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Chaos Theory in Politics
序文
世界の歴史は、常に破滅的な社会的・政治的出来事に満ちている。産業革命から第一次世界大戦、そして最近の「アラブの春」に至るまで、これらの出来事は現代世界史の礎石として記憶されるだろう。21世紀は世界大戦こそ起きていないものの、民族紛争や地球温暖化といった新たな課題に直面している。これらやその他の新たな課題に対応するため、人類は新たな概念を学び、新たなアプローチを開発しなければならない。
過去50年間は科学革命と知識の重要な蓄積を目の当たりにし、これらの新たな課題に対処するため、より学際的なアプローチで研究に取り組むきっかけとなった。この学際的なアプローチは、しばしばカオス理論というラベルを与えられている。実際、これは非常に古い概念を定義するための新しい用語と見た方がいいかもしれない。私たちの日常生活は、社会学、政治学、自然科学における出来事と直接結びついていると見ることができる。当初は主に数値的な概念とされていたものが、近年では私たちの社会的現実の一部であることが示されている。今日、私たちの生活は予期せぬ人間の行動によって日常的に影響を受けている。このような世界では、我々の歴史の社会的・政治的ダイナミクスを理解するための代替的な方法が常に存在する。
本書は、世界政治のさまざまなサブカテゴリーの中で、カオスとその応用の枠組みを作ろうと試みている。読者は、アラブの春からジェンダー問題まで、カオス理論の目を通して洞察を得ることができるだろう。本書が、カオスと政治というダイナミックな分野で研究する、現在と未来の研究者たちを鼓舞することを願ってやまない。
「カオス」というユニークな分野に関する本の序文を書くために私を招待してくれた編集者に感謝したい。
アンカラ:2013年11月
ニルハン・アチュカルン
目次
- 第1部:政治、不確実性、平和インテリジェンス
- 1 組織化されたカオスと無秩序なカオス:平和インテリジェンスにおける新たな力学
- 2 不確実性とファジーな意思決定
- 3 カオス理論によるアラブの春の理解 – 蜂起か革命か?
- 第2部 政治、複雑系、魅力の盆地
- 4 経済的意思決定: 複雑系の理論の応用
- 5 生成的正義のための魅力的な流域
- 6 世界政治におけるカオス: 考察
- 7 政策決定における原因と結果の大きな空間的・時間的分離 – 非線形の影響への対処
- 第3部:リーダーシップ、政治学、カオスと国家安全保障
- 8 カオスと政治学::テーブルを近づけるために、洪水と蝶はどのように関係しているのか?
- 9 総統に向けて働く::カオティックな見方
- 10 新しい共同体主義運動と複合ユートピア
- 11 カオス的現象としての防諜と国家安全保障における重要性
- 第4部 文学における性の複雑性と政治性
- 12 イアン・マキューアンの『黒い犬』における性の複雑性と政治性
AI解説
第1章「平和情報におけるカオスの新しいダイナミクス」
第1章「平和情報におけるカオスの新しいダイナミクス」は、Şefika Şule Erçetin、Ali Tekin、Şuay Nilhan Açıkalınによる論考で、現代の複雑で予測不可能な世界において、平和維持活動や紛争解決に「平和知性」(peace intelligence)という新しい概念を適用することを提案している。
著者らは、まず平和の定義を整理し、国際関係論の様々な理論(現実主義、自由主義、理想主義、批判理論、マルクス主義)における平和の位置づけを概観している。その上で、カオス理論の観点から平和を捉え直すことを試む。
カオス理論では、非線形性、フィードバック、自己組織化、創発性などの概念を用いて、複雑適応系のダイナミクスを記述する。著者らは、平和もまた、多様なアクターの相互作用から生じる複雑適応系であると論じる。特に、カオスの縁(edge of chaos)における創造性と柔軟性に着目し、不確実性への適応力こそが平和の本質だと指摘する。
その上で、著者らは「平和知性」という新しい概念を提示する。平和知性とは、個人が備える生物・心理・社会的な潜在能力を、平和構築に向けて発揮する知的能力のことを指す。著者らは、ガードナーの多重知性理論やスターンバーグの三頭知性理論を参照しつつ、平和知性の特徴を以下のように整理している。
