The Possibility of Civil Resistance Against Psychological Warfare by Those in Power: Considerations Based on Tarō’s Theory of Social Movements
by Alzhacker
要点だけ理解したい方のために、要約した紹介記事をnoteに投稿しました。↓
https://note.com/alzhacker/n/ne03b4b5c1060
はじめに:見えない戦争の中で
ここにいる読者のみなさんの多くはは、2020年から始まった一連の出来事が、単なる公衆衛生上の危機対応ではなく、一部の権力者による意図的な計画によって起こったということは、すでに知っていると思う。
『「Covid-19」心理作戦、そしてテクノクラシーとの戦い第1巻』の著者であるデビッド・A・ヒューズ博士は、その計画について最も徹底的に分析し、洞察を与えてくれる専門家の一人である。リンカーン大学で国際関係学を教えるヒューズ博士は、2020年から始まった事態を「宣言されざる世界的階級戦争」として捉え、それが自由民主主義をテクノクラシー(技術官僚制度)に置き換えようとする試みだったと主張する。
この本は、心理戦、トラウマに基づく精神支配、認知的攻撃、社会的分断の手法など、権力が市民に対して用いた様々な戦術を詳細に分析している。一見すると陰謀論のように聞こえるかもしれないが、ヒューズ博士は膨大な学術的証拠を積み重ねて、その主張を裏付けようとしている。
要約版はこちら。

では、もしこうした分析が部分的にでも正しいとしたら、私たち市民はどのように対応すべきだろうか。現在多くの立ち上がった人々が、様々な方法を提案している。全体としては、利便性を拒否し自給自足を促すものが多い印象がある。
『テクノクラシーからの脱出&構築戦略』James Corbetthttps://t.co/3ehzZCC83I
「私たちが待っているのは、次のポピュリスト英雄が現れてテクノクラシーから私たちを救ってくれることではない。計画を信じることでもない。これらはどれも現実的な解決策ではない」— Derrick Broze… pic.twitter.com/ewnQq12XiC— Alzhacker (@Alzhacker) June 9, 2025
それぞれに興味深くはあり重要だとは感じるものの、個人の提案であるがゆえに戦略的に洗練されているとは言い難く、多くの場合アイディアの提案にとどまっている。
このような状況下で、市民がテクノクラシーに戦略的に対抗するためにはどうするべきかと考えてきた。社会運動に関する学術的研究を読み漁り、そこで出会った研究、それが、現代社会運動研究の第一人者であるシドニー・タローの理論である。
1938年生まれのアメリカの政治学者であるタローは、比較政治学や集団行動、社会運動、紛争政治の分野で世界的に知られており、特に『Power in Movement』(1994年)や『Contentious Politics』(共著、2015年)を通じて、社会運動のダイナミクスを体系的に分析していた。彼の研究は、単なる反発ではなく、構造的な変革を可能にする条件を探ることに焦点を当てており、現在の「テクノクラシーからの脱出」というテーマに深く響き合う。
タローの社会運動論とは
シドニー・タローは『運動の力:社会運動と紛争政治』において、社会運動を「共通の目的と社会的連帯に基づく集合的挑戦であり、エリートや権威、対立者との持続的相互作用」として定義している。彼は社会運動の成功と失敗を左右する「四つの力」を特定した。
- 第一の「フレーミング」は、不満や要求を意味づけ、正当化する解釈枠組みである。同じ状況でも「不正義」として認識されなければ運動は起かない。成功する運動は、既存の文化的シンボルと新しい意味を巧みに組み合わせ、人々の感情に訴える物語を構築する。
- 第二の「動員構造」は、人々を集合行動へと組織化する公式・非公式のネットワークと組織を意味する。労働組合、市民団体、SNSグループなど、既存の社会的つながりが運動の基盤となる。重要なのは、強い紐帯だけでなく「弱い紐帯」も動員において決定的役割を果たすことである。
