レックス・フリードマン ポッドキャスト:ナレンドラ・モディ—インド首相

Lex Fridman Podcast断食・ダイエット

サイトのご利用には利用規約への同意が必要です

Lex Fridman and Narendra Modi – for downloading, not for sharing

インド首相―権力、民主主義、戦争と平和|レックス・フリードマン・ポッドキャスト #460

これは、ナレンドラ・モディが出演したレックス・フリードマン・ポッドキャスト #460 の書き起こしです。タイムスタンプはクリック可能なリンクになっており、メインビデオの該当箇所に直接移動できます。なお、この書き起こしは人間が作成したものであり、誤りがある可能性があります。

提供されたファイルを分析した結果、これはLex Fridmanのポッドキャスト#460でインド首相のナレンドラ・モディ氏へのインタビュー内容のトランスクリプトである。

1. 主要トピックと時系列

登場人物

  • ナレンドラ・モディ:インド首相
  • レックス・フリードマン(Lex Fridman):ポッドキャストホスト、エンジニア、研究者

主要トピック(時系列順)

  1. イントロダクション (3:07)
  2. 断食について (9:19)
  3. モディ氏の幼少期と生い立ち (21:38)
  4. 若者へのアドバイス (33:33)
  5. ヒマラヤでの旅 (39:16)
  6. 修道士になること (50:45)
  7. RSSとヒンドゥー・ナショナリズム (52:33)
  8. インドの説明 (1:00:17)
  9. マハトマ・ガンジー (1:04:27)
  10. ウクライナにおける平和への道 (1:16:23)
  11. インドとパキスタン (1:19:37)
  12. クリケットとサッカー (1:25:16)
  13. ドナルド・トランプ (1:29:41)
  14. 中国と習近平 (1:40:51)
  15. 2002年グジャラート暴動 (1:47:56)
  16. 世界最大の民主主義 (2:03:33)
  17. 権力 (2:13:48)
  18. 勤勉さと努力 (2:18:34)
  19. スリニヴァーサ・ラマヌジャン (2:21:42)
  20. 意思決定プロセス (2:23:48)
  21. AI(人工知能) (2:31:35)
  22. 教育 (2:41:50)
  23. 学習と集中 (2:52:06)
  24. マントラ (2:57:56)
  25. 瞑想 (2:59:41)
  26. レックスのインド訪問 (3:05:38)
  27. シッダールタ(本の解説) (3:10:04)

2. 内容の整理

対談全体のメインテーマ

ナレンドラ・モディ首相の人生観、政治哲学、精神性と国際関係

メインテーマの解説

この対談では、モディ首相の個人的な精神修行や経験から始まり、インドの最高指導者としての統治哲学、国際関係における役割まで幅広く論じられている。貧困から世界最大の民主主義国家のリーダーに登りつめた彼の人生は、精神性と現実政治の融合を体現している。特に、彼の決断力、平和への取り組み、AIや教育に関する見解など、現代のグローバルな課題に対する彼の視点が明らかにされている。彼は政治的指導者としての役割と精神的な探求者としての側面を調和させながら、インドの伝統的価値観を現代の国家運営に活かしている。

トピックの背景情報や文脈

  • モディ氏は貧困家庭出身で、茶屋を営む父と医療の知識を持つ母の下で育った
  • 17歳でヒマラヤに旅立ち、精神的な探求の旅を行った
  • RSS(民族奉仕団)に幼少期から関わり、ヒンドゥー・ナショナリズムの影響を受けた
  • グジャラート州の州首相を経て、インドの首相に就任
  • 2002年のグジャラート暴動はモディ氏の政治キャリアにおける論争的な出来事

議論の主要なポイント

  • 断食を通じた精神性と身体の関連性
  • 個人の経験と精神的な修行がリーダーシップに与える影響
  • インドの統一性と多様性の調和
  • 国際関係における平和の追求と国家利益の均衡
  • 民主主義の実践と選挙の重要性
  • 教育と学習の価値観
  • AIの発展とインドの役割

提示された具体例や事例

  • モディ氏が実践する断食の方法と効果
  • オバマ大統領との晩餐会で断食していた際のエピソード
  • トランプ大統領とのヒューストンでのイベント「ハウディ・モディ」での経験
  • インドの選挙において、たった一人の有権者のために投票所を設けた例
  • モディ氏が子供時代に靴を手に入れた時の思い出

結論や合意点

  • 精神性と政治指導力は矛盾せず、調和することができる
  • 国際関係では対話と平和が最優先されるべき
  • インドはその豊かな文化的遺産と人材を活かして、AIなど最先端技術でも主導的役割を果たす
  • 教育は単なる試験成績ではなく、人間形成のプロセスとして捉えるべき

特に印象的な発言や重要な引用

  1. 「私の強さは私の名前にあるのではなく、14億のインド人と何千年もの文化や伝統のサポートにある」
  2. 「私がある世界的指導者と握手するとき、それはモディではなく、14億のインド人が握手をしているのだ」
  3. 「批判は民主主義の魂である」
  4. 「国が常に第一。しかし、誰かを軽視したり悪く言うことは、私の文化的価値観でも伝統でもない」
  5. 「夜がどれほど暗く見えても、それはただの夜であり、朝は必ず来る」
  6. 「国首相ではなく、国の第一の奉仕者として自分を認識している」

サブトピック解説

1. 断食について (9:19)

モディ首相は断食を単なる食事の制限ではなく、科学的・精神的実践として捉えている。彼は年間を通じて複数の断食を行い、特にナヴラトリ祭の9日間は完全な断食を実施する。断食により感覚が鋭くなり、思考が活発になると説明している。断食前には5-7日かけて身体を準備し、多量の水を飲む。断食中も通常通り仕事をこなし、世界の指導者との会談も行う。オバマ大統領とのホワイトハウスでの会食時にも断食していたエピソードを語っている。

2. モディ氏の幼少期と生い立ち (21:38)

モディ首相はグジャラートのバドナガルという歴史的な小さな町で生まれた。彼の生家は窓もなく小さな扉だけがある粘土の床の一部屋だけの家だった。彼は「極度の貧困」の中で育ったが、その負担を感じなかったと述べている。家族は皆一生懸命働き、母は伝統的な治療法で子供たちを治療していた。彼は学校で靴を履かず通い、叔父から初めて靴をもらった時のエピソードを語っている。また、バドナガルの2800年にわたる歴史的な重要性についても言及している。

3. 若者へのアドバイス (33:33)

モディ首相は若者に対して忍耐と自信の重要性を説く。「夜がどれほど暗く見えても、それはただの夜であり、朝は必ず来る」と彼は言う。困難は敗北のためではなく、強くなるための試練であり、危機は機会として見るべきだと主張する。人生に近道はなく、「近道はあなたを短くする」と警告している。継続的な学習の重要性も強調し、何かを「得る」ことや「なる」ことより、何かを「する」ことを夢見るよう勧めている。真の満足感は与えることから生まれると説く。

4. ヒマラヤでの旅 (39:16)

モディ首相は17歳の時に家を離れ、ヒマラヤで2年間放浪した経験を語る。彼は幼い頃から本を読み、スワミ・ヴィヴェーカーナンダの教えに強く影響を受けた。彼は自分の肉体的限界を試す実験をし、寒い冬の夜に毛布なしで外で寝るなどの修行をした。ヒマラヤでの時間は彼の内面を強め、瞑想や朝の聖なる時間に起きることなどの実践が自然な形で彼の一部となった。スワミ・アトマスタナンダジとの出会いも語り、彼から社会への奉仕という大きな目的を示唆された。

5. RSSとヒンドゥー・ナショナリズム (52:33)

モディ首相はRSS(民族奉仕団)との関わりについて語る。子供の頃、彼は愛国的な歌に深く感動し、RSSに参加した。RSSの中心的価値観は「目的を持って行動する」ことであり、「国が全て」という考え方だと説明する。RSSは100年近い歴史を持つ大規模なボランティア組織であり、そこから多くの社会奉仕プロジェクトが生まれている。セヴァ・バーラティ(約125,000の奉仕プロジェクト)、バンバシ・カリヤン・アシュラム(部族コミュニティへの奉仕)、ヴィディヤ・バーラティ(約25,000の学校)などの活動を紹介している。

6. マハトマ・ガンジー (1:04:27)

モディ首相はマハトマ・ガンジーをインド独立闘争の指導者として高く評価している。ガンジーは自身の原則に従って生き、説いた通りに実践した人物だと述べている。彼の功績は大衆運動を作り上げ、一般の人々を自由のための闘士に変えたことだとモディは語る。ガンジーの思想は単なる20世紀のリーダーシップを超え、何世紀にもわたって関連性を持ち続けると強調し、自身の政策においても大衆参加の重要性を反映していると述べている。

7. ウクライナにおける平和への道 (1:16:23)

モディ首相はロシアとウクライナの紛争について語り、インドがブッダとガンジーの国として平和を代表していると述べる。彼はプーチン大統領に「これは戦争の時ではない」と伝え、ゼレンスキー大統領にも「戦場では解決策は生まれない」と助言したと語る。彼は両国間の直接対話の必要性を強調し、中立ではなく平和の立場を取ると明言している。モディ首相は国際社会が平和追求のために団結すべきだと主張している。

8. インドとパキスタン (1:19:37)

モディ首相はインドとパキスタンの緊張関係について歴史的背景から語っている。1947年の分離独立後、パキスタンは繰り返しインドに敵対し、テロを輸出していると主張。首相就任時にパキスタンの首相を招待するなど和平の試みをしたが、敵対行為と裏切りに遭遇したと述べる。それでもパキスタンの人々も平和を望んでいると信じ、彼らも闘争と不安の中で疲れているはずだと語っている。パキスタンが国家支援テロリズムの道を捨て、平和を選ぶことを希望している。

9. ドナルド・トランプ (1:29:41)

モディ首相はトランプ前大統領との友情について語り、ヒューストンでの「ハウディ・モディ」イベントでのエピソードを紹介している。トランプはモディの演説を聴き、その後モディの提案で保安上の懸念があったにもかかわらず観客席周囲を歩いたという勇気ある行動を評価している。また、初めてホワイトハウスを訪問した際、トランプが自ら白人を案内し、アメリカの歴史についての深い知識を示したことに感銘を受けたと述べている。4年間の別離後も「モディは友人だ」と言い続けたトランプとの信頼関係を重視している。

10. 中国と習近平 (1:40:51)

モディ首相は中国とインドの関係について歴史的に深い文化的つながりがあると語る。両国は何世紀もの間互いから学び、かつて世界のGDPの50%以上を占めていた。2020年の国境での緊張は関係に悪影響を与えたが、習近平との最近の会談後、国境の正常化に向けた取り組みが進んでいると述べている。協力は両国だけでなく、世界の安定と繁栄にも不可欠だと強調。21世紀はアジアの世紀であり、インドと中国は健全で自然な方法で競争するべきで、競争は悪いことではないが紛争に変わるべきではないと主張している。

11. 2002年グジャラート暴動 (1:47:56)

モディ首相はグジャラート暴動が起きた当時の背景を説明している。彼が州首相に就任してわずか数ヶ月後、2002年2月にゴードラ事件が発生し、多くの人が生きたまま焼かれるという悲劇が起きた。カンダハル・ハイジャック事件や米国同時多発テロ、インド議会襲撃事件など、当時は世界中でテロが多発し、社会的な緊張が高まっていた時期だったと述べる。モディ氏は司法によって二度調査され、無罪が確定していることを強調。グジャラートは以前は頻繁に暴動が起きていたが、2002年以降の22年間は大きな暴動が一度も起きていないと指摘している。

12. 世界最大の民主主義 (2:03:33)

モディ首相はインドの選挙の規模と管理について語る。2024年の総選挙では9億8000万人の有権者が登録され、うち6億4600万人が投票に参加したと説明。100万以上の投票所、2500以上の政党、900の24時間ニュースチャンネル、5000の日刊紙があり、選挙は1日で結果が発表されたと述べている。遠隔地にはヘリコプターで投票所を運び、たった一人の有権者のために投票所を設置するなどの努力も紹介。インド選挙委員会は自由で公正な選挙を実施する世界的な基準を設定していると主張し、その管理手法は世界中の大学でケーススタディになるべきだと語っている。

13. 意思決定プロセス (2:23:48)

モディ首相は自身の意思決定プロセスについて語る。彼はインドの85-90%の地区に滞在した経験があり、草の根レベルの問題について直接的な知識を持っていると述べる。彼の決断の基準は「国が第一」であり、マハトマ・ガンジーの「決断に迷ったら最も貧しい人の顔を思い浮かべよ」という教えに従っている。情報源は多岐にわたり、学ぶ姿勢を保ちながら複数の視点から問題を分析する。決定に時間はかからないが、最終的な判断は自国の独自の状況を考慮すると語る。コロナ禍での経済対策を例に挙げ、世界中の専門家の意見を聞きつつも、インド独自の道を選び、インフレを防いだことを成功例として紹介している。

14. AI(人工知能) (2:31:35)

モディ首相はAI開発において「インドなしでは不完全である」と断言する。彼はフランスのAIサミットでの演説を例に挙げ、AIが左手で書いている人の画像を生成すると常に右手で書く人が生成される例を紹介した。インドは理論的AIモデルだけでなく、特定のユースケースに特化したAIアプリケーションを積極的に開発していると述べる。5Gネットワークのように、一度始めると世界最速で展開する能力があると主張。AIの本質は人間の知性によって支えられており、インドの若者や人材プールは最大の資産だと強調している。

15. 教育 (2:41:50)

モディ首相は学校や家族が子供の成績によって自分たちの地位を測る風潮を批判し、これが子供たちへの圧力を増していると指摘する。新しい教育政策ではこの問題に対処するための変更を導入したと述べている。子供たちが直面する課題を聞き、理解し、負担を軽減することが自分の責任だと感じていると語る。試験は特定分野の知識を評価するには価値があるが、人の全体的な可能性を測る唯一の指標にはならないと主張。学びに焦点を当てれば、自然と成績も向上すると述べている。また、実践的な教育方法を取り入れた自身の教師の例を紹介している。

16. 学習と集中 (2:52:06)

モディ首相は学習アプローチについて、読書から得る学びに加えて「完全に存在すること」の重要性を強調する。誰かと会う時は完全に集中し、瞬間に存在することで新しい概念を素早く把握できると述べている。彼は「今この瞬間に完全に存在する」ことが心を鋭くし、学習能力を向上させると説く。知識だけでは道を照らせず、練習の流れに身を浸す必要があると語る。彼は「現在に生きる人々は人生を最大限に生きる人々である」と信じている。多くの人は未来について心配しすぎて、現在の瞬間が静かに過ぎ去ってしまうと警告している。

17. 瞑想 (2:59:41)

モディ首相は瞑想について「ダイアン(dhyan)」という言葉で説明し、それは気を散らすものから自由になることだと語る。ヒマラヤで過ごした時、ある賢者から実践的な瞑想技術を学んだエピソードを共有している。その技術は、木の葉から滴る水の音だけに集中することで、他のすべての音を無視するというシンプルなものだった。彼はこの練習を通じて集中力の技術を学び、それが瞑想へと発展したと述べている。また、ヒンドゥー教のマントラが個人の幸福だけでなく、普遍的な幸福と繁栄を包含していることを強調し、すべての平和に関する祈りであることを説明している。

トランスクリプション

このエピソードでは…

ナレンドラ・モディ 00:00:00

私の強みは、私の名前にあるのではなく、14億人のインド人と、何千年もの時を超えた文化と遺産の支えにあるのです。ですから、どこに行こうとも、私はヴェーダの伝統のエッセンス、スワミ・ヴィヴェーカーナンダの時を超えた教え、そして14億人のインド人の祝福、夢、そして希望を携えています。世界のリーダーと握手をするとき、握手をしているのはモディではなく、14億人のインド人なのです。ですから、これは私の力ではありません。これはインドの力なのです。私たちが平和について語る時、世界は耳を傾けます。なぜなら、インドはゴータマ・ブッダやマハトマ・ガンジーの国であり、インド人は争いや対立を好むように生まれついてはいないからです。私たちは調和を好みます。

私たちは自然に対して戦争を仕掛けることも、国家間の争いを助長することも望んでいません。私たちは平和を支持し、平和を実現できるのであれば、喜んでその責任を引き受けてきました。私の幼少期は極度の貧困の中で過ごされましたが、私たちは貧困の重荷を本当に感じたことはありませんでした。高級な靴を履き慣れている人が靴を履かないと履かないでいると、靴がないことを実感するでしょう。しかし、私たちには靴を履いたことがなかったのです。ですから、靴を履くことがどれほど大変なことなのか、私たちは知る由もありませんでした。比較できる立場ではなかったのです。それが私たちの生活だったのです。

私が首相に就任した際には、特にパキスタンを就任式に招待し、新たな一歩を踏み出そうとしましたが、平和を促進するためのあらゆる崇高な試みは、敵意と裏切りをもって迎えられました。私たちは、彼らに知恵が勝り、平和の道を選ぶことを心から願っています。パキスタンの国民も平和を切望していると私は信じています。 さて、あなたが批判についておっしゃったことと、私がそれに対してどう対応するかについてです。 もし一言でまとめなければならないのであれば、私はそれを歓迎します。 私は、批判こそが民主主義の魂であると強く信じています。 私はすべての若者たちに次のように伝えたいと思います。 どんなに暗い夜に見えても、それはまだ夜に過ぎず、朝は必ず訪れるのです。

イントロダクション

レックス・フリードマン 00:03:07

以下は、インドの首相、ナレンドラ・モディ氏との対談です。 私の人生で最も感動的な会話であり、経験のひとつでした。 ここで、そのことについて少しお話させてください。 よろしければ、対談のところからご覧ください。ナレンドラ・モディの半生は驚くべきものです。彼は貧困から這い上がり、世界最大の民主主義国家であり、14億人の国民を抱える国の指導者となりました。彼は首相として3度も大規模な選挙で勝利を収めています。指導者として、彼はインドという国をひとつにまとめるための理念を掲げて戦ってきました。インドは、宗教、社会、政治的な摩擦の歴史を持つ、非常に多様で異質な文化と人々から構成される国です。彼は、時に物議を醸す決断的な行動を取ることで知られており、何億もの人々から愛される一方で、多くの人々から批判も受けています。この対談では、これらのことについて詳しくお話します。世界的な舞台では、米国から中国、ウクライナ、ロシア、イスラエル、パレスチナ、中東など、互いに戦争状態にある国々の指導者も含め、ほとんどの主要な世界の指導者たちから、彼は平和の使者、友人として尊敬されています。今、この歴史の瞬間において、少なくとも私には、人類文明の繁栄が危機に瀕していることは明らかです。地域紛争、さらには世界的な紛争にエスカレートする寸前のいくつかの戦争、核保有国間の高まる緊張、私たちが知る社会や地政学を完全に変えることを目指すAIから核融合までの技術開発、そしてもちろん、一般的に高まる政治的・文化的な混乱。

だからこそ、今こそ、偉大な指導者、つまり、橋を壊すのではなく架ける偉大な平和の創造者、自国のアイデンティティを守りつつも、地球上のすべての人々の共通の人間性を称えることのできる人物が必要なのです。このような理由から、モディ首相との対談は、私がこれまでに経験した中でも最も印象的なもののひとつとなりました。このような言葉を耳にすると、私が権力や影響力に魅了されているだけだと思うかもしれません。いいえ、決してそうではありませんし、これからも決してそうはなりません。私は誰に対しても、特に権力者に対しては崇拝の念を抱いていません。権力、金銭、名声に対しては、一般的に懐疑的です。なぜなら、それらは人の心、感情、魂を堕落させる自然な影響力を持っているからです。

マイクの前でも後ろでも、私がこれまでの人生で交わしてきた会話の要点は、あらゆる人間の持つ善と悪の両面における複雑さのすべてを見極め、探求しようとしていることです。私たちは皆、深い根本的な意味では同じであり、善にも悪にもなり得る存在であり、苦悩の物語と希望の物語を胸に秘めていると信じています。世界のリーダーであろうと、トラックの運転手であろうと、炭鉱労働者であろうと、アメリカ中西部の農家であろうと、です。ところで、私は今年、マイクの前でも後ろでも、アメリカや世界を旅しながら、後者の人々ともたくさん話すことになるでしょう。ここで私がナレンドラ・モディについて簡単に述べたいのは、彼をリーダーとして、そして特に一人の人間としてです。彼と過ごした長い時間の中で、私は彼とマイクなしで、またマイクを通して話をしました。

それは、あたたかさ、親切さ、ユーモア、内面的な平和、外面的な平和、そして、あたかも他に何も存在しないかのように、今この瞬間の私たち二人の会話に完全に集中しているという特徴を持つ、非常に個人的な人間同士の交流でした。 私は多くの人々から、彼がどこから来たか、またこの世界での立場が何であろうと、彼が出会うすべての人に対してこのような共感的な態度で接していると聞いています。 それらの理由とその他多くの理由から、これは本当に信じられないような経験でした。 決して忘れることはないでしょう。ところで、英語、ヒンディー語、その他の言語の字幕とナレーション音声トラックをご用意しています。また、私が英語を話し、モディ首相がヒンディー語を話す、言語が混ざったオリジナルバージョンもお聞きいただけます。字幕は、お好みの言語を選択してオンにすることができます。

YouTubeでは、設定の歯車アイコンをクリックし、オーディオトラックをクリックして、お好みの言語を選択することで、言語の音声トラックを切り替えることができます。完全に英語のオーバーダビングの場合は、英語を選択してください。完全にヒンディー語のオーバーダビングの場合は、ヒンディー語を選択してください。また、私が英語を話し、モディ首相がヒンディー語を話す、オリジナルの混合言語バージョンを聴くには、ヒンディー語とラテン語のオーディオトラックを選択してください。そうすると、いずれか一方の言語のみのバージョン、またはオリジナルの混合言語バージョンを、お好みの言語の字幕付きで聴くことができます。デフォルトでは、英語のオーバーダビングが選択されています。ElevenLabsと素晴らしい翻訳チームの皆さんに感謝いたします。私たちは、AI音声クローニング技術を駆使して、英語での首相の肉声を再現することに全力を尽くしています。

言語の障壁を取り除くために今後も努力を続け、世界中の誰もがこれらの会話をできるだけ利用できるようにしていくことをお約束します。とにかく、もう一度だけお礼を言わせてください。この人生は、なんと波乱万丈だったことでしょう。皆さんと一緒にこの人生を歩めたことを光栄に思います。皆さんを愛しています。これはレックス・フリードマンのポッドキャストです。それでは、親愛なる皆さん、インドの首相、ナレンドラ・モディです。

断食中

レックス・フリードマン 00:09:19

ですから、今私は断食中であることも申し上げておかなければなりません。ほぼ2日間、45時間になります。この対談に敬意を表して、食事は摂らず、水だけを摂取しています。正しい心構えで臨み、精神的なレベルに達するためです。あなたはしばしば何日も断食をするとお読みしました。断食をする理由と、断食中に心がどこに向かうのかを説明していただけますか?

