不活性な「平衡」状態へ急激に崩壊していくのを避けることが、生物をこれほど不思議な存在にしている。
エルヴィン・シュレーディンガー
普通に答えようとすると、「アミロイドβがー」「タウタンパクがー」、みたいな話になるのだが、たぶんその方は、そういうことを聞こうとしていたのではないと思う。
「アルツハイマー病とは何ぞや」という問いは、切り口が広いのでいろんな答え方があると思うが、ちょっと自分の興味にひきつけて、違う角度から思ったことを書いてみたい。
最近、たまたま読んだ論文で(内容は難しすぎるので結論だけだけど(汗))面白いと思ったものがあって、アルツハイマー病患者の脳では、情報エントロピーが減少している(脳内の無秩序の度合いが減少している)というものである。
「哲学的な何か、あと科学とか 」
※とりあえず当記事では、エントロピーを専門的な定義ではなく通俗的な無秩序という意味で使うことにする。(汗)
この宇宙にある、あらゆる物質のエントロピーは、時間とともにどんどん増大していく。(熱力学第二法則)
sweettalkconversation.com/2016/05/06/the-information-entropic-proof-of-god/
もちろん宇宙や惑星のみならず、生命も、人間も、身体、一個の神経細胞でさえほっとけば無秩序へ向かい、最終的にはすべてが均質化し何も生起しない状態(宇宙の死)へと向かう。
※かなり余談だが、熱力学第二法則は物理の基本法則なので、どうやっても逃れられない。にも関わらずそのエントロピー増大に逆らって際限なく拡大を目指す思想をエクストロピズムといい、その信者を「エクストロピアン」信じない人を「デスイスト」と呼ぶ(笑) 自分はどっちだというわけでもないのだが、単にこういうスケールの大きい考え方が大好きである。(宇宙のエントロピー増大による熱的平衡が訪れるのは早くても数百兆年後!エントロピー増大対策関連法案が国会で審議されるのは早くても1000億年先の話だろう(笑))
我々人類や生命は秩序を作り出し、一見、エントロピーの増大に逆らって生きている。(ように見える)
生命同士で負のエントロピーの奪い合いをしているとも言えるが、偉大なる太陽から!莫大な低エントロピーのおこぼれに預かっているため、地球だけを見ればエントロピーは低く抑えられている。(地球の無秩序化を防ぐことができている)
そして老化とは、このエントロピーの増大に抗しきれなかった、とも言える。
エントロピー増大の法則という名の風化作用に、徐々に負けていくプロセス、それが老化なのである。 福岡 伸一
話を戻すと、最初に紹介した論文では、アルツハイマー病患者の脳をMEG脳磁(脳の電気的な活動によって生じる磁場)で計測したエントロピーは熱力学のエントロピーではなく情報エントロピーである。
情報エントロピーと熱力学のエントロピーには深い関係があり、それらがどの程度に同じものなのかという点について議論はまだ別れている。
情報エントロピーとは簡単に言ってしまうと
- 普通の出来事の起こりにくさ(レアな出来事の起こりやすさ)
- 選択肢の数
- 不確実さ(わからなさ)
の度合いである。
- 普通の出来事ばかりが起こりやすい。(突発的なことは起こらない)
- 選択肢が少ない。
- 確実である。決定されてしまっている。
一般に熱力学エントロピーと情報エントロピーは一致しないが、 熱力学エントロピーが増大すると、情報エントロピーが減少することもあると言われている。
ちなみに、事故などで損傷を受けた脳を脳磁図によって計測すると、アルツハイマー病患者の脳とは反対に、情報エントロピーは増大している!
しかし、実際にはアルツハイマー病患者の脳の情報の秩序・規則性は高いのである!
わざと仕組みをやわらかく、ゆるく作る。そして、エントロピー増大の法則が、その仕組みを破壊することに先回りして、自らをあえて壊す。壊しながら作り直す。
この永遠の自転車操業によって、生命は、揺らぎながらも、なんとかその恒常性を保ちうる。
壊すことによって、蓄積するエントロピーを捨てることができるからである。
「動的平衡2」 福岡 伸一
ここから、アルツハイマー病とは何かという話につながってくるのだが、ひょっとするとアルツハイマー病とは、外部環境から情報として入ってくる情報エントロピーをうまく処理することができない病気なのではなかろうか?(もしくはそういう考え方は可能だろうか?)