- 第三の「行動レパートリー」は、ある時代・社会で利用可能な抗議の形態全体を指す。デモ、ストライキ、座り込みなど、文化的に理解され、受け入れられる行動様式である。18世紀の地域的で直接的な暴動から、19世紀の全国的で組織的なストライキへ、そして現代のデジタル・アクティビズムへと進化していた。
- 第四の「政治的機会構造」は、運動の成功可能性を左右する政治環境である。政治的同盟者の存在、エリートの分裂、国家の抑圧能力、国際的圧力などが含まれる。
これら四つの力は独立して作用するのではなく、相互に影響し合いながら運動の軌跡を形作る。タローの理論の革新性は、運動を静的な現象ではなく、これらの要素が絡み合う動的プロセスとして理解した点にある。
要約はこちら

タローの理論の特徴は、社会運動を静的なものではなく、常に変化し続ける動的なプロセスとして捉えることである。運動は権力との相互作用の中で発展し、時には成功し、時には失敗し、しかし常に社会に何らかの痕跡を残していくものだと言う。
社会運動が複雑であることに呼応して、タローの理論も非常に複雑なものとなっており、一読しただけではなかなか理解できない。以下では、権力が市民に対して用いた様々な戦術に対して、AIの力も借りながら、どのようにタローの戦術がテクノクラシーの課題に応用できるかをわかりやすく見ていくことにする。
現代の心理作戦に対する抵抗戦略
1. フレーミングの対抗戦略
タローの「フレーミング」理論は重要な示唆を与える。デイヴィッド・スノーらの研究を基に、タローはフレーミング(framing)を「外の世界」を単純化し凝縮する解釈図式として説明する。それは、物事や状況、出来事を選択的に強調し、符号化することで現実を構築する。
アメリカで最も成功したフレーミングは「Medical Freedom(医療の自由)」 と「My Body, My Choice(私の体、私の選択)」いう概念である。これは単なる「ワクチン反対」を超えて、個人が自分の健康や医療について選択する自由、子育ての方法を決める自由、科学的・医療的専門家やエリート機関の疑似強制的な影響からの自由という普遍的価値と結びつけられた。
フレーミングは抵抗者だけが利用できるアプローチとは限らない。ヒューズが指摘する「恐怖と脅威」による支配は、まさにこのフレーミングを利用しており、市民運動側は自らのフレームを作り出すとともに、カウンターフレームで対抗する必要もある。
ヒューズは、フレーミングに対抗する形で、以下の読み替えを提起している。
「欺瞞用語」→真の意味
- 「反ワクチン」→ 身体の自律と意思に反して侵入されない権利を主張する人々
- 「ビルド・バック・ベター(より良い復興)」→ 公共的価値のあるものをすべて破壊する
- 「市民社会」→ 民主的説明責任という幻想
- 「批判的」→ 権力に真実を語るふりをしながら、深層国家の権力構造には目をつぶる
- 「第四次産業革命」→21世紀の政治的反革命
- 「グローバル・ヘルス・アーキテクチャ」→ ひとつの世界政府/グローバル独裁の足場
- 「人間拡張」→ 生体デジタル奴隷化
- 「独立」→ 利益相反に悩まされる
- 「ロックダウン」→ 市民的自由への攻撃の口実
- 「誤情報」→ 言論の自由
- 「ネットの安全」→ 検閲の口実
- 「オープンで包括的」 / 「誰一人取り残さない」→ すべての人を陥れる/奴隷にする意図がある。
- 「パンデミック対策」→ 軍事的準備、戒厳令の計画
- 「ファーマコビジランス」→ 住民のバイオ監視
- 「他者の保護」と「公益」→ 個人の権利と自由の抹殺
- 「公衆衛生」→ ステルスによる死(必要な医療サービスの剥奪、長期待機、危険な実験製剤の注射など)
- 「規制当局」→ 大手製薬会社の世話役
- 「回復力」→ 不適応
- 「安全で効果的」→ 危険で効果的でない
- 「安全性」→ 社会的統制
- 「奴隷制度」→ 植民地時代の遺産を連想させ、バイオデジタルの未来を連想させない
- 「スマート」→ テクノクラート的な管理網への無頓着な同意
- 「安全でいる」→ フェイスマスク、「自己隔離」、「社会的距離を置く」、屋内にとどまる、親戚に会わないなど、健康を害する手段をとること。
- 「スチュワードシップ」→ グローバル・コモンズの窃盗
- 「持続可能な」→ 支配階級の支配を長引かせる
- 「科学」→ 疑似科学的ドグマ
- 「トランスヒューマニズム」→ 優生学
