何もしなければ結果は最悪だが責任は回避できる

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「やってくるこの毎日が人生だと知っていたら!」

スウェーデンのことわざ

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見知らぬ悪魔より知ってる悪魔

個人的にニュースを見てていつも思うのは、人は、テロなど目先の新しい恐怖に反応はするけれども、どこにでも起こっている当たり前の、そしてもっと恐ろしい地獄には、そこまで気を留めないでいられるという性質があるのかな、と思ったりもします。(わたしもその一人です。自覚的ではありたいと思っていますが…)

交通事故で人が毎日死んでも誰も気にしないように、テロが毎日当たり前のように起こるようになれば、人は麻痺してテロを問題と感じなくなる気もします。

北朝鮮のミサイル発射に国民が驚かなくなってきているように。。

自然現象への警戒心は低い

わたしは、認知症の本当の危険性は、

「もう歳もとったし、だれでもあることなんだから」

と、どこかで思っている無意識的な慣れではなかろうか、という気もしています。

介護うつ

「毎日徘徊に付き添い、夜もトイレ介助に3,4回起こされ、もう自分が死ぬか、相手が死ぬかしか考えられない日々でした。自分の人生に価値を感じたら、介護は続きません」

30代で祖父・父・母を介護した女性

もちろん本当に慣れてしまえば、それでもかまわないのかもしれません。

しかし現実を見れば、1300万人の介護者が存在し、4人に一人が介護うつ(つまり介護のうつ患者は300万人以上)にかかっているというのが今の状況です。

うつの兆候を示す人たちを含めるなら、介護者の半数近く(650万人)が介護うつに該当するとも言われています。

介護うつ 介護うつの現状と介護うつにならないために大切な考え方

介護自殺 毎日新聞 自殺者数 介護疲れ動機が増加

社会全体の見て見ぬふり

日常生活に支障をきたしている認知症患者だけに限っても約345万人(2015年)、徘徊や失禁などの重い症状に至っている方は200万人もいながら、彼らが、テレビはもちろんのこと学校教育にも政治の場にも、けして公共の世界に出てくることはありません。

初めて特別養護老人ホームに行った時、我々が親しんでいる日常とは全く異なる世界が存在することに衝撃を受けました。しかし、それ以上に驚いたのは、マイノリティーでも悪でもない彼らが、社会全体から完全に見て見ぬふりをされていることでした……

深刻さの欠落

テレビで特集とか組んでるじゃないかとか思う方もいらっしゃるかもしれませんが、圧倒的に深刻さと頻度が足りないのです。

メディアの問題を嘘か本当かで捉える方が多いのですが、メディアの真の問題は大衆との相互作用による情報の増幅装置となっていることであり、そのことが小さな問題を過剰に強調し、大事な問題を過小評価していること、そして致命的なのはそうであるという認識がお互いにほとんど欠けていることです。

人間はこの地球がどうなろうと、ちっともかまわないと思っているということだ。

わたしには、みんなそろって、その日暮らしのアル中のようだとしか思えない。あと数日生きられれば、それで十分だと言わんばかりだ。

自分の孫の世代が暮らす世界を夢見ている人など、私の周りには数人しかいない。

カート・ヴォネガット

認知症患者の誕生サイクル

いずれにしてもこの悲惨さのオブラートは社会の優しさなのか、我々が臭いものにフタをしたい感情があるからなのかわかりませんが、リコード法を知った後となっては、そこで認知症問題に人が強く目を向けない → 認知症になる人が生まれる、といったことが繰り返されているようにも見えます。

ブレデセンプロトコル(リコード法)に基づいた認知症予防策が徹底されれば、少なくとも現在の潜在的な認知症予備軍の半分以上は救われます。

待つという愚策

そして、このことをこれまでの医療の証明方法では実証が難しいからと、(しかもその問題の性質さえも議論もしないまま)10年、20年とただ月日が流れるのを待ち続けるのか?