ナレンドラ・モディ 00:09:42

まず最初に、あなたが断食していることに本当に驚き、光栄に思います。特に、私のことを思って断食してくださっているようなので、なおさらです。ですから、このようなことをしてくださっていることに、心から感謝いたします。インドでは、宗教的伝統は実際に生活の一部です。最高裁はかつて、ヒンドゥー教に関する素晴らしい解釈を示しました。 彼らは、ヒンドゥー教は儀式や崇拝の方法ではなく、むしろ生き方であり、人生そのものを導く哲学であると述べています。 そして、私たちの聖典には、肉体、心、知性、魂、人間性を高めることについて深い考察が述べられています。それらを達成するためのさまざまな道、伝統、システムが概説されており、断食もそのひとつですが、断食だけではすべてではありません。インドでは、文化的に見ても、哲学的に見ても、断食は規律を養う方法であると私は時々感じます。

簡単に言えば、あるいはインドに馴染みのない視聴者の方々に説明すると、断食は内面と外面のバランスを取るための強力なツールなのです。断食をすると、人生が深い意味で形作られます。ご存じのように、あなたは2日間水断食をしました。五感のすべて、特に嗅覚、触覚、味覚が非常に敏感になります。水そのもののほのかな香りにも気づくかもしれません。おそらく、水を飲んでいる時には気づかなかったことでしょう。誰かが紅茶を運んでいると、コーヒーを飲む時と同じように、その香りを嗅ぐでしょう。以前から見慣れていた小さな花も、今日また目にしますが、今ならその細部がより鮮明に感じられます。感覚が研ぎ澄まされ、意識が冴え渡り、完全に集中し、観察力と反応力が何倍にも増し、より鋭くなります。私は個人的に、このことをよく経験しています。もう一つ私が経験したことは、断食は思考プロセスを大幅に加速し、新たな視点をもたらすということです。型にはまらない考え方ができるようになります。誰もがそうなるのかどうかは分かりませんが、私は確かにそうなるのです。ほとんどの人は断食を単に食べ物を断つこと、食べないことだと考えますが、それは断食の物理的な側面でしかありません。もし誰かが困難に直面し、空腹のまま食べ物を断たざるを得ない状況に追い込まれた場合、それを断食と呼べるでしょうか? 断食は実際には科学的なプロセスなのです。私は長期間断食を行う際には、事前に体を整えます。断食の5~7日前から、アーユルヴェーダやヨガのさまざまな実践、その他の伝統的な浄化法を実践して、体内をリセットします。

断食を始める前には、できるだけたくさんの水を飲むようにしています。このデトックスのプロセスが、私の体を最善の状態に整えてくれると言えるでしょう。そして、断食を始めたら、私にとってはそれは献身の行為です。私にとって断食は自己鍛錬の一形態です。個人的な意見ですが、断食中も日常の活動を続けている間も、私の心は深く内省的な状態にあり、内側に向かって集中しています。断食の実践は、本で読んだり説教を聞いたり、あるいは家族がたまたまそれを実践していたからという理由で伝統に従うことから始まったものではありません。それは、私自身の個人的な経験から始まったのです。

学生時代、マハトマ・ガンジーのビジョン、つまり牛の保護というビジョンに触発された運動がありました。当時、政府はまだ何の法律も制定していませんでした。当時、全国の人々が公共の場に集まり、静かな抗議として1日間の断食を行いました。私たちはまだ子供で、おそらく小学校を卒業したばかりでした。心のどこかで「私も参加すべきだ」と感じ、それが人生で初めての断食体験でした。その年齢にしては、空腹感も食べたいという欲求も感じませんでした。その代わり、自分の中に新しい気づきとエネルギーの高まりを感じました。

ですから、断食とは単に食事を抜くという以上の科学であると確信しました。それよりもはるかに大きなものです。それから私は、さまざまな実験を通して、徐々に心身を磨いていきました。時が経つにつれ、それは私にとって長く厳しい旅となりました。そして、確かなことが一つあります。断食は私を遅らせることはありません。私はいつもと同じように働きます。時には、いつもより多く働くことさえあります。そして、もう一つ気づいた魅力的なことは、自分の考えを表現する必要があるとき、その考えがどこからやってきて、どのように流れてくるのかに驚かされるということです。本当に信じられないような経験です。

レックス・フリードマン 00:16:58

世界の指導者たちとの会合を今でも行い、インドの業務も管理し、世界の舞台で指導者としての役割も果たしているのですね。断食をしながら、時には9日間もですか?

ナレンドラ・モディ 00:17:14

この慣習には長い歴史的背景があります。お聞きになっている方々にとって興味深いものになればと思います。インドにはチャトルマスと呼ばれる古代の伝統があります。モンスーンの季節には消化機能が低下しがちであることが知られており、そのためインドではこの時期に24時間以内に1食しか食べないという慣習に従う人が多くいます。私の場合、これは6月中旬頃から始まり、11月頃のディワリの後まで続きます。約4~4.5ヶ月間、私は24時間以内に1食しか食べないという慣習に従います。そして、通常9月か10月に当たるインドのナヴァラートリ祭がやってきます。この期間中、国中がドゥルガー・プジャという強さ、献身、精神修養の祭典を祝います。これは9日間続きます。

この間、私は一切の食事を断ち、お湯だけを飲みます。お湯を飲むことは、もともと日常的に行っていたことですが、これまでの生活習慣から自然に身についた習慣でした。そして3月か4月には、チャイトラ・ナヴァラートリと呼ばれる別のナヴァラートリが訪れます。今年は3月31日頃に始まるでしょう。この9日間の断食の間、私は1日1回、特定の果物だけを食べます。ですから、例えばパパイヤを選んだとすると、9日間ずっとパパイヤだけを食べます。パパイヤだけです。それも1日1回だけ食べます。それが私の9日間の断食のルーティンです。ですから、1年を通じて断食を数多く行っています。これは私の生活に深く根付いた伝統となっています。おそらく、私は50年から55年ほどこうした慣習を守ってきていると言えるでしょう。

レックス・フリードマン 00:19:25

世界のリーダーと会う際に完全に断食したことはありますか? 彼らはそれをどう思うでしょうか? そのようなことができることについて、彼らはどう思いますか? あなたの言うとおり、2日間の断食から、今ここに存在する能力、すべてを感じ取る能力、この経験に鋭く集中する能力が向上していることは言及すべきでしょう。 しかし、断食中に世界のリーダーとの思い出が頭に浮かんだことはありますか?

ナレンドラ・モディ 00:19:55

まあ、ほとんどの場合、私はそれを人に知らせることもありません。個人的な問題なので公表したことはありませんが、人々は徐々にそれを知るようになりました。私が首席大臣および首相になってから、ようやく知られるようになりました。それ以外は純粋に個人的なことでした。しかし、今では公になっているので、共有しても構わないと思っています。誰かが尋ねてきたら、そう伝えます。なぜなら、それは私の個人的な財産ではないからです。私の経験であり、それが誰かの役に立つのであれば、共有しない理由はないでしょう。結局のところ、私の人生は常に他者の幸福のために捧げられてきました。

例えば、私が首相に就任した後、ホワイトハウスでオバマ大統領と2国間会談を行い、大統領主催の公式晩餐会も開かれました。 両国政府間の話し合いが進む中、誰かが「晩餐会にご一緒ください」と申し出ました。 すると、別の人が「でも、首相は食事をなさらないでしょう」と答えました。 これには、彼らも少し心配になりました。 どうやって、食事を出さずに、このような大国のリーダーをホワイトハウスに迎えればよいのでしょうか?私たちが席に着くと、彼らは私にお湯を注いだグラスを持ってきました。私はオバマ大統領に目を向けて冗談っぽく言いました。「ほら、私の夕食が来たよ」と言って、グラスを目の前に置きました。その後、私が再び彼を訪ねたとき、彼はまだ覚えていました。彼は微笑みながら言いました。「前回は君が断食していたから、今回は昼食だ。君は断食していないから、2倍食べないといけないよ」と。

幼少期

レックス・フリードマン 00:21:38

最初に戻りましょう。あなたは謙虚な出発から世界最大の民主主義国を率いる立場にまで上り詰めました。ですから、多くの人々にとって、これは本当にインスピレーションに富む話だと思います。あなたの家族はとても質素な暮らしをしており、あなたは土間の1部屋の家に家族全員で暮らしながら育ちました。あなたの幼少期について教えてください。そのような謙虚な出発が、あなたの人生観にどのような影響を与えたのでしょうか?

ナレンドラ・モディ 00:22:07

私の出身地はグジャラート州、より正確にはグジャラート州北部のメーサナ県、ヴァドナガルという小さな町です。歴史的にこの町は重要な意味を持っており、ヴァドナガルで私は生まれ、初期の教育を受けました。今日私が理解している世界を振り返り、私は自分の子供時代と、そこで育った独特な環境について考えます。私の村には、世界的に見てもかなり珍しい、魅力的な側面がありました。私が学生だった頃、村の長老が定期的に生徒たちにこう話していました。「いいか、子供たちよ。どこへ行っても、彫刻が施された石を見つけたり、文字が刻まれた石を見つけたり、何か彫刻されたものを見つけたら、それを学校のこのコーナーに持ってきて置くように。」 時が経つにつれ、私の好奇心は高まり、理解できるようになりました。私の村には豊かな古代の歴史があることに気づいたのです。学校での討論では、その過去の歴史について、さらに興味深い詳細が明らかになることがよくありました。その後、中国ではこのことについて映画まで制作されていることを知りました。新聞で、何世紀も前にこの村にやって来てかなりの時間を過ごした中国の哲学者、玄奘三蔵について触れた映画の記事を読んだことがありました。当時、この村は仏教の学問の一大中心地だったのです。それが私が初めて知ったきっかけでした。そして、おそらく1400年代頃には、仏教教育の主要拠点となっていました。

12世紀の勝利記念碑、17世紀の寺院、そして16世紀にはタナとリリという2人の姉妹がおり、彼女たちは著名な音楽家でした。こうした歴史の痕跡を掘り起こすにつれ、私たちの遺産の奥深さを理解しました。そこで、私が大臣に就任すると、大規模な発掘プロジェクトを開始しました。このプロジェクトで発見された遺物から、かつて数千人の仏教僧がここで学んでいたことが確認されました。この場所は仏教、ジャイナ教、ヒンドゥー教の伝統が調和的に共存する場所であり、私たちにとって歴史は書物の中だけに存在するものではありませんでした。すべての石が語っていました。すべての壁には語られるべき物語があり、大規模な発掘作業を開始したところ、歴史的に非常に重要な発見が次々と出てきました。

これまでに2800年前の証拠が発見され、この都市が2800年間途切れることなく永遠に存在してきたことが証明されました。この数世紀にわたる発展の過程を示す確かな証拠が発見されたのです。今では、考古学専攻の学生をはじめ、一般の人々にも公開されている国際的な博物館が設立され、主要な研究対象となっています。私が生まれた場所には、独自の歴史的意義があります。私はそれを幸運だと思っています。人生には、私たちの理解を超えて展開するものがあります。カシは私の使命の場となりました。今では、カシもまた永遠です。カシは、ベナレス、またはバラナシとも呼ばれ、何世紀にもわたって活気と生命力を保ち続ける永遠の都市です。

ヴァドナガルで生まれた少年が、やがてカシを自分の任務の場とし、母なるガンジス川の懐に抱かれて暮らすようになるのは、神の思し召しだったのかもしれません。家族について考えると、父、母、兄弟、叔父、叔母、祖父母、私たちは皆、小さな家で一緒に育ちました。私たちが住んでいた場所は、今私たちが座っている場所よりもさらに狭かったでしょう。窓はなく、小さなドアがあるだけでした。私が生まれ育った場所です。今、人々が貧困について語る場合、公共の生活という文脈で議論するのが自然であり、その基準からすると、私の幼少期は極度の貧困の中で過ごしたことになりますが、私たちは貧困の重荷を本当に感じたことはありませんでした。

高級な靴に慣れている人が靴を履かないでいると、靴がないことに気づきます。しかし、私たちには靴を履くということがなかったのです。ですから、靴を履くことがどれほど大変なことなのか、私たちにはわかりようもありませんでした。比較できる立場ではなかったのです。それが私たちの生活だったのです。私たちの母親は本当に一生懸命働きました。父も同様でした。父は非常に勤勉で、非常に規律正しい人でした。毎朝4時か4時半頃に家を出て、長い距離を歩き、いくつかの寺院を訪ねてから店に到着していました。

履いていたのは、村で手作りされた伝統的な革靴でした。その靴は非常に頑丈で、歩くたびに「トック、トック、トック」と独特な音を立てていました。村の人々はよく、「あの人の足音を聞けば、今が何時かわかるよ」と言っていました。「ああ、そうだ」と彼らは言いました。「ダモダールさんが向かっている」と。 それほどまでに、彼は規律を重んじる人でした。 彼は夜遅くまで疲れを知らずに働きました。 私たち母も、私たちに境遇の苦しみを一切感じさせないようにしていましたが、それでも、こうした乏しい生活という困難な状況は、私たちの心に決して深い傷を残すことはありませんでした。 私は学校で、靴を履くという考えが頭に浮かんだことさえ一度もありませんでした。

ある日、学校へ向かう途中で叔父とばったり会い、叔父は驚いてこう言いました。「おい、お前は靴も履かずにこんな格好で学校に行くのか?」そこで叔父は私にキャンバスシューズを一足買ってくれて、それを履くように言いました。当時、その靴は10ルピーか12ルピーくらいしたはずです。しかし、問題がありました。白いキャンバスシューズはすぐに汚れてしまうのです。そこで私はどうしたか。夕方、学校が終わってからしばらく残って、教室を回って先生たちが捨てたチョークの残りかすを集めました。それを家に持って帰り、水に浸してペースト状にして、キャンバスシューズを磨いて真っ白に戻したのです。

私にとって、その靴は大切な宝物であり、大きな富の象徴でした。なぜなのかはっきりとはわかりませんが、子供の頃から、私たちの母親は清潔さに対して非常にこだわりがありました。おそらく、私たちもその習慣を受け継いだのでしょう。きちんとした服装をする習慣をいつ身につけたのかはわかりませんが、子供の頃からずっとそうでした。何を着ても、きちんとした印象になるように気をつけていました。当時、ご想像の通り、衣類にアイロンをかけるための設備などありませんでした。ですから、私は銅製の鍋でお湯を沸かし、それをトングで持ち、自分で服をプレスしていました。そして学校に向かいました。それが私の生活でした。そして、私はその生活を楽しみました。私たちは決して貧しいことを考えたり、他人の暮らしぶりや苦労を批判したりしませんでした。

私たちは、わずかなものであれ、何であれ楽しむことを忘れず、懸命に働き続けました。 これらのことについて、一度たりとも不平を言ったことはありません。 そして、これらの私の人生の側面は、それを幸運と呼ぶか不幸と呼ぶかは別として、政治の世界で展開され、次第に明るみに出るようになりました。 私が首席大臣として就任の宣誓をしているとき、テレビのレポーターが私の村に行き、幼なじみに質問し、私の家のビデオを撮影しに行ったのです。そのときから、人々は「この人物は誰なのか、どのような背景を持つ人物なのか」と尋ねるようになりました。それまでは、私の人生についてよく知る人はほとんどいませんでした。私の人生はまさにこのようなものでした。私の母は、生まれつき他人の幸福を気遣う精神を持っていました。それは彼女の存在の織り目にも織り込まれていました。母は伝統的な治療法や癒しの実践に関する知識を持っており、子供たちに家庭療法で治療を施していました。毎朝日の出前の5時頃には治療を始めるので、子供たちとその親たちは皆、我が家に集まりました。小さな子供たちは泣いていましたし、私たちはそのために早起きしなければなりませんでした。

ナレンドラ・モディ 00:33:02

そのため、私たちは早起きしなければなりませんでした。その間、母は彼らを丁寧に治療し続けました。この奉仕の精神は、ある意味で、こうした経験を通じて育まれたものです。社会に対する共感、他者のために善行をしたいという気持ち、こうした価値観は、家族から私に植え付けられました。私の人生は、母、父、先生方、そして私が育った環境によって形作られたのだと思います。

若い人たちへのアドバイス

レックス・フリードマン 00:33:33

この話を聞いている多くの若者たちは、あなたの話に本当に感銘を受けています。 そのような謙虚な出発から世界最大の民主主義国のリーダーになるまで、世界で苦労し、迷い、自分の道を見つけようとしている若者たちに、どのようなことを伝えたいですか? 彼らにどのようなアドバイスをすることができますか?

ナレンドラ・モディ 00:34:00

私はすべての若者たちに次のように伝えたいと思います。どんなに暗い夜に見えても、それはまだ夜に過ぎず、朝は必ず来ます。だからこそ、忍耐と自信が必要なのです。確かに困難は現実のものですが、私は自分の境遇によって定義されるわけではありません。私は目的があってここにいるのです。より高い存在によって送られた存在であり、私は一人ではありません。私を送り出してくれた存在は、常に私のそばにいます。この揺るぎない信念は、常に私たちの中に存在すべきものです。困難は忍耐力を試すものです。困難は私を打ち負かすためにあるのではありません。困難は私をより強くし、成長と改善を促すために存在するのです。絶望や落胆を感じさせるためにあるのではありません。個人的には、あらゆる危機や課題をチャンスと捉えています。

ですから、すべての若者たちに言いたいのは、忍耐強くあれ、ということです。人生に近道はありません。私たちの鉄道の駅には、橋を使わずに線路を渡る習慣のある人々に向けて、「近道はあなたを短くする」と書かれた看板が掲げられています。私は若者たちにも同じことを言いたいと思います。近道はあなたを短くする。人生に近道はありません。忍耐と根気は不可欠です。どのような責任を任されたとしても、それに全力を注がなければなりません。情熱を持って生きなければなりません。その過程を楽しみ、充実感を見出していく。そうした考え方が育まれれば、人生が変わっていくと私は信じています。同様に、ただ豊かであるだけでは十分ではありません。成功が保証されているわけではありません。たとえ裕福な人であっても、安逸に耽り怠けていては、いずれは衰えてしまいます。

そうではなく、「確かに私は周りに資源を持っているかもしれないが、それをさらに伸ばすために自分の能力を使わなければならない。自分の力で社会により貢献しなければならない。たとえ恵まれた立場にいたとしても、やるべきことはまだたくさんあります。たとえ恵まれた立場にいなかったとしても、やるべきことはまだたくさんあります。」私はそう信じています。また、一部の人々は「自分は十分に学んだ。もう十分だ」と考えがちであることに気づきました。しかし、自分の中の生徒を死なせてはなりません。学ぶことをやめてはなりません。私は、自分が生きている限り、目的を持たなければならないと考えています。おそらく私は、学び続けるために、成長し続けるために存在しているのだと思います。さて、私の母国語はグジャラート語で、ヒンディー語にはあまり馴染みがなく、流暢に話すことも、効果的にコミュニケーションを取ることもできませんでした。しかし、子供の頃、私は父の経営するティーショップでよく座っていましたが、その頃からすでに、多くの人々と出会う機会がありました。そして、その度に彼らから何かを学び、彼らの話し方や表情を観察しました。その頃はまだ応用できる立場ではありませんでしたが、それらから多くを学びました。「チャンスがあるなら、やってみよう。自分をうまくアピールしない手はない」と思いました。ですから、学ぶ意欲は常に持ち続けるべきだと考えています。また、私が観察したところ、ほとんどの人は何かを達成したり、誰かになりたいと夢見ています。大きな目標を掲げ、それが達成できなかったときに失望感を抱きます。

ですから、友人と話す機会があるたびに、私は彼らに「何かを手に入れたい、誰かになりたいと夢見るのではなく、何かをしたいと夢見てください」と伝えています。何かをすることに焦点を当て、例えば10に到達することが目標だとします。そして、8に到達したとしても、落胆することはありません。10を目指して、決意を持って努力を続けることができます。しかし、ただ何者かになりたいという夢だけを抱いていて、それが実現しなかった場合、自分の達成したことさえも重荷のように感じられるかもしれません。だからこそ、私たちは人生における考え方を調整しなければならないのです。手に入れたもの、手に入れられなかったものについて考えるのではなく、「自分に何ができるか?」という考え方を持つべきなのです。真の満足感は、自然に生まれるものではありません。あなたが与えるものの深さから生まれるのです。

ヒマラヤの旅

レックス・フリードマン 00:39:16

そして、この若い青年について言っておきたいのですが、私が夢見てきたことのひとつが、まさに今日こうしてお話しすることなのです。ですから、これはとても非現実的なことです。17歳というのは、人生のもうひとつの魅力的な時期です。あなたは家を出て、2年間ヒマラヤを放浪し、目的やより深い真実、神を探していました。ですから、この時期のあなたの人生についてはあまり知られていません。あなたは放浪生活を送り、必要最小限の生活を送り、ヨギのように、屋根のないところで寝泊まりすることもよくありました。その時期に印象に残っている精神的な瞬間、儀式、経験は何ですか?