- 「信頼できる情報源」→ 共謀した嘘つき
- 「信頼」→ 世論を操作する
- 「ワクチン」→ 注射可能な軍事技術
- 「ゼロ」(「ゼロ・コビッド」、「カーボン・ゼロ」)→ 完全な社会統制の口実
David A. Hughes:
プロパガンダは常に言葉の意味を傷つけてきた。フロムが1942年に書いたように、「今日ほど真実を隠すために言葉が悪用されたことはない。同盟国に対する裏切りは宥和と呼ばれ、軍事的侵略は攻撃に対する防衛としてカムフラージュされ、小国の征服は友好条約の名の下に行われ、… pic.twitter.com/6GEUoHOiWB
— Alzhacker (@Alzhacker) May 2, 2024
これは言葉遊びではない。再フレーミングによる対抗は、権力が言語を通じて現実を構築する仕組みそのものに挑戦する行為である。支配者が「安全」という言葉で監視を正当化し、「科学」という権威で疑問を封じるように、言葉は単なる記号ではなく権力装置なのだ。市民が言葉の真の意味を取り戻すことは、思考の自由を奪還することに等しい。フレーミングの戦いに勝利した側が、最終的に現実の定義権を握るのである。
2. ネットワークの多層的構築—「弱い紐帯」理論
タローが重視する「ネットワークの多層性と動態性」を理解するには、いくつかの重要な理論を押さえる必要がある。
チャールズ・ティリーの「信頼のネットワーク」とは、長期的な相互義務と期待に基づく人間関係を指す。これは家族、親族、同郷者、宗教共同体など、強い感情的結びつきと相互扶助の規範を持つ集団である。バルダサーリとディアーニの区別では、「社会的絆」は共通の価値観や集合的アイデンティティに基づく関係で、運動への参加は道徳的義務として認識される。一方、「取引ネットワーク」は具体的な利益や資源の交換に基づく関係で、より計算的で戦略的な性格を持つ。
そして最も重要な理論が「弱い紐帯」だ。グラノヴェッターの「弱い紐帯の強さ」理論は、一見逆説的であるが重要な洞察を含んでいる。「強い紐帯」(親密な友人や家族)は似た環境の人々を結びつけるため、新しい情報や機会をもたらしにくい。対照的に、「弱い紐帯」(知人程度の関係)は異なる社会集団を橋渡しし、新しい情報、アイデア、資源へのアクセスを提供する。
社会運動においては、強い紐帯は初期の信頼構築に不可欠だが、運動の拡大には弱い紐帯が重要になる。例えば、SNSでの緩やかなつながりは、情報拡散や新規参加者の動員に効果的である。しかし、リスクの高い行動(例:市民的不服従)には強い紐帯による信頼が必要である。
成功する運動は、これらの異なるタイプのネットワークを状況に応じて戦略的に活用する。
書籍『習慣の力』 — 第8章「サドルバック教会とモンゴメリーバスボイコット:運動はいかにして起こるか」(要約)
➡ 社会運動の三段階プロセス
デュヒッグによれば、社会運動は次の三段階プロセスで発展する:
☑ 友情の社会的習慣と親しい知人間の「強い紐帯」から始まる
☑… pic.twitter.com/IUs8yj2pLs— Alzhacker (@Alzhacker) March 19, 2025
日本のmRNAワクチン反対運動における多層的構築
日本のmRNAワクチン反対運動における「潜在的ネットワークの活性化」の具体例として、以下のような展開が見られる:
医療従事者ネットワークの横断的連携: 「「全国有志医師の会」「東北有志医師の会」「mRNAワクチン中止を求める国民連合」という別々の医療従事者グループが、それぞれ独自の活動を展開していたが、レプリコンワクチンという新たな問題を契機に相互参照し、共通の懸念を表明するようになった。
地域医療から全国運動への拡大: 北海道本別町という人口6400人余りの小さな町の医師が率いる運動が、都市部の大学教授(東京理科大学名誉教授の村上康文氏)や政治家(参政党)を巻き込み、2024年4月13日には約2万人の国民が池袋でデモ行進を行うまでに発展した。
【報道】パンデミック条約に反対するデモ、池袋に1万人超が集結 Epoc Times
専門分野を超えた連携の活性化: 元々は感染症対策に関心を持っていた日本看護倫理学会が、ワクチンの倫理的問題について声明を発表。これにより、医学的議論から医療倫理、人権問題へと議論の幅が広がり、法律家による集団訴訟や、地方自治体への陳情活動へと波及した。

