「フレーミング」の概念は、単なる戦術的メッセージングを超えた深い意味を持っている。インドのアヨーディヤでのバブリ・モスク破壊事件の分析は、いかに宗教的シンボルが政治的動員のために再構築されるかを示している。
ヒンドゥー民族主義勢力が行ったのは、単に既存の宗教的感情に訴えることではなかった。彼らはラーマ神の怒れる神としてのイメージを構築し、その怒りを正当化するためにムスリムの「侵略」という物語を創造した。これは既存の文化的シンボルと新しい政治的解釈を組み合わせた「ブリコラージュ」の典型例だ。
アメリカの公民権運動における「権利」フレームの使用も同様である。アメリカ人は本能的に要求を権利の言葉で表現するが、アフリカ系アメリカ人にとって権利は多くの場合、約束が破られることの方が多かった。しかし公民権運動は、この伝統的な権利フレームを非暴力的集合行動という新しく革新的な形式と組み合わせることで、静寂を行動に変える実践を発展させた。
機会構造と脅威の動的関係
政治的機会論についても、タローの分析は従来の静的な構造論を超えている。機会は「客観的」に存在するものではなく、知覚され、帰属されることで動員の源泉となるのである。これは重要な認識論的転換を意味している。
ソ連崩壊の事例はこの点を明確に示している。ゴルバチョフの改革が「社会主義的多元主義」という控えめな概念から始まったにもかかわらず、これが「記念碑」(スターリンの犯罪を調査する団体)や「市民の尊厳」(人権推進団体)といった独立したイニシアティブを刺激した。改革の意図と実際の効果の間にはかなりの距離があったのである。
より興味深いのは、機会と脅威の相互作用である。同じプロセスが異なるアクターに対して同時に機会と脅威をもたらす。ソ連の自由化は民主主義改革派には機会を提供したが、同時に既得権益を持つエリートや、他の共和国の分離主義によって支配的地位を脅かされるロシア民族には脅威となった。
論争サイクルと政治変動
「論争サイクル」という概念は、個別の社会運動を超えた体系的な分析の可能性を開く。1848年の革命サイクルの分析は、いかに局所的な要求が広範な社会変動の引き金となりうるかを示している。
フランスの合法的な「晩餐会」キャンペーンから始まった運動が、最終的にヨーロッパ全体を巻き込む革命的動乱に発展した過程は、現代の分析にも示唆を与える。重要なのは、初期の要求は狭く、グループ特有のものであったが、これらが権威の脆弱性を実証し、潜在的同盟者に行動の時が来たことを知らせたということである。
サイクルの動態には明確なパターンがある。動員、新しいレパートリーの革新、連合形成、拡散、疲弊、急進化/制度化の二極化、そして再安定化である。しかし、これらのサイクルの終わり方は始まり方よりもはるかに多様である。これは権威の反応、エリート間の分裂、国際的介入など、複数の要因が相互作用するためだ。
社会運動の成果と限界
タローが「改革への苦闘」というタイトルで論じる成果の問題は、社会運動研究の最も困難な側面の一つである。運動はしばしば根本的社会変革を要求するが、実際に達成されるのは改革に留まることが多い。
これには構造的な理由がある。政治プロセスは運動の要求を処理する文脈であるだけでなく、要求を構造化し、狭め、しばしば逆転させるメカニズムでもある。1968年5月のフランス学生運動と1970年代のアメリカ女性運動の比較は、この点を明確に示している。
フランスの学生運動は爆発的に出現し、即座の成功を享受したが、長期的影響は限定的だった。シンボリック言説が一般フランス市民の言語から孤立し、中産階級を恐怖に陥れて右翼への拡大多数をもたらした。対照的に、アメリカの女性運動は緩慢に始まり、主に制度的政治の内部で活動したが、長期にわたって着実に力を獲得し続けた。
トランスナショナル論争の新展開
最終章でタローが論じるトランスナショナル論争は、21世紀の最も重要な発展の一つである。しかし著者は単純なグローバリゼーション論に与しない。代わりに五つの異なるプロセスを特定している:国内化、グローバル・フレーミング、国境を越えた拡散、外部化、国境を越えた連合形成である。
イタリアの酪農家の事例は示唆的である。EU(欧州連合)の罰金に対する彼らの最初の反応は、国境を越えた行動ではなく、自国政府への抗議という「国内化」であった。これは多くのヨーロッパの論争がたどる典型的なパターンである。市民は EU指令に対して自国政府に抗議することで反応する。
国際制度は、新しい機会構造を提供すると同時に、新しい制約も課す。欧州人権裁判所や欧州司法裁判所は、国内的に阻まれた主張を外部化する重要な経路を提供している。イギリスの女性グループがEU平等給与指令を使ってイギリス政府に対する判決を獲得した例は、弱い社会的アクターが国際制度を通じて自らの地位を大幅に改善する可能性を示している。
現代日本への示唆
これらの分析を現代日本の文脈に当てはめて考えると、いくつかの興味深い観点が浮かび上がる。まず、日本の社会運動の特徴的なパターンが見えてくる。
戦後日本の社会運動は、しばしば「制度内」での活動と「制度外」での抗議の間を往復してきた。60年安保闘争、70年代の市民運動、そして近年の脱原発運動は、いずれもタローが論じる動員-拡散-制度化/急進化のサイクルを辿っている。
特に2011年の福島原発事故後の脱原発運動は、タローの枠組みで分析すると興味深い。従来は政治的に無関心だった「普通の人々」が大規模な抗議行動に参加し、新しい形態の政治参加を生み出した。しかし同時に、運動は政党政治との関係や、より急進的な要求との間で分裂も経験した。
また、日本の社会運動におけるフレーミングの特徴も注目に値する。「平和」「安全・安心」「生活」といった概念が、異なる政治的文脈で繰り返し動員されている。これらは一見すると政治的に中立的に見えるが、実際には特定の政治的立場と結びついた強力なフレームとして機能している。
デジタル時代の新たな挑戦
タローの分析は主に20世紀末までの事例に基づいているが、デジタル技術の発達は論争的政治に新たな次元をもたらしている。インターネットと携帯電話は確かに動員の速度と範囲を劇的に拡大させた。しかし間接的拡散は対人信頼を創造するのに必要な人間関係的結びつきを欠いているというタローの指摘は、デジタル時代においても妥当性を保っている。
2019年の香港での抗議運動や、世界各地での「フライデーズ・フォー・フューチャー」運動は、デジタル技術と従来の社会ネットワークが複雑に組み合わさった現代的な動員形態を示している。これらの運動は国境を越えて迅速に拡散したが、同時に各地域の特定の政治的文脈に深く根ざしてもいる。
権力と抵抗の弁証法
タローの分析を通じて最も印象深いのは、社会運動と権力構造の間の弁証法的関係である。運動は既存の政治的機会を利用するだけでなく、新しい機会を創造する。しかし同じプロセスが、しばしば運動自体の衰退や変質の条件も作り出す。
これは悲観的な結論ではない。むしろ、社会変化は直線的進歩ではなく、複雑で予測困難な相互作用の産物であることを示している。1789年のフランス革命が恐怖政治と独裁をもたらすと同時に、人権宣言という普遍的な遺産も残したように、各々の論争サイクルは予期せぬ方向に展開し、意図されない帰結をもたらす。
現代世界における「戦う運動」の増加は確かに懸念すべき傾向である。しかし歴史的視点から見れば、暴力的で不寛容な運動の波も最終的には部分的に成長し、部分的に家畜化され、部分的に政治プロセスによって媒介されてきた。重要なのは、これらのプロセスがどのような方向に向かうかは、決して予め決定されているわけではないということである。
タローの「Power in Movement」は、社会運動を単なる抗議活動としてではなく、現代政治の中核的メカニズムとして理解するための豊富な概念的ツールを提供している。その分析は、民主主義社会における変化の可能性と限界について、楽観的でも悲観的でもない、しかし深く洞察に満ちた視点を与えてくれる。
第5章「Acting Contentiously」についての考察
by Claude 4
社会運動の可塑性と戦術的創造性
ティーパーティー運動の事例から始まるこの章は、社会運動の行動レパートリーが持つ驚くべき柔軟性と創造性を浮き彫りにしている。2008年の金融危機に端を発したこの運動は、当初は銀行救済への怒りから始まったが、やがて医療保険改革反対運動へと変貌し、最終的には選挙政治の領域にまで進出していった。この変容プロセスは、社会運動が単一の戦術に固執するのではなく、状況に応じて多様な行動形態を組み合わせ、適応させていく様子を示している。
特に興味深いのは、この運動が草の根から自然発生的に生まれたのではなく、シカゴ商品取引所のリック・サンテリという人物の発言から始まったという点である。これは、社会運動の起源に関する一般的な理解を覆すものであり、メディアやエリート層が運動の触媒となる可能性を示唆している。
パフォーマンスとレパートリーの理論的枠組み
チャールズ・ティリーが提唱する「パフォーマンス」と「レパートリー」という概念は、社会運動の行動を理解する上で極めて重要である。伝統的なレパートリーでは、行動は直接的で、しばしば暴力的であり、近距離の相手に対して即座の救済を求めることを目的としていた。しかし、近代的な抗議形態は、要求を示威することを目的とし、要求の対象者、権力者、あるいは重要な第三者に向けられている。
これにより、抗議政治は一種の代表制政治となり、最も暴力的な形態であるテロリズムや内戦においても、象徴的・文化的要素が組み込まれるようになった。19世紀における政治的行進、公開デモ、動員の発展は、抗議が儀式化された公的パフォーマンスへと向かう傾向を強化した。
現代において、電子通信の発達は物理的パフォーマンスの一部を効果がないものにしつつ、インターネットの利用など他の形態をより効果的なものにしている。2009年のイラン選挙不正に対する抗議が、携帯電話、インターネット、フェイスブック、ツイッターなどの新しい電子通信手段を通じて組織されたことは、この変化を象徴している。
破壊的行動の創造性と不安定性
破壊的行動(disruption)は、社会運動の中核にある力である。それは、抗議の革新的な方法を発明することによって破壊する力を持つ。破壊的行動の論理は間接的である。第一に、それは運動の決意の証拠を提供する。第二に、相手方、傍観者、あるいは当局の日常的な活動を妨害し、彼らに抗議者の要求に注意を向けることを強いる。第三に、紛争の輪を広げる。
しかし、破壊的行動には根本的なパラドックスが存在する。それは社会運動の最も強力な武器でありながら、同時に最も不安定で持続不可能な形態でもある。イタリアの1966年から1973年の抗議データを見ると、破壊的形態(道路封鎖、座り込み、建物占拠など)は1968-1969年の興奮した時期にピークに達したが、サイクルの数値的ピークまでには、これらの破壊的形態は減少し、包含された形態(ストライキ、行進、集会)がより多くなっていた。
この現象の理由として、以下の点が挙げられる:
- 政治の誘惑が活動家をロビー活動、出版、メディア政治、選挙などのより包含された形態へと引き寄せる
- 破壊的行動は参加者の間で高いレベルのコミットメントを維持することに依存しているが、これは長期間持続することがほとんどできない
- 新しい戦術の発明は最終的に新しい警察の戦術によって対抗される
- 社会運動の周辺的メンバー(通常は多数派)は私生活に戻る傾向があり、最も過激な活動家の手に委ねられる