ナレンドラ・モディ 00:39:59

相当な努力をされたようですね。 普段はあまり多くを語らないのですが、その外的な側面について少しお話しできます。 私はとても小さな町で育ちました。 私たちの生活は、コミュニティの一員であることのすべてでした。 人々に囲まれて、人々の中で暮らしていました。 それが生活のあり方だったのです。村には図書館があり、私はよくそこへ行って本を読みました。本を読んでいると、いつも「自分もそう生きよう」と鼓舞されるような気持ちになりました。その思いはずっとありました。スワミ・ヴィヴェーカーナンダやチャトラパティ・シヴァージー・マハラージについて読んでいると、「彼らはどうやって生きてきたのか? どうやってこれほど素晴らしい人生を築いたのか? 」とよく考えました。そのため、私は常に自分自身で実験を繰り返していました。 私の実験のほとんどは、肉体的性質のもので、自分の身体の限界を試すものでした。

例えば、私が住んでいた場所では冬はそれほど厳しくはありませんでしたが、12月の夜はかなり冷え込みました。 それでも、夜には寒さが身にしみるのです。 それは当然のことでした。 ですから、時には外で何も身にまとわず、寒さに身体がどう耐えるか試してみようと、外で寝ることにしたのです。ですから、幼い頃から私は自分の体でよく実験し、それが日常的なことになりました。私にとって、図書館に通い、本を読み、池に行き、家族の洗濯をし、泳ぐことは日課の一部となりました。水泳が私の主な運動でした。これらすべてが私の生活と深く結びついていました。後にヴィヴェーカーナンダの著書を読んで、私はさらに強く彼の教えに惹かれるようになりました。ある時、スワミ・ヴィヴェーカーナンダについて読んだのですが、その時、彼の母親が病気でした。そこで彼は、スリ・ラーマクリシュナ・パラマハンサのもとへ導きを求めに行ったのです。彼は彼と議論し、討論しました。初期の頃は、彼はよく彼と議論し、あらゆることを知的に問い質しました。

彼は言いました。「母が病気だ。私が稼いでいれば、もっと母の世話をすることができるのに」と。スリ・ラマクリシュナは言いました。「そんなことは私に言わないでくれ。女神カーリーのもとに行きなさい。彼女はそこにいる。必要なものを彼女に頼みなさい。」そこで、スワミ・ヴィヴェーカーナンダは女神カーリーの偶像の前に何時間も座り、深い瞑想に没頭しました。数時間後、彼が戻ってくると、ラマクリシュナは尋ねました。「それで、女神に頼んだのか?」 スワミ・ヴィヴェーカーナンダは答えました。「いいえ、頼みませんでした。」ラーマクリシュナは言いました。「明日もう一度行ってみなさい。女神があなたの願いを叶えてくれるだろう。頼みなさい。」彼は翌日も、その翌日も行きました。しかし、そのたびに、彼は何も頼むことができませんでした。彼の母親は体調を崩しており、助けが必要でしたが、女神カリの像の前に座ると、彼は完全に女神の存在に心を奪われ、それでも何も頼むことができませんでした。

彼は毎回手ぶらで戻ってきました。スリ・ラマクリシュナに「手ぶらで戻ってきました。何もお願いしませんでした」と告げました。神聖な女神の前に立ち、何もお願いできない。その瞬間、その体験が彼の中で炎を灯しました。彼の人生に火花が散りました。そして、そこから与える精神が生まれたのです。おそらく、ヴィヴェーカーナンダの人生におけるこの小さな出来事が、私にも印象を残したのだと思います。「私は世界に何を捧げることができるだろうか」という思い。おそらく、真の満足感は与えることから得られるのでしょう。もしも私の心が「受け取る」ことへの飢えで満たされているだけなら、その飢えは永遠に尽きることがないでしょう。そして、その気づきからシヴァ神と生きとし生けるものとの一体性という考えが生まれました。シヴァ神に奉仕したいのであれば、生きとし生けるものすべてに奉仕しなさい。神聖なものと生きとし生けるものとの一体性を認識しなさい。真の非二元性は、この気づきを通じて経験されるものです。私はよく、そんな考えに耽っていました。私の心は自然とその方向に流れていきました。

私たちが住んでいた近所で起こった出来事を思い出します。家のすぐ外にシヴァ神の寺院がありました。ある日、聖者がそこに滞在することになりました。その聖者は瞑想や精神修養に励んでいました。私は彼に惹かれるようになりました。おそらく彼には何らかの精神的なエネルギーが備わっているのではないかと思ったのです。スワミ・ヴィヴェーカーナンダについては読んだことはありましたが、このような人物を実際に見たことはありませんでした。ナヴァラートリ祭の間、彼は断食をしていました。そして、私たちの文化では一般的な慣習である、ソルガムの粒を手に乗せていました。手のひらに発芽する種を乗せて、9日か10日間そのまま眠るという行為は、ある意味で精神的な誓いのようなもので、この聖者はそれを守っていたのです。同じ期間、母方の叔父の家族は叔母の結婚式の準備をしていました。私の家の人々は皆、結婚式のために叔父の家に向かいました。

子供にとって叔父の家を訪れることはいつでもワクワクするものです。しかし私は家族に「私は行かない。ここに残ってスワミジの世話をします。彼の手にはこの粒があるから、食べたり飲んだりできないので、私が世話をします」と言いました。ですから、私は子供ながらに結婚式には出席しないことにしました。代わりにスワミジの世話をすることにしました。どういうわけか、私の心は自然とその方向に引き寄せられていたのです。時には、村の兵士たちが休暇中に帰郷すると、彼らは制服を着て誇らしげに歩き回っていました。私は一日中、彼らの後ろを走りながら、「彼らを見て。彼らは国のために奉仕している」と思っていました。ですから、私は常に何か意義のあることをしたいという強い気持ちを抱いていました。それが何なのかは十分に理解していませんでしたが、ロードマップもありませんでした。私の中には、人生を理解したい、その意味を探求したいという強い渇望がありました。そこで、私はただ行動を起こし、旅を始めたのです。

宣教師として活動していた間、私は素晴らしい聖人たちと出会いました。彼らは私に愛と祝福を注いでくれました。中でも、スワミ・アトマスタナンダジとは特別な絆を築きました。彼は100歳近くまで生き、知恵と奉仕に満ちた人生を送りました。晩年、私は彼が首相官邸に一緒にいてくれることを強く願いましたが、彼の責任は大きく、それは叶いませんでした。しかし、私が首席大臣だった頃、彼はよく訪ねてきてくれて、私は彼の祝福と指導を受けることができました。彼は私を見てこう言いました。「なぜここに来たのかね?君には果たすべきもっと大きな目的があるはずだ。自分の幸福が最優先ですか?それとも社会の幸福が最優先ですか? スワミ・ヴィヴェカナンダが言ったことはすべて社会の向上のためでした。 彼は「あなたは他者に奉仕するために存在している」と言いました。 その時、私は少し落胆したのを覚えています。 私は導きを求めてやって来たのに、もらったのは言葉だけでした。

それで私は旅を続け、あちこちを放浪しました。 ヒマラヤで山々の孤独を受け入れながら過ごしました。その道中で、多くの素晴らしい人々に出会いました。中には、すべてを捨て去った偉大な修行者もいました。しかし、私の心は落ち着きませんでした。それは、好奇心や学びたい、理解したいという気持ちが強かったからかもしれません。山々や氷、雪に覆われたそびえ立つ峰々によって形作られた世界は、私にとって新しい経験でした。しかし、それらすべてが私を形成する上で大きな役割を果たしました。それは私を内側から強くし、内なる力を発見することを可能にしてくれました。瞑想の実践、神聖な夜明け前の時間に目覚めること、寒さの中で水浴びすること、献身的に人々に奉仕すること、そして自然に高齢の聖者たちの世話をすることも、私という存在の不可欠な一部となりました。 ある時、その地域に自然災害が起こり、私はすぐに村人たちの救援に身を捧げました。 ですから、私が時折滞在していた聖者や精神的な師たちでした。 私は長い間ひとつの場所にとどまることはなく、常に移動し、さまよい続けていました。そういう生活を送っていました。

僧侶になること

レックス・フリードマン 00:50:45

ご存じない方のために説明しますと、ラーマクリシュナ・ミッション・アシュラムで僧侶のスワミ・アトマスタンダと出会った瞬間、あなたが言ったように、彼はあなたを奉仕の人生へと導いてくれたのですね。つまり、サンニャーサ(出家)してすべてを手放し、僧侶になるという別の人生もあり得たということです。 つまり、僧侶のナレンドラ・モディがいて、ナレンドラ・モディ首相がいて、彼があらゆる規模での奉仕の人生を送る決断を後押ししたということもあり得たのです。

ナレンドラ・モディ 00:51:21

外から見ると、私はリーダーと呼ばれるかもしれません。ある人は私を首相と呼び、またある人は首席大臣と呼びます。人々はそれぞれの視点から私を見ています。しかし、心の奥底には揺るぎない精神的な献身があるだけです。 母親が子供たちの治療中に子供たちの世話を愛情を込めて手伝い、忍耐と慈しみを持って世話をしたモディ。ヒマラヤをさまよったモディ。そして今、この責任の重い地位で働いているモディ。これらはすべて、同じ内面的な一貫性によって結びついています。すべての行動は他者のために捧げられています。人々は聖人と指導者との間に大きな違いがあると感じるかもしれませんが、私にとっては違いはありません。確かに服装は変わり、生き方も変わります。1日を通して発せられる言葉も変わり、仕事の内容も進化します。しかし、私の本質は変わらず、あらゆる責任を同じ冷静さ、集中力、献身の精神で遂行しています。

RSSとヒンドゥー民族主義

レックス・フリードマン 00:52:33

あなたの人生の一部として、あなたはインドという国を何よりも優先すべきだとずっと主張してきました。8歳の時に、あなたはヒンドゥー民族主義の理念を掲げるRSSに参加しました。RSSについて、また、それがあなた自身や政治的考え方の発展にどのような影響を与えたかについてお話いただけますか?

ナレンドラ・モディ 00:52:58

子供の頃から、私は常に何かしら活動に参加する習慣がありました。マコシという名の男性がいたことを覚えています。フルネームはよく覚えていません。マコシ・ソニというサービスグループの一員だったと思います。彼はタンバリンと呼ばれる小さな太鼓のような楽器をいつも持ち歩いており、深みのある力強い声で愛国歌を歌っていました。彼が村に来ると、あちこちで公演を行いました。私は熱狂的なファンのように彼を追いかけ、歌を聴きに行きました。夜通し愛国歌を聴いていました。楽しかったのです。なぜなのかはわかりませんが、とにかくそうしていました。私たちの村には、RSS(Rashtriya Swayamsevak Sangh)の支部があり、そこでスポーツをしたり愛国歌を歌ったりしていました。愛国歌には何かしら深く心に響くものがありました。自分の中の何かを揺り動かされたのです。それがきっかけで、私は最終的に RSS の一員となりました。 RSS で私たちに植え付けられた基本的な価値観のひとつは、何をするにしても、目的を持って行うということです。勉強中も、国家に貢献できるだけの知識を得ることを目標に勉強する。運動をする際も、国家に奉仕するために体を鍛えることを目的に運動する。これが私たちが教えられたことです。そして今日、RSS は巨大な組織となっています。創立100周年を迎えようとしています。これほど大規模なボランティア組織は、おそらく世界でも他に類を見ないでしょう。何百万人もの人々が参加していますが、RSSを理解するのはそれほど簡単ではありません。その活動の本質を本当に理解するには、努力が必要です。何よりも、RSSは、本当に人生の目的と呼べる明確な方向性を示してくれます。第二に、国家こそがすべてであり、国民に奉仕することは神に奉仕することと同じである、ということです。

これはヴェーダ時代から語られてきたことです。私たちの賢者たちが語り、ヴィヴェーカーナンダが語り、そしてRSSが繰り返し語ってきたことです。ボランティアは、RSSから得るインスピレーションは、1時間のセッションに参加することや制服を着用することだけではないと教えられます。重要なのは、社会のために何をするかです。そして今日、その精神に鼓舞され、多くの取り組みが盛んになっています。あるボランティアたちは、セバ・バーラティと呼ばれる組織を設立しました。この組織は、最貧困層が暮らすスラム街や居住区を「奉仕コミュニティ」と呼び、支援活動を行っています。私の知る限り、彼らは政府からの支援を受けずに、コミュニティの支援のみで約12万5千件の奉仕プロジェクトを実施しています。彼らは現地に滞在し、子供たちに教え、健康を管理し、価値観を植え付け、これらのコミュニティの清潔さの向上に努めています。12万5千件の社会奉仕プロジェクトを実施することは、並大抵のことではありません。

同様に、RSSで育ったボランティアの中には、バンヴァシ・カルヤナ・アシュラムを通じて部族社会に奉仕する人々もいます。彼らは部族の人々と生活を共にし、彼らの福祉のために働いています。彼らは、部族が暮らす遠隔地に7万校以上の1人教師制の学校を設立しました。また、アメリカには、この活動に賛同し、10ドルや15ドル程度の寄付を行う人々もいます。そして彼らはこう言います。「今月はコカ・コーラを1本我慢しよう。コカ・コーラを飲まずに、そのお金を代わりに一教師一校に寄付しましょう」と。今、部族の子供たちの教育に専念する7万校の一教師一校を想像してみてください。教育に革命をもたらすために、一部のボランティアがヴィディヤ・バーラティを設立しました。現在、彼らは約2万5千校の学校を運営し、約300万人の生徒が学んでいます。私は、何百万人もの生徒がこの取り組みから恩恵を受け、信じられないほど低コストで質の高い教育を受けていると信じています。

教育と並んで価値観が重視され、学生たちは社会に負担をかけないよう、地に足のついたスキルを学んでいます。これは生活のあらゆる側面において言えることで、女性、若者、あるいは労働者であっても、RSSは役割を果たしています。会員数という点では、インド労働組合があります。全国に5万の組合があり、何百万人もの会員がいます。おそらく規模という点では、これほど大きな労働組合は世界に存在しないでしょう。しかし興味深いのは彼らのアプローチです。歴史的に、左派のイデオロギーが世界中で労働運動を後押ししてきました。彼らのスローガンは何だったでしょうか?「世界の労働者よ団結せよ」というものでした。メッセージは明確でした。まず団結し、その後で他のすべてに対処しようというものでした。しかしRSSが訓練したボランティアが運営する労働組合は、何を信じているのでしょうか?彼らは「労働者が世界を団結させる」と言います。また、他の人々は「世界の労働者が団結しよう」と言います。そして私たちは「労働者が世界を団結させる」と言います。言葉のわずかな違いにすぎないように思えますが、これは大きな思想の変革を表しています。

RSSから集まったボランティアたちは、自分の興味や性質、傾向に従って行動し、そうすることで、このような活動を強化し、推進しています。こうした取り組みを観察すると、過去100年にわたり、RSSが主流の注目を浴びることを避けながら、求道者の規律と献身をもって献身してきたことが分かります。私は、このような神聖な組織から人生の価値観を得ることができて、とても恵まれていると感じています。RSSを通じて、私は目的のある人生を見つけました。その後、幸運にも聖者たちと共に過ごす時間を持ち、それが私に強固な精神的な基盤を与えてくれました。規律と目的のある生活を見つけました。そして聖者たちの導きにより、精神的な基盤を得ることができました。スワミ・アトマスタナンダや彼のような人々は、私の旅路のあらゆる段階で絶えず私を導いてくれました。ラーマクリシュナ・ミッション、スワミ・ヴィヴェカナンダ、RSSの奉仕活動に基づく哲学の教えは、私を形成する上で重要な役割を果たしました。

インドを語る

レックス・フリードマン 01:00:17

しかし、彼らはインドという概念を押し進めることにも役立ちました。インドを統合する概念とは何でしょうか?国家としてのインドとは何でしょうか?これらの異なる世界、コミュニティ、文化を統合する基本概念とは何でしょうか?それは何でしょうか?

ナレンドラ・モディ 01:00:40

インドは文化的なアイデンティティです。何千年も続く文明です。インドの広大さ、100を超える言語、数千の方言を考えてみてください。インドは多様性に富み、20マイルごとに言語が変わり、習慣が変わり、料理が変わり、服装スタイルさえも地域によって異なるという諺があるほどです。南から北まで、国内には広大な多様性があります。しかし、もう少し掘り下げてみると、共通点が見えてきます。例えば、インドでは至る所でラム神の物語を耳にすることができます。彼の名はインドの隅々にまで響き渡っています。しかし、タミル・ナードゥ州からジャンムー・カシミール州まで目を凝らして見てみると、必ずどこかで「ラム」という名前を見つけることができます。グジャラート州では「ランバイ」、タミル・ナードゥ州では「ラーマ・チャンドラ」、マハラシュトラ州では「ランバウ」というように、さまざまな呼び名があります。

この独特な文化的なつながりが、インドをひとつの文明として結びつけているのです。例えば、水浴びという単純な行為を考えてみましょう。インドのすべての河川を称える儀式があります。彼らは「ガンジス川、ヤムナー川、ゴダヴァリ川、サラスヴァティー川、ナルマダ川、シンドゥ川、カヴェリ川の水で沐浴します」と唱えます。これは国民をひとつにまとめる感情であり、重要な行事や儀式の開始時にこのような誓いを立てるという長い伝統があります。そして、誓い自体が歴史的な記録となることもあります。そうすることで、歴史的データの収集と保存の手段にもなります。これは、聖典によって細かく導かれる、非常に独特なシステムです。誰かが誓いを立てたり、プジャを行ったり、結婚式を挙げたりする際には、まず始めに、ジャンブードゥー、バーラトカンド、アリアヴァトラといった宇宙全体を呼び起こし、徐々に範囲を狭めて村に、そして特定の家族に言及し、最後にその家の神を呼び起こします。この慣習は今でもインドのあらゆる場所で日常的に見られるものですが、悲しいことに、西洋やグローバルなモデルでは、国家を行政システムとしてしか捉えなくなりました。しかし、インドでは歴史を通じてさまざまな行政システムが存在し、多くのシステムが断片化され、地域ごとに分散し、多様化していました。王や支配者は数多くいましたが、インドの結束は文化的な絆によって保たれていました。巡礼の伝統は、この結束を維持する上で重要な役割を果たしました。シャンカラチャリヤは4つの巡礼地を定めました。今日でも、巡礼のために何百万人もの人々が各地を訪れています。 バラナシでは、ラメシュワラムからバラナシに水を運ぶ人々や、バラナシからラメシュワラムに水を運ぶ人々を見かけます。 ヒンドゥー暦を見ても、想像もつかないほど多くのことがインド全土で行われています。

マハトマ・ガンジー

レックス・フリードマン 01:04:27

近代インドの歴史的基盤を振り返ると、あなた自身に加えて、マハトマ・ガンジーは、これまで生きてきた人間の中で最も重要な人物の一人であり、間違いなくインドの歴史にとって最も重要な人物の一人です。マハトマ・ガンジーのどのような点に感銘を受けますか?