既存の市民運動との接続: ワクチン接種記録の問題から、デジタル監視社会への懸念を持つプライバシー保護団体、子どものマスク着用問題から教育の自由を求める親の会、医療選択の自由から代替医療実践者のネットワークなど、それぞれ独立して活動していたグループが、「身体的主権」という共通の価値観のもとに緩やかに連携し始めた。
これらの活性化は、タローが指摘する通り、一つの具体的問題(mRNAワクチン)が、より広範な社会的不満や価値観の対立を呼び覚まし、予期せぬ形での社会運動の拡大をもたらしている。ここで果たした「弱い紐帯」の役割も見逃せない。
3. 「行動レパートリー」の革新と拡張
タローが定義する「行動レパートリー」とは、ある時代・文化において人々が集合的請求を行う際に利用可能な抗議行動の全体を指す。18世紀の地域的暴動から19世紀の全国的ストライキ、そして現代のデジタル・アクティビズムへと進化してきたように、行動レパートリーは常に革新され続けている。
現代における行動レパートリーの戦略的拡張
現在のテクノクラシー的支配に対抗するためには、従来の抗議形態を超えた新しい行動レパートリーの開発が不可欠である。以下、具体的な戦略を提示する。
1. ハイブリッド型行動の開発
デジタルとアナログを融合させた新しい抗議形態が必要である。例えば、「同時多発的な小規模集会」は、大規模デモの弾圧リスクを回避しながら、SNSでの同時配信によって一体感と可視性を確保できる。
2. 日常生活に埋め込まれた抵抗
ジェームズ・C・スコットの「日常的抵抗」概念を発展させ、消費行動、教育選択、医療選択などの日常的決定を政治的行為として再定義する。地元商店での買い物、代替医療の選択、ホームスクーリングなどは、一見非政治的だが、システムからの静かな離脱を意味する。

3. 創造的な法的抵抗
既存の法的枠組みを創造的に活用する戦術の開発。情報公開請求の戦略的活用、行政手続きの厳格な要求による「合法的妨害」、憲法的権利の積極的主張などがある。
4. 文化的介入としての芸術的行動
「文化的ゲリラ戦」として、主流文化に対する創造的な介入を行う。ミーム、風刺画、路上アート、ゲリラ・シアターなどは、検閲を回避しながらメッセージを拡散できる。セルビアのOtpor!運動は、ユーモアと風刺を武器に独裁政権を打倒した。

5. 経済的不服従の洗練
ボイコット、不買運動、代替経済圏の構築など、経済的圧力を通じた抵抗。地域通貨、物々交換ネットワーク、協同組合の設立は、支配的経済システムからの部分的自立を可能にする。
https://twitter.com/sois_lucide/status/1834932807883231710
参考:WCHが100日で実施可能な自己増殖型生物兵器を後援する企業のボイコットを呼びかける
レパートリーの「モジュール化」戦略
タローが指摘する「モジュール性」とは、ある場所で開発された戦術が他の文脈で容易に採用・適応できる特性である。成功する行動レパートリーは以下の特徴を持つ:
簡潔性:複雑な準備や特殊なスキルを必要としない
適応性:地域の文化や法的環境に合わせて修正可能
拡張性:小規模から大規模まで柔軟に展開可能
象徴性:明確で理解しやすいメッセージを内包
例えば、香港の「Be Water」戦術は、ブルース・リーの哲学を借りて流動的で予測不可能な抗議を展開した。この概念は世界中の運動に採用され、各地の文脈で独自の解釈を生んだ。
デジタル時代の新しいレパートリー
- データ・アクティビズム 個人データの戦略的な保護と活用。プライバシー保護ツールの普及、データの集団的拒否、代替的なデータ収集による対抗的真実の構築。
- ミーム戦争 情報戦の民主化として、市民がミームやバイラルコンテンツを通じて対抗的な物語を拡散。アルゴリズムの理解と活用による情報の民主的拡散。
- プラットフォーム・ハッキング 既存のデジタルプラットフォームの予期せぬ使用法の開発。TikTokでの政治教育、LinkedInでの抗議組織化など、本来の目的を転用した活動。
レパートリー拡張における注意点
新しい行動形態の開発には以下の考慮が必要である:
持続可能性:参加者の身体的・精神的・経済的負担を最小化
包摂性:多様な能力・資源を持つ人々が参加可能
合法性の境界:法的リスクの慎重な評価と管理