津波が目前に迫っているときに、その橋を渡れば逃げれるかもしれないのに、橋の工事関係者も通行許可を出す人間も、協力しないどころか閉ざしたままでいる。

いやさらに言えばその橋があることさえ伝えようとしない…

数千人がすでに渡っているのを目前にしながら、関係者はみな黙ったまま、、他に逃げる場所もなく、必死の覚悟で聞けば、答えはきまって「いや、あの橋は安全検査をしていません」です…

中にはそういう人もいる、とかではなく、日本人ほぼ全員です。。もう何かが狂っているとしか思えません。

深刻さに気づかれない認知症問題

経済的にも個々人の問題としても、ここまでインパクトのある社会問題は他にはそうそうなく、ガンやエイズ、原発の停止(1.3兆円)TPPの廃止(3兆円)などでさえ、認知症問題の深さには及びません!

費用(医療経済)で語らなければ通じない人がいるため数字で書いていますが、人道的社会を掲げるならば同コストであっても優先的に取り組むべき問題ではないでしょうか。

ギャップが激しい認知症の問題意識

一人の死は悲劇だ。しかし100万人の死は統計上の数字に過ぎない

スターリン

認知症ほど、世間の心配の程度と、その問題の本当の深刻さに、ギャップがある問題もないんじゃないでしょうか。

テロ事件と認知症問題を扱った総放送時間を死者数で割って比べてください。

問題の性質が違うという人がよくいるのですが、テロの日本人死者が(海外で)数人であるのに対して認知症患者は60万人です。この10万倍という数の違いを無視してもいいほどに、認知症問題は(テロなどと比べて)話題性を必要としない問題なのでしょうか?

誰も本当の意味で深刻さに気づいていない

これはテレビや新聞は嘘をついているとか、騙そうとしているとかいったレベルの批判ではありません。現在のニュース、報道が持つ最初からもっている原理的な自己矛盾に根ざしているのです。

間違っているとかいう話ではなく、われわれの感情の仕組みは現代社会の複雑さに対応できないにもかかわらず、権利だけは与えられてしまっているという主権問題であり、さらにはそのミスマッチに多くの人が気づいていないということです。

問題が大きくなればなるほど、人々の関心は小さくなる

アメリカの同時多発テロでは5000人の方が亡くなって3000億円の寄付が集まり、マラリアではその6万倍の3億人が亡くなり未だに続いていますが、集まった寄付1000億円以下です。

行動経済学によると、マラリア、エイズに寄付が集まらない、関心が寄せられない理由は、

寄付が誰をすくうのかわからない」

「聞きすぎて鈍感になっている。」

「ニュースにならない。」

「感情にはピークがある。」

「イメージが思い浮かばない」

ということがマラリア治療への関心の低さとなっているそうですが、これはそのまま認知症に対する世間の関心の低い理由とも一致します。

この地上で過ごせる時間には限りがあります。

本当に大事なことを本当に一生懸命できる機会は、

二つか三つくらいしかないのです。

スティーブ・ジョブズ

実行しないリスク

「リスクをとることこそリスクから逃れる最高のすべです。だから、いまリスクテイクすることは未来のリスクを最小限にすると、私は自分に言い聞かせています。」

羽生善治

責任をとらなくてい未実行リスク

一般論として、医療にかぎらず人の心も、社会の仕組みも「実行するリスク」ばかりに焦点を当てており、「実行しないリスク」というものは、その性質上見えにくい、わかりにくいということもあり、それらを含めた判断や話し合いがされることはあまりありません。(責任の所在が発生しにくいという面も大きいと思います。)

わかりにくい未実行リスク

「これをして、もし何かあったらどうするんだ!」とはよく言われますが、

「これをしなくて、もし何かあったらどうするんだ!」と人はあまり言いません。

例えば足腰が弱い老人を、「散歩させて、もし事故でもしたらどうするんだ」と言うのは誰でも思いつきますが、「散歩させないで、もし代謝能力が低下してうつになり、寝たきりになるリスクを高めたらどうするんだ」と言うには一定の知識が必要です。