暴力の類型学と市民戦争の複雑性
暴力は集団行動の最も可視的な痕跡である。ティリーは集団的暴力を、行動者間の調整の程度と短期的な損害の顕著性に応じて7つの主要なカテゴリーに分類した。これには、乱闘、日和見主義、散発的攻撃、交渉決裂、組織的破壊、暴力的儀式が含まれる。
特に注目すべきは、スタティス・カリヴァスが市民戦争について提示した洞察である。彼は市民戦争の中心にある中央のイデオロギー的・政治的亀裂と、その周辺における多様な地域的紛争と暴力を区別した。カリヴァスは、ホッブズ的モデル(暴力が私有化される)とシュミット的モデル(市民戦争の根本的に政治的な性質を強調する)という2つの並行モデルを展開した。
市民戦争の極端な残虐性は、どちらか一方からではなく、両者の相互作用から生じる。イデオロギー的コミットメントの結果として暴力を振るう者と、中央のイデオロギー的紛争を利用して嫌いな人や恐れる人を攻撃する者との間の同盟から生まれる。
この洞察は、他の形態の暴力にも拡張できる。第二次世界大戦中、ポーランド人やルーマニア人がユダヤ人の隣人をナイフや鶴嘴で襲ったのは、大量虐殺キャンペーンに従事していたナチス侵略者の存在によって提供された機会のためであった。現代の例では、2003年のアメリカと連合軍によるイラク侵攻が、サダム・フセインの抑圧的な体制の下で多かれ少なかれ不安定な平和の中で生活していたシーア派とスンニ派グループ間の暴力の機会を開いた。
包含された集団行動の制度化
ストライキとデモンストレーションは、禁じられた実践として始まったものが最終的に慣習化される過程の良い例を提供している。ストライキは、労働や協力の組織的な撤回であり、生産を停止し、利益を減少させ、公的または私的なビジネスの流れを妨げることを意図した効果を持つ。
ストライキは労働者が経営陣に圧力をかける手段として発展したが、19世紀の過程で、階級的連帯を構築する方法にもなった。これは、職業的・地理的境界を越えた相互支援の増加と、ストライキの儀式化の高まりに反映されていた。ストライカーは工場の境内をパレードし、バナーを掲げ、ホーンを鳴らし、スローガンを唱え、連帯の歌を歌って、仲間の労働者に参加を促すことができた。
同様に、抗議デモは、破壊的な直接行動として始まり、最終的に制度化された。宗教的な行列の伝統的な形態に多くを負っているデモは、挑戦者が一つの標的から別の標的へと移動し、相手を攻撃したり要求を届けたりする際に発展した。公開デモは歴史的に民主化と結びついており、1848年革命の民主的段階において、デモは完全に近代的な形で登場した。
レパートリーの安定性と変化
時間の経過とともに、抗議のレパートリーには多くの変化が生じてきた。これらの変化は、国家と資本主義の変化から生じるものもあれば、特定のパフォーマンスの内部的進化から生じるものもある。レパートリーの変化の軌跡は、以下の4つの主要なカテゴリー内で描くことができる:
- 破壊的な抗議形態の制度化:運動の破壊的段階の興奮が冷め、警察がそれを制御することに熟練するにつれて、運動は戦術を制度化し、交渉と妥協を通じて支持者のために具体的な利益を得ようとする
- 継承された形態の周辺での革新:デモンストレーションの一般的な形態を使用しながら、デモ参加者は衣装を着て行進したり、熊手を振り回したり、目標を象徴する小道具を運んだりすることができる
- 警察や他のアクターとの戦術的相互作用:雇用主が工場から労働者を締め出すロックアウトの戦術を使用したとき、労働者は座り込みストライキを発明し、工場占拠をレパートリーに加えた
- パラダイム的変化:18世紀における硬直的から柔軟な抗議形態への転換、19世紀におけるストライキとデモの発明、20世紀における非暴力的抵抗形態の開発、そして今世紀における自爆テロの発明と急速な拡散
社会運動社会への移行
1990年代に執筆していた多くの学者にとって、産業化された西側は「社会運動社会」になりつつあるように見えた。この概念は、2つの関連するが同一ではない現象を説明するために開発された。第一に、より多くの人々が以前は非慣習的と見なされていた政治行動の形態を使用しているように見えたこと。第二に、これらの形態が継続的に使用されるにつれて、それらが慣習化されつつあったことである。
アメリカ、ドイツなどの西側諸国では、1960年代以降、抗議イベントの数が劇的に増加した。この抗議の増加のほとんどは、請願や平和的なデモンストレーションなどのより包含された参加形態で発生し、1960年代と1970年代に噴出した暴力は大部分が沈静化した。
しかし、世界の他の地域における過去10年間のテロリズム、ゲリラ戦、市民紛争の増加は、「社会運動社会」の別の形態を提示している。世界は2つの異なる抗議のレパートリーに二分化しているのだろうか:西側における平和的で、包含され、ますます制度化された抗議と、世界の他の地域における暴力的で、制御不能で、不安定化する抗議。この問題に答えるには、地球全体にわたる抗議のパフォーマンスとレパートリーの長期的な比較分析のみが必要である。
日本の文脈への応用
この章で示された社会運動の動態は、日本の文脈でも観察できる。例えば、1960年代の安保闘争から2010年代の反原発運動まで、日本の社会運動も破壊的形態から制度化された形態への移行を経験してきた。特に3.11以降の反原発運動は、当初の大規模なデモから、地方自治体への働きかけ、選挙への参加、訴訟など、より制度化された形態へと変化していった。
また、日本における社会運動の特徴として、西欧的な対立的な形態よりも、より協調的で儀礼的な形態を好む傾向がある。これは、日本の政治文化における和の重視や、権威に対する直接的な挑戦を避ける傾向と関連している可能性がある。
しかし同時に、日本でも革新的な抗議形態が生まれている。例えば、SEALDsによる音楽とファッションを取り入れた新しいデモスタイルは、従来の左翼運動とは異なる若者層を動員することに成功した。これは、文化的な期待と革新の間のバランスを取りながら、新しい参加者を引き付ける方法の一例だ。
現代日本における社会運動の課題は、いかにして制度化の罠を避けながら、同時に持続可能な影響力を維持するかという点にある。破壊的行動の創造性と、制度的チャンネルを通じた影響力の間でバランスを取ることが、今後の日本の市民社会にとって重要な課題となるだろう。
第6章「ネットワークと組織」についての考察
by Claude 4
運動組織の生成と変容
本章は、社会運動における組織とネットワークの複雑な相互作用を探求している。冒頭の中国ホンダ工場でのストライキ事例は、一見すると単純な労働争議のように見えるが、実は社会運動の組織化における根本的な問題を浮き彫りにしている。
23歳の内向的な青年、タン・グオチェン(Tan Guocheng)が生産ラインを停止させ、「ストライキに出よう!」と叫んだ瞬間は、単なる衝動的な行動ではなかった。彼は事前に同郷の湖南省出身者と秘密裏に連絡を取り、約50人の労働者ネットワークを形成していた。この事例は、文化的親和性と職場での連帯が交差する地点で運動が生まれることを示している。
著者タロー(Tarrow)は、この事例から4つの重要な要素を抽出している。第一に、同郷出身者への信頼に基づく連帯。第二に、事前に形成された活動家ネットワーク。第三に、一時的なネットワークでは不十分であることを認識し、独立した労働組合の必要性を理解したこと。第四に、熟練労働者の不足、2008年の労使関係法、地方政府の利害関係という機会構造が重なったことである。
組織形態の歴史的展開
本章で特に興味深いのは、19世紀ヨーロッパにおける二つの対照的な組織モデルの比較である。社会民主主義モデルとアナーキストモデルは、それぞれ異なる文脈から生まれ、異なる軌跡をたどった。
ドイツ社会民主党(SPD)に代表される社会民主主義モデルは、労働組合、協同組合、相互保険制度、さらにはレクリエーションセンターまでを包含する巨大な階層的組織を構築した。「国家の中の国家」と呼ばれるほどの組織は、一見すると強力に見えたが、実はその硬直性ゆえに創造性を失い、1930年代のヒトラーの突撃隊に対抗できなかった。
一方、アナーキストたちは正反対のアプローチを取った。彼らは政治を不信し、下からの生産者協同組合の創設を目指した。しかし、組織的なテンプレートを欠いていたため、各地で異なる形態を取り、最終的には秘密結社化し、世界初のテロリストネットワークへと変貌してしまった。
この二つのモデルの対比は、現代の運動組織を理解する上で重要な洞察を提供する。階層的組織は継続性と資源動員能力を持つが、柔軟性と創造性を失う危険がある。一方、分散型組織は自律性と即応性を持つが、調整能力と持続性に欠ける。
現代における組織のハイブリッド化
著者は、現代の社会運動組織が過去の二項対立を超えて、より複雑で柔軟な形態を取っていることを指摘する。これらのハイブリッド組織は、中央集権と分権、フォーマルとインフォーマル、恒久的と一時的といった要素を組み合わせている。
例えば、1960年代以降のアメリカの市民団体は、全国的な傘組織と地方の支部を「巡回エージェント」でつなぐモデルを開発した。トクヴィルが草の根の自発的結社と見なしたものは、実際には全国的なエージェントが各地を回って設立した支部であることが多かった。このモデルは、地域の信頼ネットワークを全国組織に組み込みながら、同時に「自由な空間」を提供し、一般市民が主体的に活動できる余地を残した。
ルーサー・ガーラック(Luther Gerlach)とヴァージニア・ハイン(Virginia Hine)が提唱した「分散型・網状・分節型」組織は、この傾向をさらに推し進めたものである。彼らによれば、これらの組織は「本質的に独立した多様な地域グループやセルから構成されるが、より大きな構成を形成するために結合したり、より小さな単位に分割したりすることができる」。
デジタル時代の組織革新
本章の後半で著者が注目するのは、インターネットとデジタル技術が運動組織にもたらした革命的変化である。W・ランス・ベネット(W. Lance Bennett)らの研究によれば、電子ネットワークは単なるメッセージ伝達の手段ではなく、分散型キャンペーンネットワーク、インタラクティブな抗議カレンダー、計画サイト、ソーシャルフォーラムなど、多様で広く分散した活動家を結びつける組織構造そのものを構成している。
しかし、著者は技術決定論的な見方に対して慎重な立場を取る。インターネットへのアクセスは国によって大きく異なり、アメリカの1000人あたり295.2のインターネットホストに対し、パラグアイではわずか0.02である。デジタル格差は、国際的に調整された社会運動の可能性を制限する重要な要因となっている。
興味深いことに、保守的なグループは進歩的なグループに比べてインターネットの活用が遅れていた。おそらく権力構造上の優位性と豊富な財政資源を持つがゆえに、アメリカの新保守主義運動はオンラインインフラの構築に消極的だった。対照的に、MoveOn.orgのような進歩的グループは、電子通信の方法を迅速に活用し、2008年のバラク・オバマの当選に貢献した。
ネットワークの多層性と動態
本章で特に重要な概念は、ネットワークの多層性と動態性である。チャールズ・ティリー(Charles Tilly)は「信頼のネットワーク」に焦点を当てたが、デリア・バルダサーリ(Delia Baldassari)とマリオ・ディアーニ(Mario Diani)は、連帯に基づく「社会的絆」と道具的に動機づけられた「取引」ネットワークを区別している。