効果測定:行動の影響を評価し、戦術を継続的に改善
タローが強調するように、行動レパートリーは静的なメニューではなく、常に進化する生きた実践である。過去の運動から学びながら、現代のテクノロジーと文化的文脈に適応した新しい形態を創造することが、効果的な抵抗の鍵となる。
重要なのは、これらの行動形態が相互に補完し合い、多様な参加者が自身の状況と能力に応じて貢献できる「抵抗のエコシステム」を構築することである。英雄的な個人ではなく、集合的な創造性こそが、持続可能な社会変革の原動力となるのである。
4. 政治的機会構造の戦略的活用
タローが提示する第四の力「政治的機会構造」は、社会運動の成功可能性を左右する外部環境である。これは運動参加者が直接コントロールできない要素だが、その変化を敏感に察知し、戦略的に活用することが運動の成否を分ける。
政治的機会構造の主要要素
タローは政治的機会構造を構成する要素として以下を挙げている:
- 政治システムの開放性 制度的なアクセスポイントの存在、選挙制度の特性、司法の独立性、地方分権の程度などが含まれる。連邦制国家では州レベルでの抵抗が可能であり、比例代表制では少数派の声が議会に反映されやすい。
- エリート同盟の安定性 支配層内部の亀裂や対立は、挑戦者にとって重要な機会となる。経済エリートと政治エリートの利害対立、官僚機構内の派閥争い、専門家集団間の見解の相違などが運動に活用可能な隙間を生む。
- エリート同盟者の存在 運動の正当性を高め、資源へのアクセスを提供する有力な支持者の存在。議員、裁判官、著名な知識人、宗教指導者などが運動を支持することで、弾圧のコストが高まり、成功の可能性が増す。
- 国家の弾圧能力と傾向 警察・軍事力の規模と性質、監視技術の発達度、法的枠組みの厳格さ、そして何より重要なのは、弾圧を行使する政治的意思の強さである。
現代日本における政治的機会構造の分析
制度的機会
日本の政治システムは、表面的には安定しているが、実は多くの潜在的機会を含んでいる。地方自治体の条例制定権、情報公開制度、請願権、住民投票制度などは、市民が活用可能な制度的チャンネルである。特に地方議会は国政よりもアクセスしやすく、地域レベルでの変革の起点となりうる。
実際、ワクチン接種に関しても、いくつかの地方議会で慎重論が提起され、泉大津市のように独自の情報提供を行う自治体も現れた。これは中央集権的に見える日本でも、地方からの抵抗が可能であることを示している。
エリート間の亀裂
2020年以降、日本の専門家集団内でも顕著な亀裂が生じている。医師会内部での意見対立、大学研究者間での公開討論、官僚機構内での異論の存在など、一枚岩ではない状況が明らかになっている。東京大学 村上康文名誉教授、京都大学の宮沢孝幸准教授、大阪市立大学の井上正康名誉教授など、主流見解に異を唱える専門家の存在は、運動にとって重要な正当性の源泉となる。
国際的圧力と機会
グローバル化時代において、国内の政治的機会構造は国際的要因に大きく影響される。WHOのパンデミック条約への反対運動は各国で展開されており、日本の運動も国際的な連帯から力を得ている。また、アメリカでの政権交代、欧州での規制見直しの動きなど、国際的な政策転換は日本国内での議論に影響を与える。
https://www.worldcouncilforhealth.org/
機会の窓を捉える戦略
1. 選挙サイクルの活用
選挙期間は政治家が有権者の声に敏感になる「機会の窓」である。地方選挙、国政選挙のタイミングで、候補者への質問状送付、公開討論会の要求、選挙公約への働きかけなどが効果的となる。参政党のような新しい政治勢力の出現も、既存政党に圧力をかける要因となる。
2. 危機と機会の弁証法
パラドキシカルだが、システムの危機は同時に変革の機会でもある。ワクチン被害の顕在化、超過死亡の増加、医療システムの機能不全などは、現行システムの正当性を揺るがし、代替案への開放性を生む。重要なのは、これらの危機を建設的な変革へと転換する準備である。
3. 同盟者の戦略的開拓
潜在的同盟者は予想外の場所に存在する。保守派政治家の中にも国家主権や伝統的価値観の観点から、グローバルな医療統制に反対する者がいる。リベラル派の中にも、人権や自己決定権の観点から懸念を持つ者がいる。これらの多様な動機を持つ同盟者を結びつけることが重要である。
