今、医者から連絡があり、、良いニュースではありませんでした。何年も闘病してきた私の癌は進行しており、治癒につながるかもしれない最後の試みをかけているところです。しかし、失敗の見込みは不愉快なものです。
ですが、ここ数年、何度もこのことを経験してきました。そして意識して生きている人には、何かが起きるというか、すごくいいことが起きるんです。
それは毎日を生きているようなものです。そして、時間に感謝するようになります。
現実には、哲学的に考えてみれば、生まれてから一日一日を死んでいます。
永遠に生きる人はいません。20年生きる人もいれば、数年しか生きない人もいます。しかし、創造の壮大な計画の中では、それは有限です。ですから、私の考えでは、いつどのように死ぬかは重要ではありません。
それよりも、どう生きるかの方がずっと重要なのです。いつ、どのように死ぬかは、自分ではどうにもならないからです。
しかし、どう生きるかは、自分でコントロールできます。どう考え、どう話し、どう行動するか、それは人間の自由意志と意思の範囲内なのです。
だから、私が人々にアドバイスするのは、あなたが与えられた人生の意識という贈り物に感謝することです。
おめでとう、なぜなら、時間のすべての瞬間は、レクリエーション活動だからです。だから、それは私たちが存在するために、ダイナミックに関与しているのです。
もしあなたが目覚めたのなら、それは彼があなたにそうあってほしいと望んでいる証拠です。そして、あなたが仕事を終えていない証拠でもあるのです。
そして、善意や親切な行為によって、世界は償還され、正されると私は思っています。
たとえ剣が首にかかっていても、決してあきらめてはいけないのです。私は首に剣を突きつけられたと感じました。しかし、私はまだ希望を持っています。
そして、私は今までの人生で最も静謐で穏やかな気持ちで生きています。それはとても直感的なことです。
というのも、この2年間に私は殺戮と悪意ある悪に接してきており、そのような心の平和は期待できないでしょう。
しかし、私が気づいたのは、神の意志と一致しているとき、あるいは一致しているように見えるとき、ある種の静寂の贈り物を与えてくれるということです。
ところで、それは簡単なことではありません。とても難しいことですが、だからどうしたというのでしょう!絶え間ない闘いです。でも、あれだけの苦しみを経験しても、やっぱり手放せませんね。
ところで、この挑戦は、誰にも頼んでいませんし、誰からも頼まれていません。
ですから、私が経験してきたように私は経験しているのです。
この穏やかさは、本当に私がずっと求めていたものです。
それを得られたことに、とても感謝しています。