マーク・グラノヴェッター(Mark Granovetter)の「弱い紐帯の強さ」理論は、運動組織の理解に重要な示唆を与える。弱い紐帯は、排他的で潜在的に有用な同盟者を排除しがちな強い紐帯よりも、動員のためのより良い基盤となりうる。ただし、これはネットワークのメンバーを結びつける目標の種類に大きく依存する。「飲酒運転に反対する母親たち」のようなコンセンサス運動は比較的弱いネットワークで繁栄したが、イタリアの赤い旅団のようなハイリスクグループは、戦闘の熱気の中で固められた家族や親しい友人の極めて強い紐帯に依存していた。
組織の軌跡と変容
著者は、運動組織が固定的なものではなく、常に変化し続けるものであることを強調する。ポーランドの連帯運動の事例は、この動的な性質を見事に示している。グダニスクのレーニン造船所での孤立したストライキから始まった運動は、工場間ストライキ委員会(MKS)の形成、独立労働組合「連帯」の設立、そして最終的には非共産主義政権の誕生へとつながった。
戒厳令下で連帯が非合法化された後も、運動は地下ネットワークとして生き残った。「多面的な『地下社会』が出現し、その活動は秘密出版や私的な劇場公演から、しばしば特殊機動隊によって解散させられる壮大な集会やデモ行進まで多岐にわたった」。この事例は、公式組織が消滅しても、その内部の対人ネットワークが生き残り、新たな機会が訪れたときに再活性化できることを示している。
日本への示唆
本章の分析を日本の文脈で考えると、いくつかの重要な示唆が得られる。日本の社会運動は、しばしば既存の組織(労働組合、市民団体、宗教団体など)の枠内で展開されてきた。これは本章で言う「制度内での発展」の一形態と見ることができる。
しかし、近年の日本では、SEALDsのような若者主導の運動や、原発反対運動における市民ネットワークなど、より流動的で分散的な組織形態も現れている。これらの運動は、SNSを活用しながら、従来の階層的組織とは異なる水平的なネットワークを形成している。
特に注目すべきは、日本における地縁・血縁ネットワークの役割である。中国のホンダ工場での同郷ネットワークと同様に、日本でも地域コミュニティや同窓会ネットワークが運動の基盤となることがある。しかし、これらの伝統的ネットワークは、若い世代においては弱体化しており、代わりにオンラインコミュニティや趣味を通じたつながりが新たな動員基盤となっている。
組織論の再考
本章の最も重要な貢献は、ミヒェルスの「寡頭制の鉄則」を現代的文脈で再考したことである。確かに、組織の官僚化と保守化の傾向は存在する。しかし、現代の運動組織は、この「鉄則」を回避するための様々な工夫を凝らしている。
フランチャイズ化、社会的流用、制度内での潜伏といった戦略は、すべて硬直した階層組織を避けながら、同時に完全な分散化の弱点も克服しようとする試みである。これらの戦略は、組織の柔軟性と持続性のバランスを取ろうとする創造的な解決策と言える。
しかし、著者が指摘するように、これらのハイブリッド組織にも「美徳の悪徳」がある。分権化と緩やかな結合は、基盤での自律性を促進する一方で、調整の欠如と継続性の不足を許容してしまう。グリーナム・コモン平和キャンプの女性たちが、男性同志の宿泊を許可するかどうかで対立したように、内部民主主義への献身が、些細な問題での紛争を引き起こすこともある。
結論的考察
本章は、社会運動組織の複雑性と多様性を包括的に描き出している。単一の組織モデルや単一の組織軌跡は存在しない。むしろ、異質性と相互依存性こそが、同質性と規律よりも集合行動への大きな刺激となる。
現代の運動組織が直面する根本的なジレンマは、破壊的な力を維持しながら、同時に同盟者、当局、支持者との持続的な相互作用を維持するためのインフラをどう構築するかという点にある。1960年代以降に発展した新しいハイブリッド組織形態は、この問題に対する部分的な解決策を提供している。
最終的に、本章が示唆するのは、成功する社会運動の鍵は組織の形式的特性ではなく、その内部で機能するインフォーマルな結合組織の役割であるということだ。これらのネットワークは、公式組織が消滅しても生き残り、新たな機会が訪れたときに再活性化することができる。この洞察は、社会運動の研究者だけでなく、実践者にとっても重要な指針となるだろう。
第7章「Making Meanings」についての考察
by Claude 4
暴力と象徴の政治学
1992年12月6日、インドのアヨーディヤで起きたバーブリー・モスク破壊事件から、この章は始まる。この事件は単なる宗教的暴力ではない。意味生成(meaning making)という、社会運動研究における重要な概念を理解するための格好の事例となっている。
著者のシドニー・タロー(Sidney Tarrow)が提示するのは、社会運動が単に物質的な利益を追求するだけでなく、いかに意味を作り、操作するかという問題である。ヒンドゥー・ナショナリストたちは、モスクの破壊を通じて、世俗的なインド国家のアイデンティティを宗教的なものへと転換しようとした。彼らが破壊したのは建物だけでなく、独立以来のインドの世俗主義そのものだった。
フレーミングという戦略
デイヴィッド・スノー(David Snow)らの研究を基に、タローはフレーミング(framing)の概念を詳述する。フレーミングとは、「外の世界」を単純化し凝縮する解釈図式である。それは、物事や状況、出来事を選択的に強調し、符号化することで現実を構築する。
アヨーディヤの事例では、RSSが1988年に配布したパンフレットが印象的だ。「私の寺院は冒涜され、破壊された。その聖なる石は侵略者の足の下で踏みにじられている。私の神々は泣いている」という表現は、過去の被害を現在の怒りへと転換し、集合的行動を正当化する巧妙なフレーミングである。
しかし、フレーミングは社会運動の指導者だけが行うものではない。メディア、国家、そして対抗勢力もまた、出来事をフレーミングする。タローが「フレーミング・コンテスト」と呼ぶこの競争は、誰の解釈が支配的になるかをめぐる闘争である。
不正義フレームとブリコラージュ
ウィリアム・ギャムソン(William Gamson)の「不正義フレーム」(injustice frame)は、社会運動における重要な動員メカニズムである。人々を受動的な状態から行動へと駆り立てるには、日常的な不平等や屈辱が挑戦可能であることを示さなければならない。「不正義は腹に火をつけ、魂に鉄を入れる」というギャムソンの表現は、感情と認知の結びつきを端的に示している。
もう一つの重要な概念がブリコラージュ(bricolage)である。これは伝統的なシンボルと新しいテーマを組み合わせる「日曜大工」的な手法である。アメリカの公民権運動は、伝統的な「権利」のフレームと、非暴力的抵抗という革新的な行動形態を組み合わせた。この組み合わせこそが、黒人教会という最も伝統的な制度の中で、静寂を行動へと転換させた。
メディアと意味の共同生産
現代の社会運動にとって、メディアは単なる情報伝達手段ではない。それは意味の共同生産者である。1960年代のアメリカ公民権運動は「テレビ初の定期的なニュース・ストーリー」だったとキールボウィッツとシェラーは指摘する。テレビは長く無視されてきた不満を全国に知らしめ、運動の平和的な目標と警察の暴力性を視覚的に対比させた。
同様に、バーブリー・モスク破壊のテレビ放送は、暴力の正当性を全国に拡散し、その後の暴動を煽った。テレビは集合行動の共同生産者となったのである。しかし、メディアのフレーミングには問題もある。メディアは「ニュースになるもの」に焦点を当てる傾向があり、これが抗議サイクルにおける混乱から暴力への移行を強化する。
アイデンティティの結晶化
フランス革命期のグルノーブルで、革命執行権力の委員が市民の服装について述べた言葉は示唆的だ。「反乱の衣装」は「敵軍の制服」だという。革命期のフランスでは、服装、祝日、挨拶、公共事業、記念碑を通じて政治文化を再形成する体系的な試みがなされた。
チャールズ・ティリー(Charles Tilly)の図式によれば、カテゴリカル・アイデンティティは、XとYを分ける境界線を軸とする。アイデンティティの間には境界があり、それは空間的、ジェンダー的、階級的、民族的、宗教的なものである。
ヒンドゥー・ナショナリストは、ラーマ神の好戦的なイメージを構築し、ムスリムを侵略者として描いた。ドイツのナチスは「アーリア人」の優越性に基づいて他の「人種」との境界を構築した。アメリカの公民権運動は「新しい黒人」のイメージを創造しようとした。マーティン・ルーサー・キングがモンゴメリー・バス・ボイコット後に書いたように、「モンゴメリーで私たちは新しい方法で歩いている。私たちは新しい方法で頭を上げている」。
感情労働の多様性
ヴェルタ・テイラー(Verta Taylor)は、感情が「文化的アイデア、構造的不平等、個人の行動の間のリンクを明確にする場」だと述べる。感情労働(emotion work)は、活動家の間で連帯を維持し、主張を行動に転換するために必要である。
2005年のデンマークにおけるムハンマドの風刺画事件は、感情がいかに国境を越えて動員されるかを示している。デンマーク国内での抗議は抑制的だったが、中東諸国では大使館への放火や暗殺の脅迫にまで発展した。同じ出来事が異なる感情文化の中で全く異なる反応を引き起こしたのである。
アーリー・ホックシルド(Arlie Hochschild)が指摘するように、特定の集団は独自の「感情文化」を形成する。愛、忠誠、畏敬といった感情は動員的であり、絶望、諦め、恥といった感情は脱動員的である。怒りは「活性化」する感情であり、諦めや抑うつは「非活性化」する感情である。
デボラ・グールド(Deborah Gould)のエイズに対するレズビアン/ゲイ・コミュニティの反応分析は、感情の複雑な変遷を示している。抑圧への恐れから始まり、恥、怒りの初期抑圧、コミュニティへの誇り、そして従来の戦術が効果的でないと分かったときの怒りへと移行した。
文化的転回の意義と限界
社会科学における「文化的転回」は、フレーミング、アイデンティティ構築、感情を社会運動研究の中心に据えた。しかし、タローは警告する。感情を合理性より優先し、アイデンティティ政治を道具的政治より重視し、運動のフレーミングを争議の広範なエピソードの社会的構築より重要視することは、害をもたらす可能性がある。
1994年のメキシコ・チアパスでのサパティスタ反乱の例は示唆的だ。当初は土地なし農民のシンボリズムを用いていたが、首都や北米・ヨーロッパで共鳴を得たのは主に「先住民運動」としてであり、運動指導者のメッセージは農民ベースの要求から、500年にわたる白人とメスティーソの権力に抑圧された先住民インディアンのシンボリズムへと変化した。
日本における意味生成の文脈
この章の分析を日本の文脈で考えると、いくつかの興味深い示唆が得られる。日本の社会運動もまた、意味生成の複雑なプロセスを経験してきた。1960年代の安保闘争では、「平和」と「民主主義」というフレームが動員に重要な役割を果たした。近年の反原発運動では、「安全」「いのち」「未来」といったフレームが、福島第一原発事故後の感情的な衝撃と結びついて大規模な動員を可能にした。
日本の社会運動における感情文化も独特である。「怒り」の直接的表現よりも、「悲しみ」や「不安」といった感情が動員に用いられることが多い。これは日本の文化的文脈における感情表現の規範と関連している。また、メディアのフレーミングも、対立よりも「共感」や「連帯」を強調する傾向がある。