4. 制度的レバレッジの活用
司法システム、行政不服審査、オンブズマン制度など、既存の制度的チャンネルを戦略的に活用する。集団訴訟、情報公開請求の組織的実施、地方議会への陳情など、合法的手段を尽くすことは、より直接的な行動の正当性も高める。
デジタル時代の新しい機会構造
情報環境の変化
主流メディアの情報独占が崩れ、代替的な情報チャンネルが発達したことは、新しい政治的機会を生んでいる。しかし同時に、検閲やアルゴリズム操作という新たな制約も生まれている。この二重性を理解し、創造的に対応することが必要である。
監視と連帯のパラドックス
デジタル監視技術は弾圧能力を高める一方で、権力の濫用を可視化し、国際的な連帯を促進する側面もある。監視カメラの映像が弾圧の証拠となり、SNSでの拡散が国際的な支援を呼ぶこともある。
学術書『アルゴリズムへの抵抗:プラットフォーム権力に対する日常的な闘い』MIT出版 2024年
アルゴリズムに対する抵抗には2つの形態がある。1つは、AIやアルゴリズムの問題点を指摘し、それに「対して」抵抗する形態。もう1つは、アルゴリズムを戦略的に活用し、それを「通じて」抵抗する形態だ。… pic.twitter.com/LLxtcUhmJO
— Alzhacker (@Alzhacker) January 28, 2025
長期的視野での機会構造の変化
タローが強調するように、政治的機会構造は静的ではなく、社会運動自体がそれを変化させる。運動の持続的な圧力は、エリートの結束を弱め、新たな同盟者を生み出し、制度的変更を促す。1960年代の公民権運動が、当初は閉ざされていた政治システムを徐々に開放させたように、現在の運動も将来の機会構造を形作っている。
重要なのは、短期的な勝利に固執せず、長期的な構造変化を視野に入れることである。今日蒔かれた種が、明日の政治的機会として花開く可能性を信じ、持続的な努力を続けることが、真の変革への道となるだろう。
抗議サイクルの各段階について
タローの「抗議サイクル」理論は、社会運動が予測可能なパターンで展開することを示している。各段階を詳しく見てみよう。
- 機会の拡大:政治システムに亀裂が生じ、エリート間の分裂、同盟者の出現、国家の弾圧能力低下などが起こる。1848年革命では、ヨーロッパ各国での自由化の動きが連鎖的な機会を生み出した。
- レパートリー革新:既存の抗議形態に新しい要素が加わる。座り込み、バリケード、フラッシュモブなど、時代ごとに特徴的な戦術が生まれる。これらは急速に模倣され、「モジュール化」していく。
- 連合形成:異なる集団が共通の敵や目標のもとに結集する。労働者、学生、市民団体などが一時的な同盟を結び、より大きな力を生み出す。
- 拡散:成功した戦術や要求が他の地域・集団に広がる。メディアやネットワークを通じて、運動は地理的・社会的境界を越えていく。
- 疲弊:街頭での継続的な動員は参加者を消耗させる。初期の高揚感が薄れ、内部対立が表面化し、一般参加者が日常生活に戻り始める。
- 急進化と制度化の同時進行:ここが最も重要な洞察である。運動の一部は過激化し、より対立的な戦術を採用する(例:1960年代末の過激派)。同時に、他の部分は既存の政治システムに組み込まれ、政党や圧力団体として活動を続ける(例:緑の党)。この二つは対立するようで実は相補的で、急進派の存在が穏健派の要求を「合理的」に見せ、穏健派の成功が急進派の不満を生み出す。
- 抑圧・促進による終息:国家は暴力的弾圧と部分的譲歩を組み合わせて対応する。一部の要求は制度化され、他は排除されることで、運動は徐々に収束していく。
段階的アプローチ
現代の抵抗運動においては、以下のような段階的アプローチが有効だろう:
第1段階:潜在的機会の認識と基盤構築
- 既存の政治的同盟者(地方議員、医師、法律家など)の特定と関係構築
- エリート間の分裂や矛盾の把握(例:官僚機構内の異論、専門家間の見解相違)
- 小規模で信頼できるネットワークでの情報共有と戦略討議
- 法的・制度的な抵抗の可能性の調査
第2段階:戦術的レパートリーの革新と実験
- 既存の抗議形態を現代的に再解釈(例:「沈黙の行進」をデジタル時代に適応)
- 創造的な不服従の形態の開発(法的リスクを最小化しつつ可視性を確保)