わかりやすく言い換えると、秩序のある情報が脳に入ってきた時に、それらが脳の中で複雑に入れ混じって混乱をきたしているどころか実は反対のことが起きていて、情報の規則性を噛み砕けず未消化のまま(低エントロピーのまま)脳に残ってしまうというようなことが起きているのかもしれない。
説の名前を忘れてしまったが、大昔に「精神疾患なるものは存在しない。個人の側に問題があるんじゃなくて、外部環境と脳内の情報が一致しないことに問題があり、むしろ外部環境の側に問題があるんじゃないの?」みたいな仮説が心理学会で唱えられたことがあった。 ※今ではそんな単純じゃないよ、と否定されている。
もし、脳内と外部環境の情報の不一致という観点だけを借りて「他の多くの精神疾患においては、脳内の配線接続のズレによって、脳と外部環境の不一致さが生じる」といえるのなら、対比的にアルツハイマー病や認知症の場合は「過剰な秩序(低いエントロピー)が社会の複雑さに対応できない、その単純対複雑のギャップが問題を起こしている」という対比も可能かなではなかろうか。(もっと入り組んでいるのが実情だろうが)
人間は体を作る物質は、物質として不均一性を保っているが、それだけではなく、体の秩序という意味で、別のレベルでの不均一性を保っている。遺伝情報という形でも、自己の体の設計図を保持していて、この不均一性は子孫に伝えられる。さらにエントロピーの放出を集中して行うのが脳であり、その過程で思考や記憶という「情報」つまり不均一性が生み出される。記憶も不均一性のひとつであるから、思い出は、死んだ人の残した不均一性と考えられる。「エントロピーから読み解く生物学」佐藤 直樹
いずれにしても、もし
「アルツハイマー病とは脳内の情報エントロピーが低い疾患であり、情報エントロピーの増大を促すことで改善につながる」という仮定が採用できるなら、
ごく一般的に言って、非平衡システムの構造が安定していることはまずない。ゆらぎが大きく育ち、ある臨海規模を超えると、どのような構造も新しい体制へと移行していく。
このことは、システムの動態に<質的>な変化が起こることでもある。そして、新たな動的体制へと移行することで、エントロピー生産能力を回復する。
このプロセスは、広い意味で生命そのものであるとみなすこともできるだろう。
生命は、つねに先へと進んでいく。
「確実性の終焉」イリヤ・プリゴジン
・普通の出来事ばかりが起こっている。
・選択肢がない。(少ない)
・確実である。決定されてしまっている。
・新しい出来事を発生させる。
・選択肢を増やす
・不確実な(ギャンブル的、予測不能)要素を付け加える。
MENDプログラムの作用機序からみた改善の可能性を一旦脇においたとしても、MENDプログラム自体のもつ新しさ、選択肢の多さ、不確実さが脳の情報エントロピーを増加させることは間違いない。
そこで、MENDプログラムは複雑すぎると思う人が多いかもしれないが、アルツハイマー病を改善する方法は知られているだけで数千以上あり、可能な組み合わせパターン数は宇宙に存在する素粒子の数を余裕で超える。
ブレデセン博士は、MENDプログラムの実行率を高めることで、プリオンネットワーク全体が働き出し改善の閾値効果を見せると語っていたが、イリヤ・プリゴジンが語るような「非平衡システム(散逸構造)の質的変化により、脳のエントロピー生産能力が回復する」という説明の仕方から何か考えられはしないだろうかとも思ってみた。
生体内の代謝における各レベルの散逸構造
代謝過程レベル1
高分子化合物を単量体に分解したり、単量体から高分子化合物を合成する過程
代謝過程レベル2
単量体を分解して他の物質に変換したり単量体を合成する過程 解糖系など
代謝過程レベル3
認知機能は、クロスワードを一回でも多く解くことではなく、新規性、多様性、チャレンジ性に富んだ方法で、認知的な許容範囲を延長して広げることにある。
ブレインフィットネスガイド「脳を最適化する」
これって、そのまま以下のように当てはめられないだろうか?
また「新規性」「多様性」はすべて対象をより複雑化させる。
そして、この「新規性」と「多様性」を演繹的に考えることが許されるなら、脳トレだけでなく、食事であったり、運動療法、音楽療法などといった他のことにも適用してみることで、適度なエントロピーを維持し、認知機能の改善につながってくれるかもしれない。
ただ、どのように対象物に新規性を加えるのか、または多様性を加えていくのかによって、逆説的だが、かえって新規性も多様性も損なわてしまう可能性もある。
このことについての説明は長くなるので、また別途記事を作っていきたい。
お城の石垣は、大小さまざまな大きさ、形の石が組み合わさってできていて、それによって、地震にもびくともしないものになっている。
「エントロピーから読み解く生物学」佐藤 直樹