- 1. 適応性:社会環境への適応力と寛容性を備えている。
- 2. 流動性:状況の変化に柔軟に対応できる。
- 3. 超創造性:対立が生じた際に、創造的な解決策を生み出せる。
- 4. 変容性:個人の潜在能力を平和な生き方へと変容させられる。
- 5. 進化可能性:平和知性自体が進化の産物であり、さらに進化しうる。
- 6. 発達可能性:個人の発達過程で、平和知性を涵養できる。
著者らは、このような平和知性の概念が、単なる理想論ではなく、経験的に検証可能なモデルになりうると主張する。平和知性は、個人の脳機能(視床、前頭前野)に由来し、批判期や経験による学習を通じて発達するものと位置づけられる。
さらに、平和知性の概念は、平和と戦争の二項対立を超えて、両者のダイナミックな関係性を捉える枠組みを提供する。時には対立を積極的に受け入れることが、かえって持続可能な平和をもたらすこともあるというのである。
以上のように、本章は、カオス理論と知性理論を融合させることで、平和構築の新しいビジョンを提示している。著者らは、平和知性の概念が、国家中心の従来の平和論を超えて、個人の能力に着目した平和構築のアプローチを切り拓く可能性を秘めていると結論付けている。
本章のポイントは以下の通り。
- 平和は、多様なアクターの相互作用から生じる複雑適応系である。
- カオスの縁における創造性と柔軟性こそが、平和の本質である。
- 「平和知性」とは、個人の潜在能力を平和構築に生かす知的能力である。
- 平和知性は、適応性、流動性、超創造性、変容性、進化可能性、発達可能性を特徴とする。
- 平和知性の概念は、平和と戦争の二項対立を超えて、両者の動的な関係性を捉える枠組みを提供する。
- 平和知性の概念は、個人の能力に着目した平和構築の新しいアプローチを切り拓く。
本章は、カオス理論と平和研究の斬新な融合を試みた意欲作と言える。ただし、平和知性の概念がやや抽象的で、実証的な裏付けに乏しいのが難点である。今後は、事例研究等を通じて、概念の精緻化と経験的検証が求められるだろう。とはいえ、従来の平和論の枠組みを超える新しい視座を提供した点で、本章の学術的意義は大きいと評価できる。
第4章「経済的意思決定:複雑系理論の応用」
第4章「経済的意思決定:複雑系理論の応用」は、Robert Kittによる論考で、経済政策と企業経営における複雑系アプローチの有用性を論じている。
著者は、まず社会システムが本質的にカオス的、非線形的、非平衡的な性質を持つことを指摘する。ベキ分布の普遍性や、バラバシ-アルバートモデルの成長性と選択的結合の概念を援用しつつ、社会現象の複雑性を説明している。
次に、消費者行動のグローバルな変化が、ビジネス環境の複雑性をさらに高めていると論じる。個別化・多様化する消費者ニーズへの対応が、企業に柔軟性と素早い適応を迫っているというのである。
その上で、複雑性下での政策立案の指針として、開放性と国際競争、アイデアの多様性と寛容性、自立性と外部依存の回避などを提示している。
さらに、複雑性の高まりが小国経済にもたらす機会についても言及している。生産の柔軟性、信頼できるビジネス倫理、リスク管理が鍵を握ると指摘する。
また、複雑性の高まりは、企業経営のあり方も変えつつあるとも論じている。伝統的な静的アプローチに代えて、動的で機敏なアプローチが求められているというのである。株主・顧客・従業員というステークホルダーの利害と、市場動向とのバランスが問われていると言う。
最後に、過剰な債務に伴うリスクと、複雑性がもたらす企業経営への影響という2つの金融的含意を指摘している。前者は、一時的な景気後退が企業を破綻に追い込みかねないというリスクであり、後者は、あらゆる業種で金融的リスク管理が不可欠になりつつあるという変化である。
- 社会システムは本質的に、カオス的、非線形的、非平衡的である。
- 消費者行動のグローバルな変化が、ビジネス環境の複雑性を高めている。
- 3複雑性下では、開放性、多様性、自立性が政策立案の指針となる。
- 複雑性の高まりは、小国経済にチャンスをもたらしている。
- 複雑性は企業経営のあり方も変えつつあり、動的で機敏なアプローチが求められる。
- 過剰債務は景気変動に対する企業の脆弱性を高める。
- あらゆる業種で、金融的リスク管理が不可欠になりつつある。
従来の均衡理論を超える新しい経済学の可能性を提示した点で、本章の学術的・実践的な意義は小さくないと評価できる。