- 情報戦への対抗戦略(フレーミングの競争、対抗的な物語の構築)
- 小規模な実験を通じた効果的な戦術の特定
第3段階:拡散とスケールアップ
- 成功した戦術の他地域・他グループへの伝播
- 異なる問題関心を持つ集団との戦略的連合形成
- メディア戦略の洗練(主流メディアへの働きかけと代替メディアの活用)
- 制度的チャンネルと街頭行動の同時展開
第4段階:持続可能性の確保と制度化への対応
- 参加者の疲弊を防ぐローテーション・システムの構築
- 運動内部の急進化圧力と穏健化圧力のバランス調整
- 部分的な勝利の制度化と次の闘争への準備
- 長期的な文化変革への投資
長期的な視野での変革
タローが指摘する「狂気の瞬間」理論によれば、激しい社会運動の時期は三つの経路を通じて社会を変革する。第一に「言葉の奔流」として、新しい概念や意味が創出される。ヒューズが分析したように「ソーシャル・ディスタンス」「新しい日常」といった言葉が権力側から導入されたなら、市民側も「身体的主権」「医療の自己決定権」「デジタル人権」といった対抗概念を生み出し、浸透させる必要がある。
第二に、抵抗運動の中で形成される人間関係のネットワークは、運動が終息した後も「潜在的な動員構造」として機能する。2020年以降の経験を共有した人々のつながりは、将来の民主的抵抗の基盤となりうるだろう。
第三に、運動の要求は往々にして後退した形で部分的に制度化されるが、それでも将来の変化への足がかりとなる。例えば、インフォームド・コンセントの原則の再確認、緊急事態における人権保護の強化、デジタル監視への法的制限などが考えられる。
おわりに:希望を持って前へ
ヒューズ博士が描く現実は厳しいものである。だが、タローの研究が示すのは、歴史上最も暗い時代にこそ、市民の抵抗が最も創造的で強靱な形を取ってきたという事実だ。
1930年代のファシズムの台頭期、多くの人々は絶望したが、同時に地下に潜った小さな抵抗ネットワークが形成されていた。彼らは新聞を隠し読みし、禁じられた本を写し書きし、信頼できる人々との間で真実を語り合った。これらの「見えない抵抗」こそが、後の大きな変革の種となった。
私たちが今直面している状況も同様である。表面的には権力の支配が盤石に見えても、その基盤は実は脆弱だ。なぜなら、それは恐怖と欺瞞に依存しているからである。真実を知る人が増え、つながりが深まるにつれて、この脆弱性は露呈していく。
予期せぬ場所からの予期せぬ反響
タローが指摘するように、社会運動の真の力は「予期せぬ場所からの予期せぬ反響」にある。1960年代の公民権運動の参加者たちは、自分たちの行動が半世紀後の世界をどう変えるかなど想像もしていなかった。しかし、彼らの「今、ここでの抵抗」が、世代を超えて響き続けている。
タローの「予期せぬ場所からの予期せぬ反響」は、単なる結果論ではない。タローが示唆するのは、社会運動には制御不能な波及効果があるということだ。運動の参加者は直接的な目標を持って行動するが、その行動が生み出す文化的・政治的波紋は、当初の意図を超えて広がっていく。これは偶然ではなく、社会運動が持つ構造的特性によるものである。
つまり、「予期せぬ反響」は完全にランダムではない。それは、運動が持つ開放性、適応性、共鳴性によって促進される。冒頭で説明した「4つの力」「フレーミングの普遍性」「モジュール性のある行動レパートリー」「弱い紐帯による拡散」「潜在的ネットワークの活性化」によって、予期せぬ反響が高まる。
重要なのは、運動の設計段階でこれらの要素を意識的に組み込むことである。硬直的で閉鎖的な運動よりも、柔軟で開かれた運動の方が、予期せぬ形での拡大と影響を生み出しやすいということだ。
タローの理論の限界と可能性
ここで認識すべきは、タローの理論には重要な盲点があることだ。ヒューズが詳細に分析している裏歴史、つまりCIAなどの情報機関、USAID(米国国際開発庁)、NED(全米民主主義基金)、ジョージ・ソロスのオープン・ソサエティ財団などによる暗躍や隠れた支援についての分析が含まれていない。これらの組織は、表向きは市民社会の発展を支援しながら、実際には地政学的目的のために社会運動を操作してきた歴史がある。