アイデンティティの構築においても、日本の運動は独自の特徴を示す。排他的な境界設定よりも、包括的で曖昧な境界を好む傾向がある。「市民」というアイデンティティは、階級や職業を超えた広範な連帯を可能にする一方で、運動の焦点を曖昧にする危険性も持つ。
実践への応用
この章の洞察を実践に応用すると、社会運動の成功には以下の要素が重要であることが分かる。
第一に、効果的なフレーミングは、既存の文化的レパートリーと革新的な要素を巧みに組み合わせる必要がある。完全に新しいフレームは理解されにくく、完全に伝統的なフレームは変革の力を持たない。
第二に、アイデンティティの構築は、包括性と排他性のバランスを取る必要がある。強すぎる境界設定は潜在的な同盟者を遠ざけ、弱すぎる境界は運動の焦点を失わせる。
第三に、感情労働は運動の段階と文脈に応じて調整される必要がある。初期段階では希望と連帯の感情が重要だが、持続的な動員には怒りや不正義感も必要である。しかし、過度に否定的な感情は参加者を疲弊させる。
最後に、これらすべての要素は、メディア、国家、対抗勢力との相互作用の中で形成される。運動は自らのメッセージを一方的に発信するのではなく、これらの重要な他者との対話的なプロセスの中で意味を生成していく。
タローの分析は、社会運動が単なる利益追求の手段ではなく、社会的意味の生産と変革の場であることを明らかにしている。フレーミング、アイデンティティ、感情という三つの要素は、運動の連帯を生み出し、参加者を活性化させる。しかし、これらの文化的要素は、政治的プロセスから切り離されて理解されるべきではない。意味生成は常に、機会構造と制約の中で、戦略的に行われる実践なのである。
第9章「競争のメカニズムとプロセス」についての考察
by Claude 4
相互作用する競争の力学
本章は、社会運動研究において長らく個別に扱われてきた諸要素(レパートリー、組織、フレーム、アイデンティティ、機会と脅威)を、相互作用的で動的なプロセスとして捉え直そうとする野心的な試みである。著者たちは、従来の静的なパラダイムから脱却し、競争のエピソードを実際に動かしている「矢印」、つまり要素間をつなぐメカニズムとプロセスに焦点を当てることの重要性を強調している。
まず印象的なのは、著者たちが社会運動研究の限界を率直に認めていることだ。McAdam、McCarthy、Zaldらによる1996年の『Comparative Perspectives on Social Movements』でさえ、フレーム、機会と脅威、動員構造の相互作用を認識しながらも、それらがどのように競争のプロセスで結合するかは暗黙的なままだったという指摘は重要である。この限界の背景には、研究対象が単一のアクター(社会運動や運動組織)に限定されがちだったこと、分析素材が主に北米と西欧の改革主義的社会運動に偏っていたこと、そして何より、競争のエピソードにおける要素をつなぐメカニズムとプロセスが特定されていなかったことがある。
メカニズムベースのアプローチ
著者たちが提唱するメカニズムとプロセスのアプローチは、従来の相関関係に基づく分析とは根本的に異なる。物理学のような入力と出力変数の共変関係を探求するのではなく、生物学における再生産や進化のような小規模・大規模プロセスがどのように異なるメカニズムの組み合わせから生まれるかを示す論理に近い。これは、競争政治研究において「なぜ」よりも「どのように」を重視する立場であり、比較政治学や国際政治学における「プロセス・トレーシング」の支持者たちに近い。
特に興味深いのは、インフォーマルネットワークへの参加と活動主義の相関関係を例に挙げた説明だ。この相関は、集団の指導的メンバーが他のメンバーに及ぼす社会的統制、リスクの高い行動を取る傾向を生む相互信頼、単純な利害の近接性、ネットワーク内での相互作用によるコミュニティの基底的規範の活性化など、複数の異なるメカニズムの結果である可能性がある。ネットワークと集団行動の関連を特定することは因果分析の第一歩に過ぎず、その相関を生み出す因果メカニズムを特定することがはるかに重要なのだ。
動員と脱動員のメカニズム
本章で提示される動員のプロセスは、挑戦者と権威の間の本質的に関係的な性質を強調している。図9.1が示すように、広範な変化プロセスが挑戦者と権威の両方に影響を与え、それが解釈(フレーミング)、機会と脅威の認識、資源・組織・制度の創出または流用、革新的な集団行動へとつながっていく。しかし現実の競争のエピソードは、この図よりもはるかに複雑であり、目的や方法について必ずしも一致しない挑戦者、抑圧と促進の間で分裂する権威、より広い公衆に向けてエピソードをフレーミングする上で重要な役割を果たすメディア、傍観者や第三者などが関与する。
機会が拡大し、政治システムの挑戦への感受性についての情報が広まると、活動家だけでなく一般の人々も社会統制の限界を試し始める。初期の挑戦者と権威の衝突は後者の弱点と前者の強さを明らかにし、臆病な社会的アクターでさえどちらかの側に付くよう誘う。一般的に機会が拡大する状況によって引き起こされると、情報は外部へとカスケード状に広がり、政治的学習が加速する。
脱動員のプロセスについては、社会運動研究分野がこれまで十分に分析してこなかったことが指摘されている。著者たちは、動員のエピソードが引き起こされると多くの他のアクターや制度が活性化されるため、単一の脱動員プロセスについて語ることは不可能だと強調する。脱動員には、抑圧(より一般的には競争の統制)、促進(少なくとも一部の要求を満たす)、疲弊(街頭にいることの単純な疲れや、より微妙には集団生活の緊張)、急進化(社会運動組織の一部がより積極的な方向へシフト)、制度化(一部の組織が組織化された政治のルーティンに組み込まれる)という5つの重要なメカニズムが特定されている。
キャンペーンと連合形成
キャンペーンは、標的とされた権威に対して集団的要求を行う持続的で組織化された公的努力として定義される。それは新しいアクターを構成することもあれば、集団的要求の周りに道具的に集まり、キャンペーンが終われば解散する異なるアクターの連合を活性化することもある。キャンペーンは公的パフォーマンスを含むが、メディアの努力、教育活動、ロビー活動も含む。キャンペーンは常に少なくとも3つの当事者を結びつける:特定の選挙区を代表すると主張する自己指定の要求者グループ、要求の対象、そして何らかの種類の公衆である。
連帯運動の例は、単一の労働争議から自由労働組合の要求と共産党・政府高官と会うための(文字通りの)「円卓」の発明がどのように全国に広がるキャンペーンのテンプレートになったかを示している。これは労働者だけでなく知識人、農民、国家官僚、さらには与党共産党の一部の要素まで巻き込んだ。
連合形成は、異なる組織体が変化をもたらすために資源をプールすることを可能にする協力的で手段志向的な取り決めとして定義される。連合を形成したいという欲求を生み出す要因には、イデオロギー的近接性、資源をプールしたいという欲求、共通の脅威に対して結合する必要性、隣接するカテゴリーのメンバー間で連帯を生み出したいという衝動、制度的に構造化された環境では最小勝利連合をまとめたいという欲求などがある。連合を形成する最も重要なインセンティブは、より強力な敵に対して数、統一性、正当性、政治的影響力を得るのを助けることである。
拡散とスケールシフト
拡散のプロセスは、他のグループの行動によって実証された機会を利用するという人々の決定から生じる。Givan、Roberts、Souleは拡散の3つの主要な経路を特定している:直接的または「関係的」拡散(レパートリーやフレームが個人的接触、組織的連携、または協会ネットワークを通じて伝達される)、間接的拡散(瞬時のグローバルコミュニケーションが、他には結びついていない社会的アクター間でデモンストレーション効果を引き出すイメージを投影する)、媒介された拡散(2つの活動家グループが互いに直接結びついていないが、それぞれが第3の媒介グループまたはアクターと結びついている)。
拡散は競争政治のすべての主要なエピソードで発生するが、既存の関係が不安定化する競争のサイクル中は、新たに動員されたアクターは他者が何をしているかに特に注意を払い、期待される方法で行動することへの制約が少ない。アクター間に相同性が存在する場合、直接的な接触がなくても拡散が起こり、アクターは自分たちに似た他者が何をしているかを学ぶ。
スケールシフトは、競争が政体の異なるレベルに拡散し、アクターが異なるインセンティブと制約に遭遇する場合に発生する。これは水平的拡散とは異なり、下位レベルでは比較的安全だった集団的アクターを脅かす制度的ルーティンを引き起こしたり、少なくとも部分的な要求の制度化につながる取引にエリートを巻き込んだりする。スケールシフトは政体内で上向きに移動することもあれば(例:国家エリートが一連の地方抗議に対応して国軍を投入する)、下向きに移動することもある(例:国家的問題が地方レベルで取り上げられる)。
日本への示唆
本章で提示されたメカニズムとプロセスのアプローチを日本の文脈で考えると、いくつかの重要な示唆が得られる。日本の社会運動は、欧米と比較して異なる文化的・制度的環境で展開されてきた。例えば、日本における市民運動や社会運動は、しばしば地域コミュニティの既存のネットワークや町内会、自治会といった伝統的な組織を基盤として発展してきた。これらの既存のネットワークは、本章で言及されている「社会的統制」や「相互信頼」のメカニズムを通じて動員を促進する一方で、急進化を抑制し、より穏健な形での制度化を促す傾向がある。
また、日本における拡散のプロセスは、メディアの役割が特に重要である。主要メディアの報道姿勢が社会運動の正当性認識に大きく影響し、それが運動の拡散や衰退に直接的な影響を与える。さらに、日本の政治文化における「和」の重視は、連合形成において対立的なフレーミングよりも協調的なアプローチを好む傾向を生み出し、これが運動の性格や成果に独特の影響を与えている。
理論的含意と実践的応用
本章が提示するメカニズムベースのアプローチは、社会運動研究に重要な理論的進展をもたらしている。単一の運動組織や運動に焦点を当てるのではなく、複数のアクター間の相互作用と、それらを結びつけるメカニズムとプロセスに注目することで、競争政治のダイナミクスをより包括的に理解できるようになる。
実践的には、このアプローチは運動の組織者や参加者にとっても有用な洞察を提供する。例えば、キャンペーンの設計において、単に自組織の動員だけでなく、他のアクターとの相互作用、メディアとの関係、権威側の反応などを総合的に考慮する必要性が明確になる。また、拡散のメカニズムを理解することで、運動のメッセージや戦術をより効果的に広めるための戦略を立てることができる。
さらに、脱動員のメカニズムを理解することは、運動の持続可能性を高めるために重要である。疲弊を避けるための組織的工夫、急進化と制度化のバランスを取るための戦略的選択、抑圧に対する準備など、運動の長期的な成功のために必要な要素が明らかになる。
本章の最後で予告されているように、これらのメカニズムとプロセスは、競争のサイクル、運動の成果、そして国境を越えた競争の分析において、より詳細に探求されることになる。関係的アプローチが、国家を基盤とした社会運動研究の限界を超えて、より広い地理的枠組みでの競争政治の理解を可能にするという展望は、グローバル化が進む現代において特に重要な意味を持つ。