第5章「生成的正義のための引き込み領域」
第5章「生成的正義のための引き込み領域」は、Ron EglashとColin Garveyによる論考で、社会的エコロジーにおいて環境的持続可能性と社会正義の両立を促進する「引き込み領域」(basin of attraction)の構築可能性を探っている。
著者らは、まず「生成的正義」(generative justice)の概念を提示する。これは、社会的エコロジーにおいて、価値がボトムアップに自己組織的に循環することで、環境的持続可能性と社会正義を同時に実現しようとする考え方である。
次に、非線形ダイナミクスの「引き込み領域」の概念を説明する。引き込み領域とは、システムの状態が最終的に収束する安定した領域のことを指す。著者らは、単振り子、倒立振り子、強制振り子の例を挙げ、初期条件や外的撹乱に対するシステムの応答を位相空間上で可視化している。特に、カオス的なアトラクターが、システムの柔軟性と回復力を生み出す上で重要な役割を果たすと指摘している。
次に、「生成的正義」の実例として、バリ島の水田灌漑システムとオープンソースソフトウェア開発コミュニティを比較分析している。いずれも、資源の「上流」と「下流」の利害関係者の間の微妙なバランスの上に成り立つ協調的なシステムであり、ゲーム理論的な視点からも説明可能だと論じている。
さらに、産業共生 (industrial symbiosis) への「引き込み領域」概念の適用可能性を検討している。産業共生とは、ある企業の廃棄物を別の企業の原料として利用する循環型の産業システムを指す。著者らは、エコ工業団地 (EIP)のモデルに着目し、企業間の協調的な関係性が「引き込み領域」となるための条件を探っている。
最後に、「生成的正義」の観点から、自然と労働の両方に価値を適切に還元する社会的エコロジーの構築可能性について考察している。
著者らは、「引き込み領域」の概念が、環境科学、経済学、政治学など様々な分野の知見を統合する上で有用な枠組みになると主張している。「生成的正義」の実現には、単なる産業の循環性を超えて、自然と労働への価値の還元を重視する必要があると訴えている。
「生成的正義」とは、社会的エコロジーにおける価値の自己組織的な循環により、環境的持続可能性と社会正義を両立させる考え方である。
「引き込み領域」の概念は、システムの安定性と柔軟性を理解する上で有用である。特に、カオス的なアトラクターがシステムの回復力を生み出す。
バリ島の水田灌漑システムとオープンソースソフトウェア開発コミュニティは、資源の「上流」と「下流」の利害関係者のバランスの上に成り立つ「生成的正義」の実例だ。
産業共生システムにおいても、企業間の協調関係が「引き込み領域」となる条件を探ることが重要である。
「生成的正義」の実現には、自然と労働への価値の適切な還元を重視した社会的エコロジーの構築が必要である。
「引き込み領域」の概念は、様々な学問分野の知見を統合し、「生成的正義」の実現に向けた理論的・実践的な指針を提供する。
第8章「カオスと政治学:洪水と蝶がいかにしてテーブルを動かすことに関連していることが証明されたか」
第8章「カオスと政治学:洪水と蝶がいかにしてテーブルを動かすことに関連していることが証明されたか」は、Joan Pere Plaza i Fontによる論考で、政治学におけるカオス理論の適用可能性を論じている。
著者は、まず政治学の学問的な位置づけをめぐる長年の論争を振り返る。政治学は、予測可能性や法則定立可能性をめぐって、自らの学問的アイデンティティに悩み続けてきたという。
その上で、行動主義と合理的選択理論という、20世紀の政治学の主流となった2つのアプローチを批判的に検討する。これらのアプローチは、政治学の「科学化」に貢献した一方で、ニュートン的な秩序・還元主義・予測可能性・決定論といった前提を暗黙裡に受け入れてしまったと指摘する。
そこで著者は、カオス理論の観点から、政治学の存在論的・認識論的前提を再考することを提案する。カオス理論は、非線形ダイナミクスの観点から、複雑な政治現象を捉える新しい枠組みを提供するというのである。
さらに、歴史的新制度論が、カオス理論と親和的な概念枠組みを備えていることを指摘する。経路依存性、収穫逓増、分岐点といった概念は、初期条件への感応性、非線形軌道の不可逆性、変曲点といったカオス理論の概念と対応関係にあるとされる。