ナレンドラ・モディ 01:04:55

先ほど申し上げたように、私はグジャラート州で生まれ、グジャラート語が母国語です。マハトマ・ガンジーもグジャラート州で生まれました。母国語はグジャラート語でした。弁護士としてキャリアを積み、数年間海外で暮らしました。素晴らしい機会に恵まれていましたが、彼の中にある強い使命感と、家族から教えられた価値観が、あらゆる快適さを捨て、インドの人々のために生涯を捧げることを彼に決意させました。彼はインド独立運動に参加し、今日に至るまで、あらゆる面でインド国民の生活に多大な影響を与え続けています。マハトマ・ガンジーは、自らの信条に従って生き、自ら説いたことを実践しました。例えば、彼は清潔さを強く主張し、自ら実践しました。

ナレンドラ・モディ 01:06:03

彼は清潔さを強く主張し、自ら実践し、どこへ行くにも清潔さについて議論することを心がけました。もう一つの重要な要素として、インドの独立戦争があります。インドはムガール帝国、英国、そしてその他のいくつかの外国勢力に支配されていました。何世紀にもわたって植民地支配の足かせに縛られていたにもかかわらず、インドの隅々で独立の炎は燃え続け、決して消えることなく、常に自由への願いに火を灯し続けました。何百万人もの人々が、インドに自由の光が輝くようにと、命を捧げました。彼らは自由のために命を投げ出し、刑務所の壁の向こうで青春を犠牲にしたのです。マハトマ・ガンジーもまたインドの独立のために戦いましたが、彼なりのやり方で、他の自由の戦士たちも勇敢な戦士であり、母なるインドの献身的な息子たちでした。彼らはやって来て戦い、殉教したことで彼らの名は不滅のものとなり、彼らは確かに永続的な影響を与えました。

しかし、真実を原動力とする大衆運動を率いて国民を目覚めさせ、掃除夫さえも自由闘争のまさにその布地に織り込んだのはマハトマ・ガンジーでした。 彼は教師たちに、彼らの仕事は自由闘争の一部であると伝えました。 糸を紡ぎ、布を織る人々に、彼らは自由の戦士であると伝えました。 ハンセン病患者の世話をしている人々に、彼らの奉仕はインドの自由への一歩であると伝えました。彼はあらゆる仕事をインド独立運動の布地を織る重要な糸と見なし、これによりインドの一般市民が自由を求める戦士へと変貌を遂げました。ガンディーは、英国人が完全に理解することのできないほど巨大な大衆運動を展開しました。英国人は、ダンディ行進の塩ひとつぶが大規模な革命の引き金になるなどとは想像もしていませんでしたが、ガンディーはそれを実現させたのです。彼の人生、存在、スタイル、仕草はすべて人々に深い印象を与え、彼の数々のエピソードは時代を超えた伝説となっています。

円卓会議での出来事を思い出します。ええ、確か彼は円卓会議に出席していました。彼はブリーチクロスをまとってバッキンガム宮殿でジョージ王に会うことになっていました。マハトマ・ガンジーは宮殿に向かいました。多くの人が、国王に会うのにそのような服装で現れたことに驚きました。ガンジーは「私はたくさんの服を着る必要はない。国王は私たち2人分の服を着ている」と述べました。これが彼の気まぐれな魅力でした。マハトマ・ガンジーは多くの素晴らしい資質を備えていました。彼の団結を呼びかけ、人々の力を認識する呼びかけは、今でも私の心に響いています。私は何をするにしても、一般の人々を含めるように努め、できるだけ多くの人々の参加を確保するようにしています。私はすべてを政府に任せるべきだとは思いません。私は社会変革の力を強く信じています。

レックス・フリードマン 01:09:46

ですから、彼は20世紀で最も偉大な指導者の一人でしょう。あなたは21世紀で最も偉大な指導者の一人です。この2世紀は大きく異なっていますが、あなたは地政学というゲームにおいて非常に巧みです。そこで質問ですが、あなたはバランスを見出しています。世界的な舞台で超大国と交渉する際、愛されるべきか、それとも恐れられるべきでしょうか?あなたは誰からも愛される達人であるように思えますが、誰もがその強さを知っており、感じています。そのバランスを見つけることについてお話いただけますか?

ナレンドラ・モディ 01:10:41

まず第一に、これは公平な比較ではないと思います。マハトマ・ガンジーは20世紀の指導者というだけではありません。彼の重要性は何世紀にもわたって超越しています。マハトマ・ガンジーの遺産は今後何世紀にもわたって残り続けるでしょう。そして、彼は現在もなお、その重要性は失われていません。私に関して言えば、果たすべき責任があります。しかし、その責任の重さは、私の国と比べれば取るに足らないものです。私は自分の国ほど偉大ではありません。私の強みは、私の名前にあるのではなく、14億人のインド人の支援と、何千年もの時を超えた文化と遺産にあるのです。ですから、どこに行こうとも、私は何千年ものヴェーダの伝統の真髄、スワミ・ヴィヴェーカーナンダの時代を超えた教え、そして14億人のインド人の祝福、夢、そして希望を携えています。世界のリーダーと握手をするとき、握手をしているのはモディではなく、14億人のインド人なのです。ですから、これは私の力などではまったくありません。これはインドの力なのです。

2013年に起こった出来事を思い出します。私の政党が私を首相候補にすると宣言したときのことです。私の批判者たちは、ある一点について私を追い詰めることをよく試みました。モディは州の指導者に過ぎない。彼が外交政策について何を知っているのか? グローバルな地政学を理解しているのか? これが誰もが口にする話題となり、私はあらゆるインタビューでこの質問をされました。私はその時、熟考した上で次のように答えました。「インタビューで外交政策のすべてを語るつもりはありませんし、必要もありません。」とは言え、インドは自分自身を見下されることを許しませんし、誰かを尊敬することもしません。インドは今、各国と対等の立場に立とうとしています。これが2013年の私の信念であり、今でも私の外交政策の中心にあります。私にとって、国が常に最優先です。しかし、誰かを軽んじたり、他人の悪口を言ったりすることは、私の文化的価値観や伝統とは無縁です。さらに、私たちの文化は、人類の福祉を擁護し、支持しています。

インドは常に、世界平和と同胞愛の理念を擁護してきました。何世紀にもわたって、私たちは世界をひとつの大きな家族として考えてきました。私たちの高貴な祖先は、全世界と宇宙の幸福を思い描いていました。だからこそ、私が世界的な舞台で発表したアイデアや、私たちの会話の性質が、敬意と前向きさに根ざしていることに、皆さんもお気づきでしょう。例えば、私はあるスピーチで環境について語りました。私は「ひとつの太陽、ひとつの世界、ひとつのグリッド」というコンセプトを提案しました。新型コロナウイルス感染症のパンデミックの際には、G20サミットで演説を行いました。私は、人間と自然が調和して生きる「One Health」というビジョンを提示し、常にこのビジョンに向かって取り組んできました。

私たちは「One Earth, One Family, One Future」をモットーにG20サミットを開催しました。私たちはこの時代を超えた英知を受け継ぎ、それを世界と共有することが私たちの義務です。一例を挙げると、私は再生可能エネルギーの採用を提唱してきました。私たちは「一つの太陽、一つの世界、一つのグリッド」をモットーに、国際ソーラーアライアンスを設立しました。 グローバルヘルスケアに関しても、私は「一つの地球、一つの健康」を提唱してきました。 この取り組みは人間だけでなく、あらゆる動植物にも及びます。 私は常に、世界的な幸福を育む取り組みを始めることを目指してきました。そして、それを達成するには、世界中のコミュニティが手を携える必要があります。

また、今日の世界は一つの小さな村になっていることを理解しなければなりません。どの国も孤立して繁栄することはできません。今日、私たちは皆、互いに依存し合っています。自分一人で成功を収めることは誰にもできません。だからこそ、皆さんは他の人々と歩調を合わせることを学ばなければなりませんし、他の人々も皆さんと歩調を合わせることを学ばなければなりません。それがこの取り組みを推進する唯一の方法なのです。国連のような組織は第一次世界大戦後に誕生しましたが、時代とともに進化することができず、その適応能力の欠如が、その存在意義に関する世界的な議論を引き起こしました。

ウクライナの平和への道

レックス・フリードマン 01:16:23

あなたは、世界で最も大きな平和の担い手となるための経験とスキル、そして地政学的な影響力を持っています。現在、世界ではいくつかの戦争が起きています。例えば、ロシアとウクライナの間の和平を支援するなど、和平プロセスにどのように取り組むのか、お聞かせいただけますか?

ナレンドラ・モディ 01:16:51

私は、釈迦の生まれた国を代表しています。私は、ガンジーの生まれた国を代表しています。彼らは偉大な魂であり、その教え、言葉、行動、振る舞いはすべて平和に捧げられています。だからこそ、文化的にも歴史的にも私たちの背景は非常に強固であり、私たちが平和について語る時には、世界が耳を傾けるのです。なぜなら、インドはゴータマ・ブッダとマハトマ・ガンジーの国であり、インド人は争いや対立を好むように生まれついてはいないからです。私たちは調和を好みます。自然に対して戦争を仕掛けることも、国家間の対立を助長することも望んでいません。私たちは平和を支持し、平和を実現できるのであれば、喜んでその責任を引き受けてきました。

あなたの例に戻りますが、私はロシアとウクライナの両国と緊密な関係を築いています。私はプーチン大統領と会談し、戦争をする時ではないと伝えることができます。また、ゼレンスキー大統領にも友好的な態度で、兄弟よ、世界でどれだけの人があなた方と共にあるとしても、戦場で解決することは決してない、と伝えることができます。解決策は、ウクライナとロシアの両国が交渉のテーブルに着くことでしか得られません。ウクライナは同盟国と数えきれないほどの話し合いを行うかもしれませんが、実を結ぶことはありません。話し合いは両当事者を含めて行われなければなりません。当初、平和を見つけるのは困難でしたが、今、この現状はウクライナとロシアが有意義で生産的な話し合いを行う機会を提供しています。多くの苦しみがありました。世界の南側も苦しみました。世界は食糧、燃料、肥料の危機に直面しています。ですから、世界共同体は平和を追求するために団結すべきです。私自身は、常に平和の側に立つと主張してきました。私は中立ではありません。私は立場を明確にしています。それは平和であり、平和こそが私の努力の目標です。

インドとパキスタン

レックス・フリードマン 01:19:37

インドとパキスタン間の歴史的な関係と紛争もまた困難なものであり、世界で最も緊迫した紛争のひとつです。両国は核保有国であり、強いイデオロギーの違いがあります。あなたは偉大な平和の使者です。先見の明を持つ者として未来を見据え、インドとパキスタンの友好、平和、良好な関係を築くにはどうすればよいとお考えですか?

ナレンドラ・モディ 01:20:09

私は、世界の人々がよく知らないかもしれない私たちの歴史の時代について掘り下げたいと思います。1947年以前、独立のための闘争の時代には、誰もが肩を並べて共に戦っていました。そして、国民は独立の喜びを祝うことを心待ちにしていました。今、この出来事につながった経緯について長々と議論することも可能ですが、当時の政策立案者たちがインドの分割に合意し、イスラム教徒側の要求する独立国家の樹立に同意したという事実は変わりません。インドの人々は悲しみと静かな涙で胸を痛めながら、この痛ましい現実を受け入れました。しかし、その後すぐに、血なまぐさい悲劇が展開しました。血まみれで傷ついた人々や死体が乗った列車がパキスタンから到着し始めました。それは見るに堪えない光景でした。自分たちのやりたい放題やった後、彼らは共存の道を選ぶだろうと期待しましたが、彼らは調和的な共存を育むことを選びませんでした。彼らはインドと対立することを何度も選びました。彼らは代理戦争を仕掛けてきたのです。

これをイデオロギーのせいにしてはいけません。流血とテロの輸出を基盤とするイデオロギーなどあり得ません。そして、この脅威の唯一の犠牲者はインドだけではありません。世界中でテロが起こると、その足跡は必ずパキスタンにつながります。例えば、9月11日の同時多発テロを考えてみましょう。このテロの首謀者であるオサマ・ビン・ラディンは、最終的にどこから現れたのでしょうか?彼はパキスタンに避難していました。世界は、ある意味でテロリズムとテロリストの考え方がパキスタンに深く根付いていることを認識しています。今日、パキスタンはインドだけでなく世界にとっての混乱の震源地となっています。そして、私たちは彼らに繰り返し尋ねてきました。この道から何を得られるのか? 彼らに、国が支援するテロの道を断念するよう強く求めました。「無法な勢力に国家を明け渡すことで、何を得たいのか?」私は個人的にラホールまで足を運び、平和を追求しました。

私が首相に就任した際には、パキスタンを特別に就任式に招待し、新たな一歩を踏み出そうとしました。しかし、平和を促進するためのあらゆる崇高な試みは、敵意と裏切りをもって迎えられました。私たちは、彼らに知恵が勝り、平和の道を選ぶことを心から願っています。パキスタンの人々も平和を切望していると信じています。なぜなら、彼らも争いや不安の中で暮らすことに疲れ、罪のない子供たちまでもが犠牲になる容赦ないテロや、数え切れない命が奪われることに嫌気がさしているはずだからです。

レックス・フリードマン 01:23:54

パキスタンとの関係改善を試みた過去の取り組みの中で、将来への道筋を示すような印象的なエピソードはありますか?

ナレンドラ・モディ 01:24:09

先ほど申し上げたように、二国間関係の改善に向けた最初の取り組みは、パキスタンの同僚を私の就任式に招待したときでした。これは善意の表れでした。数十年に一度あるかないかの外交的ジェスチャーでした。かつて私の外交政策へのアプローチを疑問視していた人々も、私がSAARCの全国家元首を招待したことを知って驚きました。そして、当時の大統領プラナブ・ムカルジー氏は、その歴史的な出来事を回顧録の中で見事に表現しています。これは、インドの外交政策が明確で自信に満ちたものになったことの証です。これは、インドが平和と調和に尽力していることを世界に明確に伝えるメッセージとなりましたが、望んでいた結果は得られませんでした。

クリケットとサッカー

レックス・フリードマン 01:25:16

もう少し軽い質問をしてもよろしいでしょうか。クリケットではインドとパキスタン、どちらが強いですか? 両国チームはピッチ上で壮絶なライバル関係にありますが、より深刻な問題として、地政学的な緊張関係についてお話がありましたが、スポーツやクリケット、サッカーはより良い関係を築く上でどのような役割を果たすのでしょうか?

ナレンドラ・モディ 01:25:45

スポーツには世界全体を活性化させる力があると思います。スポーツの精神は、さまざまな国の人々を結びつけます。だからこそ、スポーツが軽んじられるようなことがあってはならないのです。私は、スポーツが人類の進化に大きな役割を果たしていると心から信じています。スポーツは単なる遊びではなく、人々をより深いレベルで結びつけるものです。さて、スポーツの技術について、どちらが優れていてどちらがそうでないかという質問ですが、私は専門家ではありません。どちらのテクニックが優れているか、真のベストプレーヤーは誰か、を判断できるのは、テクニックの専門家に限られます。しかし、時には結果がすべてを物語ることもあります。ほんの数日前、インドとパキスタンが試合を行いました。その結果が、どちらのチームが優れているかを示しています。私たちはそれを知っています。

レックス・フリードマン 01:26:51

ええ。「The Greatest Rivalry(最大のライバル)」というインド対パキスタンのシリーズを観ました。信じられないような選手や信じられないような試合がたくさん出てきます。素晴らしいライバル関係を見るのはいつだって素晴らしいものです。あなたはサッカーについても語っていますね。サッカーはインドでもとても人気があります。また難しい質問ですが、史上最高のサッカー選手は誰でしょうか?メッシ、ペレ、マラドーナ、クリスティアーノ・ロナウド、ジダンなどがいますが、歴史上最高のサッカー選手は誰だと思いますか?

ナレンドラ・モディ 01:27:22

インドの多くの地域でサッカーが盛んであることは事実です。 女子サッカーチームは素晴らしい活躍をしていますし、男子チームも大きな進歩を遂げています。 しかし、過去の話になると、1980年代にはマラドーナという名前が常に際立っていました。 その世代にとっては、彼は真のヒーローでした。 今の世代に尋ねれば、彼らはすぐにメッシの名前を挙げるでしょう。

今、あなたが尋ねたので、また興味深い思い出が頭に浮かびました。インドにはマディヤ・プラデーシュ州という中央に位置する州があります。そこにはシャードルという地区があり、そこは完全に部族地域で、大きな部族社会が存在しています。私はそのような地域の人々、特に部族の女性たちが運営する自助グループの人々との交流をとても楽しんでいます。それで、彼らを訪問して会話をしてみようと思ったのです。しかし、そこに行ってみると、興味深いものを目にしました。80人から100人ほどの少年や子供たち、そして年長の若者たちまでが、揃いのスポーツユニフォームを着て立っていました。 私は当然、彼らのところへ歩み寄りました。 そこで私は彼らに「みんなはどこから来たの?」と尋ねました。すると彼らは「私たちはミニ・ブラジルから来た」と答えました。私は驚いて「ミニ・ブラジルとはどういう意味?」と尋ねました。すると彼らは「それが私たちの村の呼び名です」と答えました。興味をそそられ、私は「なぜミニ・ブラジルと呼ぶのですか?」と尋ねました。彼らは説明しました。「私たちの村では4世代にわたってサッカーが盛んです。80人近いナショナルチームの選手がこの村から出ています。私たちの村はサッカー一色です。」また、彼らは、毎年恒例のサッカーの試合を開催すると、近隣の村から2万人から2万5千人もの観客が訪れると教えてくれました。

私は、インドでサッカー熱が高まっていることをポジティブな兆候だと捉えています。サッカーは情熱をかき立てるだけでなく、真のチームスピリットを育むからです。

ドナルド・トランプ
レックス・フリードマン 01:29:32

ええ、サッカーはインドだけでなく全世界をひとつにまとめる素晴らしいスポーツのひとつであり、スポーツが持つ力を示すものです。最近、米国を訪問し、ドナルド・トランプ氏との友情を再び深めましたね。友人として、また指導者として、ドナルド・トランプ氏についてどのような点がお好きですか?

ナレンドラ・モディ 01:29:55

私の記憶に強く残っている出来事を皆さんにお話ししたいと思います。おそらく、その出来事から、私が伝えようとしていることをより深くご理解いただけるでしょう。例えば、ヒューストンで「ハウディ・モディ」というイベントがありました。トランプ大統領と私はそのイベントに出席し、スタジアムは満員でした。米国でのイベントに大勢の観衆が集まることは、非常に大きな出来事です。スポーツの試合で満員のスタジアムはよくあることですが、政治集会では異例のことです。インド系移民の人々が大勢集まりました。私たちは二人ともスピーチを行い、彼はステージの下に座って私のスピーチを聞いていました。これが彼の謙虚さです。私がステージからスピーチをしている間、米国大統領が観客席に座っている。これは彼にとって非常に印象的なジェスチャーでした。スピーチを終えて私がステージから降りると、ご存じのように、米国の警備は非常に厳重かつ徹底しています。 そこでの検査のレベルはまったく別次元です。 私は彼に感謝の意を表し、さりげなくこう言いました。「もしよろしければ、スタジアムを一周しませんか? ここには大勢の人がいます。 歩いて、手を振って、挨拶しましょう」と。

アメリカでの生活では、大統領が何千人もの群衆の中に入っていくことはほぼ不可能ですが、彼はためらうことなく同意し、私と一緒に歩き始めました。彼の警護チーム全員が不意を突かれたようでしたが、私にとっては本当に感動的な瞬間でした。この男には勇気があることを示してくれました。彼は自分の判断で動きますが、同時に、その瞬間、私と私の誘導を信頼し、群衆の中を一緒に歩いてくれたのです。その日、私は本当に、お互いの信頼感、私たちを強く結びつける絆を目の当たりにしました。また、セキュリティに頼ることなく、何千人もの群衆の中へ入っていくトランプ大統領の姿を目にしたあの日のことは、本当に驚くべきものでした。そして、今、その動画をご覧になれば、きっと驚かれることでしょう。

最近の選挙運動中に銃撃されたとき、私はスタジアムで私と手を取り合って歩いていた、あのたくましく、決意に満ちたトランプ大統領の姿を再び目にしました。銃撃された後も、彼は揺るぎなくアメリカに献身していました。彼の人生は国のためにありました。彼の表情には、私が「国第一主義」を信奉しているのと同様に、「アメリカ第一主義」の精神が表れていました。私はインド第一主義を信奉しており、だからこそ私たちはとてもうまくつながっているのです。これらは本当に共鳴するものです。そして、世界中の政治家がメディアに大きく取り上げられ、人々は主にその報道を通して互いを知るようになっていると思います。人々が本当に会ったり個人的に知り合う機会はほとんどなく、おそらく第三者の介入が緊張の真の原因となっているのでしょう。

私が初めてホワイトハウスで彼に会ったとき、すでにメディアではトランプ大統領について多くのことが書かれていました。当時、彼はまだ就任間もない頃で、世間は彼に対してかなり異なる見方をしていたのです。 私自身も彼に会う前にさまざまな説明を受けていましたが、驚いたことに、私がホワイトハウスに足を踏み入れた瞬間、彼はすぐにすべての形式的なプロトコルを破ったのです。そして、彼は自ら私をホワイトハウスの見学に連れて行ってくれました。案内してくれている間、私はあることに気づきました。彼はメモやカンペを持っておらず、また、誰かが同行してサポートしているわけでもありませんでした。すべて彼自身が説明してくれたのです。「ここがエイブラハム・リンカーンが住んでいた場所です」と彼は言いました。法廷がなぜあのような長方形のデザインになっているのかについても説明してくれました。テーブルを指さして、どの大統領がいつここに署名したのかを教えてくれたのです。私は、それが非常に印象的だと感じました。それは、彼が大統領職をどれほど尊敬しているか、そして、彼がどれほどアメリカ史に敬意を払い、深く関わっているかを示していました。私はそれを実感しました。そして、彼は私に気さくに話し、多くのことを包み隠さず話してくれました。それが、初めて会った時の私の経験でした。

その後、彼の1期目が終わり、バイデン氏が当選したとき、4年が経過していましたが、その間、私たちが知っている人が彼に会うたびに、おそらく数十回はあったと思いますが、彼は「モディは私の友人だ。よろしく伝えてくれ」と言っていたのです。そのようなジェスチャーはめったにありません。何年も直接会うことはなかったとしても、私たちの直接・間接的なコミュニケーション、親密さ、信頼関係は揺るぎないものでした。

レックス・フリードマン 01:35:22

彼は、あなたが自分よりもずっとタフで、ずっと優れた交渉人だと言っています。あなたが最近彼を訪問した際に、彼はそう言いました。あなたは彼を交渉人としてどう思いますか?また、彼があなたのことを優れた交渉人だと言ったのはどういう意味だと思いますか?