結論として、本章は社会運動研究に新たな分析枠組みを提供し、静的なパラダイムから動的でプロセス志向のアプローチへの転換を促している。これは単なる理論的な進歩ではなく、現実の競争政治をより深く理解し、より効果的に参加するための実践的なツールでもある。日本を含む各国の文脈でこのアプローチをどのように適用し、発展させていくかは、今後の重要な研究課題となるだろう。
第10章「Cycles of Contention」についての考察
by Claude 4
抗議サイクルの本質と1848年革命
本章でタローが提示する「抗議サイクル(cycles of contention)」という概念は、社会運動研究において極めて重要な分析枠組みである。1848年のヨーロッパ革命を起点として、抗議の波及と収束のメカニズムを詳細に分析している。
まず注目すべきは、1848年革命の多様性である。ある地域では不作が原因となり、別の地域では選挙権拡大が引き金となり、さらに他の地域では宗教・民族対立が争点となった。しかし、これらの異なる原因にもかかわらず、同時代の観察者たちはこれを単一の大陸規模の出来事として認識した。この認識の共有こそが、抗議サイクルの本質的特徴の一つである。
タローは、1848年革命が政治的権利を中心とした第一次フランス革命とは異なり、社会問題が浮上し始めた点を強調する。トクヴィルの予言的な言葉、「政治闘争は持てる者と持たざる者の間で行われ、財産が大きな戦場となるだろう」という洞察は、この変化を的確に捉えている。
抗議サイクルの定義と構成要素
タローによる抗議サイクルの定義は包括的である。それは「社会システム全体にわたる紛争の高まりの局面」であり、以下の特徴を持つ:
- より動員された部門から動員の少ない部門への集合行動の急速な拡散
- 抗議形態における急速なイノベーション
- 新しい、または変容した集合行動フレームの創出
- 組織化された参加と非組織的な参加の組み合わせ
- 挑戦者と当局間の情報フローと相互作用の強化
この定義で重要なのは、抗議サイクルが単なる個別の運動の集合ではなく、相互作用のダイナミクスとして理解されている点である。各アクターの行動が他のアクターの行動可能性を変え、新たな機会と制約を生み出していく。
機会構造と初期動員者
抗議サイクルの発生において、政治的機会構造の開放は決定的な役割を果たす。タローは「早期蜂起者(early risers)」という概念を用いて、最初に行動を起こす集団の重要性を強調する。これらの初期動員者の要求は往々にして狭く、特定集団に限定されているが、彼らの行動は当局の脆弱性を露呈させ、他の潜在的な挑戦者にシグナルを送る。
1848年革命の場合、ベルギーやスイスのような慎重に自由化を進めていた体制で最初の動きが始まった。フランスでは、自由主義者による合法的な「晩餐キャンペーン」が民主主義者に機会を提供し、暴力的な2月革命へとつながった。この過程は、機会の創出というメカニズムの重要性を示している。
しかし、ここで注意すべきは、機会構造の開放が全ての集団に同じように作用するわけではないという点である。ジャイ・クワン・ユング(Jai Kwan Jung)の研究が示すように、古典的な政治的機会モデルは抗議サイクルの出現段階では説明力を持つが、動員解除段階では関係性が検出されなくなる。これは、サイクルの異なる局面で異なるメカニズムが作動することを示唆している。
レパートリーのイノベーション
抗議サイクルの特徴的な側面の一つは、抗議レパートリーにおけるイノベーションである。1848年革命のバリケード、第一次世界大戦後の工場占拠、アメリカ公民権運動の座り込み、反アパルトヘイト運動のシャンティタウン建設など、各サイクルは特定の行動形態と結びついている。
クープマンス(Koopmans)が指摘するように、「反体制グループは時折、アイデンティティ、戦術、要求の新しい組み合わせを発明することができる。これらの創造的な瞬間は極めて重要である。なぜなら、それらは体制の弱点を露呈させる最初の火花を提供するかもしれないからだ」。
しかし、全てのイノベーションがサイクルの終焉を超えて生き残るわけではない。一部は抗議のピーク時にのみ可能な高い参加レベルと情報フローに依存しており、動員が衰退しメディアが他の問題に移ると維持できなくなる。また、当局が再編成されると、サイクルの最盛期には無敵に見えた戦術も容易に粉砕されたり抑止されたりする。
拡散のメカニズム
抗議サイクルの最も特徴的な側面は、紛争の拡散である。タローは、これが単に人々が他者の行動を模倣することを好むからではなく、一つの民族的アイデンティティの動員が、自らの生存や利益が脅かされることを恐れる他者の反応を引き起こすからだと説明する。
拡散のもう一つの重要な特性は、前章で論じられた「スケールシフト」である。これは抗議の単なる広がりだけでなく、新たな対立者、潜在的同盟、異なる制度的設定がその進展を形作る政体のレベルへの移行を意味する。1989年の天安門広場の反乱が中国の学生から労働者や他の人々に広がり始めた時、体制が軍隊を送り込んで弾圧したのはこのためだ。
疲弊と分極化
街頭での抗議やデモ、暴力は最初は高揚感をもたらすが、運動が組織化され、活動家が方法や目標をめぐって議論し、派閥に分かれるにつれて、リスクと個人的コスト、そして最終的には疲労と幻滅をもたらす。その結果、参加の減少が生じる。
しかし、参加の減少は運動のすべての部門で同じペースで起こるわけではない。挑戦の周辺にいる、強い動機を持たない人々は最も離脱しやすく、一方で中核に近い人々は最も持続しやすい。一般的に、前者は行動においてより穏健であり、彼らが離脱すると、その不在は中核のバランスを変える。後者はより戦闘的であるため、抗議の急進化を支持する可能性が高い。
この不均等な参加の減少は、運動のリーダーシップにジレンマをもたらす。数の力にあることを認識している彼らは、参加の減少に対して、より穏健な要求を受け入れ、対立者との妥協を試みることで対応するかもしれない。逆に、より戦闘的な要素の支持を維持するために、急進的な主張を行い、抗議を激化させることで火を保とうとするかもしれない。
急進化と制度化の相補的プロセス
エイタン・アリミ(Eitan Alimi)は、「なぜある社会運動は分裂し、より無秩序で暴力的な抗議形態を採用する一方で、他の運動はそうならないのか」と問う。この問いは、抗議サイクルにおける急進化と制度化という相補的なプロセスの核心に触れている。
タローが指摘するように、最も興味深いのは、急進化と制度化が同時に起こり、相互に構成的であるという点である。抗議サイクルは、同じ社会運動ファミリー内の組織間で競争的動員を刺激する。競争はイデオロギー的対立、静的な組織空間での場所をめぐる競争、またはリーダー間の権力をめぐる個人的対立から生じる可能性がある。
アリミのガザ地区撤退とアモナ撤去の比較研究は、調整のインフラの重要性を明らかにしている。ガザ撤退の場合、様々なアクターのリーダーたちが自発的に関与のルール、期待、暗黙の理解を形成し維持する意欲と能力が、非暴力的な結果をもたらした。対照的に、アモナに至る過程でこの同じ調整インフラが崩壊したことが、急進化を引き起こした。
国家の対応:弾圧と促進
クープマンスは、サイクルの終焉を「再安定化」として概念化している。これは単に抗議の収縮を意味するのではなく、「アクター間の関係がより安定的になる」ことを意味する。タローは、この関係がどのように安定化されるかを説明するために、弾圧と促進という二つの主要なメカニズムを特定している。
ゴールドストーン(Goldstone)が指摘するように、「政府が弾圧措置を運動支持者に正確に焦点を当て、暴力と投獄を使用して彼らの行動を制限できる場合、弾圧は運動を終わらせるか地下に追いやる可能性が高い」。しかし、弾圧が焦点を欠き、一貫性がなく、恣意的である場合、または国際的・国内的圧力によって制限される場合、「運動は支持者を引き付けながら、その目標と行動においてより急進化する可能性が高い」。
現代の民主社会における抗議サイクルでは、極端な形態の弾圧は権威主義体制ほど典型的ではない。はるかに一般的なのは、一部の集団の主張の選択的促進と他の集団の選択的弾圧である。たとえば、フィリピン、コロンビア、ケニアの支配者たちは、エリートを農民や労働者から分離することに成功した。抗議者のスペクトラムの中の一部の要素と交渉することで、これらの政府は穏健化を奨励し、穏健派を急進的な同盟者から分離した。
革命的サイクルと非革命的サイクル
タローは意図的に、真に革命的なサイクルである1848年と、革命的とは言い難い1960年代のようなより最近の抗議サイクルを区別せずに扱っている。この革命的サイクルと非革命的サイクルの混同は意図的な挑発である。革命の研究があまりにも孤立してしまったため、革命が上記で検討した多くの同じプロセスとメカニズム(動員、シグナリング、拡散、急進化、制度化、弾圧、促進)によって駆動される抗議の一種であることを思い出す必要がある。
ティリー(Tilly)の区別に従えば、革命的状況(国家権力の深い断片化の瞬間)と革命的結果(新しいアクターへの国家権力の効果的な移転)を区別する必要がある。完全な革命は両者を組み合わせたものである。
革命的状況は、新しい社会運動の挑戦が既存の政体に対して開かれることに似ている。挑戦が増殖し、システム内のすべての既存の潜在的アクターの利害を危険にさらし、すべての反対派を弾圧し、かつ意図せずに体制の最も決意の固い反対者に利点を与える政府の選択につながる限りにおいて、一方が他方になる。
サイクルの遺産と組織的軌跡
クリージ(Kriesi)は、1970年代と1980年代に西ヨーロッパで出現した「新しい社会運動」の共通の核から生じた組織的軌跡の広範な配列を提案している。構成員が政治に直接的または間接的に参加するか、当局に対してまたは社会内で主張を行うかに基づいて、クリージは四つの主要な軌跡を特定している:
- 制度化:SMOの内部構造の形式化と目標の穏健化の組み合わせ
- 商業化:運動組織のサービス組織または営利企業への転換
- 内向化:社会的インセンティブへの排他的な強調につながる道
- 急進化:対立的戦術の使用による「活性化された動員」
これらの多様な軌跡は、古典的な運動組織が進化する様々な方法を示している。それはまた、運動サイクルをより広い歴史の範囲に位置づけるのに役立ち、抗議サイクルがその後に残す堆積物の多様性を示唆している。
日本への示唆
タローの抗議サイクル理論を日本の文脈で考えると、いくつかの重要な洞察が得られる。日本における大規模な抗議サイクルとしては、1960年の安保闘争、1968-69年の全共闘運動、そして近年では2011年の原発事故後の反原発運動などが挙げられる。
これらの運動を見ると、タローが指摘する多くのメカニズムが作動していることがわかる。たとえば、機会構造の開放については、1960年の安保闘争は岸政権の強行採決という政治的機会を利用し、2011年の反原発運動は福島原発事故という危機的状況が生み出した機会を活用した。
レパートリーのイノベーションという点では、全共闘運動における大学占拠やバリケード封鎖、反原発運動における首相官邸前での大規模デモなど、それぞれの時代に特徴的な抗議形態が生まれた。特に2011年以降の運動では、ソーシャルメディアを活用した新しい動員形態が見られた。
拡散のメカニズムについては、1968年の学生運動が東京から全国の大学へと急速に広がった過程や、反原発運動が福島から首都圏、そして全国へと拡大した過程に見ることができる。