さらに、現代の第五世代戦争、認知戦、オムニウォー(全領域戦争)といった、より高度な大衆操作のプロパガンダについての分析も不足している。これらは従来の物理的戦争を超えて、人々の認知そのものを戦場とし、AIやビッグデータを駆使して個人レベルでの心理操作を可能にしている。タローが研究した20世紀の社会運動とは、権力側の手法の洗練度が根本的に異なっているのだ。
しかし、これらの限界はタローの理論を完全に無効化するものではない。むしろ、広範な地域と歴史的事象を観察した彼の洞察は、現代の高度な操作技術に対抗する上でも重要な示唆を与えてくれる。特に「予期せぬ場所からの予期せぬ反響」という概念は、予測市場やAIによる予測能力が発達した現代においてこそ、より重要な意味を持つ。
なぜなら、権力側がいかに高度な予測技術を持っていても、人間の創造性と自発性の全てを予測し制御することは不可能だからだ。生命システムの本質的な複雑性と創発性は、最も洗練されたアルゴリズムをも超越する。タローが示した社会運動の予測不可能な波及効果は、テクノクラシー的支配の根本的な限界を示唆している。
複雑なシステム – 複雑な世界では、古い信念は通用しないhttps://t.co/IoGWICHOp6
まず、ある例から見てみよう:ドイツ社会は、CO2排出量を削減することを規範的に決定したため、2つのトップダウン施策を導入した:…— Alzhacker (@Alzhacker) April 30, 2023
英雄的な抵抗から日常的な抵抗へ
ソルジェニーツィンは『イワン・デニーソヴィチの一日』で、絶望的な収容所でも人間の尊厳を保ち続けることの意味を描いた。彼が描いたのは英雄的な抵抗ではなく、極限状況での人間性の維持という、より根源的な抵抗だった。
私たちの「収容所」はより洗練されている。鉄格子はなく、むしろ快適で便利だ。だからこそ、抵抗もより微妙で持続的なものでなければならない。それは毎朝、人間として生きることを選び直すことから始まる。恐怖に屈服するのではなく好奇心を保つこと、分断に加担するのではなく理解を求めること、絶望に沈むのではなく小さな希望を育てること。
コロナワクチン【NHK特設サイト】接種率の状況など最新ニュース
ブースター接種率が当初の80%から15%程度に大きく低下していることは、政府やメディアの論調とは異なり、多くの人々が疑いの目を感じ始めたことを強く示唆している。
テレビを見ていたのではわからないが、この静かな革命に潜在的に参加している人は、あなたが思っているよりもはるかに多い。彼らは街角で、職場で、学校で、同じように悩んでいる。彼らが小さな抵抗を行うことを想像してみてほしい。1000万人の小さな抵抗だ。それはもはや小さな抵抗ではない。
そしてタローの研究が明らかにしているのは、社会運動の真の影響は、参加者が当初予想もしなかった形で、世代を超えて徐々に社会に浸透し、最終的には社会の根本的な変革をもたらす可能性があるということだ。今はmRNAワクチンをストップさせるという点では緊急を要するのかもしれないが、権力者とテクノクラートによる全体主義社会に対抗するには、種を蒔く時期でもあるのかもしれない。
その種がいつ、どのような形で芽吹くかは誰にも分からない。正直なところ、この闘いの結果について、大きな社会変革というレベルでは私たちが生きている間には見ることができないかもしれないと思っている。それが、このタロー氏から学んだ最も深い洞察だったが、それでも闘う価値があると主張する。
宗教的なものを信じていない現代人では「自分が見れない結果に何の意味があるのだ」と思う人もいるかもしれない。私も似たようなことを考えていた時期がある。これについて良い答えを提供できるとは思っていない。ただ、できることがあるとわかっていながら行動をとらないことは、自分自身をこの人生という閉ループの中に閉じ込めてしまい、心を徐々に蝕んでしまうということだけはわかっている。

参考文献
- Tarrow, Sidney (2011) Power in Movement: Social Movements and Contentious Politics, 3rd Edition, Cambridge University Press
- Hughes, David A. (2024) “Covid-19,” Psychological Operations, and the War for Technocracy Volume 1, Springer