
『On Bullshit』Harry G. Frankfurt 2005
『ブルシットについて』ハリー・G・フランクフルト 2005年
https://note.com/alzhacker/n/n36f8fa6fd89c?app_launch=false
目次
- 序論 / Introduction
- フンボッグとの比較 / Comparison with Humbug
- ウィトゲンシュタインの事例 / The Wittgenstein Case
- 辞書的考察 / Lexical Considerations
- 嘘との本質的差異 / The Essential Difference from Lying
- ブルシットの蔓延 / The Proliferation of Bullshit
- 著者について / About the Author
本書の概要
短い解説:
本書は、現代文化に蔓延する「ブルシット」の概念的構造を哲学的観点から分析することを目的とする。日常的に使用される概念でありながら理論的理解が欠如している現象に対し、その本質と嘘との差異を明らかにする。
著者について:
ハリー・G・フランクフルトはプリンストン大学名誉教授の道徳哲学者。分析哲学の手法を用いて、愛や誠実さなど人間の根本的関心を探求してきた。本書では言語哲学と日常的観察を融合させ、一見通俗的な概念の哲学的深みを提示する。
主要キーワードと解説
- 主要テーマ:ブルシットの本質的構造 [真実への無関心を特徴とする言説の形態]
- 概念的革新:嘘との差異化 [嘘が真実への関与を前提とするのに対し、ブルシットは真実そのものへの無関心を本質とする]
- 哲学的含意:真実への敵対性 [嘘よりも真実に対する根本的脅威となりうる現象の分析]
3分要約
現代社会にはブルシットが溢れているが、人々はそれを自明のものとして受け入れ、理論的理解を試みてこなかった。フランクフルトはこの概念的空白を埋めるため、ブルシットの哲学的分析に着手する。
まずマックス・ブラックの「フンボッグ」(HUMBUG)定義を検討する。ブラックはフンボッグを「嘘には至らない欺瞞的虚偽表示」と定義し、特に話し手自身の思考や感情の偽装を特徴とする。建国記念日の演説者例は、歴史的真実ではなく自己像の操作に関心がある点で、この定義に合致するように見える。
しかしウィトゲンシュタインのエピソードは、ブルシットの本質がさらに深いことを示す。パスカルが「轢かれた犬のような気分」と表現した時、彼女は犬の実際の感覚を知らないにもかかわらず、その記述の正確さに無関心であった。この「真実への無関心」がブルシットの核心なのである。
辞書的考察は概念の多様な側面を浮き彫りにする。ブルセッションでは参加者が信念からの自由を享受し、「ブル」は本来の目的から外れた形式的儀礼を指す。「熱い空気」の比喩は、ブルシットが情報内容を欠く空虚な言説であることを示唆する。
ブルシットと嘘の根本的差異は、真実との関係性にある。嘘つきは真実を知り、それに反する主張を意図的に行う。つまり真実を尊重しているからこそ、それを歪めようとする。一方、ブルシッターは真実そのものに関心がなく、その言説の真偽は二次的な問題でしかない。
この差異は道徳的評価にも影響する。一般にブルシットは嘘よりも寛容に扱われる傾向があるが、実は真実に対するより深刻な脅威となりうる。嘘は真実を前提としたゲームの一部であるのに対し、ブルシットはゲームそのものを無効化するからである。
現代におけるブルシットの蔓延には、民主主義社会での意見表明圧力や、客観的実在への懐疑主義の広がりが関係している。特に「誠実さ」への過度な傾倒は、自己の内面への没頭を通じて、かえってブルシットを生産する逆説を生み出している。
各章の要約
序論
現代文化におけるブルシットの遍在性にもかかわらず、この現象は理論的検討が著しく不足している。人々は自身のブルシット認識能力に過信し、概念的理解を深めようとしてこなかった。本研究はこの概念的空白を埋めるため、ブルシットの哲学的分析を試みる初步的探求である。
フンボッグとの比較
マックス・ブラックのフンボッグ(HUMBUG)定義を検討する。ブラックはフンボッグを「嘘には至らない欺瞞的虚偽表示」と定義し、特に話し手自身の内的状態の偽装を特徴とする。建国記念日演説者の事例は、歴史的真実ではなく自己像の操作に関心がある点で、この定義に合致するように見える。しかしブルシットの本質は、この定義では完全には捕捉しきれない。
ウィトゲンシュタインの事例
ウィトゲンシュタインがパスカルの「轢かれた犬のような気分」という表現に示した嫌悪は、ブルシットの本質的理解への手がかりを与える。パスカルは犬の実際の感覚を知らないにもかかわらず、その記述の正確さに無関心であった。この「真実への無関心」―言説の真偽に対する根本的無関心―がブルシットの核心的特徴なのである。
辞書的考察
オックスフォード英語辞典の関連項目を分析する。ブルセッションでは参加者が信念からの自由を享受し、軍事用語の「ブル」は本来の目的から外れた形式的儀礼を指す。「熱い空気」の比喩は、ブルシットが情報内容を欠く空虚な言説であることを示唆する。パウンドの詩句における用法は、ブルシットが事実に基づかないでごまかす行為であることを示している。
嘘との本質的差異
ブルシットと嘘の根本的差異は、真実との関係性にある。嘘つきは真実を知り、それに反する主張を意図的に行う。つまり真実を尊重しているからこそ、それを歪めようとする。一方、ブルシッターは真実そのものに関心がなく、その言説の真偽は二次的な問題でしかない。この差異は、ブルシットが「作り話」でありながら必ずしも「虚偽」ではないという逆説を生み出す。
ブルシットの蔓延
現代におけるブルシットの蔓延には、民主主義社会での意見表明圧力や、客観的実在への懐疑主義の広がりが関係している。特に「誠実さ」への過度な傾倒は、自己の内面への没頭を通じて、かえってブルシットを生産する逆説を生み出している。著者はこう述べる。「事実そのものに対して真実であろうとするのではなく、自己に対して真実であろうと決意するとき、誠実さそのものがブルシットとなるのである。」
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