しかし、日本の抗議サイクルには独特の特徴もある。特に急進化と制度化のバランスにおいて、日本では急進化が比較的抑制され、制度化への圧力が強い傾向がある。これは日本の政治文化や社会構造、そして国家の対応パターンと関連している可能性がある。
また、サイクルの遺産という点では、日本の社会運動は往々にして急速な動員解除を経験し、組織的な継続性が弱い傾向がある。しかし、クリージが指摘する多様な軌跡のうち、特に「内向化」(社会的インセンティブへの移行)は、日本の市民運動がNPOや市民団体として存続する形態によく見られる。
現代日本において、タローの理論は新たな抗議サイクルの可能性を考える上で重要な視座を提供する。格差の拡大、気候変動、デジタル化による社会変革など、新たな抗議サイクルを生み出す可能性のある構造的条件は存在している。問題は、これらの潜在的な機会がどのように認識され、活用されるかである。
タローの分析が示唆するように、抗議サイクルは単なる自然発生的な現象ではなく、機会、組織、フレーミング、そして国家の対応の複雑な相互作用の産物である。日本の文脈でこれらのメカニズムがどのように作動するかを理解することは、民主主義の質を高め、社会変革の可能性を探る上で重要な課題である。
第11章「改革への苦闘」についての考察
by Claude 4
社会運動の成果という逆説
「改革への苦闘(Struggling to reform)」という表現自体が、社会運動研究における根本的な逆説を示している。運動の活動家たちは根本的な社会変革、新しいアイデンティティの承認、政治体制への参入、敵の破壊、あるいは社会秩序の転覆を要求するが、単なる「改革」を求めることは稀である。しかし、タローが本章で論じているように、運動が当初の形で要求を達成することはほとんどない。
この逆説は、社会運動研究における中心的な問題を浮き彫りにする。政治過程は単に要求が提出される文脈であるだけでなく、要求が構造化され、狭められ、しばしば逆転させられるメカニズムそのものなのである。リプスキーとオルソン(1976)、ピヴェンとクロワード(1977)が指摘したように、運動の急進的な要求は政治システムを通過する過程で、しばしば穏健な改革へと変容する。
政策成果の測定における複雑性
社会運動の政策成果を測定することの困難さは、単に方法論的な問題ではない。ウィリアム・ギャムソンの古典的な四分類(完全な応答、敗北、取り込み、先取り)から始まり、多くの研究者が成果の類型化を試みてきた。しかし、運動の行動と政策成果の間の因果関係を特定することは、運動の行動が世論の変化、利益団体、政党、行政官、他の運動の影響と同時に起こるため、極めて困難である。
ポール・バースタインが平等雇用機会法制の闘争について述べているように、それは「世論に現れ、公民権運動と女性運動に結晶化し、政治指導者によって公共政策に変換された社会変化の結果として採用された」。つまり、単一の運動の努力というよりも、複数の要因の相互作用が政策変化をもたらすのである。
さらに興味深いのは、アメリカにおけるラティーノなどのマイノリティグループへの利益が、ラティーノ権利運動の結果であると同時に、アフリカ系アメリカ人の権利運動家の努力の間接的な結果でもあったという点である。先行する運動が開いた門を通って、他の民族グループが流入することができたのである。
ストライキという特殊な事例
この複雑性に対する部分的な例外がストライキの結果である。ストライキは、行為者が互いに知っており、要求が明確に述べられ定量化でき、抗議の期間が短く、労働者が通常他のグループから自律的であるという特徴を持つ。19世紀後期のイタリア、20世紀中頃のアメリカ、1990年代のポーランドといった異なる国々でも、研究者たちは「ストライキの脅威とストライキは政府や雇用主から譲歩を得るのに効果的だった」という発見に収斂している。
しかし、より広範な抗議サイクルにおいては、運動は統一されておらず、要求はしばしば不正確でユートピア的であり、一般的な政治変化のダイナミクスが個々の運動の努力よりも成功に関係している可能性がある。
同盟者の決定的役割
エドウィン・アメンタが論理的な結論に到達したように、「挑戦者の行動は、制度的な政治的アクターが挑戦者が代表するグループを援助することに利益を見出すときに、結果を生み出す可能性が高い」のである。同盟者の存在は、政策成果を生み出す上で特に重要な要因である。
しかし、この観察は見かけほど単純ではない。左派政党が権力を握ったとき、それと同盟している進歩的運動は、政治的な船を揺らさないように破壊的な能力を放棄する可能性がある。例えば、MoveOn.orgは、2009年にオバマ政権が誕生したとき、イラクとアフガニスタンでの戦争を終わらせる闘争を失った。民主党が選挙で成功を収めたとき、反共和党感情によって参加を動機づけられていた民主党員たちが反戦抗議から撤退したのである。
個人的な影響と伝記的成果
「政治的なものは個人的である」という観点から見ると、運動参加の長期的な影響は複雑である。アリスティード・ゾルベルグが述べたように、「政治的熱狂の瞬間の後に続くのは、ブルジョア的抑圧か、カリスマ的権威主義であり、時には恐怖だが、常に退屈の回復である」。アルバート・ハーシュマンはさらに進んで、「リバウンド効果」を指摘し、熱意を持って公的生活に身を投じた個人が、費やした努力に比例した嫌悪感を持って私的生活に戻ると述べている。
しかし、幻滅は運動参加の短期的な結果に過ぎない可能性がある。闘争で学んだスキル、新しい活動分野への信念の拡張、運動で形成された友情ネットワークの存続を通じて、活動主義は将来の運動や他の市民社会グループへの参加のより大きな準備を生み出す。
ダグ・マクアダムの研究は、1960年代の活動家の伝記的成果について重要な洞察を提供している。フリーダム・サマーの退役軍人の約半数が、20年後も少なくとも1つの社会運動で活動していた。元イタリアの活動家は、国の伝統的な左翼政党、緑の党、または社会運動で活動している可能性が高かった。同様に、元日本の活動家は、卒業後も左翼政党や運動で頻繁に活動していた。
フランス学生運動と米国女性運動の比較
爆発的に出現し即座の成功を享受する運動と、ゆっくりと漸進的に出現する運動のどちらが長期的な影響を持つのか。この問いを探るため、タローは二つの対照的な運動を比較している。
フランスの1968年5月学生運動は、西側世界の驚異であり、第五共和政を麻痺させ、間接的にド・ゴール大統領を辞任に追い込んだ。しかし、その爆発的な性質にもかかわらず、運動は急速に崩壊し、その要求は穏健な教育改革法(loi d’orientation)に縮小された。学生たちのユートピア的な要求「資本主義支配を置き換えろ!」「想像力を解放せよ!」は、一般のフランス市民の言語から隔離されていた。
対照的に、アメリカの女性運動は、1960年代半ばに登場したとき、多くの観察者から「黒人公民権運動を模倣した一時的な現象」と見なされていた。しかし、この運動は持続し、以下のような成果を達成した:
- 平等権修正条項キャンペーンのような大規模な動員
- 服装、言語、マナー、集団活動を通じた女性の新しい自己表現
- カトリック教会や軍隊などの制度へのフェミニスト思想の浸透
- レイプ危機センター、家庭内暴力シェルター、フェミニスト書店、女性学プログラムなどの組織の設立
両運動の違いは、運動における4つの力の観点から要約できる:
抗議レパートリー:フランス学生運動は過去から継承されたレパートリーを使用し、フランス史の最も対立的な瞬間を想起させた。対照的に、アメリカ女性運動は、封じ込められた、言説的、象徴的な行動形態に大きく傾いた多様な行動形態を使用した。
動員構造:フランス学生運動は強力な連結構造を発展させることなく、学生が夏休みに入ると急速に崩壊した。対照的に、アメリカ女性運動は、非公式な女性集団から全国女性機構(NOW)のような正式な全国組織まで、頂点と基盤の両方で広範で多様な成長する連結構造を発展させた。
意味の構築:フランス学生は一般市民から隔離された象徴的言説を採用した。対照的に、アメリカ女性運動は意味付けに注意を払った:「girls」ではなく「women」、「sex」ではなく「gender」、「girlfriend」ではなく「partner」といった具合である。
機会と制約のバランス:フランス学生は機会を素早く消費し、中産階級を怖がらせ、右派の拡大多数派を生み出した。対照的に、特に民主党における政党システムの再編成は、アメリカ女性運動の戦略と成功にとって決定的だった。
政治文化の再形成
社会運動のすべての潜在的な成果と影響の中で、私たちが最も知らないのは文化的なものである。ジェニファー・アールが徹底的なレビューで書いているように、「運動成果の多数の類型論(およびその文献のレビュー)の多くは、文化的成果のための概念的空間を欠いている」。
マクアダムと共同研究者たちが1943年から1964年の間に生まれたアメリカ人の大規模サンプルに実施した研究は、新左翼の生活選択が3世代にわたってより広い公衆に拡散したことを示している。最初のコホート(1943-1949年生まれ)では、これらの変数の導入による生活選択成果への影響は見られなかった。第二コホート(1950-1956年生まれ)では、新左翼経験と追加変数の2つ(活動家大学への出席と教会非出席)がこれらの実践に何らかの影響を与えた。しかし、第三世代コホート(1957-1964年生まれ)では、新左翼活動は生活選択変数と弱い関連しかなく、仲介変数の全配列が作用した。
重要な点は、コホート3の人々が形成期に達する頃には、代替的な生活様式パターンが社会の多くに拡散し、現在では出席した大学の種類、居住地域、教会出席を含む幅広い変数によって影響を受けていたということである。
ゾルベルグの「狂気の瞬間」理論の解説
「狂気の瞬間」がもたらす三つの変革メカニズム
アリスティード・ゾルベルグ(Aristide Zolberg)は、社会運動の高揚期を「狂気の瞬間(moments of madness)」と呼び、これらの瞬間が社会に永続的な変化をもたらす仕組みを分析した。彼の理論によれば、激しい社会運動の時期は、その場では失敗に見えても、実は三つの経路を通じて社会を変革する。
第一の経路:言葉による意識変革
第一に、「言葉の奔流(torrent of words)」という現象がある。これは、運動の最盛期に新しい言葉、スローガン、概念が大量に生み出され、社会に氾濫することを指す。
例えば、1960年代のアメリカでは「Black Power」「sisterhood」「the personal is political(個人的なことは政治的である)」といった新しい言葉が生まれた。日本の文脈では、1960年代の学生運動で「連帯」「自己否定」「総括」などの言葉が広まった。
重要なのは、これらの言葉が単なるスローガンではなく、人々の思考様式を根本的に変える力を持つことである。運動が終わった後も、これらの言葉は社会に残り、人々の世界観を形作り続ける。例えば、「セクハラ」という概念は、1970年代の女性運動から生まれたが、今では誰もが理解する日常語となっている。
第二の経路:人間関係のネットワーク
第二に、新しい人間関係のネットワークが急速に形成される。運動の渦中では、普段は出会わない人々が共通の目的のもとに集まり、強い絆で結ばれる。