最後に、EU統合の過程が、カオス的な政治ダイナミクスの好例を提供していると論じられる。EUの発展は、偶発的な歴史的事件をきっかけとした不可逆的な制度化の過程として描けるというのである。
- 政治学は長年、予測可能性や法則定立可能性をめぐる自己同一性の危機に悩まされてきた。
- 行動主義と合理的選択理論は、政治学の「科学化」を推し進める一方で、ニュートン的パラダイムの呪縛から自由ではなかった。
- カオス理論は、非線形ダイナミクスの観点から、複雑な政治現象を記述する新しい枠組みを提供する。
- 歴史的新制度論のキー概念は、カオス理論の基本的発想と対応関係にある。
- EU統合の過程は、カオス的な政治ダイナミクスが作用した一つの事例として解釈できる。
本章は、政治学の基礎理論とカオス理論の架橋を試みた意欲作と言える。「科学」としての政治学のあり方を根本から問い直す問題提起として、一定の説得力を持っていると評価できるだろう。
第10章「新しいコミュニタリアニズム運動と複雑なユートピア」
第10章「新しいコミュニタリアニズム運動と複雑なユートピア」は、K. Gediz Akdenizによる論考で、現代社会における新しい共同体主義(コミュニタリアニズム)の動向を、「複雑なユートピア」(complex utopia)の概念を用いて考察している。
著者は、まず従来のユートピア概念を整理する。近代のユートピアは、「秩序だった理想社会」というイメージで語られていた。しかし、今日のシミュレーション世界では、現実と仮想の区別が曖昧になり、ユートピアとディストピアの二項対立も再構築されていると指摘する。
次に、著者は、ボードリヤールのシミュレーション理論を拡張した「DSHB(Disorder-Sensitive Human Behaviors)シミュレーション理論」を提示する。この理論では、近代的な「現実原理」に加えて、非近代的な「カオス的気づきの原理」を導入する。前者が生み出すのが「シミュラークル」(simulacra)、後者が生み出すのが「ズフール」(zuhur)である。
その上で、著者は「複雑なユートピア」の概念を定義する。それは、近代社会と非近代社会の両方で、シミュラークルとズフールが相互作用する複雑適応系のことを指す。複雑なユートピアは、中央集権的な統制を超えて、自己組織化によって生成するとされる。
具体的な事例として、著者は以下の3つを取り上げている。
- 科学コミュニティにおける「サイボーグ科学者」(シミュラークル)と「ポスト物理学者」(ズフール)の対立。
- 「アラブの春」における、近代的な学生層(シミュラークル)と非近代的な市井の人々(ズフール)の相互作用。
- ギリシャのアテネにおける、近代的な市民運動(シミュラークル)と無政府主義的な運動(ズフール)の並存。
著者は、これらの事例が、近代と非近代の複雑な絡み合いを示していると論じる。特に「アラブの春」については、その帰結を予測することは難しいものの、シミュレーション世界における「文明の衝突」の実験場になる可能性があると指摘する。
最後に、著者は、複雑なユートピア概念の意義を以下のようにまとめている。
- 複雑なユートピアは、単なるユートピア・ディストピアの代替案ではなく、複雑系の批評理論としても機能する。
- 複雑なユートピアの観点から、イランはエジプトとは異なり、トルコはギリシャとは異なる独自の展開を見せる可能性がある。
以上が本章の要旨だが、ポイントは以下の通り。
- 近代のユートピア概念は、今日のシミュレーション世界では再構築を迫られている。
- DSHBシミュレーション理論は、「現実原理」と「カオス的気づきの原理」の二つを軸に、シミュラークルとズフールの概念を導入する。
- 「複雑なユートピア」とは、シミュラークルとズフールが相互作用する複雑適応系のことを指す。
- 科学コミュニティ、「アラブの春」、ギリシャの市民運動には、複雑なユートピアの様相が見られる。
- 「アラブの春」は、シミュレーション世界における「文明の衝突」の実験場になる可能性がある。
- 複雑なユートピアの観点から、イランとトルコの独自性を探ることが課題となる。
本章は、ユートピア思想と複雑系理論を融合させた野心的な試みと言える。ただし、「複雑なユートピア」の概念規定はやや抽象的で、実証的な裏付けが十分とは言えない。今後は、事例研究を通じた理論の精緻化が求められるだろう。とはいえ、従来のユートピア論を複雑系の観点から問い直した点で、本章の意義は小さくないと評価できる。