ナレンドラ・モディ 01:35:39

それは私がコメントできることではありません。 彼が礼儀正しく謙虚であるからこそ、さまざまな場面や状況で公に私を評価してくれるのは非常にありがたいことです。 しかし、交渉に関しては、私は常に自国の利益を第一に考えています。 だからこそ、私はあらゆるフォーラムでインドの利益のために発言しているのです。誰かを傷つけるためではなく、ポジティブな方法で、そしてそれゆえに、誰も不快に思わないのです。モディが出席すれば、彼はこれらのことを強く主張するだろうということは、皆が知っています。結局のところ、インド国民が私にこの責任を与えたのです。私にとって、国は最高司令官であり、私は常に国民の意思を尊重します。

レックス・フリードマン 01:36:30

また、米国訪問中には、イーロン・マスク、JDヴァンス、トゥルシー・ギャバード、ビベック・ラワスワミなど、他の多くの人々とも生産的な会合を行いましたね。 これらの会合で特に印象に残ったことは何でしょうか? 重要な収穫や思い出などがあれば教えてください。

ナレンドラ・モディ 01:36:47

いいですか、私はこう言えます。私はトランプ大統領を、1期目も2期目も見てきました。今回は、以前よりもずっと準備万端のようです。明確な目標に向かって、それぞれが段階的に設計された明確なロードマップを頭の中に描いています。また、私は彼のチームのメンバーにも会う機会がありましたが、彼が有能な人材を集めたチームを結成したことは間違いありません。そのような強力なチームがあれば、彼らならトランプ大統領のビジョンを十分に実現できると私は感じています。トゥルシー・ギャバード、ビベック・ラワスワミ、イーロン・マスクなど、何人かの人にも会いましたが、家族的な雰囲気で、皆が家族と一緒に来ていました。イーロン・マスクについては、彼とは私が知事だった頃から面識があります。彼は家族や子供たちと一緒に来ていましたので、当然ながら温かい友好的な雰囲気でした。もちろん、私たちは議論を交わし、さまざまなトピックについて話し合いました。現在、彼のDOGEミッションは、その進展ぶりに非常に興奮しており、正直なところ、私も嬉しく思います。なぜなら、2014年に私が就任した際には、根深く入り込んだ問題や有害な慣習から自国を解放したいと考えていましたし、今後も可能な限り多くの問題を排除するために努力を続けていくつもりだからです。例えば、2014年に私が就任した当時、私たちは多くの国際的な議論に参加していませんでした。今日のように、トランプ大統領やDOGEが話題に上るようなことはありませんでした。しかし、どのような取り組みが行われていたかを見ていただくために、例を挙げましょう。私は、特定の政府計画、特に福祉プログラムの恩恵が、実在しない多くの人々によって悪用されていることに気づきました。

ナレンドラ・モディ 01:39:01

…実在しない人々です。 幽霊のような名前、偽の人物に支給された年金がありました。 結婚前の女性にも未亡人年金が支給され、障害年金も障害のない人にも支給されていました。 そこで私は精査プロセスを開始し、私たちが発見した内容を知れば、皆さんはショックを受けるでしょう。1億人、1億人、つまり1億件の偽名や重複した名前をシステムから削除しました。その結果、莫大な金額を節約することができました。

そして、デリーから送られる給付金が漏れなく確実に正当な受給者に届くよう、直接給付の導入を行いました。その結果、不正な手に渡っていたであろう3兆ルピー近くを節約することができました。テクノロジーを活用した直接給付金送金のおかげで、私たちは中間業者を排除し、システムの透明性を確保することができました。

また、政府調達のためのGeMポータルを導入したことで、時間と費用の両方を節約できるようになりました。競争が活発化し、品質も向上しました。インドでは、コンプライアンスの負担が圧倒的に大きかったのです。私は4万もの不要なコンプライアンスを廃止し、目的を果たしていない1500近い時代遅れの法律を撤廃しました。

ですから、私の取り組みはある意味、不必要な支配や非効率から統治を解放することだったのです。そして当然のことながら、大胆な変化が起こると、DOGEの使命のように、世界中で話題になります。

中国と習近平

レックス・フリードマン 01:40:52

あなたと習近平氏は互いを友人として考えてきました。この友情を再び活性化させ、最近の緊張状態を緩和し、中国との対話と協力を再開するにはどうすればよいでしょうか?

ナレンドラ・モディ 01:41:06

インドと中国の関係は新しいものではありません。両国には古代から続く文化と文明があります。現代においても、両国は重要な役割を果たしています。歴史を振り返ってみると、何世紀にもわたってインドと中国はお互いから学んできました。そして、常に何らかの形で世界に貢献してきました。古い記録によると、ある時期にはインドと中国だけで世界のGDPの50%以上を占めていた時期もあったようです。それほどまでにインドの貢献は多大だったのです。そして、私たちの結びつきは非常に強く、文化的なつながりも深いと私は信じています。何世紀も遡ってみても、両国間に紛争の歴史はありません。常に互いに学び合い、理解し合ってきました。かつて仏教は中国に大きな影響を与えましたが、その哲学はもともとここから生まれたものです。

私たちの関係は今後も変わらず強固であり続けるべきです。そして、さらに発展していくべきです。もちろん、相違があるのは当然です。隣り合う二つの国が存在するのですから、時には意見の相違が生じるのは避けられません。家族の中でも、すべてが完璧であるということはありません。しかし、私たちが重視しているのは、こうした相違が紛争に発展しないようにすることです。私たちは、このことを積極的に目指しています。不和ではなく対話を重視しているのは、対話を通じてのみ、両国にとって最善の利益となる安定した協力関係を築くことができるからです。

確かに、私たちの間では国境を巡る紛争が継続的に発生しています。そして2020年には、国境沿いで発生した事件により、両国間に大きな緊張が生じました。しかし、先日の習主席との会談後、国境沿いは平常に戻りつつあります。現在、私たちは2020年以前の状態への回復に取り組んでいます。ゆっくりではありますが、確実に信頼、熱意、エネルギーが戻ってくるでしょう。しかし、もちろん、5年間の空白がありますから、それなりの時間はかかるでしょう。私たちの協力関係は、双方に利益をもたらすだけでなく、世界の安定と繁栄にとっても不可欠です。そして、21世紀はアジアの世紀ですから、インドと中国には健全かつ自然な形で競い合ってほしいと思います。競争は悪いことではありませんが、決して紛争に発展してはなりません。

レックス・フリードマン 01:44:35

世界は、世界大戦の勃発を懸念しています。中国と米国、ウクライナ、ロシアとヨーロッパ、イスラエル、中東における緊張。21世紀の私たちが世界大戦を回避し、より多くの紛争、より多くの戦争へとエスカレートすることを回避するにはどうすればよいのでしょうか?

ナレンドラ・モディ 01:45:07

ご覧ください。COVID-19は、あらゆる国家の限界を露わにしました。 どれほど自分たちを偉大な国家だと考えていようとも、どれほど進歩的だと考えていようとも、どれほど科学的に進歩していると考えていようとも、誰もが物事に対して独自の視点を持っています。 結局、私たちは皆、同じ立場に立たされました。 世界中のあらゆる国がこの現実に直面しました。その時は、世界がそこから学び、より統一された世界に向かって進んでいくような気がしました。第二次世界大戦後に地政学的な秩序が生まれたように、多くの人が、新型コロナウイルス感染症の流行後にも同様のことが起こると考えていました。しかし残念ながら、世界は平和に向かうのではなく、さらに分断が進み、不確実性の時代を迎え、戦争はそれをさらに悪化させるだけでした。

現代の戦争は、もはや資源や利害だけに関わるものではないと私は考えます。今日、私は実に多くの種類の紛争が起こっているのを目にします。物理的な戦闘はよく話題になります。あらゆる領域で闘争が起こっています。かつては強力だった国際機関は、ほとんど無関係なものになってしまいました。真の改革は起こっていません。国連のような機関は、その役割を果たせていません。国際法や規則を無視する人々が自由に振る舞い続け、それを誰も止められないのです。このような状況では、賢明な選択は、対立を諦めて協力に向かうことです。そして、発展を促すアプローチが前進への道です。拡張主義はうまくいきません。以前にも申し上げたとおり、世界は相互依存し、相互に結びついています。どの国も互いを必要としており、単独で立つことはできません。私が参加したさまざまなフォーラムから明らかなことは、誰もがこれらの紛争を深く憂慮しているということです。平和が一日も早く回復することを願うばかりです。

2002年のグジャラート暴動

レックス・フリードマン 01:47:59

私はこういうのは得意ではないのですが。

ナレンドラ・モディ 01:48:00

あなたは時計ばかり見ていますね。

レックス・フリードマン 01:48:02

いや、いや、いや。私は自分が何をやっているのかほとんどわかっていませんよ、首相。私はこれが得意ではないのです。わかりました。あなたはこれまで…キャリアを通じて、そして人生を通じて、インドの歴史における多くの困難な状況を目にしてきました。そのうちのひとつ、2002年のグジャラート暴動は、グジャラート州のヒンドゥー教徒とイスラム教徒の市民の間で暴力が起こり、1000人以上の死者を出した、近代インド史上最も困難な時期のひとつでした。この事件は、この地域における宗教的緊張の激しさを明らかにしました。当時、あなたはグジャラート州の首席大臣でした。当時を振り返って、どのような教訓を得ましたか? また、インドの最高裁は2012年と2022年の2度にわたって、2002年のグジャラート暴動の暴力事件にはあなたが関与していないとの判断を下しました。 その当時から得た教訓についてお話いただけますか?

 

ナレンドラ・モディ 01:49:07

まず、最初の点についてですが、あなたが謙虚に「自分が何をやっているのかわからない」「自分はこれが得意ではない」と述べたことについて、私は同意しません。個人的には、あなたは非常に慎重に取り組んでいると感じます。広範な調査を行い、あらゆる細部に深く踏み込んでいます。ですから、あなたは非常にうまくやっていると思いますし、私たちの会話や、あなたがこれまでに交わしてきたすべての会話の中で、あなたが費やしてきた努力は評価されるべきです。単に私にインタビューしているというよりも、インドを深く理解しようとしていると感じます。だからこそ、真実を明らかにしようとする真摯な努力には、本物の誠実さがあるのだと強く感じます。その真摯な姿勢に心から敬意を表します。

レックス・フリードマン 01:50:06

ありがとうございます。

ナレンドラ・モディ 01:50:06

あなたが言及した過去の出来事、例えば2002年のグジャラート暴動などについて、その12~15ヶ月前の状況をより明確に描き、当時の雰囲気を十分に理解していただきたいと思います。例えば、その3年ほど前の1999年12月24日、カトマンズ発デリー行きのインド航空機がハイジャックされ、アフガニスタンに方向転換されてカンダハールに着陸しました。インド人乗客数百人が人質となり、人々は生死の不安に直面し、インド全土に大きな混乱が生じました。

2000年には、デリーのレッドフォートがテロリストに襲撃されました。またもや国を襲った危機に、恐怖と混乱がさらに激化しました。2001年9月11日には、アメリカでツインタワーが壊滅的なテロ攻撃を受け、再び全世界に衝撃を与えました。なぜなら、最終的には、これらの攻撃の背後にいる人々は、同様の考え方に基づいて行動しているからです。そして2001年10月には、ジャンムー・カシミール州議会がテロリストの攻撃を受けました。さらにその直後の2001年12月13日には、インドの国会が標的となりました。

わずか8~10ヶ月の間に、このような世界的な大規模テロ攻撃が起こり、流血と罪のない人々の命の喪失につながる暴力的な事件が発生しました。このような緊迫した状況では、ほんの小さな火種でも不安を煽りかねません。すでに極めて不安定な状況でした。そのような時に、2001年10月7日、私は突然グジャラート州首相の任を任されることになりました。これは大変な挑戦でした。

当時、グジャラート州は、20世紀最大の被害をもたらした大地震により、数千人の死者を出すという壊滅的な被害を受けていました。州首相としての私の最初の大きな任務は、被災者の生活再建を監督することでした。これは重要な任務であり、就任初日から全力で取り組みました。私はそれまで行政に関わった経験がまったくありませんでした。行政の一員になったこともなければ、行政に携わった経験もありませんでした。選挙に立候補したこともなければ、州議会議員になったこともありませんでした。人生で初めて、私は選挙に臨まなければならなかったのです。

2002年2月24日、私は初めて選挙で選ばれた州議会議員となりました。そして、グジャラート州議会に初めて足を踏み入れたのは、2月24日か25日、あるいは26日頃のことでした。2002年2月27日、私たちは予算審議のために議会に集まりました。そして、その同じ日、州議会議員になってからわずか3日目にして、突然恐ろしいゴドハラ事件が起こりました。想像を絶する規模の悲劇で、人々は生きたまま焼かれました。カンダハールでのハイジャック事件や国会襲撃事件、あるいは9.11テロ事件などを背景に、これほど多くの人々が殺され、生きたまま焼かれたのですから、どれほど緊迫した不安定な状況であったか想像できるでしょう。もちろん、これは誰にとっても悲劇的な出来事でした。誰もが平和を望んでいます。

これらが過去最大の暴動であったという認識は、実際には誤情報です。2002年以前のデータを調べれば、グジャラート州では頻繁に暴動が起きていたことが分かります。外出禁止令は常にどこかで発令されていました。凧揚げ大会や、自転車同士の軽微な接触事故のような些細な問題で、集団暴動が勃発することもありました。2002年以前にグジャラート州では250件以上の重大な暴動が発生しています。1969年の暴動は6ヶ月近く続きました。ですから、私が関わるずっと以前から、長い歴史があったのです。

しかし、2002年のあの悲劇的な事件が引き金となり、一部の人々が暴力に走りました。しかし、司法当局は徹底的に調査を行いました。当時、政敵が政権を握っており、当然ながら、彼らは私たちに対するすべての疑惑を晴らしたいと考えていました。彼らの執拗な努力にもかかわらず、司法当局は状況を2度にわたって綿密に分析し、最終的に私たちにまったく罪がないことを明らかにしました。真の責任者は法の裁きを受けました。

しかし、最も重要なことは、毎年何らかの暴動が起こっていたグジャラート州で、2002年以降22年間、一度も大きな暴動が起こっていないことです。グジャラート州は今も完全に平和な状態が続いています。私たちのアプローチは、常に世銀の政治を避けることでした。その代わり、私たちの信念は、すべての人とともに、すべての人々のための開発、すべての人からの信頼、すべての人による努力でした。私たちは宥和政策から大望政策へと転換しました。 そのため、貢献したいと願う人々は喜んで私たちに加わってくれます。 私たちはグジャラート州を先進的な州に変えるために絶え間なく努力してきました。 そして今日、グジャラート州はインドの先進的な発展にも積極的に貢献しています。

レックス・フリードマン 01:56:55

あなたを愛する人はたくさんいます。多くの人からそう言われます。しかし、メディアを含め、あなたを批判する人もいます。2002年のグジャラート州暴動についても、メディアから批判されています。批判に対して、どのようなお考えをお持ちですか?批判に対して、どのように対処されていますか?メディアからの批判、側近からの批判、あるいはご自身の生活における批判など、どのように対処されていますか?

ナレンドラ・モディ 01:57:24

批判についてあなたが言ったことと、私がそれに対してどう対処するかということについてですが、もしそれを一文でまとめなければならないとしたら、私はそれを歓迎します。私は、批判こそが民主主義の魂であると強く信じています。もしあなたが本当に民主主義を信奉しているのなら、批判を受け入れるべきです。私たちの聖典には、常に批判者を身近に置くようにと書かれています。批判者はあなたの最も身近な仲間であるべきです。なぜなら、真の批判を通じて、あなたは素早く改善することができ、より優れた洞察力をもって民主的に仕事ができるからです。実際、私はもっと多くの批判があり、それらは鋭く、よく考えられたものでなければならないと考えています。

しかし、私が本当に不満に思っているのは、今日私たちが目にするのは真の批判ではないということです。真の批判には、徹底的な研究、綿密な調査、慎重な分析が必要です。真の批判は、偽りの中から真実を見つけ出すことを要求します。今日、人々は近道を探し、適切な調査を避け、深い分析を省略します。真の弱点を指摘する代わりに、彼らはすぐに非難に走ります。主張と批判の間には大きな違いがあります。あなたが挙げている参照先は主張であって、批判ではありません。強固な民主主義のためには、真の批判が必要です。主張は誰の利益にもならず、不必要な対立を引き起こすだけです。だからこそ私は常にオープンな批判を歓迎します。そして、誤った主張が持ち上がった場合はいつでも、私は冷静に、完全に献身的に国のために働き続けます。

Lex Fridman 01:59:28

ええ、あなたが話していることは私にとって非常に重要なことです。なぜなら、私は優れたジャーナリズムに感銘を受けているからです。残念ながら、現代では多くのジャーナリストがクリック数を稼ぐための見出しを求め、告発を行います。彼らはインセンティブに基づいて行動しており、見出しを稼ぎたい、安直なことをしたいと思っているからです。優れたジャーナリストには、活躍の場と意欲、そして飢えがあると思います。そして、深い理解が必要です。そして、私はそれが悲しいと思うのですが、私はこのことが得意だとは思っていませんが、私が皆さんと是非お話したいと思った理由のひとつは、十分な努力や深い調査が行われていないと感じたからです。私はこれまで何冊の本を読んだかわかりません。ただ経験するため、理解しようとするためだけに、準備として多くの本を読みました。多くの準備と努力が必要ですが、優れたジャーナリストにはもっとそうしてほしいと思います。そして、そこから批判することができます。そこから、権力者の状況や人々、彼らの長所や欠点、犯した過ちなど、複雑な状況を本当に調査することができます。しかし、そのためには非常に、非常に、入念な準備が必要です。ですから、優れたジャーナリズムがもっと増えることを願っています。

ナレンドラ・モディ 02:00:46

はい。明確で的を射た具体的な批判は、効果的な政策立案のプロセスにおいて本当に役立ちます。明確な政策ビジョンにつながります。私は特に、そのような建設的な批判に注意を払っています。実際、私はそれを積極的に歓迎しています。

ジャーナリズムの見出しに関するご指摘については、キャッチーな見出しや言葉遊びに惹きつけられる人がいるなら、私はそれほど気にはしません。しかし、意図的な意図が背後にあり、真実が意図的に無視されている場合、そのダメージは何十年も続く可能性があります。魅力的な見出しで読者や視聴者を喜ばせようとしているのであれば、多少は妥協できるかもしれません。しかし、隠された動機があったり、意図的に歪められて意図が隠されているのであれば、それは深刻な問題であり、懸念すべきことです。