タローが本章で示したように、フリーダム・サマーの参加者たちは、20年後も互いに連絡を取り合い、新しい運動を起こす際の核となった。これらのネットワークは、運動が終わった後も「潜在的な動員構造」として機能し、次の運動の種となる。
日本の例では、1960年代の学生運動の参加者たちが、後に環境運動、反原発運動、市民運動などで中心的な役割を果たしたことが挙げられる。彼らは運動で培った組織運営のスキルと人脈を活かして、新しい社会課題に取り組んだ。
第三の経路:要求の制度化
第三に、運動のピーク時に掲げられた要求の一部が制度化される。これは最も目に見えやすい変化である。
ただし、ここで重要なのは、制度化される要求は往々にして当初の急進的な要求から大幅に後退したものになるということである。フランスの1968年5月革命は「想像力を権力に!」と叫んだが、実際に実現したのは穏健な大学改革法だった。アメリカの公民権運動は人種差別の完全撤廃を求めたが、実現したのは法的な平等に留まった。
しかし、ゾルベルグの洞察は、この「後退」を必ずしも失敗とは見ないことにある。たとえ不完全でも、制度化された改革は将来の変化への足がかりとなる。例えば、男女雇用機会均等法は不完全だったが、それが存在することで、後の世代はより進んだ要求を掲げることができた。
間接的で長期的な影響
ゾルベルグの理論の核心は、社会運動の真の影響は直接的・即座的なものではなく、間接的・長期的なものであるという認識にある。
運動の参加者は、しばしば自分たちの努力が無駄だったと感じる。実際、タローが引用したトーマス・ジェファーソンのように、革命の指導者たちは晩年になって自分たちの理想が実現しなかったことに幻滅することが多い。
しかし、社会全体で見れば、「狂気の瞬間」は確実に変化の種を蒔いている。新しい言葉は人々の意識を変え、形成されたネットワークは次の運動の基盤となり、不完全な制度改革も累積的な変化への一歩となる。これらの変化は、世代を超えて徐々に社会に浸透し、最終的には当初の運動参加者も予想しなかった形で社会を変革するのである。
日本の文脈への応用
タローの分析を日本の文脈に当てはめて考えると、いくつかの重要な示唆が得られる。日本における社会運動、例えば1960年代の安保闘争や学生運動は、フランスの1968年5月と同様に爆発的であったが、その後急速に沈静化した。一方で、より漸進的な変化、例えば女性の社会進出や環境運動は、時間をかけて日本社会に浸透し、より持続的な影響を与えてきた。
特に興味深いのは、日本における「改革」という概念自体が、西洋とは異なる文化的文脈を持つことである。日本では、急進的な変革よりも漸進的な改善が好まれる傾向があり、これは社会運動の成果が「改革」として現れやすい理由の一つかもしれない。
現代日本において、社会運動が直面する課題は、タローが指摘する普遍的なジレンマと日本特有の文化的・制度的要因の両方を反映している。同盟者の重要性、政治的機会構造、文化的影響の漸進的な拡散といった要因は、日本の社会運動を理解する上でも重要な分析枠組みを提供する。
第12章「トランスナショナルな抗争」についての考察
by Claude 4
国家を超える社会運動の複雑な展開
この章で論じられているトランスナショナルな抗争という現象について考えていくと、まず印象的なのは、イタリアの酪農家の事例から始まっていることだ。1997年、イタリアの酪農家たちがEUの罰金に対して、EU自体ではなく自国政府に抗議したという一見単純な出来事。しかし、この小さな事例の中に、現代のトランスナショナルな社会運動の本質的な特徴が凝縮されている。
国内化(domestication)という概念が、ここで重要な意味を持つ。グローバルな問題や国際的な圧力に対して、人々はまず自国政府に対して行動を起こす。これは一見すると矛盾しているようにも思える。EUという超国家的組織からの圧力なのに、なぜ自国政府に抗議するのか。しかし、これは実は非常に合理的な選択だ。市民にとって最もアクセスしやすく、影響力を行使できる可能性があるのは、依然として自国の政府なのだから。
著者のシドニー・タローは、グローバル化の時代においても、活動家たちの多くは「根付いたコスモポリタン(rooted cosmopolitans)」として、自国に基盤を置きながら国境を越えた活動に従事していると指摘する。これは重要な洞察だ。グローバル市民社会という理想的なビジョンとは異なり、現実の運動は常に特定の場所、社会的ネットワーク、そしてローカルな資源に依存している。
グローバル化と国際化の区別
この章で特に興味深いのは、グローバル化と複雑な国際化(complex internationalization)を明確に区別していることだ。グローバル化は主に経済的な統合プロセスとして理解される一方で、国際化はより複雑な制度的・政治的プロセスを含んでいる。
グローバル化について考えてみると、確かに1990年代以降、新自由主義的な「ワシントンコンセンサス」への反対運動が活発化した。しかし、タローが指摘するように、この反グローバル化運動の主要な担い手は、グローバル化の被害を最も受けているはずのグローバルサウスではなく、むしろ豊かな北米やヨーロッパの活動家たちだった。これは一見すると皮肉な現象だが、実は運動の動員には資源やネットワーク、政治的機会が必要であることを示している。
一方、国際化は単なる国家間の関係強化ではなく、サブナショナル、ナショナル、インターナショナルなアクターの間の垂直的なつながりの増大を意味する。国連、世界銀行、IMF、WTO、そして地域的な組織としてのEUなど、これらの国際機関は新たな政治的機会構造を生み出している。
五つのプロセスの相互作用
タローは、トランスナショナルな抗争を理解するために五つのプロセスを提示している:国内化、グローバルフレーミング、トランスナショナルな拡散、外部化、トランスナショナルな連合形成。これらは独立した現象ではなく、相互に関連し合っている。
例えば、グローバルフレーミングは、国内の問題をより広い文脈で解釈し直すプロセスだ。日本の在日コリアンの権利運動の事例は示唆的だ。彼らは日本国内での差別に対して、国際的な人権規範を援用することで、市民権、政治的権利、社会経済的権利、文化的権利という四つの枠組みで自らの要求を再構成した。これは国内の問題を普遍的な人権の問題として再定義する戦略的な試みだった。
拡散(diffusion)のプロセスも興味深い。東欧・中央アジアにおける「選挙革命」モデルの拡散は、直接的、間接的、そして仲介された拡散の三つの経路すべてを含んでいた。セルビアでミロシェビッチ政権に対抗した運動家たちの経験が、グルジアやウクライナの活動家たちに伝わり、アメリカのNGOが仲介役を果たした。しかし重要なのは、このモデルがベラルーシや中央アジアでは機能しなかったことだ。これは、トランスナショナルな運動モデルの成功が、依然として国内の政治的条件に大きく依存していることを示している。
NGOと社会運動の複雑な関係
トランスナショナルなNGO(TNGO)と社会運動の関係は、単純な協力関係というよりも、緊張と協調が入り混じった複雑なものだ。TNGOは一般的により穏健で、ロビー活動や教育、サービス提供といった慣習的な手法を用いる。一方、社会運動はより対立的で、時に違法な手段も辞さない。
この違いは単なる戦術の違いではない。TNGOの多くは北側の財団、政府、国際機関から資金を得ており、これが彼らの行動様式を制約している。また、国際機関も専門知識に基づく穏健な要求を行うNGOとの対話を好む傾向がある。
しかし、両者の関係は単純な対立関係ではない。多くのNGO活動家は社会運動の背景を持ち、NGOは社会運動のアイデアを「翻訳」して、より広い聴衆にアクセス可能にする役割を果たしている。また、具体的なキャンペーンにおいては両者が協力することもある。
外部化と連合形成の戦略
外部化(externalization)は、国内でブロックされた要求を国際的な場で追求する戦略だ。ヨーロッパの文脈では、これは特に効果的だった。イギリスの女性団体が、自国政府の抵抗にもかかわらず、EU司法裁判所を通じて男女平等の要求を実現した事例は印象的だ。1982年の判決で、イギリスがEUの平等賃金指令に違反していることが認定され、最終的にイギリス政府は譲歩を余儀なくされた。
しかし、外部化戦略が有効なのは、強力な国際的な法的枠組みが存在する場合に限られる。EUのような超国家的な法的権限を持つ組織は例外的であり、多くの国際機関は国家の行動を監視し、公表し、時に非難することはできても、実際の制裁を課すことは難しい。
トランスナショナルな連合形成は、最も野心的だが同時に最も困難な戦略だ。成功例として挙げられている世界社会フォーラム(WSF)プロセスと国際地雷禁止キャンペーンは、どちらも特殊な条件下で成功した。WSFは「多くの世界を含む一つの世界」というスローガンの下、多様性を前提とした緩やかな連合として機能した。地雷禁止キャンペーンは、人道的NGO、国際赤十字、そしてカナダ、フランス、ノルウェーといった中規模国家の協力によって成功した。
国家システムの持続性
この章の分析で最も重要な結論の一つは、グローバル化と国際化にもかかわらず、国家システムは依然として強固であるということだ。2001年9月11日以降、国家の力、特に覇権国家の力が再び明確になった。グローバル化は不可逆的なプロセスではなく、むしろ国家の力を増大させる場合すらある。
国際化も国家の自律性を侵食しているかもしれないが、主権そのものを脅かしているわけではない。EUの「マルチレベルガバナンス」、国連システムの「複雑な多国間主義」、NAFTAのより弱い地域主義メカニズムなど、これらはすべて国家システムの枠内で機能している。
日本の文脈での考察
この分析を日本の文脈で考えてみると、いくつかの興味深い点が浮かび上がる。まず、日本における社会運動は、欧米に比べてトランスナショナルな連携が弱いとしばしば指摘される。しかし、在日コリアンの事例が示すように、国際的な人権規範の国内化は確実に進行している。
また、日本の市民社会組織の多くは、政府との協調的な関係を重視する傾向がある。これは欧米のNGOとは異なる特徴だが、同時に国際的な連携を困難にする要因でもある。しかし、環境問題や平和運動などの分野では、日本の団体も国際的なネットワークに参加している。
特に興味深いのは、福島原発事故後の反原発運動だ。この運動は明らかに国内的な性格を持ちながら、同時に国際的な反核運動や環境運動との連携も模索している。これは「根付いたコスモポリタニズム」の日本的な表現と言えるかもしれない。
結論:複雑性の中の可能性
タローの分析が示すのは、トランスナショナルな抗争は単純な「グローバル市民社会」の出現ではなく、国内政治と国際政治が複雑に絡み合うプロセスだということだ。活動家たちは依然として国内に根ざしながら、国際的な機会構造を戦略的に利用している。
この複雑性は、一見すると運動の限界を示しているようにも見える。しかし、むしろこの複雑性こそが、多様な戦略と可能性を生み出している。国内化、グローバルフレーミング、拡散、外部化、連合形成という五つのプロセスは、状況に応じて選択され、組み合わされる戦略的レパートリーを構成している。
21世紀の社会運動は、「古いものと新しいもの、非常に対立的なものと高度に抑制されたもの、トランスナショナルなものと国内的なもの」の組み合わせだとタローは結論づける。この洞察は、グローバル化の時代においても、変革の可能性は複雑で多層的な政治空間の中で追求されなければならないことを示している。単純な楽観主義でも悲観主義でもなく、この複雑性を理解し、戦略的に活用することが、現代の社会運動に求められているのだろう。