またそのリスクも差し迫ったものでもないので、個々の判断だけで見てしまうと前者が正しいようにも思えてきます。

責任追求型社会の最大の問題は、「責任をとれ」と迫る時、それが見えやすい一部の責任しか考えられておらず、因果関係の見えにくい「実行しない責任」は見逃される傾向にある点です。

蓄積して破綻する未実行リスク

しかし、こういったことを繰り返していると最終的には「全体としての実行しないリスクや損失」が「実行するリスク」を上回ってきます。

普通に受け身で考えずにすごしていると、そもそも何が「実行しないリスク」なのか、わからないため、自分たちが非常に多くの目に見えないリスクに対面しているということに気づかずに過ごしてしまいがちです。

※一部の遺伝性などによる先天性の病因を除けば、病気になったことが、私や私の母もそのリスクに気がついていなかったことを意味しているかもしれません。

責任回避が実行リスクと未実行リスクの不均衡を作り出す

医療エビデンスは厳格性がありすぎてもゆるすぎても、この「実行しないリスク」(機会損失)が増大してしまいます。

現在のエビデンスの厳格性は、社会全体の公益性から見たコンセンサスに基づいて設定されており、個人の機会損失を最小限にするように考えては作られていません。

これが命に関わらないような病気であれば、まだ、それでも許されるのかもしれませんが、アルツハイマーなどの命に関わる病気は「実行しないリスク」に多面的に囲まれており、そのことに気が付かないと、そのまま世の中の常識という枠組みの中で命を落としかねません

みんなでタイタニック号に乗って溺れよう

「みんな、そうしているし」というセオリーが使えるのは、

それで”みんなが上手くいっているときだけ”です。

タイタニック号に乗っていて一番危険な行為は、何をしたかではなくみんなと一緒に何もしないことです。

人生の中におけるそういった実行しないリスク、つまり様々なタイタニック号にわれわれは乗り込んでおり、当然、認知症だけではなく、病気、交通事故、自然災害あらゆることにひそんでいるため、そのリスクの1つにすぎない認知症に、発症前から注意深く気を配るのはなかなか難しいと思います。

リスクが高まるほど選択は容易になる

人間、誰しも失敗はするもんだから、失敗したときはスピードでカバーすればいいんだよ。

盛田昭夫

 

驚かれるかもしれませんが、患者の病状が深刻であればあるほど、改善策の判断としては簡単であり、逆に健康な人にどんな健康法が良いかという判断は一番難しかったりします。

というのも、どんなに良いと思われる治療策や健康法にもほぼすべてにトレードオフの関係(メリット・デメリット)が必ずあるからです。

すでに健康な人はその二つが均衡しており、例えば身体に良いと言われるサプリメントを摂取することが、長期的にみてどこでどう代謝のバランス崩すか誰にもわかりません。

 

一方で、病気で死が目前に迫っている方や、認知症を発症している方は、現在の病気を克服することに比べれば、多くのことが犠牲にしていい、またはそれらがはっきりするため、判断自体は行いやすい面もあるのです。

例えば血管新生を誘導する薬というものは認知機能を改善する可能性をもっていますが、一方で腫瘍の補給経路ともなりうるため、癌になるリスクを高めたりします。

また、あまり知られていませんが、抗がん効果のあるサプリメントや薬の中には、幹細胞の消費によって治療効果を発揮するものも多く、そのことによって絶対寿命を縮めたりもします。

しかし、それらは、目前の解決すべき問題があり、何を犠牲としていいかがはっきりしているため、判断基準の優先順位をつけることに関してはむしろ容易だったりします。

そういった、今手元にある選択可能なチャンスを活かすには、どれだけ改善策にスピードをもって実行できるか、問題の深刻さと、何が自分にできるのかを理解し、覚悟を決めて切り替えができる人が、最終的に改善・抑制できるかどうかの袂を分かつのだろうと思います。

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