レックス・フリードマン 02:01:50

そして、真実が損なわれると思います。

ナレンドラ・モディ 02:01:54

ロンドンで、グジャラート語の新聞社が主催するイベントでスピーチをするよう招待されたことがありました。そこで私はスピーチの中で、ジャーナリストが集まるイベントですから、何気なく「私たちはどのようなジャーナリズムをすべきでしょうか?ハエやミツバチのようなものでしょうか?」と問いかけました。私は「ハエは土の上にとまって、その土を広げます。しかしミツバチは花の上にとまり、蜜を集め、その甘さを至る所で分かち合います。しかし何か悪いことが起こると、ミツバチは強力に刺すので、3日間顔を隠さなければならなくなるほどです」と説明しました。

しかし、一部の人々は私の例え話の半分だけを抜き出して、そこから大きな論争を巻き起こしました。正直に言って、私は誰かを否定的に扱ったのでしょうか? いいえ、そんなことはありません。私は単に、小さな刺し傷でも数日間顔を隠さなければならないほどの衝撃を残すほど、ミツバチの強さが素晴らしいということを強調しただけです。顔を出すことはできません。それがジャーナリズムが持つべき力です。しかし残念ながら、一部の人々はハエのようなアプローチを好むのです。

世界最大の民主主義

レックス・フリードマン 02:03:34

私は今、ミツバチになることを人生の新たな目標としています。あなたは民主主義について言及されましたが、2002年までは政府についてあまり知りませんでした。しかし、2002年から今日まで、私が数えることができるだけでも8回の選挙に勝利しています。インドでは8億人以上が選挙に参加しています。そのような選挙で勝利するには何が必要でしょうか。また、世界最大の民主主義国家で、14億人の人々を代表する選挙で勝利するには何が必要でしょうか。

ナレンドラ・モディ 02:04:17

私は長年、政治に積極的に関わってきました。政治の世界に本格的に足を踏み入れる前は、組織運営に主に力を注いでいました。選挙の管理やキャンペーンの戦略立案もその一環でしたので、そこに時間を費やしていました。24年間、グジャラート州民とインド国民は、揺るぎない献身と深い責任感を持って私を指導者に選んできました。私は、神聖な義務を託してくださった国民を敬い、その義務を果たすよう努めています。私は、国民の信頼を決して裏切らないよう、引き続き尽力していきます。そして、国民は私の真の姿を見ています。

私の政府は、福祉制度がすべての国民に行き渡るよう尽力しています。すべての制度は本来の受益者に届かなければなりません。すべての受益者は平等に扱われなければなりません。カースト、信条、信仰、富、あるいはイデオロギーによって差別されてはなりません。私たちは、すべての人々の幸福と繁栄を確保するために努力しなければなりません。そうすれば、直接的な恩恵を受けない人々も、取り残されたり不当に扱われたりしていると感じることは決してないでしょう。彼らもいずれ恩恵を受けることを知ることで、安心感を得ることができるでしょう。これは深い信頼感を育み、信頼こそが私の統治モデルの礎なのです。

次に、私の統治は選挙の浮き沈みを超えて行われます。私の統治は世論調査ではなく、国民に根ざしています。それは、国民の幸福と国家のより大きな利益に献身しています。ご存知かもしれませんが、私はかつて精神的な目覚めを求めて旅に出たことがあり、今では我が国を神そのものと崇め、国民を神の顕現として敬っています。熱心な司祭のように、私は国民に奉仕することに専念しています。私は国民から距離を置くことはしません。国民の一人として国民の中に住んでいます。そして、一緒に働く人たちには皆にこう言います。「あなたが一生懸命働くなら、私ももっと一生懸命働きます」と。人々はこれを見て、信頼を寄せています。それに、私には利害の対立はありません。私の地位から利益を得る友人や親戚もいません。この利害関係のなさを一般市民は高く評価しています。それが理由の一つでしょう。

さらに、私は何百万人もの献身的なボランティアが参加する政党に属しています。インドとその国民の福祉に完全に献身するボランティアです。彼らは政治とはまったく無関係です。肩書もありませんし、影響力が幅を利かせる場所に身を置いたこともありません。私の党には、献身的に働く何百万人ものボランティアがいます。私は世界最大の政党に所属していることを誇りに思っています。私の党は昔から存在していたわけではありません。何百万人ものボランティアの努力の賜物です。彼らの無私の奉仕は広く認められ、地域社会から高く評価されています。それはBJPに対する人々の信頼を強固なものとし、選挙結果にも反映されています。私は選挙での勝利を数えたことはありませんが、人々の祝福を受けています。

レックス・フリードマン 02:08:18

インドの選挙運営の信じられないほどのロジスティクスについてお話いただけますか。とても興味深い逸話がたくさんあります。例えば、有権者は投票所から2キロ以上離れていてはいけないという規定があります。その結果、インドの遠隔地に投票機を運ばなければならなかったという話があるのですが、本当に信じられないことです。有権者一人ひとりの票が数えられ、6億人以上の人々が投票する仕組みが整っているのです。特に印象に残っている逸話はありますか?あるいは、そのような大規模な選挙、民主主義を運営する上で、一般的なロジスティクスについてお話いただけますか?

ナレンドラ・モディ 02:09:10

何よりもまず、あなたの洞察力に富んだ質問に心から感謝いたします。民主主義を信じる人なら、これからお話しすることを聞いていただきたい。私たちは選挙結果についてよく議論しますが、その裏で行われている作業については見過ごされています。最近行われた2024年の総選挙を例に挙げてみましょう。有権者登録者は9億8000万人でした。有権者一人一人には登録IDがあり、膨大なデータベースにすべての必要な詳細情報が登録されていました。この数は北米の総人口の2倍に相当し、EU全体の総人口をも上回ります。9億8千万人の有権者登録者のうち、6億4千6百万人が投票所に出向き、5月の厳しい暑さにも負けず、投票を済ませました。気温が40度まで上昇した地域もありましたが、それでも彼らは投票所に向かいました。この有権者層の規模は米国の総人口の2倍に相当します。

100万を超える投票所が設けられました。このために必要な人員を想像できますか? 私の国には2,500を超える登録政党があります。 これほど多くの政党が存在するという驚異的な数字は、全世界を畏怖させるほどの力があります。我が国には24時間放送のニュースチャンネルが900以上あります。毎日5,000以上の新聞が発行されています。それぞれが独自の方法で民主主義を支える役割を担っています。この国の最も貧しい村人たちでさえ、驚くほど素早くテクノロジーを受け入れています。他の国では選挙結果の発表に数ヶ月を要するのに対し、我が国では、途方もない数の有権者がいたにもかかわらず、結果を1日で発表しました。

そして、あなたが仰ったように、最も遠隔の村にも投票所が設置されています。ヘリコプターを使って投票所を移動させることさえあります。アルナーチャル・プラデーシュ州には、記録上最も標高の高い投票所があると思います。グジャラート州では、ギル森林に投票所が設置されました。そこにはたった一人の有権者がいましたが、その有権者のために投票所を設置したのです。私が言いたいのは、

ナレンドラ・モディ 02:12:03

… 投票所が設置されたことを確認するということです。私が言いたいのは、民主主義の強化に対する揺るぎないコミットメントにおいて、私たちは本当にあらゆる手段を講じているということです。どのような状況であっても、常に万全の準備を整え、選挙に備えていることを確実にします。私は、インドの選挙管理委員会が、自由で公正な選挙の実施におけるベンチマークとして、世界標準を打ち立てていると確信しています。それは最高意思決定機関です。これはそれ自体が注目に値する話であり、世界のトップ大学がケーススタディとして検討すべきでしょう。貴重な学習例として、その裏にある運営を分析すべきです。有権者の数が非常に多いことを考えると、政治意識の奥深さを本当に理解できるでしょうか? これらすべてが、世界中の若い世代にとって素晴らしいケーススタディとなるでしょう。

レックス・フリードマン 02:13:07

私にとって、民主主義は素晴らしいものです。それが私がアメリカを愛する主な理由のひとつですが、インドで機能している民主主義ほど素晴らしいものはありません。あなたが言ったように、9億人が投票登録しています。まさにケーススタディです。多くの人々が自発的に集まり、情熱的に、自分たちの代表となる人物に票を投じる姿は美しいものです。自分の声が届くという実感を持つことは本当に重要です。素晴らしいことです。そういえば、あなたは多くの人々から愛されています。あなたは世界で最も影響力のある人間の一人です。これほどまでに大きな権力が、特に長年にわたって権力の座に就いていることで、あなたの心に悪影響を及ぼしているのではないかと考えたことはありますか?

権力

ナレンドラ・モディ 02:14:03

そうですね、強力という言葉は私の人生の歩みを反映しているとは思いません。私は決して強力だとは言えません。私は謙虚な奉仕者であり、自分は首相ではなく、第一の奉仕者だと考えています。奉仕は私の労働倫理の指針です。

権力に関しては、私はこれまで一度も気にしたことはありません。私は権力ゲームをするためではなく、奉仕するために政治の世界に入りました。権力を求めるよりも、仕事をやり遂げ、成果を出すことに専念しています。私は権力よりも生産性に重点を置いています。私は常に国民に奉仕することに専念してきました。国民の生活に前向きな変化をもたらすことに専念してきました。

レックス・フリードマン 02:15:04

あなたが言ったように、あなたはよく働きます。仕事に全力を注いでいます。孤独を感じることはありますか?

ナレンドラ・モディ 02:15:20

私は孤独を感じたことがありません。なぜなら、私は「1+1」という哲学の熱心な信奉者であり、この「1+1」の哲学は私の道徳的指針と一致しているからです。この見解について詳しく説明を求められると、私はいつもこう答えます。最初の1はモディを、もう1は全能の神を表しています。私は決して一人ではありません。なぜなら、常に神が私に付き添ってくれているからです。これが私の機能の仕方なのです。 スワミ・ヴィヴェーカーナンダの理想を心から受け入れた私は、人類への奉仕は神への奉仕であると固く信じています。 私にとって、国家そのものが神聖であり、人類は神聖の反映です。 私は、人々への奉仕は神への奉仕であるという信念を持ってこの道を歩んでいます。 だからこそ、孤独と闘うという考えが頭をよぎったことは一度もありません。

パンデミックの時と同様に、ロックダウンや旅行制限が実施されている間、私は時間を最大限に活用する方法を考え出しました。私はビデオ会議でシームレスに機能するガバナンスモデルを設計しました。私はリモートワークとバーチャル会議で忙しくしていました。

もう一つ私がしたことは、これまでの人生で一緒に働いてきた人々と連絡を取ることでした。全国の党のボランティアの中から、70歳以上の人のリストを作成しました。ボランティアの中には、非常に謙虚な出発点から、非常に質素な環境で育った人もいました。私は70歳以上のボランティア全員に個人的に電話をかけました。彼らの健康状態や家族の安否について尋ねました。また、彼らの地域がどのように対処しているかについても尋ねました。これらの質問は、彼らが元気であることを確認するためでした。これにより、彼らと信頼関係を築くことができ、思い出話に花を咲かせることができました。彼らは、パンデミックのさなか、首相が自分たちの様子を気にかけてくれることに感動していました。

私は毎日欠かさず40件ほど電話をかけました。パンデミックの間も、ずっと続けていました。この電話を通じて、懐かしい顔ぶれと再会し、昔の思い出話に花を咲かせる機会を得ることができました。私は常に何かに夢中になる方法を見つけているため、孤独を感じることはありません。長い間、自分自身と折り合いをつけてきました。ヒマラヤで過ごした時間は、このことを私に教えてくれました。

ハードワーク

レックス・フリードマン 02:18:35

あなたほど仕事熱心な人はいないと、多くの人から聞いています。その背景にある哲学とは何でしょうか?毎日長時間働いていると思いますが、疲れることはありませんか?そのすべてを乗り越える強さと忍耐力の源は何ですか?

ナレンドラ・モディ 02:18:56

まず、働いているのは自分だけではないと思います。周りの人を見て、いつも「この人たちは自分より一生懸命働いている」と思います。農家の人たちを思うと、彼らの働きぶりが分かります。毎日毎日、空の下で苦労して働いています。軍人さんを見ると、雪の中、砂漠の中、あるいは水中で、昼夜を問わず、何時間も休むことなく働いている人がいると思います。労働者を見ると、彼らがどれほど一生懸命働いているかを考えます。私はいつも、家族の幸せのために、どの家庭でも母親や姉妹たちがどれほど一生懸命働いているかを考えます。彼女たちは、家族全員の世話をしながら、社会的な責任も果たし、一番早く起きて一番遅く寝ています。これらすべてを考えると、私は人々がどれほど一生懸命働いているかに畏敬の念を抱きます。だから「よく眠れるだろうか? よく休めるだろうか?」と考えてしまいます。モチベーションは目の前にあります。私の周りにあるものすべてが、私のモチベーションを維持してくれています。

次に、私の責任が私を前進させ続けています。国民の皆様から託された責任は、私が特権を享受するためにここにいるのではないということを常に私に思い出させてくれます。私は常に全力を尽くします。おそらく、達成できないこともあるかもしれませんが、努力や苦労を惜しむことはありません。2014年の選挙運動中、私はまずグジャラート州で、その後インド全土で公約を掲げました。私は国民の皆さんに、祖国のために努力することを決して怠らないと約束しました。次に、悪意を持って行動しないと約束し、3つ目に、私利私欲のために行動しないと誓いました。

今日で24年が経ちました。これほど長い間、国民は私を政府の長として信頼してくれました。私は常にこの3つの基準を自らに課し、今日もそれを守っています。私の原動力は、14億の人々の希望を理解し、それを叶えること、そして彼らのニーズに応えることです。私は常に、できる限りのことをし、全力を尽くすという決意をしています。今でも、私のエネルギーは衰えていません。

スリニヴァーサ・ラマヌジャン

レックス・フリードマン 02:21:42

エンジニアとして、数学を愛する人間として、私はスリニヴァーサ・ラマヌジャンについて尋ねなければなりません。彼は1世紀前のインドの数学者で、史上最も偉大な数学者の一人であると広く考えられています。独学で、貧困の中で育ちました。あなたはよく彼について話していますね。彼からどのようなインスピレーションを受けますか?

ナレンドラ・モディ 02:22:07

私は彼を深く尊敬していますし、私の国の人々も皆、彼を尊敬しています。なぜなら、私は科学と精神性には深い関係があると強く信じているからです。科学的に優れた多くの人々をよく観察すると、彼らはしばしば精神面でも進歩していることが分かります。彼らはスピリチュアリティから切り離されているわけではありません。 スリニヴァーサ・ラマヌジャンはかつて、自分の数学的なアイデアは自分が崇拝する女神から得たものだと語りました。つまり、アイデアは精神修養から生まれるものであり、修養とは単なる努力以上のものなのです。 それは、仕事に完全に身を捧げ、仕事に完全に没頭し、仕事と一体になることを意味します。

つまり、新しい知識や異なる知識の源に対してオープンであればあるほど、新しいアイデアが生まれるということです。 情報と知識の違いを明確に理解することが重要だと思います。 情報と知識を混同し、大量の情報を持ち歩いている人がいますが、私は情報だけで知識が得られるとは思っていません。 知識とはもっと深いものです。 処理、考察、理解を通じて徐々に進化していくものです。 この違いを認識することは、両者を扱う上で重要です。

意思決定プロセス

レックス・フリードマン 02:23:49

あなたは決断力のあるリーダーとして知られていますが、この「アイデア」というテーマについて、どのように意思決定を行っているのか、そのプロセスを教えていただけますか? 例えば、明確な前例がなく、多くの不確実性があり、さまざまな意見を調整しなければならないような、重大な選択を迫られた場合、どのように意思決定を行っているのでしょうか?

ナレンドラ・モディ 02:24:13

私の意思決定には多くの要因があります。まず、おそらく私はインドで唯一、全国の85~90%の地区に一晩以上滞在した政治家です。これは現在の役職に就く前のことです。私はよく各地を旅していました。そうした経験から多くを学びました。それは、本から得た知識ではなく、現場の現実や草の根レベルの問題に関する直接的な知識でした。次に、統治の観点から言えば、私は一切のしがらみを持っていません。私を重荷で縛り付けたり、特定の行動を取らせようとするようなしがらみは一切ありません。第三に、私は意思決定の際にシンプルな基準を持っています。それは、まず自国を優先することです。自分がしていることが自国に何らかの悪影響を与えていないか、常に自問しています。さらに、マハトマ・ガンジーはかつて、意思決定に迷ったときは、最も貧しい人の顔を思い浮かべなさい、と述べています。彼らのことを思い出し、「これは彼らの助けになるだろうか?」と自問してください。そうすれば、あなたの決断は正しいものとなるでしょう。私は常にこの知恵を指針としており、一般市民のことを思い出し、自分の行動が彼らにどのような影響を与えるかを考慮しています。

私のアプローチにおけるもう一つの要因は、私の政権が非常に強力なコネクションを持っていることです。私の職員はそれをよく理解しており、おそらく圧倒されていると感じているでしょう。なぜなら、私の情報ルートは数多く、非常に活発だからです。そのため、私はさまざまな情報源から多くの洞察を得ています。ですから、誰かが私に報告に来たとしても、それだけが情報源というわけではありません。常に別の視点も用意されているのです。

もうひとつ、私は常に学習者の姿勢を維持しています。例えば、ある事柄について詳しくない場合、役人が説明してくれるでしょう。私は学生のように役人に近づき、「これを明確に説明していただけますか? どのように機能するのですか? それから次にどうなるのですか?」と尋ねます。異なる情報がある場合は、意図的に反対者の立場に立って、難しい質問をします。 慎重に評価することで価値ある何かが得られることを期待しながら、問題を徹底的に多角的に分析します。 そして、価値ある決定や行動に収束したら、考えに共感する人たちと非公式に意見を交換し、彼らの反応や対応を確かめ、洞察やフィードバックを集めてから前に進みます。最終的に、自分の決定が正しいという強い確信を持つまで、このプロセスを繰り返します。

この意思決定プロセス全体にかかる時間は実際にはそれほど長くありません。私のスピードは非常に速いのです。例を挙げてみましょう。私は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行時にどのような意思決定をしたのでしょうか。ノーベル賞受賞者たちが私に助言をくれ、世界中の数えきれないほどの経済事例を教えてくれました。彼らは「あの国はこうしている。この国はああしている。あなたもそうすべきだ」と言いました。著名な経済学者たちは、私に次々と提案を浴びせました。政党は、巨額の支出を促す圧力を絶え間なくかけてきましたが、私は即座に行動を起こしませんでした。私は立ち止まり、考えました。私は一体何をすべきなのか?そして、自国の特別な状況を考慮した上で、私は明確な決断を下しました。私は貧しい人々が飢えに苦しむことを許さない。基本的な生活必需品を巡って社会的な緊張が生じることを許さない。

この基本原則が私のアプローチを導いてくれました。世界全体がロックダウン状態にありました。世界経済は崩壊していました。誰もが私に国庫を空にし、通貨を大量に印刷して、あちこちに資金をばらまくよう圧力をかけてきましたが、私はそれが正しい経済的アプローチではないと判断しました。そこで、専門家の意見を注意深く聞き、反対することなく彼らの意見を理解し、彼らの助言を自国の状況と私の個人的な経験と組み合わせた上で、代わりに私が選んだ道は、効果的に機能するシステムを作り上げることでした。その結果、世界全体がCOVID直後の深刻なインフレに苦しんだ際、インドはそうはなりませんでした。

今日、我が国は急速なペースで着実に前進し、世界で最も急速に成長している主要経済国のひとつとなっています。主な理由は、その危機において、忍耐と規律を持って、あらゆるグローバル理論を盲目的に適用しようとする誘惑に抵抗したことです。私たちは、新聞が何を書くか、褒めるか批判するかなどということは心配しませんでした。そうしたことはすべて無視して、私は基本的な基礎に焦点を絞り、そうすることで成功を収め、前進し続けました。その結果、最終的には私の経済も恩恵を受けました。私のアプローチは常に、こうした基礎に焦点を絞るというものでした。

もう一つの強みは、私のリスクを取る能力です。私は自分自身にとっての潜在的な損失を心配しません。もしそれが自国や国民にとって正しいことなら、私は常にリスクを取る覚悟があります。次に、私は自分の決定に責任を持ちます。何かがうまくいかなかったとしても、私は他人のせいにしません。私は立ち上がり、責任を引き受け、その結果を受け入れます。自分が責任を負うと、チームも深くコミットするようになります。彼らは、この人物は私たちを失望させず、見捨てないということを知っています。彼は常に私たちの味方です。なぜなら、私は自分自身のためではなく、国家のために誠実な決断を下しているからです。私は最初から、自分は人間であり、 間違いを犯すことはありますが、悪意を持って行動することはありません。人々は、この言葉をはっきりと覚えています。たとえ何かが計画通りに進まなかったとしても、モディの意図は正しかったと信頼しています。たとえうまくいかなかったとしても、おそらく良いことをしようとしていたのだろうと考えているのです。ですから社会は、ありのままの私を受け入れてくれています。

AI

レックス・フリードマン 02:31:35

あなたは数週間前にフランスのAIサミットでAIに関する力強いスピーチを行いました。その中で、インドのAIエンジニアの才能の宝庫について語りましたね。おそらく世界でも最も優秀なエンジニアの宝庫のひとつだと思います。では、インドがAI分野でリーダーとなるにはどうすればよいのでしょうか?現状では米国に遅れをとっています。インドがAIで世界をリードし、勝利を収めるには何が必要でしょうか?