結論:「社会運動の未来」についての考察
by Claude 4
金融危機と抗議運動の越境性
2008年の金融危機がヨーロッパへと波及し、各国で異なる形態の抗議運動を生み出した事例から、著者のシドニー・タロー(Sidney Tarrow)は現代の社会運動研究における重要な洞察を提示している。ギリシャではアナーキストによる暴力的な抗議が発生し、ドイツでは議会での野次という制度内での抗議が行われ、アメリカではティーパーティー運動が右派候補を支援するという、それぞれ異なる反応が見られた。
この多様性は、グローバル化が進展しても、各社会は同一の刺激に対して画一的に反応するわけではないという重要な示唆を含んでいる。各国の政治的機会構造、文化的レパートリー、既存の運動ネットワークが、同じ経済危機に対する異なる反応を生み出している。
抗議行動の歴史的連続性と革新
タローは、フランス革命期の人権宣言が後世の憲法に与えた影響を分析したエルキンズとギンズバーグ(Elkins and Ginsburg)の研究を引用し、革命の暴力的側面と普遍的権利の理念という二面性が共存していたことを指摘する。1789年以降に制定された583の憲法における権利に関する言語が、フランス人権宣言の言語とどの程度類似しているかを測定した結果、驚くべき拡散が確認された。
この歴史的視点は、社会運動の拡散が新しい現象ではないことを示している。1848年の革命運動がヨーロッパ全土からラテンアメリカまで広がり、1960年代の活動主義がアメリカから西ヨーロッパへと伝播し、1989年の共産主義崩壊や世紀転換期の「カラー革命」へと続く流れは、抗議の主張やレパートリーが長い間、領域を越えて拡散してきたことを証明している。
抗議レパートリーのモジュール化
現代の抗議行動における重要な変化として、タローは「モジュール化」という概念を提示する。これは、ある場所で生まれた抗議の実践や組織形態が、急速に世界中で模倣されるようになったことを指す。個人的接触や新聞による拡散に加えて、ラジオ、テレビ、そして最近では携帯電話やインターネットが加わった。
しかし、タローはインターネットによる「間接的拡散」は迅速かつ広範囲に情報を広めるが、個人的な結びつきから生まれる対人的信頼を代替することはできないと警告する。第6章で紹介されたタン・グオチェン(Tan Guocheng)の事例は、権威主義国家の中心部で強力な企業に対するストライキを引き起こすことができたのは、特に同郷の湖南省出身者との個人的なつながりを基盤としていたからだった。
政治的機会と制約の多様性
アメリカのティーパーティー参加者とギリシャのアナーキストの怒りは同じ経済危機によって引き起こされたが、その反応は根本的に国内的文脈を通じてフィルタリングされた。政治的機会と制約は、それ自体では社会運動を「説明」しないが、抗議のエピソードがどのように進展するかを形作る上で主要な役割を果たす。
タローは、政治的機会を一般的な包括法則に高めることを避けている。むしろ、運動が他のアクターとの相互作用の中で、また一般的な抗議の文脈の中でどのように発展するかを示すことを目指している。これは「運動における力」(powers in movement)-彼らが採用する動員形態、意味とアイデンティティ、そして彼らが構築する社会的ネットワークと結合構造-に依存している。
レパートリー、動員構造、フレーミング
機会が開かれ制約が縮小すると、組織者が頼る主要な力は三つある:
- 文化的に馴染みのあるレパートリーから生まれ、それを革新する抗議形態
- 人々が生活し構築する非公式ネットワークと結合構造
- 社会に見出し闘争の中で創造する文化的フレーム
これらの要素は単独でも組み合わせでも、運動が人々を互いに、そして対立者、支持者、第三者と結びつけるために異なる形態の集合行動を使用する。集合行動は単なるコストではなく、抗議アクターにとってのコストであると同時に利益でもある。それはコミュニケーションと動員の手段であり、同時にメッセージであり対立者への挑戦でもある。
抗議サイクルと運動の終焉
第10章で記述された反復的な抗議サイクルは、政治的機会のより広い拡散の産物である。これらの紛争と革新の坩堝において、挑戦者とその対立者は利用可能な機会を活用するだけでなく、新しい行動形態を生み出し、新しい「マスターフレーム」を打ち出し、国家に周囲の混乱に対応することを強いる連合を形成することによって、他者のための機会を創造する。
サイクルへの対応はしばしば抑圧的だが、抑圧でさえしばしば促進と改革と混合され、類似の政治的反対に対して非常に異なる結果をもたらす。特に体制内のグループが挑戦者の一部と同盟することで自らを拡大する機会を見出すとき、支配者は脆弱な立場に置かれ、改革主義が頻繁な対応となる。
新しい運動と変化する課題
タローは、21世紀転換期以降の抗議政治が社会運動研究に新たな挑戦をもたらしていることを指摘する。最も憂慮すべきは1990年代と2000年代の暴力的運動である。北アイルランドのカトリック・ナショナリズム、フランスの国民戦線、フラマン語圏のフラームス・ベラング、オーストリア自由党などの右翼政党、そしてスキンヘッドによる暴力が、失業率上昇と反移民恐怖症に苦しむ人々から支持を得ている。
アメリカでも「醜い運動」(ugly movements)が存在する。西部と南西部では、武装民兵組織と反政府運動が連邦政府に挑戦し、教会とユダヤ人施設の両方を攻撃している。オクラホマシティでは、右翼過激派のペアが連邦ビルを破壊し、国家に打撃を与えることを意図した爆弾で数百人の市民の命を奪った。
抗議の封じ込めと正常化
世界が新世紀に近づくにつれて、トレンドは非常に異なる方向に動いている。ラッセル・ダルトン(Russell Dalton)は、西側の4つの自由民主主義国(アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス)における抗議参加を分析し、1974年から1999年の期間の終わりには、始まりよりも抗議と関連活動への参加がより一般的になっていたことを示している。
抗議政治への参加が広がるにつれて、それはまたより複雑化している。これは運動分野により多くの洗練された組織が存在するためだけでなく、参加の技術的閾値が上昇したためでもある。活動主義はもはやパブでの会合に行ったり、友人や隣人と行進やデモに参加したりすることの問題ではない。それはますますインターネットスキル、同じ考えを持つグループと連合を形成する能力、そして公の場で(仮想的にまたは「オフライン」で)自分の意見を述べる勇気を必要とする。
抗議における女性の存在感
過去20年間で最も顕著な変化は、抗議政治における女性の存在感の増大である。男性は依然として女性よりも頻繁に抗議するが、ダルトンは「このパターンがジェンダー役割の狭まりとともに変化している証拠がある」と書いている。アメリカでは、フィリス・シュラフリー(Phyllis Schlafly)の反ERA運動から、飲酒運転に反対する母親たち、中絶反対の封鎖、1994年のゲイとレズビアンのワシントン行進、そして2008年以降のティーパーティー運動まで、女性がますますリーダーシップの役割で見つかるようになっている。
抗議の抑圧と市民の対応
第8章で見たように、物理的抑圧は国家とエリートが対立者に対抗するために使用する一つの方法に過ぎない。国家は資金を断ち切り、厳しい税法と許可要件を通過させ、デモで予約された人々に制限を課すことができる。さらに、国家はメディアが抗議をどのように扱うかに実質的な影響力を持ち、インターネットの内容を制御する。
アメリカでは、9/11直後の米国愛国者法の迅速な通過は、市民的自由の擁護者が発言する余地をほとんど残さなかった。イギリスでは、2007年の地下鉄爆破事件以前から、公共の場所での何千もの監視カメラによって着実に監視が増加していた。両国では、予防的拘禁が増加し、テロ容疑者の場合、拷問と裁判なしの拘禁が使用されている。
これらの市民的自由への脅威に対して、市民はどのように対応したか?
- 裁判所を使用した権利の防衛:グアンタナモ被拘禁者の人身保護権、プライバシー権の保護、不法移民の増加する問題において、弁護士たちは社会運動がネットワークを形成し、主張をフレーム化し、当局と相互作用する方法に驚くほど似た方法で組織化している。
- 図書館員の救援:アメリカ図書館協会は、FBIが個人の図書館貸出記録にアクセスすることを許可する米国愛国者法の条項を非難するキャンペーンを開始した。
- 草の根への回帰:米国愛国者法通過直後に第一修正権を保護するために作られた草の根運動は、ニューイングランドで始まり、当初は確立された市民的自由グループに基づいていたが、第一修正権支持者の全国ネットワークが形成された。
新たな研究課題
タローは、抗議政治研究における今後の課題をいくつか提示している:
国家を標的としない社会運動はどうなるのか?近年、多くの「株主反乱」が発生している。これらは伝統的な社会運動のようには見えないが、確かにこの本が抗議政治の一部と見なしてきたものに該当する。
インターネットベースのキャンペーンなどの新しい形態の集合行動は、既存の抗議政治へのアプローチに挑戦するのか、それとも最終的には以前の時代の新聞やテレビのように抗議レパートリーに吸収されるのか?
グローバル化は抗議の標的を国民国家から国家を超えた何かにシフトさせるのか、それとも単に主張者の戦略に国境を越えた「フォーラムショッピング」の可能性を追加するだけなのか?前者であれば、「グローバル市民社会」へのより楽観的な呼びかけに対するある程度の支持がある。後者であれば、国民国家内の政治的抗議に特徴的な関係が単により遠くまで拡張される可能性がある。
日本への示唆
タローの分析を日本の文脈で考えると、いくつかの重要な示唆が得られる。日本においても、2008年の金融危機は派遣切りや年越し派遣村などの社会運動を生み出した。しかし、その反応は欧米とは異なり、より穏健で制度内的なものだった。これは日本の政治的機会構造、特に労働組合の企業内組織化や市民社会の相対的な弱さを反映している。
また、3.11以降の反原発運動は、日本における社会運動の新たな展開を示している。首相官邸前デモは、インターネットを通じた動員と伝統的な街頭行動を組み合わせた新しい形態の運動だった。しかし、この運動も最終的には制度化され、選挙政治への参加という形で収束していった。
日本における抗議の「正常化」は、暴力的な形態よりも、より儀礼化された抗議の形を取る傾向がある。これは日本の政治文化における合意形成の重視と、対立を避ける傾向を反映している。同時に、インターネットを通じた新しい形態の政治参加が、特に若い世代の間で広がっている。
タローが指摘する「運動社会」への移行は、日本においても部分的に観察される。しかし、それは欧米のような街頭での対立的な形態よりも、オンライン署名活動やSNSを通じた意見表明といった、より非対立的な形態を取ることが多い。これは、グローバルな抗議レパートリーが各国の政治文化によって異なる形で受容され、変容することを示している。
最後に、タローが警告する暴力的運動の増加については、日本では相対的に限定的である。しかし、ヘイトスピーチやオンラインでの過激化など、新たな形態の排外主義的運動が出現している。これらの運動に対する市民社会の対応、特にカウンター運動の発展は、日本における抗議政治の新たな展開を示している。