Opposing The Gaza Holocaust Is Just The Basic, Bare Minimum Requirement To Not Suck As A Person
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2025年4月4日
ガザ・ホロコーストに反対することは、あなたを善人にするわけではない。ガザでのホロコーストに反対しないことは、あなたを悪い人間にする。
それは、自分が気分よくなるためにするものではなく、自分自身と折り合いをつけていくためにするものだ。なぜなら、良心の最も初歩的な要素を持つ人なら誰でも、その選択肢は受け入れられないからだ。
ガザでのイスラエルの行動に反対することを「美徳の表明」と表現する人々を時々目にするが、ガザでのイスラエルの行動に反対することに美徳などない。「美徳」とは「高い道徳的基準を示す行動」と定義される。しかし、これはそれとは違う。現在進行中の大量虐殺に反対することは、最低限の人間としてやってはいけないことだ。溺れている幼児をプールから救い出すことよりも「美徳的」なことではない。それは、完全なサイコパスではない人間なら誰でもする行動だ。
それを「美徳の表明」と呼ぶ人々や、反ジェノサイドのデモ参加者を、流行りのソーシャルメディアのトレンドに参加していると非難する人々は、自分自身について非常に明らかになることを告白している。彼らは、自分自身に社会的影響力がない限り、進行中のジェノサイドに対して強硬な立場を取る理由を想像できないことを認めているのだ。彼らは自分が悪い人間であることを認めている。
ガザ地区でのジェノサイドに反対するために時間を捧げてきた私たちのような人々は、特別なことをしているわけでも、高潔なことをしているわけでも、模範的なことをしているわけでもない。私たちは、この行動を誇りに思うことはないだろう。ただ、この歴史の時点における私たちの人生を恥じることなく振り返ることができるだろう。孫たちが「ガザのホロコーストに対して何をしたのか」と尋ねてきたとき、嘘をついたり、うつむいたりする必要はなくなるだろう。それだけだ。
この大虐殺に積極的に反対している人々が社会のほんのわずかな割合しか占めていないという事実は、私たち自身について素晴らしいことを語っているわけではなく、私たちの社会について恐ろしいことを語っている。私たちの心と精神が、いかに広範囲にわたってプロパガンダと資本主義の自己中心主義によって毒されてきたか。私たちの良心がいかにゆがんでねじ曲げられてきたか。私たちのうちどれだけの人が、この地球上に存在している間に、個人として成熟することができなかったか。
この悪夢が続いていることは、私たちの文明について暗く、暗いことを物語っている。私たちの支配者が、権力の座に居座ったまま、毎月毎月、容赦ない大量虐殺を助長し続けていること。今日、私たちが暮らす西洋の権力構造の支援を受け、想像し得る限り最も恐ろしい方法で子供たちが殺されることになるが、それでもこれに反対する者はほとんどいない。それは、考えたくないから、テレビを見たいから、 あるいは、このようなことを可能にしてきた欧米の政党を支持しているから、あるいは、イスラエルに公然と反対することがキャリアの見通しや社会的地位にどのような影響を与えるか心配だから、あるいは、この現実を本当に自分自身に突きつけられたときに経験するであろう認知的不協和に耐えられず、その重みに押しつぶされて死んでしまうことを恐れているから、などといった理由からだ。
そして、私たちにできることは、その狂気への参加を拒否することだけだ。正義感からではなく、夜、安心して眠れるように。歴史的な生中継の虐殺を目撃していることを認識しながら、それを止めようと全力を尽くさないような人間にはなりたくないから。全力を尽くしたと振り返って言えるようにしたいから。
ガザ地区でのホロコーストに抗議して昨年イスラエル大使館の前で焼身自殺したアーロン・ブッシュネルという現役の米空軍兵士は、Facebookに次のように書き込んでいた。
「多くの人は、こう自問するのが好きだ。『自分が奴隷制の時代に生きていたらどうするだろうか? あるいは、ジム・クロウ法の南アフリカに生きていたら? アパルトヘイトに生きていたら? 自分の国がジェノサイドを犯していたらどうするだろうか?』 答えは、今、君はそうしているということだ。」
ブッシュネル氏は、この発言で特定の誰かを批判したわけではない。ただ私たちに鏡を差し出しただけだ。その鏡に映っているのは、誰のせいでもない、私たち自身なのだ。