ナレンドラ・モディ 02:32:09

これから申し上げることは、強い印象を与えるかもしれませんし、一部の人を動揺させるかもしれません。しかし、せっかくの機会ですから、心を開いて率直にお話しします。世界がAIをどう扱おうとも、インド抜きには不完全なままです。私はこのことを非常に責任を持って申し上げています。パリで開催されたAIサミットでの私のスピーチで、世界的な協力についてお話ししたことをご存知ですね。どう思われますか?AIを完全に独自で開発できる人はいるでしょうか? これについて、あなたの見解を聞かせてください。

レックス・フリードマン 02:32:56

実際、あなたのスピーチでは、AIのポジティブな影響とAIの限界を示す素晴らしい例が挙げられていましたね。 私が思うに、その例とは、左手で文字を書く人の画像を生成するように指示したときのことですね。

ナレンドラ・モディ 02:33:17

左手。

レックス・フリードマン 02:33:17

… 常に右手で書いている人物が生成されるでしょう。 つまり、欧米がインドをそのプロセスに組み込まずにAIシステムを構築した場合、常に右手で書いている人物が生成されることになります。これは、歴史的に、特に21世紀において、世界にとって不可欠な要素です。

ナレンドラ・モディ 02:33:43

私もそう思います。AI開発は基本的にコラボレーションだと考えています。関わる人々は皆、共有された経験や学習を通じて互いに支え合っています。インドは理論上のAIモデルの開発だけを行っているわけではありません。社会のあらゆるセクションでGPUへのアクセスが可能になるよう、非常に特定のユースケースを対象としたAI駆動型のアプリケーションの開発に積極的に取り組み、実用化を進めています。すでに、幅広いアクセシビリティを確保するためのユニークなマーケットベースのモデルを構築しています。歴史的な影響や伝統的な政府手続き、強力なサポートインフラの欠如により、インドは他国に遅れをとっているように見えますが、インドでは大きな意識の変化が起こっています。

例えば、5Gを例に考えてみましょう。当初、世界はインドが大きく遅れていると考えていましたが、いったん着手すると、包括的な5Gネットワークの展開では世界最速の国となりました。最近、米国のある企業の幹部が私を訪ねてきて、まさにこの事実について経験を語ってくれました。その幹部は、米国でエンジニアを募集しても、せいぜい会議室一つ分くらいの応募者が集まるだけだろうと私に言いました。しかし、同じことをインドでやれば、フットボール場一つ分でも足りないくらい応募者が集まるだろうと。これはつまり、インドには非常に広大な人材のプールがあるということであり、それが私たちの最大の強みなのです。結局のところ、人工知能は基本的に人間の知性によって動力を得て、形作られ、導かれています。真の人間の知性がなければ、AIは繁栄することも持続的に進歩することもできません。そして、その真の知性はインドの若者や人材プールに豊富に存在しており、それが私たちの最大の資産であると私は信じています。

レックス・フリードマン 02:36:10

しかし、よく考えてみると、米国のトップクラスのテクノロジーリーダーの多くは、まず第一にテクノロジーの才能に恵まれていますが、その多くがインド出身です。スンダー・ピチャイ、サティア・ナデラ、アラヴィンド・スリニヴァスなどです。あなたは彼らの何人かと会ったことがありますね。彼らがこれほど成功を収めることができたのは、インド出身であるということが彼らにどのような影響を与えているからだと思いますか?

ナレンドラ・モディ 02:36:35

インド文化では、自分が生まれた場所と働く場所の両方に等しく敬意を払うべきであると強調しています。違いがあってはなりません。生まれた土地への献身と同じだけの献身を、働く土地にも捧げるべきなのです。どこにいようとも、常に最善を尽くすべきなのです。こうした豊かな文化的価値観があるため、インド人は誰もが、自分の役割や立場に関わらず、最善を尽くそうと努力します。彼らは、たとえ小さな役割であっても、上級職になるまで待ったりはしません。

次に、彼らは疑わしいことや非倫理的なことには決して関与しません。彼らは常に正しいこと、倫理的なことに専念する傾向があります。彼らの本質は協調性です。彼らは他人とすぐに打ち解け、最終的には成功を収めます。知識を持っているだけでは十分ではありません。チームの一員として効果的に働く能力の方がはるかに重要です。人々を理解し、彼らの能力を活用することは、非常に価値のあるスキルです。

一般的に、インドで育った人々、特に大家族出身で開放的な社会で育った人々は、複雑な業務や大規模なチームを効果的に率いることが容易です。 これが、今日、世界中の大手企業でインド人が重要なリーダーシップのポジションを占めている理由です。 インド人プロフェッショナルの分析的思考力と問題解決能力は、本当に卓越しています。 私は、この能力が非常に強力であるため、インド人は国際的に競争力があり、国際舞台で非常に価値があると考えています。これが、イノベーション、起業、スタートアップ、役員室といった分野で、インド人がどこでも素晴らしい成果を上げている理由なのです。

例えば、宇宙開発分野を考えてみましょう。以前は完全に政府が管理していましたが、わずか2年前に民間企業に開放し、今ではすでに200社もの新興企業が宇宙技術に取り組んでいます。さらに、私たちのチャンドラヤーン計画のようなミッションは、非常に費用対効果が高いのです。 インドのチャンドラヤーン計画にかかった費用は、ハリウッドが超大作映画を1本制作する費用よりも少ないのです。 ですから、世界の人々が私たちの仕事の費用対効果の高さを目の当たりにすれば、自然と「インドと提携しよう」と思うでしょう。 そうすれば、インドの才能が世界的に尊敬されるようになるのです。 これが、私たちの文明の精神の特徴であると私は信じています。

レックス・フリードマン 02:39:28

あなたは、この人間的な知性についてお話になりました。AI(人工知能)が私たち人間に取って代わることを懸念していますか?

ナレンドラ・モディ 02:39:38

確かに、どの時代でも、テクノロジーと人間性の間で競争的な雰囲気が生み出されてきました。時には、それが対立として描かれることさえありました。テクノロジーが人間の存在そのものを脅かすかのように描かれることもよくありました。しかし、テクノロジーが進歩するたびに、人間は適応し、一歩先を行くのです。これは常にそうでした。結局のところ、テクノロジーを自分たちの利益のために活用する最善の方法を見つけるのは人間なのです。AIによって、人間は今、人間であることの真の意味を振り返らされているのだと思います。これがAIの真の力です。AIの機能により、私たちは仕事そのものをどう捉えるかという課題に直面しています。しかし、人間の想像力が原動力です。AIはそれを基に多くのものを生み出すことができ、将来的にはさらに多くのことを達成できるかもしれません。それでも、人間の無限の創造性や想像力を代替できるテクノロジーは存在しないと、私は固く信じています。

レックス・フリードマン 02:41:05

私もあなたに同意します。多くの人が、人間を特別なものとしているものは何か、不思議に思っています。想像力、創造力、意識、恐怖心、愛、夢、既成概念にとらわれない思考、リスクを取る能力など、さまざまなものがあります。

ナレンドラ・モディ 02:41:32

人間には、生まれつき互いを思いやる能力があり、互いを気遣う自然な傾向があります。さて、AIにこのような能力があると言えるでしょうか?

教育

レックス・フリードマン 02:41:46

これは21世紀の大きな未解決問題のひとつです。毎年、あなたは「パリクシャ・ペ・チャルチャ」を開催し、若い学生たちと直接交流し、試験対策のアドバイスをしています。私はその様子をたくさん見てきました。試験に合格する方法、ストレスの管理方法など、さまざまなアドバイスをされているのですね。インドの学生が教育課程で受ける必要のあるさまざまな試験について、また、それがなぜそれほどストレスになるのかについて、大まかに説明していただけますか?

ナレンドラ・モディ 02:42:19

概して、現代の社会では奇妙な考え方が広まっています。学校でも、生徒の成績順位で学校の成果を測ります。また、子供が上位の成績を収めると、教育や社会的な地位が向上すると考えるため、家族も誇らしく感じます。このような考え方が、子供たちへのプレッシャーを増大させています。子供たちは、10年生と12年生の試験の結果が、その後の人生を左右すると考えるようにもなりました。

この問題に対処するために、私たちは新しい教育方針に大幅な変更を加えました。しかし、その変更が現場で実施されるまでは、私には別の責任があると感じています。子供たちが困難に直面している場合、私は彼らの話を聞き、理解し、その負担を軽減する義務があります。ある意味、私が「Pariksha Pe Charcha」を行うと、生徒たちから直接洞察を得ることができ、彼らの親の考え方や教育関係者の視点も理解できます。ですから、こうした議論は生徒たちにとって有益であるだけでなく、私にとっても有益なのです。

試験は特定の分野の知識を評価する上で価値がありますが、それだけでその人の総合的な潜在能力を測ることはできません。学業の成績は良くなくても、クリケットでは100点満点を取れる人もいます。なぜなら、彼らの真の強さはクリケットにあるからです。実際の学習に焦点を移すと、成績は自然と向上する傾向があります。

私が学生だった頃、今でも非常に魅力的に感じられる学習法を教えてくれた先生がいました。その先生は私たち子供たちに具体的な指示を出しました。ある子供には「明日、家からひよこ豆を10粒きっちり持って来なさい」と言い、別の子供には「米を15粒持って来なさい。それ以上でもそれ以下でもないように」と指示したかもしれません。また、3人目の子供には「緑豆を21粒持って来なさい。きっちりその数だけ」と言ったかもしれません。生徒によって量や種類は異なりました。そのため、子供たちは「10個きっかり用意しなければ」と考えます。家で数を数えることで、自然に数を暗記できるようになります。そして、ヒヨコマメが何なのかを学び、学校に戻ってからみんなでそれを共有します。すると先生は「ヒヨコマメを10個、ヒヨコマメを3個、緑豆を2個取り出して…」と指示します。

ナレンドラ・モディ 02:45:03

… ヒヨコマメを10個、ヒヨコマメを3個、緑豆を2個。このようにして子供たちは算数を学び、ヒヨコマメと緑豆を簡単に識別できるようになりました。ここで私が話しているのは幼児教育のことです。このような学習法は子供たちに負担をかけずに教育を行うもので、私たちは新しい教育方針に同様の方法を組み込みました。

私が学生だった頃、ある先生が斬新なアイデアを実践しているのを目にしました。その先生は初日、机の上に日記帳を置き、「毎朝一番早く来た者は、ここに自分の名前とともに一文を書くように」と言いました。次の生徒は、その一文に関連した文章を書くことになります。

最初は、毎日とても早く学校に駆けつけていました。なぜか?最初の文章を書くためです。「今日の日の出は素晴らしかった。元気が出ました」というようなことを書いたことがあります。自分の名前を書き、私より後に来た人は、日の出に関連することを書かなければなりませんでした。

数日後、私はこれでは創造性がさほど向上しないことに気づきました。なぜなら、私はすでに考えを固めて到着し、それをただ書き留めるだけだったからです。そこで、私は最後尾に並ぶことにしました。すると、他の人が書いたものを先に読んでから、自分のベストを尽くそうと努力するようになりました。

その結果、私の創造性はさらに向上し始めました。教師の中には、このような小さなシンプルな活動を行うことで、生徒の人生に大きな影響を与える人もいます。このような経験と、私自身の組織運営の経験が組み合わさり、人材開発が私の主な関心事となりました。

そのため、私は毎年1~2回、イベントを通じて子供たちと関わっています。そして、こうした取り組みが、子供たちにとって貴重な参考資料となる本を何千もの子供たちに届けるという結果につながっています。

レックス・フリードマン 02:47:27

学生たちに、キャリアの道で成功を収める方法、キャリアを見つける方法、インドで成功を収める方法について、もう少しアドバイスをいただけますか。また、あなたの言葉にインスピレーションを得ている世界中の人々にもアドバイスをお願いします。

ナレンドラ・モディ 02:47:50

どのような仕事であれ、完全に献身し誠意を持って取り組めば、遅かれ早かれ、その人は必然的にエキスパートとなり、その能力の向上が成功への扉を開くのだと思います。

仕事をしている間は、絶えずスキルを向上させる努力をしなければなりません。そして、学ぶ能力を過小評価してはなりません。絶えず学習能力を軽視している人は、自分の成長を制限してしまいますが、自分の仕事を超えて、周囲の人が何をしているか観察している人は、その能力が2倍にも3倍にもなるのです。

若者たちにはっきり言いたいのは、落胆する必要はないということです。あなたのために用意された仕事が必ずあります。心配しないでください。スキルを磨くことに集中すれば、チャンスは訪れます。

「医者になりたかったのに教師になってしまった。人生が台無しだ」と思うかもしれません。そんなふうに考えても、何の役にも立ちません。確かに医者にはなれなかったけれど、教師として100人の医者を育てることができる。

もしあなたが医師になっていたとしたら、患者さんだけに奉仕することになります。しかし、今、教師として、生徒たちが医師になるという夢を叶えるよう鼓舞し、あなたと生徒たちが一緒に何百万人もの患者さんに奉仕することができるのです。すると、彼は人生に対して新たな視点を得ます。

「医師になることができなかったので惨めで、教師であることに不満を感じていましたが、今では教師として医師を育成できることに気づきました。」 自分の人生を大きな目的に結びつけることで、インスピレーションと意義を感じることができます。私は常に、神はすべての人に独自の能力を与えていると信じてきました。自分の能力を信じることを決してやめてはいけません。常に自分の能力を信頼し続けるべきです。自分を信じ続け、チャンスが訪れたときに自分が成果を出し、成功すると信じてください。その自信が人を結果へと導きます。

レックス・フリードマン 02:50:26

その道程において、ストレスや苦悩、困難にどう対処するのでしょうか?

ナレンドラ・モディ 02:50:33

まず親が理解しなければならないのは、人生は受験だけではないということです。家族は、子供たちが飾るトロフィーでも、社会で自慢するための見本でもないことを理解すべきです。「ほら、うちの子はこんなに成績がいいんだ」などと言うことではありません。親は、子供たちをステータスシンボルとして利用することを本当にやめるべきです。

次に、受験生は常に事前にしっかりと準備をしておくべきです。そうして初めて、ストレスを感じることなく自信を持って試験に臨むことができます。受験生は自分自身と自分の能力を完全に信頼すべきです。

試験中に些細なことで慌てふためく受験生を時々見かけます。試験用紙やその他のものを取ろうとして、突然ペンが使えなくなり不安を感じると、「ああ、この人の隣に座るのは嫌だ」などと不安になるのです。もし机がぐらついたら、彼らの意識はそこに集中し、自信のなさを示します。

自信のない人は、常に気を散らすものを探しています。しかし、自信があり、真剣に努力してきた人は、少し時間をとり、深呼吸をして、心を落ち着かせ、冷静に意識を集中させます。

問題をゆっくり読み、時間を計画的に配分します。「この問題にこのくらいの時間を費やす」と。私の経験では、定期的にテスト問題の作成を練習している受験生は、このような状況を簡単に乗り越えることができ、まったく問題ありません。

学習と集中

レックス・フリードマン 02:52:05

そしてあなたは「常に学習に集中する」と言いました。学習に対するあなたのアプローチは何ですか?若い頃だけでなく、生涯を通じて最善の学習方法について、どのようなアドバイスをいただけますか?

ナレンドラ・モディ 02:52:19

個人的な例をお話ししましょう。私は以前は読書から多くを学んでいましたが、最近は、その場に完全に集中することで学ぶことが多くなりました。誰かと会うときは、その瞬間に完全に集中します。相手に全神経を集中させます。この完全な集中によって、新しい概念を素早く理解することができます。

あなたといるときは、その瞬間に完全に集中し、その場に根を下ろします。電話やメッセージが来ても、あなたとのこの瞬間から私を引き離すことはできません。私は今ここに完全に集中しています。だからこそ、私はこれが誰もが身につけるべき習慣だと信じています。

この習慣は、あなたの思考を鋭くし、学習能力を向上させます。それに、知識だけでは道を照らすことはできません。実践のフローに身を浸さなければなりません。偉大なドライバーの伝記を読んだだけでは、運転を習得することはできません。自分でハンドルを握り、自分で道を走らなければなりません。

リスクを恐れていては、決して道を極めることはできません。事故や死への恐怖に足止めされていては、決して道を極めることはできないのです。私は、今を生きる人こそが、人生を最大限に生きている人だと信じています。なぜなら、彼らは、生きている瞬間はすべてすでに過去のものとなっていることを知っているからです。

ですから、過去のものになってしまう前に、その瞬間をしっかりと受け止めなければなりません。そうでないと、未来を追い求めることで、現在が過去のものになってしまうだけです。そんなことをしても意味がありません。ほとんどの人は未来についてあれこれ思い悩むあまり、現在が静かに過ぎ去ってしまいます。気がつくと、その瞬間はすでに過去のものになってしまっているのです。

レックス・フリードマン 02:54:19

ええ、あなたが人々と会合を開いているという話をたくさん聞きましたが、それは通常、あらゆる雑念が取り除かれた状態ですよね。 ただ、このように2人の人間が、その瞬間と交流に集中しているだけです。 それは本当に素晴らしいことです。 そして今日、あなたが私にその集中力を与えてくれたことは、本当に贈り物です。ありがとうございます。

難しい、あるいは人間的な質問をさせてください。死について考えますか?死を恐れますか?

ナレンドラ・モディ 02:54:54

代わりに私から質問してもよろしいですか?

レックス・フリードマン 02:54:57

もちろんです。

ナレンドラ・モディ 02:54:58

とても興味深い質問です。生と死は表裏一体ですが、どちらがより確かなのでしょうか?

レックス・フリードマン 02:55:09

死です。

ナレンドラ・モディ 02:55:10

その通りです。さて、その話はさておき、私たちは、生命そのものが死のささやきのような約束であることを知っています。しかし、生命は繁栄する運命にもあります。ですから、繰り返しになりますが、生命と死のダンスにおいて、確かなのは死だけなのです。では、なぜ確かなものを恐れるのでしょうか?だからこそ、死を心配するのではなく、生命を受け入れなければならないのです。

そうすることで、人生は進化し、繁栄していくのです。だからこそ、死が訪れる前に、人生を充実させ、磨きをかけ、高めていくことに専念しなければなりません。

だからこそ、死への恐怖を捨て去らなければならないのです。結局のところ、死は避けられません。いつ訪れるかを心配しても仕方がないのです。死は、訪れるべき時に訪れるのです。

レックス・フリードマン 02:56:17

未来に希望を抱かせるものは何ですか?インドだけでなく、人類文明全体、地球上の私たち人間すべてに希望を抱かせるものは?

ナレンドラ・モディ 02:56:27

私は根っからの楽観主義者です。悲観主義やネガティブな考え方は、私の考え方にはまったく根付いていません。私の考え方とは一致しません。だからこそ、私は常に楽観的な考え方に引き寄せられるのです。

人類の歴史を振り返ってみると、人類が驚くべき危機をたくましさや強さで乗り越えてきたことが分かります。また、時代とともに進化するために人類が受け入れてきた大きな変化も見て取れます。そして、この絶え間ない変革は数千年にわたって続いています。

どの時代においても、絶え間なく流れる変化の流れに適応することは人間の本性です。そして、私たちの進歩は浮き沈みのサイクルを繰り返してきましたが、こうした歴史的なサイクルや時代遅れの思考パターンから脱却できる人々こそが、

変化を受け入れることで、旧来のやり方の限界を超越した、自由なスピードと優雅さをもって人類に素晴らしい前進をもたらすことができるのです。

マントラ

レックス・フリードマン 02:57:56

今、少しの間、ヒンドゥー教の祈りや瞑想について教えていただけないかと思いまして。私は、ガヤトリ・マントラを学んでいます。断食中、その詠唱を試みていました。おそらく、詠唱を試してみることができるでしょう。このマントラや、あなたの人生におけるその他のマントラの重要性について教えていただけますか?試してみた方がいいでしょうか?

ナレンドラ・モディ 02:58:31

はい、お願いします。

レックス・フリードマン 02:58:34

[外国語 02:58:34] どうでしたか?大丈夫ですか?

ナレンドラ・モディ 02:58:51

素晴らしい出来でした。 [外国語 02:58:58] このマントラは太陽の輝かしい力に捧げられ、精神的な悟りを得るための強力なツールと考えられています。

ヒンドゥー哲学における多くのマントラは、科学や自然と複雑かつ興味深い形で深く結びついており、それぞれが人生のさまざまな側面に織り込まれています。マントラを日々唱えることは、深遠で永続的な恩恵をもたらします。

瞑想

レックス・フリードマン 02:59:41

自分自身の精神性や静かなひととき、神とともにあるとき、あなたの心はどこへ向かいますか?断食中、自分自身とただ二人きりのとき、マントラはどのような役割を果たしますか?

ナレンドラ・モディ 02:59:57

「瞑想」という言葉は、陳腐な表現のように感じられるほど、使い古されています。インドの言語では、通常「ディヤン」と呼びます。ディヤンを「瞑想」と関連付けると、一部の人にとっては負担に感じられるかもしれません。「これは難しすぎる。私は悟りを開いた存在ではない」と思う人もいるでしょう。しかし、難しいことではありません。ただ、気を散らすものから自分を解放するということです。

たとえば、授業中であっても、心は休み時間にさまよっています。頭の中は昼食のことでいっぱいで、授業のことは何も考えていません。瞑想とは、ただ今この瞬間に存在することなのです。ヒマラヤに住んでいた頃の出来事を思い出します。そこで私は賢者に出会いました。彼は私にシンプルで実用的なテクニックを教えてくれました。それはスピリチュアルなものではありませんでした。

ヒマラヤにはいくつかの小さな小川が流れています。彼は大きな葉を小川のひとつに差し入れ、その下にひっくり返したお椀を置いて、葉から規則正しくお椀に水滴が落ちるようにしました。

私は、他の音はすべて無視して、滴り落ちる水だけに意識を集中するように言われました。「鳥のさえずりやそよ風の音は無視して」と。彼は葉を置き、私はそこで何時間も瞑想しました。水滴がボウルに落ちるリズミカルな音に、自分の心が徐々に同調していくのを感じました。それはまるで、深い集中へと導いてくれるメロディのようでした。

マントラを唱えたり、神の名を唱えたりしていたわけではありません。私はそれを「神聖なる共鳴」と呼びたいと思います。その神聖なる共鳴に同調することで、私は集中の術を学びました。この修行は、ゆっくりと瞑想へと発展していきました。時には、高級ホテルに宿泊し、贅沢で豪華な部屋に泊まることがあります。内装は申し分なく、心から断食をしているのに、バスルームの蛇口から水がポタポタと滴り落ちている。そのかすかな音が、豪華な部屋の価値を台無しにしてしまうのです。

人生の内なる旅において、集中することの価値に気づくことがあります。 少しの集中がもたらす違いを理解するようになります。 聖典から、とても興味深い概念が思い浮かびます。

生と死について話したので、マントラを引用したいと思います。 [外国語 03:03:28] 言い換えれば、すべての生命は完全な円の一部であり、このマントラは完全性を達成するための道を強調しています。

同様に、ヒンズー教徒は個人の幸福のみに焦点を当てることはありません。 [外国語 03:03:52] つまり、私たちはすべての人々の幸福と繁栄を願っているのです。 [外国語 03:04:00] このマントラは、普遍的な幸福と繁栄の考え方を包括しています。

このマントラがどう終わるかご存知ですか? [外国語 03:04:13] ヒンドゥー教のマントラはすべて同じ終わり方をします。 平和、平和、平和。 インドで生まれたこの古代の力強い儀式は、何千年もの間、賢者たちが精神修養を続けてきた結果生まれたものです。 それは私たちを生命の本質へとつなげてくれます。

レックス・フリードマン 03:04:40

[外国語 03:04:40]。この名誉をありがとうございます。素晴らしい対談をありがとうございました。インドに迎えてくださりありがとうございます。明日、インド料理で断食明けを祝うのが待ちきれません。ありがとうございます、首相。光栄でした。

ナレンドラ・モディ 03:04:56

あなたとこうしてお話しできる機会をいただき、感謝しています。2日間断食した後は、ゆっくりと食事を摂るようにしてください。そして、この断食の経験から大きな恩恵を得られることを願っています。

今日、私はあなたとともに、いくつかの新しい思考領域を初めて探求しました。私は長い間、それらの考えを自分の中にしまっておいたのですが、今日、あなたはそれらの考えを明るみに出してくれました。[聞き取れず 03:05:30] ことを願っています。

レックス・フリードマン 03:05:29

ありがとうございます。

ナレンドラ・モディ 03:05:30

視聴者の皆様にもお楽しみいただければ幸いです。お話できてとても光栄でした。ありがとうございました。

インドを訪問中のレックス・フリードマン

レックス・フリードマン 03:05:38

ありがとうございます。ナレンドラ・モディ首相との対談をお聞きいただき、ありがとうございました。それでは、いくつか質問をさせていただき、私が考えていたことを振り返り、明確にしていきたいと思います。質問を送信したい場合や、何らかの理由で私と連絡を取りたい場合は、lexfridman.com/contactにアクセスしてください。

まず、首相を取り巻く素晴らしいチームに感謝の意を表したいと思います。皆さんとても親切で、仕事も素晴らしく、効率的で、コミュニケーション能力も高く、本当に素晴らしい方々ばかりでした。

そして、私が英語を話し、モディ首相がヒンディー語を話したため、私たち両者の同時通訳を担当した通訳者についてコメントしなければなりません。彼女は本当に素晴らしかったです。いくら褒めても褒めたりません。使用された機材から翻訳の質、そして人間的な触れ合いまで、すべてにおいてです。

そして、全般的に、デリーやインドを旅して回ったことで、まるで別の惑星のような、これまでに経験したことのない文化的な違いを感じさせる、別世界のような場所の初期の様子を垣間見ることができました。そこには、人間同士の混沌とした交流があり、ダイナミックな個性やキャラクターがありました。

インドには多くの異なるサブカルチャーがあり、デリーはそのうちの1つに過ぎません。ニューヨークやテキサス、アイオワが単独でアメリカを代表しているわけではないのと同じです。これらはすべて、アメリカという国の異なる側面なのです。

訪問中、私はあちこち歩き回って人力車を乗り回し、ただぶらぶらと街を歩きながら、人々の生活について話を聞こうとしていました。もちろん、地球上の多くの場所と同様に、常に何人かの人々がおり、特に何かを売りつけようとする人々は、まず私を観光客、外国人旅行者、つまりお金を使う人として見るでしょう。

いつものように、私はそのような表面的な交流を避け、世間話からすぐに本題に入りました。彼らが何に情熱を傾け、何を恐れ、人生でどのような苦難や成功を経験してきたかについて、おしゃべりをしました。

地球上のどこであろうと、人々の素晴らしいところは、あなたが弱く、正直であれば、他人が互いに見せている仮面を素早く取り払い、本当のあなたを見抜くことです。そして、私もそれを試してみました。ほとんどの場合、誰もが本物の人間的な方法でとても親切でした。

英語が話せなくても、いつも理解しやすかったです。おそらく、私がインドで交流した他のどの民族よりも、人々の目、顔、ボディランゲージは、多くの情報や感情を、まったく遠慮することなく伝えていました。

例えば、東ヨーロッパを旅した際には、それとは対照的に、相手の心を読み取るのははるかに難しいものでした。この考えにはある程度真実があります。多くの場合、その人の心と外界の間には保護層があります。インドでは、すべてが丸見えなのです。ですから、私は2週間ほどデリーを歩き回って、多くの素晴らしい会話や交流を経験しました。

一般的に、人を読むというテーマについて言えば、私は目から伝わるものが言葉から伝わるものよりも多いと信じています。人間というものは実に興味深い存在です。私たちが世界に見せている表面的な波の裏には、本当に深い荒々しい海が広がっています。ある意味で、私がマイクの前でも後ろでも会話で試みているのは、その深みに到達することなのです。

とにかく、インドで過ごした数週間は魔法のような体験でした。交通渋滞だけでも、まるで自動運転車にとって世界で最も難しいテストのような大混乱でした。

何千匹もの魚が狂ったように高速で泳ぎ回り、完全に無秩序に見える群れを捉えた自然ドキュメンタリービデオを観たことを思い出しました。しかし、全体像を見ると、すべてが完璧に調和したオーケストラのように機能しているのです。

近い将来、友人ポール・ロザリーと一緒にインドを旅するつもりです。もしかしたら、他の友人たちも誘って、インド北部から南部までを巡る旅になるかもしれません。

シッダールタ

次に、私がインドに惹きつけられ、その哲学と精神の伝統の深い歴史に興味を抱くようになったきっかけとなった本のひとつについて、お話させてください。その本とは、ヘルマン・ヘッセ著の『シッダールタ』です。

私は10代の頃にヘッセの主要作品のほとんどを初めて読みましたが、その後も何年にもわたって繰り返し読み返しました。ドストエフスキー、カミュ、カフカ、オーウェル、ヘミングウェイ、ケルアック、スタインベックなど、まったく異なるジャンルの文学作品に夢中になっていた頃に、初めて出会ったのが『シッダールタ』でした。これらの作品の多くは、私が若い頃に困惑し、今もなおさらに強く困惑している、同じ人間の状態を探究しています。

しかし、『シッダールタ』は、これらの問題に対する東洋的な見方を私に紹介してくれた作品でした。ヘルマン・ヘッセによって書かれた作品です。ところで、彼の名字の発音についてですが、ヘッセと発音する人もいると聞いていますが、私はずっとヘッセと発音してきました。

いずれにしても、ヘルマン・ヘッセというドイツ系スイス人のノーベル賞受賞作家が、自身の人生で最も暗い時期に書いたものです。ヘッセは結婚生活に破綻をきたし、第一次世界大戦は彼の平和主義の理想を打ち砕きました。また、衰弱する頭痛、不眠症、うつ病にも苦しめられていました。

この時期、彼はカール・ユングの精神分析を受け始め、それがきっかけとなって、傷ついた精神を癒す方法として東洋哲学を探求するようになりました。ヘッセは古代ヒンズー教と仏教のテキストの翻訳に没頭し、ウパニシャッドやバガヴァッド・ギーターを研究しました。

こうして『シッダールタ』の執筆は、彼にとって、その本に登場する主人公の旅と並行する旅そのものでした。ヘッセは1919年に執筆を開始し、途中で深刻な心理的危機を経験しながらも、3年後に完成させました。この本は、古代インドの青年シッダールタが、富と快適さを捨てて、人生の意味を模索する姿を描いています。ヘッセの個人的な苦悩が、この本のあらゆるページから感じられます。シッダールタの落ち着きのなさ、既成の知恵への不満、真実を見つけたいという欲求、そして直接的な経験。

繰り返しになりますが、この本はヘッセにとって単なる哲学的な探求ではなく、心理的なサバイバルでした。彼は苦しみから抜け出し、悟りを開くために執筆していたのです。ここではこの本の深い分析はしませんが、私がこの本から学び、今でも大切にしている2つの重要な教訓について触れたいと思います。

まず、文学史上に残る名場面の一つであるこの本の場面から学んだことがあります。シッダールタは川のほとりに座ってただ耳を傾け、その川の中で人生のすべてを聞きます。あらゆる音、あらゆる声、過去、現在、未来というすべての時間が、一つに混ざり合って流れていきます。

その場面は、ある意味では、直線的な時間の流れが確かに存在するという経験と概念を私に与えてくれました。別の意味では、時間は一種の幻想であり、実際にはすべてが同時に存在しているのです。私たちの人生は一瞬にして過ぎ去るものであり、同時に永遠でもあるのです。これらの考えを言葉で表現するのは難しい。個人的な啓示として経験すべきものだと思います。

私は、20年前の卒業式のスピーチで、私の好きな作家の一人であるデイヴィッド・フォスター・ウォレスが語った魚の話が思い出されます。その話は次のようなものです。「二匹の若い魚が泳いでいると、逆方向に泳ぐ年上の魚に出会います。年上の魚はうなずいて、『やあ、少年たち。水はどうだい?』と言います。若い魚は泳ぎ続け、やがて片方がもう片方に尋ねます。『水って一体何なの?』」

時間の前進という錯覚が、この比喩における水です。人間として、私たちは完全にそれに浸かっていますが、悟りを開くということは、一歩下がって、時間と空間を越えてあらゆるものが複雑に絡み合う現実の、より深い見方を垣間見る能力を身につけることでもあるのです。

この小説から私が学んだもう一つの重要な教訓は、若かりし頃の私にとって特に大きな影響を与えたもので、それは、他人の意見に盲従したり、本からだけ世界について学んだりしてはならない、というものでした。 むしろ、自分の道を切り開き、人生の教訓は直接経験することによってのみ学べる世界に身を投じるべきなのです。

そして、あらゆる経験、つまり、ポジティブな経験もネガティブな経験も、失敗も、苦しみも、そして無駄に思える時間さえも、すべて成長には欠かせない要素なのです。この点において、ヘッセは知識と知恵を区別しています。知識は他人から教わることもできます。しかし、知恵は、人生のあらゆる混乱を自ら経験することによってのみ、身につけることができます。

つまり、理解への道は、世の中を拒絶することではなく、世の中に完全に浸ることによって得られるのです。これが、東洋哲学のレンズを通して世界を見るという、私の初期の段階でした。しかし、ヘッセの多くの著書が私に影響を与えました。若い頃には『デミアン』、年を重ねてからは『荒野のストッフェンウルフ』、そして人生を通じて『シッダールタ』、特に危機的な状況に陥った時には『シッダールタ』を、そして、人間の心と文明が知識、知恵、そして意味の探求にどのように関わるかを厳密に探求したヘッセの最高傑作である『ガラス玉演戯』をぜひお読みください。

しかし、『シッダールタ』だけは2回以上読み返しています。 私自身の人生において困難な状況に直面した際には、シッダールタが自分にどんな能力があるかと問われ、「私は考えることができます。待つこともできます。断食もできます」と答える場面をよく思い出すのです。

詳しく説明しましょう。確かに、最初の部分は「考えることができる」です。マルクス・アウレリウスが言ったように、「人生の質は思考の質によって決まる」のです。2番目の部分は「待つことができる」です。問題に直面した際には、忍耐強く待つことが最適な判断であることがよくあります。時が経つにつれ、物事の理解が深まり、明瞭になります。

3つ目の部分、「断食できる」について。必要であれば、少ないもので生き、繁栄できることは、心、身体、社会が自分を窮屈な場所に追い込もうとしているときに自由になるための前提条件です。

さて皆さん、残念ながら、このエピソードでの私たちの時間はここまでとなりました。いつも通り、ここにいてくれてありがとうございます。そして、長年のご支援に感謝いたします。

バガヴァッド・ギーターの言葉で締めくくりたいと思います。「生命の一体性を経験した者は、あらゆる存在の中に自己自身を見、自己自身の中にあらゆる存在を見、公平な目で全てを見つめる。」ありがとうございました。また次回お会いしましょう。

AI:「リーダーシップと精神性」についての考察

この対談を深く分析すると、モディ首相の人生と指導者としての姿勢が浮かび上がってくる。まず注目したいのは、彼のリーダーシップと精神性の融合という特徴である。

モディ首相は幼少期に極度の貧困の中で育ち、17歳でヒマラヤに旅立って精神的探求を行い、その後政治の世界に入って世界最大の民主主義国家の指導者となった。この軌跡から、彼の価値観と指導哲学が形成されてきたことがわかる。

彼は常に「国が第一」という原則を掲げながらも、単なる政治的指導者ではなく、精神的な探求者としての側面も持ち合わせている。「私の強さは私の名前にあるのではなく、14億のインド人と何千年もの文化や伝統のサポートにある」という発言は、彼が個人としての力より、国の集合的なエネルギーを重視していることを示している。

断食の実践についての語りからは、彼の精神性と現実世界での行動の融合が見える。断食を単なる食事の制限としてではなく、感覚を鋭くし思考を活性化させる実践として捉えている。オバマ大統領とのホワイトハウスでの会食時に断食していたエピソードも、彼の原則に対する揺るぎない姿勢を示している。

インドという国家の特性についての彼の説明も興味深い。様々な言語、文化、習慣が存在するにもかかわらず、共通の文化的絆によって一つにまとまっているというインドの姿は、モディ首相の統治哲学とも通じるものがある。多様性の中の統一性という概念は、彼のリーダーシップの根幹を成している。

国際関係における彼のアプローチも注目に値する。「インドは仏陀とガンジーの国」として平和の代表であると述べ、ロシア・ウクライナ紛争やインド・パキスタン関係など困難な状況においても対話と平和を優先する姿勢を示している。トランプ前大統領や習近平国家主席との関係にも見られるように、彼は個人的な信頼関係の構築と国益の追求のバランスを取っている。

2002年のグジャラート暴動についての質問への回答では、彼は状況の文脈を説明し、司法によって無罪が確定したことを強調している。批判に対する彼の姿勢は「批判は民主主義の魂である」と述べつつも、「批判」と「告発」を区別している点も興味深い。

インドの選挙制度についての説明から、彼の民主主義に対する深い信念が伝わってくる。9億8000万人の有権者、100万以上の投票所、たった一人の有権者のための投票所設置など、インド民主主義の規模と徹底ぶりは彼の誇りであり、彼自身の政治的正統性の源でもある。

彼の意思決定プロセスの説明からは、複数の情報源から学びつつも最終的には自国の特性に合わせた判断をする姿勢が見て取れる。モディ首相はコロナ禍において、ノーベル賞受賞者を含む多くの経済専門家たちから、世界中の様々な国の例を挙げて大規模な金融支出を行うよう助言を受けていた。政党からも大量の支出を行うよう圧力がかかっていた。

しかし、モディ首相はこれらの提案に即座に従わず、立ち止まって自国の状況に合った独自の方針を検討した。彼が選んだ道の核心的な原則は以下のようなものだった:

  1. 貧しい人々を飢えさせない
  2. 日常的な基本的ニーズをめぐる社会的緊張を発生させない

世界中で経済が崩壊し、多くの専門家が「財政を空にして、通貨をさらに発行し、あらゆる場所にお金を流す」という方針を勧めていたが、モディ首相はこれが正しい経済的道筋ではないと判断した。

その結果として、コロナ後に世界中が深刻なインフレに苦しんでいる中、インドはそうした問題を回避することができたとモディ首相は述べている。彼は、「今日、私の国は急速に前進しており、世界で最も急成長している主要経済国の一つとして浮上している」と成果を強調している。

つまり、インド独自の道とは、グローバルな経済理論を盲目的に適用するのではなく、インド固有の状況と基本的原則に焦点を当て、国民の基本的ニーズを最優先にした経済対応策を指している。そしてモディ首相によれば、この独自のアプローチが結果的にインド経済の強靭性と成長をもたらしたというわけである。

AIについての見解では、「インドなしではAI開発は不完全である」と断言し、インドの若者や人材プールを最大の資産としている。これは技術的進歩においても国家のアイデンティティと人材の重要性を強調する彼の考え方の表れである。

教育に関する彼の見解も、単なる成績や試験だけでなく、全人的な成長と学びの過程を重視するものである。彼自身の教師から学んだ実践的な教育方法のエピソードは、彼の教育哲学の基盤となっている。

瞑想と集中についての彼の説明は、ヒマラヤでの経験から得た知恵を現在の忙しい政治生活にも活かしていることを示している。「現在に生きる人々は人生を最大限に生きる人々である」という彼の言葉には、政治家としての彼の実践的な精神性が表れている。

モディ首相の人生と指導者としての姿勢を総合的に見ると、彼はインドの伝統的な価値観と現代の政治リーダーシップを融合させようとしている人物だと言える。彼の言葉によれば、「外からは指導者や首相と呼ばれるかもしれないが、内面には揺るぎない精神的な誓約がある」のである。

彼の政治的業績への評価は様々あるだろうが、この対談から読み取れるのは、彼が精神性と実践的な政治指導力を調和させようとする姿勢である。インドという多様で複雑な国を率いる上で、彼は国家の一体性と世界での存在感を高めるために、伝統的な価値観と現代的な手法の両方を活用している。

特に興味深いのは、彼の権力観である。彼は自らを「パワフル」とは考えず、「謙虚な奉仕者」と位置づけている。「首相ではなく、第一の奉仕者」という表現は、彼の指導者としての姿勢を象徴している。権力を目的ではなく、奉仕のための手段と捉えるこの見方は、彼の精神的背景から来るものだろう。

また、彼の断食の実践は単なる宗教的慣行を超えて、身体と精神を整え、感覚を鋭くし、思考を活性化させるための科学的プロセスとして語られている。これは彼の精神的実践と政治的リーダーシップの接点を示す例である。

インドの民主主義に対する彼の誇りも印象的である。世界最大の民主主義国家を運営する複雑さと、それが成功していることへの自負が彼の言葉から伝わってくる。彼にとって選挙は単なる政権獲得の手段ではなく、民主主義の壮大な表現なのである。

国際関係における彼のアプローチは、「インドは仏陀とガンジーの国」という自己認識に基づいている。平和の追求と国益の確保のバランスを取りながら、インドの伝統的価値観を世界に広げようとする姿勢が見て取れる。

モディ首相の人生と指導者としての姿勢を深く分析すると、彼が精神性と政治指導力の融合を体現する人物であることがわかる。彼の言葉によれば、「外部の人々は私を指導者や首相と呼ぶかもしれないが、深い内面には揺るぎない精神的な誓約がある」のである。この精神性と現実政治の調和こそが、彼のリーダーシップの本質かもしれない。